幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。

2018年8月

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国は幼児を守ろうとしていない

ネット上に、「保育士の虐待ではないですか?」と自分の子どもを心配する親の質問がありました。2歳児を罰としてトイレに閉じ込める保育士の言動についての疑問です。それに対する「答え」のいくつかを重ねると、いまこの国の子育てに起こっている危険な状況が見えてきます。四年前、2014年に行われたやりとりです。

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(質問)

保育士の虐待ではないですか?

昨日、息子を保育園に迎えに行ったところ教室に息子の姿が見えませんでした。延長保育ですが、いつもより少し早く迎えに来れたので、どこかまだ違うところにいるのかな…と思っていたら、先生が私に気づき

「ちょっと待ってて下さいね。さっき○○くん(息子)が私の手にたまたまブロックを当ててしまって痛くて赤くなって、先生痛かったよ。わざとやったわけじゃないと思うけど、相手が痛いって言ったら謝らないといけないよ。と言ったんですが、いやだと言って泣いて謝らなかったので、今トイレのお部屋に謝るまで一人でいてね。と言ってあります。泣いて許されると思ってもいけないので…」と言われました。

トイレからは息子の大きな泣き声が聞こえてきました。そして、先生がトイレの中へ行きしばらくたって息子とでてきました。

息子は私に気づいて泣きながら飛びついてきました。私はいたたまれない気持ちでギューとしてあげました。

先生は「ごめんなさいを結局言えなかったので、頭だけでも下げなさいと言ったら頭だけ下げてくれました」と言っていました。

帰ってきてなんか腑に落ちず、主人にこの話をしました。主人はかなり怒って、それって虐待じゃないの?お友達に何か故意にやったならまだしも、先生にわざとじゃなくたまたま当たっただけだから、なんで謝るかがわからなかったんじゃない?まだ2歳だしそこまでする必要ある?せっかく今トイトレも順調なのに、これがトラウマでトイレ嫌いになったらどうするんだ。

担任でもない延長保育の先生がそこまでやる必要はあるのか?閉じこめることでしか、理解させれないのはおかしい!園長先生に電話した方がいい。

と言っていました。

私もなぜ2歳の子に頭を下げるまで閉じ込めをやるのか。息子は言葉の理解も言語力もある方で、普段なら自分がわざとじゃなくて当たってしまって、痛っと言うと素直に ごめんなさい と言ってくれます。

私はモンスターペアレントと思われたくないし、保育園とのいざこざは避けたいのですが、このことはどうとらえたらいいのか戸惑っています。保育園ではよくあることなのでしょうか?たまたま私がいつもより早くお迎えに言った為、親にバレてしまった…という感じなのか…

公立保育園で、その保育士は60すぎの人です。

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(答え1)

ありえません!2歳に対するやり方ではないと思います!私なら延長保育辞めますね。

役所や園長に相談しても仕返しはありますよ。親の見えない所で。擦り傷が多くなったり、とにかくイジメが始まります。女ですから。

状況かえてあげるべきです。

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(答え2)

保育園で延長の保育士で60オーバー…、それでその対応なら、他の方に代わっていただく事案です。人手不足なのでしょうか…

「子どもはみんな孫のようなものですから…」とか言って採用された人ではないでしょうか…

齢がいってから、感情的な比率の高い人は職業人には向きません。子育てがしんどい虐待親のやり方ですよ。延長を使わないか、公立なので管轄の部署に通報でいいと思います。安心して預けられないが、今後子どもに何かされるといけないので…と添えてください。

ちなみに保育士の子どもいじりは、延長時ラスト1人の子に「もう、お母さん迎えに来ないかもね…」とささやくとか、1人の子とだけ遊んであげない(返事だけはしてあげる)とか、結構やってます。

知らないのは親だけです。

女性の社会進出が当たり前の時代ですが、そんな思いをさせてまでも…と思ってしまうのは私だけでしょうか…親の知らないところで子どもはかなり頑張っているんです。まして2歳とか…

批判しているのではありません。仕事も大事です、子どもも大事です。保育士批判もわかります。預けている後ろめたさから余計に息子さんを愛しく思っているのもわかります。

男性も女性も選択を迫られていますが、欲というテーマを外したら、仕事も取り返し出来ます。(欲:職種・収入額の問題だけですから)

しかし、子育ては取り返せない。

このかわいい時期、少しの時間と寝顔だけがあなたの思い出になってしまいます。大きくなれば、反抗期…小さい時の記憶や写真で親は思い返し、子どもと向き合えます。

親の手助けが必要な時…それがいつだか、どの程度だかわかる自信がありますか?

