茅野市との不思議な縁/マニフェストに一日保育士体験を入れて市長が当選

 前茅野市長で現長野県教育委員長の矢崎さんと全国教育委員長会議で出会ったのがきっかけで始まった茅野市との不思議なご縁です。以前から茅野で絵本の読み聞かせ運動を進めていた牛山圭吾先生とは長いお付き合いでした。それが矢崎さんの推薦で去年役場とつながって、現市長が一日保育士体験をマニュフェストに入れて再選されたので、6月から一斉に保育園で始まります。今月中にすべての保育園で保護者に講演することになりました。半分終わりました。

 今日も、二つ講演して来たのですが、講演のあとに課長さんや園長先生たちと色々話をするのが楽しみになり、今日も一つ勉強になりました。
 茅野では、昔から小学校の入学式は父親が子どもについてゆくのが習慣だったそうです。母親は家で御馳走を作って待つのだそうです。今では変わって、夫婦で来る方も多いのですが、それが昔は当たり前で「他では違うのですか?」と園長先生に聞かれてしまいました。
 「そうですよね課長さん」
 「そうです。私の頃は,父が来ましたし、息子の時も私が行きました」
 そこで私が、沖縄では常識的に5才児はみんな一年間幼稚園に行きます。保育園の卒園式は伝統的に4才児です、という話を披露すると、みんなそれにはさすがにびっくりしていました。
 先週の日本保育学会の大会、「多くの方から大絶賛でした」と大豆生田先生からメールをいただきました。
 びーのびーのの奥山さん、ゆうゆうのもりの渡辺先生、白梅大学の汐見学長、そして玉川大学の大豆生田先生と私でした。時間が短かったこともあり、私はちょっと熱くなってしまい、どれだけ思いを伝えられたか心配だったので、ホッとしました。
 

若い議員に陳情

 午前中、国立市の私立幼稚園PTAでお母さんたちに講演。偶然聴きに来ていたひえださんという若い女性市議が、講演のあと他の若い男性市議二人にすぐ電話して、ホールのロビーで色々話をしました。駆けつけた若い政治家たちに、幼児たちの存在意義、親心が崩壊してゆくと弱者に厳しい社会になってしまうこと、福祉が家庭崩壊を進めてしまう危険性などについて話しました。そして、たぶん一日保育士体験が唯一の解決策だと思う、と言いました。20年後のことを想像しながら,頼むよしっかり、半分祈りながら気合いが入ります。

 そのあと、茨城の梶山ひろし代議士の秘書の方が、来週ひたちなか市でやる講演会の打ち合わせに来られました。津波の影響はまだまだあるようです。市長さんや県議の方たちも来られるようで,いい機会をいただきました。先日自民党本部で講演したのがきっかけになっています。茨城でも何か始まってくれると良いのですが。
 以前国交副大臣時代にお会いした熊本の金子代議士も聴きに来られるとのこと。いま、保育界は大変な時期にさしかかっています。説明したいことがたくさんあります。

 明日は玉川大学で日本保育学会の大会があり、パネルディスカッションに出ます。久しぶりに汐見先生と一緒です。司会は大豆生田先生。テーマは「子どもは誰が育てるのか」。はっきりとした線引きは出来ないのですが、極端に言えば親か社会か、ということでしょう。「社会」の定義があいまいなので噛み合ない部分もあると思いますが、福祉で子育ての肩代わりをどこまでするのか、危険水域の見極め、という議論になるのでしょう。

 明後日、22日日曜日は中野の環境リサイクルプラザで講演します。これは一般に公開です。一時からです。お問い合わせは「はぴふる」までどうぞ。

佐伯昭定先生のこと。

 昨日の国神保育園に続き、今日も秩父の明星保育園で講演しました。両園は姉妹園です。真言宗のお寺の保育園。びっくりしたのは、八十才を越えた創設者でもある道祖神園長先生、小学校が明星学園で照井げん先生に音楽を習ったとおっしゃるのです。その時の授業や修学旅行がいまだに忘れられずに保育園に明星と名付けたそうなのです。私はおげん(お元)先生の最後の教え子。おげん先生は私が入学した時にはもうおばあちゃんでした。私は小学校しか明星に行っていませんが、お互いにその時期の思い出が強く、歳がこんだけ離れていてもやはり共通して習った先生が数人いて、いろいろと懐かしく話をしました。当時の明星学園は修学旅行で京都に行き、帰りは船で帰ってきたのだそうです。もちろん戦前です。照井先生が一学期かけて道中出会う物に関連づけて授業をしてから出かけたそうです。

