ベビーシッター死体遺棄事件/「保育制度が時代に追いつかない」?




 埼玉県で起ったネットベビーシッター死体遺棄事件、エッと、驚いた人もたくさん居たはず。私もその1人です。こんなことが起こりうる。ネットで見つけた知らない人に自ら、仕事のためとはいえ、2泊3日で乳幼児を二人預けるなんて、常識では考えられません。こんなことが日常的に行われている、いつの間にか、そんな国になっていたのです。常識が多様化している、と言う人もいます。人間社会が未知の領域に入り始めている、と私は動揺しました。いま保育界が直面している様々な問題を知っているだけに、その底辺で起ったこの事件には、言い様のない虚しさを感じました。

 もう一度「人間性」というものについて、制度も含め、落ち着いてじっくり考え直す時が来ているのでしょう。このまま流されてはいけない。社会が進んでいる方向が「人間性」と摩擦を起こしている気がします。いま、日本という国で、保育の問題を仕組みの問題ではなく、子育ての問題として真剣に考えることは、人類の進化に関わることのようにさえ思えるのです。親らしさ、という人間の進化に絶対に必要な要素が変質し始めているのです。

 

 この事件に関して、「保育制度が時代に追いつかない」という見出しの新聞報道がありました。ひどい話です。一見正論のように感じますが、騙されてはいけない。マスコミが、こういう浅い視点で見ているから、保育の現場からいい保育士たちが離れてゆくのです。政府が進める保育制度と同じで、子ども側からの視点がない。幼児にも心はあって、幼児期は人が一番安心して守られるべき時。その時守られた体験と、やがて守る体験で人間性と絆が社会に育ち、幸福のものさしが伝承されてきたのです。その伝承が、人間社会が成り立つための前提でした。

  保育(子育て)が時代に追いつかないのではなく、いま「時代」が子育てを忘れているのです。もう、「制度」という言葉を一度捨てないかぎり、乳幼児が私たちに告げようとしている「利他」のメッセージが見えてこないと思います。

  この事件を受け、「ベビーシッターの質の保証を制度で」と少子化担当大臣が言った。「実態を調査します」と、暢気なことを厚労大臣も言ったのです。量的拡大を第一の目標と考え、保育の質を落とす規制緩和と市場原理を掲げる内閣の大臣たちがそんなことを言うと、とても空虚に聴こえます。今回の事件が象徴するように、多くの人が背筋にヒヤッとしたものを感じた人間性そのものの崩壊は、この国でも始まっているのです。もっと根本的なところから広範囲に、見えにくいところで保育界の限界はとっくに過ぎているのです。親たちの子を育てる意識が、急速に変わりつつあるのです。

 

 「サービス」「権利」やがてそれが「利権」になり、政治家のうすっぺらい約束に翻弄され、マスコミの言葉にいつの間にか支配され、子育て(保育)を通して利害関係を離れた信頼関係作る仕組みが、人間たちの間で非常に作り難くなっている。

 保育士不足は全国に広がり、現場にいるべきではない保育士を排除出来ない状況があちこちで起っています。幼児の親は初心者です。以前書いた保育士不足からくる「話しかけない保育、抱っこしない保育」を自分の子にされてもほぼ見抜けない。だから恐い。だからこそ保育という制度に関わる政府の施策は、「子ども優先」が絶対条件でなければならないのです。

 翌日の新聞に、大臣が「安心して子どもを預けられるよう、ベビーシッターの質の確保に努める」と発言していました。15年前「安心して子どもが預けられる環境づくり」と言って保育界の反対を押し切り学者の意見を聴いてエンゼルプランを進め、実際は「気楽に子どもを預ける状況」を作ってしまったことにいまだに気づかない。その頃からです。保育者の良心と政府の施策が離れ始めたのは。そして、親の意識の変化は保育サービスを受ける側という立場をつくり出し、保育界ばかりか学校教育にも大きく影響し始めた。

 「安心してベビーシッターに預けられる仕組み」は、現代社会において不可能。人間として不自然。

 二泊三日で自分の親や兄弟に子どもを預けるにも、それが乳幼児であれば不安はある。親が、幼い我が子を他人に手渡すことに不安を感じなくなったら、それは人間の進化にかかわる一大事だということを政治家はもう一度国家戦略を前提に考えてほしい。不安を最小限にすべく法整備は必要ですし、相談相手が周りにいない親たちに注意喚起もしてほしい。ですが「安心して子どもが預けられるよう」とは、絶対に言ってはいけない。子育てに関わる、出来もしない安易な約束が、親たちの意識を変えていったのです。


 

image s-3.jpegのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

 

 就労証明を義務づけないと、土曜日に兄弟を保育園に8時間順番に預ける親がいる。今週は上の子と一対一で過ごします、と園長に言う。奨励する保育所さえある。園は貸金庫でもコインロッカーでもない。この本末転倒はいつ始まったのだろう。ここ数年の親の意識の変わり様はどこに原因があるのか。時代の要請に保育が合わせるからこうなる。就労証明なしの子ども園で、それがもっと進む。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

横浜市の保留児童急増、3353人 待機ゼロへ林市長「懸命に努力」(新聞記事から)


 横浜市の林文子市長は19日の会見で、今年4月に認可保育所への入所を希望しながら入れない「保留児童」が、前年同期比751人増の3353人に達したことを明らかにした。昨年4月に「待機児童ゼロ」を達成したことで申込者数が増えたことなどが要因。林市長は「昨年より相当厳しいが、ゼロを目指して最後の最後まで一人一人と向き合う。懸命に努力する」と改めて2年連続待機児童ゼロの達成に意欲を見せた。

