「プジェクト2000」国が用意するシステムと家庭の境界線

西暦二千年に向けて、20年ほど前にアメリカの首都で「プジェクト2000」という施策が始まった時のことを、今でもよく覚えています。当時全米で、すでに3人に1人の子どもが未婚の母から生まれ、ワシントンDCでは、子どものいる家庭の60%に、父親像となり得る男性がいないという状況になっていました。

「父親像となり得る男性がいない」この表現はとてもアメリカ的なのですが、母親がボーイフレンドや恋人と暮らしていれば、父親像となり得る男性がいると計算します。離婚、再婚、同棲、未婚の母が日常的になり、「実の父親」がいる家庭が少数派になった国で、肉身、血のつながりという概念は意味を失いつつありました。大人の男性が家庭にいれば、それが誰であれ、父親像となり得る男性がいる、そう計算しても、ワシントンDCやデトロイトでは60%の家庭に大人の男性がいなかったのです。

日本の首都で60%の子育て中の家庭に大人の男性がいない状況を想像してみてください。それは人類が一度も体験したことのない未知の情景です。それが今から20年前にアメリカの首都で起こっていた。すでに日常になっていた。

欧米諸国との対比がよく言われる昨今、こういう現実はもっと知られていていいと思います。特にいま、保育の仕組みがこれほど親子を引き離す方向に変えられようとしているのです。首相が国会で、40万人3歳未満児を保育園で預かる施策を発表し、そうすれば女性が輝く、「ヒラリー・クリントンがエールを送ってくれました」と去年言ったのです。ヒラリー・クリントンに褒められることがどういう意味を持つのか、現実を知り、考えるべきなのです。

ワシントン市が始めた「プロジェクト2000」は、「公立の小学校を使って子ども達に父親像を教えよう」というものでした。

男の子は家庭に父親像がないと、5歳、6歳からギャング化する、理不尽な序列を作ろうとする、という研究発表が同時にニュース番組で報道されていました。アメリカの小学校は伝統的に女性教師が多いので、ボランティアの男性に小学校に来てもらって、子ども達に大人の男性と接する機会を与えようというのです。(最初は、世の中で成功した男性を呼んでいたのですが、数年後、経済的成功だけではなく、良い仕事をしている男性も加えていきました。)

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学校が、父親像を子どもに提供する、こんなサイエンスフィクションのようなプロジェクトがすでに20年前に存在して、その国を我々は「先進国」という名で呼んでいました。先進国社会で、国が用意するシステム(仕組み)と家庭との境界線がここまでわかりにくくなっている、そうせざるを得ない状況になっている、ということに我々はもっと注意を払うべきなのです。(一度そうなってしまったら、ほぼ、戻ることはできないのです。)

一番問題なのは、3人に1人のアメリカ人の男性が自分の子どもが生まれた瞬間から父親としての役割を果たそうとしていない、家庭に対する責任を持とうとしないということです。1ヶ月でも父親をやってみて、やっぱり嫌だ、うるさい、面倒くさい、それで放り出すのであれば、まだ理解できます。1年でも一緒に暮らしてみて、やっぱりこの女性と暮らすのは嫌だ、失敗した、そう言って離婚するのならまだ理解できます。3人に1人の男性がはじめから「子育て」に関わろうとしない、それが日常になっている。ここが尋常ではない。そうした家庭という概念の崩壊をアメリカで目の当たりにすると、日本における「できちゃった結婚」という言葉が輝いて見えるのです。できちゃったら、結婚する、この感覚は社会全体にとって大切な「いい感覚」なのです。

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イギリスで現在4割、フランスで5割、スウェーデンで6割の子どもが未婚の母から生まれます。先進国社会の中に、自分たちの子どもを育てるということがひょっとすると人生の幸福につながるかもしれない、という「空気」が薄くなってきているのです。人類は何か大切なものを手放そうとしているのです。

アメリカ人の男性も幸せになりたいと思って生きている。人間は誰もが幸せになりたいと思って生きているはず。方法は人によって違うでしょう。しかし、もし社会に空気として、自分たちの子どもを一緒に育てるということが、ひょっとして自分の幸福に繋がるかもしれない、という漠然とした思いがあれば、やってみると思うのです。

やってみさえすれば、10人中10人が子育てに幸福を感じるようになるとは私も思いません。20人に1人、30人に1人はどうしても子育てに幸福を見つけることができない人、見つけたがらない親が昔からいたでしょう。それが人間というもの。それで進化するのかもしれません。しかし、社会の中に、自分の子どもを育てることにけっこう大切な、手っ取り早い幸せがあるのかもしれない、という空気があって、皆が何となくでもいいからその可能性に取り組めば、ほとんどの親達がそこに幸福感を見つけ続けようという気持ちになる。それが仕掛けだった。哺乳類である人間の本能だった。親は子育てを通して自分のいい人間性を体験し、そこに人生の目標を持てるはずだった。幸福感を媒体に子育を育てる、そのように遺伝子は仕組まれているのです。

過去と未来という概念を持つ唯一の種である人間にとって、子育てはまだ見ぬ未来への希望だったはずです。

親が自分の子どもを育てることに幸福感を見つけることができなかったら、人間社会は1000年も2000年も前に希望を失い、破綻していると思うのです。いま、先進国社会は「親達の(特に男達の)子育て放棄」という、希望を放棄する混沌の前兆期を迎えようとしている。それを理解して、この国は踏みとどまって欲しいのです。

 

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2851:“虐待入院”と愛着障害”

「政府がやる子育て?」「福祉の危険性 」「人間の愛と常識の崩壊 」

以下は、1999年に私が書いた文章です。「フランスでは37%の子どもが未婚の母から生まれます」とありますが、それがいま50%。スウェーデンでは60%です。欧米の家庭崩壊に歯止めがかからない。経済第一主義の施策によって、格差は広がり、犯罪は増え続けている。

「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」(松居 和著:エイデル研究所刊)より、

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政府がやる子育て?

「養育費を払わない父親からは運転免許証を取り上げよう」、この法案は既に幾つかの州で通りました。クリントン大統領も公に支持しています。しかし、「子育て」は免許証を取り上げられるからやるものではありません。昨年(98年)、ウィスコンシン州で、子どもが犯した罪で親を罰するペアレンタル・ファインという法律が通りました。罰金を科せられるから子育てをやる、それでは困るのです。そこに幸福感があるから、ということでないと困るのです。

母子家庭が必ずしも悪いとは思いません。中日ドラゴンズの星野監督も、立浪選手も母子家庭だといいます。立派な人達のように思います。(私がなぜこの二人のことを覚えているかと言いますと、立浪選手の入団の時に星野監督が、母子家庭だから伸びる、と言ったことを覚えているからです。)ビートルズのジョン・レノンは、親に捨てられたような環境で育ちました。社会に子育てをする空気が備わっていれば、一人で頑張る母親を見て、親思いの、しっかりした子どもが育つことはよくあった。しかし、家庭崩壊が大きな流れとなってしまった先進国社会で、数字で見ると、例えば今、アメリカで少年法で服役している少年の70%が母子家庭から来ているとか、10代で少女が妊娠、出産する確率が母子家庭は両親が揃っている家庭の倍であるとか、いろいろな数字が出てきてしまう。アメリカでは母子家庭に問題があるんだと多くの人が平気で言い切るようになりました。

そうした世論を受けて、去年の1月にタレントという上院議員とフェアクロスという下院議員が日本の国会に当たる連邦議会にタレント・フェアクロス法案という法案を共同提出しました。要約すると、「21歳以下の未婚の女性が子どもを産んだ場合、生活保護費や福祉のお金を一切出さずに、その分を溜めておいて政府が孤児院を作り、そこに子どもを収容して育てよう」、親がいるにもかかわらず、政府が子どもを育てようという法案でした。母子家庭をここまで一律に否定する法案、まるで近未来映画に出てくるような法案が去年の1月に連邦議会に実際に提出されました。福祉はここまで進む可能性をもっている。

さすがにこの法案は議会で否決されました。しかし、提出した議員たちは、そうすることによって地元で票が得られるのです。議員というのは自分が次に当選できなくなることはあまりやらない。こういう乱暴な人権無視の考え方が、社会を良くするという理由で支持される、または支持される可能性を持った地域、階層が、すでに民主主義の国アメリカにあるのです。

タレント・フェアクロス法案は、親による子育てに見切りをつける、という点で画期的な法案でした。タイムマガジンでも、ニューズウイークでも、全国ネットのニュースでも話題になりました。ですから、日本の福祉学者や、アメリカに興味を持っている人達は皆知っている法案です。福祉はここまで行く可能性を持っているぞ、ということが日本に伝えられ、福祉政策を考える上で、なぜアメリカでこうした法案が提出されているかがもっと真剣に討論されるべきだと思います。実の親がいるにもかかわず、政府が孤児院をつくって、そこで子どもを育てるという法案が既にこの地球上で提出されているということ、全体主義の国ならいざ知らず、民主主義の国と呼ばれるアメリカで議案にのぼっているということ、これが今直視しなければならない先進国社会の現実なのです。

 

福祉の危険性

アメリカで33%の子どもが未婚の母から生まれているときに、イギリスで34%の子どもが未婚の母から生まれています。フランスでは37%の子どもが未婚の母から生まれます。福祉国家と言われているスウェーデンでは実に50%の子どもが未婚の母から生まれています。この数字は、一昨年(1997年)の1月1日の毎日新聞に載っていた数字です。その記事で、識者と思われる日本人のインタビュアーがスウェーデンの福祉学者にこんなことを言っている。

