「ちくちくことば」#1

  正月に、「ママがいい!」が、Amazonのジャンル別「人気ギフトランキング第1位」になりました。追い風だ。ありがたい。もうここまで来たら、言うべきことは、どんどん言うぞ。松居和チャンネルを始めたこともあって、決意を新たに頑張ります。よろしくお願い致します。

友だちや兄弟姉妹へ、園長先生から保育者へ、学校の先生や校長へ、議員や市長へ、もあるかもしれない。時々、まとまった注文もあるそうです。

「贈る」場面を想像すると、身の引き締まる思いです。

本の内容は、場合によって厳しい言葉になる、不安も、異論もあるでしょう。でも、「社会」を形作っていく過程で、子どもたちの存在意義が中心になってくれればいい。

(夜、保護者に講演、翌日の朝、中学生に話す、というスケジュールも入ってきました。中学生は、緊張します。しっかり伝えなければ。)

X(旧ツイッター)に、メッセージが来ました。

「松居和さんの『ママがいい!』を読んで涙が出そうになりました。ありのままの自分、お母さんがいい!って言われる私を体験すること。それが子育てなんて、誰からも聴いたことのないフレーズだった。」

40年近く講演をし、祖母のような園長たちに、「保育」は祈りですと仕込まれました。「専門性」より、「人間性」、そう教わりました。

いいことをしよう、と一生懸命やってきた保育者たちに、「0、1、2歳はなるべく家族の手で」、政府の施策は雇用労働施策です。子どもたちの願いを無視しています、と言うのは少し辛い。しかし、そうせざるを得ないのは、政府の決めた「保育の存在意義」が、「子どもたちの存在意義」とあまりにも、かけ離れているからです。

この本は、「子どもが可愛い」と思う保育士たち、「長時間保育は可哀想」と言い続けてきた園長たちの心とはぶつかっていない。

「保育士の専門性」を認識すべき、などと学者が言っても、発言は、仕組み上すでに成り立っていない。定員割れしている「資格ビジネス」が自転車操業になり、いま、ギリギリ問われているのは「専門性」ではなく、「人間性」なのです。

「祖母の心」を私に伝えた園長たちが、「言ってください、このままでは、保育界が心を失う」と背中を押す。

 

もうすぐ講演する助産師さんたちの会の方から、こんなメッセージが届きました。

「追伸:松居和チャンネル、拝見しました。

もう面白くて、面白くて!

研修会で多くの助産師に先生の話を直に聞いてもらいたいですし、こども家庭庁の話と松居先生の話を聞き比べ、子育ての根幹の話はどこにあるのか、をそれぞれが深く考える機会にしたいと願っております。」

政府は、「日本再興戦略」(平成二十五年六月十四日閣議決定)で、保育分野は、「制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野」、「良質で低コストのサービス(中略)を国民に効率的に提供できる大きな余地が残された分野」と定義した。

母親を「戦力」にしようとする「戦略」が、保育(子育て)をサービス産業化し、親たちの意識を変え、その流れが、義務教育を破綻させる。いよいよ、日本を再興できなくしている。

起業家や学者は、この「残された分野」に足を踏み込むな、と言いたい。彼らの考える「制度設計」は、「子どもたちの成長の原動力」にはならない。

保育のサービス産業化は、保育士に対する裏切り。

政府が、十一時間保育を「標準」と名付けたのは、0、1、2歳児に対する裏切り。

 

人間が損得勘定から離れるために「子育て」はあるのです。子どもたちが、社会の「人間性」を育ててきたのです。

(「男女平等」を標榜し、四割の子どもが未婚の母から生まれ、父親像を求める迷走が、社会の分断を急速に進めているアメリカで、銃の乱射事件が、毎日二件起きている。)

こども家庭庁は、「子ども未来戦略」に、子育てをしていると「人生の幅が狭くなる」と余計なことを書く。そう感じるのは、彼らの「幸せの物差し」の「幅」が狭いから。

0、1、2歳の不思議さは、育てる人間の感性や、幸せの物差しの幅を広くすること。慈悲の心を耕し、絆の大切さを教えること。赤ん坊の、初めての笑顔に夫婦が幸せを感じ、それを守ることに生き甲斐を感じる。ほとんどの親がそうだったから、それが本能だったから、人類は、ここまで進化してきた。数年間、言葉の通じない人たちを育て、心を通わし、女らしさ、男らしさ、が、「親らしさ」に移行していく。

性的役割分担が「利他の心」を得て、昇華していく。

誰に責任があるか、ではなく、誰が責任を感じるか、が「社会」を形づくってきたのです。

(昇華:情念が、より純粋な、一段上の状態に高められること。)

去年、小池都知事が会見で、第二子の保育料を無料にすれば、「子どもが輝く」「チルドレンファースト」とまで言った。まさに意味不明。「女性が輝く」まではまだしも、乳幼児を母親から引き離して「輝く」わけがない。支離滅裂。こんな発言を、黙って報道するマスコミは政治家以上に責任がある。何かが麻痺している。慣れてはいけない「情報」が日常をつくり、乳幼児を眺めない日々が、人類から「感性」を奪っていく。

