「子どもの貧困」

米国大統領選のトランプ支持者の異様な騒ぎ方を見ていると、徴兵制度という踏み絵を一度踏まされた60年代70年代の昔の若者たちが、自分の人生に辻褄を合わせようとしているのを感じる。学校の校長も教会の牧師も、戦場に若者を送る手伝いをしていたことがあったのだ。

あの時の分断、そして、マスコミに踏みにじられた自分たちの「愛国心」を、やはりそれは純粋だったんだと思いたい。

私の音楽家の友人たちも、ベトナム行きの運命にかなり近づいたことがあって、その時の話を冗談交じりに話してくれた。

「前線に行きたくなければ、徴兵される前に軍楽隊に志願するんだ」と話してくれたのはロビンだったか……。ロサンゼルスの軍楽隊には、ハービー・メイソンとマイク・ベアード、そしてトム・スコットがいたという冗談か事実かわからないような話を聞いたことがある。それは、音楽家として最低限可能な反戦運動だったのかもしれないが、たとえ順番が来る前に戦争が終わったとしても、踏み絵を踏まされたことに変わりはない。

真剣に生きようと、戦場に志願していった友人のことを懐かしそうに話してくれた人がいた。ベトナム戦争はその前半、志願兵でほぼまかなわれていた。

「子どものころ、奴は、野球場で国旗を見上げた。その時、横に居たのは父親(オヤジ)だったかもしれない。みんなで一緒に国歌を唄う。すると、魂が震えるんだ」

と彼は言った。

「そういう風に生まれてしまった。どうしようもないことなんだ。わかるかい?」

私は、頷く。この説明の方が、祖国と自由、という実感のない言葉よりも理解できた。

「独立記念日に。軍楽隊を先頭に兵士たちが行進するのを見て、突然何かが溢れてきて胸がいっぱいになる。足音が心に刻まれる。友情や恋愛、郷愁なんてものとは違う、もっと崇高な目標を、その時自分一人で選んでしまうんだ……」

そう言いながら彼は、少し嬉しそうだった。

「不幸になると思って、志願するやつはいない……。覚えておいてくれ。死ぬかもしれない、それもわかっていた」

私は、その言葉を書き留めた。

「当たり前のことだけど……、兵士になるということはそういうこと。すすんで自由と平等というやつを捨てるんだ。それも魅力の一つさ。人生を舐めている奴らには絶対にできない。

持って生まれた資質に誠実な、そういう風に生まれついた少年が一人前になろうとした。それを利用して戦場に送ったんだ。蜃気楼にでも感動できるように、とまでは言わないが、もっとやりようがあるだろう。こんなのはフェアじゃない」

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「子どもの貧困」

 

ある朝、「子どもの貧困」という見出しを新聞で見た。ただ、その言葉に、強い違和感を感じた。

社会現象、社会問題のように、マスコミは報じ批判する。例えば「不寛容な社会」というような言葉を使って。

助けなければいけないとしても、この言葉「子どもの貧困」を黙って受け入れるわけにはいかない。慣れてもいけない。「子ども」が親から切り離されている感じがする。

貧しい一家、貧しい一族、貧しい村、貧しい国、なら違和感はない。子どもは誰かに守られていて、誰かとセット、というイメージの中で捉えることができた。そこに、社会の主人公はいる。

でも、新聞で見た「子どもの貧困」という言葉の裏側には、孤立して、守り手が身近に居ない子どもの集団を感じるのです。あってはならないこと、を感じるのです。

「子どもは親の所有物ではない、一人の人格」などと言う人がいましたが、そんな哲学じみた偽善では、子どものお腹は一杯にならないし、心も満たされない。子どもたちには何も伝わらないし、こういう種類の責任回避を子どもたちは喜ばないと思う。子どもは庇護のもとに生きる人たち、可愛がられる人たち、愛されるためにいる人たちです。

「子育て」は、たぶん八割くらいの人たちが、それぞれに自分の子どもを可愛がって、寄ってたかって甘やかしていれば、全てがうまく回っていく。そういうもの。

ここに一枚の写真がある。タミルナード州のダリットの村で撮った写真です。この母子は貧しいのですが、その姿から私は不幸を感じない。

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信仰の対象となり、無限に多くの人々を励まし勇気づけてきた聖母子像は、母に抱かれる幼子、神の子の姿でした。人間性が生まれる原点がこの組み合わせにあるから、尊ばれ、拝まれてきたのでしょう。

欧米のように家族の定義が崩れ、半数以上の家庭が伝統的な家庭観を(血のつながりという形で)維持できなくなった国々では、「子どもの貧困」は欲(夢)の追求という流れの中で現れた「社会現象」かもしれない。しかし、日本はそこまで崩れていない。正直に、「親の意識の問題」と報道しないと、心の貧困化に歯止めがかからなくなる。

私たちがいま突きつけられているのは戦災孤児や難民の問題ではなく、干ばつや洪水に襲われた結果でもない。

水道の蛇口をひねれば澄んだ水が出て、スーパーマーケットには新鮮なカタチの揃った野菜があふれ、高級外車もたくさん走っている。子どもが怪我をしても、119番に電話をすれば救急車が駆けつけてくれる。塾帰りの小学生が夜道を歩くことができる。豊かさと治安という面では世界一と言って良いこの国で、「子どもの貧困」はすなわち「大人たちの心の貧困」「絆の希薄化」、「弱まってきた家族や親戚、友人の結びつきの問題」と指摘すべき。もし、それを阻むのが、プライバシーの侵害、個人情報、などという絆を分断させようとする言葉なのであれば、こういう言葉の裏にあるものに早く気づいて捨ててしまわないと手遅れになる。

物の豊かさに反比例するように、心の豊かさと信頼関係を捨て始めている人たちがいる。

聖書に、心の貧しき者は幸い、と書かれている。心の豊かさを求める者ということであって、心の豊かさを捨てることではない。仏教でいう他力本願は、幼児の隣に座ることが、易行道の本道ということ。これほど易しい道はない。

繰り返しますが、こういうことがまだ言える国、流れを変えることが出来る国だから私は言うのです。まだチャンスはある。

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一人ひとりの子どもの事情を知ることはできない。だからこそ福祉とか制度、という人もいます。でも、だからこそ家族、だからこそ「子育て」に対する意識、弱者に信頼されることの幸福感だと思う。一つの「貧困」の周りに、数人の「その子の小さい頃を知っている」親身な視線があれば、日本のように豊かな国はだいじょうぶ、弱者が強者の心を育てるという「子育ての道筋」があらわれる。

