一昔前なら、「禁じ手」

 

幼稚園、保育園で保育者、保護者たちに講演する機会が戻ってきました。

保育士の勉強会や幼稚園教諭の研修会、各園から役員の保護者が集まってくる県大会もあって、園長先生たちと毎週のように意見交換します。

四十年前に私の講演を聴き、ずっと親の保育士体験やってます、という高齢の園長先生に会ったりすると、時間と空間が、子どもたちを通してつながっているようで、嬉しくなります。

講演前後の会食や、前泊しての懇親会に期待している先生たちもいて、その場でさらに突っ込んだ意見と情報分析を求められます。

幼稚園、保育園、こども園、こども園の場合は1号と3号の割合、施設補助をどの程度受けたか、正規職員と非常勤の割合、など、二十年前ならあり得なかった様々な要素が絡み合います。そこにぶら下がりの小規模保育や企業型保育も加わる。

幼稚園の七割がこども園になっている地域もあれば、一つもなっていない市もあります。幼稚園が一つもない自治体もありますし、ほとんどの子どもたちが、公立幼稚園を卒園する市もある。(公立幼稚園は、全国的に見れば絶滅危惧種。親にサービスをしないことによって、親たちの強い絆が育つ。私の好きな形です。無償化で、一気に消えて行きましたが。)

そこへ、いま「保育バブルの崩壊」と言われる状況が起こっている。少子化や、園児の奪い合いによる撤退、損得を賭けた買収、M&Aが起こっている。市場に見切りをつけた廃園も相次ぎ、子ども優先という人間社会の「柱」が置き去りにされ、揺らいでいる。

事情の異なる地域で、現場の状況を考慮せず変更されていく「制度」と、「親たちの意識の変化」、その両方に直面し、方向性を見失っている園長先生、「生き残り」と「いい保育」の板挟みになり、それでもパズルを一生懸命解こうとしている理事長先生たちがいます。

昼食会で女性の園長先生たち、懇親会では主に男性の園長・設置者たち、みたいになることがあって、保育に対する姿勢の違いにちょっと笑ってしまいます。ざっくり言えば、子どもを主体に考えるか、経営者的立場が先に立つか、子育てをテーマに、女性らしさ、男性らしさが現れます。どちらが正しいということではないのです。私はとにかく、園で、親心をどう育むか、ということ、「園を親心のビオトープにしてください」と、お願いする。

子どもと一生付き合っていくのは親たち、その人たちの「子育て」に対する関心が薄れるのが一番怖い。義務教育は、受けきれない。仕組みの中で、密かに、確実に、親たちに「子育て」を返していくこと。幼稚園・保育園でしかできないこと、その大切な役割りについて話します。(「ママがいい!」にそのやり方が書いてあります。園で貸し出したりして、親が理解すると、難しいことではない。)

保育に関わる人たちは、幼児に日々囲まれている人たちで、根っこはいい人たち。混沌から抜け出すには、まず、納得できる目標と、やり甲斐が必要なのです。私は、時空を越えた伝令役となり、情報収集をするのですが、生き残るために保育が「親サービス」になっていくこと、それだけは止めなければいけません。

国は、「こども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)に、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ようにする、と書く。

子どもを預けないと、夢が追いかけられない、人生の幅も狭まる、確かにそうかもしれない。しかし、そんな趣旨を、わざわざ書いて閣議決定すれば、子どもが邪魔者のように思えてくる。そこで政府の思惑通りに母子分離が広まれば、次世代に「夢を託す」という、人間社会に不可欠な「利他」の動機が社会から消えていく。

六割の女性たちが、0、1、2歳を預けようとしないことに、政府も経済学者も苛立っている。だから、こういう失礼な閣議決定をするのです。

しかし、実は、この辺りの誘導、安い労働力を確保するための閣議決定で促される社会全体の意識の変化が、保育の質、小中学校での教員の質を下げていく。

今年、「二人目は無償、そうすれば子どもが輝く」という、意味不明な発言が、都知事の口から飛び出しました。それが、「チルドレンファースト」だという。以前、首相が国会で言った、保育園でもっと預かれば女性が輝く、までは、欲の資本主義の範疇かもしれない。しかし、母子分離で、「子どもが輝く」「チルドレンファースト」と言われると、唖然とするしかない。

