なでしこ保育園、五十周年の主張/門倉文子先生の文章から

 熊谷市の、なでしこ保育園が創立五十周年を迎え、私も寄稿した記念誌「はぐくみ」が届きました。六年間、毎月集まって話し合っている「親心を育む会」の会場は第三なでしこ保育園。理事長の門倉文子先生は、私達が敬意を込めて「組長」と呼んでいる方です。巻頭の門倉先生の文章の一部を引用します。

 「保育とは子どもの大切な命を守り、子ども一人一人と向き合い、可愛がって、その発達を支えることと考えて参りました。子どもの心の安定を図り、安心した園生活ができるように、担当保育士が一人一人の子どもの気持ちに寄り添い、深く関わることを、日々の保育のなかで大切にしています。そしてこの五十年間に、子どもの成長発達に大切と思う活動を幾つも試み、沢山のことを継続しております。」
 門倉先生らしいのは、「可愛がって」という言葉がそこに入ること。これは意外と大切なのに、そんなに言われなくなっている。いつも先生は繰り返します。保育とは「寄り添い、深く関わる」こと。そして、いつも「一人一人」だということ。「6人担当していても、子どもにとっては常に一対一だからね」と釘をさすのです。
 強烈なリーダーシップを秘めながら、門倉先生がいなくても、ちゃんと動いてゆく仕組みを作り上げているところがなでしこの凄いところ。「いくつも試み、沢山継続している」その積み重ねが園に一体感とエネルギーを与えているのです。
 私達が「なでしこ四天王」と呼んでいる主任の、渡辺里美先生、塚越純子先生、久住詠子先生、高田美華先生。どんな質問をしても4者4様の答が返って来て、それぞれ深みと味わいがあるのです。最近は若手男性園長たちと、「四天王に質問する会」をしよう、と話しています。
 なでしこ保育園に行く子どもたちの一日と、最近政府の掛け声のもと増えている託児に近い保育園に通う子の一日と、こんなに違いがあっていいのだろうか、と思います。「子どもの一日」に変わりはないはず。一対一に変わりはないはず。そこに差があり過ぎるとしたら、それは大人の責任です。
 その差は、幼保一体化などで縮まるものではない。子どもたちを囲む心の差なのです。なんとかその差を縮めようと「親心を育む会」で考え、薦めているのが「一日保育士体験」の普及なのです。
 それを薦めながら、私の意識の中に、なでしこのような保育園は常にあって、畑の真ん中に建っています。そのことは思いのほか重要です。
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八王子の共励保育園の保育展/二月十六日(日曜日)です。

アッという間に一年経ちました。今年も長田先生の共励保育園での保育展の季節です。
全国から、なにか学ぼうと保育士や園長、議員や学校の先生たちがやってきます。長田先生の書いた「便利な保育園が奪う本当はもっと大切なもの」を読んだ学者や医者も少し来ます。もちろん主役は園児と園児の親たちですが、子どもの発達をどうとらえ、保育や子育てにどう活かすか、だれにでも面白い不思議な発表会です。

http://www.kyorei.ed.jp/Hoiku/Event/hoikuten.html

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 0才児には0才児、一歳児には一歳児、二才児には二才児の世界があって、役割りがあって、だからこそ保育のやり方も心構えも違ってくる。それぞれの部屋の保育士が園児との遊びを通して、幼児たちの説明してくれます。4、5才児の数ヶ月間続くごっこ遊びは、圧巻です。そして、園と家庭との絆の保ち方、その大切さ。親の競技が四割という運動会。親たちも一緒に育ってゆく保育園が、すべてを見せます。

なぜ「四才児」完成説なのか。脳細胞、シナプスの相対的関係



  なぜ私が「四歳児」完成説に決めたのか。「完成」という言葉さえ本当は変で、「目標とする姿」と言ったほうが近いかもしれない。

 仏像や聖母子像や観音様のように、人間は具体的に崇拝したり、目標とする何かが近くにあったほうがいいはず。これを拝んでいれば大丈夫です、という共通した何かがあると、心が一つになりやすい。仏教やキリスト教が現れる前から、それはあったはず。

 保育園で、〇歳から五歳児の部屋で三〇分ずつ過ごしてみたのです。すると、四歳から五歳になる時、何かが変わるような気がしました。集団の雰囲気が、馴染みのあるものになった。園長先生に言ったら、そうですね、とうなずかれました。四歳児までは神や仏の領域。存在としてはまだ宇宙の一部なのでしょうか。五歳で人間?。

