その保育園、売ってください

「こんなチラシが幼稚園の郵便受けに入ってたんです」と、理事長先生がメールに写真を添付して送ってくれました。

イラスト付きのチラシに、オレンジ色の見出しで、「その保育園、売ってください」とある。「過去には実際にこんな価格で売却できました!」と、値段が園種別に書いてあります。

株式讓渡

園種別      年間売上        諷渡偭格

東京都認証保育園 約1億3000万円     1億円

小規模認可保育所 約6000万円      3500万円

(他)

そして、

今すぐ売却は考えていないけれど、現在保育園かどのくらいの価値なのかを知りたい方

保育園の売却を考えているが他で査定してもらったら、査定金額が低くて諦めようかと思っている方

保育園経営が上手くいかずに閉園を考えている方

今すぐに○○○○へご相談下さい!どこよりも高く無料査定いたします

という言葉が並んでいる。

理事長先生は、「幼稚園」の郵便箱にこんなチラシが投げ込まれること、その無頓着であからさまな内容に驚き、違和感を感じているのです。

私も感じるこの「違和感」。

幼稚園、保育園の中身、価値は保育する人たちの人間性と人間関係であって、それは単純に売買、譲渡できるものではない。年月を掛けて築かれた信頼関係、子どもと過ごす伝統がどう保たれているか、それが親や子どもたちにとっての園の実態なのです。それをこの業者は、どうやって「無料査定」するのか。

「保育」という言葉で括られても、実際は「子育て」です。できる限り、家族とか「部族」のようでなければ、仕組みがサービスになっては諸刃の剣となる。そう思っている私には、保育者たちが「市場」に晒されている様子が、悲しくもあり、腹立たしくもあるのです。

国が保育という「市場」を拡大するために、保育はパートで繋いでもいい、という規制緩和を「短時間勤務の保育士の活躍促進」という馬鹿げた言葉を使って「奨励」したあたりから、保育界のイメージ崩壊の流れは決定的になってしまった。もっと真剣に、魂の次元で言えば、保育園や幼稚園は、卒園児とその保護者たちの記憶の中に立ち続けるもの、心の故郷(ふるさと)なのです。売り買いできるものではない。その基本を知らない人々が保育園で利益を得ようとする。

こんなチラシが投げ込まれることに、違和感を感じなくなった時、私たちは何を失っていくのか。

「親心のビオトープ」になってほしい、この国を建て直すには、もうそれしか方法はありません、と私が願う保育界とは別の次元に住んでいる人たちが、サービス産業の名のもとに入り込んでいる。これでは、子どもたちを守れない。

こういう配慮に欠けた、学校も含めモラルや秩序が欠けていく道筋を作り出したのが、「経済施策」として母子分離を進める、政府の制度設計です。

その中心に、「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」(「日本再興戦略」:平成二十五年六月十四日閣議決定)という閣議決定がある。

「新市場」が聞いて呆れる。この人たちは、保育においては、「人材の心」が市場そのものだ、ということがわかっていない。

「儲け」ることに囚われた制度設計が、11時間保育を「標準」と名づけることで、保育指針や国連の子どもの権利条約にある、「子どもの最善の利益を優先する」という人類普遍の法則を根っこから壊していく。彼らの目指す「新市場」で起こりつつある「保育バブルの崩壊」は、不動産バブルや介護保険の時と違い家庭崩壊、児童虐待、学級崩壊に直結している。

「仕組みの危うい可能性」を理解していない政治家や学者たちが、新たな市場を作るために、「子ども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)を立てる。

そこで、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、と宣言する。

政府の言う(偽)「子育て安心」と、このチラシの狭間に、大人たちの思惑に振り回される「子どもたちの人生」がある。

この「罠」に、幼児の親たちが気づいてほしい。親のする「選択」が子どもの人生を左右する。「子ども真ん中」の背後に、子どもを可愛がる、という「古(いにしえ)のルール」から人々を遠ざける「意図」が潜んでいることに気づいてほしいのです。(「ママがいい!」、ぜひ読んでみて下さい。罠が仕掛けられた経緯、抜け出す方法が書いてあります。)