「スウェーデンでは50%の子ども達が未婚の母から生まれることができるのですね。福祉が進んでいるからですね」と、まるで良いことのように言うのです。福祉が進めば、必ず家庭は崩壊していきます。家庭が崩壊すると社会的秩序が保てなくなり犯罪や幼児虐待が爆発的に増えます。もはや大がかりな福祉で弱者を救うしか手立てがなくなります。この流れは欧米社会を見れば明らかです。私達は欧米型の福祉をただ闇雲に追いかける前に、50%の子どもが未婚の母から生まれることが一体どういうことなのか、良いことなのか、悪いことなのかという議論をまずしなければいけない。

50%の子どもが未婚の母から生まれるということは、50%の男性が家庭に人生の幸福観の中心を置かない、ということでもある。それでも子どもは育ちます。しかし、本当の意味で「親の人間性」が育つのでしょうか。大人が育つのでしょうか。もう少しこの辺を真剣に見据えて「福祉」や「教育」を考えないと、一度失うと取り戻せないものもあるのです。

アメリカやヨーロッパの福祉をそのまま日本に当てはめようとする現実の見えない福祉学者達、心理学や精神医学における欧米の試行錯誤を最先端の考え方として安易に日本に伝えようとする心理学者達、彼等が私達の生活に取り入れようとしているものは、血のつながりという概念が家庭から無くなりつつある国々の、切羽詰まった試みであるということを知らなければいけません。血のつながりという非論理的な絆を排除して、家庭という形を秩序を生む幸福の土台として保てるかどうか、これは人間社会にとって未知の領域なのです。

日本はその一歩手前に居るのに、保育界の状況を見る限り、学者達が厚生省や文部省に助言し、私達の背中を押し、欧米社会が苦しんでいる同じ領域に入れようとしている。私は日本には欧米とは違った道を試してもらいたい。人類が長い年月をかけて築き上げてきた「家庭」という最も重要な社会単位の伝統的概念を崩さずに、注意深く進んでもらいたい。「家庭」が「個人」より重い社会を保ち続ける、たった一つの先進国であってほしいのです。

 

人間の愛と常識の崩壊

アメリカでは、今、親による虐待で家を出、ホームレスとして路上で暮らしている子どもが100万人いると言われています。これを人口比で割ると日本で50万人の子どもが路上で暮らしている計算になります。私はそういう子ども達にインタビューをしました。彼らは、路上で一緒に暮らす仲間をファミリーと呼んでいました。彼らと話していると、人間は家族・家庭がなければ生きていけないという事がよくわかります。人間は孤独では生きて行けないのに、なぜ自ら家庭を壊すのでしょうか。

アメリカで幼稚園に子どもを入れると、「指紋を登録しておきますか」という手紙を園からもらいます。一年間に十万人の子どもが誘拐される状況が、その背景にあります。誘拐され、月日が経って発見された場合に、顔かたちが変わっていても確認出来るように指紋を登録保管しておきませんか、と言うのです。

誘拐事件の多くが親権を失った親によるものです。親による誘拐と言えば大したことではないように思えますが、戸籍や住民票がない社会で、誘拐された親の9割以上が、二度と子どもに会うことが出来ない、という現実を知ると、これはやはり親が子を失うことに変わりありません。誘拐という犯罪を犯してまで子どもを取り戻したい、子どもと住みたいという親達の孤独感は、社会において家庭が崩壊すればするほど強くなります。孤独感が社会を包むから、愛情が犯罪を生む。それなら離婚なんかしなければいいのに、と思いますが、それとこれとは別なようです。

アメリカにおける他人による誘拐事件がなかなか解決しないのも、それが身の代金を目的とした誘拐ではなく、家族を求めての誘拐だからだそうです。

裁判所の中で起こる発砲事件の件数が一番多いのが家庭裁判所です。法によって家族の絆を裁かれるという、自業自得とはいえ、理不尽な状況に置かれた時、人間は狂います。

少女の5人に1人が近親相姦の被害に会っていると言われています。そういう少女たちがインタビューに答えて言うのです。「そういうことをお父さんからされている時は嫌だった。でも、土曜日、日曜日に遊園地や動物園に連れていってくれるお父さんは好きなんです」。

「愛」というものはつくづく複雑なものだと思います。近親相姦はいけない、と言うだけで簡単に片付かない。そこには親子の関係、ゼロ歳から育ててもらった記憶の積重ねがあるのです。子ども達が言います。「お父さんからそういうことをされている時は嫌だった。でも、それを福祉の人に言ったり、学校の先生に言ったりしたら、お父さんを取り上げられてしまうとわかっていたから言えなかった。お母さんを悲しませると思ったから言えなかった」と。そういう状況に子どもを追い込んじゃいけません。絶対にいけません。

家族という概念が崩れると、ゆがんだ姿で「愛」が現れてきます。アメリカ社会を見ていると、愛というものの不思議な姿、異常な形、多分過去にも人間の持つ可能性の一部としてずっとそういうものはあったのだと思いますが、それが社会の表面に堂々と出てきます。そこで苦しむのが子ども達なのです。家庭という基盤が崩れた時、社会の秩序となりうる土台が崩れた時、人間は愛情というものを基準にとてもおかしなことをすると気づきます。  14歳、15歳、16歳の少女たちの妊娠、出産、これが一時期急増しました。最近少し減っていますが、エイズが蔓延しているからです。海のこちら側から見ていると、性にルーズなのだろうとか、フリーセックスの国だから、と倫理観の違いだと思ってしまいがちです。しかし、そういう少女たちを調べていくと、多くの少女たちが、子どもを産みたくて妊娠しているということに気づきます。

不幸な家庭に育った少女たちが温かい家庭に憧れる。

不幸な家庭というのは経済的な意味ではありません。人間関係の不幸な家庭に育った少女たち、ということです。(幼児虐待や近親相姦、アルコール中毒、麻薬中毒、こういう問題は家庭の経済情況にあまり関係しません。裕福な家庭に幼児虐待が少ないとか、離婚が少ないということはありませんし、学歴が高いから親の倫理観がしっかりしているということもありません。ここ数年アメリカの学校を舞台にした銃乱射事件のほとんどが、中流以上の、経済的にも恵まれた地域、家庭で起こっています。)

親子の関係が非常に不幸な家庭で育った少女たちが、温かい家庭に憧れる。マッチ売りの少女が温かい食卓に憧れるように、自分もそういう家庭が欲しいと思うのです。男にはできないことですが、女性にできること、それが子どもを産んで、家庭を作ろうとすることなのです。結婚をしてというより、まず子どもを産んで一人で家庭を作ろうとするのです。

しかし「子育て」というのはそんなに甘いものではありません。  生まれたばかりの子どもは言葉がしゃべれません。いきなり自分の子どもと1年以上話しができないという状況に追い込まれたときに、それを幸福として受け入れるには、様々な人生体験が必要になってきます。子育ての最初の1年、2年は、理論でもなければ、理屈でもありません。子育てを基盤とした幸福の物指しが持てるかという事と「忍耐力」が鍵なのです。人間は、子育ての最初の1年、2年で忍耐力を試されるのか、忍耐力をつけるのです。そのために赤ん坊はわざわざ言葉をしゃべれないまま生まれてくるのではないでしょうか。ところが、この最初の1年、2年を14歳、15歳、16歳で子どもを産んでしまうアメリカの少女たちの多くが、乗り越えられないのです。自ら不幸な家庭に育ったため、基礎的な忍耐力がついていない、そこでまた虐待をしてしまうのです。

幼児虐待の怖いところは、子どもは殴ると言うことを聞くということです。暴力というコミュニケーションの手段は有効なのです。忍耐力に欠ける親が有効な手段を発見し、場合によってはそれに快感を感じるようになる。親から子へと、14年、15年、16年で回るこの幼児虐待のサイクルが今もう3回転、4回転しています。ここまで来たら止めることはできません。

幼児虐待のサイクルに火に油を注いでいるのが、少女たちが幸せになりたいと思う気持ち、幸せな家庭を持ちたいと思う気持ちなのではないかと気づいた時、私はちょっと絶望的になりました。少女たちに、あなたたちは家庭を持っちゃいけないとは言えないです。自分が生まれた家庭が不幸だったから、いい家庭を持ちたい、温かい家庭を持ちたいと思っている子どもにあなた達はやめておいた方がいい、とは言えません。やはり家庭は幸福の源ですから、幸福になろうとしてはいけない、とは言えません。だから社会は家庭というレベルで一度狂い始めると恐ろしいのです。

(過去欧米でも日本でも経済政策の名の元に、福祉を使って行われた障害者の強制避妊の歴史を思い出して下さい。政府や学者のやることを甘く見てはいけません。)

アメリカで、親による虐待で重傷を負う子どもが、7年前に1年間に13万人でした。家庭内のことはなかなかハッキリした数字が出てこないものですが、小児科医の報告に基づいたこの数字は、信憑性が高いと言われています。それが去年57万件です。7年間で4倍以上にふえているのです。

幼児が親に虐待され重傷を負う、これは非常に辛いことです。幼児にとって親は、世界中にただ一人、ただ二人の大切な存在です。顔を見上げ、頼りにする相手です。この人達から虐待されたら逃げ場がない。しかも、ほとんどの場合、幼児は愛情の眼差しをその人に向けています。愛する人に虐待されて重傷を負う。重傷を負うほど虐待されているということは、虐待が何カ月も何年も続いている場合が多いのです。これほどつらく悲しいことはないと思います。これほど理解に苦しむことはないと思います。  これから先どうなってゆくのか、どこまで行くのかを考えると私は人類の未来に不安を覚えます。この57万件は確実に大人になってゆくのです。

