SEE YOU THERE・蘇る瞬間

一通のメールがカナダから来ました。30年くらい前に作った私のアルバムを繰り返し聞いている、でもどうしても詩でわからない箇所があって教えてほしい、というものでした。

Jeff Day という友人が私のアルバムのために書き下ろした曲でした。背景にうっすらと転生がテーマに聴こえる優しく深い詩でした。ずっと以前作ったものが、まだ音楽という形で生きているのを感じるのは、懐かしく嬉しいものです。過去と現在と未来が、つながっている感じがします。

 

SEE YOU THERE

SEE YOU THERE

WHEN THE NORTH WIND SARTS TO BLOWIN

I WILL SEE YOU THERE

SEE YOU THERE

WHERE THE COOL SPRINGS KEEP ON FLOWIN

I WILL SEE YOU THERE

BREATHE THE AIR

OF A PEACEFUL SUN-DRIED LAND

THAT RAINCLOUDS FILLED WITH CARE

WARM AND FAIR

YOU WILL LIGHT THE HOLLOW

DARKNESS IN ME

AND AS WE LAY FIGHT AT THE BREAK OF DAY

AND FACE THE RISING SUN

WELL LET IT PASS, AND LET OUR BODIES CAST

TWO SHADOWS FORMING ONE-ONE

SEE YOU THERE, ABOVE ALL HURT

AND SORROW

AND ALL LIFE’S DESPAIR

SEE YOU THERE, SO HIGH YOU’LL LEARN TO FLY

AND ALL THE SKY

WE’LL SHARE

AND AS WE STAND, AND LOOK ACROSS THE LAND

AND FACE THE DYING SUN

WE’LL TAKE OUR VOWS AND ALL THAT TIME ALLOWS

AND LIVE OUR LIVES AS ONE

PLEASE BE THERE, THERE’S A SOLAR LIGHT TO GUIDE YOU

I WILL NEED YOU THERE, I’D BE SO LOST WITHOUT YOU

WANNA SEE YOU THERE

WHEN THE HEAVENS CALM THE WIND

I WILL SEE YOU THERE AGAIN I KNOW

LIKE A SHIP OUT ON THE BLUE

I’LL BE COMING BACK TO YOU I KNOW

AS I CROSS THE LONELY SEA

YOU’LL BE WAITING PATIENTLY I KNOW

主任さんの涙

5、6年前に保育雑誌「げんき」の連載に書いた文章です。

役場に頼まれ、老舗の幼稚園を認定子ども園に移行させた園長先生と隣の小学校の教頭先生と三人で、新しい、未満児用の保育室で話をしていたのです。園長先生は、長年幼稚園で先生をやっていた保育士資格を持っている主任さんに乳幼児保育を任せたのですが、素晴らしい人だというので、呼んでもらったのです。

 

主任さんの涙

私は、その日、目の前にいる主任さんに尋ねました。「学生時代、何園に実習に行きましたか?」

「二〇年前になりますが、六園行きました」

「そのうち何園で保育士による園児の虐待を見ましたか?」

一緒にいた園長先生と教頭先生が驚いて私を見ました。

しばらく黙っていた主任さんの目に涙があふれました。私を見つめ、はっきりと言いました。「六園です……」

沈黙が流れました。

「二〇年間、誰にも言いませんでした」

主任さんは私の目を見つづけます。「あの実習で、私は保育士になるのをやめたんです。本当は保育園で働きたかったんです。私は保育園の先生になりたかったんです。でも、免状を取り直して幼稚園の先生になったんです」

二〇年間、苦しかったろうな、と思いました。

このしっかり者の母性豊かなやさしい心の主任さんは、長い間ずーっと、どこかであの風景が毎日続いていることを知っていた。

「実習のレポートに少し書いたんです。園長先生から、こういうことは書かないでほしい、と言われて、消したんです」

主任さんの声は、幼児たちの叫びでもありました。それを知らなかった親の悲しみでもありました。

「あのとき、私は、自分の子どもは絶対に保育園には預けない、と決めたんです」保母さんの目の中で何かが燃えました。

二十三年間、私の同志の多くは保育者と園長先生でした。この話題になると同志の顔が暗くなるのを私は知っています。私がこの問題に関して調べ、質問した大学や専門学校の保育科の学生の半数が、実習先の現場で「親に見せられない光景」を目にする。