耕し直しができるとしたら、幼稚園、保育園、しかないのではないか、と私は言い続けてきました。ほぼ全員が親子でそこを通って行くからです。幼稚園、保育園をやっている人たちの意識が、子どもの最善の利益を優先し、親子関係がその根本になければならない、という二点でまとまれば、政府や経済界の思惑に関係なく、子どものための環境を耕すことはできるのです。園という単位がいい。村という単位に似ていて、強い。この数の人間の集団は、強い。

子育てが不得手な親、できない親は一定の割合で室町時代でも、どんな村にでもいたのでしょう。どの村にも二歳児がいるように……。それでも、八割くらいの人たちが、子育てにそこそこ幸せを感じていれば大丈夫だった。不得手な親も、社会に絆を生み出す「いい意味での」必要な欠陥になった。二歳児がどの村にでもいるように……。

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「保育の受け皿」という言葉にも同様の違和感を感じたのです。

「子育ての受け皿」と言い直せば、それがあってはならないこと、なのが見えてくるのに、意図的に人間性の問題を仕組み論に持っていこうとするやり方。祈りの世界を、学問の領域に持っていこうとする。こういう種類の言葉を使って、人間にとって一番大切な領域を、政府や学者が作る施策がポイと捨てようとしている。

ここ五年間で、政府は、保育の受け皿を50万人分作ったそうです。そして、待機児童は半分の1万3千人になったという。この数字に疑問を持ってほしい。そこにとんでもない矛盾があって、落とし穴がある。真の目標が覆い隠されている。

待機児童解消には、0、1、2歳児を保育園に預けて働く女性を八割以上にするという数値目標があって、それを政府は「子育て安心プラン」と名付けているのです。

「子育て安心プラン」は本来、親たちが自分で育てることができる環境を整えることであるはず。それが正反対の方向へ動いている。

乳幼児の親は、自分の親、つまりその子の祖父母に数時間赤ん坊を預けることにも本能的に不安を感じ、それが「普通」、それが子育ての出発点でした。子育ては、信頼関係がなければできないことなのです。信頼関係をつくること、つくろうとすること、つくることができたらそれに感謝すること、が子育てに必要な心の動きだったのです。言い換えれば、子育てを分かち合うことで、人間は、生き抜くための信頼と安心を手に入れてきた。

まだ待機児童がいるということは50万人の受け皿が埋まったということなのです。政府の保育施策は、もともと、預けようとする人を増やすことが目的なのです。労働施策、経済優先の雇用の数値目標が先にあって、だから「人間性」という現実と折り合いがつかなくなる。そこで生み出された現実は、公立保育士の非正規雇用化であり、いきなり50万人の子どもを引き受けさせられた保育士たちの苦労と苦悩であり、人材の自転車操業に追い込まれ疲弊化し続ける仕組み、つまり保育の質の低下なのです。

そして何よりも、親たち(父親たち、そして母親たち)の意識の変化、ここが一番怖い。それに気づいて欲しい。

こうした後戻りが不可能になりつつある失敗の裏に、保育の現実を知らない政治家や専門家たち、幼児と過ごす幸せを忘れた人たちがいる。

この無謀な数値目標をいまだにマスコミが煽り続けている。最近の報道です。

(「待機児童ゼロへ、14万人分の受け皿必要 政府が集計」https://www.asahi.com/articles/ASNB35R5DNB2UTFL01G.html)

マスコミの手助けで経済施策が進められ、幼児が後回しになっていく。

厚労大臣が、資格を持っていて保育の仕事に就いていない人が80万人いる。掘り起こせばいいんだ、と言ったことがあります。資格を持っていれば保育(子育て)ができる、と勘違いしている。この厚労大臣が言う「資格」は学問とビジネスに根ざした消費者の都合に合わせて作られた資格であって、人間性による選択がなされていないし、祈りの伝承も含まれていない。

他人の子ども、3歳児なら二十人と8時間楽しく向き合える人間はそうそういない。生まれつきか、育ちか、この人たちは特別な人たちであって、大切にされるべき人たちです。(私にはできません。)この人たちを使い捨てにしてしまう仕組みを、規制緩和、市場原理、成長産業という言葉を使って政府は作っていった。

政府の思惑に誘導された大人たちの子育てに対する心境の変化で、人間たちが親身な関係を失い始めている。様々な場面で、寂しがっている子どもが増えている。それは未来に繰り越していく悲しみであり、苦しみです。

慣らし保育の風景を見れば、犯している間違いの原点がわかるはず。

しかしその風景はほとんど報道されず、慣れればいい、と思い始めている。それが「進歩、発展」だ、という人たちさえいる。

子どもたちの役割が見捨てられ、それに慣れ始めている。その結果が「子どもの貧困」と母子家庭の苦境です。今、コロナウイルスで様々な苦境が洗い出されています。そして、税収減による福祉予算の削減はこれから数年続くのです。だからこそ、数人の親身な関係を生み出す「子育て」を、仕組みから親たちのもとに返していかないと持ちこたえられなくなる。

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以前、2代目若手男性園長が私に言いました。彼は、保育の風景を見ながら成長したのです。

「中学生の頃、慣らし保育で、『ママがいいー、ママがいいー』と泣き叫ぶ子どもたちを毎年見ていて、こんなことを人間がして良いはずがない。絶対保育の仕事には就くまいと思いました」と。

「一週間の慣らし保育で泣き叫ぶ幼児の映像をまとめて編集し、政治家に見せれば、保育はサービスだ、親のニーズに応えよ、などと安易に言わなくなるのではないでしょうか」と別の園長が言っていました。

慣らし保育。何に慣れるのか。「ママがいいー、ママがいいー」という叫びに慣れるのか、慣れて言わなくなることに慣れるのか。

0歳から預ければ「ママがいいー」という言葉さえ存在しなくなるのです。大切なもの、生きるきっかけのようなものが、一つ一つ消えてゆく。それに慣れようとしている社会に私たちは住んでいる。それに慣れた世代が、いつか気づいて「家族がいいー」と叫ぶでしょうか。