実際、この件が発覚するまで、自分たちや園の息子さんへの対応は大丈夫だ!と思っていたわけでしょうから、ショックの度合いでここに書き込んでいるわけですよね。

これが警鐘です。それをどう捉えるかは、親御さんの判断です。

保育士の問題は、園と役所の問題です。園に言ったから!とか役所に言ったから!息子さんの問題が解決するわけではないことは忘れないでください。

心のどこかで、そんな思いをさせたのは自分たち…という思いも忘れないで欲しいなぁ…と思います。

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(答え3)

保育士をしています。

2歳のお子さんが謝らないからと言ってトイレに入れるなんてありえないです。2歳では謝れない子もいるし、まして、自分が納得していないとなんで謝るのかわからないですよね。。

ただ、保育士の人間の集まりなので、いろいろな人がいます。子供の成長発達に関係なく謝らないと納得のできない保育士なのでしょう・・・

今後お子様がまた、同じような目に合わないためにも、園長にはしっかり伝えた方がいいと思います。

モンスターペアレントといわれることはないと思いますよ。。

お子さんの為ですから・・・

私でも、納得できないと伝えます。

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(答え4)

モンスターペアレントと思われたくないなら何も喋らず口を噤みましょう。どう思われていいなら言いたい事を言いましょう。

自分の中で何が大事かの指針をつくらないと、なあなあに人に流され、時間に流され物事はただ過ぎていくだけです。今後の教育を考えれば保育園のその出来事よりも、物事が起きたときのあなたのどっちつかずの対応に、子供は大きくなるにしたがってより戸惑いと疑心を感じていく事でしょう。

子と共に親もしっかりと成長していきましょう。

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(答え5)

お話の通りであるなら、ちょっと今時考えられない園ですね…。2歳の乳幼児に反省を促すためトイレに閉じ込めるなんて。にわかに信じられません。

保育園ではなく、役所に相談してみては?園では埒が明かないかもしれませんし。職員同士で事実を隠す恐れもあります。トイレに閉じ込めてパニックになった子供に何かあったら大変です。閉じ込めたら保育者の目が届かなくなりますから非常に危険です。普通は有り得ないことです。2歳だと当然トイレもドア閉めないでさせますよね。

こればかりは、モンペとかのケースには当てはまらないし、子供を守るためにも即行動するレベルです。

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(質問者がベストアンサーに選んだ答え)

ほっときましょう

ただそういう一件があったことを担任の保育士さんに言っておきましょう

60すぎのおばはんに何言っても聞きませんよ

トイレに閉じこめるのはやめてもらいましょう

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(私の意見)

 

「答え」を読めばわかりますが、こんなことはあり得ない、と憤る保育士はたくさんいます。同時に、こういうことが保育の現場で頻繁に起こっていると考える保育士も実はたくさんいる。保育関係者が書いていると推測できる「答え」に、それは如実に現れています。

「役所や園長に相談しても仕返しはありますよ。親の見えない所で。擦り傷が多くなったり、とにかくイジメが始まります。」

 「人間の集まりなので、いろいろな人がいます。」

親が知る由もない環境で、こうしたことが起こっている、それがいまの保育界の偽りのない現状だと、私も思います。もっと良くないことが行われていて、ネット上にある内部告発や、親に注意を促す書き込みを読めばわかります。報道もされていますhttps://dot.asahi.com/wa/2017052400011.html?page=1。

