園長先生からのメール/システム疲労及び人類にとっての選択肢

もう春です。

卒園児が旅立ち・・・

新しいお友達が入ってきます・・・

私はこの季節が大好きです。

では、またお目にかかる日を楽しみににております。

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先日講演した保育園の園長先生から、親たちの感想文に加えて、メモが届きました。

こんな心持ちが、この国を支えているのだな、と私も暖かい気持ちになりました。

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 今年も、色んなところへ行って講演しています。

 人間は、生きて試みをしています。市政においてもそこに生きようとする人間が関わっていれば、試行錯誤があり、様々な試みや状況を目にします。呼ばれて行った市の保育の様子子育て環境を知るのは楽しみでもあります。毎年100を越える市に行くのです。たくさんの事情と考え、習慣と知恵に出会います。そして、一日保育士体験を薦めています。

 駅まで迎えに来てもらった役場の人に車の中で質問します。

 幼稚園と保育園の割合、公立と私立の割合を聞いて、それに窓から見える景色を関数として加え、次の質問を考えます。

 保育という仕組みとしてはこの国の将来の心のインフラを担う分野で、いまの制度内でこれほど多様な体制を組むことが出来るのかと思うと、驚きです。子育てを取り巻く環境は様々で、家庭保育室という名で100人規模の認可外が営利目的で動いている市があるかと思えば、保育園に待機児童がいないのに、幼稚園に待機児童がいる、という市もあります。そういう市では、三歳で入れなかった子は一年待って二年保育に入ります。五才児はほとんど全員が一年保育の幼稚園に行く、保育園の卒園式は四才児、という風習を祖父母の意識でしょうか、伝統として維持している県があります。

 新システムを踏まえこの先どうなるのかと、子どもたちを思い不安になりますが、同時に、子育てに対する首長の意識によってどういう方向にでも行ける気がするのです。良い意味で。

 7万人規模の市でした。4、5歳児は全員幼稚園、保育園は3歳まで、という方針を決めて施策をしているのです。こんなことも可能なんだ、と思いました。市全体で幼稚園型認定子ども園を目指している感じです。なるべく親が育てる、という日本的考え方が背後にありました。幼稚園プラス預かり保育で共働き家庭を支援しているのですが、考え方としては、幼稚園に学童保育がついているという方向性でしょう。松伏の若盛先生に報告したら喜びそうです。

 日本には、田舎で100年くらい前に学校教育が幼稚園とともに発達した地域があって、まれにそういう所では、住民たちが地域や家庭で乳幼児の子育てをするという意識を強く持っています。それが人間が集団として結束する土台だという、昔からの伝統や本能が自然に働くのでしょうか。そういう可能性を秘めている地域は、公立幼稚園が私立より多いかどうかで見分けることが出来きます。遡っていくと、江戸時代の藩主の考え方、藩校や寺子屋の充実、地域の進歩的大地主の意識といった、歴史の水脈のところへいきつくような気がしてとても面白いのです。(この辺の歴史を垣間みると、役に立たない「学問」の方が、役に立つ「福祉」よりもはるかに人類にとって安全で無害だということがわかります。ただし、「学問」が「福祉」をコントロールする、という段階に入ってゆくとこれは非常に危ない。)

 時間はその地域で縦につながっていて、人類にとっての大切な選択肢、オプションなのだろうと思います。(地球規模で見れば、日本という国が大切なオプションだと思います。)こういう多様な選択肢を持つことが、現在私たちがシステム疲労によって直面している諸問題の解決の糸口になるはずです。時間をさかのぼって考える、失ったものを検証する、ある集団が育ててきた意識を社会の安定という視点から分析する。それが時間を越えて糸口になるからです。

 ある地域の集団が持つ「あたりまえ」という次元の絆を研究することで、いま行き詰まってしまった経済論主体の絆の希薄化を方向転換しなければいけません。

 その市も,最近になって新興住宅街が出来たとはいえ、何かそういう人間らしい非論理的な雰囲気を持っていました。

 幼稚園がすべて公立で保育園もほとんど公立という状況があるから出来ることではありますが、ちょっとびっくりしました。

 人権課の男女共同参画推進委員の研究会で講演を頼まれたのです。

 男女共同参画の第一は子どもを作ること、第二は育てること、その感覚が失われると弱者たちがその天命を果たせなくなる、という講演をしました。盆栽や人形が、どうやって私たちを人間らしく育てるか、という話をしました。

