インタビュー、第五弾がアップされました

新刊「ママがいい!」に付随するインタビュー、第五弾がアップされました。https://good-books.co.jp/blog/blogs/2862/

三十五年間、年に60本くらい講演に行き、師や同志となる園長先生、保育士たちに出会い、役場の人たちと腹を割って話し合ってきたのですから、二時間の講演では話しきれない、本に書ききれないエピソードがたくさんあります。講演後の懇親会や夕食会が、しばしば地元料理を挟んでの質疑応答、お酒が入った意見交換会になる。それを楽しみにしている人たちも多い。

インタビューという形式で、徒然に、色々残しておくことにしました。

(第五弾からの一部です)

──松居さんは講演会に呼ばれる機会が多いようですね。

 

子ども・子育て支援新制度が始まった年は、全国で100回以上講演に呼ばれました。

保育士会の勉強会では、子ども優先の物語をもう一度聴いておきたい、保育の原点の再確認ということもあるのですが、異動してきた新しい課長に現状を知らせるのが私の役割だったりするんです。

 

──新しい課長に現場の現状を知らせる。面白い役回りですね。

 

講演の前に課長が挨拶に来ます。

そこでまず、「今度の新制度、絶対にできるわけがない、ということはわかりますよね」と訊くんです。

課長は一瞬びっくりして、

「でも、国のやっていることだからそんなことはないと思っていたのですが、どうやればできるんだろうか、仕組みとして成り立つんだろうか、と不思議だったんです」と言う。

 

こういう素直で正直な人だから、園長たちも私と会わせたのだと思います。園長たちは、私の周りに立って、必死に頷くんです。その人たちの人柄を見れば、誰がいちばん子どもたちの側にいるかは一目瞭然ですから、課長も真剣に聴いていました。

 

──現場の感覚と国の施策に大きなズレが生じている。

 

そのあとの講演会で、みなの心が一つになるんです。指針が定まると有意義な集まりになる。そこに福祉部長や教育長とか、場合によっては市長がいたりすると話は本当に早いんです。

 

でも、そんな市単位で取り組めば持ちこたえられた状況も、保育者は3分の1が無資格でいい、パートで繋いでもいい、11時間保育を標準とする、という国の矢継ぎ早な施策によって、どんどん崩されている。いい方向に進んでいても、住民が変な市長を選んだら、一巻の終わり。元の木阿弥です。

民主主義というのはそんなものだ、と言えばそうなんですけど、がっかりしますね。

 

祖母の思い出

先日、何かで読んだんです。保育の「専門家」が、「3歳くらいの子どもにみかんの皮を剥いてやっている母親を見た。なぜ、剥きかたを教えてやらないのだ。親は、甘やかすからダメなんだ。保育園に行っていればちゃんと剥けるようになっている」と言う。

本当に腹が立ちます。

保育や経済の「専門家」たちによって、子育てと教育の混同が始まり、子育てに正解があるような気がして親たちが親心を失っていく。子どもたち、保育士、そして教師の順に追い詰められている現状を目の当たりにしている私は、些細に思えるこういう種類の言葉に敏感になっているのです。

その人がそういう考え方をするのはいい。でも、「専門家」のフリをして、正しいことのように言う。すると、人間たちが、親としての幸福感を忘れていく。厚労大臣が「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言い、経済財政諮問会議の座長が「0歳児は寝たきりなんだから」と言う。それに誰も疑問を持たなくなる。

私の祖母は、私が中学生になってもよくみかんの皮を剥いてくれました。ていねいに綺麗に剥いて、スジまでとって、両手の中でクルクルと回してから、「おたべ」と言って手渡すんです。

もちろん私はその頃みかんの皮が剥けるようになっていました。中学生ですから。でも、祖母が剥いてくれるのをじっと待っていたことが祖母の思い出の中で一番よく憶えているんです。祖母が、とても嬉しそうだったんです。それが私には、嬉しかったんです。