でも、マスコミや報道が全く触れない本、「ママがいい!」が発売後二年経って、いまだに一位になる。インターネットという新たなコミュニケーションツールが生まれ、人々が、別のチャンネルで生きる動機を探している。この国には、子ども主体に考えようという習慣が、まだ残っている。

最前線で闘っている人から、メールが届きました。

自ら主張できない一歳児たちが、縮こまって、怯え、泣き続けている。

(保育士の告発)

年度途中より保育士として勤務している園のことです。《1歳児クラスでのことです》

 

●お昼前に。友達とトラブったAちゃん。とはいっても、一歳児の成長なりのトラブル。

Aちゃんがいけない。と、ろくに対応することもなく、脇をもって自分の腰の位置くらいまで持ち上げると、そのままに部屋の端に連れていきおろす。

友達の近くに行くと手を出すからここにいなさい。と言うことらしい。

その担任は、その子の横に座ってその子の方は向かない。

怖くて泣き続ける女児に「うるさい!」という。

Aちゃんを散々泣かせて、お昼も食べはじめられないくらい泣いていて、「もう!食べないなら寝な!」って。

それを聞いたパートが同調。更にそこにいた代替えも「えっ!ママがいいの?!食べるの?!どっち!?」と聞く。

こどもは、もう訳がわからないんだと思う。「ママ〰️ママ〰️」と泣く。

「ご飯じゃなくて、ママがいいの!?じゃあ寝なさい」って、担任に布団に入れられた。

担任が部屋から出た隙に、その子をお昼に誘った。

背中を擦って、汁物くらいすすれるかなと、口にそっと当てた。

わずかに口にしたようにみえたが、しゃくりあげてしまって、呼吸が落ち着かず、もう少し時間がかかる。担任にこんな状況を見られたら、この子までまた。怒りを買ってしまう。

するとそこにいた代替えが、

「自分のやり方と違っても、担任の言う通りにするもんだよ」と言い、女児を布団につれて行き横にさせた。

泣きつかれて寝てしまった。

担任が戻ると「食欲ありませんでしたって、お母さんにつたえるから」って。

「こんなに不安定なのは、お母さんが最近よく病院に行っているからだ」と、お昼をあげなかった。

代替え、パート、それぞれ右に習えで同調して、担任の言うことに従うのが一番だと話す。

クラス担任は発達障がいだと思ってる子が、私のところに来たら関わらず、担任に任せること。(私以外の代替えパート、他クラスの保育士は、抱っこおんぶしていても、何も言われない。)

この子に関わらず、抱っこすると皆抱っこしなくてはいけなくなるから、抱っこしないでください。

担任は一年間積み上げたものがあるから、後1ヶ月は、波風立てたくない。その意思を組んでほしい。と。

口いっぱいにつめ込んだものを出してあげる保育観もあるが、全部キレイに食べきってほしいと言うのもその人の保育観。だと。

不適切保育も保育観。当たり前の、人としての関わりも保育観。と言う言葉を使われている。

 

(ここから私です。)

「保育観」、恐ろしい言葉です。

子どもたちを注意深く見ている保育士には、その恐ろしさがわかる。

専門性、という言葉もそうですが、この国の「美しさ」を根こそぎ持って行く、「新しい」種類の言葉。

「こういう意地悪な言葉、『ちくちくことば』(絵本、ふわふわとちくちく、参照)に刺され続けた子どもたちは、いつか犯罪者になるよ」と憤る元園長先生と、最近、少し長く、話しました。社会福祉法人から、いくつかの園の見回りを頼まれている元園長の声が震えます。

「その場所に、母親に連れて行かれるんですよ……。毎日」。

発言が、いきなり核心に迫ります。

そこでは、「ママがいい!」と叫んでも誰も聴いてくれない。

公立の保育園で三十年保育をし、退任後、短大でしばらく教えていたその人は、園長に成り立ての頃、気持ちのこもらない画一的な「保育観」と闘った人。一時、心を病んで、私が慌てて駆けつけ、喫茶店で六時間、話し相手をした人でした。

「ちくちくことば」を、実習に行った先の園で身につけてくる学生たちがいる、と嘆くのです。

「子どもたちを仕切ることが保育だ、と勘違いしているんです。養成校で、そう教えられている」。

そして、「現場における不適切保育のことは教授たちはみんな知っています。実習生に聞きますから。しかも、専門性で子どもを仕切れる、と本気で言うなら、資格を与えてはいけない学生たちに資格を与えているのは犯罪でしょう。本人がすでに愛着障害で、人間性に欠けるような学生たちが、良くない実習園に当たったら、もう最悪です」