 質問の時に女性委員の一人が、委員をしていて何かおかしい、おかしいと思っていたのですが、少しすっきりしました、と言ってくれました。

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木喰さんの生家を訪ねて

 山梨県の身延町に木喰さんの生家を訪ねてみた。

 木喰五行明満上人は、以前このブログにも少し書いた不思議な人物。
 入場料もない生家に入ってびっくりした。目の前に懐かしい顔が出迎えてくれたのだ。京都、八木町清源寺の木喰さんたちだった。大きな、等身大の写真だった。十六羅漢がそろって残されている清源寺は、私の師匠のもうずっと前に亡くなった宅間英夫さんが40年前に連れていってくれた寺で、酔っぱらって畦道で寝てしまうような、十六羅漢の生まれ変わりのような和尚さんがいた。その頃は粗末なお堂に木喰さんたちは並んでいた。宅間さんの家に居候になるたびに何度か行った。宅間さんの家に泊めてもらえない事情があったときには清源寺に泊めてもらった。しばらくして、宅間さんの助言もあって、十六羅漢を収める立派なお堂がが出来た。
 身延町の生家を訪ねたのは2度目。一度目は去年の正月で閉まっていた。と思っていたら、今回訪ねてわかったのだが、普通の家なので閉まっているも開いているもないそうだ。
 木喰さんの血を引いたおじさんが、色々教えてくれた。
 木喰戒の行をしていると宇宙と周波数があってくる、この波動のあわせ方は4000年前に理解された。この情報は私も初めてだったので、なるほど、と思った。清源寺の木喰さんの中にある片目をつむっている羅漢さんのメッセージなどもうかがい、思い当たる節もあって、びっくりした。
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「みな人の、こころをまるくまんまるに、どこもかしこもまるくまんまる」
「身を捨つる、身は無きものと思う身は、天一自在 うたがいもなし」  
                             木喰上人

ロータリークラブでの講演と園長先生たち

 茅野市の諏訪大社ロータリークラブで講演しました。会員の方たちは揃いのエンブレムのついたブレザーにネクタイをきちっと締めて前の列から順番に座っています。一般参加も可能だったので、その後ろに保育園の園長先生たちが座っています。園長研修会や親たちへの講演会で私の話を一度聴いたことのある方たちが、もう一度と集まっていました。茅野市周辺の市町村からわざわざ聴きにきて下さった園長先生たちもいました。二つの集団の違いがこれほどくっきりハッキリしている講演会はいままでなかったような気がします。ロータリークラブ集団は全員男性、園長集団は全員女性、ビジネスをして来たひとたち、保育をしてきたひとたち。しかし、年齢は近いのです。

 講演翌日、園長先生集団の代表的存在の方から電話をいただきました。ロータリークラブ男性集団が感性豊かに、時に大笑いしながら、、「保育、子育て、親心、祖父母心」の話や一日保育士体験の話を聴いているのを見て、園長先生たちがとても嬉しそうでした、ちょっと子どもにも見えるあの男性たちの反応を見たのがとても良かった、安心した、という報告でした。
 ひょっとすると、男女で一緒に子育てをし、大笑いしながら心を一つにするということが本当は簡単で、充分可能なんだ、という証明の瞬間だったのかもしれません。それが園長先生たちには嬉しかったのだと思います。こういう時代だからこそ、子どもたちのために、この国の将来のために、自分自身をより深く体験するために、経済競争の次元ではなく、もっと古い時代の感性で、男女が年齢を越えて、幼児を眺め心を一つにすることが望まれているのだと思いました。違った選択肢を選んで異なる道を歩いた人間たちが、お互いにホッとする風景がもっと生まれなければいけないのでしょう。
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安野先生の展覧会が板橋区立美術館で始まりました

安野光雅の絵本展
日時:2012年2月25日(土)- 3月25日(日)
 9:30-17:00(入館は16:30まで)
会場:板橋区立美術館

anno.jpg           『旅の絵本』(表紙) ©空想工房2012 津和野町立安野光雅美術館蔵

このブログを書き始めた時にシャクティのドキュメンタリーに心にしみる感想をいただいた安野先生の展覧会が始まりました。美術館の学芸員の松岡さんからオープニングのセレモニーに誘われていたのですが、講演が入っていて行けませんでした。安野先生は私の小学校の工作の先生でもあったので、当時の思い出などをお話ししたためか、図録の最後に私の名前が載っていました。ありがとうございます。記念になります。来週坂本区長さんとお話しさせていただいたあとうかがうことになっています。楽しみです。
東京都私立幼稚園連合会の「都私幼だより」の2月号に巻頭文を書きました。以下のリンク先に掲載してあります。
http://kazumatsui.com/genkou/012.html