衆議院内閣委員会での森田俊和議員の質問です:それでも、無理な保育施策が進んでいきます。

こういう質疑応答が国会でなされている。

これから、幼児たちをどういう視点で眺めるか、幼児たちの人間社会における役割りをどのように再発見するか、そこに国のみらいのあり方がかかっています。

ここを間違うと、保育や学校教育だけでなく、この国のモラル・秩序、そして経済さえも崩れてゆく。

実の両親に育てられる子どもの方が少数派という欧米社会では不可能な「可能性」をまだこの国は持っている。

以下は、衆議院委員会での森田俊和議員の質問です。この時期に、この質疑応答がされたことに意味があるのです。議員には感謝です。

ここに出てくる保育施策に関する国の回答は、市区町の役場の返事と同じで、これだけやっていると言いながら、こんな対応ではまったく解決にならない。それは現場が一番わかっています。保育の質の低下、保育士不足は止まらない。答える側もわかっているはず。わかっていながら、無理な保育施策が雇用労働施策、保育は成長産業という閣議決定の元に進んでゆく。

しかし同時に、一連の国の回答の中に、保育者体験を中心に、これを徹底して進めていけば自浄作用や自然治癒力が働く、という施策もすでに入っている。ここが重要です。今すべきことは、すでに法律の中で言われている。出来ることです。

 

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森田委員 希望の党の森田俊和でございます。

(前略)

そこで、まず議論の前提として、松山大臣にお伺いさせていただきたいと思いますが、この少子化の原因、どのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。

松山国務大臣 お答えいたします。

森田委員に御指摘いただいたように、昨年末公表されました平成二十九年の人口動態統計の年間推計ですけれども、これにおきましても、平成二十九年の出生数は九十四万一千人と過去最少となっておりまして、出生数から死亡数を引いた自然増減数もマイナス四十万三千人と、過去最大というふうになっております。また、婚姻件数におきましても、戦後最少の六十万件という状況になっておるところでございます。

少子化の問題は、若者の、一つは経済的な不安定さというもの、また長時間労働、あるいは仕事と子育ての両立の難しさ、また子育て中の孤立感あるいは負担感、そして教育費の負担の重さ、あるいは身体的な理由や年齢的な理由、これら、結婚、出産、そして子育ての希望の実現を阻むさまざまな要因が絡み合っているものというふうに認識をしているところでございます。

森田委員 どうもありがとうございます。

子供が少ないという問題でございますけれども、更にもう一歩踏み込んで考えてみますと、先ほど御答弁の中にもちらっとお話が出てまいりましたけれども、子供が少ないという前に、まず、結婚をされないという方がふえておられます。この未婚率の増加ということについても、あわせて大臣から御答弁をお願いしたいと思います。

松山国務大臣 お答えいたします。

未婚率ですけれども、我が国では五十歳時点での未婚者の割合が、平成二年の段階で、男性で五・六%、女性で四・三%でございました。二十五年後の平成二十七年のデータを見ますと、男性で二三・四%、約四倍になっております。女性で一四・一%に上昇しているところでございます。

国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査によりますと、若い世代では、男女ともに、いずれ結婚するつもりと答える人たちは約九割いらっしゃるんですけれども、その一方で、結婚の意思のある未婚者が独身にとどまっている理由ということでお聞きすると、適当な相手にめぐり会わない、あるいは結婚資金が足りない、また、まだ必要性を感じない、自由さや気楽さというものを失いたくないというものが挙げられておりまして、特に、結婚資金が足りないという項目と仕事に打ち込みたいとする理由は上昇傾向にございます。

こういう状況でございます。

森田委員 どうもありがとうございました。

このあたりのことが、恐らく、いろいろな議論の出発点になってくるんだろうなというふうに思っております。

御答弁の中にもございましたけれども、お金の問題もあると思います。自分が食べていくのに精いっぱいだということでは、とても、結婚しよう、子供を持とうという気にはなりません。これもわかります。また、労働時間が長いと、自分の時間が持てないということもあろうかなと思います。家族や友人と過ごす時間、あるいは、趣味やスポーツに使える時間、地域のことに使える時間。残業だったり休日出勤であったり、こういうことで自分で使える時間が少ないと、とても家族を持とうという気になれないというのは、確かにそのとおりだなというふうに思っております。

確かにそういった原因もあるかなとは思っておるんですけれども、これは私は今の日本の根本的な問題だなというふうに思っているんですが、私たちは一体何のために生きるのかということが、ちょっと違う方向に行ってしまっているのかなという私は危惧を抱いております。

例えば、よい給料をもらうだとか、あるいは出世をするだとか、確かにそういう成功といったようなものも大事かもしれませんけれども、そのために生きているのではないというふうに思います。例えば、よい学校に入って、よいお給料をもらって、出世して、それでどうなのかということが大切になってくるのではないかなというふうに思っております。

これは国に当てはめてみましても同じことが言えるんじゃないかなと思っておりまして、例えば、国の経済が成長する、GDPが幾らになった、こういうことも確かに大事なことだとは思いますけれども、では、例えば、成長したらどうなるのか、GDPが上がったら何が私たちの人生にとってプラスになるのか、よいことがあるのかということが、なかなか、まあ、これは誰ということではなくて、社会全般の風潮として、見えてきていないという気がしております。

私は、もちろん経済を否定しません。経済は大事です。しかし、経済だけで人間は幸せになれないということも、また一つの考え方だろうというふうに思っております。

心理学者のマズローという人がいますけれども、欲求五段階説を唱えました。第一段階では、飲んだり食べたりする生理的な欲求、第二段階では、安心、安全の欲求、第三段階は、社会的な欲求、すなわち、家族がいたり、友人がいたり、地域の人たちとのつながりがあったり、人間はこういうことを求めるというのが第三段階に来ておりまして、さらに、第四、第五と行きますと、尊厳であったり自己実現の欲求というふうに続いていくわけです。