都知事選・ツイッターから・「できちゃった結婚」

都知事選で、主要候補者みんなが「待機児童をなくします」と、叫ぶのです。その「叫び方」を聴いていると、それが票を取るための「手法」になっている気がします。それが社会正義になっていくような気がします。恐ろしい気がします。その先にいる012歳児の気持ちや願いなどは誰も想像しない。そして、保育士不足のおり「不可能」か、保育の質を下げるしかない待機児童解消方法を、子どもが育ってゆく時間の質などほとんど考えずに候補者たちは、安易に、本当に軽々しく言うのです。増田候補などは、「杉並区はよくやっています」と言うのです。岩手県で保育士たちがどれほど苦しんでいるか。公立の保育士の週休二日が壊されそうになっているのです。子どものことを考えたら、自ら壊すしかないところまで園長たちは追い込まれている。それを、「成果」のように言うのです。

公園に保育園を建設するという区のやり方に反対する母親たちの叫びを、ほぼ無視した状況で、杉並区長は、自分が正義だと言わんばかりの顔で待機児童対策を進めています。来年四月までに2000人の「受け皿」を作る、緊急対策だというのですが、四月に必要な「受け皿」の数は区の想定でも600人弱(現在150人くらい)、二つの公園に保育園を建てなくても、残りの公園以外のところに建てる保育施設で1500人分くらいは四月までに確保できる。それなのになぜあの公園に、いま建てなければいけないのか。住民の声に耳を貸そうともせずに強引に進めなければならないのか、皆目理解ができません。とてもいい公園です。周囲に児童館がないので、本当に子どもたちの集まり場所になっていて、夏やすいなど、親も「公園に行ってらっしゃい」と自然に言える、誰かが見守っている公園なのです。

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=556

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(ツイッターから)

保育園!!!私たち声を上げます! @hoiku_kokkai 

お子さんを亡くして、まだ気持ちの整理がついていない、とご遺族のお父さん。ここに来るのも勇気がいったけど、闘わなくてはいけない!という思いで来てくれたとお母さん。もう、あかちゃんにちゃんと向き合えない保育園なんてダメ!基準緩和で危険な保育園をつくってはダメなんだ!という思いです!!

松居 和 @kazu_matsui 

数年前千葉で保育士が園児虐待で警察に逮捕され、園長が取り調べに、保育士不足で辞められるのが怖くて注意できなかった、と言ったことが新聞報道された時に、なぜ国はブレーキを掛けなかったのか。警告はあちこちで発せられ、小さな悲鳴は聴こえている。それでも未満児50万人の受け皿を目指すのか。

 

「できちゃった結婚」

「できちゃった結婚」という言葉がありますが、聞くたびに嬉しくなります。「できちゃったら」結婚する。それが責任です。こういう言葉がある国は、やっぱり世界で一番安全な国なのです。

欧米では出来ちゃっても結婚しない男が3割から5割です。犯罪率も日本の20倍から30倍です。男女が協力し、一緒に子どもを育てるという意識が、欧米に比べ、まだこの国には奇跡的に残っている。本当の意味で、「男女共同参画」のお手本のような国です。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1047

哺乳類の一員として、「男女共同参画」の第一番は「子どもをつくること」、そして第二は「子どもを育てること」です。ある市の男女共同参画の会に招かれて2時間講演したのですが、千人を超える人たちから、びっくりするほど盛大な拍手をいただきました。

親心がなんとなく社会に満ちることの大切さを言い続けて25年になります。正念場に来ています。

児童養護施設や乳児院はいっぱいで、児相の機能が限界を超えています。地域によっては、保育所が「親子を十時間でも引き離すため」仮児童養護施設のような役割を果たさなければならなくなっています。家族の絆が薄れ、ここまでの家庭崩壊を予測出来なかった老人介護の仕組みも予算的に危険水域に入りました。こんなことを続けていたら、学校がもたない。社会福祉全体が間もなく限界にきてしまう。家庭が崩壊した後に社会福祉が崩壊する、これが先進国が直面する最悪のシナリオです。

自分で主張することができない0歳児は母親と一緒にいたいだろう、と想像することが、人間性の第一歩。人間社会に自然治癒力、自浄作用が働くはずです。

本来の日本の姿・逝きし世の面影:第十章「子どもの楽園」から

2016年7月

本来の日本の姿

 以前も書いたのですが、「逝きし世の面影」渡辺京二著、平凡社、第10章「子どもの楽園」からの抜粋を掲げます。江戸の末期、明治の初期に来日した欧米人の証言です。欧米人が何に驚いたのか。いまでも、世界で一番安全な国と言われる理由が、そこに見えるのです。犯罪率や家庭崩壊、麻薬の汚染率が欧米に比べて奇跡的に低い国の成り立ちがそこにある。

 「いま、なぜ政府は乳幼児たちを母親から離そうとするのか。待機児童が4万人なのに、その『受け皿」をなぜ50万人に設定するのか」。

 日本人が、「子どもに囲まれ、子どもに育てられ生きてゆく」という自分たちの個性や役割を否定しては、私たちが私たちである意味がなくなってしまいます。

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 この本を読むと、街はほぼ完全に子どもたちのもの、日本の子どもが馬や乗り物をよけないのは、大事にされることになれているから、と欧米人が書き残す。父親たちと幼児たちがこれほど一体の国はない。日本人の子どもへの愛はほとんど崇拝の域に達している、と言うのです。

 玩具を売っているお店が世界一多い国、そして大人たちも一緒に子どもたちと遊ぶ国。日本の子どもは父親の肩車を降りない。子どもの五人に四人は赤ん坊を背負い、江戸ほど赤ん坊の泣き声がしない街は世界中どこ探してもない。日本に来る道筋でインドや中国を見た欧米人が、この国の特殊性に気づくのです。

 赤ん坊を泣かせないことで、人間と人間社会が育っていた。赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」とごく自然に思う。それが、人間が調和し、安心して暮らしていく原点なのです。そうすれば、大人でも子どもでも、老人でも青年でも、人間が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思うようになる。

 最近は親が、泣いている自分の赤ん坊を見て、勝手に泣いていると思ったり、迷惑だと感じたりする。抱き上げれば泣きやむことを知っているのなら、泣いているのは自分の責任なのです。その責任は、「産んだ責任」までたどりつく。その責任を感じたとき、人間は本来、自分の価値に気づき、嬉しくなるのだと思います。

 欧米人には、日本人は子どもを必要以上に甘やかしているように見えました。四歳くらいまで子どもは王様女王様。みんなからちやほやされ、やりたい放題。それなのに、子どもたちは五歳にもなれば幼いながらも落ち着き、自然に仕事を覚えたり、年長者や老人を敬ったりするようになる、と言うのです。

 街を離れ村へ行くと、日中すべての家の中が見渡せる、と驚くのです。障子や襖、雨戸の開け放たれた家々は、中が丸見えです。日本人にとって当たり前の風景に欧米人が驚きます。そしてその不思議さを書き残す。

 「時空をわかちあう文化」がそこにあるのです。時空の「空」をわかちあうことは、襖や障子を開けること。「時」をわかちあうことは、子育てをわかちあうことなのでしょう。

 私は保育者に「幼児の集団を使って親心を耕してください。人間社会を救えるとしたら、幼稚園・保育園が親を繰り返し園児に漬け込むこと、それによって親心が育ち、幸せのものさしに気づく、もうそれしかありません」と言いつづけてきました。この本を読んで欧米人の証言に触れたとき、私が幼稚園・保育園を使って日本に取り戻そうとしていたのは、この本に書かれている、この世界、この風景、この文明だったのだ、と感慨深いものがありました。

「親心」と重なる文明が、この国の「美しさ」でした。

 儒教的な背景から育まれた武士道、禅を基盤に、利休、世阿弥が書き残した日本の宇宙的文化は、確かに一人ひとりの人間のあるべき姿や宇宙との関係、欲を離れた安心の境地について、欧米とは違った道を示してくれています。しかし、欧米人が驚愕した「国としての境地」は、幼児を眺める笑いの中にあった。

 私は、その様子を書き残してくれた欧米人に感謝します。時空を超え守りあう彼らとの「絆」がそこに存在するのです。

 

 逝きし世の面影/表し

 

逝きし世の面影:第十章「子どもの楽園」から

 

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838〜1925)』

 

『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている(バード)』

 

『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』

 

『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』

 

日本について「子どもの楽園」という表現を用いたのはオールコックである。(初代英国公使・幕末日本滞在記著者)

彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで半身または全身裸の子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのにでくわしてそう感じたのだが、この表現はこののち欧米人訪日者の愛用することとなった。事実日本の市街地は子供であふれかえっていたスエンソン(江戸幕末滞在記著者)によれば日本の子供は「少し大きくなると外へだされ、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。

 

ワーグナー著の「日本のユーモア」でも「子供たちの主たる運動場は街上である。・・・子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する。彼らは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担った運搬夫が、独楽(こま)を踏んだり、羽根突き遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸をみだしたりしないために、少しのまわり路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や駆者を絶望させうるような落ち着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する。」ブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたいろいろな形の凧を揚げており、馬がそれを怖がるので馬の乗り手には大変迷惑である。親たちは子供が自由に飛び回るのにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が乳母の足下で子供を両腕で抱き上げ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」こういう情景は明治二十年代になっても普通であったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを抱き上げながらわきえ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ。」

 

 『ヒロンやフロイスが注目した事実は、オランダ長崎商館の館員たちによっても目に留められずにはおかなかった。ツユンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」と書いている。「船でも」というのは参府旅行中の船旅を言っているのである。またフィツセルも「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と述べている。

 このことは彼らのある者の眼には、親としての責任を放棄した放任やあまやかしと映ることがあった。しかし一方、カッテンディーケにはそれがルソー風の自由教育に見えたし、オールコックは「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」と感じた。「すなわち日本の子供たちは自然の子でありかれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ大人ぶることがない」。