この書き込みは4年前のこと。保育士不足はこの四年間に加速し、進んでいて、無資格でも指導員になれる児童発達支援事業も含め、こういう状況が起こりやすい仕組みが増えているのです。

「いつもより少し早く迎えに来れたので」偶然、この母親はその実態を見たのですが、おそらくほとんどの「保育指針に照らせば、あってはならない」出来事が、親たちが気づかないまま起きているのが現状です。

「実際、この件が発覚するまで、自分たちや園の息子さんへの対応は大丈夫だ!と思っていたわけでしょうから、ショックの度合いでここに書き込んでいるわけですよね」、という指摘には、現場を知る人からの親たちへの強い警告があります。みんな「大丈夫だ」政府が用意している仕組みだから、と思っている、そう思っていたい。しかし、そうではないですよ、保育士の当たり外れに過ぎないですよ、ということなのです。

なにより問題なのは、こうした規制緩和や保育士不足から起こっている、子どもたちの将来を考えればあってはならない状況に真剣に目を向けようとしない、経済優先、労働力確保を第一に考え、子どもたちや保育士たちの日常のあり方の変質に目を向けようとしない政治家たちの発言と保育施策です。

ここに書かれている風景は昔から保育の現場にはありました。「保母の子ども虐待:虐待保母が子どもの心的外傷を生む」という本がすでに1997年に出版され話題になりました。20年前にすでにそれが現実だったのですが、当時と比べ、最近の園の雰囲気、空気感は明らかに違ってきています。サービス産業化させられることによって、保育士の子どもに対する思いが変質してきている。親をサービスする相手、「客」と見たら、子どもと接し観察していて言いたいことがあっても言えなくなる。利益目的の参入が激しく、指導員に資格がいらない放課後等デイサービスなどでは、障害のある子どもを預かることが主な目的であるにもかかわらず、親に対する助言やアドバイスが言いにくくなっている。いろいろ言われるのを嫌う親も増えている。預けて当たり前という意識の広がりとともに、親と保育士の間に「一緒に育てている」という「連体感」が急速に薄れてきているのです。

保育士不足にもかかわらず、もっと預かれ、と言い続けたマスコミや、それを「福祉はサービス」と言って選挙に利用し、進めた政治家たちの姿勢が、子どもを預けることに躊躇しない親を生み出している。誰かが育ててくれるという意識が広まっては、いずれその先にある学校教育が維持できなくなる。

14年前に行われた公立保育所運営費一般財源化が出発点だったのかもしれません。その時、「子どもの最善の利益を優先する」という保育所保育指針にも書かれていた、人間社会が成り立つ原則を、国が放棄した。それに政治家も行政も学者も、国のため、経済のためと言って慣れていった。現在の子ども・子育て支援新制度によって加速した市場原理の導入、労働力確保のため(欧米並みに)何人親子を引き離すか目標値を設定した上での規制緩和がそれに続き、経費の8割が人件費であるはずの保育所に関する国の建前が、国自身の施策によって崩されていった。それに便乗して、自治体による財源不足の補填、株式会社や社会福祉法人などの利益確保が元々十分ではなかった保育士の人件費を削って行われてしまった。

そういう操作ができる仕組みを、国が、「待機児童をなくせ」「保育は成長産業」という掛け声のもとに施策で作っていったのです。その結果が、家庭や保育現場における優先順位の書き換え、双方向への疑心暗鬼、(学校も含め)子どもを育てる者たちの間の信頼の欠如を生んでいるのです。(http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=257  六年前の状況から新制度へ)

11年前、きっかけがあって3カ所の大学、専門学校、養成校で保育士を目指している学生に、実習先の園で保育士による虐待(親に見せられない光景)を見たことがあるか質問しました。その時、福岡、神戸、埼玉、地域の違う三校ともに学生の半数が、見たと言った。実習生を受け入れている園でさえそうだった。実習生など絶対に受け入れない施設ではどうなのか、と想像すると怖いくらいの現実でした。