慣らし保育で「ママがいいー、ママがいいー」と叫ばれた母親は、自分がいい親だったから叫ばれたことを憶えていてほしい。それは勲章だったのです。

そして、その時お互いに流した涙は、人生で一番美しい涙だったかもしれない。毎日、子どもを保育園に置いてくるたびに心の中で涙してほしい。それに慣れないでほしい。保育士たちはそう願っています。

この2代目園長は、中学生だった時の、その時の記憶を忘れずにいま保育をやっています。中学生はまだ感性の人たち。してはいけない妥協を本能的に知っている。

だからこそ、一番心の次元での説得がしやすい人たちでもあるのです。私が一時間説明したあと、送られてきた感想文です。

中学生たちとの対話:http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=185。

中学生の感想文、その2:http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=186

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2665:

「家族の形」が残っていなければ、幸福の伝承は一部の人間だけに許される特権になってしまう。

私が出会った絵本作家たち

毎週録画して見ているお気に入りのTV番組「日曜美術館」に、絵本画家(作家)の田島征三さんが出てきました。

ずっと以前、日の出村の御宅にお邪魔したことがあって、タンポポとかドクダミとか違った草や実が入っているお酒を作って、居間に瓶を並べていたのを思い出します。「ふきまんぶく」が出来上がった頃か、「ヤギのしずか」を描いていた頃だと思います。

ふきまんぶく

双子のお兄さんの征彦さん(「じごくのそうべえ」、「祇園祭」)の方を、私はよく知っているのですが、出てきた映像を見ると歳をとってそっくりな感じです。もともと双子ですからそっくりですが、あの頃、征彦さんは角が取れた征三さんみたいな感じだったかもしれない。

地獄の惣兵衛

征彦さんは丹波の田舎で、田んぼでアヒルを飼ったりしながら型絵染をしていました。私がお世話になっていた宅間英夫さんという、オヤジの親友で、今江祥智さんの小説にも出てくる、私にとってもう一人のオヤジさんのような人の家に夏休みに遊びに行くたびに征彦さんの田んぼの端の家に顔を出していたのです。

番組を見ながら、ゴミ焼却場建設に反対する活動に征三さんがあれほどこだわっていた理由がわかった気がしました。大自然、といってもフナとか草とか川とか森とかバッタとかそういうものなのですが、それらと尋常でなく一体の人なのだ、征三さんは。そういうものが踏みにじられるのが身を切るように辛い人なのだ。

絵本作家の人たちのことが、芋づる式に記憶に蘇ってきました。

グルンぱ

二十歳の頃、堀内誠一さんのパリの家に2ヶ月居候したことがあります。「たろうのおでかけ」とか「ぐるんぱのようちえん」他を描いた凄い人です。私が好きなのは、7わのからす、くろうまブランキーで、やはり子どもの頃に読んでもらった絵本は心に残るのです。

インドから始まった一年半の放浪の旅の途中でした。堀内さんは、「こすずめのぼうけん」の中にある塀を高く描き直していました。誰もが時々会って話をしたくなる不思議な人で、私の滞在中も谷川俊太郎さんが現れました。(谷川さんには、私の3冊目の本「家庭崩壊、学級崩壊、学校崩壊」の帯に推薦文を書いていただきました。感謝です。)

ある晩、堀内さんと絵本関係者、東西奇人変人(いい意味で)番付というのをつくったことがあります。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=48 (関連ブログ。)

東と西は出身地で分け、東の横綱が岸田衿子さん(かばくん、ぐぎがさんとふほへさん他)で、西の横綱は丸木位里先生か秋野不矩さんか迷った末に位里先生(原爆の図、ねずみじょうど他)になりました。

ねずみ浄土

きんいろのしか

私がインドを旅していた時、少しご一緒させてもらった秋野不矩先生(うらしまたろう、きんいろのしか他)は文化勲章受章者で、しかも秋野亥左牟さん(プンクマインチャ他)のご母堂です。この二つの勲章もふしぎに思えるのですが、天龍の秋野不矩美術館は圧巻、お勧めです。何度も何度も巡礼してもいいくらいです。同じ御本尊を拝みにいくように、同じ作品を拝みにいくのです。絶対にあってほしい作品が展示替えになっていると、それはいけません、と思います。

そういえば、亥左牟さんも一度日曜美術館に出てきました。

プンクマインチャ

ずっと以前、ロサンゼルスの私のアパートにふらりと来て数日泊まり、日本から持ってきたお孫さんへのお土産のコケシを、お礼に、と言って置いて行ったのです……。すでに仙人のようなヒゲで、年齢不詳でした。敷物一枚で、床にゴロンと眠ってしまうのが絵になる親子です。

インドへ私を呼んでくれたラマチャンドランさん(まるのうた、おひさまをほしがったハヌマン他)は、西ベンガルのシャンティニケタンにある詩人タゴールの作った大学で不矩先生が教えていた時の教え子です。不矩先生の英語は半分日本語です。それで三年、大学で教えていました。初めての外国だったインドで、不矩先生の半分日本語で話してしまう「英語」を聴いたとき、私は世界中どこへでも旅できる気がしたのです。

ラマチャンドランさんは、私の人生における「灰色のガンダルフ」(瀬田貞二訳「指輪物語」より)のような人。

ある日、ニューデリー郊外のラマさんの家で、不矩先生が、私がついでに洗うから、と私の洗濯物を洗ってくれて、ラマさんが庭に一枚ずつ干していた時、私も何かしなければと思ってラマさんに尋ねたのです。すると、あとてやってもらうから、と笑うのです。夕食が終わって、みんなでシーンとした時、ラマさんが、さあ、笛を吹いてくれ、と言いました。私は尺八をとってきて即興でしばらく吹きました。終わると、不矩先生が、あなたの今日の仕事はこれでいいの、とニコニコ笑いながら言いました。

「フレデリック」のような話です。ありがたい。あの夕べの風景はいまも私の心の中にあります。

 

「絵本関係者奇人変人番付」に話を戻します。

不矩先生は西の張出横綱になって、東の大関は丸木俊先生(原爆の図、うみのがくたい他、私が好きなのは「12のつきのおくりもの」)。関脇、小結あたりを決める時に候補者をとりあえず紙に書いて並べてみました。

12の月のおくりもの

安野光雅先生(ふしぎなえ、旅の絵本他、私の小学校の図工の先生)、梶山俊夫さん、谷川俊太郎さん、長新太さん、渡辺茂男さん、瀬田貞二さん、赤羽末吉さん。(私の推しで)藪内正幸さん……。

