「別れ」でもないかな。

父(松居直)の「お別れの会」が、2月22日に如水会館で、福音館書店主催で行われました。都合上、招待者に限られた会になってしまいましたが、引き続き銀座の教文館で、3月15日から「松居直、回顧展」が、4月の12日まで行われます。よろしければ、ぜひお越しください。

「お別れの会」に、上皇后様が、いらして下さいました。

絵本や児童文学を通して、五十年以上の長きにわたり、父はお話し相手をさせていただいたのだと思います。感動しました。

父が、最後にお誕生日会に呼ばれた時、私は運転手役で御所に行きました。

隣の部屋で待っていると、上皇后様のピアノの演奏で、ドクトル・ジバゴの「ララのテーマ」が聴こえてきました。

ハッとし、不思議な感じがしたのをいまでもはっきりと覚えています。

 

曲を作ったフランス人作曲家モーリス・ジャールを私は、人生の友人と言っていいほどに、よく知っていました。ドクトル・ジバゴの他に、「インドへの道」、「アラビアのロレンス」でアカデミー賞を受賞しているモーリスは、映画音楽に私の尺八を使った最初の人でした。「将軍」でした。

その後も、何本かの製作に関わり、スペインやフランス、ポーランドでのモーリスのコンサートに参加しました。たった一曲吹くだけですが、モーリスは私と旅をするのが好きだったのだと思います。

旅の間に、様々に興味深い話を聴き、私の日本での講演活動などについて議論しました。

 

D-day、ノルマンディー上陸作戦の日に、潜伏しながら、その情報をラジオから聴いた時のこと。

第二次大戦後、フルトベングラーがフランスでの指揮を解禁され、初めてのパリの演奏会でフランスのオーケストラを振ったときティンパニーを叩いたこと。カミュやコクトーと演劇の仕事をしたこと。

彼の誕生日には、ウエストハリウッドのオランジエリに招かれました。私の二枚目のアルバム「幻の水平線」に、一曲書いてもらいました。音楽監督をした映画「首都消失」の作曲も引き受けてくれました。

病を押して、最後に来日した時、レコード会社を通じて私に連絡してきて、帝国ホテルのロビーであったのが、「別れ」になりました。

モーリスとのことは、いつか、しっかり書きたいと思います。また、いつか旅をしたいです。

上皇后様がお選びになり、演奏された、モーリスの曲を聴きながら、父の運転手の私は、音楽の不思議さを思い、メロディーの凜とした優しさを、魂で感じていました。音の並びが、「心」になって次元を超えていくのです。 人間は、こういう領域で会話をする。人生が交差する。

ララのテーマ: https://www.youtube.com/watch?v=phpRjeQdOFg 

(写真は、ポーランドでのコンサートです。)

 

 

父と私は、東洋英和女学院の短大保育科で同じ頃教えていたことがあって、教え子が八年間ほど重なっています。

「お別れの会」に、教え子代表のように二十人ほどを招待しました。(みんなに声をかけることが出来ずにすみません。教文館の方で、集まりませんか? また、現場の話を聴きたいです。)

そのうちの数人が、授業で父に絵本の読み聞かせをしてもらった時のことを言うのです。それが楽しみだった、と。

授業の内容よりも、絵本を読んでもらった体験のことを鮮明に覚えている。

「絵本は体験です」と言っていた父の言葉が、彼女たちの思い出から伝わってきました。授業も、そうなのです。情報よりも、体験であって欲しい。

私も、そういう気持ちで授業をしました。いまでも、一期一会、そしてそれが伝わっていくように、と思い、講演をします。

 

よく、講演の後で、子どもが言うことを聞いてくれない、子育てに失敗しました、どうしたらいいでしょう、と質問を受けることがあるのです。そんな時、ふと思いついて、いまからでも遅くはない、絵本の読み聞かせをしてみてください、と言います。

絵本から始めて、パディントンや寺村さんの王様シリーズにつなぎ、リンドグレーン(長くつ下のピッピ、やかまし村、わたしたちの島で)、インガルス・ワイルダー(長い冬、はじめの四年間、農場の少年)、そして、サトクリフの「太陽の戦士」にまでつなげるのが、私の「オススメ」です。

小学校を卒業するまで、いや、中学生になってからも、もし聴いてくれるなら、読み続けることを勧めます。聴いてくれなくても、自分自身に語るのでもいい。いい児童文学には、人生を計る「ものさし」が生きています。

私の、オススメ本は、いまの私の考え方の土台を作っているのです。

こんな、有効な、便利な方法を、私に残してくれた親父に感謝です。

 