 オイレンブルク伯は滞日中、池上まで遠乗りに出かけた。池上には有名な本門寺がある。門を開けようとしない僧侶に、つきそいの幕吏が一分銀を渡してやっと見物がかなったが、オイレンブルク一行のあとには何百人という子どもがついて来て、そのうち鐘を鳴らして遊びはじめた。役僧も警吏も、誰もそれをとめないでかえってよろこんでいるらしいのが、彼の印象に残った。

 日本人は子どもを打たない。だからオイレンブルクは「子供が転んで痛くした時とか私達がばたばたと馬を駆って来た時に怖くて泣くとかいう以外には、子供の泣く声を聞いたことがなかった。

 日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ」。

 レガメは一八九九(明治三十二)年に再度の訪日を果したが神戸のあるフランス人宅に招かれた時のことをこう記している。「デザートのときお嬢さんを寝かせるのにひと騒動。お嬢さんは四人で、当の彼女は一番若く七歳である。『この子を連れて行きなさい』と、日本人の召使に言う。叫ぶ声がする。一瞬後に子供はわめきながら戻ってくる。—–これは夫人の言ったままの言葉だが、日本人は子供を怖がっていて服従させることができない。むしろ彼らは子供を大事にして見捨ててしまう」。つまり日本人メイドは、子どもをいやいや服従させる手練手管を知らなかったのだ。日本の子どもには、親の言いつけをきかずに泣きわめくような習慣はなかった。』

 

 『日本についてすこぶる辛口な本を書いたムンツィンガも「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」と言っている。チェンバレンの意見では、「日本人の生活の絵のような美しきを大いに増している」のは「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」だった。日本の「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである」。モラエスによると、日本の子どもは「世界で一等可愛いい子供」だった。』

 『モースが特に嬉しく思ったのは、祭りなどの場で、またそれに限らずいろんな場で大人たちが子どもと一緒になって遊ぶことだった。それに日本の子どもは一人家に置いて行かれることがなかった。「彼らは母親か、より大きな子どもの背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り回し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるすべてを見物する。

 ブスケによれば「父とか母が一緒に見世物に行くときは、一人か二人の子どもを背中に背負うか、または人力車の中に入れてつれてゆくのがつねである」。

 ネットーの言うところでは「カンガルーがその仔をその袋に入れてどこえでもつれて行くように、日本では母親が子どもを、この場合は背中についている袋に入れて一切の家事をしたり、外での娯楽に出かけたりする。

 子どもは母親の着物と肌のあいだに栞のようにはさまれ、満足しきってこの被覆の中から覗いている。

 その切れ長の目で、この目の小さな主が、身体の熱で温められた隠れ家の中で、どんなに機嫌をよくしているか見て取れることが出来る。」

 

 ネットーは続ける「日本では、人間のいるところならどこを向いて見ても、その中には必ず、子どもも二、三人はまじっている。母親も、劇場を訪れるときなども、子どもを家に残してゆこうとは思わない。もちろん、彼女はカンガルーの役割を拒否したりしない」

 チェンバレンはまた「日本の少女は我々の場合と違って、十七歳から十八歳まで一種のさなぎ状態にいて、それから豪華な衣装をつけてデビューする、というようなことはない。ほんの小さなヨチヨチ歩きの子どもでも、すばらしく華やかな服装をしている。」と言っている。彼は七・五・三の宮参りの衣装にでも目をとめたのであろうか。彼が言いたいのは、日本では女の子は大人の衣装を小さくしたものを着ていると言うことだ。

 

 フレイザーは1890年の雛祭りの日、ある豪族の家に招待されたが、その日のヒロインである五歳の少女は「お人形をご覧になられますでしょうか、別の部屋においでくださる労をおかけしますことをどうかお許し下さい。」と口上を述べ「完璧に落ち着き払って」メアリの手をとっておくの間に導いた。

 彼女のその日のいでたちをメアリは次のように描写する。

 「彼女は琥珀色の縮緬のを着ていたが、その裾には青に、肩は濃い紫をおび、かわいらしい模様の刺繍が金糸でほどこされ、高貴な緋とと金の帯がしめられていた。頭上につややかに結い上げられた髪は、宝石でちりばめたピンでとめられ、丸いふたつの頬には紅がやや目立って刷かれていた。」

 メアリの著書に「私の小さな接待役」とキャプション入りで揚げられている写真を見ると、彼女は裾模様のある振袖の紋服を着、型どおりに右手に扇子を持ち、胸には懐刀を差している。つまりこの五歳の少女は完璧に大人のいでたちだったのである。

 しかしそれは服装だけのことではなかった。

 イザベラ・バードは明治十一年、日光の入町村で村長の家に滞在中、「公式の子どものパーテイー」がこの家で開かれるのを見た。

 主人役の十二歳の少女は化粧して振袖を着、石段のところで「優雅なお辞儀をしながら」やはり同じ振袖姿の客たちを迎えた。

 彼女らは「暗くなるまで、非常に静かで礼儀正しい遊戯をして遊んだ」が、

それは葬式、結婚式、宴会といった大人の礼儀のまねごとで、バードは「子どもたちの威厳と落ち着き」にすっかり驚かされてしまった。』

 

『日本人が子どもを叱ったり罰したりしないというのは実は、少なくとも十六世紀以来のことであったらしい。十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、主として長崎に住んでいたイスパニア商人アビラ・ヒロンはこう述べている。「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである。」。日本人は刀で人の首をはねるのは何とも思わないのに、「子供たちを罰することは残酷だという」。かのフロイスも言う。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。

様々な次元のコミュケーション・保育士の加配を受けている障害児の親が11時間「標準」保育を望んだ場合

様々な次元のコミュケーション

人間は、それぞれみんな軽度の発達障害を持っていて、本来、この発達障害が「個性」と呼ばれるもので、それが「魅力」という感性につながってゆく。それは相対的なものですから、その組み合わせによってその度合いが軽度か軽軽度か、いろいろ決まってくる。その典型が男女で、この「男女」という相対的発達障害の関係が進化の源になってきた。多くの場合、幸福感とか生きがいにつながっていた。お互いに宿命的な欠陥を持っていて、完全でないから、お互いを必要とする。

いま、男女だけでなく、親子という宿命的発達障害(度)の組み合わせが、イライラの原因になっているという。人間関係が言葉や知識、損得勘定に支配され、その肌触りと大切な次元を失ってきている。

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ある日、保育園に講演に行きました。男の子が近づいてきて、「おじさん、会社行かないの?」と聞きます。

「おじさん、行かないの」と言うと、「ぼくのおとうさん、行ってるもんね〜」と自慢された。

自慢でも、こちらには、いい感じがする。駆け引きがないから。

人間は、その言葉の意味よりも、それを言った人の心持ちに反応する。その時の人間関係に反応する。幼児と過ごしていると、人間はそのことを繰り返し、繰り返し、日々実感する。

幼児との関係は「言葉」のないように思える関係から始まっている。一方的に、自分が言葉を発する関係、伝わっているかどうか確かでない関係の中で、人間は「祈り」というコミュニケーション能力をつけていく。

 

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保育士の加配を受けている障害児の親が11時間の標準保育を望んだ場合に何が起こるのか

市町村によって基準や配置、資格など異なるのですが、通常認定された障害児が3人いると、保育士(保育者)が一人「加配」になる補助が行政から園に出るようになっています。障害児3人に保育士一人というのが、そもそも無理なのですが、それでも加配がつくとつかないでは日々の保育にとっては雲泥の差です。しかし、いま、8時間保育を短時間、11時間保育を「標準」と国が定義づけた新制度のしわ寄せが、一番安定した日々を送るべき障害児の保育に、直接しわ寄せとなって出てきています。

ある園長先生から「最近は、加配対応のお子さんでも、就労の関係で、延長保育を希望される保護者がぼつぼつ出始め、延長時間帯の職員配置の問題が新たに浮かび上がってきています。」というメールをいただきました。

政府と、政府に選ばれた学者や知識人が、子ども・子育て会議で11時間保育を「標準」と定義し、女性の就労を促進しようとするのであれば、加配の保育士の延長時間帯の配置まで考えておかなければならなかったはず。

土曜保育の加配はどうなるのか、という声もあちこちで聞かれます。子ども・子育て支援新制度というずさんな施策が障害児加配の不備という点からも、現場を混乱させています。

認定は非常に難しいのですが、軽度の発達障害のある子は環境の変化により繊細で、安定した一日を送るためには特別の配慮を必要とします。愛着関係という側面からも、なるべく一人の保育士がその子の一日を見たほうがいい。もしいい加減な引き継ぎをすれば、その日の保育が台無しになってしまうことがある。そうなりやすいのが発達障害児の保育です。(人間社会に「安定」を求めるのが、発達障害児の「役割」と言ってもいい。)

単純に11時間を標準とされ、幾人かの親がそれに同調し、乳幼児から預かることで先天的な発達障害に愛着障害が重なり始めたらhttp://kazu-matsui.jp/diary2/?p=267、手が足りないどころではない、お互いに引き金を引くようなことになり、他の園児の安全さえ確保しにくくなるのはわかっていたはず。

 

一方で厚労省は、医者でさえ白黒つけることは難しい判断を、早期発見プログラムなどと言って、「専門家」を使って無責任に進めている。「発見」しなくてもいい子どもを「発見」し、現場と親の関係をぎくしゃくさせる。発見しても、対処できない。出来ていない。

障害児デイなどは、無資格でもいい、ほぼ無法地帯です。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=269

こうしたつけがやがてすべて学校に回されてくる。

児童虐待対応共通ダイヤルなどもそうですが、やったふりばかりで実際には対処できる仕組みを作っていない。しかもそれに加えて、再び消費税を上げないかもしれない。消費税を上げるべき、と言っているのではないのです。子ども・子育て支援新制度が消費税10%を財源にしていたのであれば、消費税を上げてから進めるべき施策だったということです。