いまでも懐かしい薮さんは、上京したばかりの頃、学生服を着てうちに下宿していました。上野や多摩の動物園に通うのが仕事で、パスも持っていたから羨ましかった。ああいう仕事に就かなきゃいけない、と子ども心に思いました。子どもと絵本作家を数人近づけると、だいたい子どもは道を踏み外します。最近、ハイビジョンのテレビ番組で、動物の、特に鳥の羽の細かいところまで綺麗に見える映像がスローモーションで現れるたびに、藪内さんに見せたいなと反射的に思います。薮さんの動物を見つめる目の真剣さと愛情が、今でも私の心の中に生きています。そういえば、今江祥智さん(わらいねこ、山の向こうは青い海だった他)もうちに下宿していたことがあって、これでは、もう子どもは真っ当な道は歩けない。非認知能力がつき過ぎる。言い訳です☺️。

番付の小結(こむすび)あたりまで決まりかけていた時に、突然、アッと気が付いて、石井桃子さん(クマのプーさん、ちいさいおうち、うさこちゃん、三月ひなのつき、他)をどうするかということになりました。

「どうするか」という言い方はちょっと失礼なのですが、堀内さんはその時すでに舌ベロが紫色になるくらいワインを飲んでいました。ちなみに長女の花子さんも、お酒を飲むと目つきが鋭くなってきて、言葉に凄みが出ます。大学生の息子がいる次女のもみちゃんは優しいのですが、保育指針を読んで、「かずくん、こんなの無理だよね~」と、初めて会った五年生の時みたいに真実をズバッと言うのです。「ムリ、ムリ、ぜったい無理」と私も真剣に答えるのですが、やはり堀内家の伝統は受け継がれている。(世田谷区の「おでかけひろば」について、「これ、いいんだ」と教えてくれたのはもみちゃんです。自主的な子育て支援センターを、区が空き家を借りて増やしていく仕組みです。)

さて、石井桃子さんをどの位置、と言うか「地位」にするかという話です。

私は小さい頃、石井さんの自宅の「桂文庫」に毎週通っていて、一人ずつ呼ばれて応接間で絵本を読んでもらったり、愛犬のリュークと遊んだり、メダカのいる池をのぞいたりしていました。お手伝いのミネさんの顔も覚えています。敷地全体が良質の児童文学という感じで、石井先生はいつも背中をしゃんと伸ばして今でもそこにいるのです。ひょっとすると横綱かもしれない、と堀内さんも言った気がします。

田島征三さんは残念ながら番付では前頭でしたが、それだけ絵本関係者には奇人変人が多いということ。いつまでも大人になれない、ならない人が、それを特権のようにして生きている。一人では生きられそうもないから、よほど運がいいのでしょう。

でもこの人たちが社会の視点、定点のようなものを作っている。人間の役割分担みたいなことを強く感じるのです。そして、この定点は、親たちが子どもに読んで聞かせるという役割をすることで、本当の意味で社会の原点になるのです。いくら不思議な指針がそこにあっても、親心が存在しなければ自然治癒力は働かない。それが人間社会です。

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そうだ、八島太郎さん(あまがさ、からすたろう)のことをいつか書かなければ……。

堀内さんの家をあとにして五年後に、私はロサンゼルスで大学へ通いながら八島さんの俳句の会に出入りしていました。八島さんの日本語に対する感覚は鋭く、余白、余韻を残した「あまがさ」の文章は、英語で書かれた俳句のようです。存在感のある人物です。色んな意味で……。

ああいう海の渡り方をしたタロウ・ヤシマが、アメリカの今年の大統領選とコロナ禍とBlack Lives Matter(人種差別と不信を増幅している司法・警察の問題)の重なりと混沌を、どう分析、評論するだろうか。息子のマコさん(岩松マコ、砲艦サンパブロでアカデミー賞助演男優賞にノミネート)も交えて話すことができたら……、二人とも亡くなっていますが、そんなことを考え、想像します。(八島さんが、どういう海の渡り方をしたかは、ぜひネットで調べてみてください。ちょっと凄い話です。)

八島さんのペンネームに現れる日本に対する思い入れ。友人の小林多喜二(蟹工船)の死顔をスケッチし、戦前にアメリカに渡り、戦後、チャップリンが事実上の国外追放になった熾烈な赤狩りを目の当たりにした人。そして六十年代の反戦、人権運動のこと。マコさんが主宰していた、私も音楽を担当したことがあるイーストウエストプレイヤーズのこと。アジア系アメリカ人の劇団ですが、自分の顔、姿から逃げられない移民二世、三世の東洋人俳優たちがアメリカのリアルタイムをもがくように生きていました。ある日、音楽好きの韓国系男優キヨニ・ヤンが私に言いました。

「カズ。オーディションに行くだろう? すると、タップダンスはできるか、と訊かれる。もちろんです、と答えるんだ。そしてタップを教えるスタジオを探して、金を払って三日で覚えるんだ。Than’s Hollywood, man.」

人種の壁は厚い。差別は必要な格差として、歴然と、当然のようにある。(私も様々な形で体験しました。その不合理な荒波の中で闘っていると、自分もいつの間にか荒っぽくなっていきました。)それでも俳優になりたければ、何でも、喜んでやるしかない。彼は、典型的な日本人の役、と言ってジョー山田をやって見せてくれました。それは、中国人と日本人の中間あたりに属するふしぎな自虐的なキャラクターでした。

「お前にやってほしくないよ」と苦笑いしたら、クスクス笑いながら「Than’s Hollywood, man.」と言われました。

海を渡った理想とか夢が、叶わずとも魂の質量を持っていた時代があった。それがいま、殺風景な悲しみや苦しみ、橋を架けようもなく深まる分断、やり場のない憎しみや怒りの中で定点を失い空回りしている。

損得勘定ではない原風景の中に、名作「あまがさ」と「からすたろう」はあります。還っていく風景があったから、八島さんは生き続けることができた。でも、それがあるがためにもがき、苦しんでもいた……。

「あまがさ」と「からすたろう」、素晴らしいです。

何が?といえば、小さい頃のモモさんかもしれない。雨の音、それを一緒に聴いていた父親の心情かもしれない。その後、を知っているだけに、それは素晴らしかったんだ、と断言したいのです。

