話しかけない保育。抱っこしない保育/子ども・子育て支援新制度

 認可の私立保育園勤務から事情で都内に引っ越し、認可外の保育所に勤め始めた保育士が、0、1才児に話しかけないで、と言われびっくりした、という話をその保育士が元いた保育園の園長から聴きました。話しかけたり抱っこするとあとが面倒、話しかけてくるし、抱っこしてとせがまれる、静かな無口な子どもがいい子なんだそうだ。

 子どもが活き活きしていたら保育士は大変。手も足りない、活き活きしていたら事故が起るかもしれない、危ない。もっともで、恐い話。

  新しく入った保育士に子どもに話しかけるな、という保育園。認可外とはいえ、私の家の近所。そこに毎日親に連れられ子どもがやってくる。そして、たぶん十時間くらい過ごす。政府が子ども優先でない施策を保育界に押し付けると、身勝手な(合理的な?安全な?)保育園が現れる。私にはもうそれを単純に非難することができない。保育士が足りない現実、加えて規制緩和でこれだけ全体の質が落ちて来ると、事故が起らないことを最優先して保育するのは自己防衛策だと思う。

 (以前、民営化した保育園で、新しい園長が、子ども優先に、子どもが元気になるような保育をしたら、「子どもが言うことをきかなくなった」と親から文句が出た話をブログに書きました。イライラするから「子どもが活き活きするのを望まない親」もけっこういる。 http://kazu-matsui.jp/diary/2013/11/post-219.html


 「乳児に話しかけない、抱っこしない保育」もう一つ。

 他県で、都会では、すでにこんなことが起っています、とこの「子どもを活き活きさせない保育」の話をしたら、都会じゃなくてもありますよ、という話題になってびっくり。しかもオムツは十時と三時に一斉に替える。まだ出来て三年目の保育園だという。幼保一体化、民営化、なるべくたくさん子どもを保育園で預かれ、という国の方針で、幼稚園の理事長が行政に頼まれ保育園を始め、愛着と発達を無視したご都合保育を長くやっていた元主任を雇ってしまったケースでした。理事長の、それが乳児保育と言われ、疑わない無知さが情けない。

 こども園や三歳未満児保育園の乱造で、幼稚園と保育園の違いを理解していない園長・設置者の存在が浮き彫りになります。乳児は、ただ見張っているだけの方が保育士は楽。「事故も起きないんですよ」という、とんでもない「ベテラン」保育士を雇った園で、親の知らないうちに、人類未経験の取り返しのつかない集団的子育てが行われている。

 逆に、幼稚園理事長がとんでもない保育園に呆れたのが「待たない園長」の話です。

 http://kazu-matsui.jp/diary/2013/11/post-219.html

 まだまだ様々な園長設置者が居ます。それが保育界の「現状」だったし、現実です。何十万年も子育てを基盤に絆をつくってきた人類にとって、保育の歴史はとても浅い。まだまだ未熟な仕組みです。親も含め、幼稚園・保育園それぞれの保育観をまず整え、待遇面である程度の質が保てるようにして、それから保育の仕組みをこれからどうするのか(子ども・子育て支援新制度)が議論されるべきだった。

 内閣府、文科省、厚労省が一緒に作成した「子ども・子育て支援新制度」の宣伝パンフレットの一番目に、「質の高い幼児期の学校教育・保育を総合的に提供します」と、いかにもそれが可能なことのように書いてあります。幼稚園と保育園の機能を一体化したのが認定こども園、というわけです。知らない親が居るのですが、園長に保育士資格は要りません。保育の知識がゼロでもなれた。(そして、それには理由があった。)公立と違い定期的な移動のない閉鎖的な空間で、老舗の私立保育園で、保育士たちに外部研修も受けさせず、化石のような保育が続いていることがあります。乳幼児の発達をかなり理解していないと、三歳未満児への影響は決定的。以前、保育園は基本的に三歳からだったのです。