どうも、この五段階に当てはめてみますと、私たちの身の回りというのは、大体この第一段階、第二段階ぐらいまででとまってしまっているような気が私はしております。よいお給料をもらえればそれで幸せになれるということではなくて、人間同士のつながりがないと第三段階に行けないということでございまして、こういった基本的な人生に対する考え方というものが共有できない限りは、いつまでたっても、経済だけでは何となく満たされない生活、何となく満たされない人生ということになってしまうのではないかなというふうに思っております。

こういったことを踏まえて、保育のことについて伺っていきたいなというふうに思います。

先ほどの御答弁の中で、子育ての負担というお話が出てまいりました。負担が大きいというお話が出てまいりました。確かに、乳飲み子を育てる、きかん坊の幼児を育てるというのは大変な御苦労があると思います。

そこで、お伺いをさせていただきますけれども、まず、保育所の最も重要な役割というのは何でしょうか。御答弁をお願いします。

成田政府参考人 お答え申し上げます。

保育園は、保育を必要とする子供の保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設でございます。

このため、保育園では、保育に関する専門性を有する職員が、家庭との緊密な連携のもとに、子供の健康と安全を確保しながら、その状況や発達過程を踏まえた、きめ細かな養護及び教育を行っていくことが求められております。

また、保育園は、入園する子供を保育するとともに、家庭や地域のさまざまな社会資源との連携を図りながら、入園する子供の保護者に対する支援や地域の子育て家庭に対する支援等を行う役割も求められているところでございます。

森田委員 ありがとうございます。

御答弁の中に保護者の支援というような言葉が出てまいりましたけれども、これが二番目に来るということでございまして、まず初めに来るのは健全な心身の発達ということで、子供たちのためにあるのが保育所だということになります。

しかし、私たちが子育て支援の政策を考えるときに、一体子供たちが何を望んでいるのかということを聞いているかといえば、これは聞くことができません。しゃべれない乳児、乳幼児にそれを聞くことはできないわけでございます。でも、やはり恐らくは親と一緒にいたいというふうに思っているはずです。私も、小さいころ、年少のときだったと思いますけれども、登園拒否を、保育園に行かないということをやりましたので、その気持ちは痛いほどよくわかります。

こういった子供の思いとは別のところで、これまで大人の都合で、受皿を五十万人ふやすということで保育所などの増設をやってきているわけです。その結果、確かに保育の施設はふえております。しかし、今度はそれを担う人材、人手が足りないという問題が出てまいりました。

私は、親心を育む会というのがあるんですけれども、これは主に埼玉県内の保育園の園長先生ですとか主任の先生方の勉強会なんですけれども、このメンバーに入れていただいておりまして、いろいろな話をさせていただいております。例えば、三人保育士を募集したいというところに応募が二名しか来なかったというような状況があるということもございました。この人はどうかなと思っても、どうかなというのは、割と否定的な意味でどうかなと思っても、配置基準の問題が当然ありますので、法規上採らざるを得ないというようなことが出てきております。

そこで、伺いたいと思いますけれども、保育士の不足の問題、これについてはどういうふうに捉えていらっしゃいますでしょうか。

成田政府参考人 お答え申し上げます。

保育の受皿整備に伴って、全国的に保育士の有効求人倍率は高い水準で推移しており、保育人材の確保を図ることが重要であると認識しているところでございます。

このため、保育人材の確保に向け、政権交代後、合計一〇%の処遇改善を実現するとともに、これに加えて、技能、経験に応じた月額最大四万円の処遇改善を行ったところでございます。

また、平成二十九年度補正予算及び平成三十年度予算において、昨年度の人事院勧告に伴う国家公務員の給与改定に準じた一・一%の処遇改善を行ったところでございます。

さらに、昨年末に閣議決定されました新しい経済政策パッケージでは、保育士の確保や他産業との賃金格差を踏まえた処遇改善に更に取り組むこととし、二〇一九年四月から更に一%の賃金引上げを行うことを盛り込んでおります。

こうした処遇改善のほか、新規の資格取得、就業継続、離職者の再就職といった支援に総合的に取り組むことにより、保育人材の確保に努めてまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございました。

いろいろと処遇改善をしていただいたりということで、いろいろな対策をとっていただいているということでございますけれども、現実としては足りていないという状況がございます。現場は今、大変な状況になっているというお声が聞こえてまいります。場合によると、今までは採用できなかったような方まで採用しないと手が追いつかない、そういう状況になっております。そうすると、当然の流れとして、今度は保育レベルの低下というような問題が出てきてしまいます。

さらに、お伺いをさせていただきますけれども、こういった人手不足の中で、保育所はその役割を適切に果たしているというふうにお考えでしょうか、お答え願います。

成田政府参考人 お答え申し上げます。

保育園等における保育は生涯にわたる人格形成の基礎を培うものであることから、保育の受皿の拡充と同時に、保育の質の確保、向上を車の両輪として進めていかなければならないと考えております。

このため、保育園の保育の質や子供の安全を確保するため、各都道府県等において、毎年一回以上、人員配置基準を満たしているか等について実地監査を行う仕組みとしております。

また、保育の質の向上に向け、保育人材の専門性の向上を図るため、平成二十九年度には、技能、経験に応じた月額最大四万円の処遇改善の仕組みを創設するとともに、乳児保育、障害児保育、保護者支援、子育て支援といった職務分野に対応した研修の体系化を行い、保育士等キャリアアップ研修を創設したところでございます。

保育園の役割や機能が適切に発揮されるよう、こうした取組を通じて、引き続き保育に携わる方の専門性の向上を図り、保育の質が向上されるよう取り組んでまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございます。

お話、御答弁にありましたように、指導監督をしていただいている、都道府県、小さい規模の保育所ですと市町村が見ていただいているということでございますけれども、しかし、現場に近い方でしたらおわかりになっていらっしゃることだと思いますけれども、今、ブラック保育園といったような言葉まで出てきているほど、保育所での虐待が深刻な状況になってきてしまっているということです。

