待たない園長先生の話

一冊前の本「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」に、書いた話です。

 

「 待たない園長先生の話」

 

幼稚園をやっていた園長先生が、役場に頼まれ、保育園を一つ引き受けました。県議会議員もやっているので、行政の方針には協力しようと思ったのです。

引き受けた保育園は、まったく行事をしない、親の言いなりになってきた保育園でした。非正規と四時間のパートでつないできたような保育園です。

園長先生は、そういう保育に慣れて気の抜けてしまった保育士を入れ替えました。そして、幼稚園では必ずやっていた「潮干狩りの親子バス遠足」をやることにしました。

さあ、大変。ほとんどの親が反対です。行事なんてやったことがないのです。園長の言う事を聴くなんて経験がない。結束してボイコットしようとしました。最近の親たちは、時々こういうことで団結するのです。子どものためではなく、自分の権利(利権?)のために。

自分たちの保育園が、新しい園長先生の保育園になってゆくのが嫌なのでしょう。許せないのです。

「なんでバスで行かなければならないのか、自家用車で行きたい」と言う親がいました。

園長先生は「だめです。みんなでバスで行くのです」

「じゃあ、行きません」

もう、子どもの遠足なのか親の遠足なのか本末転倒、むちゃくちゃです。

参加者が半分に満たなかったために、最初の年、園長先生はバス代をずいぶん損したそうです。でも、そんなことではめげません。親たちに宣言します。

「私は絶対に変わらない。それだけは言っておきます。あなたたちが変わるしかない」

わずか三年で、親子遠足全員参加の保育園になりました。親も楽しそうな、子どものための保育園になりました。

色んな園長先生や設置者がいます。

私は、四十年、講演をしたり本を書いたりしていますが、どちらかと言えば、保育園側に師匠(女性園長・主任)が多く、それは保育園の方が親子関係というテーマでは最前線で、日々鍛えられ、乳幼児とつきあうことによって直感的な答えを持っている人が多いからだと思います。

そういう人たちは、子どもではなく、親子を見る。本能的に母親の顔を見分け、見抜き、子どもの異常を察して、家庭に踏み込んでゆきます。

その人たちの使命感、子ども優先で考える勇気が、どれだけたくさんの親子の人生を変えてきたか。一緒に育てているんだ、と家庭に踏み込んでゆく園長や主任の姿が、いかにこの国を支えてきたか、私は知っています。その地域の番人のようなあの園長に救われた、という話をたくさん聴いたのです。

しかし今、豊かさの中で、または、豊かさを求めようとする中で、節度を失った親たちが、そして、保育をサービス産業と見なす政治家たちが、その人たちを崖っぷちに追い詰めている。

子どもが活き活きすると、事故が起きる可能性が高くなる、と言う園長の、「声を掛けない保育、抱っこしない保育」の話をすると、その人たちは黙って悲しそうな顔をするのです。

なぜ、みんな保育を真剣に考えないのだろう、と心底がっかりするのです。

この人たちがいるうちに、流れを変えないと、学校が持たない。

最近、流れてくる、不登校児急増、過去最多、少子化であるのも関わらず児童虐待過去最多というニュースを見ていると、いよいよ始まってしまったのか、もう時間がない、と思うのです。

できることはあるのです。

よろしくお願いします。「ママがいい!」、市長や教育長に、ぜひ、薦めてください。

 

 

父親だけ集めて、年に数回酒盛りをさせる幼稚園がある。

父親だけ集めて、年に数回酒盛りをさせる幼稚園がある。

お母さんと子どもたちはいなくてもいい。父親同士が仲良くなることが目的なのだ。

「父親同士が知り合いかもしれない、友だちかもしれないという意識を、子どもたちに持たせることができれば、小学校や中学校でいじめはなくなるんです」と園長先生が断言する。( #ママがいいより )https://good-books.co.jp/books/2590/ 

人類の歴史を振り返れば、子どもたちは、血縁をベースに、部族的つながりというか、お互いの子どもの小さい頃を知っている大人たちに囲まれて育ってきた。親身、という言葉が示すように、「親の身になって考えることができる」、それが常識的な子育ての絆であって、それが子どもたちを守ってきた。

この種類の絆は子供にとっての安心感であると同時に、運命を共にする者たちの、利他の「意識」を育ててきた。

「その感覚」を少しでも取り戻すことが、いまの社会には大切なのだと思う。

 

半数近くの子どもが未婚の母から生まれ、実の両親に育てられる子どもの方が少数になりつつある欧米先進国では不可能な「耕し直し」が、この国ではまだ可能なのだ。そう、私は信じている。全ての幼稚園や保育園で、父親同士、母親同士がなるべく知り合いになるように仕向ける、その努力はできるはず。この国ならできる。やっている園がある。

