ルポ 保育崩壊/「女性が輝く社会」に専業主婦は不要か(プレジデント)/認可外保育施設の現況(厚労省のプレスリリースから)/(韓国で)保育園の監視カメラ義務化法、国会本会議を通過

2015年3月15日

一冊の本を園長先生から薦められました。目次だけでいい、しっかりと読んで噛み締めてもらいたい。それだけで日本の子育て施策の現状がハッキリと見えてくる。著者からのメッセージと共に紹介します。これでも、子ども・子育て支援新制度、政府は進めるのでしょうか。

 

ルポ 保育崩壊小林美希著(岩波新書/新赤版1542

https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1504/sin_k825.html

著者からのメッセージ

 「ここに子どもを預けていて、大丈夫なのだろうか」

 待機児童が多い中で狭き門をくぐりぬけて保育所が決まっても、自分の子どもが通う保育所に不安を覚え、一安心とはいかない現実がある。

 それもそのはずだ。ふと保育の現場に目を向ければ、親と別れて泣いている子どもが放置され、あやしてももらえないでいる。食事の時にはただの作業のように「はい、はい」と、口いっぱいにご飯を詰め込まれ、時間内に食べ終わるのが至上主義のように「早く食べて」と睨まれる。楽しいはずの公園に出かける時は「早く、早く」と急かされる。室内で遊んでいても、「そっちに行かないで」と柵の中で囲われ、狭いところでしか遊ばせてもらえない。「背中ぺったん」「壁にぺったん」と、聞こえは可愛いが、まるで軍隊のように規律に従わされる子どもたち。

 いつしか、表情は乏しくなり、大人から注意を受けたと思うと、機械的に「ごめんなさい」と口にするようになっていく――。ここに子どもの人権は存在するのか。

 当然、子どもの表情は乏しくなっていく。その異変に気付いた親は、眉根を寄せて考えるしかない。特に母親ほど「この子のために、仕事を辞めた方がいいのではないか」と切迫した気持ちになる。

 保育所に子どもを預けるだけでなく、女性の場合は特に妊娠中からさまざまなハードルを乗り越えての就業継続となる。妊娠の報告をする際に、まず「すみません」と謝る職場環境のなか、4人に1人は「マタニティ・ハラスメント(マタハラ)」に逢っている。やっとの思いで保育所が決まって復帰しても、安心できない。これでは、まるで「子どもが心配なら家で(母親が)みろ」と言わんばかりの環境ではないか。筆者の問題の出発点はそこにある。保育が貧困なことで、女性の就労が断たれる現実がある。

 保育所の見方は立場によって変わる。働く側から見た保育所という職場はどうか。

 筆者は機会あるごとに保育士の労働問題に触れてきたが、このように保育の質が低下しているのは、待機児童の解消ばかりに目が向き、両輪であるはずの保育の質、その根幹となる保育士の労働条件が二の次、三の次となっているからだ。

 保育所で働いている保育士は、約40万人いる一方で、保育士の免許を持ちながら実際には保育士として働いていない「潜在保育士」は、約60万人にも上る。その多くは、仕事に対する賃金が見合わない、業務が多すぎることを理由に辞めている。

 特に、株式会社の参入は保育の質の低下を著しくしたのではないか。これまで保育の公共性の高さから社会福祉法人が民間保育を担ってきたが、2000年に株式会社の参入が解禁され、その影響は大きい。その直後に発足した小泉純一郎政権は、雇用だけでなく保育の規制緩和も次々と推し進めていたのだ。そのことで、現在の親世代の雇用は崩壊し、生まれた子どもたちの保育は崩壊しつつあるという、親子で危機的な状況にさらされている現状がある。国の未来を左右する子どもの保育の予算は、国家予算のなかで国と地方を合わせてもたった0.5%ほどしかない。

 2015年度から、「子ども・子育て支援新制度」が始まり、保育所の仕組みががらりと変わった。政府は特に「認定こども園」を推進するが、本当に利用者や働く側に立った制度なのか。

 どの保育所であっても、教育を受けて現場でも経験を積み、プロとしての保育を実践できなければ、運・不運で親子の一生が左右されかねない。その状況を変えるためにも、今、保育所で起こっている問題を直視し、周囲の大人に何ができるかを考えたい。

 保育士も親子も笑顔で過ごすことができるように。

 

 

第1章

保育の現場は、今

 

 

地獄絵図のような光景/エプロン・テーブルクロス/「ほいくえん、いや。せんせい、こわい」/失われる生活の質/3週間、お散歩ゼロ/転園して赤ちゃん返り/オムツかぶれ/保護者の立場の弱さ/密閉状態の中で/定員オーバーの公立保育所/この保育所に預けて良いものか/怖くて入れられない/子どもの代弁者になれるのは誰か

 

 

 

第2章

保育士が足りない!?