この荒唐無稽な論理の飛躍を、マスコミが反問することなく報道してしまうから、「ママがいい!」という子どもたちの必死の願いに日々対峙する保育士たちは、たまらない。

 

公立保育園を抱え、現場と政府の「戦略」の間で板挟みになっている行政の課長や係長が講演会に来ます。先日講演会を主催してくれた園長先生から、メールをいただきました。

「保育課の職員も講演後私のところに来て『素晴らしかったです!時々胸にグサッ!ときましたけど大変勉強になりました』と感想を述べておりました」。

現場と行政が一緒に聞いてくれるとありがたい。そこが心を一つにできないと、いつまで経っても問題は解決しない。

単体の保育園や幼稚園でも、市議や市長を「この講演だけは聴いてほしい」と引っ張ってきてくれる園長先生がいます。園長先生たちは、保護者や卒園児の親たちという票を持っている(感じがする)ので、選挙が近いと政治家は結構来ます。市長が来ると、一緒に教育長や福祉部長が来たりします。

親たち、保育者、行政、議員、市長、みんなで一緒に聴いて、その地域で「子どもたちのために」心を一つにして欲しいのです。

大きな大会では、知事や市長と控え室で話す機会があります。

そんな時は、義務教育の将来が、「今、保育施策で何をするかに掛かっています」と危機感を伝えます。園長先生たちが前もって「ママがいい!」を渡してくれていたり、レクチャーしていて、私の講演会に顔を出す首長は、すでに保育の重要性に気づいています。

 

「保育バブルの崩壊」は、不動産バブルや介護保険の時と違い学級崩壊につながります。児童虐待や、児童養護施設、学童、特別支援学級の混迷と混沌にも直結する。だからこそ、保育界に必要なのは、何より、その安定性だった。それが、政府の思惑や、母子分離によって生じる利権争いを絡め、失われている。

その中心に、

「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」(「日本再興戦略」:平成二十五年六月十四日閣議決定)という閣議決定があった。

都市部では0歳児に、すでに欠員が出て、地方では、幼稚園はもとより、保育園でも定員割れが起こり、(政府の母子分離政策が主導している)少子化は、止まる気配を見せない。募集すれば園児が集まる園でも、いい保育士が揃わないという理由で定員を減らしたり、精神的に持たない、と廃園を模索する園が出始めている。

良くない保育士を一人雇うことが致命傷になることがある。保育とはそういうもの。信頼関係や、ゆとりを失ったら「いい保育」はできないのです。

人員不足は、学校でも切迫した問題になっていて、役場も事情は理解する。「いい保育士が見つかりません」と言えば、受け入れるしかない。

人生における様々な「物差し」が交錯し、混乱している様子を見ていると、ミヒャエル・エンデの書いた「モモ」がふと頭に浮かびます。「時間どろぼう」が暗躍している。

 

「禁じ手」

コロナで講演ができなかった間に、国の母子分離策は進み、保育園はパートで繋いでいい、と規制緩和がされました。常勤の保育士を確保できなくなってきたのです。それを「短時間勤務の保育士の活躍促進」(新子育て安心プラン)と名付けた国のネーミングには呆れます。

一昔前なら、「禁じ手」だった。

幼児期、特に長時間預けられた三歳未満児は、誰と愛着関係を結ぶのがいいのか、保育士でいいのか、そうだとしても「一対三の担当制がいいか、三対九の複数担任制がいいか」、不完全な仕組みが宿命として抱えた、子どもたちの将来に影響する永遠の課題だったのです。そうした親身な悩み、心遣いを、国は「短時間勤務保育士の活躍促進」と言って、簡単に踏みにじる。一億総活躍もそうですが、この人たちは「活躍」という言葉で誤魔化す。矛盾だらけの「安い労働力確保のための政策」を押し通す。専門家会議に出ているはずの保育学者たちは、一体何をやっているんだ、と腹が立ちます。