いま、親子の体験の絶対量が少なくなって、それが原因で様々なことが起こっている。だからこそ、読み聞かせ、という「体験」が、親子の絆に有効で、いいのです。就学前にこの習慣を徹底させれば、この国の、あの雰囲気が戻ってくる。

「お別れの会」に展示されたパネル、お袋とシナイ山に登っている写真を見ながら、絵本は子どもが読むものではなく、語ってもらうもの、という父の主張が、今こそ、生き還る時なのだな、と思いました。私たちにとっては、「別れ」ではないのです。これからが、ともに生きる、共同作業なのです。

 

追伸:会には、父が仕事をした絵本関係者の子どもたちが、一度「子どもたち会」を開きたくなるほど来ていました。みんな60を越えているのですが、なぜか、似たような環境で育った者同士、「子どもたち」という感じがします。堀内さんとこの紅ちゃん(花ちゃんは、堀内誠一展が四国巡回中のようで欠席)、ちひろ美術館の松本さん、藪内さん、丸木美術館の久子さん、ぐりとぐらの絵をお描きになった山脇百合子さんのご子息の健太郎さん、いらして下さり、ありがとうございました。

凄い保育

 

「子育ては一人ではできない。性的役割分担がなければ始まりもしない。

これは良い仕掛けです。」

と前回書きました。

 

種の存続に必要な「子育て」を、人生を支える喜びとして受け入れ、その責任を自分の価値と重ねる、そうやって人間は調和を目指した。もちろん全ての人とは言いませんが、多くの人がその道筋を理解し、その責任を人生の中心に置かなければ人間社会は成立しない。

その土台が、福祉と教育によって誤魔化され、歪められていく。

 

乳児という「足かせ」が本能を刺激して、生まれて初めての小さな笑顔に「嬉しくなる」自分に気づいたとき、人間は自分の人間性を確かめる道を歩み始めるのでしょう。

人生は、自分を体験することでしかない。

幼児たち、特に0、1、2歳児が、その年、その年の、二度と繰り返すことができない役割を果たすことで、育てる側に助け合いの絆が育ち、利他の幸福感へ導かれていった。

 

以前。と言っても十年くらい前でしょうか。三人目を産めば保育料無料、と決めた自治体があって、タダだから、と0歳から預ける親たちが結構出ました。

市長は、自慢げに言うのですが、私を講演会の前に市長と会わせた園長たちが、食い入るような目で、二人の会話を聴いていました。

直感的に、選択肢を持っていない、三人目に生まれた子どもの人権問題だと思いました。兄弟や姉妹がこの短い特別な時期を一緒に過ごす機会が、いいことをしている気になっている市長によって奪われていく。

もちろん、その道を選択したのは親たちです。

しかし、初心者と言える、まだ育っていない親たちに、十一時間保育は「標準」と国が言い、子育ては負担で大変だからタダでやってあげる、と首長が誘い、プロに任せた方がいいんだ、と学者や厚労大臣が言って、責任の所在をあやふやにしたら、「なんとなく、そんなものか」と預けてしまう親たちが増えてもおかしくない。

国が用意した一見いいことのように見える選択肢が、労働力確保のための巧妙な誘導になっている。一番困るのは、それが0歳児の願いや役割と相反していることが忘れられていくこと。その結果、「子育て」が心を失い、保育士不足と質の低下が学校教育を破綻させようとしている。

国によって作られている道筋が、いかに子どもたちの将来を苦しいものにしていくか、もういい加減にわかったでしょう。少子化なのに「児童虐待過去最多」、「不登校児も過去最多」、保育士不足に連動するように拍車がかかる「教員不足」。

それでも、やめない。

働いていなくても預けられるようにすべき、などと言い出す保育学者さえいる。自主性、自己肯定感などと、1対20で出来るわけがないことを言い続ける学者もいる。彼らは、実習生の受け入れ先が、どれほど破綻してきているか知っている。実習先の園で、虐待まがいのことを学習してくる学生たちさえいることを知っている。

 

〇歳児一人の保育に毎月三十万円から五十万円使っている税金を、直接給付で、月に五万円でも親に渡し、支援センターとの組み合わせで友達や相談相手を作りながら、自分で育てる道を薦めたら、そうする親たちはまだ相当数いる。数年前に国が行った保育のニーズ調査にそれは表れていた。(それをしなかったのは、保育施策が雇用労働施策の一部で、女性の就労率のM字型カーブを無くすことが、国際社会の仲間入り、みたいに思われていたから。実は、この「国際社会」は、「欧米社会」でしかないのですが、この種の欧米コンプレックスは忘れた方がいい。犯罪率で比較すればわかりますが、真似すべき、欧米社会などどこにもない。)