安い労働力を確保する「罠」の中で、利鞘を稼ごうとする人たちが、閣議決定に守られ合法的にこのチラシを配ることで、保育界の空気感と常識が変わっていく。投資目的の譲渡の過程で、数人の保育士が、その動機を見抜き去って行く。それが、児童養護施設、学童、特別支援学級を追い詰め、混迷と混沌に直結することなど彼らはまったく考えていない。誰かが儲ければいい、それが「いまの市場原理」です。そして、社会は意識の総合体なのです。

保育界に必要なのは、その安定性と信頼関係だった。

このチラシの宣伝文句にある、「保育園経営が上手くいかずに閉園を考えている方」がなぜこれほど早く現れたのか。

以前、保育バブルの始まりに、こんな宣伝がありました。(「ママがいい!」からの抜粋です。)

「保育園開業・集客完全マニュアル」

起業したい、独立したいというあなたの夢をかなえます。今ビッグチャンス到来の保育園開業マニュアルです。コンサルティング会社に依頼する百分の一の価格で開業ノウハウ全てが手にできます。

*独立・起業を考えているが、何から、どう始めたらよいかわからない。

*自己資金がなくてもできる起業を探したい。

*自分ひとりで始めるのは不安がいっぱいだ。

起業をしたいと思ったときがチャンスです。ネットビジネスも儲かるのでしょうが、やはり安定した収入は確保したいものです。しかし、単に「起業」と言っても、何をどう始めたらよいのか、どんな手順を踏んで、どんな書類を用意しなければならないのか、わからない方がほとんどです。

そこで、「保育園開業・集客完全マニュアル」をあなたにお届けいたします!今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方にも一からご理解いただけるようにわかりやすい手順が説明されています。「保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!〉

保育は、「何から、どう始めていいかわからない」人、「今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方」、「不安でいっぱい」の人がマニュアルを読みながら始める仕事ではなかったはず。この宣伝を打った人たちは、「親としての自分の価値を感じる瞬間を、親たちから奪うことになる」という、長年乳児保育の広がりの中で親身な園長たちが持ち続けてきた葛藤など一瞬たりとも感じていないのだろう。(ここまで、「ママがいい!」から抜粋。)

こうした新市場、国の経済重視の規制緩和の隙間で、保育士による不適切な保育が次々と明るみに出る。その影に、子どもたちの一生を左右するPTSDや取り返しのつかない後天的愛着障害がある。近頃の学級崩壊を見ていれば容易に想像がつく。

そして、先日テレビのワイドショーのコメンテーターが、子育てについて、

「親ひとりでせいぜい2人の子どもの面倒をみる。だけど保育所だったら保育士1人で、何十人という子どもをみるわけですよ。子育てのコストは、そっちのほうが圧倒的に安い。預けることによって、フルタイムで働いたらお母さんの収入がドーンと増えるわけでしょ。個人にとっても国にとっても良い」「子育てに関しては全部社会がやる、と。税金で全部負担するというふうなことにいくのが、国にとっても絶対によい」と訴えた。

https://www.chunichi.co.jp/article/810741

『保育士1人で何十人の子をみる コストが安い』

保育は子育てなのです。繰り返しますが、結果や手法ではなく、双方向への「体験」です。コストパフォーマンスで考えるべきものではない。コストで考えれば、育てる側の人間性を育て、社会に絆を生み出すという幼児の存在意義が見えなくなる。ただでさえ、子ども優先という姿勢が置き去りにされ、それが学級崩壊や児童虐待の増加に現れているのです。

政府が「保育は成長産業」とか、誰でも預けられるのが、「子育て安心」などと馬鹿げたことを言っているから、保育園を売り買いする業者が現れ、子育てをコストパフォーマンスで計り、保育園で預かった方が効率的、と全国ネットの番組で言うコメンテーターが現れる。

