横浜双葉学園での公演

大きなホールでした。シャクティ日本滞在最後の晩でした。

シャクティが立派なステージに立っていました。何十年もの間、小学生、中学生、高校生の学芸会や合唱などの発表会の舞台になってきた、無数の思いのこもった広いステージでした。

キリスト教について学ぶ会という趣旨の夜だったこともあって、ちょっとよそいきの服を着た父母の方たちと、なかなか行儀のいい子供たちがシャクティの踊りを見つめました。

終わって、最後に玄関のところで、子どもたちが一人一人シスターと握手をしました。

静かな、落ち着きのある夜でした。ソウバさんが、「こんな親子が、シャクティを見てくれているのが、嬉しい」と私に言いました。

ふつうは出会わない人たちが出会いました。心を一つにしたのです。「舞台」が、その魔法を、とても発揮した夜でした。

子どもたちが見に来ていたことが、やはり出会いに重要な役割を果たしていたのです。

ちょっと、ピーターパンの世界を感じました。不思議な夜でした。オーバーコートを着て、子どもたちがお父さんやお母さんと手をつないで、家に帰って行きました。

マハーラクシュミの涙

淡々と駆け抜けていったシャクティ。あの娘たちが、笑顔を越えて、感動の表情を見せた瞬間がありました。

はとり幼稚園での公演で、自然に園児たちと輪になって踊った時のことでした。一番背の高い、はにかみ屋のマハーラクシュミの目から涙がこぼれました。その時、私は何かを見たような気がします。

どんなに公演で拍手を受けても、彼女たちはカーストのことを説明され、自分たちが踊っていることの意味を説明され、そして踊っていました。それは、意味のあることでしょう。

でも、園児たちには誰も何も説明しません。ただ、踊ったのです。そして、園児たちの目には、曇りのない、情報にとらわれない、真の平等の光があったのだと思うのです。平等なんて言葉さえ、いまでは闘いの道具になっている。園児たちはただ一生懸命、一心にシャクティのお姉さんたちと踊ったのです。

地球の住人がみんな4歳児だったら…。

幼児を眺めて人間は成長する、幼児を見つめて、人間は幸福になるやり方を学ぶ。幼児と踊って人は心を一つにする。

マハーラクシュミの涙は、地球の涙だったのかもしれません。

 

シャクティの余韻

シャクティの踊り手たちが東京の街を走り抜けていきました。笑いながら踊りぬけていきました。

欲のない少女たちは淡々と、村に居る時と同じ表情で、私が拍子抜けするように、楽しそうに走り去って行きました。東京の街を初めて見た時も、バスの窓から見つめる目は、インドの街を走り抜ける時と同じだったように思います。感動は、先進国社会で、情報の積み重ねの上に成り立つ欲の一部になっているのかなあ、とさえ思いました。感動がないわけではないはずです。ただ、それが日常生活の中の彼女たちのふつうの明るい笑顔と変わりがないのです。

情報を得て、感動の定義さえ作り出している、感動しないと損、みたいなところがある私たちとは、世界を見る目がちがうような気がします。

欲がない、ということはこういうことなのかもしれません。マハトマ・ガンジーが「神の子」と呼んだ意味が、直感的にわかるような気がします。

その余韻に浸っています。

今日は、観光をしました。

シャクティ応援団の一員春日さん一家が車を2台出してくれて合計3台で観光をしました。

明治神宮へ行ったらちょうど七五三で、可愛い子たちが着物を着て、森の中を歩いていました。玉砂利の音がさくさくと木々の梢に響きます。

都心なのにシーンとしています。さくさく、さくさく。

雨が少し降っていて、ちょっと暗くてきれいです。七五三の子供たちが妖精のようにシャクティを迎えてくれています。さくさく、さくさく。

そのあと、春日さんの叔母さまの提案で、もともと動物園に行くはずだったのを変更し、葛西臨海公園の水族館へ行きました。これは大ヒットでした。シスターもシャクティのメンバーも大喜びしていました。

 

明日はいよいよ、シスターの表彰式、常陸宮様がご出席になられるそうです。

ひでさんが明日は仕事なので機材車の運転は一人でやります。表彰式でも踊ることになっています。思えばこの日本公演も、黒川さんがこの賞にシスターの推薦状を出したことから始まったのです。

18日の浦和のはとり幼稚園、そして、21日の横浜双葉学園と、公演もあと二つです。お米もまだあります。

 

追伸、佐藤太郎様、奥様、感謝です。

聖ステパノ学園での公演

大磯の海が見える素晴らしいホールです。

ご無理なお願いをしたのに、小川園長先生の決断でできた公演です。神の作ってくださった縁だから、とおっしゃって下さいました。でも、現場で動いてくださった先生たちには本当に感謝です。急なお願いすみませんでした。生徒たちの心にシャクティが生き続けてくれたら、と思います。苦しい時、悲しい時、シスターとシャクティがインドにいます。訪ねて下さい、私も助けられました、という挨拶をしました。

