“虐待入院”と愛着障害

ここ数年、児童虐待の増加については繰り返しマスコミでも報道されています。同時に、乳幼児期の愛着関係の大切さについても様々な指摘がされています。経済政策で母子分離を奨励している政府は、こうした警告に真剣に耳を傾けてほしい。

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(2年前の報道です)

知られざる“虐待入院” ~全国調査・子どもたちがなぜ~  

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4011/ (クローズアップ現代、2017年7月20日(木))

「今回、小児科医のグループが全国454の医療機関に行った調査で、去年までの2年間でこの虐待入院を経験した子どもが全国に356人いたことが初めて分かりました。虐待入院の日数が1か月もの長期に及ぶケースがおよそ3割。最長で9か月近くも入院を続けた子どももいました。また虐待入院を経験した年齢については、生後間もない乳児から中学生以上の幅広い層に広がっていました。」

「去年(2016年)3月までの1年間の虐待相談対応件数は、およそ10万件。これは10年前のおよそ3倍に上っているんです。」

奥山眞紀子さん(国立成育医療研究センター 部長)赤ちゃんの場合ですと、例えば家庭にいれば適切な言葉かけがあり、それからいろいろなおもちゃと一緒に遊んだり、それから環境の変化もありますよね。そういう刺激というのが発達に非常に重要なわけですけれども、病院という中では非常に限られた空間で刺激の少ない生活になりますので、発達に影響を及ぼす危険性というのは非常に危惧されると思うんですね。それからもう1つは、子どもはやはり1対1の人間関係の中で守られるということを通して、「人を信頼する」という能力を身につけていくんですけれども、それがなかなかできない。いろいろな人が関わるけれども、「この人は」という1対1の人間関係ができないということが、後にいろいろな影響を及ぼす危険性というのがあると思います。

(例えばどんな影響が?)

やはり困った時に人を頼れないとか、どうしても引きこもってしまうとか、誰にでもベタベタするんだけれどもなかなか本当の関係性が作れないといったような問題が起きてくるということもありますし、将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性もあると思います。

(それは数か月こういう状況にあったとしても?)

赤ちゃんにとっての数か月は非常に長いですし、まして乳児期の数か月は非常に長いものだと思います。

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(ここから私見です。)

 国立成育医療研究センター部長の発言は、病院に入院している時の愛着関係の不足について危惧しているわけですが、発言が正しいとすれば、(国際的に常識だから子どもの権利条約やユネスコの子ども白書にも同様のこと、幼児期に特定の人間と愛着関係を築けることが生きていく「権利」として書かれているわけですが、)今の保育制度における、0歳で子ども3人に保育士1人、1~2歳で6対1という国の基準がすでに「後にいろいろな影響を及ぼす危険性」や「将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性」を広げていることになる。そして、すでに義務教育における学級崩壊や不登校、ひきこもり、いじめ、のみならず、児童虐待の増加という現実になって現れています。

 全国放送で具体的な警告が発せられているにも拘わらず、国は2年前の子ども・子育て支援新制度で11時間保育を「標準」と名付け、こども園を増やし、小規模保育の基準を緩め、保育界に一層の長時間保育を促した。政策として、与野党ほぼ一体で、労働力確保のために乳幼児期の母子分離を進めていった。。

 選挙の度に、叫ばれる「待機児童をなくします」が、この国立成育医療研究センター部長がNHKの番組で危惧した「後にいろいろな影響を及ぼす危険性」や「将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性」を広げていることに気づいていない。「三歳児神話は神話に過ぎない」などと文化人類学的に意味不明なことを言って、この問題を直視することを避けている。「三歳児神話は神話に過ぎない」ということは、神社に向かって「これは神社に過ぎない」と言っているようなもの。神社もお寺も教会も、人間社会の重要な一部なのです。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=254。幼児の笑顔が、資本主義を進める欲のエネルギーの対極にあることを恐れているのかもしれない。そして、いま保育や学校教育、児相や養護施設が共倒れになろうとしています。

 最近頻繁に聞く話ですが、保育士不足が決定的になり質の落ちている保育環境の中で、園長が保育士に、0、1歳には話しかけるな、抱っこするな、と平気で言う。話しかけると後々話しかけられて面倒になる、抱っこしなければ、そのうち諦めて「抱っこ」を求めなくなるから、と言う。幼児たちの諦め、「抱っこ」を求めなくなることが、子どもの脳の発達そのものであって、刻まれた記憶と形成された思考回路が子どもの行動に一生影響を及ぼすことになる。センター部長が指摘する、「人を信頼する」という能力が社会全体で弱まっていくことになるのです。

 「子どもが活き活きとしたら、事故が起きる確率が高くなる」と言いきる園長まで現れる。保育界の質はそれほど落ちている。まったく「抱っこしてもらえない」とまで劣悪ではなくても、子ども6人を一人で受け持って子どもたちの望み通り「抱っこ」しようとしたら保育士が腰を痛めてしまいます、絶対に無理です、というベテラン保育士の指摘もまったくその通りで、普通に保育をしていても、子どもが「抱っこ」される時間は家庭で育っていた時に比べて極端に減っている。それが、ここ数十年やってきた国基準の保育なのです。

