前回、「数字的に、日本はあの三十年が始まる数歩手前、いまの欧米の五十年くらい前にいる。まだ、この国には、利他の心を思い出し、耕し直すチャンスがある。土壌がある」と書きました。
あの三十年とは、アメリカで、ホームスクールを選択する親が、一気に百倍に増えた時のこと。
その前に書いた、「日本の本当の姿を、欧米人が伝えてくれる」では、日本の特別な土壌について、それを「パラダイス」と書き残してくれた欧米人が150年前にいたことを、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)から引用し、書きました。
その日本の素晴らしさが、欧米のものさしを国際水準のように言うことで壊されようとしている。
国連の幸福度調査というのがあって、第1位がノルウェー(日本は51位)、しかし、殺人事件の被害者になる確率を比べれば、日本の2倍。レイプにあう確率が20倍なのです。
徴兵もある。
ベトナム戦争の末期に友人たちが徴兵にかかった経験を持つ私たちの世代は、この制度が、国によって強制的に「人権」を放棄させられることだと知っています。モハメド・アリ、ボブ・ディランの世代ですからね、この制度には敏感なのです。
(知り合いの某有名ミュージシャン三人も、徴兵のクジ番号は近づいたとき、戦場を避けるため志願してロサンゼルスの軍楽隊に入った、と話してくれました。銃よりも、楽器を持っていたい、そういう風に生まれた人たちなのです。軍楽隊の指揮官は、大喜びだったそうですが……。)
一年半の徴兵をさほど不幸と思わないようにする「教育」は可能でしょう。ノルウェーでは出来ているのかもしれない。なにしろ、幸福度一位ですから。日本も、過去に、やったことがある。
でも、私は、そういう教育を受けたくはないし、子どもにも受けさせたくない。ボブ・ディランに加え、ビートルズ、ピンクフロイド「The Wall」を聴いていた世代です、教育で幸せのものさしを強要されるのは、嫌なのです。
「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」を生み、それが圧倒的に支持され、「男はつらいよ」という、無欲の幸福論と家族の絆を提示する映画を続けさまに四十八本も作った、徴兵のない、この国のものさしが好きなのです。
もし、ウクライナのように、理不尽に日本が攻められたら、私も、家族のために闘うでしょう。(もう歳ですが。いや、歳だから?)でも、いまの政治家たちに、自分や、自分の子どもの命を預ける準備や訓練をさせる気はない。
愛国心を言うなら、もっと幼児たちの願いを感じなさい、「ママがいい!」という言葉に耳を傾け、国の将来を大切にしなさい、と彼らに言い続けます。
子は鎹(かすがい)と言いますが、それは即ち「子育て」が鎹(かすがい)ということでした。それを分かち合うのはいい、でも、国がそれを分業にしては、根幹が崩れる、と言い続けてきたのです。
(演奏する楽器からもお分かりになるかと思いますが、私は、この国が好きです。)
国連の幸福度調査は、そのものさしが、「欲の資本主義」の真ん中あたりにいる視野の偏った人たちによって決められたのだと思います。
野心的であることが前提の、強者の幸福論になっている。
「欲を捨てることに、幸せへの道がある」という仏教の教えや、「貧しき者は幸いなれ」と説く聖書の幸福論は考慮されていない。金額とか、地位で「成功」を測る人たちの、いわば、ネズミ講のネズミを増やすための計略のようなものです。
輪になってよく踊る、とか、みんなでよく歌う、とか、自分の子どもを可愛がる、とか、祭りでの一体感がすごい、といった、古(いにしえ)の尺度は、ほとんど使われていない。美学が感じられない。
何しろ、日本が51位ですからね。そこに意図を感じます。欧米コンプレックスから抜けられない日本の学者が国連の中にいるのかもしれません。
そんな順位を気にして、11時間保育を「標準」としたのなら、この国も、相当危ない、崖っぷちに立っている。そこなのです。
国の根幹を揺るがす「母子分離策」の裏に、この幸福度調査で日本が指摘される、女性の経済競争への参加率や、政界への参加率が高いほど幸せなのだ、という考え方、そして、欧米に対して「いい顔をしたい」政治家と学者の欧米コンプレックスがある気がしてならない。
私は、国連の馬鹿げた順位など、どうでもいいんです。
ただ、こうした順位が、この国の本来の姿を見失わせる施策につながり、子育てと重なる「利他の幸福論」を忘れさせ、欲の資本主義に取り込むための道具になっているのがわかるから、書く。
(私は、あそこで演奏したことがありますが、その、淀んだ「気」の悪さを、いまでも覚えています。何が、集まってきているのだろう、と思いました。
モルドール「指輪物語」に来たような、と説明すれば、また、「非論理的」と言われるでしょう。
しかし、ベトナム戦争末期に登場人物の賢者ガンダルフを「大統領に!」というデモ行進がアメリカ各地で沸き起こったのを、私は見ている。指輪物語(by J.R.Rトールキン)の内容は、私も含め、あの時代の人間たちにとって啓示的で、二十世紀に最も読まれた文学作品の一つ、とまでいわれるようになった。
そのことが、あの物語が「価値ある指針」を含んでいることを証明している。
人類が目指すのはモルドールではない、「ホビット庄」The Shire だということ。