保育園での保育の質が、児童虐待や家庭内暴力につながることだって考えられる時代になっている。

無理に無理を重ねた国の施策が、現場を疲弊させ、保育の質が「家庭内」まで影響を及ぼし始めているのです。

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加配の問題は、実は保育園の運営にとって重要で、加配の数によって園全体の保育の質が左右される時代なのです。国基準の1歳児1:6などというのは、文字通り「最低基準」で、グレーゾーンの子どもたちが増え続けているいま、多くの自治体が1:4にするために加配を組んでいる。新制度で、政府が制度を変えるなら障害児加配だけでははく、「加配」は、最も注意深く組み直さなければならなかった。それを、厚労大臣が、1:4でやっている自治体が国の最低基準1:6に戻せば、相当数の待機児童が解消できる、と指示のようなものを出した時は、現場の保育士たちは心底呆れたのです。「保育の現場をまったく知らない人間が大臣をやっている」と思ったのです。

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いろんな人に育ててもらったほうが社会性がつく?・保育は選ばれた人たちがやるもの・義務教育への本能的な抵抗

子供はいろんな人に育ててもらったほうが社会性がつくとかなんて、親族間での話しですよね。(というツイートが着ました)

その通りですね。こういう感覚、地球上どこでもつい最近まで当たり前のように続いてきた子育てのイメージ、育て方というほどのものではないけれど、幼児を囲む風景の常識が見えていない世代が突然増えているようなのが怖い。

増えているのではなく、増やされている、と言ったほうがいいかもしれないのがなお怖い。

私のように「三丁目の夕日」(昭和40年くらいまでの日本)を知っている世代はまだ覚えているし、発展途上国を旅すれば今でもリアルタイムで実感出来るのですが、子育ては親族間や隣近所、小規模な運命共同体の中で「家族的に」行われてきました。何万年もの間。

いま、急速に子育ての原風景が変わってきています。政府や学者によって急速に変えられつつある。「価値観や生活様式の多様化」という言葉が安易に語られる。そういう時代になったから、なおさら、中心になるべき一律の価値観を子育て中心に取り戻さなければならないのに、多様化に合わせて誰かが儲けようとか、選挙に勝とう、仕組みを新たに考えよう、みたいなことになっている。

ここ20年、30年くらいの、先進国社会における非常に限られた実体験しかないと、社会性という言葉にもうはっきりしたイメージがない。学校での集団生活とか、色んな保育士に育ててもらって、程度のイメージしかない。育ててくれている人たちのことさえよく知らない状況が当たり前のように「社会性」とか「社会で子育て」という言葉で現実となっている。そこに信頼関係がない。少なくとも、乳児を預けられる種類の信頼関係は存在しない。

もし親たちが、国や行政や仕組みを本気で信頼するならば、国や行政はその信頼に応える努力を本気でしなければいけない。その努力をせず、保育の質が急速に落ちるような施策が「待機児童問題」「待機児童対策」という経済論で進んでいる。

 三年前、それまで4年連続で減っていた「二万一三七一人の待機児童」を解消するために、「40万人の保育の受け皿を確保する」と首相が言った。この二つの乖離した数字の背景に何があるのか。そこを見極めないまま、言葉や数字が当たり前のように繰り返され、「待機児童は問題」で「解消しなければいけない」という印象が人々の記憶に刷り込まれていく。それは本当に私たちの願いであり、望んでいる社会の姿なのでしょうか。少なくとも乳幼児たちの願いではない、それだけは確か。

 

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0、1歳児を知らない人に預ける事は、よほどの事情がない限り人類はしなかった。インドに1年以上住んで、村人の生活を眺めていたことがあるからわかるのです。6歳くらいで丁稚に出す、ようなことは確かにありました。しかし、0、1歳を簡単によく知らない他人に預けることはしなかった。

0、1歳は自分の体験を話せないから、大人たちの確かな信頼関係が、その子の一日を守るしかない。

5歳過ぎたらまあいいでしょう、という判断で学校教育が始まったのだと思います。それでも相当の葛藤はあった。義務教育の普及に本能的な抵抗があった。それを最近「小学校に待機児童いないでしょう。保育も義務教育化すれば待機児童は出ないんですよ」と平気で言う専門家や学者が現れた。乳幼児を対象に「社会で子育て」なんて簡単に言う政治家さえいる。保育崩壊がどのように始まっているか、新聞くらいは読んでほしい。

ーーーーーーーーーーーーーー(以前ブログに書いたのですが)
千葉で保育士が園児虐待で警察に逮捕され、園長が取り調べに、「保育士不足のおり、辞められるのが怖くて注意できませんでした」と言ったのが三年前、これは新聞の記事にもなりました。
そしていま全国で、「週末、子どもを親に返すのが心配です。せっかく五日間いい保育をしても月曜日、また噛みつくようになって戻ってくる」、「せっかくお尻が綺麗になったのに、月曜日、また真っ赤になって戻ってくる。48時間オムツも替えないような親たちを作り出しているのは私たちなのではないか」という声が保育現場から聞かれる。これでは「子育て」をする信頼関係が育たない。保育の仕組み全体が「子育て」をする限界を超えている。家庭と園の心の連携が毎年、より一層難しくなってきているのです。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=779

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昔は、子育ての中心に子どもを労働力にすることがあって、絆を深めるには最適の手段、具体的な目標でした。5歳くらいから労働力ですから、親もしっかり子育てをした。しっかりやらないと一家の生活、村人の生活に影響を及ぼした。それをみんなが知っていた。いま、労働の邪魔にならないように預かるという。誰のために働くのか。生きるのか。本末転倒になっている。

幼児の気持ちが見えなくなっているからだと思う。昔のような社会の仕組みを取り戻すのは無理だとしても、乳幼児の気持ちを想像する習慣だけは様々な手段を使って取り戻していかないと、社会の仕組みが社会を壊すような流れになってゆく。

 

保育は元々選ばれた人たちがやるもの

「保育は元々選ばれた人たちがやるものなのです。学者や政治家や起業を目指すような人たちにはとても務まらない、任せられない、感性で響き合う仕事なのだと思うのです。学校の先生にもちょっと無理かもしれない」とブログに書きました。

もう少し考えを進めて、「そういう人たちでも自分の子どもを育てることはだいたいできるかもしれない」と思いました。しかし、子育てが「苦手」と公言する人たちは確かに増えています。不自然に増えています。人生の始めの方で、何か基礎的な体験が欠けているのだと思います。

でも、中学二年生の女子生徒はだいたい大丈夫なのです。彼女たちが保育士体験をする姿を見ているとわかります。男子生徒は子どもに還って行きますが、女子生徒はお姉さんの顔、お母さんの顔になって活き活きします。この頃が鍵を握っているのかもしれない。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260

高等教育が人類の根源的な人間性を弱めるのでしょうか。高等教育における教師とのコミュニケーションが人間性を欠いた、本気ではないものになっているから、感性が衰えていくのでしょうか。

高等教育が闘うための武器、道具のようになっていることが問題なのかもしれません。武器を持つと闘いたくなる、道具を持つと使いたくなる。

しかし、「子育ての意義」は闘いとは正反対のところにある。

子育ては、人間たちに欲を捨てることに幸せがあると教える。利他の気持ちを耕すためにある。

だから、強者たちは子育てを人間から奪おうとするのでしょうか。

 

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義務教育への本能的な抵抗

 私の好きなインディアンの大酋長にジョセフという人がいます。150年くらい前に生きた人です。あるとき、ジョセフが白人の委員とこんな会話をしたのです。譲ってはいけないことについて口論をし始める学校という仕組みを見抜いていたような気がします。

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 ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。

 「なぜ学校はいらないのか?」と委員が尋ねた。

 「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。

 「教会はいらないのか?」

 「いらない。教会など欲しくない」

 「なぜ教会がいらないのか?」

 「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」(『我が魂を聖地に埋めよ』ブラウン著、草思社)

「1人の子どもを育てるには、一つの村が必要」

「1人の子どもを育てるには、一つの村が必要」

米国大統領選の最中ということもあって、CNNやCBSニュースをよく見ます。すると、「回教徒は、なぜか知らないが、私たちを憎んでいる。その理由がわからない限り、入国を拒否すべきだ」と大統領候補者が演説で言ったりする。

日本の「保育園落ちた、日本死ね」が大したことでないような気がします。むしろ可愛らしくさえ思えます。(でも、こっちの方が実は人類にとって根源的問題なのですが。)

回教徒やメキシコ人に対する差別的な発言だけではありません。トランプ候補のあからさまな女性蔑視発言は、今までのアメリカのスタンダードからしても「えっ!」それを言ったらお終いでしょ、というひどさです。それでも支持率が上がる。共和党の幹部たちが不支持を表明しても支持率が落ちない。この妙なエネルギーが怖い。全世界で何かが起きている。人類の心がバラバラになってきている。そんな感じです。

「米疾病対策センター(CDC)は27日までに、米国内における薬物の過剰摂取による死亡者数が昨年、計4万7055人の過去最高を記録したと報告した」

社会で子育て、の方向に向かった国で、絆を失った人たちが苦しんでいる。

強盗殺人、テロ、警察と黒人の対立、相変わらず非人間的な事件が多いのです。

子どもを殺された母親がインタビューに答えて「1人の子どもを育てるには一つの村が必要だけど、1人の子どもを殺すには、たった1人の犯罪者しかいらない」と先日CNNのニュースで言っていました。

「It takes whole village.」久しぶりに聴くフレーズでした。

 

この言葉を自著のタイトルに使ったヒラリー・クリントンは、村を福祉や教育に結びつけ「社会で子育て」を主張し、当時、共和党はそれに反対して「家族」の大切さを施策の中で強調しました。政治家はとりあえず「対立」する(馬鹿馬鹿しいですが!)。その頃米国ではすでに、三人に一人の子どもが未婚の母から生まれ、18歳になる前に親の離婚を体験する子どもが40%、家庭と言う定義があまり意味をなさなくなっていました。