(ブログ「シャクティ日記」:http://kazu-matsui.jp/diary2/ に、書いたものをまとめています。タイトルも付いています。ぜひ、参考にしてください。重複する内容が多いのですが、初めて文章を読んだ人にも、何が起こっているか、全体像を理解してもらいたいので、そうなっています。コピー、ペースト、リンク、なんでも結構です、拡散していただけると助かります。

一昨日、ある市の公立保育園の保育士たち百五十人に夜、講演しました。仕事が終わった後でしたが、すっかり目が覚めたように、聴いてくれました。まだ、正規が六割という市でしたし、あらゆる年齢層が居て、「20年前に私の講演を聞きました」と言う人がいたり、「1日保育士体験やっています。親たちに本当に評判がいいんです」と報告してくれる人たちがいて、勇気づけられ、嬉しかったです。「ママがいい!」すでに持っていて、サインを頼まれました。)

 

 

体験が知識です

(「ママがいい!」に、中学生の保育者体験について書いた文章です。)

長野県茅野市で家庭科の授業の一環として保育者体験に行く中学二年生に、幼児たちがあなたたちを育ててくれます、という授業をして、保育園に私も一緒について行った。
生徒たちは、図書館で選んだり自宅から持って来た幼児に呼んであげる絵本を一冊ずつ手にしている。
昔、運動会の前日てるてる坊主に祈ったように、絵本を選ぶ時から園児との出会いはもう始まっている。
男子生徒女子生徒が二人ずつ四人一組で四歳児を二人ずつ受け持つ。四対二、これがなかなかいい組み合わせなのだ。幼児の倍の数世話する人がいる、両親と子どものような関係となる。一人が座って絵本を読み、二人が園児を一人ずつ膝に乗せる。もう一人は自分も耳を傾けたり、園児を眺めたりウロウロできる。このウロウロが子育てには意外と大切なのだ。
園児に馴染んできたところで、牛乳パックと輪ゴムを利用してぴょんぴょんカエルをみんなで作って、最後に一緒に遊ぶ。
見ていてふと気づいたのは、十四歳の男子生徒は生き生きと子どもに還り、女子は生き生きと母の顔、お姉さんの顔になる。慈愛に満ちて新鮮で、キラキラ輝きはじめる。保育士にしたら最高の、みんなが幼児に好かれる人になる。中学生たちが、幼児に混ざって「いい人間」になっている自分に気づく。女子と男子が、お互いを、チラチラと盗み見る。お互いに根っこのところではいい人なんだ、ということに気づけば、そこに本当の意味での男女共同参画社会が生まれる。

帰り際、園児たちが「行かないでー!」と声を上げる。それを聞いて、泣き出しそうになる中学生。一時間の触れ合いで、世話してくれる人四人に幼児二人の本来の倍数の中で、普段は保育士一人対三十人で過ごしている園児たちが、離れたくない、と叫ぶ。その声に、日本中で叫んでいる幼児たちを聴いた気がした。涙ぐんで立ち去れない幾人かの友だちを、同級生が囲んでいる。それを保育士さんと先生たちが感動しながら泣きそうな顔で見ていた。(ここまで抜粋。)

園児たちが、中学生に「行かないでー!」と叫ぶ。
そして、中学生は、自分のいい人間性を体験し、感動したがっているのです。

その向こうで、自分たちの進める「仕組みの危うい可能性」を理解していない政治家や学者たちが、新たな市場を作るために、「子ども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)を立てる。

「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、と国が閣議決定で宣言する。
「子ども未来戦略」という名前がついているのです。それを家庭科の時間に教えようとする教師がいるかもしれない。
一方で、中学生を園児たちに出会わせることで、何かを見極めようとする教師たちもいるのです。私たちは、分岐点に立っている。