子どもたちの願いを含んだ選択肢を用意し、親たちの意思によって、親たちの選択で保育士不足を解消していかないと、このままでは学校教育がもたない。

それがすでに現実になっている。

 

(その後、私の講演を聴き、園長たちが必死に頷くのを見た市長は、ずいぶん考え方を変えました。)

 

保育園がたくさんある市が子育てしやすいと宣伝され、誰もそれに疑いを抱かなくなっている。間接的に、母子分離をさせるほど、いい街なんだと政府が言っているようなもの。

土曜日、日曜日でもどこかの保育園が開いていて、短時間でも、リフレッシュでも、親のニーズに応えて、誰かが預かる街を、子どもにやさしい街、とマスコミが報道する。躊躇せずに仕組みに預ける若者たちが、そのことに慣れていく。誰に預かってもらうかなど気にせず、慣らし保育も無しに、「ママがいい!」と叫ぶ子どもを、初めて訪れた園に置いていく。

それが当たり前になってしまった親たちの子どもを、義務教育である学校は引き受けなければならないのです。

そんな街が、本当に「子育てしやすい」街なのでしょうか。

 

政府の「子育て安心プラン」で保育の質が下がり、虐待や事故がこれほど報道されているのです。子どもにとっての日々の安心が、いつの間にか消えていっていることを、立ち止まって、考えてみて欲しいのです。

集団の中で成長していくためのカリキュラムとか、週や月をまたぐ保育の流れなどは、もうどうでもいい、子どもと保育士の入れ替わりが激しすぎて、保育計画など立てようがない、家庭へつながる親との連携などできるはずがない、そんな保育園が増えているのです。

保育園の常識が壊れていく。

 

それでも一向に構わない政治家たちは、単に親のニーズに応えて選挙に勝つことが「保育施策」だと思っている。

 

一歳半から二歳までの園児を相手に、三十分ほど続く「ごっこ遊び」、しかもストーリー性のあるものをさせることができる保育士たちがいました。それができることの「すごさ」を知っている人はあまりいないのですが、実はこれは凄いことです。この年齢だと、通常、集中力が続くのは五分が限度でしょう。

そのごっこ遊びに、突然、隠れていた親が登場し、子どもたちを救ったりすると、もう子どもは唖然としてしまい、次に大喜び、保育室がまさに「不思議の国」になるのです。そんな、保育園と家庭をつなぎとめる保育をやっている園が、以前あっちこっちに残っていたのです。

こんな風に育った子どもたちは、きっと将来、童話作家になったり、オペラ歌手になったり、魔法使いのような保育者になったりするのでしょう。

その、すごい保育士たちの努力と、日々の積み重ねによって創造された次元を超える時間が、リフレッシュ保育や、一時預かり、といった、突然見知らぬ子どもが入ってくる「サービス」で細切れにされ、伝統が途切れていった。

幼稚園が「不用意に」こども園化したりする時もそうですが、保育者たちの工夫や、子どもたちと作った歴史が、「あと四十万人預かれ」という首相の掛け声や「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」という、何も知らない厚労大臣によって踏みにじられていったのです。

 

集団保育の中で、様々な「流れ」を作ることで育っていた、子どもたちの感性、協調性や「秩序の楽しさ」「可愛らしさ」が、「保育は成長産業」「福祉はサービス」という閣議決定で壊され、幼稚園や保育園が次々と託児所化されていった。

それが、学級崩壊や不登校児の急増を招いていることなど、誰も知らないのだと思います。その経緯を、ぜひ、「ママがいい!」を読んで、理解していただきたい。

国が進めた「保育のサービス産業化」によって、私たちの社会から何が失われていったか、知って欲しい。

 

子育てに多く税金を使えば、それが子育て支援だ、と安易に報道し続けるマスコミが一番問題なのかもしれません。ワイドショーの司会やコメンテーターが、待機児童をなくせ、と疑いも抱かずに言い始めた頃から、報道も市場原理の一部になり、「欲の資本主義」に取り込まれていったのでしょう。

待機児童は、常に、0、1、2歳児だったのです。この人たちは、保育園の前に並んで、「入りたいなぁ」と、一度も言わなかった。弱者たちの願いは、常に私たち大人の想像力の中にあった。この国の将来は、利便性ではなく、私たちが選択し、維持する「常識」に委ねられていた。(そして、多くの場合、現場の保育士の人間性に委ねられていた。)

 

 

「ママがいい!」、ぜひ読んでみてください。同意できないこともあるでしょう。でも、「欲の資本主義」が仕掛けた罠が限界に達していて、このままでは学校教育がもたない、しかし、私たちには、なんとかするチャンスが与えられていることだけでも、知ってほしいのです。

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