『絵本のある子育て』松居和チャンネル、第39回

『絵本のある子育て』

今週の「松居和チャンネル、第39回」のタイトルです。副題は、「読み聞かせ」で生まれる不思議な空間、次元、としました。絵本、そして、その読み聞かせについては、その普及を生涯の仕事とした父、松居直の息子ですから、幾度かは取り上げたいと思っていたのです。

講演を重ね、義務教育の現場での、待った無しの窮状を目の当たりにし悔しく思うのは、10年以上前、すでに保育現場は追い込まれていた、ということ。それが義務教育に連鎖することは、わかっていたはず。それでも、母子分離を進めた国は「確信犯」。それに気づいて欲しい。

子育てに関わる政策が、子ども優先になっていないどころか、今、教師、特に「担任」の人間性を整えることさえ、危うくなってきている。学校教育の質が著しく落ちている。

親たちはどうしたらいいのか。何ができるのか?

子どもの人生に、危機が訪れた時、親子で立ちすくんでしまった時、習慣として続けていた「読み聞かせ」が、生きてくる。絵本を、毎日「読み聞かせ」ることで、親子の思いや、感性が、様々に繋がっていれば、必ず道筋は、見えてくる。困難が、より一層の「絆」を育ててくれる。

語る人と、耳を傾ける人。文章を書いた人、絵を描いた人が、そこにいる。それぞれの人生が、交わって、重なって「絵本」という形になっている。それが、絵本が提供する「場」なのです。普段、出会えない人の人生と、新鮮に、出会える。そして、子どもたちは、読んでもらえる瞬間を待っているから、その「待つ」ことが、楽しみになる。

実に、簡単。ただ、ただ、利用してほしい。人生に必要な「理解力」が付いてきます。

絵が、動かないことによって、余白や、静寂が生きてくる。その余白で、人間は、魂のコミュニケーションをする。その「余白」が「自分」なのです。ネット情報とか、学校教育、専門知識で埋めていくと、知らないうちに、「自分」が乗っ取られて、支配されていることがある。012歳を、母親と離しては「可哀想」という感覚が、失われていったりする。

「読み聞かせ」から得た立体的な「余白」は、いつまでも「自分」であってほしい。

赤ん坊と、会話をすることで培われる「魂の次元の会話」、その絶対量が減っているいま、「読み聞かせ」を習慣にし、繰り返すことで、社会に必要な「人間性」が戻ってくる。それが、こういう時代に私たちが出来る、一番簡単で、効き目のある対処法です。

最後に、私個人の、珠玉の絵本リスト、と児童文学リストを載せました。とりあえず、これだけあれば大丈夫。

 

「ママがいい!」、8刷まで来ています。

 

日本乳幼児精神保健学会で、同志たちと再会。

(松居和チャンネルをプロデユースしてくれている中脇さんのネットラジオでインタビューを受けました。ぜひ、聴いてみてください。)
先週、日本乳幼児精神保健学会で、講演しました。30年来の同志、渡辺久子先生と、楽屋で盛り上がりました。
Loving Hugの橋本武夫先生と、著作の交換をしました。神戸の国際会議でも一緒でした。まだまだ、迫力のある、臨床に基づいた講演でした。
抱っこ、母乳で育てる。抱っこする方がどう育っていくかの大切さを、言い続けている先生です。
「ママがいい!」というタイトルに、重鎮たちが、みんなで喜んでくれました。

「神社保育の三つの誓い」

さあ、火曜日です。

松居和チャンネル、第38回は、(テーマ)が、「人の繋がりの美しさ、それを鎮め、守る」

副題を:子ども扱いすることは、「神様扱いする」ことらしい……。としました。

講演が続きます。

佐賀で聴いた中学生が、感想文に、こう書いてくれました。

私はこの講演で、人の繋がりの美しさを感じました。常に不完全で、誰かとともに生きていく我々は、0歳児を生み出す。

0歳児が笑うと、自然と周りに繋がりができている。笑顔だけではない。彼らが泣いている理由を考えることも、私たちを豊かにしてくれると思う。

なんと、きれいな、人の、生命の営みだろうか。パズルみたいだ。

今、思った。0歳児などをきっかけに、パチパチと埋まっていく。中心から波が伝わっていく。動かされた人は、他の人を動かす。0歳児が与え、各々が豊かになり、行動を起こす。