その光景を見て、保育士なるのをやめたという学生もいました。一週間実習していると、同級生が同じようなことを始めると訴える学生、先輩から、「あの園に実習に行くと保育士になる気がなくなるよ」と伝達されている園が三つある、と私に教えてくれた学生もいました。涙ながらにそう言った学生たちは、実習に行く前に、実習先であったことは口外してはならない、と誓約書を書かされていました。個人情報保護のためだけではない、現場の良くない実態を知られたくない意図があったのではないかと思います。その誓約書が、20年間心の縛りになって苦しんだ、という主任さんもいました。

そして、忘れてはいけないことがもう一つあります。実は、ここが一番重要なのかもしれない。

この実習生たちが一週間の実習期間で、保育士になる気がなくなるほどショックを受けたり、最近ではベテラン保育士でさえ耐えられずに辞めていくような光景を、その園で過ごす他の幼児たちが目の当たりにして数年間育っていく。虐待と思わるような扱いを直接受けなかったとしても、他の園児、時には「小さなお友だち」がそういう扱いをされている光景を幼児期に繰り返し見ることが、その場にいた園児たちにどういう影響を及ぼすか、心的外傷になって残るか、正確には誰にもわかりません。しかし、強者が、言葉もまだ正確に話せない絶対的弱者を威圧したり、思いやりに欠ける仕打ちを繰り返す姿を日常的に見続けることが、見ていた3、4、5歳児の将来にも影響を及ぼすだろうことは容易に想像できるのです。

本来政府が責任を持つべき制度の混迷によって、幼児期に植え付けられたこうした人間関係に対する不信感が日本という国全体を覆っていくのではないか。すでに覆っているのではないか。社会全体としての心的外傷にどれほどなっているのか、はっきりわからないからこそいい加減にはできない。今、真剣に、考えなければいけない。子どもの成長過程におけるこういう風景の存在は道徳教育などで修復できることではない、次元が異なる、深い心の問題なのです。

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こうしたあってはならない風景を無くすとまでは言いませんが少しでも減らすこと、それが、私が推奨している「親の1日保育士体験」の出発点になりました。年に1日8時間、親が、父親も母親も、一人ずつ園児に囲まれ保育現場で過ごす。(幼稚園の場合は5時間ですが。)親と保育士の間に波風を立てずに、一緒に幼児に囲まれることによって自然に育つ信頼関係で「親に見せられない風景」を封じてゆく。これしかないと思いました。いつでも親に見せられる保育をする、それが幼児を守る原点なのですから。

すると、体験した親たちの7割が感想文に「園に対する感謝の気持ち」を書きました。親が保育士に感謝すると、いい保育士が育っていく。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=897 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260

その話をした時に、「保育園に預けるのは権利です。なんで感謝しなければいけないんですか?」と聞かれたことがありました。親が、子どものことで感謝する、保育士に直接でなくてもいい、神様・仏様経由でもいい、それが幸せへの近道で、それが学校教育を支えるのです、と説明するしかありません。教育とか保育という言葉で表していると、いつも間にかわからなくなるのですが、「子育て」なのです、人間たちをつなぐものは。

保育の現場だけでなく、家庭でも、他の福祉施設でも、人間性を逸脱しているように思える光景が増え続けています。「親が、我が子を育てる」、または、多くの人間が、自分の子に限らず、幼児と接する機会を繰り返し持つ、という土台が崩れてくると、人間社会は優しさや忍耐力、感謝の気持ちや、親身なること、という社会の維持に必要な人間性と絆を失っていきます。それは、福祉や教育では補えない。お互いの存在が抑止力として働かなくなる。それが私が30年住んで欧米社会に見た結論でした。虐待防止などと言ってチェック機能を強化しても絶対に追いつかない。本来、法律で取り締まる種類の問題ではないのです。

日本の保育(子育て)も、こういうことが起こりやすい仕組みに、政府の施策によって作り変えられつつある。作り変えられようとしている。欧米より安定していた家庭環境を、福祉によって親子関係が育ちにくい仕組みにしておいて、虐待防止ダイヤルとか、乳児期における身体検査、法律の強化を進める政治家のやったふりがこの国の義務教育のみならず、この国の未来のあり方を追い詰めている。

