佐伯昭定先生のこと。

 昨日の国神保育園に続き、今日も秩父の明星保育園で講演しました。両園は姉妹園です。真言宗のお寺の保育園。びっくりしたのは、八十才を越えた創設者でもある道祖神園長先生、小学校が明星学園で照井げん先生に音楽を習ったとおっしゃるのです。その時の授業や修学旅行がいまだに忘れられずに保育園に明星と名付けたそうなのです。私はおげん(お元)先生の最後の教え子。おげん先生は私が入学した時にはもうおばあちゃんでした。私は小学校しか明星に行っていませんが、お互いにその時期の思い出が強く、歳がこんだけ離れていてもやはり共通して習った先生が数人いて、いろいろと懐かしく話をしました。当時の明星学園は修学旅行で京都に行き、帰りは船で帰ってきたのだそうです。もちろん戦前です。照井先生が一学期かけて道中出会う物に関連づけて授業をしてから出かけたそうです。

 ちょうど、前回遠藤豊先生のことを書いたばかりだったので、これは偶然ではないような気がします。昔の授業の思い出をもう一つ書くことにしました。

 私の小学一年生から三年生までの担任は佐伯昭定先生でした。ピー閣下とあだ名され怒ると怖かった遠藤先生とはまた違った、柔軟性のある魅力的な国語の先生でした。
 いまでもはっきり覚えているのは、「ダムのおじさんたち」という絵本を使った授業でした。当時の明星学園の授業はほとんど教科書を使いません。あのころ国語の授業で読んで話し合い、美術の時間には一学期かけて絵まで描いた「ごんぎつね」や「なめとこはまのくま」、「てぶくろをかいに」「だいぞうじいさんとがん」は、子ども心にすごい話だなと思いました。その時の言葉の向こうに見える空間、感触を鮮明に覚えています。私は宮沢賢治か新美南吉か、となると新美南吉が好きでした。
 「ダムのおじさんたち」は後に「だるまちゃんとてんぐちゃん」で有名になる加古里子さんの初期の作品。
 ダムのおじさんたちが、ダムを造るのには何が必要か、という佐伯先生の問いかけに、45分かけてみんなが必死に答えを出そうとしていました。シャベルとか、つるはし、大きな重機など次々と答えるのですが、先生は、一番大切なものを忘れている、と私たちに問い続けました。みんなの頭の中がかなり混乱し始めた頃、最後に、だれかが小さな声で「ごはん?」と言ったのです。先生は「そう!」と言いました。
 この授業、いまだに私の中に生きています。

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