「静けさ」を分かちあう

松居和チャンネル、第32回をアップしました。

(テーマ)「静けさ」を分かちあう、がタイトルで、副題は、「それが、コミュニケーションの『秘訣』」、です。

言葉のやり取りではなく、「静けさ」を分かち合う。そのあたりに、人間性が育つ「コミュニケーション」の秘訣がある。012歳を眺め、可愛がることで、私たちは、自然に、その次元に導かれる。その時起こる、「無言で信じあうこと」が、人間社会の「常識」を守ってきた。

一人の教え子の思い出と共に、そのことについて書きました。

(「ママがいい!」より)

風景が生み出す「心のゆとり」が集団としての人間を支えていたのだ。

言葉でも理屈でもない。幼児の居る風景が整ってゆくと、幼児のいる風景が人間社会を整えていく。

その風景が人間たちの安心を支えるのだ。窓から雨をながめ、一緒にしゃがんで花をながめ、カタツムリをながめ、倒されてしまった積み木をながめ、ある日静けさの中で、無言で心を重ねてくれる人が身近にいるかどうか……。

その有無で幼児期の体験はその価値が決まってくる。

いい保育士は、それを生まれながらに理解している。その静かな心の重なり合いが少ないと、数年後に始まる学校生活での人間関係の質が粗くなってくる。

教室が、教師の心、子どもの心が嬉しそうに回る「ビオトープ」になっていくように、仕組みを整え直さなければいけません。

「ママがいい!」という、子どもたちの叫びを、指針とし、信じる。そこから、輪を広げていくのです。

どなたでも、参加できる講演会です。申し込みが必要ですが、無料です。

教員免許なしでもOK…教員不足で文科省が緊急通知

急激な、しかも危機的な教員不足で、
『「障害に対する理解が進み、保護者も支援学級に入れることに抵抗がなくなったからだ」と文科省や県教委は口をそろえる』という記事。

支援学級急増の要因は、障害に対する「理解」が進んだからではなく、0歳児を躊躇なく預けるように仕向けた、雇用労働施策がその根底にある。
ここで言われる「理解」が、専門家に任せた方がいい、ということにつながるのだとしたら、それは理解とは言えない。学問が仕掛けた「誤解」と思った方がいい。
この「故意の誤解」の上に、母子分離を成り立たせようとする経済学者の浅はかさが、全国どこへ行っても一割が不登校児という結果となって出ている。これで、日本の経済が良くなるはずがない。

「教員免許なしでもOK…教員不足で文科省が緊急通知『特別免許制度』」という記事もあった。

今、全国で、この「教員になりませんか?資格は要りません」という通知が自治体のホームページに載っている。
その、さらに5年前に、こんな報道がされている。

「てめぇら!」
響く保育士の怒鳴り声 “ブラック保育園”急増の背景(週刊朝日) 2017/05/25
:虐待あり、怒声あり、ネグレクト(放置)あり……。子どもが健やかに育つはずの保育園で、劣悪な運営実態がたびたび明らかになる。日本社会の縮図といえる保育崩壊の現場とは。」

5年離れている、この二つの記事を結びつけることは、そんなに難しいことではない。労働施策としての意図的な母子分離は、正当化できない。
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2024年度一般社団法人 日本乳幼児精神保健学会
世界乳幼児精神保健学会WAIMH日本支部
WAIMH
第4回学術集会in浜松

私の講演は、公開講座なので、無料です。ぜひ、おいでください。

「職員室が輝くように」

松居和チャンネル、アップしました。

第31回のテーマは、「職員室が輝くように」。副題は、「子育て支援を根っこから変える」、にしました。

職員室の「空気」が嫌で、去っていく教師たちがいる。

職員室が失ったものを取り戻していくために、具体的に、できることはないか。予算をかけずに、意思の力で。

教師による、毎日の、生徒への「絵本の読み聞かせ」をするといいのに、と思いました。(中学生まで、ずっと。)私の同志、亡くなった中村諭校長のことを思い出したのです。「どっこい学校は生きている」という本を書いた熱血漢です。生徒たちの靴箱の靴を黙々と揃える人でした。

