これは私の責任、そして鎮まること。

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10年前にこんな文章を書きました。

子どもが一歳前後のとき、よく物を散らかして喜びます。嬉しそうに、上にある物は落とし、片づけてある物を引っ張りだし、閉まっている物は開けようとします。言葉もわからないし、言って聞かせられる時期ではありません。しかも嬉しそうにしているのです。この時期、親は子どもの嬉しそうな顔を見るのが好きなのです。それが第一。

叱ってはいけません。この時期の子どもを叱ると、安心感のある人間社会はできません。散らかしたら、親は片づける。ただ黙々と片づけます。理屈や理論で考えても仕方ない。宇宙の平和を願って、親は何度でも片づける。この時間は長くはつづきません。もうすぐ言葉がわかるようになります。違った段階の関係が始まるのです。それまでは数カ月、繰り返し、ただ片づける。静かに、落ち着いて、これは私の責任だ、と独りでつぶやくといいのです。そして、ある日、これは散らかさないでね、とお願いすると、子どもはちゃんと親の願いを聞き入れてくれるのです。

そうした独り言とつぶやきに、夫婦がお互いに耳をそばだてます。そのために、子どもは散らかすのだと思います。様ざまなことに、子ども中心に自然に反応する姿を眺めあうことで、家族や社会が一つになっていきます。人間社会が一つになるためには、理屈を越えた、本来持っているいい人間性の確認が必要なのでしょう。「これは私の責任」と言いながら。

(「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)より。)

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これを書いた時、子どもはまだ1歳半くらいで、近所の児童館の乳幼児室に二人でよく遊びに行きました。その時、黙々と、散らかった玩具を片付けるお母さんたちの笑顔を見ながら、ああ、そういうことだったのだ、と思ったのです。

この命を誕生させたのは自分だという自覚が、「私の責任」「私たちの責任」を育ててきたのでしょう。

親たちが「これは私の責任」と唱えながら、自分と子どもとの関係に納得する。そのつぶやきの中で人類という種が存続する道筋が整う。調和に向かうべく忍耐力が育っていった。

最近のジェンダー論争の狭間で、「子育てを女性に押し付けるんですか?」と私に言った人がいました。出産という行為が男性には不可能である限り、「自分が産んだ」という自覚には意味があるはず。祖父母もまた、自分が存在しなければこの子は存在しない、という自覚を持っている人たちであるはず。その本能に沿った自覚が「幸福感」に繋がっていたから、人間は家族を大切にしてここまで進化してきた。母親が先頭になって道筋を示し、進み、父親はそれに追いつこうと努力する。そんな感じでやってきた。

幼児たちの、特殊な、大切な役割を忘れてはいけません。

子育ては、「お互いの存在」を生きる動機、幸せの源と感じるためにある、そう考えるのが普通でしょう。

人生の質は、どれほど弱者に愛されたか気づくことで決まる。親が子に愛され、その確かさに感謝する。子どもたちは「信じること」が生きる力だと遺伝子のレベルで見極める。生きる力は、自立することではない。信頼の連鎖に身を置くこと。

政治に関わる人たちが、人間社会の成り立ちそのものと言ってもよい「子育て」に関する施策を考えるとき、そしてマスコミがこの問題に関して報道するとき、幼児と会話する人の心の声に耳を傾けてほしい。見極めようとしている本物の人間たちと会話することの大切さを忘れないでほしい。

さらに遡って、古(いにしえ)のルールを語ってくれる過去の哲人や詩人たちの言葉に、時々でいい、心を震わせてほしい。彼らと共に生きていることを次の世代に伝えていくことが真の教育であって、子育てだと思うのです。全世界がここまで混沌としてくると、人類の進む道筋、運命のようなものが見えなくなってきます。大事な友人から「見えなくなるときなのかもしれません」と言われてハッとしました。「心配になるけれど、見えなくてもあることは心の奥底でわかっていることをわかっていたいです」と言われ、ああ、そうだ。子育てと同じ、探すのではなくて、静かに待つ、そんな時も必要で、そんな風に考えると自分の心が鎮まる気がします。自分ひとりで鎮まることができれば、それはきっととても価値あること。

主義主張よりも、本物の人間たちを眺めることが求められている時代に入っている。

子どもを産み育てることは、宇宙から与えられた尊い役割り。自らの価値を知り人は納得する。子どもが親を育てることは、宇宙の動きそのもの。一人では生きられないことを宣言し、調和への道を照らす。

https://youtu.be/fm9KjKpoggE

Music of Kazu Matsui (Shakuhachi). “Black Bird & the Bamboo forest,” and “Legend of the lake”.