子育ては、育てる側が人間性を身につけ、育てるもの同士が心を一つにすることが第一義でした。一人で子育てはできないからこそ、人脈や絆が生まれる。弱者を見つめる思いの絆が社会の土台となって、人間は助け合うことに幸福を感じ進化してきたのです。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1014

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冒頭に挙げたネット上の問いと答えを読めばわかるように、2歳児が他人によってこういう「泣きながら母親に飛びついていくような」体験をさせられるということは、本来あってはならないこと。4、5歳児が同じ体験をすることとはあきらかに違う、影響を受ける心の次元がちがう。

3歳までに、環境や体験によって、脳の発達、将来の思考のしかたを左右する脳細胞の仕組みが決まってくるということは、脳科学の分野ではすでに定説になっています。3歳まではみんなで可愛がる、5歳まではしっかり寄り添う、そんな感じで人間は子どもたちと接してきた。脳の発達に関わる乳幼児期のそうした安定した環境や特定の人間との親密な体験は、その子の一生に影響を及ぼしている、そう認識されているからこそ、親(特定の人)を知り、その人と十分な時間を過ごすことの大切さが国連の子どもの権利条約でも「権利」として挙げられているわけです。

それを考えれば、乳幼児期のあってはならない不自然な体験の積み重ねが、最近の小一プロブレム、いじめや不登校に影響していると考えてもおかしくない。

いま、政府の雇用労働施策によって、乳幼児期に、子どもたちの心に、人間に対する不信感が植え付けられるケースが確実に増えているのです。

ネット上の回答にある、

「ちなみに保育士の子どもいじりは、延長時ラスト1人の子に『もう、お母さん迎えに来ないかもね…』とささやくとか、1人の子とだけ遊んであげない(返事だけはしてあげる)とか、結構やってます。知らないのは親だけです。」

 という状況と警告を、なぜ保育という仕組みに責任がある国や政治家や学者、マスコミも、もっと真剣に取り上げなかったのか。ちなみに、この問いと答えに対する閲覧数は2万6千回を超えています。

すでに4年前に延長保育の保育士は無資格者でもいい、ということになっていました。財政削減の矢面に立って、公立の保育士の6割が非正規雇用になっていました。そうした規制緩和をしながら、3年前、新しい保育施策で、国は「11時間保育」を「標準」と名付けました。親として初心者である乳児の親たちが、この「標準」という言葉をどう受け止めるかは予想できたはず。預けて当たり前、「標準」なんだ、という意識が確実に広まっています。そして、この「標準」を維持するための3時間のパートに資格者を雇うことはほぼ不可能になり、8時間勤務の保育士でさえ公立の正規職員でもない限り、募集しても倍率が出なくなってしまった。倍率が出ないということは、人を選べないということです。しかし、乳児の保育で一番大切なのは、保育士の「人間性」です。倍率が出ないと心が主体となる本来の姿が失われてゆく。

政府は、この新しい保育施策の内閣府のパンフレット(すくすくジャパン)に「みんなが子育てしやすい国へ」と書きました。厚労省はこの施策を、「安心して子どもを産み育てることができる環境の整備」といい続けています。こんな虚偽、誤魔化しがいつまでも通用するわけがない。

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内閣府のパンフレットを見て、ある役場の保育課長が「みんなが子育て放棄しやすい国へ、でしょう、これでは」と言いました。その表紙には、ハイハイをしたり、ラッパを吹いたり、太鼓を叩きながら笑顔で保育園・子ども園に行進していく(と思われる)子どもたちの絵が描いてあります。厚労省の施策のキャッチフレーズに、知り合いの二代目保育園理事長が顔をしかめました。「安心して産み育てる、じゃなくて、気楽に子どもを産み育てることができる環境の整備でしょう。気楽に産んでもいいんだけど、気楽に預けてもらっちゃ困るよね。それでは、子どもの立つ瀬がない。いつまでたっても親が育たない」。