先ほど人格形成というお話もございました。確かに、特に生まれてからゼロ、一、二歳という間で、人間関係、例えば愛情を受けて、信頼関係を親との間で築いていくとかいうことも含めて大事な時期なわけでございますけれども、乳児にかなり深刻な虐待が出てきているという例で、例えば手足を縛る、こういう拘束ですよね、あるいは話しかけずに放っておく、ネグレクト、こういった実態がございます。

ゼロ、一、二歳児は人手がかかるということでございまして、三歳以上はクラス単位で保育士さんがクラス担任として見るわけでございますけれども、ゼロ、一、二歳児は、例えばゼロ歳児で見ますと、配置基準で三人の子供さんに対して保育士さんが一人というようなことでございまして、複数の保育士でかかわっていくということになってきております。待機児童も、このゼロ、一、二歳の層がどうしても多くなってきております。

ここで確認をさせていただきたいんですけれども、ゼロ、一、二歳児の保育に係る一人当たりの保育の費用、おわかりになりますでしょうか。

小野田政府参考人 お答えいたします。

保育を利用している児童の一人当たりの費用についてでございますが、財務省の財政制度等審議会の分科会において示された資料によりますと、国の基準に基づく平成二十九年度の予算上の平均値ではございますが、市立保育所等を利用する場合、ゼロ歳児は月額二十万六千円となっており、そこから利用者負担額の月額平均三万六千円を引いた月額十七万円が公費負担額でございます。一、二歳児は月額十二万八千円となっており、そこから利用者負担額の月額平均三万六千円を引いた月額九万三千円が公費負担額となってございます。

なお、当該額でございますが、あくまでも国の予算上かつ平均値の数字でございまして、実際には、各自治体において独自の負担で上乗せ補助を行っているところもございますので、これよりも多い場合がございます。

森田委員 平均値というようなお話がありましたけれども、二十万というのは本当にその一部であろうと思いまして、もっと大きな額のお金がここに注ぎ込まれているというのが実態でございます。

実際の、実際というか、親御さんの負担そのもので見ますと数万円という負担になってくるわけですけれども、公費ということを考えますと、何十万という額の保育のお金がそこには注ぎ込まれているということでございまして、待機児童の問題を考えても、また、先ほどのゼロ、一、二歳の、特にそういった小さい乳児の保育のコスト面を考えても、やはり乳児を預かるというのは、現実的にはもう限界に近いところまで来ているのかなというふうに思っております。

今は、枠をふやすたびに新たな需要を掘り起こしているというような状況になっております。数万円で預けられるということで、私も預けようという流れになってきているという面もあろうかなと思います。これは保育の人手という意味でも限界ですし、また、子供たちのことを考えると、やはり親元にいたい、親御さんが育てられるということが好ましいということもあろうかと思います。

鳥取県で、ゼロ歳児を自宅で見ているお宅に三万円を上限として子育ての手当を出すという制度が、これは二十九年度の制度として始まったというようなことがございました。これは一つの考え方かなというふうに思っております。

そこで、お伺いしたいのですけれども、ゼロ、一、二歳児、なるべく親御さんに育てていただくという意味で、子育て支援の給付を行っていくということについてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。

小野田政府参考人 お答えいたします。

働くことを希望する人が仕事と子育てを両立できるよう、保育所の受皿整備などの環境整備に取り組むとともに、御自宅で子育てをされている方々への支援もあわせて実施していくことが重要であると認識してございます。

そのような観点から、例えば児童手当につきましては、ゼロ歳から二歳児までの児童に対しては五千円加算し、月額一万五千円を支給することとしており、また、御自宅で子育てをされている方々への支援といたしまして、例えば、一時預かり事業の実施、親子の交流や子育てに関する不安、悩み等を相談できる場としての地域子育て支援拠点、妊娠期から子育て期までの切れ目ない支援を行う子育て世代包括支援センターの整備などを進めているところでございます。

現金給付と現物給付のバランスを踏まえつつ、全体として子育て世帯への充実した支援が行われるよう、引き続き取り組んでまいりたいと考えてございます。

森田委員 当然、財源、お金の話になってまいります。しかし、今後のさらなる需要の増大といったものも含めて考えますと、ゼロ、一、二歳児の保育の枠を確保するのにかかる費用、これからかかるであろう費用、それから何よりも保育の現場の深刻さといったものを考えますと、こういった給付も現実的な選択肢になってくるのではないかなというふうに考えております。

その際には、先ほどお話にもあったように、支援拠点、支援センターを、親御さんを孤立させて負担が集中し過ぎることがないようにしないといけないというふうに思っておりますので、そういった支給と支援センターといった意味で、セットで支援をお願いしていきたいなというふうに考えております。

私が日ごろ、すごく難しいなと思っておりますのは、保育は単なるサービスではないということですよね。子供たちの人生の本当に最初の、最初の最初の部分を形づくっていくという大切な役割を担っていただいております。子供たちのためということもあり、また、親も子育てをしながら親として成長していくという面もございます。

(中略)

特に男親は、形式的には親になったとしても、本当の意味で親になるというのがかなり難しいことだというふうに思っております。自分で経験しないと、なかなか親になり切れないという面もあるんじゃないかなと思っています。

そこで、保育所をふやすのはやむを得ないとしても、せめて親としてのかかわりを密にしていくべきだろうということを考えております。

そこで、保育士体験のことを取り上げてみたいと思います。

保護者による一日保育士体験を全ての幼稚園、保育園、それから認定こども園で取り入れていただきたいというふうに考えておりますけれども、いかがでしょうか。これはそれぞれの御担当でお答えいただきたいと思います。

成田政府参考人 保育園についてお答え申し上げます。

厚生労働省では、保育園が行うべき保育の内容等について定めた保育所保育指針において、「保育の活動に対する保護者の積極的な参加は、保護者の子育てを自ら実践する力の向上に寄与することから、これを促すこと。」との内容を盛り込んでおり、保育園と保護者との相互理解の観点から、保育園における保育活動への保護者の参加を促しているところでございます。