一方で、長く、多く、預かる街が「子育てしやすい街」という図式が受け入れられていく。子ども好きの保育士からすれば、「子育て放棄しやすい街」に見える。その矛盾が学級崩壊やいじめ、教師の質の低下に連鎖し、すでに限界を超えているのに、気づかないのか、気づこうとしないのか。

首長の選挙対策と、正義を装い、親の利便性を守ろうとしてきた報道を介して、母子分離という形の「福祉」が利権として定着していった。

「ママがいい!」という、幼児たちの願いを根こそぎ、無視しておいて、「子ども真ん中」と言うのは、もう辞めてほしい。

 

(『ママがいい!』Amazonジャンル1位に復活しました、と、出版社グッドブックスの良本編集長から、Facebookに報告がありました。http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=4793

じわじわと読まれている。口コミとSNSが頼りです。今、なるべく多くの人に読んでもらいたい。気づいてほしい。拡散、どうぞ、よろしくお願いいたします。)

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまで、どうぞ。(#ママがいい)

『ママがいい!』Amazonジャンル1位に復活しました。

出版してくれたグッドブックスの良本編集長から、Facebookに投稿がありました。じわじわと読まれている。口コミとSNSが頼りです。今、なるべく多くの人に読んでもらいたい。どうぞ、よろしくお願いします。

 

(良本さんのメール)

松居和著『ママがいい!』Amazonジャンル1位に復活しました。

2位の『親といるとなぜか苦しい』は世界で売れている本で、高い壁になっていましたが、ついに抜きました!!(一時的かもしれませんが)。

『親といるとなぜか苦しい』はずっと注目してきた岡田尊司さんが監訳されていて、もちろん買いましたが、タイトルだけを見ると『ママがいい!』と相反する内容のようで、じつは相関関係にある本です。

愛着形成がうまくなされなかった親子に生じた悲劇をうたった本は最近多く見られるようになってきましたが、『ママがいい!』はその根っこの部分が壊されようとしていることを問題提起しています。

『親がいるとなぜか苦しい』は翻訳物なので、日本の現状と合わない部分もあり、まだ日本はそこまで壊れていないと感じるのですが、このままいけば、欧米に追随してしまうと思います。

今日もどなたかが『ママがいい!』を手にしてくださっていることを想像すると、本当にありがたいことです。

 

 

アフリカ経由、縄文時代から日本へ

「この動画、見て下さい。

日本人がいかに素晴らしかったのか。取り戻していきたい事、保育に繋がる事がみえてきます。 https://youtu.be/k1zx_VpUfcQ縄文時代の日本の文化がアフリカの奥地に伝わっていた!

というメールをフェイスブックにいただきました。保育関係者は、乳幼児と関わっている人が多いので、この種類の伝言、伝承に敏感です。

真実のメッセージに溢れている。お薦めです。

日本の青年がアフリカに行って、ブンジュ村で部族のシャーマンから「日本はすごい国だ。たくさんのことを学んだ」と感謝される話なのですが、シャーマンが言う日本が、縄文時代の日本なんですね。こういう時空を越えた人間のコミュニケーション能力って、すごいですね。感動します。ほとんど、「だいくとおにろく」とか「わにわに」、「モモ」の世界です。

文化人類学者なら、たぶん驚かない。(原ひろこさんなら驚かない。)普通の学者だったら、エビデンスがあるのか、とか、絶対馬鹿げたことを言って反論すると思いますね。学問、学者、大学、資格、というものは、ブンジュ村の真実から遠ざかっていくようで、本当に厄介です。

このアフリカに行った、ペンキで絵を描く青年は、大学の保育科で教えることはないはず。しかし、アインシュタインは、情報は知識ではない、体験が知識だ、と言ったんです。こういう人ほど、全国すべての保育科で教えてほしいと思います。

有名大学で保育科の教授が、「なるべく母親が育てたほうがいい」と答案に書いた学生に、勉強不足と言い、不合格にする時代になっている。この国が立ち直るきっかけを、学者が潰している。