みかんの皮は剥いてもらっていいんです。

 

 

こんな幼稚園は地域の宝。黙っていても地域に絆を生み出します。学校を縁の下で支えます。

「公立幼稚園」は私が好きな形だった。それが無償化で都市部では入園希望者が突然十分の一になり、選択肢のある自治体では一気に廃園に追い込まれている。たった三カ月で、自然に親が育ち、絆が育つ仕組みが壊されていく。
数年前に次のような文章を書いた。

長年地域に根付き、思い出や絆を作ってきた「公立幼稚園」をなくそうとする市長がいます。反対する母親たちから相談にのってほしいと言われ、広島で講演したあと、神戸で会いました。(神戸の市長の話ではありません。)

「公立幼稚園は親にサービスしないから親が育ちます。助け合わなくてはならないので、絆も育つ。もともと二年保育が多いし、このあたりでは二十年前、私立幼稚園の経営を邪魔してはいけないという主旨で、一年保育がありましたよ」と私は、始めに言いました。親たちの民営化反対の意図がどこにあるのか、探ってみたのです。

公立幼稚園は送迎バスもない。給食も、預かり保育もない。保育料は安いのですが、親たちは助け合うしかない、補い合うしかない。「いいですよねえ」と言うと、目を輝かせて、「そうなんです、何もしてくれないんです。しかも、行事や役員など色々押し付けられるんです。そういう園が、私たちは好きなんです。心が一つになるんです」とお母さんたち。ああ、この人たちはわかっている。ちゃんと育っている。こんな幼稚園は地域の宝。黙っていても地域に絆を生み出します。学校を縁の下で支えます。

こういう園の運動会は、部族的で、村社会的で、賑やかで、親身で、公立ですから障害を持っている園児がいたりして、そうすると、みんなで涙を流して応援する。こういう園は、一度失ったら再生不可能な親心のビオトープ、エコシステムなのです。

日本中すべての幼稚園・保育園がこんな感じだったら、私たちはもう一度、あの『逝きし世の面影』(渡辺京二著)の「子どもの楽園」(後述)の章に出て来る本当の日本、百五十年前に欧米人が書き残した「パラダイス」を体験できるのでしょう。それを民営化、こども園化して市長が壊そうとする。目先の選挙のことだけ考えているのでしょうか。

「市長は、こども園のほうが長く預けられるし、無料になるんだ、と言うんです。私達はそんなこと望んでいないのに」と静かに怒る母親たち。「こども園だと無料で、幼稚園だと有料になるんですか?」と私に訊く。

「そんなことはないですね。そこまで嘘を言って民営化を進めたがるには何か別に理由があるはずです」と答える。

聴けば公立幼稚園の職員はすでに六割が非正規雇用化されている。財政も特別悪そうではない。地方の場合、こういう時は、背後に利権がらみの癒着があったりする。そうなると「子どもの最善の利益」などという言葉は通用しない。

ほとんどの自治体で政府の施策によって保育が危険な状況にさらされている中で、公立幼稚園が十園まとまって親を鍛えながら、これだけ親に支持されているのは奇跡かもしれない、というようなお話しをしました。(後略)

 

文科省、無資格でもいい、と全国に緊急で通知

 

「新年度も各地で厳しい『教員不足』の状況が発生しているとして、文部科学省は教員免許がなくても知識や経験がある社会人を採用できる制度を積極的に活用するよう全国に緊急で通知しました。」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220421/k10013592721000.html

あっという間でした。

保育士の三分の一が無資格でいい、パートで繋いでも構わない、と言うなら、学校もそれでやってみるといい、と本に書いたのです。そうしたら本当にそうなってしまった。なるだろうな、とは思っていました。