本指針を踏まえ、各保育園において、保護者の就労や生活形態にも配慮しながら、一日保育士体験など、保育活動への保護者の積極的な参加の機会を提供いただきたいと考えております。

小野田政府参考人 認定こども園についてお答えいたします。

幼保連携型認定こども園の教育及び保育の活動に保護者が積極的に参加することは、保護者の子育てをみずから実践する力の向上に寄与するだけでなく、地域社会における子育てをみずから実践する力の向上や子育ての経験の継承につながるきっかけとなります。このため、幼保連携型認定こども園教育・保育要領におきましては、このことを記載するとともに、「保護者の参加を促すとともに、参加しやすいよう工夫すること。」としてございます。

本教育・保育要領を踏まえ、各園におきましては、保護者の生活形態が異なることへの配慮や、保護者参加の意義や目的についての理解を高めるための努力を行いながら、保護者が一日を通してかかわることも含め、保護者が参加できる時間や日程を選択しやすくするなどして、保護者の積極的な参加を促していただきたいと考えてございます

白間政府参考人 幼稚園についてお答えさせていただきます。

幼稚園におきましては、幼児期の教育に関する保護者からの相談に応じたり、あるいは必要な助言を行う、こういった積極的に子育ての支援を行うということが重要だと考えております。

幼稚園の教育要領がございますけれども、この中では、子育ての支援のために幼稚園と家庭が一体となって幼児とかかわる取組を進め、「地域における幼児期の教育のセンターとしての役割を果たすよう努める」、こういった記述がなされているところでございます。

各幼稚園におきましては、こうしたことを踏まえまして、例えば保護者が教諭とともに保育に参加をする取組ですとか子育て公開講座の開催、こういったさまざまな取組が地域の実情に応じてなされていると承知しております。

文部科学省としては、今後とも、こういった子育て支援の取組が充実するように努めてまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございました。

国が親に対して子育てにもっと参加しなさいと言うのは大変難しいと思いますし、また、国から強制するというのもまた違うことだと思いますけれども、ぜひ、よい例を積極的に紹介をしていただきたいなというふうに思っております。

自治体でも大分取り組むところがふえてきておりまして、私も県議をやっているときから埼玉県にはかなりお願いをしてきたんですけれども、埼玉県も全県で取り組んでおります。私も、子供が保育園に通っているときには保育士体験に行きました。先ほど申し上げた親心を育む会というところのホームページには、多くの体験談、親から寄せられた体験談が載っております。

保育士体験をやれという話をすると、一日保育園なんかにいられるか、俺は仕事で忙しいんだという親御さんももちろん出てくると思います。でも、ぜひやってみてください。やっているうちに、できる親から体験に来てくれます。そうすると、子供たちは、うちはいつ来てくれるの、そういうふうに子供たちから自分の親にリクエストが出てくるというふうになるわけですね。

子供が小さいときなんというのは、ほんの何年間しかないわけです。そのうちの年に一日有休がとれないような、そんな社会には私はすべきではないというふうに思っております。親もせめて子供のために年に一日有休をとってもらいたいなと思うし、会社もそれを温かく認められるような、そういう社会になれば、日本は私は必ずよい国になるというふうに思っております。

特に、男親を引っ張り出すようにうまく誘導していただきたいなと思います。殺伐とした大人の社会、競争社会をいっとき抜けて、子供たちの輪の中に入る。学歴、肩書、一切関係なし。子供は親を、親の心を見ます。ああ、これが人間本来の姿だ、本来の世界なんだなということを感じていただくことができると私は確信をいたしております。ぜひ、これは世の中を変えることだと思っておりますので、取組をお願いできればなと思っております。

また、次の質問ですけれども、これからの日本を担う若い世代に乳幼児とのかかわりを身をもって体験していただきたいという意味で、一日保育士体験を小学校の高学年あたりから大学でカリキュラムに取り入れていただけないものかなと考えておりますけれども、いかがでございますか。

白間政府参考人 お答え申し上げます。

初等中等教育、小学校、中学校、高等学校におきましては、学習指導要領が定められておりますけれども、ここにおきましては、保育や乳幼児との触れ合いなどに関する教育を行うこととされております。

具体的に申し上げますと、小学校の家庭科、これは平成二十九年に新しく改訂をしておりますけれども、この中では、家族や地域の人々とのかかわりについて学習をする際には、幼児など異なる世代の人々とのかかわりについても扱うことといったことを新たに規定をしたところでございます。

また、中学校の技術・家庭科におきましては、幼児とのかかわり方を学ぶ際に、幼児との触れ合いができるように留意することといった記述。

また、高等学校の家庭科の家庭基礎におきましては、子供の生活と保育ということを学ぶ際に、乳幼児との触れ合いや交流などの実践的な活動を取り入れるよう努めること、これを引き続き明記をしているところでございまして、これを受けて、各学校、地域の実態に応じて乳幼児と触れ合う活動が行われている、このように承知をしています。

また、大学につきましては、御指摘のとおり、大学の自主的、自律的な判断でカリキュラムが編成されますので、なかなか義務づけということは難しゅうございますけれども、一方で、少子化等に関する問題について学生がみずからの問題として考える、あるいは対処できるようにする、こういった観点から、保育士体験は重要な機会になることもある、このように考えております。

文部科学省としましては、関係省庁とも連携をしながら、子育てについて実感を持って学んでいけるような、そういった教育が充実できるよう努めてまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございます。

昔というか、何世代か前の日本の社会であれば、自然と身の回りに親戚だとか近所の子供たち、乳幼児がいるという、かかわりを持つというような生活が当たり前に行われていたわけでございますけれども、今それがなかなか難しい社会になってきている。

ぜひ、これから子供たちとのかかわりの中で、子供、乳幼児のすばらしさ、ひいては家族のすばらしさ、とうとさを感じてもらうことができる、こういった取組をうまく誘導していただきながら進めていただきたいなと思います。

