時々、輪になって踊っていればいいのです

ドキュメンタリー映画「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」(第41回ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭、長編ドキュメンタリー部門で金賞受賞)からの映像です。

私の質問にシスターが答えます。https://www.youtube.com/watch?v=uoQXhyz0rOg

 

インドの貧しい農村での人々の生活を見ていると、信心も含めて、絆と信頼に守られて暮らしてきた人間たちの確かな営みが見えてきます。

人間は、進化の歴史の99.999%を貧しさの中で過ごしてきたので、そうした状況で幸せになるのが上手なのです。遺伝子が、そのようにできている。

生態人類学的にも、血糖値を上げるホルモンは20種類あるけれども、下げるホルモンはインシュリンしかない。だから、「豊かさ」に弱い生き物なんです、と誰かが以前教えてくれました。

なるほどな、精神的にもそれが言えるのだな、とその時思いました。

「祭り」の意味をシスターは「集まること、祝うこと」と言いました。命をもらったならば、祝わなければいけない。それを繰り返していれば人間は大丈夫。時々、輪になって踊っていればいいのです、と教えてくれました。

シスターはカソリックの修道女ですが、言葉の端々にウパニシャッド哲学の流れを感じるようで面白い。お国柄ですね。絆は、「縁」であって、「円」であること。「祭り」はそれを伝えながら、日々の営みを次の世代につなげていく。人生がその場限りではないこと、「集まっていれば」良い方向に進み始めること、その流れを体感させるのが祭りや儀式でした。

日本の小学校で毎朝子どもたちが「輪になって踊る」、それに親たちが加わることで、つながりを実感出来るようになる。「気」の流れが変わり、人類の進化が正しい方向へ戻ってくる。このコミュニケーションの入口に「0歳児が眠っている」と、私は思っています。

 

インタビューの第三弾

出版社のHPに新刊「ママがいい!」に関するインタビューの第三弾が載りました。https://good-books.co.jp/blog/blogs/2794/

(その一部です)

日本でも、「女性の就労率のM字型カーブ」が日本特有の差別や時代遅れの象徴のように扱われ、「一億総活躍」が叫ばれ始めたころから児童虐待は増え始めて、いま過去最高です。そして、保育所を疲弊させる一番の原因は、いま「親対応」なのです。

本にも書きましたが、「子育てを女性に押し付けるんですか?」という質問をされることがあるのです。

それが「子育てを男性に押し付け返しましょう」という方向に向かうのであれば素晴らしい。理にかなっています。男性にも、より確かな利他の幸せ、道筋を知ってもらいたい。しかし、その質問の先に、それでは経済が回らない。子育てを制度でやればいい、専門家に任せればいい、そうすれば男女平等に子育てから解放されるという意識があるから、困る。この意識が広がったら保育界が持たない。

インタビュー記事の続編が載りました

(出版社のブログにインタビュー記事の続編が載りました。)

『ママがいい!』著者・松居和さんに聞く②悲しき虐待

政府が目指しているのは子どもに対するサービスではなく、親に対するサービス、企業に対するサービスです。保育士不足がこれほど逼迫しているのに、もう40万人保育園で預かれと数値目標を掲げ、それを「安心して子どもを産み育てることができる環境の整備」、「みんなが子育てしやすい国へ」と言うのですからもう支離滅裂というか、論理が破綻しているのです。

こうした厚労省の施策のキャッチフレーズに、ある二代目保育園理事長が顔をしかめて言いました。「安心して産み育てる、じゃなくて、気楽に子どもを産み育てることができる環境整備でしょう。気楽に産んでもいいんだけど、気楽に預けてもらっちゃ困るよね。それでは、子どもの立つ瀬がない。親が育たない」。

「子育てしやすい国づくり」=「保育園を増やすこと」とする考え方にいつの間にか社会が違和感を覚えなくなっている、そこがいちばん問題なのだと思います。

「日本再興戦略」という閣議決定があるんですが、その中で保育分野は「制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野」、「良質で低コストのサービスを国民に効率的に提供できる大きな余地が残された分野」と書いてある。彼らの言う「国民」の中に幼児たちが含まれていないんですね。投票できない弱者の願いがまったく意識の中にない。