 

 

(保育はサービス産業ではない。子どもが育っていく、体験の場所なのだ。それを意識しないと、その先にある「学校」が持たない。

不登校の子どもが急増している。その増え方が尋常ではない。幼児期の体験から、大人たち(人類)を信用していない小・中学生が増えている。

専門家はもっと選択肢を作れと言う、そんな机上の空論が通る状況ではない。家庭崩壊を進めておいて、その代替施設をいくら作っても、追いつかない。

教師不足のみならず、保育現場、学童保育、放課後デイ、あらゆる所で、人材が不足している、絆の質が落ちている。「社会で子育て」などという言葉と「人材不足」に振り回されて、若者たちが生きる意欲を失っているのです。信じる力がない、だから優しさや忍耐力が育たない。そして、家族を持とうとしない。 )

 

もちろん、父親が全員友達になれるわけはないのです。

「友だちかもしれない」という意識でいい。その記憶が子どもの思い出の中に残れば、それで未来の社会はずいぶん変わる。「市場原理」や「損得勘定」に飲み込まれない、欧米化しない、唯一の先進国になれると思う。

子どもの頃の一人一人の思い出が、いまの社会をつくっていることを思い出してほしい。その時期を、政府が大事にすればいいだけ。

保育や教育が限界に来ているのと同じ論理で、「経済」や「市場原理」はすでに限界に来ているのだと思います。そこから、少し身を引くことが、この国は可能なのだと思う。人間は、子どもを可愛がっていれば、いい人生を送ることができる。それだけのこと。それが、長い目で見て、経済にもいい影響を及ぼすはず。

保育園の遠足は父親同伴、と決めた園もあった。

利害関係のない友だちの価値に、父親たちが気づく。

バザーで物を売るのは父親、と決めた園もあった。

欧米を見ていても、子育てという最も確かな幸せへの道筋から、踏み外すのは男たちが先です。父親から逃げる。早いうちに、祈ること、幼児の存在に感謝することを教えておけば、母親(社会全体)がもっと楽になる。

 

お泊まり保育は、両親ともに参加、という保育園がありました。二百人近いお泊まり保育になる。

すごいなあ。保育園ですよ、保育園。

そういう、親を育てる園の子どもたちは、落ち着いていて、どこか、ちがっているのです。

大人を信じて育った子どもたちが、学校で、苦労しないといいのになぁ、と思う。

その思いが、近頃、妙に切実になってきて、立て直せるのだろうか、と不安になる。

いい子たちほど、辛い思いをする。

できることはわかっているのに、何をやっているんだ、と、逆方向に進めようとする政府の保育施策に、憤りさえ感じる。繰り返しますが、保育はサービス産業ではない。

 

いまなら、まだできる。難しいことではない。

(「ママがいい!」を読んでほしい。もうすでにやっていることがたくさん書いてあります。)

 

 

チャンネル櫻の討論会に参加しました。

 

チャンネル櫻の討論会に参加しました。

「日本政府はなぜ子供と若者に冷たいのか?」というタイトルで、司会の水島さんが、前もって「ママがいい」を読んでくださっていて、ありがたかったです。

初めてお会いする方々ばかりで、ちょっと心配だったのですが、いい話し合いができたと思います。

知識とか情報ではなく、人間は「体験」に基づいて話し合うと、ちゃんと道筋が見えてくる、みんな同じ遺伝子を持っている、と感じました。

いま様々な分断が、始まっているからこそ、みんなで幼児の存在意義を意識すること、確認することが大切だと思いました。

特に、乳児を意識すると、その子達が喋れないだけに、自分の中にある「遺伝子」が、代わりに話し始める。そこがいいのだと思います。

お時間のある時に、ぜひご覧になってください。(以下のリンクから繋がるはずです。)

 

児童虐待、起こらないようにするにはどうするか。

「先日、先生が三原じゅんこ議員と対談されている動画をYouTubeで発見して、新潟県で幼稚園教諭の養成をされている友人にシェアしましたところ、大変に喜んでおりました。」と、メールをいただきました。

七年前の収録は、よく覚えていますが、ユーチューブに載っていたのは嬉しいです。

児童虐待の増加が、テーマなのですが、起きてからどうするか、ではなく、起こらないようにするにはどうするか、について話しています。

以下のリンクで見ることができます。


 

( #ママがいいより )

男は幼児期の子育てに向かない。理屈っぽいし理想論を言うから、と保育園の園長に言われたことがある。幼児たちに必要なのは、「教育」の対極にある、もっと違う種類の理屈を超えた無償の温もりなのだと言いたかったのだと思う。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著)に描かれた日本の風景を読むと、江戸の終わり、明治の初めはそうではなかった。日本ほど男たちが幼児と一体で楽しそうな国はない、と当時日本に来た欧米人たちが驚きをもってさまざまな書物に書き残す。