 

 

いきなり1歳児の担任に/ひたすら慌ただしい毎日/安全を保つのがやっと/「もう、これは保育ではない」/”ブラック保育園”/そして、「潜在保育士」に/子どもを産めない/保育士に多い”職場流産”/恐ろしくて働けない/看護師からみた保育所/公立の保育士まで非正規化/非常勤は保護者と話すな/複雑化するシフト/園長にとっても”悲惨な職場”/元園長でも時給850

 

 

 

第3章

経営は成り立つのか

 

 

徹底したコスト削減/狙われる人件費/いかに儲けるか/管理、管理、管理/空前の保育士不足/人材集めの実際/人手不足が何をもたらすか/正社員ゼロの保育所/17人中採用は8人/認可外保育所の経営実態は/役所に踊らされる

 

 

 

第4章

共働き時代の保育

 

 

共働き世帯が増加するなかで/「働かなければ育てられない」のループ/病児、障がい児保育の少なさ/保育は親へのサービスか/認定こども園の実際/大きすぎる文化の違い/秋に出産して悩む母たち/園児に母乳は贅沢なのか/母乳の知識

 

 

 

第5章

改めて保育の意味を考える

 

 

人気取りの待機児童解消/消費税バーターというやり方/新制度は始まったが/補助金の構造問題/OECDは、規制を強化すべき/声をあげる現場/基盤は保育士のワーク・ライフ・バランス/改めて保育の意味を考える/子どもといることの楽しさ

 

(ここから私見です。)

 私も、こういう状況を長い間見たり聴いたりしてきました。子育ての現場だからこそ、社会全体の心のひずみ、制度のゆがみが鮮明に顕われてくる。

 以前から続くこういう状況を厚労省は把握している。次官の村木厚子さんも、元雇用均等・児童家庭局長、現在の政策統括官石井淳子さんも知っている。私は直接説明した。それでも、この人たちは政治家や経済界と一緒になって新制度を進めた。そこがどうしてもわからないのです。政治家は、現場を知らない人が多いのですが、役人のトップは知っている。知っていた。

 

 訓練する人は無資格でいいという規制緩和で始まり、利潤を目的に増え続ける障害児デイや学童の一部で、虐待まがいの状況が増え、特に酷いことになっている。(親身な、いい保育をしている人たちも居ます。ごめんなさい。)辞めた人たちの証言を最近繰り返し聴くのです。

 幼児や障害児に対して「訓練」という言葉は本当に恐ろしい。それが他人の子どもに対する「仕事・職業」になってしまうと、訓練する側の人間的成長が断ち切られ、親や、他の保育施設との連携が消えてゆく。http://kazu-matsui.jp/diary/2015/02/post-268.htmlに、詳しく書きました。

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 一見普通に保育が出来ている保育園や幼稚園でも、実は様々な問題を抱えています。以前、このブログに「待つ園長と待たない園長の話」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/11/post-219.htmlを書きました。

 保育園でしつけをしてくれという親たちの役場に対する要望に、それでは本当の保育は出来ないと感じ「待つ園長」。一方で、行事はいやだという親の主張に耳を貸さず、子ども優先で「親参加の」保育を進める「待たない園長」の話です。どちらも子どもの成長を優先に考える園長先生です。ここ数年、こういう種類の園長先生たちが、政府の言う「保育はサービス」という言葉に負け、生きる意欲を失ない、去ってゆく。

 幼児をはさんで、育てる側の心が様々にすれ違います。他人の子どもを集団で育てる(管理する)仕組みの宿命とはいえ、「育てる側の心が一つになる」という子育ての本来の目的が、いつの間にか忘れられ親や企業向けのサービスになっていく。

 それが、親子にとって、学校教育にとって、この国にとってどれほどの損失か、多くのひとが理解しないと、この国も欧米のように家庭から崩れてゆく。

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 こんな記事がありました。

 

