男女共同参画社会

2011年2月28日

栃木の那須の保育士会で講演しました。公立保育園は財政削減の名の下に、全国的に非正規雇用化が進んでいます。市によっては9割が非正規雇用という所もあります。加えて、今回の民主党の「子ども・子育て新システム」のような現場の良心、子ども優先の「心」を無視し、保育をサービス産業のようにとらえる雇用労働施策が出て来ると、みなやる気をなくしていきます。数年で退職という先生たちが、講演前に集まってきて「呆れています。誰も子どもたちのことを考えようとしない。定年前に辞めようかと思います」とおっしゃいます。この年代の園長主任たちは、親が親らしかった頃を覚えているひとたちなのです。次世代の保育士たち、そして親たちに園で人間性の伝承をしてもらわなければいけない人たち。もう少しだけ、がんばって下さい、ここまで状況がひどくなってくれば、そろそろマスコミも政治家も気づきますから、とお願いします。

 講演で「一日保育士体験を薦めることによって、保育園で子どもたちに囲まれる体験が親子の人生を変えます、なんとか親の目を、早いうちに子どもに向けさせ、彼らを眺めることの幸せを伝えて下さい。特に父親にやらせることで、母親がずいぶん楽になります。子育てを中心にして家庭の絆を早いうちにつくること、先生たちも、そこに生き甲斐を感じて下さい」と、お願いします。無理なお願いでも、お願いするしかないのです。いま保育が、その質を保ち、持ちこたえることがこの国を支える、という説明します。0歳から5歳の子どもがどう育つか。どんな時間を過ごすか。その間に、親たちがどう育つか、弱者を眺める視点で「絆」がどう育つか、それがこの国の魂のインフラです。道路を作ったり、ダムを造ったりすることよりもはるかに緊急かつ最重要問題です。

 続けて、鴻巣の男女共同参画の会で講演しました。大きな会場にたくさんの方たちが聴きに来てくれました。教育長や県議の方もいらしてました。
 アメリカで3割、スエーデンで6割の子どもが未婚の母から産まれる状況、犯罪率がアメリカは日本の45倍、学力が高いと言われるフィンランドでも30倍、イギリスが20倍という状況を説明します。欧米で、家庭の定義が崩壊し、どれだけ本来の男女共同参画が壊れてしまったか、弱者に辛い状況を生み出しているか、という話をしました。欧米社会の言っている男女平等はマネーゲーム、パワーゲームにおける「機会の平等」でしかない。いわば男女共同参画競争社会であって、より一層の格差と、弱者につらい社会を生んでいる。
 人類の進化の歴史から見ても、男女共同参画の第一は子どもを作ること。
 そして、子どもを作ることは、すなわち一緒に育てること。それが社会の土台です。
 そうした男女共同参画の基本である家庭と家族の絆が、先進国の中では、まだ奇跡的に残っている日本の素晴らしさを説明しました。もちろん、いま急激に日本を襲っている親らしさの喪失、弱者がその役割を果たせなくなっていることについても話しました。
 保育園で、週末48時間親に子どもを預けるのが心配だ、という園長先生が出始めています。せっかく五日間良い保育をやっても、月曜日にまた噛みつくようになって戻ってきてしまう1才児の話をしました。家庭と保育が日本でも本末転倒状態になってきていて、心ある保育士たちがどれほど悩んでいるか、を話しました。
 講演者に選んで下さった会長と副会長に感謝です。会長と副会長は、私を講演者にするかどうかで悩み、わざわざ二ヶ月前に会いにきてくれた方達でした。
 まだこの国は大丈夫かもしれません。もう一度、拝むような気持ちで、みんなで幼児を眺めていれば、男女がそれぞれの個性や役割りを自覚し、幸せを感じながら参画しなければ絶対に成り立たない人間本来の遺伝子の仕組みに気づくと思います。そうすれば、必ず社会に自然治癒力が働くはずです。
 今日は、これからもう一度長野県茅野市の園長・主任先生たちに、お願いに行きます。明日は鶴見区の保育士たちです。この人たちが子どもたちの幸せを願ってくれているうちは、まだ方法はあるのです。

カール・アンダーソン

 今日はカール・アンダーソンの命日だった。唐突に、メールで知人から知らされたのだ。

 7年前にカールは逝った。知らせてもらわなければもちろん覚えていなかった命日。こういう時は、意識の中で、、ちゃんどリアクションした方がいい。久しぶり、カール。

 カールは、私の最初のアルバム「Time No Longer」で歌っている黒人の歌手。ミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」で主役のユダ役を演じ、映画「ディープパープル」にも出ている。