「からすたろう」では師弟の出会い、学校へ毎日通った道のり、カラスの鳴き声、そうしたものの組み合わせが素晴らしいのでしょう。

あの頑固者で面倒くさい、本当は優しい鹿児島男児の波乱万丈の人生を、たった二冊の絵本が表してくれるから絵本描きは特だなあ、ずるいんじゃないの、と思うのです。けれど、あの、子どもがいる風景の静けさが人間にとっては原点の静けさで、いつでも手に入る幸せの可能性を示唆しているから、やはり納得してしまう。全米の図書館に、たぶん全ての小学校の図書館にあの二冊が日本という国の文化を代表して入っている気がするのです。

田島征三さんの番組の最後の方に出てきた最新作と思える、魚をつかむ、魚が逃げる、そんな絵が新鮮で、水の青が綺麗で、まるで音が聴こえるようでした。人間は子ども時代に帰っていく。還っていく次元をしっかり体の真ん中に残しておけばいい。残させてあげればいい。一番完成していた自分に戻っていくことができる。そんな気がしました。
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(「家庭崩壊、学級崩壊、学校崩壊」に書いてもらった谷川さんの文章です。ありがとうございました。)

「うーんと唸りました。読み進める私のアタマには?と!が交互に現れます。でも松居さんは保育の現場から考えているから、この本の中の具体的な「言葉」には、この時代の抽象的な「決まり文句」を突き崩す強さがあります。」 詩人 谷川俊太郎

 

「おもしろくてアッという間に読み終えた。「子育て」を低級な「仕事」と見始めるところに、人間社会を根本から揺るがす危険がある、という主張に、教師としては強力な援軍を得た気持ちである。」  「学校崩壊」の著者 川上亮一

 

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米国大統領選、結婚しない男たち、人類普遍の価値

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米国大統領選、トランプ大統領とバイデン元副大統領の第一回目の討論会は酷かった。まさに国の現状がそのまま現れたという感じでした。ニューヨークタムスやワシントンポスト紙が「史上最悪」と書き、3大ネットワークが「国の恥」と評し、私も聴いていて途中で気持ちが悪くなった。

終わった直後にテレビのコメンテーターが、まるでサーカス、とコメント、サーカス団からテレビ局に、サーカスを馬鹿にしないでくれと抗議がありアナウンサーが謝罪した、という嘘のようなホントの話。人類の行く末を左右する茶番劇がリアリティーショーとなって続いてゆく。すでに、背後に暴動の匂いがする。銃の売れ行きが加速している。

司会者に、白人至上主義者(white supremacist)たちの活動をこの場を借りて否定しませんか、と問われた大統領は、最後までそれを言葉にすることを拒んだ。そして、武装を楽しむ極右の団体プラウドボーイズを名指しして、後ろへ下がって、控えていろ(stand back and stand by)と言ったのだ。討論中にすかさずPBが、了解です、とツイート。翌日には「Stand Back & Stand By」と書かれたTシャツを売り始める始末。

報道を介さず、ことは進む。社会に反発している若者の反応は早い。緩衝材になるべき温かさに包まれていないから、熱し方が激しい。武器を手にしようとする。

放送後、黒人の母親から、十二歳の息子に真剣に、銃を買ったほうがいいんじゃない、と尋ねられて困っている、という投書がテレビ局にあったそうだ。そこに意識の世界で進む、危うい現実が映し出される。討論会の勝者がどちらか、支持率がどう変化したか、などということよりも、十二歳の子どもがどういう風にそれを見ていたか、何を感じたかが重要で、その意識の中で国の未来が築かれていく。大人たちは、それに配慮すべきなのだ。

この子の発言には様々な伏線がある。二年前大統領は移民政策の会合で、アフリカやハイチのような「糞溜め(くそだめ)」からではなく、なぜノルウェーのような国から移民を入れないのか、と発言し、マスコミに「露骨な人種差別」と非難された。ハイチで抗議デモが起こり、それでも37%という大統領の支持率に変化はなかった。

当時、ロサンゼルスで教師をしていた友人が言っていた。「メキシコからの移民は罪人ばかりだ、という発言もそうだけど、公の場で大統領がこういうことを言ってしまうと、小学校教育は成り立たないの。教科書で教える民主主義や平等という言葉が偽物だと、生活の中で感じている子どもたちにとっては、トランプの『糞溜め』発言の方がずっとリアルだし、身近なのね……」。でも、と彼女は言った。「そのリアルさがトランプの武器なんだけど、私という存在の方が、クラスの子どもたちにとってはリアルだと思う」。全米のTachers of the yearとして表彰されたこともある、親身に子どもたちの将来を心配する人だった。

この夏、彼女は四〇年間の教師生活に終止符を打った。教員たちの間にできてしまった溝、政府や行政に対する不信感はしばらく続くだろうし、子どもたちともコロナで直接会えないから、と言って……。

高等教育が普及したはずのアメリカで……、小学生並みの罵り合いが公的に続く。そして、それは永遠にネット上に残される。党派やイデオロギーを超えた分断の両側で、子育てをする親たちの困惑と不安、怒りが広がっている。地位を失うと脱税で訴追されるかもしれない大統領が主導する分断が、潜在的暴力を呼び覚ましていく。

現行制度のもと、州によってはすでに期日前投票が始まっている。それにも関わらず、自分が負けたらそれは不正選挙だからだ、と大統領が断言してしまったら民主主義は成り立たない。大統領を支持する共和党の上院議員でさえ、苦虫を噛み潰したような顔で白人至上主義者たちを否定し、選挙に敗北したら認めるべきと言うのだが、憲法と教育の限界が支持率6:4の数字となって、いよいよ明らかになっていく。教室で教える真面目な教師たちが、子どもたちを前に立ち往生している。

長年一緒に音楽をつくった白人の友人が嘆いていた。民主党支持、共和党支持の違いなら、友人関係を保つことはできたんだ。でも、トランプ支持、不支持の違いは、友人を失う種類のもの。この亀裂は一生埋まらないかもしれない。(そして、この亀裂は、家庭内でも起こっている。)

実は、南北戦争は終わってはいない。国の歴史がこれからも続き、憲法に人権や平等が書かれている限り溝はいつかは埋めていかねばならない。しかし、今、これに似た亀裂が世界中に広がっているのだ。

ウイルスとワクチンで人間性が浮き彫りにされている。

調和の方向へ進んでいくのだ、と信じるしかないのだが、いまはとりあえず日本という国で子育てをしていることに感謝する。私たちはそこから始めることができる。それは良きこと、運のいいこと。そして、私の思考は繰り返し、幼児の存在意義へと移っていくのだ。この人たちをどう扱うか、で憲法も教育も成し得ないことが整ってくる。彼らが一番確かな存在だと思う。