 ちょうど、前回遠藤豊先生のことを書いたばかりだったので、これは偶然ではないような気がします。昔の授業の思い出をもう一つ書くことにしました。

 私の小学一年生から三年生までの担任は佐伯昭定先生でした。ピー閣下とあだ名され怒ると怖かった遠藤先生とはまた違った、柔軟性のある魅力的な国語の先生でした。
 いまでもはっきり覚えているのは、「ダムのおじさんたち」という絵本を使った授業でした。当時の明星学園の授業はほとんど教科書を使いません。あのころ国語の授業で読んで話し合い、美術の時間には一学期かけて絵まで描いた「ごんぎつね」や「なめとこはまのくま」、「てぶくろをかいに」「だいぞうじいさんとがん」は、子ども心にすごい話だなと思いました。その時の言葉の向こうに見える空間、感触を鮮明に覚えています。私は宮沢賢治か新美南吉か、となると新美南吉が好きでした。
 「ダムのおじさんたち」は後に「だるまちゃんとてんぐちゃん」で有名になる加古里子さんの初期の作品。
 ダムのおじさんたちが、ダムを造るのには何が必要か、という佐伯先生の問いかけに、45分かけてみんなが必死に答えを出そうとしていました。シャベルとか、つるはし、大きな重機など次々と答えるのですが、先生は、一番大切なものを忘れている、と私たちに問い続けました。みんなの頭の中がかなり混乱し始めた頃、最後に、だれかが小さな声で「ごはん?」と言ったのです。先生は「そう!」と言いました。
 この授業、いまだに私の中に生きています。

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遠藤豊先生のこと

2011年5月

今週,埼玉で学校の先生たちに二度講演しました。

保育という仕組みの問題点は、幼児という特殊な人間の存在意義を確認するという原始的な人間の遺伝子に関わってくる根源的な問題なので説明しやすいのですが、学校教育はそれとは違った側面を持っていて、それはたぶん、ほとんどの人間の人生にとって役に立たないことを子どもたちに大量に教えることが人類全体の可能性をのばしてゆく、というかなりしっかりとした絆意識がないと持続出来ない目的が、学校教育の普及とともに進む家庭崩壊によって見えにくくなってくる、という面倒な説明をしなければならない点にあり、そこで私も苦労しているのです。

それを一時間半でうまく現場の先生たちに説明出来るほどに私がまとめきれていないのだと思います。授業とは何か、役に立たない事を子どもに教える過程で何が大切なのか、を考えていたのがきっかけで、遠藤先生のことを懐かしく思い出し、考えました。

 

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 遠藤豊先生は私の小学校5、6年生の時の担任で、のちのち自由の森学園というかなり斬新な学校を創った人です。

 

とにかく素晴らしい授業でした。授業というものにあれほどの充実感を感じたことはそれ以後一度もなかったような気がします。いまの私の考え方は、自分で考えよ、基本的な情報以外の情報には惑わされるな、自身の体験を考える柱に必ず置く、というあたりが特徴なのですが、明らかに遠藤先生の理科と数学の授業が影響していると思います。

五年生の時、電気について一学期かけて考えたことがありました。電気は明るい、熱い、から始まり、「明るい」とは何か、熱いのはなぜか、と進み、電気が流れるとはどういうことか、まで続いていくのです。数学でいくつかの定理を学んだ時、先生は、その定理を発見した人の苦しみと楽しみと驚きを100分の1でも小学生に感じさせようとしていた。その定理を覚えることより、その定理が生まれた時の感動や苦悩を知ることの方がはるかに重要だと考えていたのです。

 兄の担任が無着成恭先生で妹の担任が寒川道夫先生でしたから、当時の教育界ではかなりのメンバーです。私は、その当時の自由教育を、受ける側で体験した人間として、今話している講演でも、「自由」という言葉に捕われることの危険性を常に言います。実は「自由」という言葉が「不自由」を創造する言葉であることについて話します。
 人間は自由にはなれないし、古代ギリシャの「自由人」は20人の奴隷を持って労働から解放された人のことを言った、多くの場合「自由」という言葉を使う争いは、階級闘争の中の利権争いに過ぎない、というようなことも言います。
 遠藤先生が自由の森学園を創設した時に、すでにそのようなことを私は講演し、本に書いていました。親が乳幼児に自由を奪われることに幸福感がなければ人類は滅んでいるはず、不自由になること絆をつくることに人間の幸福の原点があって、それを義務教育の普及が人間に忘れさせる、夢は多くの場合「欲」に過ぎない、というような論旨でアメリカの家庭崩壊と義務教育の崩壊の関連を実例に挙げ話していたのです。にもかかわらず、先生は学園創設前の先生たちの勉強会で私に講演をさせました。自由の森学園の創設に集まって来た教師たちに向かって、私は、「これは学園ではなくて楽園を目指しているのではないか。それでは子どもが将来苦労する」「子どもたちを使って、教師がこういう実験をしてはいけないのではないか」「こういう所に子どもを入学させることを『子育て』と勘違いする親がでるのではないか」などずいぶん強烈な論陣を張ったように思います。
 私の本を既に読んでいて、そういうことを言うだろうとわかっていて、あえて私に講演を依頼した遠藤先生は、私という生徒が自分の教え子の代表選手と思っていたふしがあるのです。これは嬉しかった。小学校の担任の前で、私はのびのびと論陣を張ったのです。5、6年生の時の授業のように。そして、第一回の入学式で尺八の演奏をしました。
 「鶴の巣ごもり」という禅宗の曲でした。親子の愛を表現した珍しい古典本曲を吹きました。その後、自由の森学園の生徒たちにも講演させてくれました。
 先生は、教育の現場で「自由」という言葉と心中したような気がします。
 私は先生に小学生の時に、二度ほどげんこつでガツンとやられました。今でもよく覚えています。理由も覚えています。しかし、自由の森を創った頃には、先生はもうすでに自分で手足を縛ってしまっていた。
 そんなことを長野に車で往復しながら考えました。そして、私の恩師の行った道を、自分がちゃんと受け継いでいることに気づいて、ちょっと笑ってしまいました。緑の山々の中に、あの懐かしい遠藤豊先生の顔が見えました。

