幼児と過ごし、調和に対する理解が始まる

保育という子育ての現場における「あってはならない風景」を無くすとまでは言いませんが減らすこと、それが、私が推奨している「親の1日保育士体験」の出発点になりました。年に1日8時間、親が、父親も母親も、一人ずつ園児に囲まれ保育現場で過ごす。(幼稚園の場合は5時間ですが。)
親と保育士の間に波風を立てずに、一緒に幼児に囲まれることによって自然に育つ信頼関係で「親に見せられない風景」を封じてゆく。これしかないと思いました。

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いつでも親に見せられる保育をする、それが幼児という国の未来を守る原点です。一緒に育てる「かたち」さえ作れば、あとはみんなが持っている遺伝子にまかせる……、それが本来の姿です。
卒園までに毎年やっても、一生にたった三日、多くて五日のことなのですが、これでずいぶん人生が変わってくる。知らないうちに何かが仕上がってゆく。そのアンサンブルに加わりさえすればその奏でる意図を感じ、以前からそこで鳴っていた音の重なりの中に身を置くと、知らないうちに何かが仕上がってゆく。
1日保育士体験をやってみた親たちの7割が感想文に「園に対する感謝の気持ち」を書きました。


そうして、調和に対する理解が始まる。

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そして、親が保育士に感謝すると、いい保育士が育っていく。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=897 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260


その話をした時に、「保育園に預けるのは権利です。なんで感謝しなければいけないんですか?」とある親から聞かれたことがありました。「親が、子どものことで感謝する、保育士に直接でなくてもいい、神様・仏様経由でもいい、それが幸せへの近道で、それが学校教育を支えるのです」と説明するしかありません。
教育とか保育という言葉で表していると、いつも間にかわからなくなるのですが、「子育て」なのです、人間たちをつなぐものは……。

選択肢のないことの素晴らしさや、役割分担という仕掛けの、責任はあるけれども同時に感じる気楽さや、安心を実感するのかもしれない。

このやり方には誰も異論を唱えない……、そのことだけは、みなが知っているという感じ……。すると、簡単に孤独とは無縁の人生が目の前に開けてくる