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(政府が掲げる「新しい経済政策パッケージ」より)

「少子高齢化という最大の壁に立ち向うため、生産性革命と人づくり革命を車の両輪として、2020 年に向けて取り組んでいく 」(中略)、

「20 代や 30 代の若い世代が理想の子供数を持たない理由は、『子育てや教育にお金がかかりすぎるから』が最大の理由であり、教育費への支援を求める声が 多い」

ーーーーーーーーー

この人たちには「少子化という壁」の実態が見えていない。過去15年間の「少子化対策」、その柱となったエンゼルプランや預かり保育といった保育時間と三歳未満の園児数を増やす対策の結果、ますます出生率は下がっている。それは、誰もが知っている現実なのだ。

少子化対策の背後には女性の就労率の(出産によって下がる)M字型カーブをなくそうという意図があって、実態は労働施策だった。出生率を上げる対策にもなるはず、という一石二鳥の安易な飛躍がそこにあったのだが、あまりにも軽率な計算で、「子育て」という行為を軽く見過ぎている。

負担を軽くすれば子どもをたくさん産む、という損得勘定は、この国では成立しない。子育ては打算でするものではない。それが結果として出ているのだが、学者たちは、親子を引き離す意識改革を「人づくり」と名付けて進める。子育てはもともと人類が幸せ感じ、信頼や絆を作る「大切な負担」だという進化の常識が理解できていない。負のイメージばかりを広めようとする。

そして、結婚しない男が増えている。

数年後には生涯未婚の男性が三割になるという。少子化の根本には、男たちの意識の変化がある。

(実は、幼稚園や保育園で園の行事に参加する父親は増えていて、本能は確かに働いてもいる。ちょっと導いて、励ませば父性という人間性は喜びを伴って蘇ってくる。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=220)

家族という関係を信じない、それに憧れない男たち、子育ての責任に充実感を感じず簡単に放棄する父親が増えている。(欧米よりは遥かに状況はいいのですが)母親(母性)が追い込まれている。そして、同時に福祉という梯子が、その質という次元で外されようとしている。

「子育て」をしていれば輝けない、「子育て」は損な役割、イライラの原因、お金がかかる、といったイメージを国やマスコミが繰り返せば、「生きる力」が弱くなっている男たちは結婚に躊躇するようになる。小、中学校でも男子生徒がとても幼くなっているという話を聞く。悪い子ではない、どちらかと言えばいい子たちなのだが、担任に甘える、駄々をこねる、忍耐力や意欲を持てない男子生徒が増えているのだ。それもまた自然なこと。無理に少子化を止めようとして、欧米のように「利他」の心持ちに欠け、子どもや弱者に辛い社会へ進んでしまっては、それこそ本末転倒です。

(以前、政府がスローガンにしていた「安心して子どもが産める環境づくり」を、「あれは、気楽に子どもが産める環境づくりです。それは困る。親が育たなくなる」と看破した保育園の園長先生たちがいた。)

伝統的な、この国の個性、美学にも似た子育て観、この国を守ってきた幸福論の書き換えが、「待機児童解消」の掛け声のもとにいまだに進められている。

(参考ブログ)

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2786:「生産性革命と人づくり革命」?・「幼児期の愛着障害と学級崩壊」

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=247:「女性はみんな結婚しても子どもを産んでも働きたい」?/解放されるために踊り、歌う。/エプロンで変わる視点/「専業主婦からの自由」

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「理想の子供数」という言葉が施策の中で使われる。

誰にとっての理想で、何を目的とした理想なのか、その辺りを推測すれば、ある思惑が見えてくる。馬脚があらわれる。

この「理想の子供数」と「保育は成長産業」という閣議決定に踊らされ新規参入した小規模園が最近閉園に追い込まれていて、それもまた経済活動、市場原理だが、その過程で、乳幼児たちに何が起こっているかを慮ることが重要なのだ。1日、2日のことではない。年に260日、1日平均11時間、脳が最も発達するとされる彼らの日々なのだ。それを丁寧に、親身に考えないから、「思いつき」「数合わせ」のような規制緩和、あってはならない制度改革の試行錯誤が続き、それが保育の現場を一気に疲弊、荒廃させしまった。

以前厚労省が作った保育指針解説書の最後に、こんな文章があった。

「保育所は、人が『育ち』『育てる』という人類普遍の価値を共有し、継承し、 広げることを通じて、社会に貢献していく重要な場なのです」

その通り。保育は、「教育」よりずっと古い、人類普遍の価値を守る行いでなければならない。

乳幼児の存在意義を見失い「絆」という社会の安全ネットが壊れていくと、もはや福祉や司法では補えない。四割から六割の子どもが未婚の母から生まれる欧米で、犯罪率が日本よりはるかに高いのだ。人間社会において、モラルや秩序は、主として親子という関係で行われる「子育て」によって維持されてきたのだ。

(法治国家を条件に比較すると、泥棒に入られる確率Burglary rateは、ニュージーランドが日本の25倍、デンマーク20倍、スェーデン15倍、フィンランド、アメリカ8倍。レイプ被害に遭う確率は、スェーデンが日本の60倍、アメリカ40倍、ニュージーランド30倍、フランス、ノルウェー20倍、デンマーク18倍。)

なぜ政府は、この国の子どもたちにとっての安心と安全を犠牲にしうようとするのか。乳幼児期の親子の肌触りを経済の妨げのように扱うのか。現場は納得がいかない。優先順位におけるこの間違いを黙って見ているわけにはいかないから、私は30年間言い続け、書き続けてきました。

「人類普遍の価値の問題」

(左の人たちには右と言われ、右の人たちには左と言われましたが、そんな陳腐な闘争レベルの話ではないのです。人類普遍の価値の問題なのです。)

論旨に同意しない人たちが居て当然です。幼児の存在意義という根源的な部分で理解しない人が居てもいい。しかし、少なくとも雇用労働施策によって保育現場がどう追い込まれているか、その窮状については避けて通れない現実があることを繰り返し述べてきました。

保育士不足は、質の悪い保育士を雇わなければならないという選択を園長たちに強いる。それは「いい園長」には辛い。「園長、辞めるか、良心捨てるか」という選択が保育界の質を下げていく、等々。

