昔つくった音楽

 昔のアルバムから4曲聴けるようにホームページの表紙にリンクをしました。聴いてみて下さい。

http://kazumatsui.com/music/music.html

 懐かしい、曲たちです。30年前に作った一枚目のアルバムの復刻版CDがアマゾンでプレミアつきで出品されていました。いまだに、探している人がいるのかもしれない、と思うとかなり嬉しい。音楽が生きている。
 その時生きていた、いくつかの魂のコラボレーション。作曲家、作詞家、アレンジャー、ミュージシャン、歌手、エンジニア。音楽を聴けば、蘇る出会いがある。蘇るものがないと人生に悪い。自分一人では蘇れない。昔作った音楽でさえ。
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 公立小学校の50周年記念で講演したときのこと。講演の前に小学生たちの学年別合唱発表会がありました。体育館は満員でした。床にぎっしり座っている親たちの姿を見て、ホッとしました。まだまだ大丈夫。

 一年生の合唱が始まり、音楽を愛する熱心な女の先生が表情豊かに大きな身振りで指揮するのを、この前まで幼稚園や保育園に通っていた一年生が一心に見つめ、声を合わせて歌います。

 幼さの残った子どもたちの心を一つにして歌う姿が、体育館の床に座っている親たちに、「心を一つにして下さい。そして安心して下さい」と歌いかけているようです。指揮をする先生を見つめる視線が、一身に信じること、頼り切ることの大切さを教えてくれているようです。

 次に歌った五年生たちのきれいなハーモニーが、「心を、美しく、それから一つにして下さい」という願いを伝えている。一学年ずつ、伝えるメッセージが違います。

 隣に座っていた校長先生が私に言います。「合唱を聴けば、まとまっている学年とそうでない学年がわかります。子どもたちと先生の心が一つになっているかどうかがわかるんです」

 そう。学力テストよりも、合唱大会のほうが社会にとって有意義です。生徒たちの絆を計れる上に、先生の実力もわかります。なにより子どもたちが大人たちを育てる、という宇宙の法則を学校で実践できるからです。

 あの一年生の姿を、あの子たちを育てた保育者たちにも見せてあげたかった。ふと、そう思いました。

ひたちなか市、宇都宮、茅野市

 日曜日、茨城のひたちなか市で梶山ひろし代議士主催の講演会で、600人の主に年配の女性の方たちに話しました。子どもをもっと眺めよう大切にしよう、と熱い思いで会場全体が一体になり、ずっと日本を守ってきたひとたちの前に立っているような気がしました。人間は自分のためにこんな風に一体になれません。子どもたちのため、孫たちのため、他の人の子どもであっても、幼い命のためだから心を一つにできるのです。言葉の話せない0歳児のために、想像力を働かせ、みんなが共感しなければなりません。

 エンゼルプランなど、結構、過去の自民党の施策の批判もしたのですけれど、日本の利他の幸福論は、子育てをしてきた女性の中にちゃんと生きている、通じる。この女性たちの世代で親心・祖父母心が途切れてしまったら取り返しがつかないことになる、と思いました。たくさんの笑顔とエネルギーをいただきました。梶山先生も最前列で聞いてくれ、2時間の陳情のつもりで話しました。具体的な方法として、一日保育士体験が常識になりさえすれば、いいのです、とお願いしました。
 参加してくれる予定だった熊本の金子代議士は台風で飛行機が飛ばず、残念ながら来れませんでしたが、国会でほんの少しでも理解者がつながっていると知るのは心強いことです。民主党では、私の説明を聴いて「これは国家戦略の問題だね」と言ってくれた長島昭久議員が梶山さんの友人だそうです。それを知ったのもこの日の収穫でした。
 帰りに強い風の中、ひたちなかの港を見ました。