伝わって、伝わって、全体は豊かになる。

(この講演会には、国会議員や市長も来ていた。このくらい、伝わってくれたらな、と思います。)

その後、新潟へ行って、全国神社保育連合会:東北・北海道ブロック夏季研修会で講演し、

「神社保育の三つの誓い」に出会いました。(毎朝、唱えるそうです。)

一、  私たちは、

授かった子どもを神さまといつくしみ、

ともに和み(なごみ)つつ

保育にいそしみます。

一、  私たちは、

鎮守の森のすばらしさにふれ、

生命(いのち)の尊さとつながりに

気づかせるようにつとめます。

一、  私たちは、

日本の歴史や伝統を大切にし、

誇りと思いやりをもって

子どもたちに接します。

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子どもを「神様扱い」して、「和む」のが、保育だったんだ。静けさの中に、その風景が浮かびます。

そして、幼稚園、保育園は、鎮め、守る、「鎮守の森」。そこで、「生命(いのち)の尊さとつながりに気づかせる」。いいなぁ。

子どもを可愛がって生きる、子ども中心に、みんなで助けあうのが、この国の文化と習慣です。

その「歴史や伝統」を政治家たちが、忘れている。

 

この国を大切にしないから、人間性を否定するような「母子分離政策」が、政府の方針として広がって、いよいよおかしなことになっている。

子どもたちを「神」と思い、「和む」(なごむ)伝統を、「誰でも通園制度」などと言って、壊そうとする。

そこに、愛国心がない。国を憶う、フリをしているだけ。

伝統を尊ぶ、意志がない。

 

そして、懇親会で感じました。

人間を、子ども扱いするということは、「神様、扱いする」ということらしい……。

「こども家庭庁」は、「神社保育の三つの誓い」を、毎朝、唱えるべし。

 

上映会を開いてくださる方、ご連絡ください

NHKの国際放送から、です。私の作ったドキュメンタリー映画「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」。海外でいくつか賞を取りました。上映会を開いてくださる方がおられましたら、matsuikazu6@gmail.comまで、ご連絡ください。無料です。なるべく私の解説と演奏をつけます。

 三歳児神話」は、そこに忽然と現れる。

子育てを、仕組みが人間から取り上げることで、生きる意欲や、動機が削がれていく。それが、将来、この国にどういう影響を及ぼすか。経団連は、「経済活動の動機」について、真面目に考えた方がいい。

短絡的な母子分離政策が、どれほどこの国の将来の「経済」を弱くしているか。

見えない次元で、人間の魂は交錯する。

命の道筋が、制度や仕組みによって様々に「仕分けられた」先進国社会で、いままであり得なかった、歪んだ魂の出会いが、学校という現場で起こり始めている。

幼児たちとの出会い、交わりを意図的に復活させ、増やしていくしかないのです。

三歳児神話」は、そこに歴然と存在している。そして、忽然と現れる。

先日のライブのサウンドチェック風景です。

原宿で打ち上げの後、路上での四人。

ヨガの先生で歌手、マドンナと20年ツアーしたドナさん、タブラ奏者のJosse、私とプロデューサー兼ギターの中脇さん。(パッフィーとかキャリーピャムピャムのプロデューサー)

ライブでは、こじんまりした、私的なピンク・フロイドという空間が、とても心地良かったです。ドナさんの応援に駆けつけたGlayのTAKUROさんのギターも良かった。サウンドチェックの時に、ドナに、「私のでも吹いて」と言われて加わりました。

ヨガと尺八は、ほぼ境界線も国境線もないのです。

また、いつか集まれるかもしれない。音は、いまだにどこかで、鳴っている。

英語での打ち上げだったので、私が、音楽は時々で、普段は、講演して本を書いている言うと、何について?と聞かれる。

「アメリカを絶対真似しちゃいけない、って話さ」と言うと、「おー」と言って大喜び。何しろヨガの先生と、15歳でタブラを習いにネパールへ行った元少年です。話が弾みます。