20年近く前に「保母の子ども虐待―虐待保母が子どもの心的外傷を生む」という本が 出版され、四年前にネット上でこうした「保育士による虐待?」に関わるやりとりがされ、その閲覧数が二万六千回あり、「保育士、虐待」で検索すれば、他にも「ありえない」実態が数多くネット上に報告されている。あきらかに保育士と保護者間の信頼関係が成り立たなくなっている時に、都知事が「24時間型の保育所増やす」と公言し、首相が、二年前に、もう40万人預かれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンもエールを送ってくれました、と国会で述べる。そしていま、保育の無償化です。それを「人づくり革命」の第一歩と言う。ここで言う「人づくり」の意味が私にはわからない。政府主導で、何かとんでもない勘違いが始まっているようです。

信頼関係と絆を失い、幼児たちの存在意義を見失いながら、労働力(人)をつくろうというのでしょう。それはどう考えても無理。学校、職場も含め、世の中は殺伐とするばかりで、人間の生きる力、生きる動機が失われるばかりです。

保育を無償にすれば、「子どもは誰かが育ててくれるもの」という意識が広がります、と保育士たちが心配します。親が育たなくなる、保育士がますます疲弊する、と園長たちが言います。

無償化によって保育や教育で「人づくり」がますます困難になる。

前述したネット上の質疑応答の中にある「子育ては取り返せない」「これが警鐘です。それをどう捉えるかは、親御さんの判断です」という保育士からの警告を、どう捉えるのか。政府や学者の作る無責任な施策によって、働く母親たちがさらに窮地に陥っていくのです。

子どもが優先ではない、経済優先の考え方では、社会という仕組みは行き詰まる。いい保育士が意欲を失い、子どもを足かせのように感じる親が増えていく。学級崩壊に歯止めがかからなくなる。義務教育が存在する以上、その時点で、政府の保育施策は誰にとっても他人事ではなくなっている。

本来、幼児という絶対的弱者とつきあうことによって、人間はその善性を引き出され、優しさを身につける。彼らを守るために、社会を形成する。その根本が揺らいでいます。

安心・安全を保つために遺伝子の中に組み込まれている「いい人間性」は、幼児(または絶対的弱者)の存在が引き出すもの。子育て、というプロセスが本当の意味で、人間社会を維持するのだと思います。

市、虐待疑いの母 確認せず保育士に採用

堺・9歳暴行死:市、虐待疑いの母 確認せず保育士に採用 

堺市で今年2月、小学3年生の長男、福本陽生(はるき)さん(9)を殺害したとして両親が殺人容疑で逮捕された事件で、市は2日、大阪府警から虐待の疑いを指摘されたのに、本人に確認しないまま母親の裕子容疑者(34)を保育士として採用し、こども園で勤務させていたことを明らかにした。(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20180803/k00/00m/040/194000c

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もう、限界は来ています。保育士は、ただの働き手、保育はただの仕事、就労支援とみなされている。人間性が問われていない。少なくとも幼児という絶対的弱者に日々関わる者としてのチェックが行われなくなっている。人選にほとんど注意が払われなくなっている。市の行政でさえそうなのです。募集しても倍率が出ない保育士不足が、資格さえ持っていればいい、という状況を生んでいて、現場は人を選べなくなっている。実は、数年前から公立の保育園でも起こっていたこと。私立では十年以上こういう状況が続いてるのです。

(千葉で保育士が警察に園児虐待で逮捕され、園長が取り調べに、「保育士不足のおり、辞められるのが怖くて注意できませんでした」と言ったのが5年前、新聞の一面の記事になっていたのです。園長が悪い保育士を注意できなくなったら、家に帰って親にちゃんと報告できない3歳未満児を預かってはいけない。少なくとも、それを政府が奨励してはいけない。そういう危険性があることは伝えなければいけない。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=779)

幼児の存在、願いだけではなく、安全性を無視して雇用・労働施策を進める政府や政治家、経済学者の保育施策に対する姿勢によって、行政も含め、現場が完全に追い込まれている。