 月曜日、宇都宮で栃木の保育士たちに話しました。二度目三度目の保育士たちも居ます。民主党の子ども・子育て新システムにはみなが反対しています。そこを聴きたい、詳しく説明して下さい、と言われます。まず基本にあるのは、五年以内にあと25万人三歳未満児をあずかれ、という雇用・労働施策です。これをやるには保育士がいません。資格を持っていて働いていない保育士が90万人居る、と厚労省は言うのですが、その人たちのほとんどが未経験のペーパードライバー。現実は、いまのままでも、公立私立を問わず保育園で保育士の欠員ができると埋めるのが大変なのです。資格を持っていないパートの保育士でさえです。それを、保育の国基準を緩和して無理に進めようとしている。現場は、もうこれ以上水増し保育は許さない、子どもたちの毎日の生活を犠牲にしないでほしい、という気持ちでまとまってきています。雇用・労働施策で子育てを考えるのはもうやめにしないと、この国から人間性が失われていきます。
 大学や専門学校の保育科があちこちで定員割れを起こしている状況で、保育士の青田買いが進みます。学校丸ごと買い占め、なんていう話もを耳にします。企業保育や派遣会社が保育界に市場原理を持ち込んでいる。母親の近くに子どもたちが居る、という視点で、企業保育自体はけっして悪くない。しかし、日本の保育はただの託児ではありません。保育士たちが長年にわたって勉強し、検討し話し合いを繰り返し、学校教育の準備を担うところまですでに進化しています。確かなリーダーや経験者なしにすぐに進められるような簡単な仕組みではありません。もし、保育界が「ただの託児でいいんだね」ということになって匙を投げたら、すでに危ない所にきている学校教育が急速に疲弊していくでしょう。日本のモラル?秩序を支えていた次世代育成能力が根本から崩れて行きます。
 小泉・竹中路線が押し進めた市場原理・競争原理の裏にあるのは、サービス産業の論理です。保育にこれを当てはめようとすると、必ず「親へのサービス」になっていってしまう。しかし、保育は「子どもたちのために」まず存在しなければならない。10年前に私立保育園の定款に「サービス」という言葉が入れられた時に、園長先生たちがどれほど違和感を感じ傷ついたか、行政も政治家も学者もわかっていない。この違和感は、親心の崩壊の流れに気づいている園長たちの、それはもう直感的なものでした。
 国基準を規制緩和することで、予算を増やさずに待機児童をなくそうとしている。しかし、保育界の市場原理はかならず行き詰まる。なぜなら保育は常に幼児たちの目にさらされているからです。現場で良心を捨てなければ、この大人優先の市場原理は成り立たない。
 待機児童はなくそうとすればするほど増える。政府はそれを目指しているのですからその通りになりつつあるということなのですが、一連の現場を知らない施策の弊害が保育界を蝕んでいます。
 保育士の補充がこれほど困難になっているということは、明らかに保育の現場に居てはいけない保育士を園長が排除出来なくなってくるということなのです。一度、園長や主任が、保育の現場であってはならない光景を故意に見過ごすと、保育界から良心が欠け落ちてゆく。保育の現場は、言葉のしゃべれない子どもを相手にする、本質がイマジネーションの次元にある育ちあいの現場なのです。人間たちの意識が問われるフィールドです。心ある保育士があってはならない光景に耐えられずに辞めていく。そんな風景が日本全国で頻繁に起こっている。そして、犠牲になっているのは子どもたち。この現状を、なんとか予算をかけずに食い止めるには「一日保育士体験」しかないのかもしれない。「育てる側が心を一つにしようとする」ことを子どもたちは望んで産まれてきたのです。茅野市の保育士たちが「一日保育士体験」にすぐに賛同してくれたのは、いつでも親に見せられる保育をしている、という自信があるから。そのことだけでも茅野の親たちは恵まれている。茅野の保育士たちが作って来た伝統に感謝してもいい。感謝が、育てる者たちの心を一つにします。
 認可保育所を増やさずに待機児童をなくそうとするため、都市周辺では認可外保育所がどんどん増えています。家庭保育室という名で、60人規模の保育所がゆるい規制のもと参入している市もあります。『「おおむね」とか「のぞましい」という言葉で子どもを守れるわけがありません』と、規則を守らせる立場の市職員が嘆いています。
 火曜日、台風一過、きれいに空気が澄み山の緑の濃淡が美しい中央道を運転し、茅野市で最後の2園で話しました。市長、教育長、教育委員、市議、も一緒に聴いてくれました。これで、17園すべてで話し終わりました。役場の担当の方たちは17回聴いて、まだ聴きたい、と言ってくれました。一回一回違う母親たちとの一体感が気持ちいい。出会いを感じるのです。子育ては人間たちが出会うために
ある。もう、同士といってもいい仲になりました。寂しいですね、また来ます。お土産をたくさんいただきました。これから企業に、親たちの一日保育士体験への協力を呼びかける手紙も、出来上がっているのを見せてもらいました。
 隣町から園長先生が一人聴きにきてくれました。町長が良い事をしているつもりで福祉を進め、三人目の子どもは保育料を無料にしたので、0歳児が急に増えてきたそうです。保育が利権になり始めている。
 なぜ、町長は園長の話に真剣に耳を傾けないのでしょうか、なぜ政治家は現場の声に耳を傾けないのでしょうか。本当に子どもたちのことを考えているのは誰なのか。真実を語っているのは誰なのか。人間が安心して本音で話し合うことができるだけで、方向性は必ず見えてくるはずなのです。優先順位が見えてくるはずです。
 市長に、育休に入っている学校の先生が、赤ちゃんを生徒に毎月見せに来るのもいいですよ、という話をしました。小学生、中学生の保育士体験はやはり三日がいいです。寂しさや、別れる悲しみが生まれます。それが感性を育てる。高校生の保育士体験は、少人数で男女の生徒が混ざって、幼児の前にいるお互いを盗み見るのがいいのです。男女がいい人間だと確認しあうために幼児がいるのです。そうすればきっと少子化対策にもなります、と伝えました。
 みんなで幼児を眺める、その目線が人間社会の基本にあれば、大丈夫です。そんなに難しいことではないのです。
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 シスターとシャクティの踊り手たち、今月末アメリカへ行きます。アメリカの独立記念日に踊ります。私も演奏して下さいと招待する団体から誘われたのですが、山口で保育士たちの大きな大会が入っていて帰国が間に合わず残念ながら参加出来ません。でも、踊り手たちがアメリカで踊っている姿をイメージするだけでワクワクします。別の道を行きながら、意識の世界で一緒に旅をしている、そんな感じがいいのでしょう。
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 日本のために祈りを捧げてくれているひとたちがいます。毎日日課のように、祈ってくれている踊り手たち。