 園長先生が言います。

 三歳児はやりたい放題、鬼ごっこをすれば自分から捕まりにいってしまう。四歳ごろから、ルールを守った方が面白い、ということを学ぶ。鬼ごっこでは、ちゃんと逃げるし、捕まったら鬼になることも理解する。他者との関係がわかってくるのです。自制心を持って他者と関われば、もっと面白いということがわかってきます。相手もそのルールを守ってくれることで信頼関係が芽生えるのです。このあたりの幼児の発達過程は人間社会がどうあるべきか、どのように形成されるかという次元まで重なってくる、とても興味深い変化・進化です。

 それを親が眺めるといい。

 自分が通ってきたプロセスのおさらいをするように。〇歳から四歳までの子育ては、無意識のうちに一人の人間の完成、人類の進化の歴史を四年かけて眺めることなのかもしれません。そうして、人は自分という人間を人類の一員として理解し、安心したのでしょう。幼児を理解しようとするプロセスが、人間を作るのです

 世界が宗教間の軋轢や、人種や民族間の争いに満ちていても、もし四歳のときに子どもたちを混ぜてしまえば、そしてそこに親心があれば、平和や調和は可能でしょう。先進国は、その可能性に気づき、その可能性を大事にしなくてはいけません。

 なぜ、人間は四歳で完成したのに、情報や知識を得て不完全になろうとするのか。自ら不完全になることによって、集まって大きな完成を目指そうとしているのではないか、そんな風に考えます。人類全体で「絆」を作って完成するために、一度自分を見失う、という苦難の道をゆくのでしょう。

 人類としての完成、それが何百年先になるのかわかりません。でも、運命(宿命)はそんなところにあるのでしょう。だからこそ我われは、時々、四歳児という完成品、目標を眺めていないと、人類全体としての道を間違う。

 人類の歴史の中で、いまが一番大切な時かもしれない。私たちは、人類の進化を決定づける不思議な時代に生きています。

 だからこそ仕組みの発達と、経済という進化のエネルギーでもある欲の具現化が生んだ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現が恐い。


脳細胞、シナプスの相対的関係

 脳細胞、ニューロン、人間の魂の分野に属することを科学的に話すのあまり好きではないし、不得意なのですが、時々そうだろうな、と思うことがあります。

 聞いた話ですが、ニューロン(脳細胞)の数が一番多いのは人間が生まれる直前で、生まれるときに大量に捨てるのだ、というのです。その捨て方には個人差があって、その捨て方が人生に影響を及ぼすはずです。ひょっとして、この「意識が働いているか」、それが「誰の意識なのか」はっきりしない出来事が運命や宿命と呼ばれ、仏教でいえばカルマ、修行の目標なのかもしれません。

 そして、人間は、このニューロン(脳細胞)をシナプスというものでつないでゆくのだそうです。それをニューロンネットワークといって、個人で異なる「思考」の仕方はこのネットワークのつながり方、そのあり方だそうです。そのニューロンネットワークが、生まれて一年くらいで最多に達するというのです。そこから、こんどは思考の回路を自ら削除してゆく。環境や体験にあわせ、どういう考え方がそこで生きて行くために重要かという優先順位を、それぞれその時の体験から決めていくわけです。

 人間としての基本的な生き方に加えて、言語や文化、伝統、習慣、常識といったその社会で生きるための知恵や知識が、共有する思考形態として定まってゆくのでしょう。脳の重さはほぼ五歳で成人並みになると言われていますから、生きるために減らしてゆくニューロンネットワークの数と脳の大きさが一番相乗効果を生んでいるのが四歳くらいで、人の思考の可能性、感性がそのころ最大となるのではないでしょうか。

 私はその状態を、「信じきって、頼りきって、幸せそう」というものさしから、四歳児で完成、最も幸せでいられる可能性を持っている姿としたのです。

 一人の人間をニューロンに置き換え、人間同士の「絆」をシナプスと考えると、人類の目的が見えてきます。「生きる力」とは個の自立を目指すことではなく、「絆」を作る力です。信じあい、頼りあうことが「生きる力」です。

だからこそ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現は進化のプロセスにおける強い警告だと思います。)


 実際、四歳児が完成された人間かどうかは、別の議論に任せます。しかし、そのように四歳児を眺めることで、先進国で起こっているほとんどの問題が解決するのです。

 そこに人類の進化における相対性理論が見えます。


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Dear loving Kazu San,

How are you? How is Yoko san Ryo san Dady and Mummy.
Our wishes to every one. Along with Felci and myself
all our Sakthi girls are here to wish you for the best.

“May this New Year bring in the Happiest and most 
beautiful things in your life.
Have a Healthy and Wealthy, Happy year 2014.

Sakthi 2014 Calender has come. We shall send you a few copies.
We had meaningful celebrations on 25th December and January 1st.
Really we missed you but at the same time we remembered you
so much in our prayers.

With much love and affection,
Sakthi Srs and Girls.