 厚労省は、三歳未満児を預かる事を施策にし積極的に進め始めた時、その意味と責任を、親に与える影響も含めてしっかり考え、三歳未満児の発達を考えて仕組みを再構築しなければいけなかった。家庭で親に育てられ、保育園に行くためにある程度躾けられた三歳児を20人、保育士が1人でなんとか保育出来ても、0歳から一対一の関係が不足したまま保育園で育った三歳児を20人、1人で保育するのは困難なのです。それが二十年間、社会の経済的ニーズのままに拡大を続け、最近は乳児のニーズを無視し、最低基準と言われた既存の国基準さえ国が規制緩和している。市場原理を持ち込めば質が上がるという学者たちの意見を聴き、株式会社や派遣会社の参入を許した。そして、保育士確保が生き残りの鍵と気づいた保育をサービス、ビジネスと見る人たちが、保育士養成校に四月五月に青田買いに行き、学生たちに「4年働いたら園長にしてあげる」と言って誘うような状況を作ってしまった。

 そして同時に、「質の高い幼児期の学校教育・保育を総合的に提供します」とパンフレットで親たちに宣言するのですから、これはもう無責任と言うしかない

 「園で気づいたことを親に言ってはいけません」と保育士に言う小規模園の園長の話を以前書きました。子どもの発達や行動で気になることがあっても、親との会話を避けている。お客さんを失いたくない。理不尽で身勝手な親たちの行動が、そうでない親たちの子育てにも影響する一例です。これがシステム(社会)で子育ての恐い所です。

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 私は、幼稚園よりも保育園に師匠(女性園長・主任)が多い。保育園の方が親子関係というテーマでは待ったなしの最前線で、日々鍛えられ、乳幼児とつきあうことによって直感的な答えを持っている人が多いからだと思います。そういう人たちは、本能的に母親の顔を見分け、子どもの異常を察し、家庭に踏み込んでゆきます。

 一緒に育てているんだ、と信じ、家庭に踏み込んでゆく園長や主任の姿が、どれほどこの国を支えてきたか、私は知っています。「声を掛けない保育、抱っこしない保育」の話をすると、その人たちは黙って、悲しそうな顔をするのです。なぜ、みんな保育を真剣に考えないのだろう、と心底がっかりしているのです。


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 絵本「ぐりとぐら」が出版されて今年が50周年。それが出版される五年前に作者の中川李枝子さんが「いやいやえん」という童話を書きました。(両方とも父が編集した本で、出来た時に読んでもらったので憶えています。)

 その中で、こぐまのこぐがチューリップ保育園の先生に「もうなんでも一人でできるようになったから、ほいくえんに行ってもいいですか?」と山から手紙を書きました。保育園は、なんでも一人でできるようになった子が行く所でした。少なくとも、親はそのために努力をした。他人様に自分の子どもの面倒を見てもらうなら、親としてそう努力することが常識だった。約束事だった。それから55年、仕組みはずいぶん変わりました

地方版子ども・子育て会議/「たよりにならない人」の大切な存在意義/道徳教育/欧米との比較。/どうぞの椅子。

 国からの指示で、子育てに関する地方の状況を知り、ニーズを把握し意見を聴くという地方版子ども・子育て会議。保育関係者がメンバーに入ることが多く、知人から会議の進行状況、実態報告が入ってきます。

 一番嫌なのは、発言をしても、それが国の路線と異なると、議事録から削除されていること。これでは本気のメンバーがやる気をなくす。こういう提言の場所や本音で話すべき会議を、国はアリバイ工作に使っているだけで、本当に現場の声を聴く気がないのだと思う。


(保育と学童に関わっている人からの報告)


 今回の会議はヒアリング対象団体と内容についての会議のはずが質問票のたたき台も何もない上に、青少年課の課長に至ってはビジョンがない、どう育って欲しいかイメージがない。子育ては仕事の息抜き、仕事は子育ての息抜き、「新しい制度を各事業者に説明し、こういう制度になることを理解してもらって...」なんて、いきなりいうものだから、思わず、