トールキンは、村社会におけるイギリスの保守的伝統とか、欲得ではない忠誠心に価値を見ると同時に、The Shireと日本を重ねていたような気がする。)
国連の幸福度調査、第2位が、低年齢のシングルマザーが問題になり、傷害事件の被害者になる確率が日本の15倍というデンマークです。
この国も徴兵制を敷いています。
銃の撃ち方を訓練できても、若者に、希望や充実感を与えることも、モラルや秩序を教えることもできていない。ドラッグ汚染率が日本の5倍、という数字を見ればわかります。日本の状況はまだ良い、という比較も大切ですが、それより、この「国連の幸福度調査」の意図するところに気づいて欲しい。
こんな順位と幸福度がグローバルスタンダードになり、押し付けられたり、支持したら、人類は混沌、混乱に陥る。いや、もう陥っている。
ひょっとして51位は、いい順位かもしれない。
デンマークに住む日本人からの情報が、ネット上にありました。
(増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?)、https://blog.goo.ne.jp/ymat123/e/bb58f2461322ae28354e4903cfce961f
「ヤング・マザー」というテレビの番組が人気、とか、「十三歳で母親になる少女が増えており」など、幼児期のネグレクトに関する新聞記事は十二年前の記述ですが、リアリティーを感じる情報です。
「福祉」が必要になった時には、すでに取り返しのつかないことになっている。
この新聞記事の中で、ヤング・マザーにトレーニングを行うハウス長が、若くして母親になった少女の5人に1人が計画的に妊娠していると言い、
「ここに来る若い母親たちは、幼児期にネグレクト(親からの放置)を受けたケースが多いのです。だから、若くして、家族を持ちたい!愛情が欲しい!と思うのです。それは、彼女らが考えた末の、ひとつの戦いの結果なのです」と証言する。
何が、少女たちを「戦い」に向かわせたか、なぜ結果がそうなるのか。
塾から帰ってくる子どもたち
私は、人生の半分の時間を海外で過ごし、アメリカを中心に様々な国を見ました。そして、最近急に悪くなってきたとはいえ、日本は世界で一番いい国だと思っています。
暗い夜道を、塾から歩いて帰ってくる子どもたちを見ると、特に、そう思うのです。
夜、子どもが歩ける国、これは、実は一度失うと二度と手に入らない財産です。そして、塾に行くお金を出す、子どもに関心がある親たちがこれだけいる、というのもいい。
塾で覚えたこと、学校で習ったことは、将来大して役に立たない。でも、なんとなくでいい、子どものために無駄に思えるお金を使う(捨てる)、これができる親たちが、まだまだ居る。
ご飯を用意して待っているんだ、と想像し、嬉しくなります。
親バカは、幸せへの一本道、とある園長が言ってましたが、その通りだと思います。理論でも理屈でもない。親バカである確率が高い国が、いい。
「私が一人で公園に座っていれば、変なおじさん。でも二歳児と座っていれば、いいおじさん。この仕掛けに気づいて感謝しないと、人生の目的を見失います」という私の講演を、ほとんどの人が理解してくれる。
この下地というか、土壌はありがたい。
すごいことだと思います。
トトロの森と、千尋と寅さん、ワンピースとドラゴンボール、こういう不思議な存在の「働き」に、つくづく感謝です。心が清くないと、雲に乗れない。そんな教えを支持する人たちがこれだけたくさんいることが、嬉しい。
(最近世界中で起こっている、日本のアニメブームを見ていると、人類が、何を求めているのか、よくわかります。罠ではない、本当の幸せのものさしを探しているのです。)
保育園や幼稚園で行事があると、親や祖父母がたくさん見に来ます。三十年前より、ずっと増えている。気づき始めているのです、本来の姿に戻らなければ、と。
しかも、(敢えて言いますが)実の親が多い。この国の素晴らしさであり、動かし難い土壌の「エビデンス」。
遥か向こうに、手塚治虫さんや宮沢賢治さん、木喰さん、親鸞聖人、等々、(個人的には、ローラ・インガルス・ワイルダー、アストリッド・リンドグレーン、ローズマリー・サトクリフ、等々)沢山の先人たちが居られます。
自然治癒力を高め、そよ風に吹かれていることを幸せと感じるようなものさし、自浄作用を残してくれた人たちに感謝しなければいけません。本当に、ありがとうございます。
いただいたものを伝承する役割を果たせますように……。
コロナ禍から復活した、阿波おどりの「総踊り」をユーチューブで見ました。
ああ、これだ!
と、心が震えました。
この国は、立ち居振る舞いを忘れていない。
つながらなければいけないものと、つながる術を知っている。
先導してきた鳴り物の人たちが、両脇に退き、女踊りを迎える。
見えてくるだけで、涙が止まらない。
この人たちのお陰だ、とわかる。
阿呆な男たちを従えて、整然と行く美しさに、ありがたさがある。
男女は、賢さを競うのではなく、それぞれに、阿呆さ、を競う。子どもたちのために。
この国が51位なら、それで結構。
同じ阿呆なら、踊らにゃ、損、と思うのです。
(続きます)
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