 市保育対策課によると、今年4月の入所に向けた新たな申込児童数は同368人増の1万4558人で、1次審査後の内定者数は同476人減の1万576人だった。

 特に1歳児の申し込みが急増し、1歳児の保留児童は全体の半数以上を占める同634人増の1839人となった。林市長はこの数字について、「育児休暇明けで働きたい方が一気に手を挙げている」と指摘。「いいことだが、どうやってみなさんをきちんとお迎えできるのかは大変難しい問題」と悩ましい心の内を吐露した。

 市では今後、認可保育所の2次審査を行うほか、認可外保育所や保育サービスの紹介も併せて行い、保留児童を減らして待機児童ゼロを目指すという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 待機児童を無くす横浜方式。その結果が出る前に、首相が「全国にそれを広げる」と言ってしまった。今度の東京都知事も横浜を真似るという。保育施策全般に言えることだが、政治家にとって幼児は数字でしかない。保育園で「育っている」という意識がない。たった一年で横浜方式は破綻している。待機児童は一気に増え、募集しても応募が来ない認可外施設は派遣保育士の時給高騰で潰れかかっている。横浜を真似る前に、結果を数字ではなく、子どもたちの一日の質で計れないのか、と思う。

 

「保育士増なら補助多く 政府、ミニ保育所の支援拡充」http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2402Y_U4A220C1PP8000/

 30人規模の認可外保育所が、自転車操業+保育士不足で不慣れな市場原理の荒波に追い込まれている状況で、政府は本気でミニ保育所を増やしてゆく気です。時給を少し上げても、公立の正規でもない限り応募がほとんどない状況で、何を基準に施策を考えているのだろう。去年保育園で亡くなった子どもが19人、そのうち15人が認可外。園児の総数から逆算すればミニ保育所の危険性は十倍以上。もちろんいい認可外施設もある。しかし、これからますます保育士確保が難しくなる状況で、保育士の質、保育環境の質は条件の悪い施設から順に、確実に落ちてゆく。


 政府が補助金で誘い増やしているミニ保育所の先にベビーシッター死体遺棄事件がある。預ける側の意識の変化。そして、資格を持たずともネットを使い時間千五百円で三人預かれば、認可保育園の非正規職員の三倍の時給になる。誰かが介入しなければいけないのに、乳幼児を政府が市場原理にさらしている。

i mages-5.jpegのサムネール画像のサムネール画像

 最近は、園長もしっかりしていて保育士の連携もいい優良保育園で、有資格/短時間非正規の保育士に外れが出る。子どもを怒鳴る、「あんたは嫌いだ」と言う。慌ててクビにはしたが、こういう保育士(この場合は年輩)が、今いつでもどこでも雇ってもらえる状況にある。幼稚園でもそうなのだが、あちこちで悪い保育士のババ抜き状態が始まっている。ババをつかんでも、子どもを減らすわけにはいかない。たとえ一週間でも、こういう保育士に当たった2才児の心にどういう記憶が生涯残るのか、実は誰も知らない。だからこそ、最善の努力をしなければならない。国も親も。


images-4.jpegのサムネール画像



 幼児と一体になる。自己を手離し利他に向かう。

 インドや中国とはひと味違う日本独特の大乗仏教の核がそこにあった。最も理にかなった「易行道」(宇宙と一体になり自分の善性を体験すること)がそこにある。

 親になることは損得勘定を捨てること。これほど合理的で、たやすい人生の見つけ方はない。


詩人の小野省子さんから

こんにちは。

先日、2通のメールが届きました。ペガサスベビー保育園の保護者の方で、園便りに載っていた私の詩は販売していませんか?という問い合わせでした。

園長先生が、松居さんの講演に行かれて私の詩を聞き、紹介して下さったようです。

販売はしていないので、まだ手元にあった、松居さんが作って下さった小冊子を送りました。

 

もう一通は、大和市の小学校の校長先生で、「愛し続けていること」を学校だよりに載せてもいいか、というものでしたが、こちらもまた、どこかで松居さんが

紹介してくださったものかな?と思いました。

 

 

私がぼんやりしている間に、私の作品たちの手を引いて、いつもあちこちに連れて行ってくださって、ありがとうございます。

 

小学生の我が子をみながら、最近気づいたこと。昨日書いた詩を、感謝をこめて送ります。

 

 

 

 

「最近、気づいたこと」

 

最近、気づいたこと

親が子供を信じる以上に

子供は親を信じている

 

私が今、するべきこと

子供が私を裏切らないかの心配ではなく

私が子供を裏切らない努力

 

未来の私がするだろうこと

「期待に応えられなくてごめん」と子供が落ち込んだら

「私も応えられなくてごめん」と落ち込むこと

 

そしてお互いの健闘を共に称え合うこと

 

その頃、子供がやっと気づくこと

親の力は意外にちっぽけだったこと

 

 

 

 

 

小野省子

四月五日、北鎌倉東慶寺で2時から演奏します。

四月五日(土)、北鎌倉東慶寺本堂で2時から、ディジュリドゥーのKNOB君と、クリスタルボールの山本コヲジ君と演奏します。お釈迦様の誕生日を祝う「降誕会」で、読経は井上陽司住職。コンサート終了後甘茶をいただけるそうです。連絡先:匠の市実行委員会0467224693(斉藤)。テーマは「祈り・響き」です。


images-2.jpegのサムネール画像のサムネール画像