memoから

 1歳3ヶ月くらいで、息子がお辞儀を覚えた時のこと。

 いつもやってくれるわけではないけれど、やってくれるととても優雅で、いい感じです。私しか見ていないと、もったいない気がするのです。見損なった人には、ぜひ見せたくなるのです。もう、それは、平和や美や真実を、わかちあいたい、という感じです。

 

親子関係にハッピーエンドなんてない。お墓とか、記憶とか、形見とかに体現される、魂の次元のコミュニケーションが存在しなければ。

 

赤ん坊が、数年かけて左脳である言語脳を発達させている時に、親は赤ん坊という特殊な存在と付き合い、感性を発達させている。祖父母に、より感性が必要な理由…。

幼児との体験が不足し、社会的に感性が欠如している団塊の男たちが、…。


 

人間たちの出会いの中で、親子の出会いほど決定的で不思議なものはない。一生をかけての出会いである。春夏秋冬を受け入れるように、これを通り抜けて、自然(Nature)と一体になる。その出会いには選択肢がない。そこで人間は運命という言葉を意識するようになる。

人間はいま、選択肢があることに苦しんでいる。


 

幼児と過ごした記憶を強く持つことは、人間の感性とコミュニケーション能力を高め、その幼児の発達を見て、現実が過去と未来を含むものだと意識する。  

音楽が存在するように、

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