灰谷健次郎さんのこと

 さっき、突然のメールで、灰谷さんの本読んで感動した、という友人の言葉が届きました。読んでいて、私のことを思ったと書いてあり嬉しかった。灰谷さんどうしているかな、とネットで検索すると、とっくに亡くなっている。あれっ、という感じ。

 海外にいることがしばしば長かったりすると、時々こういうとんちんかんなことになる。私は、音楽で言えばサザンとか、あのあたりをリアルタイムでほとんど知らない。人生は結局は記憶の中に存在する。その連続性はひとり一人異なるのだが、情報は連続性の重要な一部で、時に体験よりも鮮明だ。

 灰谷さんを紹介してくれたのは宅間英夫さん、「和君、これを読んでみ」と言われて「兎の眼」をもらった。38年前のこと。そうか、お二人はもうあっちの世界で再会していたんだ。それを思うといい気分がする。このいい気分は現実の一部に違いない。情報ではなく、自分自身が創り出したもの。
 たぶん、灰谷さんが一番会いたかったのは宅間さんだったと私は勝手に思う。
 短大の保育科で教えていた時に、「兎の眼」を使わせてもらった。なぜか少し躊躇したのだけれど、育て合う人間の熱い思いを現場に持って行ってほしい、子どもに学ぶのが本筋だと学生たちに気づいてほしくて使った。灰谷さんの作品には、一瞬躊躇してしまう要素がある。でも、本人に会った人は、そんな躊躇は本能的なものではないことに気づく。学校教育が躊躇を招くのかもしれない。もっと原点を言いたかったんだろう、と私は思う。
 あの頃はずいぶん授業に児童文学を使った。サトクリフの「太陽の戦士」ワイルダーの「農場の少年」。
 今日は、これから学校の先生500人に講演をしに出かけます。こんな日の午前中に,久しぶりに灰谷さんのことを思い出させてくれた友人のメールに感謝。

人形/ なぜ人間は人形をつくるのか

 (五月五日、被災地の空に鯉のぼりが泳ぐ。外国人にとっては不思議な光景だろう。以前、「なんで魚なんだ?」とアメリカ人に訪ねられたことがあった。日本人はかなり不可解なことをする。先進国の中では特にその不可解さが目立っている。渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社)に、150年前この国を見た欧米人の驚きが集約されている。第十章、「子どもの楽園」は感動的。後々作られた儒教的、武士道的日本のイメージが吹っ飛ぶ。欧米人が「パラダイス」と書き残した国のひとたちは、大らかで、時空をわかちあうひとたちだった。まるで鯉のぼり。

 人類は不思議なことをする。社会における人間性の確認か、自分の人間性をそれぞれが思い出すためか。いずれにしても、鯉のぼりは抜群にいい。被災した人々と被災地に舞う鯉のぼりが、私に元気をくれるような気がする。ありがとうございます。)

 人形

 誰の家にも人形があります。30や40はあるはずです。

 平均いくつくらいあるか、ちょっとイメージで考えてみましたが、日本という国は特に一緒に暮らす人形の数が多い文化かもしれない、と思いました。おひな様が2セットあったら、それだけでけっこうな数になります。こけしや雉馬、鯉のぼり、ぬいぐるみや鉛筆や箸の先っぽについているものまで丁寧に数えていったら、一世帯平均100くらいになるかもしれません。これだけの数の人形が、全ての世帯にあるのだとしたら、私たち人類は、こういう物(者)をかなり必要としているということです。人形は私たちの「人間性」の一部だということです。

 なぜ宇宙は、私たち人間に人形を与えたのか?

 人形を見ながら考えると、ふと、なぜ宇宙が私たち人間に0歳児を与えたかが見えてきます。

 0歳児が私たちから引き出そうとしているもの、人形が私たちから引き出そうとしているものが、似ている。

 優しさだったり、祈る気持ちだったり、忍耐力、言葉を介さないコミュニケーション能力…。良い人間性を引き出そうとしているのだな、と思います。良い人間性とは、調和に向かう人間性でしょう。

 人間の面白いところ、不思議なところは、自分をいい人間にしてくれる者たちを自ら生み出し、つくり出すというところです。それが、0歳児であり人形です。


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