これは、保育園に通う日本の子どもたちの半数が、そういう光景を目にする、ということでもあります。

子どもたちに与える心理的影響を考えると、恐ろしくなります。幼児期に、脳裏に大人に対する不信が植えつけられる可能性は十分にあるのです。

卒業生からの伝達で、「あの園に実習に行くと、保育士になる気がしなくなるよ」という園があります(同様の話を介護施設に実習に行った福祉科の学生からも聞きます)。

「ほかの実習生が、一週間の実習で同じことを始めるんです」と涙ぐむ学生もいました。「卒業すれば資格がもらえるんではだめです。国家試験にしてください」そう訴える学生がいました。

私はそれを幼児たちからのメッセージとして受け止めました。

〇、一、二歳の乳幼児を、親が知らない人に違和感なく預けられるようになったとき、人間は大切な一線を越えてしまったのかもしれない、と時々不安になります。絆の始まりは、親が絶対的弱者である自分の子どもを命がけで守ることだったのではないのか……。

「親に見せられない光景」を園からなくすためにも、一日保育士体験を早く進めなければなりません。保育士を見張るのではなく、親と保育士の信頼関係が子どもを守るのだということを信じて。

保育の現場に親身さや優しさがなくなって、保育=子育てという図式が、保育=仕事という方向へ動き、大学や専門学校の保育科を志望する学生が減っています。待機児童をなくせ、というかけ声のもと、政府が積極的に保育科を増やそうとしていた矢先、幼稚園・保育園に通っていたころ、保育園の先生になりたいと夢や憧れを抱いていた子どもたちが、その夢を捨て始めているのです。

短大の保育科で八年教えたことがあります。保育科にくる学生は選ばれた人たちでした。お金持ちになりたいという人はまずいません。高校時代に人生を見つめ、子どもたちと過ごす日々の中に、自分を幸せにしてくれる何かがあるに違いないと考えた人です。親心の幸福論に直感的に気づいた人です。その選ばれた人たちが、幸せになる夢を捨て始めています。

保育科の乱立から、教える内容と教師の質も落ちています。保育科が専門学校化してくると、就職先のニーズに応えようとします。そしてそのニーズがばらばらなのです。

保育士の資質は、子どもの幸せをいかに強く願うか。そして、保育士は経験から、子どもたちの幸せは親子関係にある、と知っています。この二点が保育の柱です。

この柱を社会全体でぐらぐらと揺らしているのです。

子どもの幸せを第一に考えるのなら、保育園を閉め、抗議しなければいけない時期が近づいています。

「保育制度が時代に追いつかない」?

三年前、2014年3月20日、このブログに『ベビーシッター死体遺棄事件/「保育制度が時代に追いつかない」?』 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=245 を書きました。「ネットで見つけた知らない人に、仕事のためとはいえ2泊3日で乳幼児を二人預ける」。事件は全国に報道されました。しかし、これほどの事件が、ほとんどブレーキになっていないのです。保育の市場原理化によって、むしろ広がっている。

この事件に関して、当時、「保育制度が時代に追いつかない」という見出しの新聞報道がありました。ひどい話です。騙されてはいけない。マスコミが、こういう浅い視点で見ているから、保育の現場から、その後、いい保育士たちが離れていったのではないでしょうか。政府が進める保育制度と同じで、子ども側からの視点がない。幼児期の子どもたちの過ごし方が、この国の未来を支えるという意識が欠けている。
制度の問題ではない。姿勢の問題。

 日本という国で、保育の問題を、福祉における仕組みの問題ではなく、「子育て」に対する意識の変化の問題として捉えたら、それをいま真剣に考えることは、人類の進化に関わることのようにさえ思えるのです。
親らしさ、という人間の進化と存続に絶対に必要な要素が先進国社会で急速に変質し始めている。その流れに「制度の問題」として対応するほどに壊れてゆく何かがある。欧米型の、経済優先の新しい常識が本来の「人間性」と摩擦を起こし始めている。
そうなると、人間性を土台に作られた「民主主義」「義務教育」「福祉」が機能しなくなってくる。

「保育士の待遇改善を」 首相官邸前でデモ・格差の本質・小一プロブレム

「保育士の待遇改善を」 首相官邸前でデモ(TBS) https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170316-00000092-jnn-soci …