職場を整えていくということは、そうした毎日の習慣づけをすることで、「子ども扱いする」ということは、「神様扱いする」ということ。

そして、もう一つ。

どんなに人材が不足しても、教師には、3年の育休を取ってほしい。

そのことが、いつか国の財産になる。そして、時々、育てている自分の子どもを学校に連れてきて、子どもたちに会わせてほしい。子どもを「可愛がる」姿と、喜びを、子どもたちに見せてほしい。それが、教育に携わる者たちの、第一歩だと思うのです。

育休をとっている間に、自分の子どもを、週に一度でいい、職員室に連れて来てほしい。それで、国全体の空気が、ずいぶん浄化されていくと思うのです。

弱者と強者の距離が遠のいていく

ダウン症で知的障害を持っているK君と、自閉症のR君、そしてR君のお母さんと園長先生、この四人で、講演の後、給食を食べたのです。

「ほんの1時間くらいだったのですが、私が10歳くらいから色々身に付けてきた世渡りの術は、ほとんどK君には役に立ちません。私の本質しか見られていないような気分です。磨いてきた技術ではどうにもならない、裸にされたような感覚。
たぶん、園長先生はこの時間を、私に過ごさせたかったんだな、と思いました。すべての人間がパズルのように組み合っている。言葉で言うだけでなく、実感させたかったんだな、と思いました」

今回アップした松居和チャンネルは、「園長先生とK君、そして、政治家の集まり」。
副題は、〜弱者と強者の距離が遠のいていく〜、です。

子育ては、自分が倒れたら「この子」は生きていけない、という恐怖を感じることかもしれません。小さい子を、可愛がるほど、そう思う。
その気持ちが、家族や村社会、部族を経て、国家にまでつながっていった。

国家が支配し、「仕組み」を作りはじめた頃、「生きるための動機」が少しずつ曖昧になり、人々は自らの「人間性」を「損得勘定」に置き換えようとしたのです。でも、それでは納得しない人たちがいる。私たちの「本質」を見ている人たちがいる。
それに気づかない政治家たちが、その子たちの運命を決めている。
その瀬戸際に、私たちは立っている。

不思議な出会いと、タイミング・ 両界曼荼羅

火曜日の午後7時は、松居和チャンネルの新しい回がオンになる時間です。

このメッセージから、何か、いいことが起こってくれたら、と思う気持ちがあるので、時間になるとドキドキします。

今回アップした松居和チャンネル、第30回は、「園長先生とK君、そして、政治家の集まり」。

副題は、~弱者と強者の距離が遠のいていく~、です。

人生には、不思議な出会いとか、タイミングがあって、道筋が示唆されます。チャンネル登録、拡散、宜しければ、ぜひ、ぜひ、お願いします。

以前、ある公立保育園に講演に行った時のことです。

「お父さん2人お母さん20人くらいに話をし、その後、お昼に給食を食べました。園長先生が用意してくれた私の席は、ダウン症で知的障害を持っている年長組のK君と、自閉症のR君、そしてR君のお母さんと四人で食べる席でした。

K君は両親が離婚して父親がいない家庭で過ごしていることもあってか、園についた時から私にくっついていました。」

不思議な一日、出会いの物語りが始まります。

 

市民公開講座は、無料で、誰でも入れます。

幼な子が来るのを止めてはいけません

https://youtube.com/shorts/61FeRGHms4w?si=AQsp5pkwOC91tudE

園長から送られてきたリンクです。ぜひ、見て下さい。

単にこう言うことなんです。人間社会は。

政府が、11時間保育を標準とするなど本当に馬鹿げている。母子分離を進める政治家や、保育で儲けようとする連中が幼児たちの「役割」を奪う。保育学者が、「専門性」とか「自己肯定感」などと訳の分からないことを言ってそれを正当化する。