「女性が輝く社会」に専業主婦は不要か

(プレジデント http://president.jp/articles/-/15180?utm_source=0429

「戦後の日本において、家事や育児、介護の多くを期待されてきたのは専業主婦だ。1978年の『厚生白書』で「同居は福祉における含み資産」とされたことからもわかるように、社会制度もそれを前提として設計されてきた。専業主婦が担ってきた日常生活、いわゆるプライベートは、市場経済のようなパブリックには直接登場しない領域である。いってみれば、現代社会は専業主婦の「見えない貢献」を前提に成り立ってきた。この事実を踏まえると、安倍晋三首相が推進している「すべての女性が輝く社会」は、専業主婦の貢献を「見えない」状態にしたまま議論が進んでいるように見える。」(後略)

 

(ここから私見です)

 子育てに関して、イデオロギーの対立や経済といった一面的なものさしではない、バランスの取れた記事・報道が出てきました。もっと増えてほしいと思います。安倍首相が言った「すべての女性が輝く社会」という曖昧な目標と施政方針演説の賜物かもしれません。えっ、という反応とともに、人々が「騙されているのではないか」と考え始めている。幸福論から、幼児(弱者)の役割まで思考がたどり着けば、まだ、間に合うのかも知れない。この国にはチャンスがある。

 ここにある、「同居は福祉における含み資産」。こういう真っ当なことが1978年の「厚生白書」に書かれていた。その辺りがこの国の賢さだったと思うのです。経済を金の動きという一面だけで見ない、もっと人間の心理、幸福論まで含む経済論が確かに存在していた。その知恵や常識が、子育てを雇用労働施策に取り込んだあたりから崩れはじめ、いつの間にか次元がとても平板に、白か黒かみたいなことになってしまっている。

 以前、経済財政諮問会議の座長が「幼児は寝たきりなんだから」と私に言いました。雇用均等・児童家庭局長に「子育てを女性に押し付けるんですか?」とも言われました。雇用均等と児童家庭が同じ局で語られることが不自然で、無理があるのですが、日本国民である幼児たちの気持ちを施策の上で感じようとする人がいない。

 

 

 

認可外保育施設の現況

 

 雇用均等・児童家庭局 保育課による報道機関に対するプレスリリース、「平成25年度 認可外保育施設の現況取りまとめ」〜施設、入所児童数ともに増加、ベビーホテルは減少〜 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000080127.html、を読みました。

 平成25年度、ベビーホテルの新設・新設把握158カ所、廃止・休止158カ所。その他の認可外保育施設は新設・新設把握474カ所、廃止・休止331カ所とあります。これを、「ルポ 保育崩壊」(岩波新書)で語られる保育の質の低下の実態と照らし合わせてほしいのです。以前、著作に書いたことがあるのですが、なぜこれほど新設と廃止が多いのか。この仕事は、単なる思い込みや儲け主義では成り立たない、幼児の成長や家族の人生に関わる仕事です。だからこそ計画通りにはいかないし、人材が集められなければやってはいけない。コンサルタント会社が儲け話として煽るような種類のビジネスではないのです。(http://kazu-matsui.jp/diary/2014/11/post-193.htmlhttp://kazu-matsui.jp/diary/2015/01/post-261.html

 「把握」ということばが使われているのは「把握」していない状況がかなりあるということ。コンビニならまだしも、保育施設がこれほど不安定な状況でいいはずがない。そこに明らかな無理と不自然さが読み取れるのです。保育所はどんな形であれ、日々の乳幼児の成長、日本の未来に関わる施設なのです。

 もっと驚くのは「立入調査の実施状況」です。

 ベビーホテルの未実施数が26%、その他の認可外も26%。繰り返し全国紙で事故や事件が報道されているのに、未だに「未実施」がこれだけあるなどあり得ない話です。不手際というより、怠慢。幼児に対する人権侵害、あまりにも雑な保育行政です。国の安全保障については毎日報道されるのに、乳児の安全保障に関しては以前からずっとこんな状況です。

 保護者たちに知ってほしいのは、この報告書に、立入調査を行った施設に関して、指導監督基準に適合していないもの、ベビーホテルが50%、それ以外の認可外保育施設が37%と書いてあること。それに対する指導状況は口頭指導文書指導がほとんどで、公表:0か所、業務停止命令:0か所、施設閉鎖命令:0か所です。こんな状況だから、ルポ 保育崩壊で報告されているようなことが起っているのです。