子ども思いの保育士にとって、「大阪府警から虐待の疑いを指摘されたのに、本人に確認しない」行政の姿勢に対する、あきらめに近い失望感が、全国に蔓延してきています。

子どもに対する行動に疑問のある人を職場の同僚に抱えて保育をするということがどれほど辛いことか。見て見ぬ振りをせざるを得ない保育士の悲しみや、園児たちを守れない辛さが、幼児の日々の一瞬一瞬にどれほど影響しているか。幼児たちの日々が、この国の将来にどれほど影響するのか。ちょっと考えればわかるはずです。

そうした人間の心の動き、見えないところを想像し、乳幼児の願いを汲み取ろうとする能力が社会全体から欠け始めている。事故が起こらなければいい、表沙汰にならなければいい、親にバレなければいい、という問題では絶対にないのです。

人間社会が存続するために必要だった弱者を守ろうとする意識、社会というものを作ろうとする「意図」が変質してきている。

こんな状況を知らなかったとは、もう誰も言えない。

24時間型保育所を増やす、などと言っている東京都の知事も、現場が保育士不足によってこれほどにまで追い込まれている、ということは知っているのです。知らないとしたら、あまりにも勉強不足。保育施策を語る資格なしです。

この子どもを虐待し、殺害した容疑に問われている母親は保育資格をもっていたのだろうか。持っていたとしたら「資格」の意味が問われる。持っていないとしたら、誰でも保育士として雇うことができる仕組みの危うさが問われる。

以前、ある厚生労働大臣が「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と私に言ったことがある。「専門家」という言葉で誤魔化そうとする政治家、「専門家」という言葉に誤魔化される親たち、「専門家」という言葉に頼ろうとする一部の親たち、幼児たちの存在意義が見失われてゆく。親を育てる専門家(幼児)たちが、その役割を果たせなくなってゆく。

「専門家」が「専門家」を作り出すように見えてしまう学問や教育の普及が、本来の「人間としての感性、判断能力」を社会全体から失わせ、「人間としての成長」を危うくしている。絆をつくる役割分担から「心」を奪っていく。

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子育ては、経済的損失?

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 「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円 (民間研究所試算)」という新聞記事。テレビなど他のマスコミも一斉にニュースとして報道していました。

産まれたばかりの子が親と居たい、出産したばかりの親が子と居たい、そう思う気持ちを1.2兆円の損失と計算する経済学者たちの異常さ、馬鹿馬鹿しさ。それを真実のように報道する新聞の無感覚さ、いい加減さ。あきれるばかりです。いったい、いつからこんな世の中になっていたのでしょう。幼児期の子育てに関する常識はどこへ消えてしまったのでしょう。

ここでいう「損失」とは、誰にとっての損失なのか。子どもの立場にたった「損失」を誰か考えているのか。そうしたことを誰も、しっかり考えずに、情報は真実として流れていく。

経済と幸福は、本来一体でなければ意味がないはず。そして、幸福は金額で計れるものではない。そんなことは、昔話にだって繰り返し書いてある。

富を幸福と勘違いすると、弱者(特に幼児)の居場所、存在意義が消えてゆく。「いい加減にしてほしい!」と叫びたくなります。こういう報道の向こうに保育士不足のなかで、子育てを押し付けられ、立ち往生している保育士たちがいる。「学校を託児所だと思っている親が増えてきた」と悩む校長先生がいる。国が経済的損失1.2兆円を出さないようにするために、この人たちの精神的健康が崩れていくのを放置するのだとしたら、そして親たちの意識が経済優先、自分優先に変化していくのをそのままにしておくのだとしたら、その損失こそ計り知れないものなのだ、といつか気づくはず。それに、いま気づく学者や政治家はいないのか。