なんで、こんなことになってしまったのか。大学という仕組みが市場原理に取り込まれたためか、利害関係が複雑なのか、様々な次元の損得勘定が働いて、本当のことが見えなくなっているのです。「ママがいい!」と言う幼児の願いが、動機としては一番純粋で、利他の心で社会を満たすもの、と気づけばいいだけのこと、なのですが。

動画は、アフリカのブンジュ村のシャーマン、そこへ出掛けて行ったペンキで絵を描く日本の青年、この動画のことを私に教えてくれた保育者経由で伝わってきた、縄文時代の日本人からの「伝言」です。

 

「諦める、ということは、いまから真の休息が来るということ」

「日没になって、真っ暗になったら、全ての仕事を諦めなければならないから」

「この世には、諦める時間が来ることの幸せがある」

「諦めることを知らない親に育てられた子どもは、諦められなくなる」

 

いいなあ、こういう伝言。

村長、すごい。縄文時代の日本人に習った、と言って感謝しているところが、真実味があっていい。

虫と会話ができる民族は、日本人とポリネシア人だけだそうです。この辺りの話も、尺八奏者でもある私にはとてもよくわかるんですね。

(十一月十日、渋谷のライブハウスJzBratで、塩入さん、ノブくん、菅原さんと、また演奏します。ぜひ、予定帖に書き込んでおいてください。大田区私立幼稚園連合会の皆様、保護者の皆様、ご心配なさらずに、演奏の方は、夜です。)

早速、いく人かの友人に知らせたら、子育て関係者、絶賛です。幼児たちと毎日会話を重ねている人たち、幼児の時間を大切にしている人たちは、こういう真実を、直感的に理解するんですね。「エビデンス」なんて言葉に縛りつけられて、身動きができなくなっていない。(「自然治癒力」は、あちこちに形を変えて存在している http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=4381 )

児童養護施設で、最前線で頑張っている友人から、こんなメッセージがきました。

ありがとうございます。

日々の忙しさのなかで、見失いかけていたものに気付きました。

笑顔を忘れた職員と

笑顔が消えた子どもたち

魂がすり減っていく音が聞こえてきます。

でも、明日も歩き続けます。

そこに子どもたちがいる限り。

タンザニアの村のお話しを寝る前にしてあげようと思います。

 

 

思い出すこと。日本の記憶

 思い出すこと

 

希枝ちゃんのお通夜には数百人の人たちが集まってきたのです。家族が知り得なかった、希枝ちゃんの人生がそこに現れた。

希枝ちゃんは私の教え子で、授業の後、暗くなるまで残って食い下がってくる学生の一人でした。卒業してからも時々会いました。保育士を辞めて病気になってしまって、私は、山から汲んできた力のあると言わる水を届けました。でも、彼女は逝ってしまった。

家族に頼まれ、告別式で一曲手向けました。彼女は、私の演奏が好きだったから。

いつまでも続く、葬儀屋さんが慌てるほどの長い静かな行列になりました。仕事から駆けつけた人、子どもの手をひく母親。子どもたちの中には、制服姿の子もいました。

あの、優しいけど、頼りになる笑顔で、希枝ちゃんはすごいことをしたんだな、と思いました。

子育ては、オロオロしながらやるもの。みんなでオロオロすれば、社会が出来上がる。そんな流れの中で、希枝ちゃんは、いつも変わらず、みんなを園に迎え入れていたにちがいない。

自然な、静かだけど強い、その姿が、みんなを安心させたのでしょう。この人は、いつでも親身になってくれる。

あの人が、あそこに、ああして立っているんだから、私たちは、だいじょうぶ。

私も、時々、思い出して、会いたいなぁ、と思うのです。

 

日本の記憶

日本の保育は、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=1047 に描かれる、子どもを泣かせないこの国の伝統と土壌から生まれた、世界で唯一無二のもの。