『保育士全員の賃金を月額6000円増やすほか、経験年数に応じた上乗せが行われますが、「格差の解消には程遠い」と批判の声が』

賃金「格差の解消には程遠い」確かにそうなのです。しかし、もう一歩進んで「子育てに対する意識の格差」の広がりが、実は問題の本質なのだと気づいてほしい。

保護者の間に広がる「子育てに対する意識の」格差、保育士と保護者の間に広がる「保育に対する意識の」格差。何より決定的なのは、国と保育者の間に広がる「保育に対する意識の」格差です。片や「雇用労働施策」として保育をとらえ、片や「子育て」と見ていないとやっていけない。国は閣議決定で「保育は成長産業」と位置づけました。一方、保育士が尊重すべき保育所保育指針、過去に保育士たちが守ってきた精神の中心には、保育は「子どもの最善の利益を優先して」と書いてあった。

こうした格差の広がりを、「義務教育」という仕組みは受け切れない。

いまこの国の土台を崩そうとしている「子育て」における意識の変化、仕組みの混乱は、その中心に「幼児たちの思い」が見えていないところに原因があります。発言しない人たちの気持ちを優先的に考えて、心を一つにする、そこが欠けているのです。

保育士ストライキを保護者が応援する、という記事がありました。そうでなくてはいけません。一番いい形です。幼児はそこにいるだけで、育てる側の心を一つにする、それが人間が社会を形成する基本、大自然の法則です。いま、この混乱の中で、一緒に子育てをしている、という意識が親と保育士の間に戻り、それが広がることが最終的な目標になってほしい。園児たちはそう願っている。

そして、思うのですが、ストライキをやってもらえるのはまだいいのです。その陰に、静かに辞めていく「心ある」保育士がいることの方が怖い。

その人たちの幼児を思う良心が、「保育士を辞めるという形になって」、いままで心ある保育をしてきた園長たちを直撃する。いい保育士を雇えないという現実が、いい園長たちを精神的に追い込んでいく。倒れそうになっている園長先生たちがあちこちにいる。

ネットでビジネスコンサルの「いま保育で儲けよう」という宣伝を見ていると、保育を知らない人の参入が、「保育は成長産業」という閣議決定で進められている実態が見える。だからそういう保育には、保育の本質を知っている保育者は近づかない。「児童発達支援と放課後等デイサービス」http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=269 という文章をブログに書いたことがあります。「保育=子育て」における境界線が、「待機児童をなくせ」という掛け声のもと、度重なる規制緩和によって見えなくなり、すべてが市場原理に取り込まれつつある。

全国で、3歳未満児の入所希望が増え、特に役場の采配で配置が決まっていく公立保育園で、いままで3、4、5歳児につけていた加配保育士を0、1、2歳に(安易に)(必要に迫られて)回している。その無理が小一プロブレムに直結し、その第一波が4月に学校に上がる。(第二波は4年後に来ます。)

税金を使って3歳未満児保育の「受け皿」を作り、子育ては「社会」がやってくれるものという意識を広げ、その数倍の税金を使って今度は小学校の教師加配をせざるを得なくなってきている。(臨時採用の教師の時給は、非正規の保育士の3倍です。)

「社会で子育て」などという、保育園や幼稚園、学校に子育てを押し付ける、出来もしない机上の論理を振り回しているうちに、あっという間に、人材だけではなく、財源が底をつき始めているのです。福祉や教育という仕組みに子育てを依存しすぎた結果が、すでに修復不可能な状況に保育界、教育界を追い込んでいる。

「子育て」は技術や学問、仕組みでできることではない。育てる側がどう育っていくか、育てる側がどう心を一つにするか、という大自然の仕組みだということをもう一度理解しないといけません。

(以前、こんな天才保育士のことをブログに書きました。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=257)

塩・味噌・醤油

ある園長先生が話してくれました。

養成校の教授に信頼されているその園長は、保育士を育てるのに定評があります。ある年、保育士に欠員が出たため四人の卒業生を推薦してほしいと教授にお願いしました。

四人を選んでくれた教授が園長に笑いながら言いました。「二人は、将来現場でリーダーとなってゆく優秀な学生たちです。もう二人は、学業には向かないけれど天才的な保育士です……」

園長は一応形式的に筆記試験をしました。栄養の三要素は何ですかという問いに、天才保育士の1人が「塩、味噌、醤油」と書いたのだそうです。

園長はそこで大笑いをし涙ぐみながら私に言うのです。「この塩、味噌、醤油が、本当に、本当に保育の天才でした」