二十年前の話ですが、いま日本はアメリカの30年位前の状況に差し掛かっていると思うので、丁度参考にすべき議論・論点だと思います。

共和党の肩をもつ気はまったく無いのですが、現在のアメリカの家庭崩壊や幼児虐待の増加、格差の広がりを考えれば、アメリカやヨーロッパが選んだ「社会で子育て」という道は、私たちが躊躇するべき危険な選択肢だと思います。しかし、共和党が主張した「伝統的家庭の価値観を取り戻す」という主張は、政策としては完全に手遅れでした。家庭が存在しなければ、その価値観を取り戻すことは出来ないのです。どちらが経済発展にいいか、という両党の対立した議論の陰に人間の幸福論が長い間埋もれてしまった結果だと思います。

「1人の子どもを育てるには一つの村が必要」。

日本人はこのことわざの持つ元々の意味を理解するのです。特別保守的とは思わない私でも、「だから保育士が1人で20人の子どもを育てるなんておかしいでしょう」という方向に結びつける。そして、「村人」や「社会」という定義が保育や福祉という仕組みにすり替えられることを危惧するのです。

村人は、昔から「親身」であることを条件とし、一定の共通した常識や価値観を身につけていて、それは福祉という仕組みでは補えなくなると本能的にわかっているから危惧する。このことわざが語られた場所で、「村」というイメージにはそうした説明の難しい、本能的な運命共同体としての温もりがあると理解する。こういう共通認識(もちろん例外もあるのですが)はこの国の財産だったと思います。いくら国連から指摘されようとも、経済競争で「平等」を計るようなことはしないのです。(少なくとも、今までは。)

私は、1人の赤ん坊が村人たちの心をひとつにすることに「奇跡」を見る。

母親は自分の赤ん坊を見知らぬ人に抱かせない、そんな次元の、進化の中で培った本能的な常識が、まだこの国では生きている。

安倍首相は去年国会で、もう40万人保育所で預かれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンもエールを送ってくれた、と言ってしまった。日本の首相がこれを言えば、この国から大切な価値観、少なくともこの国の「個性」と思われるものが消えてゆくのです。

これほど子育てを囲む事態が複雑にこんがらがってくると、「1人の子どもを育てるには一つの村が必要」を言った人たち(アフリカ説とアメリカ先住民説など色々ありますが、たぶん日本にも同じようなことわざがあるはずです。)は、いまごろ一斉に顔をしかめているでしょう。

幼稚園や保育園が「村」の役割を果たしてゆくしかないのではないか、と思っています。一つ一つの園で、親たちに講演しながら、伝えれば伝わる状況にあることに感謝します。いくつかの行事を組み合わせることで、「村」のような仕組みができる、親心がまとまってくるのがわかります。

子どもを育てるということは、やはり育てる側が心を一つにすることだと思うのです。そして、それは人類が苦境の中にあっても、なんとか輝くやり方だと思うのです。

(講演依頼、お問い合わせはchokoko@aol.com松居までどうぞ)

竹村先生のこと・父親にお泊まり保育をさせる

竹村先生のこと

 

もう、30年前のことです。

奈良の真美ケ丘保育所に、園児を扱ったら魔法使いのような、竹村寿美子先生という園長先生がいました。私の第一師匠のような人でした。保育士たちに丸太ん棒を一本与えて、「きょうは、これで保育をしてごらん」と言うような人でした。

ある年、園児の保護者に子どもに普段から無関心な三人の父親がいたのです。

「子どもに関心さえあれば、どんな関心だっていいの。関心があり過ぎなんてことはない。その関心が、少々ひん曲がっていたっていいの。それはその親子の運命。良くないのは無関心な親です」と竹村先生は常々言っていました。その三人の父親を、先生は園長命令で、園児たちのお泊まり保育に引っ張り出したのです。そういうことが言える時代でもありました。簡単にニコニコそういうことが出来る、太陽のような気合いの人でした。

「敷地の中に居ればいいの」。ただ、それだけ。

幼児百人に24時間囲まれると父親の人生が変わるのです。

子どもに無関心だった三人の父親が、24時間で変わりました。お泊まり保育のあと三人で「父の会」を結成しました。この辺が、「気づいた」男たちの単純でいいところだと思うのです。私を東京から奈良まで呼んで、必死に、その時の体験を話したのでした。

最近まで「しょうもない父親」だった三人が、「なんて人生を送ってたんだろう」と口々に、真剣に言うのです。その時の父親たちの嬉しそうな顔、横で笑っている竹村先生のしてやったりの顔が、私にとって「保育園」の原点にあるのです。

子どもたちの中に、一人ずつ大人たちを漬け込むこと。それだけで保育園は生きる。師匠の教えはそこにあったのです。

 

(親側に「自由に生きたい」という概念が身につくと、時として子ども達の「自由さ」が腹立たしく、それが近頃は虐待の原因になってゆくことがあります。自分もそうだった、ことを思い出す、そして誰かがそれを許してくれたことを思い出すためにも一日保育士体験が生きてくる。自由とは心の持ちようなのだ、ということに気づく。)

 

デンマークの幸福度・デンマーク在住の日本人と、日本在住のデンマーク人の文章

以前も書いたのですが、子育てやその仕組みに関して、最近再び欧米との比較がよく行われているので再掲します。

幸福度が高いと言われているデンマークでさえ実情はこうなんだ、と知っておくことは重要です。どんなに仕組みを改めても、欧米のように一度家庭崩壊が進んでしまうと取り返しがつかなくなる。だから、まだ「家庭」という定義が残っているうちに日本は方向転換しなければいけないと思うのです。

(都知事選もそうですが、選挙になると必ず「待機児童問題」という言葉が頻繁に語られます。でもその「問題」がいったい誰の問題なのか、を考えると、問題の中心に幼児たちの願いや心が存在してないことがわかります。「待機児童問題」という言葉が、発言できない人たちの願いを想像しない、という現象を拡散している。

「働きたいけど預ける場所がない」という問題と、「乳幼児たちの願いに多くの人たちが気づかない」という問題ではその次元が違うのです。どちらが「社会」にとって、またはもっと想像力を働かせて「日本の将来の経済」にとって大切かということをしっかり見極めないと、「子育て」の定義と意味が曖昧になり取り返しのつかないことになる。

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デンマークについて

 デンマークという国の幸福度が高く、日本は先進国で最下位という報道がありました。私はこの西洋人たちが(特に学者が)勝手に決めた「幸福度」というものさしが好きではないのですが、関連していそうな数字を、少しネットで調べてみました。そして、日本と比べてみました。

女性がレイプされる確率:日本の十倍 (スエーデンは60倍)

傷害事件の被害者になる確率:十五倍

ドラッグ汚染率:五倍

 以前、調べた数字もだいたいこんなものでした。ネット上の情報は様々ですが、比較する時は基本的な数字から入るべきです。これだけ物騒で(傷害事件)、男女間の信頼関係がなく(レイプ)、若者たちが夢や希望を持てない(ドラッグ)国を、日本より幸福な国と位置づけるには「無理な意図」が背後にある。世界を覆うこの「無理な意図」が日本にも確実に影響し、浸透し始めている。

 仏教を土壌とした「欲を捨てることに幸せがある」という文化と、資本主義を動かす「勝つことが幸せだ」という物差しが、日本でぶつかっていると私は見る。特に「子育て」でぶつかる。

(ワーキングマザーという単語の中で、ワーキングとマザーがぶつかるのです。第一次産業の従事者が減っている今の経済の仕組みの中で、幼児たちの視線を感じれば、その瞬間、両立出来ないことがわかるから、ぶつかる。もっとうまく両立に近いやり方を模索できるはず。幼児の気持ちを優先させれば、それはできると思うのですが、議論が欧米式になってくるとワーキング優先に「保育の受け皿」を増やそうとする。)

 大学を中心とした社会の仕組みに関する「学問」は一般的に欧米が本場のようなコンプレックスがあって、欧米を肯定することで生き残ろうとする。デンマークは幸福だ、と欧米の学者による論理が国連で承認されると、そうだ、そうだ、と簡単に受け入れてしまい、それがマスコミによって意外と普及してしまう。

 しばらく検索していると、デンマーク在住の日本人と、日本在住のデンマーク人の文章に出会いました。先入観と意図を含んでいる場合が多い学者の研究より、ストリート系の普通の感性で書かれたこうした文章により真実が見える。特に、幸福度に関しては、直感的に、この解説が妥当だと思ったので後述します。

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?)、https://blog.goo.ne.jp/ymat123/e/bb58f2461322ae28354e4903cfce961f

 ここに出てくる現実、テレビ番組のこととか、幼児期のネグレクトに関する新聞の記事は五年前の記述ですが、生活に沿った、子どもたちの幸福感に直結する、リアリティーを感じる情報です。デンマークという国全体の子育てを囲む環境が見えて来ます。

 日本では、13歳の母親が増えているという状況が全国紙の記事になるような事態にはまだ至っていませんし、性犯罪や麻薬の汚染率も欧米よりはるかに低い。しかし、いま欧米で起こっていることを真剣に見つめないと、2、30年後には日本もそうなっているかもしれない。

 ここには挙げませんが、いまデンマークが伝統的家庭観を取り戻すために進めている施策には良いものがあって、主に子育てを夫婦に返そうという動きですが、よく観察すると背後にいわゆる「右傾化」がある気がしてならない。米国におけるキリスト教右派の動向と似ています。方向性はいいのですが、背後にある動機が差別的で危ない。痛し痒しです。でもそこまで追求せずに、いいことをやっているという事例でデンマークの施策を挙げるのは有効です。五十年前にデンマークで始めたらよかったのですが、いますぐに日本で始めたら、人類の進化の過程を変えるかもしれないと思えるような施策があります。子どものいる夫婦は、夫婦合わせて一日9時間以上働いてはいけない、というような・・・。