この国の良心、文化や伝統に根付いた「生きる動機」が、最もいい形で発揮された領域。そこに私の教え子が一人立っています。

欧米先進国とは「子育て」に対する視点が元々違うのです。

百五十年前に日本に来た欧米人が書き残した文章を、「逝きし世の面影」を介して読むと、欧米は、子育てを、かなりな部分、教育と重ね合わせ、将来の「戦力」を育てる意識で見ているような気がする。それに対し、日本人は、子どもを崇拝する、歓ぶ。インドや中国をすでに見た欧米人が、そのやり方、子どもの「扱い方」に衝撃を受け、「パラダイス」と呼ぶのです。

第十章だけでも読んでほしい。そして、欧米的な教育論、学問によって私たちが何を失おうとしているか、考えてほしいのです。

「逝きし世の面影」:第十章「子どもの楽園」から」

 

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838~1925)』

 

『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている…(バード)』

 

『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』

 

『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』

『私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない(ムンツィンガー)』

『「日本人の生活の絵のような美しさを大いに増している」のは「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである。(チェンバレン)』

『日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ』。

『日本人が子どもを叱ったり罰したりしないというのは実は、少なくとも十六世紀以来のことであったらしい。十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、主として長崎に住んでいたイスパニア商人アビラ・ヒロンはこう述べている。「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである。』

『ワーグナー著の「日本のユーモア」でも「子供たちの主たる運動場は街上である。・・・子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する。彼らは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担った運搬夫が、独楽(こま)を踏んだり、羽根突き遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸をみだしたりしないために、少しのまわり路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や駆者を絶望させうるような落ち着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する。」ブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたいろいろな形の凧を揚げており、馬がそれを怖がるので馬の乗り手には大変迷惑である。親たちは子供が自由に飛び回るのにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が乳母の足下で子供を両腕で抱き上げ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」こういう情景は明治二十年代になっても普通であったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを抱き上げながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ。』

(ここから私です。)

子どもの扱い方で、その国の性質、本当の姿が見えてくるのだと思います。ここに挙げた「記録」は、私たちの中に文化的「記憶」として残っている。それゆえに価値がある。これだけ一律に欧米人が驚きを持って、それを(私たちに)伝えようとしています。

日本人の子どもの可愛がり方は、尋常ではない、それが「事実」であり、ある国で、人類がたどり着いた極上の「調和」だった。

その伝統が、まだ残っているから、私は、人類の宝ともいえる「そのやり方」を、政府が母子分離施策で根こそぎ刈り取っていくのを見ているのに耐えられないのです。一言でも「愛国心」を言う政治家は、まずこの国の本質と役割を愛することから始めてほしい。

「逝きし世の面影」の中に、日本人の男、夏と冬という絵があって、夏の男はふんどし姿で子どもを抱き、冬の男は着物姿で子どもを抱いている。政治家たちも、頻繁に子どもを抱っこしてほしい。そうすることで、本当の日本の男になってほしい。

それからでしょう、「愛国心」について語るのは。

 

 

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。よろしくお願いいたします。子どもたちは、可愛がってもらいたいのに、繰り返し裏切られて、大人を信じなくなっている。児童養護施設の荒れ方を知ると、最後の堰が切れようとしているのがわかる。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみてください。)

 

一杯のお茶

一杯のお茶

ずっと以前、8時間保育が11時間開所になった頃、保育士たちがみんなで一緒にお茶を飲む時間がなくなったことを嘆いた園長先生がいました。長野県の公立園で親たちに講演し、職員室に座って、先生が漬けた野沢菜をつついていた私に、空になった園庭を眺めながら、園長先生が呟いたのです。

「保育が終わって、みんなで静かにお茶を飲む時間がなくなったんですよ」と。

一瞬、時間が止まったように感じました。

「Feel it!」と、誰かが私に囁きました。

公立園は職員の異動があり、園長先生には定年がある。六十歳は、本当に早すぎますね。

私立園とは、ずいぶん違った仕組みです。それでも、保育は子育て、大人たちが日々、心を一つにしなければやっていけない。情報を交換し、ときに愚痴をこぼし、慰めあう。ホッとして、感謝し、静けさを分かち合う。そういう時間が、とても大切なのです。家庭から伝わってくる喜びや悲しみを話し合い、噛み締めて、子どもたちの毎日を、できるかぎり笑顔で満ちたものにしていく。

