今週から、松居和チャンネルにアップする時間を、19時半、にしようと思います。
松居和チャンネル 第116回、
テーマは、「共同親権」について。
副題を、「法律によって、社会全体の『不信感』が宣言されてゆく」
としました。

sayaさんから、法律になった「共同親権」の問題を、どう捉えたらいいか、という問い掛けがありました。
アメリカの状況を知っているだけに、一概には言えないのですが、「平等」という意識からすれば、日本の親権問題は男性差別だった。子どもは、母親に属する、という文化、「母性の文化」が、いまだに強く存在している。その「母性の文化」が、「専業主婦」という言葉をつくったり、母親が主体に育てる、という風景を維持してきました。
それが、「女性差別」で、「平等」ではない、という考え方は、論理的に正しい。しかし、平等ではないことが、「子育て」という、幸せになる確率が高い「道筋」を支えてきた、その現実をどうするのか。「平等」という意識から、「共同親権」が出てきている。そこが問題なのです。
アメリカの裁判所の中で、発砲事件が起きる可能性が一番高いのが、家庭裁判所。『争い』の中で、最も熾烈で、残酷なのが「親権争い」。年間、十万人の子どもが、親による誘拐で、消える国です。住民票、戸籍がないので、州境を越えれば警察が捜査できない。FBI(連邦捜査局)の管轄になる。
アメリカで子どもを幼稚園に行かせると、「指紋を登録しておきますか?」というチラシが配られる。誘拐され、年月を経たとき、自分の子どもを確認するための予防策。
夫婦である以上に、子どもの親である、という特別な繋がり、神聖な協調性が、もはや、意味をなさない。
欧米の言う「平等」は、機会の平等、イコールオポチュニティーであって、「イコール」を目指しているのではない。だから、平等を目指しているように見えるアメリカで、より一層、格差が広がり、人種的蔑視や女性差別が激しくなっている。
刑務所に入っている女性の数が、アメリカで23万人。日本は、3600人。
1980年代初め、アメリカにおける女性の受刑者は2万6千人だった。それが現在23万人と10倍近くになり、増える速度が男性の2倍なのです。「平等」という名の利権争いの中で、女性たちが「窮地」に追い込まれている。
法整備と市場原理が、社会全体の「不信感」を宣言し、それを確定していくのです。
共同親権は、「男女平等」を尊重するのであれば、法的に、正しい。
その「正しい」やり方を追求すれば、家庭崩壊や幼児虐待が広がり、女性が刑務所にいる確率が、10倍になる。それは、ここ五十年間のアメリカ社会を見ればわかる。それが、私の考え。
法的に正しいこと、と遺伝子の法則に従うこと、が最近、異なり過ぎているのです。
法律があることがいいのか、悪いのか考える時に、つい最近まで、何千年も、何万年も、共同親権という法律はおろか、「親権」という定義さえなかった、ということを思い出さなければならない。
法律で保つ秩序より、「常識」が生み出す礼儀作法の方が、確かで、人間社会は、そのやり方の方が鎮まる。それだけは言える。
そういうものを作ったから、男女平等という概念を法的に進めたから、欧米のようになってしまうほど、日本は、「柔な」国ではない、とは思う。
「平等」はあり得ない、ということを受け入れられる国。許容量を持った国、それが日本の文化。
「男女平等125位」という数字が、それをよく表しています。
松居和チャンネル第20回:男女平等とは? ~日本は125位、先進国で最下位。順位落とす~、をぜひ、見てほしい。

「125位」は、良くない、と思うマスコミや学者がいる一方で、その国が、GDP世界3位なのです。トラッカーやストロースが羨ましがった、欲よりも「家族」を優先する文化が、経済にも、良かった。
125位という数字が出るのは、その「物差し」が変だということ。
競争社会で、「勝つ人間が増えたほうが」いい。そういう陳腐な、物差しを受け入れるから、「誰でも通園制度」などという、異常な母子分離施策が、国会を通ってしまうのです。
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