茅野市との不思議な縁/マニフェストに一日保育士体験を入れて市長が当選

 前茅野市長で現長野県教育委員長の矢崎さんと全国教育委員長会議で出会ったのがきっかけで始まった茅野市との不思議なご縁です。以前から茅野で絵本の読み聞かせ運動を進めていた牛山圭吾先生とは長いお付き合いでした。それが矢崎さんの推薦で去年役場とつながって、現市長が一日保育士体験をマニュフェストに入れて再選されたので、6月から一斉に保育園で始まります。今月中にすべての保育園で保護者に講演することになりました。半分終わりました。

 今日も、二つ講演して来たのですが、講演のあとに課長さんや園長先生たちと色々話をするのが楽しみになり、今日も一つ勉強になりました。
 茅野では、昔から小学校の入学式は父親が子どもについてゆくのが習慣だったそうです。母親は家で御馳走を作って待つのだそうです。今では変わって、夫婦で来る方も多いのですが、それが昔は当たり前で「他では違うのですか?」と園長先生に聞かれてしまいました。
 「そうですよね課長さん」
 「そうです。私の頃は,父が来ましたし、息子の時も私が行きました」
 そこで私が、沖縄では常識的に5才児はみんな一年間幼稚園に行きます。保育園の卒園式は伝統的に4才児です、という話を披露すると、みんなそれにはさすがにびっくりしていました。
 先週の日本保育学会の大会、「多くの方から大絶賛でした」と大豆生田先生からメールをいただきました。
 びーのびーのの奥山さん、ゆうゆうのもりの渡辺先生、白梅大学の汐見学長、そして玉川大学の大豆生田先生と私でした。時間が短かったこともあり、私はちょっと熱くなってしまい、どれだけ思いを伝えられたか心配だったので、ホッとしました。
 