こういった若いときに、これから数年後に結婚したり家庭を持つといった世代にその意義を身をもって感じてもらえるということが、子供を大切にする社会の基礎、基盤をつくるものというふうに思っておりますので、ぜひお願いできればなと思います。

さらに、お尋ねをいたしますけれども、一日保育士体験を学校の教職員の研修に取り入れていただきたいなと思いますが、これについてはいかがでしょうか。

白間政府参考人 お答え申し上げます。

教職員が保育士の業務を体験する、こういった御指摘でございますけれども、これは、福祉の現場における社会経験を積むことができるといったことのほかに、やはり、幼児期における教育と小学校における教育の円滑な接続、こういったことを図る上で効果が期待できるものと考えております。

教職員の研修でございますけれども、基本的には、研修を実施される都道府県教育委員会等においてその内容を検討していただくという必要がございますけれども、現実にそれぞれの地域においては、例えば教職五年目の小学校、中学校の教員が保育所などで体験研修をする例ですとか、あるいは、小学校の教員を対象として、保育所などで一定期間研修をするといった例が現実にございます。

こういったことも含めまして、文部科学省としましては、それぞれの地域において、その地域の実情を踏まえながら、こういった研修が充実するよう、また努めてまいりたいと考えております。

森田委員 おっしゃるとおり、学校の問題というのは、保育園、幼稚園からずっとつながってきている問題なわけです。例えば小一プロブレムへの対応といった意味でもそうだと思いますし、それから、今、若い世代の先生方がとてもふえております。団塊世代の先生方が退職をされて、若い世代の教員の方がふえております。特に若い先生方が、今、生意気なことを言っている子供たちの、そのルーツがどういうところなのかということを身をもって認識をしてもらうだけでも、とても、教育の現場に立つ先生方にとっても貴重な機会だと思いますので、ぜひ、実際に研修をされているのは市町村、あと都道府県だと思いますけれども、促しをしていただきたいなと思います。

まとめの質問になりますけれども、最後に松山大臣にお伺いをさせていただきます。

少子化に歯どめをかけるべく、ぜひ、五十年、百年といった長期的な視点も含めて、御決意をお聞かせいただきたいと思います。

松山国務大臣 お答えいたします。

御指摘のように、日本は、急速に進む少子高齢化という、まさに国難ともいうべき課題に直面をしているところでございます。人口減少が進む中に、この少子化のトレンドに歯どめをかけることが喫緊の課題でございます。

先ほど参考人からも御答弁ありましたように、働くことを希望する人が仕事と子育てを両立できるように、保育の受皿整備を、しっかりと環境整備に取り組む、また、御自宅で子育てをされている方々への支援、これもあわせてしっかり実施をしてまいります。

これらのほかに、長時間労働の是正や同一労働同一賃金の実現等の働き方改革、また不妊治療への支援、さらには幼児教育、保育の無償化、また真に必要な子供に限った高等教育の無償化、加えて、育児休業等の取得を促進する機運の醸成というものを、しっかりと関係省庁と連携して取り組んでまいりたいと思っております。

また、現在、社会全体で取り組むべき対応策ということで、幅広い視点から検討するために、少子化克服戦略会議というものを設けまして、この会議においても、その成果を早く、できることから速やかに実施をすべく取り組んでまいりたいと思っております。

森田委員 大臣、ありがとうございました。

心理学者、精神科医のビクトール・フランクルは、人間は楽を求めるのではない、価値ある目標に向かって困難を乗り越え、それを達成することで人間は幸福を感じることができるというふうに言っております。

子育てはとうといものです。大変ですけれども、それを親子一緒になって乗り越えることで、人間は幸せを感じることができます。子供がいて、家族がいて、大変なことはたくさんあるけれども大きな幸せを感じることができる、そんな社会、国に向けて政策を組み立てていき、また実践していただくことを切にお願いをして、私の質問を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

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http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000219620180411009.htm

#11 保育と教育は違う。「子育て」と「教育」はもっと違う。

ーーーーーーーーー(前回からの続き)ーーーーーーーー

#11

教育という視点:

講演依頼を受けた保育士会から質問が来ました。講演の中で私の意見を聞きたいというのです。

「保育指針改定で、教育という視点がより重要視されていますが、保育士が気をつけるポイントはなんでしょうか」

うーん、またか、という感じです。

小一プロブレムや学級崩壊の問題に加えて、大学を卒業後、就職した若者たちの半数が会社に入って三年も続かない、そんな話を耳にします。確かに中学生くらいでも、特に男の子が幼い。私も時々中学校で全校生徒に講演するのでそれを肌で感じます。いい子たちに見えるのですが、何かが欠けている。いじめの問題も陰湿化している。

そして、3割近くの男性が一生に一度も結婚しない。実はこれが少子化の一番の原因でしょう。男たちが、どう生きていいかわからなくなってきているのです。前に進む意欲や忍耐力、責任を負うことに幸せを感じる力、誰かの幸せを願うという幼児と接していれば自然に湧き上がってくる「生きる力」が欠けてきている。引きこもりや暴力、犯罪の原因の多くがそこにあるのではないか、と想像します。だから、いま中学生たちを繰り返し幼児の集団と出会わさなければいけません。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260

でも、学者たちは幼児たちの存在が人間社会にモラル・秩序を生み出し、生きる動機になっていたことにさえ気づいていない。

大学教育が駄目なんだ、それ以前の高校教育が悪い、中学生活が鍵を握っている、小学校が混乱している、と順番にいろいろ言われ、仕組みの中での責任転嫁を重ね、いよいよ「保育の問題だ」となったのでしょう。

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「保育」をさっさと飛び越して「親子の問題」と言えばいいのです。しかし、学者やマスコミはその現実を指摘するのに躊躇する。