一番問題なのは、文科省が「全国に緊急で通知しました」と言っているところかもしれない。

予測できたでしょう、こんなことは。

この状況は、「発生している」のではなくて、政府によって作られたものでしょう。

新刊「ママがいい!」にこう書きました。

「受け皿を増やすことで合計特殊出生率は上がらず、むしろ過去最低を更新した。その事実からどう目を背けられるのか。保育施策はただの選挙対策なのか。待機児童解消を優先し、「子育て安心プラン」という本末転倒な名前を付け、「子どもたちの安心」を犠牲にした規制緩和が次々に進められている。保育現場に無資格者を入れ、わけのわからない付け焼刃の「資格」 をつくり、利益を求める素人の保育事業参加を促した。その結果、保育現場の混沌と愛着障害が深刻化し、義務教育の維持が困難になっている。」

最近、こんな記事もありました。

「児童虐待最多の10万8050人、コロナで潜在化の恐れ…「家にいるしかなく親の暴力ひどくなった:読売新聞2022/02/03」

子どもと一緒にいるとイライラする親がえているのです。

それを学校の教師に押し付けても、解決にはならない。しかも、今の応募倍率では教師の質は保てないのです。

保育課の熱血係長が四面楚歌に

「ママがいい!」の出版社のHPにインタビューの続きがアップされました。

『ママがいい!』著者 松居和さんに聞く④欧米の悲劇・日本の奇跡

本では書ききれなかった風景や、エピソードを語っています。加筆、修正もしていますが、インタビューだから言えたような部分もあります。ぜひ、読んでみてください。以下は、その一部です。

◆保育課の熱血係長が四面楚歌に

最近の保育施策を「ドロ舟」と言い切った女性の係長がいました。

──ドロ舟ですか。いつ沈むとも知れないほど危ういのが今の保育政策だと。

もう沈みかけている、と言うニュアンスですね。彼女は、虐待が疑われる家の前に車を止めて張り込むような烈女でした。

公立保育園の多い市で、いわゆる児相マター(児童相談所案件)が急増し、それにもう対応できないんです。限界を超えている。

すると、保育園が児相と仮児童養護施設みたいな役割を押し付けられる。でも、保育士不足による質の低下が同時に起こっているので、どうしようもない。そんな仕組みの中にいる自分が辛いし、腹が立つんですね。怒っているか、泣いているか、そんな人でした。

本人もシングルマザーで苦労してきた人でしたが、長時間預けることに躊躇しない親たちが、家庭崩壊、虐待へと進んでいく道筋が見えてしまうんです。

そこは、外国人の親も多い市で、みんな綺麗事ばかり言うんですが、予算もないし人材不足で、子どもが守れず、彼女は四面楚歌になっていました。

子どものために動こうとすれば、誰かから白い目で見られる、役場の中でも、なに一人でいいカッコしているんだよ、という感じなんですね。

ーーーーーーー中略ーーーーーーーーー

当時から、野党も与党も少子化対策として「待機児童をなくします」と言っていた。保育園での0歳児1歳児からの長時間預かりを進めていたんですよ。「子ども・子育て新システム」が、三党合意で「子ども・子育て支援新制度」と名前を変えて受け継がれていった。

その結果、ますます少子化は加速したんです。

これだけ子育ては損な役割り、みたいな宣伝をしたら、そうなりますよ。

にも関わらず、少子化によって日本の経済が悪くなっていくことこそが国家的な危機なのだ、と今になって言うんです。政府が加速させた少子化は、もう止まりませんよ。いくら対応策を考えても、最近の度重なる規制緩和を見ていると、政治家と学者がこの国の首を絞めているようなものです。

子どもが減ろうと、経済が悪くなろうと、まず乳幼児の願いを想像する、という原点に立ち戻るしかないんです。

待機児童の主体は0、1、2歳です。
その子たちは、保育園に入りたいなぁ、入りたいなぁ、と順番を待ってはいないんです。「ママがいい!」と叫ぶんです。

私はそういう議員に、4月、国じゅうで起こっている慣らし保育のときの叫び声「ママがいい!」を聞け、と言いたかった。

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(インタビュー時の動画の一部です。)