限られた財源の中で、こうした人間性に関わる意識の変化を補うために、保育を含む福祉や、学校教育の質がどんどん落ちてゆくのであれば、その損失の方がはるかに恐ろしい。子育てがたらい回しにされることによって、消えていくモラル・秩序に対応するために、司法や警察力に頼るのであれば、それにかかる経費はこの先加速度的に増えてゆく。
「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円」、こうした馬鹿げた計算の裏には、富を幸福と勘違いさせないと、資本主義は回らない、と思っている人たちがいる。でも、そのやり方はネズミ講と同じで、ごく一握りの人たちしか「幸福」を得られない。
子育ては、人間が損得勘定から離れることに幸せを見出す体験で、これをすると、優しさとか忍耐力といったいい人間性が社会に満ちてくるし、より多くの人たちが、信頼関係に囲まれる安心感を得ることができる。「自立」を眼差すことよりはるかに安定した「信頼関係」という幸福感を得ることができる。
イエスは、貧しきものは幸いなれ、と言った。お釈迦様も欲を捨てる方が幸せになれる、と言っていた。そして二人とも、幼児たちに指針を求めよ、と教える。砂場で遊ぶ幼児たちを眺め、なぜ彼らが一番幸せそうな人たちなのか、を考えれば、その人たちを見習うやり方のほうが、より多くの人たちが幸福感を得られる道だと思う。

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出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円 民間研究所試算

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018073090065813.html出産を機に仕事を辞める女性は年間二十万人に上り、名目国内総生産(GDP)ベースで約一・二兆円の経済損失になることが、第一生命経済研究所の試算で明らかになった。女性が仕事を続けられる環境の整備は、経済政策としても重要なことが裏打ちされた。 (奥野斐)

第一生命経済研究所の熊野英生(ひでお)首席エコノミストが、国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査などを基に試算した。

調査などによると、第一子を出産した女性のうち出産に伴い仕事を辞めたのは33・9%。同様に第二子出産を機に辞めるのは9・1%、第三子出産時は11・0%。二〇一七年に生まれた約九十四万六千人について、第一子、第二子、第三子以上の内訳を過去の出生割合から推計し、それぞれに離職率を掛け合わせ、出産を機に離職する女性は二十万人と算出した。

この二十万人は正社員七万九千人、パートや派遣労働者など十一万六千人、自営業など五千人。それぞれの平均年間所得を掛け合わせると計六千三百六十億円。これが消費や納税などに回らなくなるため、経済損失となる。

一方、企業の生産活動による付加価値のうち人件費は約半分を占める。熊野さんは、女性退職による生産力低下などの企業の経済損失は退職した女性の人件費とほぼ同額とみなすことができるとして、損失総額を一兆一千七百四十一億円と試算した。

また、企業などの育休制度の充実が、離職を食い止めていることも出生動向基本調査などから明らかになった。

第一子出産後に育休制度を利用して仕事を続ける人の割合は二〇〇〇~〇四年は15・3%だったが、一〇~一四年では28・3%とほぼ倍増した。

熊野さんは「企業にとっても、せっかく育てた女性を出産退職で失うのは大きな損失。離職者を抑えることが今の日本の課題。保育施設の整備や育休制度の充実が重要だ」と話す。

◆非正規の離職率は7割超

「子育てに専念したいという人も一定数いるだろうが、職場環境や雇用条件によって辞めざるを得ない人が多い」。女性の働き方の問題に詳しい労働経済ジャーナリストの小林美希さんは「出産退職」の現状をこう指摘する。

特に厳しい立場に置かれているのが、パートや派遣など非正規雇用やフリーで働く女性たちだ。今回の試算では、育休制度を利用して仕事を続ける人の割合が増えていることも明らかになった。しかし、出生動向基本調査によると、二〇一〇~一四年に第一子を産んだ妻の離職率は、正社員が約三割なのに対し、パート・派遣は七割を超えた。

小林さんは「女性の約半数は非正規雇用だが、育休取得者は全体の3%だけ。働き続けたいすべての人が育休を取れるよう国が法整備すべきだ」と指摘する。

長時間労働の是正など、出産後の働きやすさも課題だ。保育政策に詳しい第一生命経済研究所の的場康子主席研究員は「時間や体力面の不安で働き続けることをためらうケースもある。企業側の環境整備によって出産退職を免れる人は増えるはずだ」と分析。「企業は、女性だけでなく男性も育休を取りやすい環境づくりをすべきだ」と話す。 (坂田奈央)

(東京新聞)