 保育園に対する行政の立入り調査は抜き打ちではありません。前もって準備や手立て、隠蔽が可能な立入り調査です。調査官の目の前で子どもを叩いたり怒鳴ったり、口に給食を押し込んだりする保育士はいない。つまり保育の実態は、事実上ほとんど把握できていないのです。それでも確信犯的に乳幼児の日々の安全、安心を脅かす違反がこれだけあって、公表も業務停止命令も施設閉鎖命令も行われない。こんな仕組みだから宇都宮のような事件が起り、それが賠償訴訟になる。http://kazu-matsui.jp/diary/2015/03/post-273.html

 (保育それ自体の質を行政が現場で確認できないなら、保育施設における正規、非正規、派遣の割合い、どのくらいの頻度で保育士が辞めてゆくか、その理由くらいは調査し、保護者に発表すべきです。)

 こんな現状でさらに保育のサービス産業化、一層の規制緩和を進め、総理大臣が、あと40万人保育施設で乳幼児を預かります、女性が輝く社会を実現します、と国会で宣言すること自体がおかしい。

 子ども・子育て支援新制度を進める内閣府のパンフレット、その「すくすくジャパン」というタイトル、そして「みんなが、子育てしやすい国へ」というキャッチフレーズが馬鹿馬鹿しく、虚しい。保育の質を整えず、ただ子どもを親から離し保育施設で預かる数を増やせば、それが「子育てしやすい国」なのだと政府が言う。この国は、そんな国であってはいけない。愛国心などと軽々しく言わないでほしい。愛国心とは、すべての子どもたちに責任があると人々が感じる心。政府の子育て施策に愛国心が欠落している。

 

 

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(韓国で)保育園の監視カメラ義務化法、国会本会議を通過

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000081-wow-kr

 日本もしっかりやれば良いと思います。しかし、監視カメラで作る信頼関係など、実は、信頼関係ではない。本来なら一日保育者体験(親が年に一日8時間、一人ずつ順番に保育を体験をすること)を義務化するような方法で信頼関係を築ければもっといいのです。しかし、そいういう方向で国政が動こうとしないなら乳幼児の安全を守り、子どもの最善の利益を優先するという保育指針を遵守し、すぐにでも全ての保育施設に監視カメラ設置する法案を国会で議決すべきです。

 保育という仕組みは、それが存在する全ての国で、問題の大小こそあれ、いずれこういう状況を生み出すのです。子どもを優先して考えれば、仕組みで子育ては出来ない。集団保育で子育ては出来ない、ということ。喜びと、祝う気持ちに囲まれて、子どもは輝く。それを見て大人たちが輝く。それをまず家族という単位でしていないと、「仕組みで子育て」には不信感という霞が、必ずかかってくる

 日本は別の方法を探ってほしいと思います。しかし、新制度で、もう40万人保育施設で預かると公約し、保育士不足が蔓延し、国がすべての園に立入り調査をする姿勢がないのなら、保育士がのびのび保育できない、などと理想論を言ってはいられません。監視カメラで守るしかない。誰にでも見せられる保育の確保、そこから再出発しないと大人たちの疑心暗鬼で回り始める保育崩壊は止められないのでしょう。

 保育や学校、福祉や民主主義という新しい仕組みは、親が親らしいという前提の元に作られています。その前提が「子育ての社会化」によって崩さされつつある現在、監視カメラででもいい。とにかく、まずは幼児を守らなければいけない。そうしないと、いつか必要になってくる出発点が失われる。

 

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(四年前のブログです。この頃に一日保育者体験が法制化されていたら、いまこの国はどうなっていただろう、と時々思います。http://kazu-matsui.jp/diary/2011/07/post-116.html)

 

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保育園の監視カメラ義務化法、国会本会議を通過

WoW!Korea 4月30日(木)19時26分配信

保育園の監視カメラ義務化法、国会本会議を通過

韓国の国会が30日に本会議を開き、保育園の監視カメラ設置を義務化する内容の「乳幼児保育法」改正案を議決した。(提供:news1)

韓国の国会が30日に本会議を開き、保育園の監視カメラ設置を義務化する内容の「乳幼児保育法」改正案を議決した。

 国会は、ことし2月に臨時会で乳幼児保育法改正案を審議し、本会議で予想外の反対・棄権票が続出して法案処理に失敗した。

これに対して世論の批判が高まると、与野党指導部は一斉に責任を痛感し、4月の臨時会で乳幼児保育法を最優先事項に再合意し、29日に改正案が法制司法委員会全体会議を通過した。