「詳しくはFBの翻訳機能を使ってくれ」と言いました。便利です。

いい夜でした。

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実は、もう8刷まできている「ママがいい!」。

原宿で打ち上げの後、路上での四人

原宿で打ち上げの後、路上での四人。

ヨガの先生で歌手、マドンナと20年ツアーしたドナさん、タブラ奏者のJosse、私とプロデューサー兼ギターの中脇さん。(パッフィーとかキャリーピャムピャムのプロデューサー)

ライブでは、こじんまりした、私的なピンク・フロイドという空間が、とても心地良かったです。ドナさんの応援に駆けつけたGlayのTAKUROさんのギターも良かった。サウンドチェックの時に、ドナに、「私のでも吹いて」と言われて加わりました。

ヨガと尺八は、ほぼ境界線も国境線もないのです。

また、いつか集まれるかもしれない。音は、いまだにどこかで、鳴っている。

英語での打ち上げだったので、私が、音楽は時々で、普段は、講演して本を書いている言うと、何について?と聞かれる。

「アメリカを絶対真似しちゃいけない、って話さ」と言うと、「おー」と言って大喜び。何しろヨガの先生と、15歳でタブラを習いにネパールへ行った元少年です。話が弾みます。

「詳しくはFBの翻訳機能を使ってくれ」と言いました。便利です。

いい夜でした。

 

「社会的養育の力量」

「社会的養育の力量」、少し難しい言葉を使いましたが、これが、松居和チャンネル:第37回のテーマです。副題は、子育ては、人類にとっての「自然治癒力」、としました。

菅原哲男著「誰がこの子を受けとめるのか」言叢社、からの観察と報告を紹介しました。

(帯より)

虐待を受けた子どもは、いつか親になって、自分の子どもを虐待する親になる。そんな、常識化した負の連鎖を、乗り越えるために。子どもを受け止める、「家族の力量」、「社会的養育の力量」が、いま問われている。

家族の愛に等しい養護を目指した、「光の子どもの家」19年の記録

(ここから私です)

専門家が言う、「専門性」という言葉に騙されてはいけない。彼らの思考の中には、菅原哲男さんが書くような決定的瞬間は一瞬たりとも存在していない。「すくすくジャパン」という名の、馬鹿げた冊子が、それを証明する。対処しようのない決定的瞬間に、対処しようとするのが、子育て。可愛がる、そして、祈る、に還っていく。それしかない。しかし、そこに真の糸口がある。

神話にして守る方がいい、「物事」がある。

 

学校や保育における制度崩壊を知れば、「預けなくて済む社会状況を作り出す方に、力を入れるべき」なのです。仕組みを変えれば、流れは変わる。母子分離を進める「欲の動機」に囚われた「大元」に対抗する時期なのです。直接給付と「子育て支援センター」、子育てサロンや、その発展系としてのフリースクール、ホームスクールなど、必要に応じて、ゆったりと、額後を決めて作っていけばいいのです。

一割と言われる「不登校児」は、これからもっと増えていく。変な「担任」に当たったら、不登校の方がいい。方法は、ある。方法を見つける過程で、いい「絆」が育つ。

加えて、もっと遡った「耕し」として、小学生からの保育者体験で、「可愛がる」ことの幸せを5、6年生から体験させる。幼児と過ごす時間の「良さ」を知らせる。(第18回「幼児たちが小学生に教える道筋」を、ぜひ、見てください。)

「ママがいい!」を読んで、このチャンネルを広めてください。

義務教育を存続させようとするなら、親たちに、子育てを返していくしかない。親が、自分の人生を考えた時に、ここで、手塩にかけて、丁寧に育てなければ、と思うように、「常識」を手直しするのです。昔は、みんなそうだったように。その道筋に一旦乗って仕舞えば、子育ては、社会全体の自然治癒力になっていく。

この国なら、だいじょうぶ。

まだ、「利他」の土壌が生きている。

子育てを、仕組みが人間から取り上げることで、意欲や、生きる動機がどれほど、削がれていくか。それが、将来、この国にどういう影響を及ぼすか。経団連は、「経済活動の動機」について、真面目に考えた方がいい。

三歳児神話」は、そこに歴然と存在している。そして、忽然と現れる。

 

 

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ネットのラジオ番組でインタビューを受けました。以下のリンクで聴くことができます。

https://voicy.jp/channel/4492/6093641

https://r.voicy.jp/W6mGRQ2GKyA