 親たちがまだそこそこ親らしかった頃は、それでもまあなんとかなっていたのかもしれない。義務教育もギリギリ成り立っていた。しかし、そういう状況下で育った子どたちがある一定の割合を超えた時に、同世代にも、次の世代にも、相乗効果、引き金の引き合いが起こり負の連鎖が一気に始まる。

 国立成育医療研究センター部長の発言にある、「困った時に人を頼れないとか、どうしても引きこもってしまうとか、誰にでもベタベタするんだけれどもなかなか本当の関係性が作れないといったような問題が起きてくるということもありますし、将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性もあると思います」という指摘通りのことが日本中で始まっている。学校教育の中で、学級崩壊やいじめや不登校という現実になっている。経済競争においては、早期退職や引きこもりという形になって出ている。社会全体では、男たちが一度も結婚しない、少子化という結果になって現れている。

 1980年代、アメリカで(主に親による)子どもの虐待入院が7年間で4倍以上、年間13万人から57万人に一気に増えた時期がありました。同様に近親相姦も増え、少女の5人に一人、少年の7人に一人が犠牲者と言われるようになり、家庭内、知人との関係における犯罪が急増していったのです。毎週乳児が親に殺されるという最近のフランスの状況もそうですが、人間たちは、子育てにおける「ある環境の変化」を体験した後に、子どもたちを傷つけ始める。未来の可能性を打ち消し始める。

 犯罪率も含め、欧米に比べれば日本の数字は奇跡的にいいのですが、欧米が辿った道の入り口に立っていると思います。最近の児童虐待や犯罪の増え方に注目し、様々な現場からの警告に耳を傾け、人間性に基づいた施策の転換を行わないと戻れなくなる。

 人間は、乳幼児に自らの自由を奪われ、彼らの、一人では生きられないが幸せそうな姿に救われる。自分の価値と可能性を確認する。「利他」の善循環を止めてはいけない。幼児たちと離れてはいけないのです。

『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』

 4年前、NHKのクローズアップ現代で、『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』が放送されました。そこで、いくつかの証言がありました。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/1.html 児童虐待やDVがこれほど増えている時に、今一度、真剣に耳を傾けるべき証言です。

 関東医療少年院 斎藤幸彦法務教官:

「職員にベタベタと甘えてくる。逆にささいなことで牙をむいてきます。何が不満なのか分からないんですけども、すごいエネルギーで爆発してくる子がいます。なかなか予測ができない中で教育していかなければいけないというのが、非常に難しいと思っています。」

 養護施設の職員:

「養護施設に来る子供たちっていうのはマイナスからの出会いなので、赤ちゃんを抱いているような感覚でずっと接してきました」

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 裁判で生育歴、幼児期の愛着障害が減刑の理由になる事件が日本でも起こっている。放送のあと、ある行政の方から電話があり「この番組を見て、政府は4月から始める『子ども・子育て支援新制度』をすぐにストップしてもいいくらいだと思います。幼児期の大切さをまるでわかっていない」。

 養護施設や児童相談所、そして保育の限界をすでに知っている課長には、『子ども・子育て支援新制度』でそうした子育てに関わる福祉制度の重荷がさらに増していくこと、それが、とても受け切れるものではないことがわかるのです。現場を知らない者たちが乱暴につくる仕組みに怒りさえ覚えるのです。まず自分が直接的に関わっていて、規則に従わざるを得ない公立の保育所が、人材的にも精神的にも受けきれない。内閣府のパンフレットの表紙にある、「みんなが、子育てしやすい国へ」の実態が、「みんなが、子育てを押しつけ合う国へ」にしか見えない。すでに、保育士や行政は追い込まれている。定年や異動のある役人や保育士は逃げることができる。でも、子どもたちと親たちは、この国の施策によって作られた異常な環境から生まれる結果から、一生逃げられない。

 犬には「噛み付き癖」「吠え癖」がつくから生後8週間母犬から離さない、という法律が国会で全会一致で可決されたのです。生後8週間で子犬はちょこちょこ走っています。人間なら2歳くらいでしょうか。人間の子を守る法律を先に作るべきでしょう。

 なぜこういう順番になるのか、そろそろ気づいた方がいい。なぜ社会学者やマスコミが、こういう犬優先の明らかな矛盾を指摘しないか、優先順位がなぜこれほど狂ってしまったか把握するときに来ています。

 ニューロン(脳細胞)の数が一番多いのは人間が生まれる直前で、生まれるときに大量に捨てるのだそうです。捨て方には個人差があって、それが人生に影響を及ぼす。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=239

 人間は、このニューロン(脳細胞)をシナプスというものでつないでゆく。それをニューロンネットワークといって、個人で異なる「思考」の仕方はこのネットワークのつながり方、そのあり方で決まるのだそうです。