「親の問題」ということはすなわち、保育をサービス産業化しようとして保育界の意識崩壊、それに続く家庭崩壊を進めている政府が悪い、それを政府に勧めた経済学者や保育の専門家と呼ばれる学者が悪い、子どもたちの気持ちを考えずに親の都合、大人の都合を優先して報道するマスコミの姿勢の問題、ということに行き着きそうで、みな踏み込まないのです。総理大臣が3歳未満児をさらに40万人親から引き離せ、そうすれば女性が輝くと言い、すべての政党が「待機児童をなくせ」と親子を不自然に引き離す施策を公約に掲げているのです。いまさら「親の問題だ」「親子関係の問題だ」「愛着障害だ」とは言いにくい。「女性が輝く」という錦の御旗の陰に隠れようとして、「輝く」という言葉の意味、実態さえ考えようとしない。

 

NHKのクローズアップ現代では言っていました。(「クローズアップ現代(NHK)~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)」)

当時も書きましたが、子ども・子育て支援新制度が始まる少し前の放送でした。

発育過程で、家庭で主に親との愛着関係が作れなかった子どもたちが増えていて、それが社会問題となりつつある。殺人事件を起こした少女の裁判で、幼少期の愛着関係の不足により「愛着障害」が減刑の理由として認められたという内容でした。(詳しくはNHKのアーカイブ:http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/1.htmlをお読みください。)

番組からの抜粋です。

 関東医療少年院 教育部門 斎藤幸彦法務教官「職員にベタベタと甘えてくる。逆にささいなことで牙をむいてきます。何が不満なのか分からないんですけども、すごいエネルギーで爆発してくる子がいます。なかなか予測ができない中で教育していかなければいけないというのが、非常に難しいと思っています。」(中略)

 愛着障害特有の難しさに加え、さまざまな事情が複雑に絡むので、更生といっても従来の対処法だけでは困難な面があるといいます。(中略)

 愛着形成の期間、何歳までが大事?

 高岡健さん(岐阜大学医学部准教授):これはあくまで目安という意味ですけれども、大体3歳ぐらいを過ぎますと、自然にその港から外に行く時間が長くなってきます。(中略) 

 養護施設の職員「養護施設に来る子供たちっていうのはマイナスからの出会いなので、赤ちゃんを抱いているような感覚でずっと接してきました。ここ11年間、それは大変でした。」

放送のあと、ある行政の方から電話がありました。「この番組を見て、政府は4月から始める『子ども・子育て支援新制度』をすぐにストップしてもいいくらいだと思います。幼児期の大切さをまるでわかっていない」。(あれから3年。小一プロブレムはますます広がり、社会全体が荒れてきている。)

国連の子どもの権利条約やユネスコの子ども白書でも、親子関係、特定の人と乳幼児期に愛着関係が育つことの重要性については言っています。解釈や説明の仕方はいろいろですが、「三つ子の魂百まで」という諺は、様々な国や宗教、文化圏で「常識」「知恵」として言われ続けてきました。学校教育や学問という最近のものが現れるずっと前から、人間が生きていくために必要なこと大切なこととして理解されてきました。

「三歳児神話は神話に過ぎない」と言った学者がいました。発言の経緯からすれば、三歳未満児を保育園に預けても問題ないと言いたかったのかもしれません。でも、学者の言葉をその背景にある文脈を無視して喧伝されると、「そうなんだ」「問題ないんだ」「じゃあ預けよう」という人たちが確かに増えてきました。役場の窓口の人や、現場の保育士たちに聴くと、楽だからと、オムツもとってくれるし、と乳児を預けることにまったく躊躇しない親も現れているのです。100歩譲って、そうした動きに対応するだけの保育の量的質的充実が同時に図られていたのならまだしも、量的充実を進めるあまり幼児たちの日常の質はますます悪くなっています。保育士不足や親対応で右往左往する園長主任たち、毎日公園に集まってくる園庭もない保育園の子どもたちの表情、保育士の表情を見れば、全部とはいいませんが、だいたいわかります。

「三歳児神話は神話に過ぎない」という学者の発言は、神社の前で「これは神社に過ぎない」と言っているようなもの。文化人類学的に考えれば、神話や伝説の中にこそ過去の人類が積み重ねてきた生きるための真理はある。法華経や聖書は言うに及ばず、「長くつ下のピッピ」「ムーミン谷」「ドラゴンボール」や「アンパンマン」も含めて、一見現実を離れて見える話の中に、学ぶべきこと、自ら考えるヒントがたくさんあるのです。

しかも、厚労省が言ったのは、三歳児神話には「少なくとも、合理的根拠は認められない」ということであって間違っていると言ったわけではない。

(一昨年、母犬から子犬を早く引き離すと「噛み付き癖」がつくから、子犬は一定期間母犬から離さないように、という法律が国会を通りました。人間だって同じこと。哺乳類なら当たり前。子犬の8週間は、人間の2歳くらいかもしれません。)

それでもなぜ、こういうおかしな発言がまかり通ってしまうのか。神話に過ぎないと学者がいうことによって、親が幼児から毎日繰り返し(政府が「標準」と名付けた)11時間も離れるという、進化の優先順位を書き換えるような一線を飛び越えられると思ったからでしょう。そうしたいという意識を持つ親が、過半数とは言わないまでも常識を脅かすくらい増えてきたからでしょう。マスコミと民主主義と選挙、そして市場原理が、幼児たちの願いを置き去りにして、人気取り(金儲け)に動いたからでしょうか。

しかし、やがて幼児たちの寝顔や笑顔が、「教育」があおる「欲」を打ち負かす日が必ずくる。「子どもの最善の利益を優先する」という保育所保育指針を盾に、保育者たちが本気で立ち上がれば、それは意外とすぐにくると思います。幼児と人間の接点を増やすことによって、社会全体に「感性」と「想像力」が戻って来る。

保育士たち(または人類)の意思表示でもある「保育士不足」によって、学者や政治家、マスコミも実はかなり追い込まれています。無理なものは無理、できないことはできない、と現場の保育者たちが子どもたちのために言ってほしい。

