灰谷健次郎さんのこと

 さっき、突然のメールで、灰谷さんの本読んで感動した、という友人の言葉が届きました。読んでいて、私のことを思ったと書いてあり嬉しかった。灰谷さんどうしているかな、とネットで検索すると、とっくに亡くなっている。あれっ、という感じ。

 海外にいることがしばしば長かったりすると、時々こういうとんちんかんなことになる。私は、音楽で言えばサザンとか、あのあたりをリアルタイムでほとんど知らない。人生は結局は記憶の中に存在する。その連続性はひとり一人異なるのだが、情報は連続性の重要な一部で、時に体験よりも鮮明だ。

 灰谷さんを紹介してくれたのは宅間英夫さん、「和君、これを読んでみ」と言われて「兎の眼」をもらった。38年前のこと。そうか、お二人はもうあっちの世界で再会していたんだ。それを思うといい気分がする。このいい気分は現実の一部に違いない。情報ではなく、自分自身が創り出したもの。
 たぶん、灰谷さんが一番会いたかったのは宅間さんだったと私は勝手に思う。
 短大の保育科で教えていた時に、「兎の眼」を使わせてもらった。なぜか少し躊躇したのだけれど、育て合う人間の熱い思いを現場に持って行ってほしい、子どもに学ぶのが本筋だと学生たちに気づいてほしくて使った。灰谷さんの作品には、一瞬躊躇してしまう要素がある。でも、本人に会った人は、そんな躊躇は本能的なものではないことに気づく。学校教育が躊躇を招くのかもしれない。もっと原点を言いたかったんだろう、と私は思う。
 あの頃はずいぶん授業に児童文学を使った。サトクリフの「太陽の戦士」ワイルダーの「農場の少年」。
 今日は、これから学校の先生500人に講演をしに出かけます。こんな日の午前中に,久しぶりに灰谷さんのことを思い出させてくれた友人のメールに感謝。

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