 私にとっては、アメリカという国の扉をあけてくれた案内人だった。今でも初めてスタジオで会った日のことを思い出す。温かい飲み物の入ったポットを片手に、「Voice from the Dark」を一気に歌い上げていった。https://www.youtube.com/watch?v=KwYERT0zE-Q

地球が終わりに近づいている時に、危機を告げる吟遊詩人に暗闇から語りかける、というかなり奇想天外な私の舞台設定を見事に歌いきってしまった。あんな体験は人生でもそうそうない。ジェニファー・ウォーンズが「Direction West」を二枚目のアルバムで歌ってくれた時も素晴らしかった。カールの時は、私にとって本物の歌い手を初めて録音した体験でもあったので、印象が特に強い。いまだに昨日のことのように思い出す。モントレースタジオだった。ちなみにこの曲のドラムは、亡くなったジェフ・ポルカロ、ギターはスティーブ・ルカサーとロビン・フォードだ。

 カールとは、人種差別の問題を軸に、アメリカや人間についてずいぶん話し合った。いつも言葉に力がある、ストリート系のインテリだった。

 私はいつも講演でアメリカのことを数字を上げてとてつもなく批判するのだが、カールが「Say it, Kazu, Say it!」と言っているような気がする。

 珍しい種類の白血病になった時、「Kazu, I ‘ve got bad deal, men」と言っていたのを、その声の哲学的な調子まで思い出す。妹の骨髄を移植したが駄目だった。なぜかいまでも私の携帯電話にはカールの携帯電話の番号が入っている。病院にかけていたのをそのままにしている。いつか電話をしなければ、と思っているのかもしれない。こういうときに、「携帯」電話はいい。

 葬式には、スティービー・ワンダーやナンシー・ウィルソンが来て、本気で歌った。霊歌を歌った。

 息子のカリルはいくつになっただろう。

 私が会った頃、カールは時々アブカリルを名乗っていた。回教名でカリルの父という意味だった。ブラックムスリムの運動に少し関わっていたのではないかと思う。カールがアメリカという国を見るとき、そっち系の厳しさが常にあった。ロジックが信心と螺旋状に絡み合っている。そう言えば、カールを看取った二番目の奥さんベロニカは、以前モハメド・アリの奥さんだった。私も、一度パモナ大学での集会に出て、アリからサインをもらったことがあった。

www.dongarlock.com/carl

大道あやさん

 あやおばさんが亡くなった。もう去年の秋に亡くなっていた。今になって報道されたのだった。100歳越えていたから仕方ないけれど、新聞の記事とラジオのニュースを聞いた時は、けっこう悲しかった。

 自分の人生が過ぎて行く感じがした。当たり前のことだけど。
 絵本の代表作「ねこのごんごん」を描いていた頃の風景を昨日のことのように思い出す。最近、昨日のことのように思い出すことが多いような気がする。過去と未来は実在しない、ということもついでに思い出す。
 割烹着を着て、下駄を履いて、眼鏡の奥からにやりと笑って、あやおばさんは、時々絵を描き、野菜を作っていた。泥をひねって羅漢様も作った。

 一昨年、松濤美術館での個展で見たドクダミの絵は、やはり凄かった。お兄さんの位里先生の牛も凄いのだろうけれど、私には、実は、あやおばさんのドクダミの方が凄かった。人生はどこかぼけてしまうところがあるのだが、あやおばさんのはそのドクダミの花と葉ようにくっきりしてした。
 あやおばさんが絵を始めたのが60歳。私ももうすぐその歳になる。

 シャクティセンターからメールが来て、今月の26日にフェルシーが正式に尼僧になる。
祈っていて下さい、というリクエスト。
道は続いてゆく。
来月、会える。

江ノ島アジア映画祭、ありがとうございました。

 実行委員会の方たちのご努力のおかげて、たくさんの人にシャクティの風景を見ていただくことが出来ました。

 この前会った茅ヶ崎の市長さんから祝電もいただきました。「一日保育士体験」進めてくれるといいのですが。
 保育関係の方たちもたくさん来てくださいました。私が本当に音楽家もできるところを見ていただきました。ピアノの三品亜美先生ありがとうございました。
 さっき、詩人の小野省子さんから最新の詩が届きました。以前ブログで紹介させてもらった「お母さんどこ」の娘さんが、もう一年生です。

『がっかりしないで』

 

お姉ちゃんの授業参観日に

弟が熱を出した

お姉ちゃんはまだ一年生だから 

お母さんを探してふり返るお友達の中で

きっと

淋しい思いをするだろう

熱で赤くなった弟の寝顔をみつめながら

何て言おうか考えていたら

娘は私の顔をのぞきこみ

そっと言った

「授業参観に来られないからって

そんなにがっかりしないで 

お母さん」


http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm (省子さんのホームページ)