繰り返し、繰り返し、「その日のうちに」みんなで祝わなければ、保育は、その形(かたち)を失ってしまう。

私に、そう教えてくれたのは、祖母のような園長先生たちでした。全員、女性でした。

(先日、高野山保育連盟の集まりで南紀白浜で講演した時、藤岡佐規子先生が亡くなられたことを聞きました。保育士会の会長もされ、国と渡り合うことができる、すごい方でした。二十年以上前に、「話したいだけ、話してください」と、講演時間を4時間用意してくださったことがありました。

先生の記事があります。

 「無償の愛が必要なときに愛されないと、人は育たない」https://www.asubaru.or.jp/92288.html 

ぜひ、読んでみてください。

横浜の瀬谷愛児園の九十歳で現役だった尾崎千代先生もそうでした。私のことをあちこちで推薦して下さり、「いいのがいる」。「どんな先生ですか?」という質問に、「先生じゃないんだよ。いいのがいるんだよ」と言ってくれました。

この世代の女性園長たちは戦争を体験し、戦後すぐ、女性解放を目指して、働く女性のために立ち上がった人たちです。女性の教員の産休が三ヶ月で、それでは辞めざるを得ない、という仕組みに決起した人生です。その人たちが、一つの苦言に行き着くのです。

「もしも、保育園や保育士が親の代行業になってしまえば、子どもにとってこれほど不幸なことはない。子どもがいちばん求めているのは親であり、親の無条件の愛、無償の愛が必要な乳幼児期に愛されないと、人は育たないんです」(藤岡佐規子先生)

国の母子分離政策に引き込まれた親たちの意識の変化が、これほど子どもたちに寂しい思いをさせ、急速に保育界を疲弊させるとは、戦後の民主主義に女性の自立、地位向上を重ね、夢見た人たちには驚きだったのでしょう。

前回のブログに書きました

 「働く女性を助けようとする人たちと、働く女性を増やそうとする人たちとでは、その動機があまりにも違う」

藤岡先生や尾崎先生の晩年の葛藤を思い出して書いたのです。自分たちは利用されたのではないか、という忸怩たる思いがあった。この人たちの精神が、おひとり様の女性学や、保育をビジネスチャンスと宣伝する連中に汚されるのは耐えられない。

私は、矛盾と葛藤を背負った女性園長たちの、厳しい目を常に意識し、そのエネルギーとその視点に仕込まれ、守られているつもりです。

「藤岡先生、『ママがいい!』という本を出しました。7冊目になります。大変です!」と心の中で報告しました。)

(福島の上石先生、新潟の長尾先生、島根の三加茂先生、奈良の竹村先生、はとり幼稚園の石川先生、千葉の御園先生ほか、道祖神園長の皆様。まだ、諦めませんから。😀)

 

保育施策を経済のために考え、操作している人たちは、保育園という仕組みが、どうやって整っていくか知らない。幼児を育てることは、同じ「福祉」でも介護とは違う。人数や予算、学問や手法で子どもたちの信頼を勝ち取ることはできない。「11時間保育を標準とする」など、あまりにも馬鹿げている。それを、政府や行政は、ただ、

「シフトを組めばいい」と言った。

その瞬間に、この国の大切な心臓部に近いところに亀裂が入ったことを、彼らは知らない。

 

千利休は、一杯のお茶で、人間社会(宇宙)がどう整っていくか理解し、人生を作法に昇華して権力にさえ立ち向かいました。

損得から離れることで権力と対峙する、日本の文化の象徴的存在でしょう。

その人からつながってきた「作法」が、保育園の職員室で受け継がれ、確かに生きていた。その伝統が、経済界の都合、政治家の選挙対策によって壊されていった。

「この人に預ける」が、「この場所に預ける」になり、「共に育てる」という保育の本質が失われ、仕組みが形骸化していった。

親子の双方向への体験が土台となって、人生が支えられるように、幼稚園や保育園は、本来、卒園児と卒園児の親たちの思い出の中に永遠に建ち続けるものでした。それが、「保育は成長産業」という「閣議決定」の中に消えていったのです。