若い議員に陳情

 午前中、国立市の私立幼稚園PTAでお母さんたちに講演。偶然聴きに来ていたひえださんという若い女性市議が、講演のあと他の若い男性市議二人にすぐ電話して、ホールのロビーで色々話をしました。駆けつけた若い政治家たちに、幼児たちの存在意義、親心が崩壊してゆくと弱者に厳しい社会になってしまうこと、福祉が家庭崩壊を進めてしまう危険性などについて話しました。そして、たぶん一日保育士体験が唯一の解決策だと思う、と言いました。20年後のことを想像しながら,頼むよしっかり、半分祈りながら気合いが入ります。

 そのあと、茨城の梶山ひろし代議士の秘書の方が、来週ひたちなか市でやる講演会の打ち合わせに来られました。津波の影響はまだまだあるようです。市長さんや県議の方たちも来られるようで,いい機会をいただきました。先日自民党本部で講演したのがきっかけになっています。茨城でも何か始まってくれると良いのですが。
 以前国交副大臣時代にお会いした熊本の金子代議士も聴きに来られるとのこと。いま、保育界は大変な時期にさしかかっています。説明したいことがたくさんあります。

 明日は玉川大学で日本保育学会の大会があり、パネルディスカッションに出ます。久しぶりに汐見先生と一緒です。司会は大豆生田先生。テーマは「子どもは誰が育てるのか」。はっきりとした線引きは出来ないのですが、極端に言えば親か社会か、ということでしょう。「社会」の定義があいまいなので噛み合ない部分もあると思いますが、福祉で子育ての肩代わりをどこまでするのか、危険水域の見極め、という議論になるのでしょう。

 明後日、22日日曜日は中野の環境リサイクルプラザで講演します。これは一般に公開です。一時からです。お問い合わせは「はぴふる」までどうぞ。

佐伯昭定先生のこと。

 昨日の国神保育園に続き、今日も秩父の明星保育園で講演しました。両園は姉妹園です。真言宗のお寺の保育園。びっくりしたのは、八十才を越えた創設者でもある道祖神園長先生、小学校が明星学園で照井げん先生に音楽を習ったとおっしゃるのです。その時の授業や修学旅行がいまだに忘れられずに保育園に明星と名付けたそうなのです。私はおげん(お元)先生の最後の教え子。おげん先生は私が入学した時にはもうおばあちゃんでした。私は小学校しか明星に行っていませんが、お互いにその時期の思い出が強く、歳がこんだけ離れていてもやはり共通して習った先生が数人いて、いろいろと懐かしく話をしました。当時の明星学園は修学旅行で京都に行き、帰りは船で帰ってきたのだそうです。もちろん戦前です。照井先生が一学期かけて道中出会う物に関連づけて授業をしてから出かけたそうです。

 ちょうど、前回遠藤豊先生のことを書いたばかりだったので、これは偶然ではないような気がします。昔の授業の思い出をもう一つ書くことにしました。

 私の小学一年生から三年生までの担任は佐伯昭定先生でした。ピー閣下とあだ名され怒ると怖かった遠藤先生とはまた違った、柔軟性のある魅力的な国語の先生でした。
 いまでもはっきり覚えているのは、「ダムのおじさんたち」という絵本を使った授業でした。当時の明星学園の授業はほとんど教科書を使いません。あのころ国語の授業で読んで話し合い、美術の時間には一学期かけて絵まで描いた「ごんぎつね」や「なめとこはまのくま」、「てぶくろをかいに」「だいぞうじいさんとがん」は、子ども心にすごい話だなと思いました。その時の言葉の向こうに見える空間、感触を鮮明に覚えています。私は宮沢賢治か新美南吉か、となると新美南吉が好きでした。
 「ダムのおじさんたち」は後に「だるまちゃんとてんぐちゃん」で有名になる加古里子さんの初期の作品。
 ダムのおじさんたちが、ダムを造るのには何が必要か、という佐伯先生の問いかけに、45分かけてみんなが必死に答えを出そうとしていました。シャベルとか、つるはし、大きな重機など次々と答えるのですが、先生は、一番大切なものを忘れている、と私たちに問い続けました。みんなの頭の中がかなり混乱し始めた頃、最後に、だれかが小さな声で「ごはん?」と言ったのです。先生は「そう!」と言いました。
 この授業、いまだに私の中に生きています。