 

(いろいろ、書き続けていきます。FB、友達リクエストなど、よろしければ、お友達に勧めてください。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com へどうぞ。 )

「なっちゃん」

 

(いただいた手紙)

 

「なっちゃん」

 

幼稚園の時に、娘は幼稚園から脱走した(笑)

というよりも、脱走させてもらえたんだ。

大学の附属幼稚園で、敷地が広くて、

幼稚園門から出ても、まだ大学構内。

(幼稚園門から大学正門までも大人でも5分ほど)

 

当時の主事が、他の先生に、

なっちゃんを「こっそり」おいかけるように伝えた。

 

途中、大学内の工事のおじさんは、

工「どこいくのー?」

な「おうちに、かえるの」

工「一人で帰るんだね、頑張って!」

って言ったらしい。(娘談)

 

なっちゃんの小さな大冒険。

おじさんの言葉に励まされ?

大学正門まであるいて、

外に出て信号を渡って…

車がびゅんびゅん…

怖くなったんだろうね。

ずんずん歩いてた足が止まったそうだ。

そのタイミングで、後を追ってた先生が

とんとんと背中をたたいて、

 

先「幼稚園かえろっか?」

な「うん。かえる」

ってなったらしい。

・・・

お迎えの時に、その先生と主事が出てきて

「今から今日あった話をお伝えしますが、

決してなっちゃんを怒らないでください」

って言われて、後をつけた先生が、

なっちゃん大冒険のあらましを

ジェスチャー付きで面白おかしく伝えてくれた。

 

(この先生は、園で一番ユーモアある先生で、

深刻にならない、その先生に頼んだのも主事の計らい)

 

その大冒険の日まで、

何度か脱走劇はあったんだけどね、

(それまでは幼稚園門で、捕まってた(笑)

本人の納得いくまで

やり切らせてくれたからか

それ以降、なっちゃんは脱走をやめたんだよね。

 

そんな主事が、

松居和さんの講演を幼稚園で開催して、

松居さんのお話を私は聞いたのでした。

(by 岩下牧子)

――――――――-

 

ありがとうございます。

「なっちゃん」の話、伝えてくれた人。感謝です。

あの幼稚園でなければ、「園と家庭」が信頼関係で結ばれていなければ、起こりえない出来事でしょう。

子どもたちの毎日を包み込む、大人たちの笑顔と温かい眼差しがなければ、生まれないものがたり。

「はじめてのおつかい」に「こんとあき」を足したような空気感が、ああ、こういう社会だったらいいなあ、と思わせる。

最後に私が出てきて、びっくり。そのつながりが、また格別に、嬉しい。沈んでいた気持ちが、生き返ってくる。

物語が、再び。回りだす。

 

(いろいろ、書き続けていきます。友達リクエストを私にくれるように、友達に勧めてください。( #ママがいいより ))

 

「親は常に一年目だった」

 

保育園で、子どもが初めて歩けるようになる。

園長が「親に言っちゃいけないよ。もうすぐですね、って言うんだよ」と担当に注意する。

「そういう特別な瞬間を親が見ていないことに慣れてしまったら、私たちの仕事が親子の不幸に手を貸すことになるんだよ」。

こんな園長に当たった親子は、知らないうちに人生が変わっている。

保育は仕事ではない。そう自分を戒め、境界線の上を綱渡りのように歩いていく保育士たちから私はいろいろ教わった。

慣れてはいけない。その子の「親」ではないのだから。そう言いながら、園長たちは「本当の保育士」を目指していた。子育ては、親の幸せ。

ある園長が、「一年目の保育士にかなう保育士はいない」と言った。

理屈でも、正論でもない。そんな言葉があたり前のように語られていた時代があった。それを伝えていくのは、聞いた者の責任だと思う。

親は常に一年目だった。不安に襲われる時がある。そこで「専門家に任せておけばいいんだ」という心理に動いたら、保育は絶対にそれを受けきれない。

子育てに不安を感じるのは子どもに関心があるから。

いい親だということ。

絆で不安を解消しようとすることが、温かく強い社会をつくってきたのだ。

( #ママがいいより )

ママがいい!~母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ~

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女性園長たちの勉強会で「子どもに関わる」というテーマで話していた時、

女性園長たちの勉強会で「子どもに関わる」というテーマで話していた時、

ある園長が発言した。

「一歳児、二歳児で噛みつく子がいます。そういう時、私は、保育士を一人決めて、あなたは今日一日この子に関わりなさい、と言います。朝から夜まで十時間、その子につきっきりにさせます。他の子のことは考えなくていい、その子だけに集中させる。子どもが嫌がっても、させます。それを一週間、時には二週間。すると、その子が噛みつかなくなるんです」