30日に乳幼児保育法は本会議で在籍190席中、賛成184・棄権6で可決した。

改正案は全ての保育園に監視カメラの設置を義務化し、録画した映像を60日以上保管するようにする内容が含まれている。

騒動となったネットワークカメラ設置の場合、保育園の園長と保育士、保護者の同意の下で選択的に設置することができるようにした。

「ネットワークカメラを設置すると、監視カメラを設置したものとみなす」という趣旨の内容も改正案には含まれている。

ただ、監視カメラ設置は義務化されたため、政府が設置費用を支援するが、ネットワークカメラは選択事項であるため、国家の支援対象から除外される。

政府や行政が知らない次元で保育は成り立つ

政府や行政が知らない次元で保育は成り立つ

 

 ある園長から聴いた、その園での話です。

 定員90名の保育園で、土曜日保育に25名来るのです。潜在的な保育士不足に加え、ベテランを確保しようとすれば財源不足になります。異年齢の保育士をバランスよく確保しようとすれば、支出の8割を人件費に廻さないとできません。しかも、11時間以上開所しろとなるともはやシフトが組めない。職員の週休二日制が崩れるのです。

 園長は、幼児の日常に責任があります。それぞれの子どもの充実感や楽しさにも責任があるのです。政府は簡単に仕組みを押し付けてきますが、単に土曜日だけ別の保育士たちにする、というわけにはいかない。

 親たちに、「このままでは職員の健康が保てません。保育は職員の健康に掛かっているんです」と少しきつめに言うと、土曜日保育25名がすぐに8名になったそうです。


 保育や子育ての問題の7割は、仕組みと権利意識が広まり、お互いに親身な会話が出来なくなっていることにある。子ども優先に気持ちを込めて話し合えば、いま保育界を窮地に追い込んでいる数々の問題が解決できるかも知れない。

  土曜日も市が就労証明をきちんと取って、政府が保育をサービス産業化しようとしなければ、子どもはなるべく自分で育てようという哺乳類としての常識が、保育という仕組みを守ってこれたのですが、こんなことを親たちにハッキリ言える園長はもう稀です。親とのトラブルや行政からの変な指導を避けているうちに、子どもの日々を優先し、保育士の健康を体を張って守ろうという園長さえ少数派になってきている。

 

 「保育士と一生の友達になるつもりで」と親たちに言います。

 一緒に育てた人たちなのです。ひょっとするといつかどうしてもわからなくなった時、大切なヒントを教えてくれるのはその人かもしれない。子育てに関わる唯一の相談相手かもしれない。そして何より、幼児期を知っている人に囲まれて子どもは育ってゆくべきなのです。20万年くらい、それが当たり前だったのです。一番輝いていた頃を知っている人たちの目線が必要な時が来るかもしれない。

 

 「遅れて迎えに来た親には超過料金を取ればいい」と一人の園長が言いました。

 別の園長が「それでは、お金の関係が成立してしまう。私は取らないで説教する。他人に迷惑をかけてはいけない、と。お金がすべて解決する、という気持ちが育ってはいけないんです」。

 そうですね、と園長たちが頷く。一緒に子どもを育てているかぎり、それはお金の関係であってはいけない。信頼が育つ関係でなければいけない。政府や行政が知らない次元で保育は成り立ち、会話が成立する。

 

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 挨拶をしない実習生が居て、いちいち指導しなければならない、と嘆く園長。そのまま自然に、挨拶をしない親たちの話になる。積極的に自分からするしかない、と保育士を指導すると、親から園長に「保育士に挨拶させないで下さい。話しかけないで下さい」と苦情。

 「無理です!」と強く言うと、役場に「あの園長こわい」と訴えたそうです。この親も実習生も、幼稚園か保育園に通っていた頃は挨拶をしていたはず。心に内在する人間不信が自己主張が出来る小学校高学年くらいから表れ、親になる。

 

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 モラル・秩序が育たなくなってきた社会で、政府の言う「社会進出」してみても、輝くかどうかはわからない。人間の幸せは、身近な人間関係と安心感による部分がほとんど。

 幼児に全身全霊で頼り信じてもらって人間はひとまず安心する。


 自立を目指せば孤立につながり、幼児期の愛着関係不足が不満となって園長や保育士にぶつかることが増えた。園での信頼関係が崩れると負のサイクルが増幅。優しさと重なる常識が消えてゆく。

 そうした信頼の土壌を壊していくような政治家の施策では、欲のある人がギラギラ輝くチャンスを増やすだけだと思う。