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遠藤豊先生のこと

2011年5月

今週,埼玉で学校の先生たちに二度講演しました。

保育という仕組みの問題点は、幼児という特殊な人間の存在意義を確認するという原始的な人間の遺伝子に関わってくる根源的な問題なので説明しやすいのですが、学校教育はそれとは違った側面を持っていて、それはたぶん、ほとんどの人間の人生にとって役に立たないことを子どもたちに大量に教えることが人類全体の可能性をのばしてゆく、というかなりしっかりとした絆意識がないと持続出来ない目的が、学校教育の普及とともに進む家庭崩壊によって見えにくくなってくる、という面倒な説明をしなければならない点にあり、そこで私も苦労しているのです。

それを一時間半でうまく現場の先生たちに説明出来るほどに私がまとめきれていないのだと思います。授業とは何か、役に立たない事を子どもに教える過程で何が大切なのか、を考えていたのがきっかけで、遠藤先生のことを懐かしく思い出し、考えました。

 

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 遠藤豊先生は私の小学校5、6年生の時の担任で、のちのち自由の森学園というかなり斬新な学校を創った人です。

 

とにかく素晴らしい授業でした。授業というものにあれほどの充実感を感じたことはそれ以後一度もなかったような気がします。いまの私の考え方は、自分で考えよ、基本的な情報以外の情報には惑わされるな、自身の体験を考える柱に必ず置く、というあたりが特徴なのですが、明らかに遠藤先生の理科と数学の授業が影響していると思います。

五年生の時、電気について一学期かけて考えたことがありました。電気は明るい、熱い、から始まり、「明るい」とは何か、熱いのはなぜか、と進み、電気が流れるとはどういうことか、まで続いていくのです。数学でいくつかの定理を学んだ時、先生は、その定理を発見した人の苦しみと楽しみと驚きを100分の1でも小学生に感じさせようとしていた。その定理を覚えることより、その定理が生まれた時の感動や苦悩を知ることの方がはるかに重要だと考えていたのです。

 兄の担任が無着成恭先生で妹の担任が寒川道夫先生でしたから、当時の教育界ではかなりのメンバーです。私は、その当時の自由教育を、受ける側で体験した人間として、今話している講演でも、「自由」という言葉に捕われることの危険性を常に言います。実は「自由」という言葉が「不自由」を創造する言葉であることについて話します。
 人間は自由にはなれないし、古代ギリシャの「自由人」は20人の奴隷を持って労働から解放された人のことを言った、多くの場合「自由」という言葉を使う争いは、階級闘争の中の利権争いに過ぎない、というようなことも言います。
 遠藤先生が自由の森学園を創設した時に、すでにそのようなことを私は講演し、本に書いていました。親が乳幼児に自由を奪われることに幸福感がなければ人類は滅んでいるはず、不自由になること絆をつくることに人間の幸福の原点があって、それを義務教育の普及が人間に忘れさせる、夢は多くの場合「欲」に過ぎない、というような論旨でアメリカの家庭崩壊と義務教育の崩壊の関連を実例に挙げ話していたのです。にもかかわらず、先生は学園創設前の先生たちの勉強会で私に講演をさせました。自由の森学園の創設に集まって来た教師たちに向かって、私は、「これは学園ではなくて楽園を目指しているのではないか。それでは子どもが将来苦労する」「子どもたちを使って、教師がこういう実験をしてはいけないのではないか」「こういう所に子どもを入学させることを『子育て』と勘違いする親がでるのではないか」などずいぶん強烈な論陣を張ったように思います。
 私の本を既に読んでいて、そういうことを言うだろうとわかっていて、あえて私に講演を依頼した遠藤先生は、私という生徒が自分の教え子の代表選手と思っていたふしがあるのです。これは嬉しかった。小学校の担任の前で、私はのびのびと論陣を張ったのです。5、6年生の時の授業のように。そして、第一回の入学式で尺八の演奏をしました。
 「鶴の巣ごもり」という禅宗の曲でした。親子の愛を表現した珍しい古典本曲を吹きました。その後、自由の森学園の生徒たちにも講演させてくれました。
 先生は、教育の現場で「自由」という言葉と心中したような気がします。
 私は先生に小学生の時に、二度ほどげんこつでガツンとやられました。今でもよく覚えています。理由も覚えています。しかし、自由の森を創った頃には、先生はもうすでに自分で手足を縛ってしまっていた。
 そんなことを長野に車で往復しながら考えました。そして、私の恩師の行った道を、自分がちゃんと受け継いでいることに気づいて、ちょっと笑ってしまいました。緑の山々の中に、あの懐かしい遠藤豊先生の顔が見えました。