 危惧すべきは、「欧米ではこうで」という論法を使って、経済優先の雇用労働施策、いわゆる「社会で子育て」の方向へ進むことなのです。首相がいまだに言う「三年以内に40万人保育園で預かります」という数値目標も、欧米並みに女性を家庭以外の場所で働かせようという、税収を目標とした労働施策であって、この短絡的な目標が危険なのです。欧米並みに家庭崩壊が進むと、福祉が成り立たなくなり必ず治安が悪化するからです。

 文化や伝統、宗教の土壌が異なるのですから。「欧米では」という考え方は全般的にやめた方がいいと思います。

男女平等という言葉が使われる場合もそうなのですが、一流企業に女性の役員が少ないとか、県会議員に女性が少ないなど、欧米式の競争原理におけるパワーゲームやマネーゲームに基づいた「平等論」ばかりで議論するのは馬鹿げている。子育てに価値を見出し、子どもに寄り添う母親であろうとする女性を男性優位社会の犠牲者のように決めつけることこそ、女性蔑視だと思います。競争社会を回避しようとすること、欲を捨てることは、幸福論としてはむしろ王道です。仏教もキリスト教もそれを幸福への近道と言うのです。

 「逝きし世の面影」(渡辺京二著:明治維新前後に日本に来た欧米人の日本関する記述を集めた本)に書かれているように、欧米人が150年前「パラダイス」と賞賛した社会の形が日本にはあったわけです。そこでは男も女も、同じように子どもを可愛がり、子どもを子育てを中心にして楽しそうに生きていた。この国の考え方や習慣、欲を捨てることに目標を置く平等論、一昔前の常識の中に様々な解決策を見つけ出す方が自然なのです。

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『デンマーク在住の日本人のコメント』

 

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?

2009-02-26 | デンマーク最新

 デンマークには「ヤング・マザー」という番組がある。20歳まで、ある時は15歳でママになった少女たちを主人公に、夫や両親などの家族の様子や、公的社会支援を受けて生活を構築していく様子を伝える番組である。かなり人気があり、デンマーク人はよく見ている。一緒に見ながら、「ヤング・マザーを支える社会の仕組もよく整っているなあ」というように見ていた。

 しかし、これは大きな社会現象のようで、、、、、

 218日のユラン・ポステンデンマークで最多の発行部数を誇る高級紙) によれば、、、、

 13歳で母親になる少女が増えており、これは「できちゃった!」というようなものではなく、彼女らが、望んで計画的に行っていることだという。避妊の失敗による事故ではなく、「家族の夢」や「無条件の愛」を求めての結果であり、彼女らは妊娠のメカニズムについてよく知っており、計画的に妊娠している。

 ヤング・マザーたちの世話をしているソーシャル・ワーカーが言うには、「彼女らは家族を欲しがっています。そして、ずっと続く愛や無条件の愛をほしがっています。だから、妊娠は計画的なものであり、妊娠したことをとても喜んでいるのです」とのこと。 しかし、「15-18歳以下での妊娠は早すぎ、人間としても成熟していたとしても親業まではまだ早すぎるので、対策を講じたほうがいい」のである。

 そこで、どこに手を入れたらいいかという話になるが、彼女らの動機を考えると、性教育のまずさや次期うんぬんとは別の時限の話になってくる。

  デンマークでは、ヤング・マザーに親としてのトレーニングを行うハウスもあるようであり、そこのハウス長は、次のように話している。

 「若くして母親になった少女の5人に1人は、確かに計画的に妊娠しています。しかしもっと強い現象は、彼女らの満たされない欲求に対して、自分の感情と戦ったうえで妊娠という方法を選んでいる、ということです」

 「ここに来る若い母親たちは、幼児期にネグレクト(親からの放置)を受けたケースが多いのです。だから、若くして、家族を持ちたい!愛情が欲しい!と思うのです。それは、彼女らが考えた末の、ひとつの戦いの結果なのです」

 

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日本在住のデンマーク人のコメント

 

 僕はデンマーク人です。デンマークの例から挙げますと、1970年代に労働者不足になっていたため(今の日本ですね、高齢者が増えて労働者が足りない)、トルコからの労働者をどんどん受け入れました。当時のデンマークの政治家は無責任で一度受け入れた労働者には家族や親せきを呼ぶ権利まで与えました。当時デンマークでは生活支援法というのが出来たばかりで失業しても失業手当を貰う権利が国民に与えられました。福祉が充実して海外から見れば天国みたいな国でした。今も日本の多くの方が「天国みたいなデンマーク」に行っては福祉の勉強をしています。

 この「天国みたいな国」に行けば老後も問題ないと考えた外国人がどんどん入ってきました。特に労働者として呼ばれた方々の親戚や親が入ってきてデンマークは国として負担が増えて行きました。

 80年代になると今度はイランやイラクの難民をどんどん受け入れました。難民は自分の国の戦争や政治的な問題から逃れてデンマークに逃げてきました。やさしいデンマークの国民はこういう人たちを助けてあげなければと考えて難民もどんどん受け入れました。

 80年代は特に問題化はしていませんでしたが当時外国人が多い為デンマークの将来が危ないと考えて外国人反対の党を作り上げた人がいました。彼は人種差別者としてデンマーク中のメディアで批判されました。彼が主張していたのは単にデンマークをデンマークとして守るためには受け入れていた外国人の数が多すぎるという事でした。まぁ、実際に彼はその内かなりの人種差別者になったかも知れませんが、決して主張していた事が無茶苦茶ではありませんでした。しかし、メディアからしてみれば人種差別者であり叩くのにはもってこいの人物だったのでしょう。

 90年代になり外国人の数がどんどん増えて外国人問題が多発するようになりました。これは外国人労働者を受け入れるようになってたったの二十年後の話です。たった二十年ですよ!

 外国人は数が増えたため自分達だけで生活が成り立つようになり、デンマーク語をいつまでたっても覚えない人が増えました。

 暴力は増え、デンマーク人と外国人との対立が増え、右翼が強くなって行きました。郷に入れば郷に従えという事を主張する人が増えて行きましたが、そういう人たちは人種差別者というラベルを付けられ結果として職を失ったり、「差別」を受けたりするようになりました。何しろデンマークは世界の先進国であり難民を受け入れる「天国のような国」でしたから。誰もが安心して暮らせる国だったのです。

 外国人に反対する人たちは結果を恐れて発言が出来ない社会になってしまいました。デンマークは言論の自由が最も実行されている国だったはずが、外国人反対に関しては公に言えない国になってしまったのです。その結果、問題があるにも関わらずその問題を取り上げる事がなく90年代は過ぎてしまい外国人問題は拡大する一方。

 一時期イスラム系の人達がコペンハーゲンの小学校、中学校の給食から豚肉を外してほしいと主張し始めました。デンマークは豚肉の輸出で成り立っているような国です。デンマーク人に取って豚肉は大事な存在です。日本でいえばお米。日本の学校給食からお米を外してくださいと外国人が要求しているようなもの。自分達の給食から外せば良いのに学校全体と要求。積もり積もった外国人問題は最終的には世界で知られている風刺画問題に発展。デンマークがデンマークである最も重要な基本である言論の自由がデンマーク国内で外国人により侵されたのです。民主主義を守るか、それとも民主主義に妥協し宗教を尊重する事を重要視するかにまで問題が発展。

 世論は真っ二つに分かれ言論の自由をサポートする人と宗教を尊重すべきとする人に分かれて下手すると第三次世界大戦がはじまるのではとまで懸念されました。そろそろ5年程前の問題になりますが、未だに収まったのか収まっていないのか分からない状態です。いつこの問題が復活するか分からない状態です。

 現在デンマークには外国人が60何万人いると言われています。国民が550万人の国では一割を超えています。しかし、この数字は果たして正しいのかと議論されています。実際には150万人いると主張する人もいます。どの数字が正しいかは別としてデンマーク人は減り、外国人が増えている事に変わりはありません。つまりいずれは外国人が5割を超えてデンマーク人が少数派になる事もほぼ間違いないでしょう。ちなみにこの問題はデンマークだけではなく殆どのヨーロッパの国に言える事です。

 デンマーク人が少数派になった場合、今までのデンマークは消えてしまいます。ポルノの自由が真っ先に行われたのはデンマーク、ホモの人間が世界で最初に結婚を認められたのはデンマーク、政治的な情報開示を最も徹底的に行ってきたのはデンマークであり、EUにもそれを要求して来た。環境の先進国であり、福祉の先進国。弱い者を支えてノーマリゼーションを訴えて来た国です。オンブスマンという言葉はデンマーク語でありデンマークが生んだ制度。

 しかし、このデンマークがもはやデンマークでは無くなりつつあります。しかもたった40年でこう成ってしまったのです。

 僕は日本で育ちました。日本が好きです。しかしだからと言って日本の全てが素晴らしいとは思っていません。労働環境は何とかすべきだと思うし、政治の問題も多すぎる。

 しかし、日本には素晴らしい歴史があり日本人という素晴らしい性格の民族が居ます。この日本を日本として守るためにはどうすべきかと考えます。100年後も日本は日本人の特徴を維持しまた日本人として生存する権利を守れる国にしたいです。その為には残念ながら外国人の参政権に反対すべきだと考えます。

 外国人は政治に参加したければいろいろと方法はあります。日本人との接点を増やし自分の考えを述べる事自体も政治に参加している事になります。日本人がその意見を聞き、意見が良いものであると考えれば日本人を通して日本の政治に影響を与える事になります。