学校教育が成り立たなくなっている、だから、もっと早く保育園で「教育」すればいいという短絡さには本当に腹が立ちます。保育と教育は違う。「子育て」と「教育」はもっと違う。

それなら、さっさと非正規の保育士の時給を教員並み(時給2700円)にしろ、と言いたいくらいですが、それで学校教育が成り立つようになるとも思えません。保育の質が突然回復するとも思えません。心情的には、非正規の時給が教員の三分の一という待遇で二十年も黙ってやってきた保育士たちに、もうこれ以上無理な要求、変な要求、新人保育士が保育を勘違いするような指導はするな、とは言いたい。でも、待遇改善とは別の次元で意識の変革は進んでいる。

幼児たちの存在意義が揺らいでいる。

ーーーーーーーーー(続く)ーーーーーーーーー

#10「幼児を眺めることによって生まれる信頼関係」は、福祉や義務教育という最近の仕組みでは補えないもの。子育ての市場原理化。

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#10「幼児を眺めることによって生まれる信頼関係」は、福祉や義務教育という最近の仕組みでは補えないものです。

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政府が示した「新しい経済政策パッケージ」の一部でもある、保育の質より量を優先する経済学者+社会学者主導(または経済界+政治家主導?)の福祉施策や学校教育に関わる施策を読んでいると、経済競争を促し労働力を確保するための短絡的な方向性ばかりが目について、国の施策の中心となるべき人間性に根ざした幸福論がまったく見えてこない

長期的に見れば、こんなやり方で経済がはたして良くなるのか、少子化に歯止めがかかるのかさえ疑わしい。

経済政策だから、と言えばそれまでなのですが、人間の幸福感に「子育て」が直結している、そこで生まれる幸福感が「経済」に直結しているという意識がほとんどないのです。現在の「子育て」に関わる「子ども・子育て支援新制度」は雇用労働施策の一部として進められていて、子どもを優先した施策ではなくなっている。それにもっと多くの人たち、マスコミや親たちが気づいてほしい。この経済政策に国の「子育てに関わる仕組み」保育とか学校という仕組みがどれほど追い詰められているか気づいてほしい。

なぜ、こういうことになってしまうのか。

社会全体に想像力とそれを支える「感性」が急速に薄れてきている。感性の喪失に関しては、やはり学校教育のあり方、その目指す方向性に問題があるのだと思います。

高等教育を受け、そこで能力を発揮している人たち、マスコミの情報や国の政策を左右する位置まで登りつめた人たちの多くが、「幼児は親(特に乳幼児期は母親)と一緒に居たいと思っているはず、心情的にも本能的にも」という人類の進化に関わる大事な、決定的と言ってもいい視点をほとんど持たないか、忘れてしまっている。幼児がそう願うことによって、人間たちの生きる動機が決定づけられるという想像力さえない。

遺伝子に種の存続の条件として組み込まれている「弱者優先」の視点を忘れているから、社会で起こっている人間性を覆すような現象や問題に対する読解力・理解力がないのです。人口の減少とか経済上の数字は見え、慌てても、その後ろにある人類学的な方程式や図式が見えていない。

それにもかかわらず、政府や学者は、政策パッケージの中で、「高等教育は、国民の知の基盤であり、イノベーションを創出し、国の競争力を 高める原動力でもある。大学改革、アクセスの機会均等、教育研究の質の向上を 一体的に推進し、高等教育の充実を進める必要がある。 」と言い続ける。

(高等教育が「人格」とは無関係だということを宣言した上で、これを言うならまだしも、「知の基盤」の「知」に道徳観念が含まれないことは、東大卒の文科省のナンバー2が子どもの裏口入学を画策したり、財務省のトップが女性記者に向けて「オッパイ発言」をしたりする報道を見ればすでに明らかです。教育と人格形成は重ならない、という確認があった上で「子育て」が論じられるべきなのです。)

 

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保育を「子育て」の「受け皿」と見なすこと自体が相当偏った、想像力に欠ける視点です。子どもがどう育つかよりも、子育てによって親がどう育つか、社会が子育てによってどう心を一つにするか、絆を深めるか、の方が大切だったということにまったく考えが及んでいない。社会の成り立ちを支えてきた「幼児を眺めることによって生まれる信頼関係」は、福祉や義務教育という最近の仕組みでは補えないもの。宇宙が何千年もそうしてきたように、これからは社会の仕組みとして、人間たちと幼児たちをしっかり出会わせることを「義務」とするしかないと思う。

政府は、「保育の受け皿を増やす」という言い方で「子育ての受け皿を増やす」という事実を誤魔化そうとしたわけですが、こういう意図的な誤魔化しや誘導、視点の操作をしているうちに、彼ら自身の感性がなくなってゆく。体験を伴わない「学問」や「情報」に依存することによって、直感的に本質を見抜いたり、心の動きを想像したりする力が弱まってゆく。だから、預けられる0、1、2歳児の「願い」や、預かる保育士たちの子どもに対する「思い」が意識されない施策が「国の子育て支援策」としてまかり通ってしまう。そして、それにマスコミがほとんど反応しないのです。

「みんなが子育てしやすい国へ」と銘打った内閣府のパンフレット「すくすくジャパン・子ども・子育て支援新制度」を読み、それを実施する立場の現場の保育士たちが、「子育て支援策」ではなく「子育て放棄支援策」ではないのかと言って顔をしかめている。自分たちの仕事が子どもたちの幸せにつながっていないどころか、不幸につながっているのではないか、と日々、ますます不安になっている。

先日もマスコミを通して京都大学の家庭社会学の教授という人が、日本は世界で一番子育てが難しい国、と批判していました。子育て環境、安心して子どもが育つ環境としては、確かに悪くなってきているとはいえ、日本は先進国の中では抜群にいい状況だと、私は思っています。実の両親に育てられる子どもが半数を切ろうとしている欧米先進国に比べ、はるかに親たちが親らしい。まだ、子どもに関心がある。だから治安が決定的にいい。