 「国と地方が同時に子ども・子育て会議をしている意味は、地方の実情にあった制度を

国の制度とすりあわせながら作るためというふうに私は理解していますが、違うのでしょうか? まず、国の制度ありきではなく、その制度をどう地方にマッチングさせるのか、もしくはその制度には乗らずとも地方としてやっていけるのか、ということを話し合うのがこの会議ではないんですか? 先に事業者に新制度(認定こども園や小規模型保育)の説明って順番おかしくないですか?」と、噛み付いてしまいました。


 キョトンとした課長の顔をみて、がっかりしていると会長が、


「今、本質を突いた厳しいご意見がありましたが、市としてはいかがですか?」と聞いてはくれたのですが、しどろもどろで返答になっていませんでした。


 これもきっと会議録からは削除されると思います。



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「たよりにならない人」の存在意義


 講演で、一通り話したあと、私の好きな園長先生と数人の母親たちと、お茶を飲みながら懇談しました。大きな街の公立保育園で、公立は異動がありますから、この園長先生の保育園で話すのは二つ目です。学童保育の人、療養士の人、仕事に復帰したばかりで疲れてしまった人。

 その母親の疲れと涙がどこから来たのか、見極めようとしてみます。こういう疲れと涙は、普通、その人の子どもが要求していることなのです。

 親身な会話が続きます。療養士の人が突然思いついたように話し始めます。


 「子どもが病気がちで、頻繁に保育園から職場に『迎えに来て下さい』と電話がかかる母親です」。笑顔で「たよりにならない人って、職場では呼ばれてます。でもクビにならない。みんなわかってるから大丈夫」。

 横で、園長が笑っています。いい話です。きっと母親の、堂々とした笑顔が同僚を安心させ、それが職場でも必要とされているのです


 子ども思いで、そのとき「たよりにならない人」の事情や心情を受け入れ、助け合うのが人間社会だったはず。病気がちの子どもの気持ちをみんなが思いやる、それが「社会で子育て」の本質です。

 最近、「社会で子育て」と言いながら、部族的思いやり・助け合いの幅がどんどん狭くなっている。福祉や教育、法律や政府が「社会」ではない。人間の想像力と許容量が「社会」だと思うのです。そういうことを学校で教えてほしい。道徳教育を義務教育に入れると言いつつ、一方では職場で「たよりにならない人」を問題視し、子どもが病気でも保育所で預かれるようにしようとする政府。これでは人間性という道徳の基本は育たない。


 絶対的にまだ「たよりにならない人」(幼児)、そして、もう「たよりにならない人」(老人)も含め、その時「たよりにならない人」が居るから、社会に人生の目標と喜びの芽が育ちます。


 私は保育園で、みんなに「職場では、たよりにならない人です」と笑顔で宣言する「子どもにはたよりになる母」の言葉を聴き、その人を見つめる他の母親たちの活きている顔を眺めながら、この国は、まだ大丈夫かもしれない、と思いました。


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 三年育休をとられたら職場復帰されても使い物にならない、と言う人がいたのです。その三年間に乳幼児たちが、この国にとって「本当にたよりになる人」を育てる仕組みを理解していない。親が子を思い、子が親を思うことが、実は社会全体を動かす「生きる力」の根底にあった。それさえもすでに忘れている。


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 長く学童保育に関わってきた人が、「最近の親の態度、何でも行政や職員のせいにしようとする言い方で、現場から少しずついい人がいなくなります」と怒っていました。

 すでに人材不足の状況で指導員が一人やめると、アッという間に児童館が吹きだまりになることがある。そして、子どもたちが荒れる。強い子が弱い子を支配しようとする。「十年後どうなるんでしょう」と顔をしかめます。

  待機児童解消を目指せば目指すほど、未だルールさえ確立されていない学童保育の負担と混乱が増すのは、誰が考えても当たり前のことなのですが、政府も行政も目先のことだけ考えて、完全に後手に回っている。

 そして、学童保育の外注化や指定管理化が進む中、指定を受けた会社を「子育てに関わる人材不足」が直撃しています。どんなに仕組みをうまく作っても、最後は子どもと直接対峙する人たちの気持ちが問題なのです。親との愛着関係が希薄な子どもたちは、それを試し続ける。0、1、2歳の育ち方が、将来にわたって国の秩序に影響を及ぼす。日本が欧米並みの犯罪率に達しないと政治家もマスコミも気づかないのでしょうか。


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 今まで人間性と利他の心に依存してきた日本の福祉は、奇跡の福祉だったのです。重要で大変な仕事のわりに良くなかった民生委員・保護司、学童の指導員、保育士や福祉士の待遇が、先進国の中では突出した奉仕の心で補われてきた。仏教の土壌とアニミズムの文化がそうさせたのかもしれません。しかしなによりも、家庭という定義がまだ残っていたからできたのだと思う。伝統的に、子育てが男女を繋ぎ止めていた。その国が欧米の仕組みや価値観を真似て、崩れようとしている。


(以前、米国でジェンダーフリー・フェミニズムの活動を長く続けてきた知人の女性に、日本の「民生委員」の仕組み、冠婚葬祭、祝儀不祝儀でまわる巨額なお金のことを説明したら、驚愕していました。お中元とお歳暮、お年玉、まで加えたら、それはもうチャリティーの領域を越え、部族的わかちあいの伝統なのです。)

 

 世界の国々の心の荒廃を比べようと犯罪率の統計を見ても、警察力、司法制度、刑務所を作る財力、異なる様々な要素が加わり実態が見えにくいのですが、私は暴行事件の被害者(assault victims)になる確率を比べることにしています。すると、英国は日本の28倍、フィンランドは21倍。福祉と教育のあり方はこの数字から遡って考察すべきだと思います。漠然としたイメージと欧米コンプレックスで「日本は遅れている」とか、「欧米先進国では」と言うのはもうやめてほしい。欧米でやっていることは真似ない、くらいで良いと思います。

 施策を考える人たちに、これだけ状況がいいこの国の本質から学ぼうとする姿勢がない。

 

 最近、養育権を失った父親が子どもと無理心中をはかるという痛ましい出来事がありました。家庭を失うことは、ときに人生を失うこと。

 日本で子どもの誘拐が年に二百件、半数が親によるという。しかし、人口が約二倍の米国で、誘拐が年に十万件、そのほとんどが未解決で親によると言われるのです。親権を失った親、家族を失った焦燥感、孤独。米国で発砲事件が起こる可能性が最も大きい裁判所は家庭裁判所。犯罪の増加は、子育てを手放し、家庭を失ってゆく社会の宿命です。

 日本はまだいいのだ、という言い方はしたくありませんが、まだ奇跡的にいいからこそ、20年後のこの国をイメージして、方向性を考え直してほしい。

 

images.jpeg(嬉しい知らせが、年の瀬に届きました。茅野市からで、
「どうぞの椅子」の見本が出来たと言うのです。
 「どうぞの椅子」は祖父母たちが、のんびり一日保育士体験を年に何度でも、半日でも、よかったら毎日でも出来るように、と園庭に設置されるベンチです。今年、茅野市で、すべての園で祖父母にお話ししました。そこに座っているだけで意味がある。園の空気が変わること。お友だちのおじいちゃんおばあちゃんに見守られている、と日々感じながら育つことで、子どもたちの意識が変わり、とても安心すること。そして、その風景が、学校に入ってからイジメを減らすこと。

 保育士は、毎日八時間、3才児なら1人で20人受け持ちます。4、5才児は1人で30人の人生に日々関わります。一日何度か「いま、この子を誰かが30分抱っこしてくれたら、一時間背中をさすってくれたら、きっとこの子は落ち着く。人生が変わるかも知れない」という瞬間があるのです。
 そんな時に、ふと「どうぞの椅子」の方を見ると、だれかの祖父母たちがお茶を飲んでいる。「すみませんけど......」という具合に、一対一の関係をお願い出来れば、日本が生き返ってくる。社会における人生の目標が自然に見えてくるかもしれない。

 ある園長先生から、「どうぞの椅子」の話を聴いたのは十年くらい前でしょうか。もともと園の外側に、園の方を向いてあったのです。その椅子に、時々中学生たちがたむろして、うらやましそうに園児たちを眺めている、園長が「ちゃんとやっていますか?」と声をかけると恥ずかしそうに頷く。幼児を眺める場所と機会を、すべての人にふやしていけば、それできっと自然治癒力が働くと思うのです。)


 松居先生


 こんにちは。茅野市幼児教育課長の牛山です。
 今年も大変お世話になりましてありがとうございました。
 先ほど、「どうぞの椅子」の試作品ができあがったとの報告を受け、早速確認に行って
まいりました。
 大人が4人掛けできる大きさで、作りも良く値段もお手頃でしたので、年明けから順次
市内保育園、幼稚園(私立含む。)の全ての施設に配備いたします。
 次回おいでいただく折には、先生にもご覧いただけるものと楽しみにしております。
 また一つ、一日保育士体験事業の取り組みとして、市の姿勢を示すものができあがりま
した。先生のご指導のお陰と厚くお礼申し上げる次第です。
 今年の業務も今日で終了となりますが、新しい年が茅野市にとって飛躍の年となるよう
精一杯取り組む所存です。
 また、先生にとって幸多きすばらしい年となりますことをご祈念申し上げます。良いお
年をお迎えください。
 今年も色々とお世話になりました。ありがとうございました。


(本当に、ありがとうございます。理解者、同志が役場にいてくれることが、私の、心の支えになっています。)


茅野市の一日保育士体験、三年間で三千人の意味。

 香川県の坂出市での講演のために高松空港に降りたとき、携帯電話が鳴りました。

 長野の新聞社から、茅野市で3年目になる一日保育士体験に、すでに三千人参加、それが記事になるというのです。いくつか確認したいことがあってという記者の声が嬉しい。一日保育士体験は、一日親一人ずつが基本。三千人の親たちが、1人ずつ幼児たちに8時間囲まれたのです。

 子どもたちの信頼と笑顔が、親たちに「親は、みんなの子どもに、少しずつ責任がある」と思わせたかも知れない。「自分はいい人間なんだ」と親たちに8時間感じさせることによって、生きる喜びを憶い出させたはず。そんな親たちの顔を、保育士たちが見て安心したはず。

 子どもたちも、お友達のお父さんお母さんお祖父ちゃんお婆ちゃんに1人ずつ一日かけて出会い、世話してもらい、一緒に遊び、これできっと将来いじめなんかなくなるのです。いつか困った時に助けてもらえるのは、お友達のお父さんかもしれない、お婆ちゃんかも知れない、これが部族の感覚、昔の村なら当たり前、みんなで一緒に生きている自覚が安心となって子どもたちを守るのです。

 茅野市では三年間に全ての園で、一年目母親、二年目父親、三年目は祖父母に合わせて三度話しました。「保育士と親の信頼関係が子どもたちを育てること。人生で一番嬉しい時間の過ごし方を一日保育士体験から感じて下さい。子育てから生まれる大人たちの絆がイジメをなくします。幼児が親心を育て、社会にいい人間だと感じあう絆が生まれるために、わたしたちは0歳児を授かるのです。etc

 三年前に「一日保育士体験」をマニフェストに入れて当選した市長と、役場の人たち、そしてほぼすべて公立園の現場の保育士たちの、「子育てに関する一体感」が嬉しいです。(今の国の施策は、総理大臣、内閣、厚労省、文科省、学者、会議、すべて心も意識もバラバラです。「子どもを思う心」でまとまれない人たちは、子育てや保育について口出ししてはいけないと思う。)

 茅野では、いつ役場へ行っても子ども課で、すーっと出て来るお茶とお漬け物。心が和みます。講演に行くと、園長先生が、美味しい給食に加えて心のこもった手料理をつけて下さいます。そして、園長先生の畑で作った野菜のお土産をもらいます。

 ある園では一日保育士体験の参加率が、母親100%父親80%になりました。夫婦別々の日が原則です。何より、茅野の保育士たちが全ての園で「いつでも親に見せられる保育をしている」ことが心強い。その心持ちに自信がある。

 当たり前のようで、これが出来ない保育所がいま国によって増やされているのです。

 ガード下の一部屋保育で20人以上の子どもが過ごしていたり、ラジカセから子供用の音楽が一日中流れていて誰も何も言わない。公園に園児を忘れてくるような保育士が勤務していたり、新任の保育士に、あとで面倒だから0、1、2歳には話しかけるな、抱っこするな、と指示をする主任がいたり。保育の基準が、規制緩和と市場原理で、空中分解しつつある。

 いまの流れは、この先40万人の未満児をあずかるために、国基準、保育の最低基準が小規模保育という名で規制緩和され、形だけ変えて何かしたように見せかける姑息な手段で待機児童解消を目指し、保育が一部で急速に産業化させられ、ますます親本位、経済対策になってゆく。そういう保育園にも子どもは毎日行く。環境的に、心情的に、風景として、八時間はとても親に見せられない保育を毎日していると、国全体の子育ての心の質が落ちてくるのです。心の質の低下、これがいま、国家の存続に関わる緊急かつ最重要問題です。後戻りが難しくなるのです。

 このまま国の施策通りやっていたらもう乳幼児を守れない。児相、乳児院、児童養護施設が手一杯になり、家庭も保育所も安全なところではなくなってくる。子育ては誰かがしてくれるものと勘違いした親が学校教育の存続さえ脅かしている。子育てのたらい回しが始まっている。

 だからこそ、茅野市で最初の三年間に三千人の親が、年にたった一日でも1人ずつ幼児たちに囲まれ保育士と信じ合おうとする体験を持ったことが、何か大切なものを国に取り戻すきっかけになると思うのです。

(坂出市の講演では市長さんも聴いてくださり、また一日保育士体験が広がるかもしれません。公立と私立の園長先生たちが仲が良く、一体感を持っているのが何より心強かった。次の日は頑張って金比羅山の奥の社まで、這うようにして登りました。天狗の写真も携帯に入れました。)

 

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潜在保育士は「即戦力」にはなりません。「潜在保育士は、子育て経験者が帰って来るから即戦力」という暢気な、現場知らずの記事を読みました。まったくわかっていない。子育てを経験した人は子育ての意味・幸福感を知っています。それがすでに出来なくなっている現場の現在の環境には呆れて、参加しません。一度再復帰して半年で「こんなのは保育ではありません」と言って辞めていった同志を幾人か知っています。こういう保育士が次の世代を育てる人たちだったのに、子どもを思う人たちを怒らせる仕組みになってきています。土曜日も「親のニーズ」があれば、就労証明書がなくても保育するように、などと県から通達があったりすれば、それだけで本気の保育士は去ってゆきます。

 もう昔の保育とは環境も質も、社会の見方さえも変わってしまった。子ども・子育て会議の議事録を読めばわかるように、保育所は子どものためにあるのではない。子どもの権利条約や保育所保育指針の精神は死にかけ、政府が進めるのは、ただの雇用労働施策になっている。今の保育の状況を容認して帰ってくるような保育士は、たぶん子どもにとっては、掘り起こしてもらっては困る潜在保育士なのです。潜在保育士を掘り起こすよりも、潜在親心、潜在祖父母心を掘り起こす方が、はるかに簡単。自然です

 

茅野市の一日保育士体験:http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000000124000/index.html

http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1360914331329/index.html

 

一日保育士体験:埼玉県の取り組み http://www.pref.saitama.lg.jp/page/24moderu.html

 

「保護者の保育参加事例集」・ http://www.pref.saitama.lg.jp/page/oyashien.html

高知県教育委員会の取り組みhttp://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/311601/hogosyanoitiniti.html