「保母の子ども虐待」―虐待保母が子どもの心的外傷を生む、という本が出たのが23年前。その後の安易な規制緩和と絶対的な保育士不足で、0、1、2歳という自ら身を守れない弱者たちを安心して預けられる状況ではなくなっているのだ。子どもたちを守ろうとする園長たちが、私の身を借りて警告した通り、乳幼児たちの絶対的信頼に応えるべき保育は失われていった。

(新聞記事から)

「あっち行け」「ブタ!」 各地で相次ぐ「不適切保育」、園児の心に深い傷:2020年8月31日:https://www.tokyo-np.co.jp/article/52148

グルグル巻きの虐待が日常だった:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73461

認可保育園でも幼児虐待。叩く、突き飛ばす、転ばせる…実際に働いていた女性に話を聞いた:https://news.yahoo.co.jp/byline/osakabesayaka/20180828-00094721/

自民党の少子化対策委員会で、福祉の拡張に伴う保育の質の低下や家庭崩壊の増加について講演したのが17年前です。党の女性局の全国大会や厚労部会でも講演しました。自民党の依頼で衆議院の税と社会保障一体化特別委員会で公述人をし、民主党の依頼で衆議院内閣府委員会で「保育の無償化」について、参考人として「無償化が保育の質を下げ、親たちの子育てに対する意識を変えること。保育界はこれ以上人材的に対応できないこと」について意見も述べました。(委員の議員たちに配ったレジュメがhttp://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2801に載せてあります。)

埼玉県の教育委員長をした時は、全国教育長・委員長会議で保育の重要性について、保育者体験が親たちを育て保育者との間に信頼関係を生むこと、それが学校を成り立たせる原点になると説明し、県単位で取り組むところが四県になりました。体験した親たちのほとんどがアンケートに「もう一度やりたい」と書く。それがこの国の強み、素晴らしさです。親の保育者体験を国の最重要施策にすれば状況はずいぶん違ってくる。中、高校生の保育体験を加えればさらに「生きる力」が蘇ってくる。幼児たちの集団には、それほど「いい人間性を育てる」力がある。それに気づいて欲しい。 

本も書きましたが、執筆依頼もありました。

2004年版「日本の論点」(変わる国のかたち)(文芸春秋社)に『モラルと秩序は「親心」から生まれた:子育ての社会化は破壊の論理 』を書きました。

日本の論点

安倍元首相が創設に関わった日本教育再生機構の機関誌「教育再生」2014年11月号に、八木秀次氏から依頼され「育てること、育つこと」 というタイトルで、学校教育を支えてきたのは、保育界の意識と就学前の親たちの「育ち」、双方向への「愛着の形成」であること、幼児期の親子を労働施策で引き離すことを続けては、教育の再生はあり得ない、と書きました。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=465

(国とは、幼児という宝を一緒に見つめ守ることで生まれる調和だったはずです。その幼児を蔑ろにしながら、「愛国心」という言葉でまとまってもやがて限界がくるでしょう。:教育再生より)

教育再生

  去年、衆議院調査局発行の「論究」第16号に「子供を優先する、子育て支援」というテーマで論文を依頼され、衆議院議員全員に配られたそうです。

論究

政治家たちは、質を保つことが不可能になっている保育界の現状を知っているはず。安倍内閣には、私の講演を聴いただけでなく、直接しっかり話をさせてもらった人が改造のたびに三人は居ました。今度の菅内閣にも三人居られる。厚労大臣と文科大臣と経済産業大臣、これ以上の組み合わせはないと思うのですが……。

0、1、2歳児の安心と願いを優先する、それだけでいいのです。彼らの役割を思い出し、それを果たさせてあげれば、自浄作用、自然治癒力は必ず働き、社会全体が落ち着きを取り戻す。乳幼児が社会の「気」を支配する、それが本来の姿です。

すでに自治体単位で実行に移されているいい方法、効き目が証明され、予算もほとんどかからないやり方がいくつもある。本やブログ、論文にも書きました。

(「いい人間性を育てる」力に関しては、0、1、2歳児がもっとも象徴的で自然ですが、話しかけられるものなら、小さな妹、祖父母、お地蔵様でもいい。もちろん、花でも、ペットでも、野菜でもその範疇です。)

数字は誤魔化せない。経済学者たちも知っているはず。

しかし、この「新しい経済政策パッケージ」を作った優位者たちは、強者主導の優先順位をいまだに変えようとしないのです。優先順位こそが「人間性」であること、絶対的弱者を最優先にすることから「社会」が成り立っていることを認めようとしない。  

現在の政府が(野党も含め)進める保育崩壊、家庭崩壊はこれから数十年に渡ってこの国のあり方に関わってくるのです。「不適切保育」をされた子どもたちだけではなく、その風景を見ていた子どもたちの心にも深い傷を残していると言うことを実感してほしい。

(新聞記事から)

認可園で虐待、おびえる我が子 通報受けた市、遅れた立ち入り:https://www.asahi.com/articles/DA3S14640478.html

「保育士の虐待『見たことある』25人中20人 背景に人手不足、過重労働…ユニオン調査で判明」:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/

乳幼児期にこうした体験をさせられた「心の傷」について、人類は気づいていました。「三つ子の魂百まで」と言います。三歳まではとにかく大切にしなさい、可愛がり、寄り添いなさい……、ということ。

(つい十五年前まで、選択肢があれば、この国では七割以上の子どもが幼稚園を卒園していました。本能的に、まだ喋れない、歩けない幼児の位置を理解していた不思議な国なのです。)

乳幼児期の愛着関係の重要性は、学術研究でも繰り返し言われています。だから、この新聞記事の見出しにも「園児の心に深い傷」とあるのです。忘れてはならないのは、その傷は、その時だけのものではなく、様々な形で社会に連鎖していくということ。

こうした報道がされるときに、マスコミや学者は、政府の質より量を優先した施策で保育界の負担が重くなっている、それを軽くするために、待遇改善と人材確保のための予算を、と言う論調になる。これでは根本的な解決にはならない。本質に迫っていない。幼児の視点、幼児の願いという観点からは、むしろ、本末転倒といっても良い。

親たちの意識の変化こそが保育士たちの負担を重くしているのです。その指摘がされない限り、保育の質は確実に落ちていく。

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内村鑑三が、教育で専門家は育つがひとは育たない、と義務教育が広まり始めた時代に言った。

