日本助産師会の公開講座があります。

以前も書いたのですが、今度、講演に行く助産師さんの会から、こんなメッセージをいただきました。

追伸 松居和チャンネル、拝見しました。

もう面白くて、面白くて!研修会で多くの助産師に先生の話を直に聞いてもらいたいですし、こども家庭庁の話と松居先生の話を聞き比べ、子育ての根幹の話はどこにあるのか、をそれぞれが深く考える機会にしたいと願っております。

この研修会の私の講座が、一般の人も参加できるようなので、チラシを載せます。

助産師さんたちは、現場中の現場、の方たちで、子育ての見方が自然です。この人たちの感性、イデオロギーとは離れた視点を社会全体に取り戻す時だと思います。

母子手帳を中心に、産まれる前からの指導など、日本は、結構そのあたりをやってきたと思う。欧米ほど、家庭が崩壊していないのは、こういう人たちが支えてきた、政府の意図や報道に捉われず、親たちに「常識」を伝える意識があったからだと思います。。

(松居和チャンネル、チャンネル登録、拡散、どうぞ、よろしくお願いします。これが広まれば、日本の道筋は、子ども優先に変わるかもしれない。)

日本助産師会の公開講座

日程11月9日(土)受付14:00~

会場 グランシップ 会議ホール・定員80名 参加費 1.000円(当日現金払い)

申込み方法:QRコードより 申込期間:9月1日~10月31日

問合书世先:(一社)静岡県助產師会 Email shizuokasanba1109@gmail.com

「愛着障害」と「母子分離政策」

火曜日です。

松居和チャンネル、第34回をアップしました。今回のテーマは、「愛着障害」と「母子分離政策」。副題が、「育ち」が問われている(クローズアップ現代から)、としました。

グレーゾーンの判定のみならず、診断や、量刑の判決において、発達障害から一歩踏み込み、「愛着障害」に言及すれば、「育ち」を問うことになる。乳幼児期の子どもにとって、それは主に「母子関係」であって、「女性の社会進出」という言葉とぶつかる。

それ故に躊躇し、「育ち」に踏み入ることを避ければ、見て見ぬ振りが、やがて「仕組み」を限界に追い込む。今回、取り上げたNHKの「クローズアップ現代」のスクリプトを読めばわかるように、それは既に十年以上前から言われていたこと。当時、すでに限界は、来ていた。

「ママがいい!」という叫びに、マスコミや行政が耳を塞いでも、仕組みの崩壊がここまで進むと、少子化対策に名を借りた「雇用のための母子分離政策」の正当性を、問わざるを得なくなる。

これ以上、教師や、保育者を犠牲にするわけにはいかない。「愛着障害」は、子どもたちの罪ではないし、責任でもないのだから。

「雇用促進のための母子分離」に正当性はない。「動機」が悪い。

「生活のため」であれば、仕方ない、としても、「仕組みに、母親の代わりはできない」。

男女平等やジェンダーフリーという、人類未体験の「仕組み論」に「現実味」はない。子どもを優先しないことによって、欧米では、男女間の一層の分断と、格差が生まれた。半数近い子どもが、未婚の母親から産まれるという、社会現象にそれが現れる。

欧米から「遅れ」を指摘される「平等論」を捨て去る「余裕」が、日本にはまだあると思う。世の中は、平等でないから美しい。そこから生まれる、「利他」の幸福論を主体に生きるのが、いい。

宮沢賢治、芭蕉、世阿弥、トトロも、もののけ姫も、ドラゴンボールも、その道筋を、当たり前のように、示している。人々の「支持」は、まだ、そこにある。

第20回で述べた、「男女平等125位、先進国中最下位、順位落とす」という現実は、欧米の「欲の資本主義」に対抗する、この国の主張です。「順位を落とした」ところに、女性たちの、子どもを守ろうとする「意志」を感じなければ、経済も「子育て」の段階から崩れていく。

講演先で、耳を傾けてくれる母親たち、体育館の床に座って聴いてくれる中学生たちから、私は、この国の文化でもある、その「意志」を感じる。

子どもを、可愛がっていれば、それでいい。150年前に、西洋人たちが見た日本に、世界の混沌への答えがある。

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。(モース)』(「逝きし世の面影」渡辺京二著)

(次回は、アメリカの大統領選の真相、そこで起こっている「父親像」の喪失と、それを巡る闘いについて話します。)

チャンネルをたくさんの人たちが見てくれるように、ぜひ、宣伝、シェア、拡散、お願いいたします。

 

一般にも公開される講座です。

欧米の後を追ってはいけない。

遠洋漁業の漁師さんは、年に10か月海に出る。でも、無線と手紙で、立派に家庭をつくる人はいる。母親の「言葉」によって、お父さんは、ちゃんとそこにいる。
 実際に、「育児」をしなきゃ、という話ではないのです。父親が、子どもたちに「責任」がある、と感じていればいい。
 欧米のように、半数近くの父親が、子どもが生まれた時から家庭にいないような国々で、何が起こったのか。
 80年代に渡米した時、すでにアメリカでは3割の子どもが未婚の母から生まれていた。家庭崩壊が一気に進む「出発点」はすでに、そこにあった。男たちの「責任回避」は始まっていた。
 当時、刑務所に入っていた女性が、2万6千人。それが、今、23万人、10倍になり、半数以上が母親だという。
 これは、実は、修復不可能な、恐ろしい数字なのです。
 アメリカの大統領選挙を見ていると、父親像を失った子どもたちが、それを求めてギャング化し、優しさや、忍耐力を失っていく風景が浮き彫りになっている。
 「父親像」が消えていくと同時に、社会全体に「父親像」を求めようとする力が、みなぎる。
 人類未体験のこのパワーが、「常識や理性」では計れない、コントロール不能の状況を生み始めている。
(九月十七日の松居和チャンネルから、2回にわたってそのことについて話します。)

「噛みつく子、笑わない子」

火曜日、午後7時。

▼松居和チャンネル、第33回「多様化する保育制度:問われる『覚悟』」をアップしました。

副題は、「噛みつく子、笑わない子」。

 

「1人の子どもを育てるには一つの村が必要」。アフリカのことわざです。子育ては、役割と責任を分かちあい、補いあう、人生の道筋でした。子どもが「安心する」には、百人くらいの不完全な人間たちの親身な助け合い、幸せになりたい、という「想い」が必要だということ。

一つの村を安心させるには、一人の赤ん坊が必要と言い換えてもいい。

今回は、保育の現場で、「覚悟の伝承」が行われている風景について、語りました。😀

若手の保育士が、「覚悟の伝承」で踏みとどまる様子は、美しくもあり、その決意には感謝しかない。「噛み付く子」に対する、主任の対応を聞いて、覚悟を決める。その姿に、みんなで「拍手」。こうした風景が、保育を支えるのです。

そして、人間が「笑う」ことの意味……。

笑わない子の出現が巻き起こす保育士たちの行動と、バズる画像の再生回数が示している「人類の願い」について。

 

私の講演は土曜日の10時からです。市民講座なので、無料です。どなたでも参加できます。