幼な子が来るのを止めてはいけません。

https://youtube.com/shorts/61FeRGHms4w?si=AQsp5pkwOC91tudE

 

「解放」されないと、道筋は見つからない

親たちの、「可愛がる」喜びが、子どもたちの、「信じる力」につながっていく。守られて育った人間は、社会とまわりの人間を信頼する。人を信頼することが、やがて自分を守ってくれる。

それを知っているから、一人の若い保育士が、担当している年長さんが「学校」に入ることを心配し、涙ぐんでいた。


仕組みに支配されていることに気づいて、「解放」されないと、道筋は見つからない。マイルスが音楽でしたように……。

こんな保育士たちが、まだ全国にいる間に、親たちが結束してこの人たちの「思い」を支えなければいけない。
そのためにも、チャンネル登録、拡散、推薦、お願いします。思考の飛躍が必要なのです。根っこで繋がっている、という意識が戻ってこないと、制度によって「人間性」が作られるようになってはいけない。

「神話の再生と音楽」不思議な会話

多くのハリウッド映画のサウンドトラックに参加しました。
第17回、「神話の再生と音楽」。(チャンネル登録も忘れずに。)
映像に、「音楽」をつける、というシャーマン的な行為の中で、色々と不思議なことが起こる。「人間が信じ合う」ことが「創造」につながる、子育てにも似たその過程が、監督エド・ズイック、作曲家ジェームス・ホーナーの会話に見える。
私という人間がそこに居たから、伝えることができる。それもまた、「創造」につながる「信頼」の一部なのでしょう。運命的な、「楽しみや喜び」、それが神話の再創造へつながっていく。
取り戻すべき「感覚」がある。そのことを、広めてほしいのです。チャンネルの登録、推薦、拡散、ぜひ、お願いしたいのです。
チャンネルへのリンクです。
https://youtu.be/be5XSpLUrg4
https://youtu.be/be5XSpLUrg4

中学生たちの宣言

講演で、中学生たちに、「私が、一人で公園に座っていたら、変なおじさん、だけど、二歳児と座っていたら、『いい、おじさん』」と説明する。

この不思議な、相対的関係が、生きる動機なんです、と、彼らの生命力を掻き立てる。チャンネル第21回で、中学生たちの、感想文をいくつか読みました。それは、新しい命に感謝すること、に対する彼らの宣言でもある。

彼らの宣言を広めて下さい。

チャンネル登録、お友達、議員、できるだけ多くの人たちに、シェア、推薦をお願いいたします。

 

太古の調和かもしれない……。

マイルス・デイビスと民主主義

 アメリカという国で誕生した「ジャズ」という音楽に、巨大な足跡を残し、大統領さえ一目置く男、世界中で、一番名の知れたミュージシャンだったかもしれない。
それでも、シェリフは、気が向くと待っていて、「止まれ」と命じた。

彼が演奏している音楽は、はじめは混沌のように聴こえ、バンドメンバーが持つそれぞれの意思で、いきなり旋律から遠ざかっていく。
しかし、同じ森の中にいるかのように、そこには一体感がある。
この魅力は何だろう。
現代音楽の苦悩に近いハーモニー(調和)とは出所が違っている。
やすやすと飛び越えてくる。
太古の調和かもしれない……。

(追記)
マイルスの音楽が、畑の中の公民館で、一斉に「解放」される保育士たちの思い出と、いまでも重なる。
彼女たちの「生きる動機」は、それほど変わってはいない。

「制度」や「仕組み」を考える人々の意識の中に、音楽でマイルスが探した道筋が現れてこないことが、私たちを、「母子分離」政策というとんでもなく非人間的な政策と対峙しなければならない状況へ追い込んでいる。