百年後、増え過ぎた専門家たちが「社会で子育て」(実は仕組みで子育て)と言って、結果的に教育が成り立たち難くなるほどに「子育て」の基盤である家庭(または愛着関係)を壊している。手遅れにならないうちに、保育という仕組みをもう一度、専門家たちの計らいや成長産業などではなく、人間の営みという本来の姿の方向に戻していかなければ、「保育」は諸刃の剣となる。

専門家が増えれば人が育たなくなる、という新たな現実を、私たちは体験しています。

生産性と人づくりは車の両輪とはなり得ない。動機が異なる。

保育資格を与える大学や専門学校は、資格者を送り出すという「ニーズ」に応えることによって成り立っています。0、1、2歳児保育が今ほど普及していなかった頃は、そのやり方でも通っていた。「保育」は「教育」のフリができた。

しかし、政府が待機児童数の10倍の三歳未満児を預かることを目標に掲げ、親たちが未満児保育に違和感を感じなくなった現実の前で、「専門家」を育成することでまかなう「保育」は、完全に行き詰まってしまった。

0、1、2歳児の保育は、専門性よりも「人間性」を求めるからです。

明らかに現場に出してはいけない、資格を与えるべきではない学生に「保育資格」を与えた時点で、学問としての「保育」はビジネス(経済)の一部になっている。それを忘れてはいけない。

十数年前、実習先で見た虐待を私に伝えようとした学生たちを必死に保育科の教授が止めようとしたことがありました。男性保育士の性的虐待を、行政から止められ告発できなかった保育士たちのことを思い出します。いい保育士の人生が、仕組みの中で潰されていったのです。

保育は、園の経営が成り立てばいいというものではない。その場所がどう回っていくか、そこでどう心がつながっていくかがその存在意義なのです。だからこそ、保育という仕組みは安定していなければいけない。市場原理など持ち込んではいけない。

教育システムやマスコミという経済の守り手と、幼児という人間性の守り手の間に、人類未体験のせめぎ合いが起こっている。

近年、政治家やマスコミが「女性の活躍」という言葉を使って議論する時、その定義の中に「子育て」が入っていない。むしろ「子育てから離れることによって、女性が活躍する」という論旨が定着しつつあります。活躍の意味が議論されないまま、その言葉から逃れられなくなっている。「活躍する」ために必要な保育の質は、その信頼に応えられる状況にはすでにないにもかかわらず。

人間本来の生きるためのインクルーシブ、調和へ向かう姿勢が、授かる乳児の存在意義を忘れることによって、抑圧と支配、暴力による「法と秩序」の方向へ揺れている。それが、コロナウイルスという人類規模の試練によって浮き彫りにされる。イデオロギー以上に、人間性が問われているのに、その現実から目を逸らすために様々な闘いが用意されていく。

だからこそ、まだ意識の流れを幼児優先に戻すことができるこの国の存在とその方向性が、いつか人類にとって重要な意味を持つようになる、そんな気がする。

保育園と幼稚園が、この国を「経済優先の流れ」から救い出す鍵を握っています。保育園と幼稚園が「子どもの最善の利益を優先」し、親たちと子育ての喜びを分かちあう。それがまだ可能な国なのです。

(関連しているブログです。)

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2591;幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2902:保育所は、人が『育ち』『育てる』という人類普遍の価値を共有し、継承し、 広げる場

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1400:「嫌なら転園しろ」・保育士のメイド化・保育者と親たちとの間に、「一緒に子どもを育てている」という感覚を忘れたように、溝が広がっていきます。

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2466:新しい経済政策パッケージ」と「高等教育」について。/ 高等教育は、国民の知の基盤でありえるのか?

(衆議院議員に配布された論文集です。私の論文は、「子供を優先する、子育て支援」です。)

衆議院調査局「RESEARCH BUREAU 論究第16号 2019.12」

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Shiryo/2019ron16.pdf/$File/2019ron16.pdf

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二年前のことです。ある私立保育園に講演に行きました。笑いあり、涙あり、平日なのにほとんどの母親たちが講演会に来て熱心に耳を傾けてくれる。(保育園です。)幼児と過ごすこの時期、この特別な時間をどう過ごすといいのか、子育ては親たちが自分のいい人間性に感動することです、等々、一生懸命話しました。70歳になる女性の園長先生は気合の入った方でした。私のファンだそうで、親の保育士体験も数年前から全員にやらせています。そうした日々の耕しがあったから、一体感を感じる、お互いに納得しながらの講演会ができたのだと思います。

私が時々「道祖神」とか「地べたの番人」と敬意をもって呼ぶこの人たちが、実は根っこのところでこの国を支えてきたのです。

驚いたことに、70人定員の園で、年に一度のお泊まり保育には親も含めて200人が参加するというのです。園児一人に大人が二人ついてくる。国が仕切っている今の仕組みの中で、つまり逆風の中で、こういう園長先生が親心を耕し、信頼関係を育てている姿をみるのは嬉しいし、励みになります。「そう、そう、園長がその気になれば、可能なんだ」と笑ってしまいます。これは「教育」のレベルの話ではないのです。もっとずっと古い、古(いにしえ)の法則、大自然のしきたりに属する作業なのです。「祭り」と呼んでもいいかもしれない。

お泊まり保育だけではありません、お泊まりキャンプもあります、と園長は言うのです。この保育の神に出会った一家は、その人生が変わる。親たちも、そういう行事があることを説明され、納得して園を選んでいる。まだまだ日本の親たちは捨てたものではない。

「でも」と二人きりになった時に主任さんが辛そうに言うのです。「あんな園長ですから、親たちを育てるのは難しくないんです、いくつか行事を重ねれば、自然にみんな子育てが喜びに変わって行きます。問題は、若い保育士たちなんです。育てるのが本当に難しくなった。知識はあっても長く続かない。保育の喜びや深さを理解してくれない。昔とは、笑顔の種類がちがってきているように思うんです」

数日後、親たちの書いた素晴らしい感想文が、たくさん送られてきました。この国はまだ大丈夫。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

折々のことば

久しぶりに演奏します。11月10日(火)です。

IAM2020-11

恐る恐る、ですが、音楽を四人で再開します。野球場もあんなにお客さん入っていることですし、いつかは始めることですから。どうぞ、よろしくお願いします。ぜひ、ぜひ、聴きにいらしてください。

演奏は、恐る恐るではないです。