 個人的には現在労働環境の通信簿というサイトを立ち上げております。このサイトは日本の労働環境を何とか改善したいという気持ちから作りました。別に参政権がなくても日本に影響を与えられると信じています。

 また重要なポイントですが、僕が日本の労働環境を変えるという訳ではありません。日本人が日本の労働環境を変えられる仕組みを作ったのです。僕は僕なりに日本の労働環境はこうあるべきだという意見を持ってます。しかしそれを日本人に押し付けるつもりはありません。

 しかし自分が働いた日本企業の労働環境はデンマークと比較してあまりにも過酷です。また、日本人の同僚と話をしても同じ事を言います。しかし、誰も日本の労働環境を変える事は出来ず我慢の連続です。中には過酷な労働環境のあまり鬱になったという人も少なくありません。これはどう考えても労働環境を変えるべきだと思わざるを得ません。

 そこで考えたのが労働環境の通信簿を立ち上げる事です。日本人自らが自分の労働環境を評価していく事により日本を変えて行く。就職活動を行っている方は労働環境の通信簿にアクセスし労働環境の良いところを選んで就職活動をする。つまり労働環境の良いところは就職活動する人が集中し労働環境の悪いところはなかなか良い人材がつかめない。日本の労働環境は変わって行くと考えます。

 労働環境の通信簿はまだ立ち上げ中でおそらく45年は掛ると思われます。皆さんからのサポートがあればもっと早く立ちあがると思いますので是非宜しくお願いします。特に労働環境の投票をお願いします。?ホームページはwww.roukan.jp です。

 

 このように僕は参政権を持っていませんが、日本に取って日本人にとって、良い変化をもたらす事は出来ると思います。参政権は特に必要ないです。

  長くなりましたが、言いたかった事は外国人参政権は良く良く考えなければいけない事、海外ではその失敗例が多くある事、そして日本の政治に参加したい外国人がいれば特に参政権では無くても良い影響を与える事が出来る事。

そして何よりも日本を日本として守る事に関して僕は出来る限りの協力をしていきたい事。

 宜しくお願いいたします。

キム・ペーダセン?メール infomx2.jp

 

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1.年間犯罪件数

 2007年のデンマーク治安当局統計によると、2007年の犯罪認知件数は444,773件であり、2006年と比較して、19,668件増加しています。?国によって統計の取り方が違いますので一概に言えませんが、犯罪に遭う確率(犯罪発生件数を総人口で比較、人口÷犯罪認知件数)は、日本の5倍以上になります。デンマークは総人口543万人で犯罪認知件数が44,773件であり、12人に1人の割合で犯罪に遭遇していることになります。これに対し、我が国は総人口が1億2,700万人で犯罪認知件数が1,908,836件であり、66人に1人の割合です。

 

2.治安状況

(1)治安・社会情勢

欧州の中でも比較的安定しているといわれていますが、移民問題に関連した青少年不良グループ間の抗争事件やアルコール中毒、麻薬の乱用に絡んだ犯罪が後を絶ちません。また、銃器を使用した事件が増かしています。

 特に観光シーズンは、外国からプロの窃盗グループが入り込み、空港、駅、ホテル等で旅行者が盗難の被害に遭うケースが頻発します。また、日本人は多額の現金を持ち歩く傾向があると見られていることから、日本人旅行者を狙ったと思しき盗難被害が多発しています。さらに、コペンハーゲン市内のクラブや街頭で麻薬の密売が行われている場所もありますので、犯罪の巻き添えにならないよう、十分に注意してください。

 

保育科の学生に・オロオロ・いないほうがいいんだ・身曾岐神社・神楽太鼓・遠藤豊先生

保育科の学生に

保育科の学生に「夢を持たせる」授業をしても、現場で親サービスしか考えない園長、いい加減な同僚、子どもに無関心な親たちに出会えば、夢や「いい動機」は簡単に崩壊する。夢ではなく、生きがいを持たせるような授業をしないと感性のある子が壊れてゆく。一年目で精神的に壊れる保育士が増えている。

学生たちに、保育に関わる本質を語ろうとすれば、原点には「三つ子の魂の大切さ」が必ず顕われる。それほど012歳児との関わり合いは人間社会の土台だった。そして、雇用労働施策に取り込まれて保育が存在するという現実は、必ず学生に伝えなければいけないこと。

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授業が真剣なコミュニケーションの場になる工夫を多くの教師がしなくなってから長い年月が過ぎています。良くないコミュニケーションが双方向に人間の感性をなくしてゆく。養成校がビジネスになると、教える側も感性を持つことが辛くなる。保育界の現状と同じです。

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オロオロ

医大付属保育園で園長先生に聞いた話です。医者をやっている母親の中に、子どもが病気になってもオロオロしない人がいる、というのです。どんな病気かわかってしまうので、注射打って、薬を飲ませて保育園に連れてくる人もいる。そんな母親に「演技でいいからオロオロしなさい」と園長先生は言うのです。このオロオロが子どもの心に残るのです。

「子どもが病気になった時は、親子関係をつくる一番のチャンスです。こういう時に、心配そうに、そばに寄り添ってやって、ふだん欠けていた子どもとの時間を何倍にも補える」と園長先生は言うのです。

 

いないほうがいいんだ

いなかの田んぼのなかの公立保育園で講演しました。いいことをしようと思った町長が四つある公立園に看護士を一人ずつ配置してしまったのです。職員室で看護士がため息まじりに言うのです。

「私がここにいるから、園で子どもが熱を出しても親が迎えにこない。来ようとしない」

親は思うのです。「病気に素人の自分が、会社に頭を下げて、園に迎えに行って連れて帰るより、看護士がいる保育園に置いておいた方がいいでしょう」と。理屈としては合っている。正論です。ただし、熱を出している「子どもの気持ち」が、親に見えていない。看護士さんが心配するのはそこなのです。理性が支配し、感性が育っていないように感じる。

最近の子どもたちは、登園時に熱を下げるために親が貯めていた抗生物質で薬漬けになっている、ひょっとして男子の草食系化はこのあたりに原因があるのでは、という「不都合な真実」について話していたときです。看護士さんが怒って言います。

「小児科でもらってくる薬だったら、まだいいです。最近の親は内科で薬をもらってくるんですよ。内科。大きさが違います。しかも、それをちゃんと私に言わないから怖い」

薬事法違反みたいなことを、子どもを保育園に置いてゆくための手法、手段として、親たちが気軽にするようになってしまった。田んぼに囲まれた田園風景のなかで。

「私が、ここにいないほうがいいんです」

待機児童もいない田舎の町で、大人の都合で子どもたちがわけもわからずに薬を口にする。親を信じて口に入れる。それが小児科でもらった薬でないことが、この国の何かを決定してゆくことを看護師は知っている。だから怒っているのです。「あなた、私に何が言いたいの。子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言った厚生労働大臣の声が遠くで聞こえた気がしました。

看護士の「私が、いないほうがいいんだ」という思いが、やがて、保育士の「私が、いないほうがいいんだ」という思いになり、それがいつか子どもたちの「いないほうがいいんだ」という声につながってゆく気がしてなりません。

 

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先月、身曾岐神社・能楽殿で行われたイベントに参加しました。

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コンセプトは「新世界の始まりを寿ぐコンサート、そして祈り。」ということで、音楽は即興で、という不思議な集まりでした。

以前からディジュリドゥ奏者のノブ君からうかがっていた、神楽太鼓の石坂亥士(ガイシ)さんともセッションしたのですが、懇親会のあとで「またやりたいね」という話でもりあがり、次に演奏できる時が楽しみです。ガイシさんのホームページから

「バロン魂入れの儀式にて神楽太鼓奉納演奏」

https://www.youtube.com/watch?v=8kktah-N53A というのに行き着きました。

ノブ君もけっこう変わった人生やっていて羨ましいのですが、ガイシさんも負けず劣らずのようです。だから二人の音は、生き方で共鳴しグルーブするのだと思います。

フェイスブックに載っていたのですが、ガイシさんは自由の森学園の出身で、この学園を作った遠藤豊先生は、私の小学校の担任で、恩師です。自由の森学園をつくる直前に、遠藤先生に頼まれて、赴任する先生たちに講演したことを思い出します。

ガイシさんと演奏したら、どこからか、遠藤先生の笑い声が聴こえてくるかもしれません。何かつながってゆくものを感じます。

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石坂 亥士  和さんが、遠藤豊先生の教え子だったとは、ビックリです。

生徒も多い中、一人一人を気にかけて、見守ってくれていた、素晴らしい校長先生でした!

まさか、そんなご縁で繋がっていたとは!です。

このバリでの演奏も、奇跡の様でした。15分は、僕のソロの奉納の時間をいただいて、始めたのですが、数分後には、ガムラン楽団の演奏が始まり、まさに即興での奉納劇が展開されました。

この時の興奮は、忘れられません。

その興奮の再来となるであろう、和さんとKNOBさんとのセッションは、今から楽しみでしかたありません!

よろしくお願い致します。

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松居 和 遠藤先生の、生徒にとことん自分で考えさせる授業、定理をつくった人の苦しみ喜びを少しでも味わってほしい、という数学も素晴らしかった。六年生で、「電気」について一学期考えたんです。「電気は光る」から始まって自由電子まで。だから、自由の森の校長先生になってからも「自由」について二人で激論を交わしました。「先生は、自由という言葉に縛られている。解放されなければいけない」と私は言ったんです。

恩師であっても、それが言えるのが明星学園の教育でした。実は、自由の森の第一回の入学式で尺八を奉納演奏したんです。先生に頼まれて、心を込めて。

数年後、生徒たちにも講演をしたんですよ。

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音楽も保育・子育ても、祈り、祝うことがその中心にあります。

人間社会の両輪のような存在だと思っています。