 そのニューロンネットワークが、生まれて一年くらいで最多に達する。そこから、思考の回路を自ら削除してゆく。環境や体験にあわせて回路を捨てることによって、どういう考え方がその環境で生きて行くために重要かという優先順位を、その時の体験から決めていく。集団でないと生きられない「人間としての基本的な生き方に」加えて、言語や文化、伝統、習慣、常識といったその社会で生きるための知恵や知識が、共有する思考形態として定まってゆくのです。

 生まれる直前の脳細胞の捨て方と、その後数年間の環境に左右されるニューロンネットワークの捨て方が「個性」や「人格」となって、お互いを必要とする関係を生み出す。別の言い方をすれば、人間は全員が相対的発達障害(先天的+後天的)であって、それが「絆」をつくるためのパズルの凸凹になる。このパズルの凹凸が、いい方向に働き、摩擦の原因にならないために「利他」という幸福感が存在する。

 弱者に優しくすることによって幸せが得られるという遺伝子に組み込まれている仕組みが、「子育て」、特に「幼児の子育て」によって双方向にオンになっていく。それが、人間が「生かし合う」ために必要なのです。

 脳の重さはほぼ五歳で成人並みになると言われていますから、生きるために減らしてゆくニューロンネットワークの数と脳の大きさが一番相乗効果を生んでいるのが四歳くらいで、人の思考の可能性、感性がそのころ最大となるのではないか。

 私はその状態を、「信じきって、頼りきって、幸せそう」という宗教的なものさしから、四歳児で人間は、最も幸せでいられる可能性を持っている姿として一度完成するとしました。この人たちをなるべく多くの人たちが、毎日眺めて暮らすことで、調和の道筋が整っていく。

 一人の人間をニューロンに置き換え、人間同士の「絆」をシナプスと考えると、人類の目的が見えてきます。「生きる力」とは個の自立を目指すことではなく、「絆」を作る力です。信じあい、頼りあうことが「生きる力」です。

(だからこそ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現は進化のプロセスにおける強い警告だと思います。)

(NHKの視点論点から・子ども・子育て支援新制度の原点:http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1113)

市長の決断、保育士さんの発言、母親の気づき、そして小野省子さんの詩

以前、「育休退園・所沢市の決断」

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=279 をブログに書きました。

施策の内容は簡単に言えば、育児休業をとっている親の在園三歳未満児は、弟か妹を出産後、母親が育休に入って三ヶ月までは預かるが、それ以降は原則退園してもらう、という方針です。簡単に言えば、育児休暇をとって家にいるのですから二歳以下の上の子は一緒に育てて下さい、ということ。そして、育児休業期間が終わった時には、園に戻り、その際は弟妹も兄姉のいる園に一緒に入れる、という特典つきでした。三才以上の在園児は一号認定で保育園に残れますし幼稚園に入ることも可能です。

市長がマスコミやネットで激しく批判されていたころ、新潟市で講演後の質疑応答の時に「所沢市の育休退園」について一人の保育士さんが意を決したように手を挙げ、発言しました。

「市長さんの、『子どもは親と居たいはず』という答えに感動しました。誰も言わなくなりましたが、あれが本当の答えでなければいけないはずです。他に待機児童がいるから、なんていう答えではいけないんです。どう思われますか?」と。

マスコミが半ば呆れ批判していた「市長が言ったこと」が、実は一番深い次元で、遺伝子のレベルで、双方向に正解で、それが土台になければ保育も子育ても成り立たない。子どもの思いを優先しなければ、保育自体が現状から立ち直れない、それを最近のサービス産業化する保育界全体の流れの中で、この保育士さんは直感的に感じていたのだと思います。何かが根本的に間違っている。どこかで誰かがこの流れを変えなければ、自分たちの意志とは関係なく、自分たちの存在が子どもたちの不幸に連鎖していく、その現実が一番歯がゆいのだと思います。

保育園に通う子どもたちの日常を足し算すると、預ける時間が十時間近くになってきた今、子どもの気持ち、願いが一番気になっているのは保育士かもしれない。その視点や気持ちを施策の中心部に置いていない、ほとんど考慮もしていないことが、現在の保育に関わる施策の決定的な欠陥なのです。この人たちの気持ち、そして存在が保育そのものだという当たり前のことを忘れて議論が飛び交っている。

この保育士さんは、市長がこういう施策を「当選するため」にしていないのを知っている。

1年後、育休退園に反対していた母親が、仕方なく上の子と一緒に乳児を育てていて、それは大変だったのですが、ある日「上の子が下の子を可愛がる姿に感動したんです」と役場にわざわざ言いに来てくれたのです。こういう真実をマスコミは報道してほしい。

兄弟姉妹が一緒に過ごす「権利」、についてもだれも言わない。何か大切な「次元」が後回しになっているのです。

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姉弟

 

「幼稚園でもらっためずらしいおやつ、

こうちゃんにもあげたかったの」

お姉ちゃんがそっと小さな手を広げると

にぎりしめたワタアメが

カチカチにかたまっていた

 

「ひかりちゃんがいないと、つまんないわけじゃないよ

ただ、さびしいだけ」

私と二人だけの部屋で

弟は たどたどしくうったえた

 

人間は

かたわらにいる人を 愛さずにはいられない

幼い子供から それを教わる

 

by小野省子

HP:http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm