保育界の現実(森友学園問題)

保育界の現実

森友学園問題で、テレビのニュースカメラの前で、「高等森友学園保育園」の園長が、国基準違反をあっさりと認め、でも、うちの無資格者は資格者よりいいんです、と堂々と行政に言っていました。

『会談後は市が会見。諄子氏には配置基準の認識がなかったといい「園長は『6人も必要ないでしょ? 3人で足りる』と話していたので『それは違う』と申した」。諄子氏は保育所を継続する意向を示し、保育士確保について「5月まで頑張ってやっていきます」と話したというが「『どんな手立てを?』と聞いても具体策は何も出なかった」と説明。保育士紹介施設の利用も促したという。』

園長・設置者の良識・認識が問われる風景ですが、これが保育界の現実でもあるのです。保育という、幼児の命を預かる現場で、認可された保育園の(建物も立派な園の)園長の発言であり姿なのです。しかも、園長は安倍首相の知り合いで、首相夫人が保育理念に感動しました、と系列幼稚園で挨拶をした園の理事です。総理大臣を知っているから、私は何を言っても構わない、という風にも見えますが、それよりも、国基準など少々無視しても大丈夫、他でもやってることでしょう、と思っている、と見る方が正解ではないかと思います。

カメラの前でここまで言われたら行政も見逃すわけにはいかない。本当に閉園にする方向へ動きました。それを見て日本中で、「エッ」と思った園長・設置者がたくさんいたはず。何をしても閉園にならないのが保育園、ビジネスコンサルタントがそう言っていたではないか、と思った人もいたはず。

このニュース報道を見れば明らかなように、認可保育園という一見確立されているように見える仕組みでさえ、実はまだまだ園長・設置者の意識がバラバラで保育に対する姿勢もいろいろなのです。一定の常識、良識が通用しない。しかも、保育の新制度を進めようとした人たち(一部学者と政治家)は、すでに資格を与える保育者養成校が市場原理の一部になっていることを見落としている。見て見ぬ振りをしている。次の世代の、保育に対する意識が急速に下がっているのです。これでは保育崩壊という負の連鎖は止められない。

確かにあの園長先生が言うように、無資格者で資格者よりもいい保育士はたくさんいます。最近の保育者養成校の「資格の乱発」と、「子ども相手ならできるでしょう」と卒業する生徒に平気で言う高等学校の進路指導の結果、この発言はいよいよ真実味を増している。でも、考えてみてください。どこかの学校の校長が、うちの教師は資格を持っていない人もいるけれど、資格を持っている人よりよほどいいんです、だから法律に違反してもいいんですよ、とニュースカメラの前で行政に向かって堂々とは言わない。

最近の保育のサービス産業化を見ていると、保育所保育指針という法律に書いてある、園児の最善の利益を優先して、という理念さえ徹底されていない。それどころか国が保育の根幹にある理念を壊そうとしている。ここ数年間に小規模保育、家庭的保育事業、こども園、学童保育の増加、障害児デイ施設など、待機児童解消を最優先に、チェック機能が確立されないまま新たな仕組みがどんどん参入してきています。それに伴う資格の規制緩和や利益優先のサービス産業が参入し、子どもたちを囲む状況はさながら無法地帯のようになりつつあるのです。

あの(知り合いの)園長先生の傍若無人な行政への説明を見たら、首相だって、本来は、あと40万人保育の受け皿を確保します、などと言えないはずなのです。

保育園の義務教育化など夢のまた夢。保育士の質を落としておいて、「就学前教育」などと言う学者たちの詐欺のような施策と同じで、非現実的、机上の空論。無法地帯化と並行して進める保育園の義務教育化は義務教育を崩壊させる。
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加えて、こんなことを書くのは矛盾しているように思えるかもしれませんが、私は実は、あのちょっと支離滅裂な園長先生は「子どもたちにとって」、全国平均よりも上の、いい園長のような気がしているのです。社会とか仕組みの中では通用しにくい人でしょう。補助金でずるいこともしたのでしょう。でも、「必要な時に親を叱れる園長」だったような気がする。

「必要な時に親を叱れる」。信じたこと、思ったことを言える。保育指針の第6章あたりに該当する重要な項目なのですが、この国の現状を考え、その先にある義務教育の存続を考えると、保育園の役割としては、私はここが一番大切だと思っています。的外れでもいいのです。思ったことを率直に言い合える関係が育てる側にあれば、子どもはちゃんと育って行く気がするのです。

私は、福祉という仕組みの中で、保育にしても老人介護もそうですが、親身さではなくて、知識や手法で人と接する「専門家」たちが増えていることを危惧しています。「専門家」の存在によって、他人の人生に親身になれる、本当の保育士や介護士が福祉の現場から去っていったり、心を閉ざしたりしていくことを一番心配しているのです。学問と仕組みが、人間社会から人間性を奪ってゆく。

あの園長の、うちの保育士は資格を持っている保育士よりもいい保育士なんだ、という叫びがたぶん真実で、本気なのが、なんとなくわかるのです。

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(付記)

知らない人が多いのですが、保育園の園長は、実は保育資格を持っていなくてもいい。それがこの国の保育の心を支えてきた側面があるのです。資格を取って「保育は福祉、親のニーズに応える」みたいな知識を植え付けられ、それを優先する人に園長はできない、と思う。保育は福祉という形をしていますが、「子育て」なのです。

映画「いのちのはじまり」(子育てが未来をつくる)

映画「いのちのはじまり」(子育てが未来をつくる):

 
11時間保育を「標準」と名付け、保育の質の低下を考えずに安易に子ども園や小規模保育を奨励し、3歳未満児を親から離そうとする国の施策を作った「子ども・子育て会議」のメンバー、経済論でそれを主導した政治家たちに、ぜひ、この映画を見てほしいと思うのです。
当たり前、といえば、これほど当たり前のことはない。3歳までの育ち方が子どもの人生を左右する。それは即ち親の人生を左右するということ。
 
世界全体で、いま乳幼児期の愛着関係の欠如が問題になっているのです。子育てを、どういう視点で捉えるか、が改めて問われています。人類が、これではいけない、と自問し、乳児を眺め、彼らの存在意義を考え始めている。
 

映画「いのちのはじまり」(子育てが未来をつくる)http://www.uplink.co.jp/hajimari/

 
「人格の土台が形成される乳幼児期(生後~就学前)の脳では、毎秒700個から1000個もの神経細胞が新たに活性化しています。この神経細胞同士の接続によって脳は発達し、後の健康や精神的な幸福、学習能力が決定づけられます。
 
この成長でもっとも大切なのは、大人との触れあい。血のつながった“親”に限らずとも、周囲の大人が乳幼児に安全で愛情に満ちた環境を与えることができれば、より良い社会を創造する未来が開かれます。
 
本作は、世界9カ国で家族や育児現場を取材し、さまざまな文化・民族・社会的背景における子育ての今を伝えます。さらに、早期幼児教育の専門家たちへのインタビューを織り交ぜながら、親をはじめ子育てに関わる周囲の大人たちが、安心して育児に取り組めるような公共政策の必要性を訴えます。
 
世界的ファッションモデルのジゼル・ブンチェンや、ノーベル経済学賞受賞歴もあるシカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授、ユニセフ本部で「ECD=Early Childhood Development(乳幼児期の子供の発達)世界キャンペーン」を統括するピア・ブリット氏、先進的な幼児教育で注目を集めるイタリアのレッジョ・エミリア市の保育者らも出演。彼ら自身の経験と研究に基づいたメッセージが胸に迫ります。
 
「この映画を製作していた2年間で、赤ちゃんにはそれぞれの世界があり、彼らを世話することはその特別な世界を慈しむことなのだ考えるようになりました。人は誰かを大切にすると変わります。それは単なる自己犠牲ではなく相互的な関係です。”あなたがいるから私がいる”と専門家の1人は言いました。人とのつながり、特に乳幼児期における人間関係によって、世界はこれまで以上に素晴らしいものになり得るのです」
 
─エステラ・ヘネル監督
 
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なぜ、いま日本政府は40万人の乳児を親から引き離すことを政策目標にするのか。なぜ、マスコミはもっと乳幼児の立場に立って報道しないのか。この国の未来を見据え、考えながら報道しないのか。
 
保育士不足がこれほど決定的ないま、これ以上預かろうとすれば市場原理に向かうしかない。サービス産業になっていけば、保育は、ますます親へのサービスになってゆく。それによって親の「子育て」に対する意識が変わってくる。そして、いい保育たちが去ってゆく。
子どもに話しかけない保育、抱っこしない保育が、市場原理の中で、ぎりぎりの金儲けを維持するために広がっている。