政府もそうですが、こういう学者がいう「子育てが難しい」の反対側にある「子育てしやすい」が、育てる側の利便性を高めること、「子育てを簡単にする」になっている。親子を引き離し子育てから親を「解放?」する方向を向いている。その向こうにある目論見は、親の幸せというより低賃金の労働力の確保なのですが、あまりそれははっきり言わない。

この「子育てを簡単にすればいい」という発想が私には理解できないのです。学級崩壊の広がり、親による虐待、DVの急激な増加を見れば、その危険性にそろそろ気づいてもいい頃だと思うのです。ここまで進めて来たのだから気づきたくないのかもしれない。しかし、欧米の犯罪率や麻薬の汚染率を見ても明らかなように、子育てを簡単にすれば、社会から優しさや忍耐力、幸福感が薄れてゆく。その現実から目を反らすわけにはいかない。

子育ては、親や親戚たち(その他の人たち)が喜びはもちろん、迷いや不安の中で自分の人間性に気づき、それを磨き、自分の善性に感動する体験であって、仕組みの利便性で補い簡単にするものであってはならない。たぶん、この家庭社会学者のいうところの「社会」は保育施設や学校、福祉といった最近できた仕組みや市場原理のことで、家族の絆とか、ともに祈り、祝う、一緒に幼児を愛でるという次元の「社会」ではないのだと思う。

(欧米は、福祉の充実を進歩的社会と勘違いし、保育が市場原理(経済活動)に組み込まれ、4割以上の子どもが未婚の母親から生まれる、という伝統的家庭観の崩壊にまで一気に進んでいった。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=976。精子の売買が合法化されているデンマーク。実の親、血のつながりという概念が薄れたアメリカの里親制度など、市場原理に頼らざる得なくなり、人身売買に近づく様相を見せています。

NHK世界のドキュメンタリー「捨てられる養子たち」 https://www.facebook.com/satooyarenrakukai/videos/1820006938239263/

(内容)比較的簡単に父母になり、簡単に解消できるアメリカの養子縁組制度。毎年養子となった子どものうちの2万5千人が捨てられているという。子どもをペットのように扱う社会の暗部を描く。

体育館に敷かれたカーペットの上を歩く子どもの姿を、両脇で見守る養父母候補の夫婦たち。その手元には子どもたちの写真入カタログが。簡素な手続きで身寄りのない子どもを引き取ることができるアメリカだが、その一方で深刻な問題も。14歳でハイチから引き取られたアニータは、5回目の引き受け先が8人の養子を持つ家庭で、養父は小児性愛者だった。育児放棄や虐待の結果、心に深い傷を受けるケースも少なくない。その実態に迫る。

原題 DISPOSABLE CHILDREN。制作 BABEL DOC production (フランス 2016年))

「ストロー菅の愛」NHK世界のドキュメンタリー

(内容)未婚のままアラフォーを迎えた2人の女性、シグネとマリア。子供を持つために精子バンクの扉をたたく。精子の売買が合法化されているデンマークの、近未来的な幸せ探し。

(詳細)詳細

結婚相手はなかなか見つからないが子どもが欲しい38歳のマリアと40歳のシグネは精子バンクへ。シグネは精子購入後に自宅で人工授精にチャレンジするが、なかなか成功しないため、貯金は減る一方で、欲しい“高額精子”も買えない。パソコンで精子を選ぶことに違和感を覚えたマリアは、ネットで知り合ったスペイン人男性に子作り旅行を持ちかける。デンマーク女性たちの挑戦を赤裸々に描く。

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義務教育が普及すると数十年で、人間社会は様々な形のパワーゲーム(マネーゲーム)に巻き込まれてゆき、「平等」という言葉を使って行われるパワーゲームもその一つだと思います。その結果、子育ての社会化(?)が進み、社会全体から男女間の「子育て」を基盤にした「信頼関係」が失われてゆく。同時に、子育てを労働と見なし始めると、それを保育者や教師、福祉士(他)による「労働」で補おうとする。家族という形が市場原理、損得勘定で動き始め、家庭における「子育て」が損な役割のように思われ始める。欧米先進国が避けられなかったこの流れに、日本だけは呑み込まれないでほしいと思うのです。幼児たちを眺める機会を意識的に増やすことによってそれはできると思います。)

土曜日・日曜日、48時間子どもを親に返すのが心配だと言い始める保育士たちがいるのです。「五日間、せっかくいい保育をしても、月曜日、また噛みつくようになって戻ってきます。せっかくお尻がきれいになったのに、また真っ赤になって戻って来る」。48時間オムツを一度も替えないような親たちを作り出しているのは自分たちなのではないかというジレンマが、子ども思いのいい保育士たちを自責の念に駆り立てる。

欧米に比べ子育ての本質をはるかに捉えていた日本の保育士たちは、親のニーズに応えるほど、親子が不幸になっていくのではないか、その矛盾と葛藤を抱え30年やってきました。その心の摩擦が限界にきている。しかし、いまだに学者や政治家たちは、「新しい経済政策パッケージ」のようなものを作って、労働力の創出を優先し、ここまでかろうじて頑張ってきた現場の保育者たち、学校の教師たちを精神的に追い詰める。

こういう人たち(学者たち?)に幸福感と一体であるべき福祉施策の主導権を握らせる道筋の一部なのであれば、それだけで「高等教育は、国民の知の基盤であり」えない。

最近目に付く、高等教育におけるエリート中のエリートたちが起こしている、一連の事件を見ていると、この人たち、(11時間保育を法律で「標準」と名付け、一方で規制緩和によって保育界全体の質を下げている学者や専門家も含め)仕組みのトップに登り詰めた人たちの中に、とても大切な「何か」が欠けている人たちがいる。社会に一番大切な、「子どもたちを含んだ連帯感」のようなものが感じられない。

ーーーーーーーーー(続く)ーーーーーーーーー