日本の保育は、「逝きし世の面影」http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=1047 に描かれる、子どもを泣かせないこの国の伝統と土壌から生まれた、世界で唯一無二のもの。この国の良心が、最もいい形で発揮された領域。子どもの存在を賛美する。「女性らしさ」が領域を支配し、年配への敬意が家長制度のように機能していた。そこに行けば、いい「日本」が見えた。男たちも、行事や儀式をきっかけに引き入れられ、自分の「優しさ」を取り戻すことができた。

保育は、心でするもの。

その教えを、利他の心と、幼児に向き合い心を一つにする「作法」が支えてきた。私が招き入れられた、多くの園ではそうでした。給食のおばさんたちにまで、その姿勢が行き届いていました。

乳児への声かけ一つに親身さが欠けていれば、保育室は突然その色彩を失います。人間社会のモラルや秩序の土台となる動機の伝承が、保育園の職員室で行われないと、保育はその心、「母性」をつないではいけない。この伝承に、みんなで静かに飲む「一杯のお茶」が、大切な役割を果たしていたのです。

 

「幼稚園、保育園を、親心(利他の心)のビオトープに」と、私は講演して歩きます。

それが出来ている園が残っているうちに、親たちが、そういう幼稚園、保育園を選び、大切にしてほしいと思います。祖母の心で親たちを見張っている園長先生たち、その遺志を受け継いでいる保育者たちに感謝し、その人たちを守って、次の世代に渡してほしい。

卒園してからも園児たちとの縁を大切にし、園が一家の故郷(ふるさと)になっている園があります。成人式の日には、晴れ着姿の卒園児たちが、親たちと嬉しそうに集まってくる。その子たちを世話したベテラン保育士たちがまだ残っていて、またはその日園長に呼び出されて、涙を流す。そんな故郷(ふるさと)を手に入れた家族の人生は、彩り豊かで、確かなものになるのです。

日本の保育の伝統を守るのは「親たち」なのです。よろしくお願いします。

保育がその魂を取り戻せば、この国はまだまだ輝き続けるはず。

一杯のお茶、が大事な役割を果たしていた、という園長先生の教えが、蘇えってくることを祈ります。

(コロナが明け、幼稚園、保育園での講演が増えました。二年以上中止になっていたので、親たちを巻き込む「行事」、親たち自身の伝承でビオトープのように回っていた催しを復活させるのは、なかなか大変です。講演をきっかけに、もう一度エンジンをかけ直そう、と呼ばれる。十五年ぶり、二十年ぶりの「師匠」「同志」との懐かしい「再会」があります。

保育の草創期に、「祖母の心」が保育界を支配していた頃の「言い伝え」「教え」をつないでいかなければならない。

録画してもらい、来なかった人たちに回覧してもらい、園のホームページに上げてもらいます。

園長先生たちの尽力で、近隣園の保育者や役場の人、助産師さん、校長先生、理事長の説得で、市長や教育長が来てくれたりする。先日は、知事も大会に来てくれました。控え室で話をし、本を渡します。読みます、と言ってくれました。

「ママがいい!」という、子どもの気持ちを優先すれば、様々な仕組みが再び整ってくる。

幼稚園、保育園が主導する、親心のビオトープは一度回り出せば大丈夫。人間が幸せに成りたい、と思う気持ちが原動力になって、年長さんの親から、年中さん、年少さんの親へと伝承され、回り続けるのです。その作り方、を実例を挙げて「ママがいい!」に書きました。子育て支援センターや、学童、放課後子ども教室や学習塾でも、ビオトープは作れます。親たちがそこで一生の相談相手を見つければ、それが社会の土台となっていきます。

お互いの子どもの小さい頃を知っている、それが「安心の最小単位」なのです。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。小学校のPTAからも依頼が入りますが、感想文に、十年前にこの話を聴いていたら、とよく書かれます。)

 

俊先生に描いてもらった「とら」。

第十章「子どもの楽園」だけでも、読んでほしい。本当の日本が見えてくる。