すぐさま別の園長が、「それが関わりということ! 四歳、五歳じゃ、遅い。一歳、二歳でそれをやんなきゃだめ。昔はこんなことはなかったんだ」

一人が「関わったら」周りに負担が及ぶ。それでも「やんなきゃ」と言う園長がいるうちに、社会全体が 保育の役割の大きさに気づいてほしい。そして、親たちに子育てを返していく準備に入ってほしい。

(「ママがいい!」より)https://good-books.co.jp/books/2590/ 

 

お年寄りが来て園児を眺める「どうぞのいす」を全園に設置した市がある。お年寄りに毎日眺められている、その風景で治まっていくものがある。そういう視点でそれぞれの自治体が現場と心を一つに施策を考えていけば、この国の将来は必ず整っていく。(「ママがいい!」より)https://good-books.co.jp/books/2590/ 

 

横浜市議会で質問に「ママがいい!」が使われました。

横浜市議会議員の山浦英太さんが、議会の質問で「ママがいい!」を使って、市長に読むように言ってくれました。市長の分も購入し、渡してくれました。

市長も、読みます、と言ったそうです。

これは、本当にありがたい。

市単位なのです、保育施策が動くのは。それほど、地域によって、状況や環境が違う。

本を読んで、異論があってもいいのです。保育の質の低下が、学校教育に影響を及ぼし、教員不足が、もう待ったなしの状況になっている、その理由の一つに、就学前の長時間保育があって、それがどういう動機で国によって進められてきたか、を理解してもらえれば、流れが変わってくる、その可能性はあると思います。

子どもの権利条約や、保育所保育指針にある、子どもの最善の利益を優先する、という、人間の幸福追求の道筋が、市場原理で歪められていること。それでは「いい保育士」はいなくなる、ということ。

政府の少子化対策で、子どもが減り、少子化なのに、児童虐待が過去最高という二つの現象で、国の施策の根本に問題があったことは、本を読んでもらえばわかるはず。

親の意識が、子どもたちと、学校教育を支えない限り、学校は持ちません、保育も持ちません。

立て直したいなら、待ったなし、ですよ、という危機感が伝われば、どうしたらいいかは、具体的に書いてあります。

前の横浜市長は、私が衆議院の「税と社会保障一体化特別委員会」で自民党の公述人をした時に、大日向さんと共に反対側の公述人をした人です。市長が代わって、仕組みをつくる意図が、「大人の都合」から、「子どもたちの安心」の方に変わってくれるといいのですが。

山浦さん、ありがとうございます。

 

 

一昨日は、久しぶりに六百人の保護者にさいたま市で講演しました。この人数になると、コロナもひょっとして終わりに近づいているのではないか、と嬉しくなります。

さいたま市私立幼稚園協会の大会だったのですが、旧知の清水市長さんに、先日の職員の研究大会に続けて再度、会いました。

教育長さんと、一度じっくり話せそうな会話になりました。女性の教育長さんですが、尊敬している人が、東松山市の石川元教育長、という共通点があって、こういう心の「師」を同じくする、というのは、話が早くなってありがたいです。石川教育長は、実は県の教育委員会でご一緒した石川委員長の奥様なのですが、ご自宅に伺った時に、お土産に、自家製のハチミツや野菜をたくさんいただきました。

講演会を聴いた方から感想メールがきました。

「昨日の松居先生のユーモアたっぷりの漫談口調でありながら、データ分析も含めた深い内容の講演。

私の暗黒子育て生活が滑稽に思え、初めて救われた気がしました。

本当にありがとうございました!

子どもと接するのが苦手だった私は、もっと早くお会いしたかったと思えるほど。

本はこれからですが、ぜひ拝読いたします!」

 

こういう連絡は、一番ありがたい。

子育ては、目標を持ってやるものではないのです。まあ、本当は目標を持ったっていいんですが、主体は、子どもたちの存在のありがたさに気づく、幼児期に、自分の人間性を耕してもらう、という種類のものだと思うのです。

一生懸命話して、そのあたりが通じると、伝令役として、子どもたちに褒めてもらえるような気がします。

本を読みました、と、保育園からも講演依頼が来ました。午前中親たち、午後職員で、というのが嬉しい。ほぼ、同じ話です。

来月は、保育士会の研修会でも話します。「ママがいい!」を読んで、頷き、もう一度基本に返り、子どもの最善の利益を考えましょう、と、呼んでくれたのです。

ありがとうございます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com までどうぞ。)