政府の言う(偽)「子育て安心」と、家庭科の授業の狭間に、大人たちの思惑に振り回される「子どもたちの人生」があります。
この「罠」に、親たち、そして教師たちが気づいてほしい。親や教師がする「選択」が子どもの人生を左右する時代なのです。「子ども真ん中」の背後に、子どもを可愛がる、という「古(いにしえ)のルール」から人々を遠ざける「意図」が潜んでいることに気づいてほしい。(「ママがいい!」、ぜひ読んでみて下さい。罠が仕掛けられた経緯、抜け出す方法が書いてあります。)

アインシュタインは、情報は知識ではない、体験が知識なのだ、と言いました。
「教育で専門家は育つが、人は育たない」と内村鑑三も言いました。

法律で国を治めることはできない。本来、人間性で「鎮める」もの。
乳幼児と、全員が付き合って、社会に「人間性」がみちるのです。

 

変わらないものへの憧れ

高校生、中学生、小学生に、夏休みを利用して三日間の保育士体験をさせていた園長先生の話です。
保育園は夏休みもやっていますし、〇歳児からいるから都合がいい。変わらないものへの憧れが、風景と共に、自分の中ではっきりとしてくる。
一昔前になりますが、ふだんはコンビニの前でしゃがんでタバコを吸っている茶髪の悪そうな高校生が、園にくると園児に人気が出て、生き返るというのです。
心が園児と近いと生きにくい世の中になったのかもしれません。だからこそ一人でしゃがんでいたのかもしれません。

駆け引きをしない人に人気が出るということは、本物の人気。高校生も、本能的にそれを知っていて、自分が宇宙から認められた気分になる。それでいいんだ、と宇宙から言われ、不良高校生たちの人生が変わる。自分が自分であるだけでいい、という実感が「生きる力」になる。

それまで、信じることのできない相手からいろいろと言われてきて反発していたのに、そのままでいい、と一番信じられそうな人に言われ、命に対する見方が変わるのです。そして、自分もこうだった、ということに遺伝子のレベルで気づく。幼児を世話し、遊んでやって、遊んでもらって、弱いものを守る幸せが新鮮なことに思えるのでしょう。駆け引きのない人間関係の楽しさ、嬉しさに感動するのですね。
どんなにひねくれた高校生でも、どんなに苦しそうで危機に陥っている人でも、一歳児に微笑みかけられると嬉しくなる。微笑み返します。幼児とのやりとりは、人間に、自分は本質的に善だ、ということを憶い出させてくれる。
赤ん坊と母親が家庭科の時間に学校にきたり、中学生が保育園に出向いたり。親の1日保育者体験もそうですが、こうした幼児たちとの直接的体験の積み重ねが、いつか社会に生きてくる。

ズボンを腰まで下げて悪ぶっていた高校生が、保育園に来て、三才児にズボンのはき方を説明されて慌ててズボンを上げる。校長や教頭が三年注意して上がらなかったズボンが、三才児が注意すると三秒で上がる。
三才児は無心に、自分の存在意義と高校生の成り立ちを指摘する。
高校生は、三才児がいるから自分がいい人になれる、三才児がいるから、自分はすでにいい人なのだ、ということを遺伝子のレベルで知っている。知っていることを憶い出すために、高校生には三才児が必要なのです。

風景が生み出す「心のゆとり」

「ママがいい!」からの抜粋です。この部分が一番好きですとメールをくださった方が居て、嬉しかったのです。

風景が生み出す「心のゆとり」が集団としての人間を支えていたのだ。言葉でも理屈でもない。幼児の居る風景が整ってゆくと、幼児のいる風景が人間社会を整えていく。

その風景が人間たちの安心を支えるのだ。窓から雨をながめ、一緒にしゃがんで花をながめ、カタツムリをながめ、倒されてしまった積み木をながめ、ある日静けさの中で、無言で心を重ねてくれる人が身近にいるかどうか……。その有無で幼児期の体験はその価値が決まってくる。いい保育士は、それを生まれながらに理解している。その静かな心の重なり合いが少ないと、数年後に始まる学校生活での人間関係の質が粗くなってくる。

(「ママがいい!」からの抜粋です。)