灰谷健次郎さんのこと

 さっき、突然のメールで、灰谷さんの本読んで感動した、という友人の言葉が届きました。読んでいて、私のことを思ったと書いてあり嬉しかった。灰谷さんどうしているかな、とネットで検索すると、とっくに亡くなっている。あれっ、という感じ。

 海外にいることがしばしば長かったりすると、時々こういうとんちんかんなことになる。私は、音楽で言えばサザンとか、あのあたりをリアルタイムでほとんど知らない。人生は結局は記憶の中に存在する。その連続性はひとり一人異なるのだが、情報は連続性の重要な一部で、時に体験よりも鮮明だ。

 灰谷さんを紹介してくれたのは宅間英夫さん、「和君、これを読んでみ」と言われて「兎の眼」をもらった。38年前のこと。そうか、お二人はもうあっちの世界で再会していたんだ。それを思うといい気分がする。このいい気分は現実の一部に違いない。情報ではなく、自分自身が創り出したもの。
 たぶん、灰谷さんが一番会いたかったのは宅間さんだったと私は勝手に思う。
 短大の保育科で教えていた時に、「兎の眼」を使わせてもらった。なぜか少し躊躇したのだけれど、育て合う人間の熱い思いを現場に持って行ってほしい、子どもに学ぶのが本筋だと学生たちに気づいてほしくて使った。灰谷さんの作品には、一瞬躊躇してしまう要素がある。でも、本人に会った人は、そんな躊躇は本能的なものではないことに気づく。学校教育が躊躇を招くのかもしれない。もっと原点を言いたかったんだろう、と私は思う。
 あの頃はずいぶん授業に児童文学を使った。サトクリフの「太陽の戦士」ワイルダーの「農場の少年」。
 今日は、これから学校の先生500人に講演をしに出かけます。こんな日の午前中に,久しぶりに灰谷さんのことを思い出させてくれた友人のメールに感謝。

人形/ なぜ人間は人形をつくるのか

 (五月五日、被災地の空に鯉のぼりが泳ぐ。外国人にとっては不思議な光景だろう。以前、「なんで魚なんだ?」とアメリカ人に訪ねられたことがあった。日本人はかなり不可解なことをする。先進国の中では特にその不可解さが目立っている。渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社)に、150年前この国を見た欧米人の驚きが集約されている。第十章、「子どもの楽園」は感動的。後々作られた儒教的、武士道的日本のイメージが吹っ飛ぶ。欧米人が「パラダイス」と書き残した国のひとたちは、大らかで、時空をわかちあうひとたちだった。まるで鯉のぼり。

 人類は不思議なことをする。社会における人間性の確認か、自分の人間性をそれぞれが思い出すためか。いずれにしても、鯉のぼりは抜群にいい。被災した人々と被災地に舞う鯉のぼりが、私に元気をくれるような気がする。ありがとうございます。)

 人形

 誰の家にも人形があります。30や40はあるはずです。

 平均いくつくらいあるか、ちょっとイメージで考えてみましたが、日本という国は特に一緒に暮らす人形の数が多い文化かもしれない、と思いました。おひな様が2セットあったら、それだけでけっこうな数になります。こけしや雉馬、鯉のぼり、ぬいぐるみや鉛筆や箸の先っぽについているものまで丁寧に数えていったら、一世帯平均100くらいになるかもしれません。これだけの数の人形が、全ての世帯にあるのだとしたら、私たち人類は、こういう物(者)をかなり必要としているということです。人形は私たちの「人間性」の一部だということです。

 なぜ宇宙は、私たち人間に人形を与えたのか?