午前中は中学生に、午後は一般の方たちに公演しました。

阿蘇牧師先生が高校生を8人連れて大礒まで来てくださいました。「高校生が元気をもらった、と言ってました」とおっしゃったときは、ホッとしました。

久我山組の山田さんと小松さんが大礒まで応援に来て下さいました。ひでさんは、運転手兼私の相談相手になってずっと付き合ってくれました。地元に帰って富士見ヶ丘の華の舞で、中締めの打ち上げをしました。

 

女子パウロでの公演

赤坂にある修道会での公演です。

修道女の方々から色んな質問が出ました。それに答えるシスターの言葉からまた学ぶことができました。

シスターの所属するICMという修道会は日本には無いのですが、その神父さん側の修道会は日本で淳真会という会だということもわかりました。

この会では、Knob君がシスターとシャクティのメンバー、そして修道会の方たちにディジュリデゥーを演奏してくれました。私も演奏すべきだったのですが、まだ無理でした。

シスター山本に感謝です。

なでしこ保育園での公演

本公演から一夜明けて、朝、熊谷のなでしこ保育園でシャクティは踊りました。

園庭に0歳から5歳まで、全員が座りシャクティを観ました。1歳児が45分も集中してくれて、これはちょっと奇跡的でした。帰りに聖天様によりました。修復中だったので、普段は見ることのできないところも観ることができました。

なでしこからもお米をいただきました。門倉先生ありがとうございした。

御近所のみなさま、ちょっと音が大きかったですがおゆるし下さい。園児の心に何か残ったと思います。

 

いま、ちょっと急いでこれを書いていますが、一息ついたら写真を順次載せていきますね。

青山の東京ウィメンズプラザでの公演

いろんな方々に助けていただいて、2ヶ月半の短い準備期間にも関わらずシャクティ本公演、無事に終了しました。シャクティ応援団久我山組の山田順子組長、息子さんのひでさん、小松さん、本当にお世話になりました。

ホームページを作ってくれている星野君、現場を見事に仕切ってくれたKnobくん一派、永福町ブランチのサラスワティさん、いまだに仲の良い慶応の竹の会の同窓生のみなさん、はつきとその部族、いおりさん、くらさわさん、八木さん、ゆりさん、しおづかさん、いたくらさん、千葉さん,…。

ありがとうございました。

ご迷惑をかけましたが、きっとシャクティの「気」がどこかで生き続けるような感じがします。

 

大鹿保育園から野菜

埼玉県の教育関係者の功労者の表彰式で、偶然大鹿保育園の大鹿園長先生にお会いしました。

「先生のところは地主さんですか?」ときくと、「はい、そうです」

「ひょっとして野菜とか、お米はありませんか?」

「実りの秋ですから、たくさんあります」

「ひょっとして、シャクティに寄付してもらえませんか?」

というわけで、朝早く起きて、保育園に野菜とお米をいただきに行きました。

シャクティのメンバーは、長ネギを見たことがありませんでした。でも、カレーに入ったはずです。

日本の玉ねぎはインドに比べると巨大で、種を持って帰りたいと言っていました。

お米も、阿蘇牧師先生からのと、近所の石郷岡さんのご主人のお友達からのと、会わせて80キロになりました。これで何日もつのかな。

最初に、千葉の明和輝保育園から5キロいただいた時、黒川さんと、これで何日もつのだろう、と考え込みました。16人が自炊して5キロのお米が何日もつか、こういう質問に答えられない自分に気づきました。でも、生きるには屋根とふとんと、お米ですね。

日記遅れていてすみません。

シャクティ来日してから、毎日忙しかったのと、コンピュータが調子悪かったのが重なって、一番大切なときに、書き込みできませんでした。すみません。

八日に、八王子の共励保育園の55周年記念式典で踊りました。久しぶりに見る、生シャクティはやはり感動でした。長田理事長一家の合奏も良かったし、埼玉から同志の園長先生たちもかけつけてくれました。

私は午前の部でシンポジウムもしたのですが、横浜の道祖神、瀬谷愛児園の尾崎千代先生が客席にいらしたので嬉しく、緊張しました。尾崎先生は87歳になられます。シャクティを撮った時は考えていなかったのですが、賞をいくつかいただくと「次の作品は?」と聴かれます。そんなときにふと思うのは、尾崎先生のドキュメンタリーを撮らなければ、という願いです。

尾崎先生は、宮崎アニメに出てきそうな、地面から湧き出たような、守り神のような先生です。私は携帯に、園長先生・道祖神の写真コレクションをしているのですが、その第一守り神です。