 人形を見ながら考えると、ふと、なぜ宇宙が私たち人間に0歳児を与えたかが見えてきます。

 0歳児が私たちから引き出そうとしているもの、人形が私たちから引き出そうとしているものが、似ている。

 優しさだったり、祈る気持ちだったり、忍耐力、言葉を介さないコミュニケーション能力…。良い人間性を引き出そうとしているのだな、と思います。良い人間性とは、調和に向かう人間性でしょう。

 人間の面白いところ、不思議なところは、自分をいい人間にしてくれる者たちを自ら生み出し、つくり出すというところです。それが、0歳児であり人形です。


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シャクティの子どもたち

 先月、インドのシャクティーセンターにシスター・チャンドラを訪ねた時のこと。

 私が五年前ドキュメンタリーを撮った時いた踊り手たちが、子どもを連れて集まってくれました。シスターが声をかけてくれたのだと思います。ダリットの娘たちはたいてい親戚同士で結婚するのですが、2時間バスを乗り継いで来てくれた子もいました。ちょっとした同窓会になって、みな嬉しそう。母親になった彼女たちはちょっとどっしりしていて、踊っていた時とは違った輝きと存在感がありました。

 以前、保育の問題を考えていて思ったのですが、インドの母親は知らない人に乳児を手渡すことは絶対にしない。ところが、知っている人、信頼関係にある人に自分の子どもが抱かれることをとても喜ぶのです。
 その風景を見ていると、人間社会の信頼関係の根っこのところに、何千年もの間、乳幼児がいつも座っていたような気がするのです。
 乳幼児が、人々の信頼関係を築き、橋渡しをし、確認させ、過去と未来を共有させてきたように思えるのです。
 保育士と親たちの信頼関係をどうやって作ってゆくか。これは、即ち子どもたちにその役割、地球上にいる存在意味を果たさせてあげる、ということなのですが、子どもたち(これは老人も含めた絶対的弱者と言い換えることも出来るのですが)が、視点の中心になった時、人間性が復活してくるのだと思うのです。
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あの頃リーダーだったメリタ。
いつも大太鼓をたたいていた。
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私が一番好きだったダンサー、セルバ。フレッド・アステア風、と私は勝手に決めていた。
ストリート系の踊り手には、持って生まれた何かがある。
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はにかみ屋のカレイ、実家の人間関係に苦労し一度家を出て親戚の家にいた。
でも、とても良い伴侶に恵まれた。
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        貧しいのに、子どもたちは、みな、育ちがいい感じがする。

「シスター?チャンドラとシャクティの踊り手たち」から、映像のメッセージ。

オープニング http://youtu.be/YXk7xexQR8I    

セルバの結婚観    http://youtu.be/h3OpPP_JY_g           

 

memoから

 1歳3ヶ月くらいで、息子がお辞儀を覚えた時のこと。

 いつもやってくれるわけではないけれど、やってくれるととても優雅で、いい感じです。私しか見ていないと、もったいない気がするのです。見損なった人には、ぜひ見せたくなるのです。もう、それは、平和や美や真実を、わかちあいたい、という感じです。

 

親子関係にハッピーエンドなんてない。お墓とか、記憶とか、形見とかに体現される、魂の次元のコミュニケーションが存在しなければ。

 

赤ん坊が、数年かけて左脳である言語脳を発達させている時に、親は赤ん坊という特殊な存在と付き合い、感性を発達させている。祖父母に、より感性が必要な理由…。

幼児との体験が不足し、社会的に感性が欠如している団塊の男たちが、…。


 

人間たちの出会いの中で、親子の出会いほど決定的で不思議なものはない。一生をかけての出会いである。春夏秋冬を受け入れるように、これを通り抜けて、自然(Nature)と一体になる。その出会いには選択肢がない。そこで人間は運命という言葉を意識するようになる。

人間はいま、選択肢があることに苦しんでいる。


 

幼児と過ごした記憶を強く持つことは、人間の感性とコミュニケーション能力を高め、その幼児の発達を見て、現実が過去と未来を含むものだと意識する。  

音楽が存在するように、