「人間としての心得」が、「保育観」という言葉で誤魔化され、政府の「誤魔化しの子育て」が現場で伝承されていく。根底に、都知事の(偽)「チルドレンファースト」、政府の「子どもの未来戦略」がある。ずっと以前、厚労大臣が言った、「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」という、とんでもない発言が、まだ生きている。

「教育で専門家は育つが、人は育たない」と内村鑑三は言い、アインシュタインは、「情報が知識なのではない、体験が知識なのだ」と言った。体験に基づかない学問が、「高度な専門性」などと言っているうちに、保育の質はどんどん落ちて、ただの「経済対策を支える手段」にされていった。

専門性を身につければ、一対二十で「子育て」ができるという「弁明」を繰り返しているうちに、学者たちの感覚が麻痺していったのです。

この時期、子どもの視線は「一対一」の積み重ねで、自分にだけに目を向けてくれる人を探している。「だから親の代わりはできないし、しようとしてもいけない」と私の師たちは、三十年前に教えてくれました。

その保育魂が労働施策と資格ビジネスによって否定され、「皆抱っこしなくてはいけなくなるから、抱っこしないでください」という発言が、「保育観」という言葉で肯定されてしまう。

「ママがいい!」と子どもが叫んだ時、その向こうには、たった一人の「ママ」がいるという「感覚」が、学者や政治家の意識から抜け落ちているのです。

母性から生まれた「保育観」ならいい。現場で、祖父母心(こころ)によって育まれ、保育士たちが、ここなら安心して生きていける、そんな気持ちになれる「保育観」ならいい。しかし、「手法」や「都合」によって、人間性が置き去りにされた「保育観」が現場に持ち込まれると、その「一律さ」が、子どもたちの心に刻印となって刻まれていく。

冒頭の告発者は、自らの人間性で、そこまで見抜いているからその風景が許せないのです。子どもたちの心が、手法の欺瞞を照らしだすから、耐えられなくなる。

「福祉」は、「いい人間性」の代行をするもの。それが欠けることによって、決定的に崩壊してゆく。

自主性、自己肯定感、非認知能力といった親にとってはほとんど意味不明の言葉を、学問が「保育観」に重ねているうちに、十一時間保育が「標準」と名付けられ、無資格者やパートでつないでも構わないという規制緩和がされていった。それが、現実であり、事実です。都合で繋いでいく、雑多な「保育観」が現場を支配するようになっていった。

以前、「三歳児神話は神話に過ぎない」と言った学者がいたのです。愚かな学者は、神社の前に立って、「これは神社に過ぎない」と言っていればいい。しかし、マスコミを使って、現場が受けきれない母子分離を「専門家」のフリをして、時に「平等」などという言葉を使って、正当化するのは許せない。それを許せば、学問自体が、神の意志(幼児の意図)から遠退き、市場原理に組み込まれる。いや、もう組み込まれている。

「平等」に子育てを回避しよう、という流れになっているのです。その道筋が限界を超えている。一体、誰が、どう責任をとるのだろう。国も、親も、子どもも、義務教育からは逃れられないのです。

以前にも、保育科の学生が試験の答案に、「子どもはなるべく親が育てた方がいい」と書いたのを不合格にした有名大学の教授がいた話を書きました。「もっと勉強しなさい」と言ったそうです。こういう授業が、保育界の意識を混乱させ、誰のための保育か、わからなくしていった。親たちの責任意識を薄れさせると同時に、保育士心の質を下げていった。不登校やいじめ、引きこもりの増加、児童虐待過去最多、という数字にそれが、はっきりと現れる。

恣意的に、意図が歪められた「学問」で、学生が感じた「長時間親と引き離しては、子どもが可哀想」という「人間性」が否定される。保育所保育指針と、「子どもの権利条約」が無視される。

子育て(保育)は、子どもを指導することではない。

可愛がること。

現場を体験していない者たち、子どもたちの願いに耳を傾けない人たちが、保育科の「教授」になっていること自体がおかしいのです。他の学科で、自分の主張を教えるのは一向に構わない。しかし、子どもを犠牲に、親たちと保育士たちの対立を招くようなことを「保育科の」学生に教えるのはやめてほしい。現場の疲弊と、より一層の少子化を招くだけ。

「勉強」で得た「専門性」で、幼児たちの目を誤魔化すことはできないのです。

「ママがいい!」と叫ぶ神(たましい)を、仕組みで抑えることはできない。その矛盾が、「ちくちくことば」を生んでいます。

もちろん、保育士による「ちくちくことば」が、まったく聴かれない保育施設もたくさんあります。その風景を許さないことが、保育士の「幸せ」と重なるから、保育士一人ひとりが、自分の幸せを追求すれば、自然に道筋はつくのです。人間の遺伝子が、そうできていますから、そんなに難しいことではない。

「子どもの最善の利益を優先する」という、保育指針の柱(人間性の根幹)さえ守られれば、本来起きないこと。政府の政策に、その柱が欠けているから、保育現場における「分断」「質の差」が一層激しくなっている。補助事業であること、保育士不足が死活問題になっていること、園長が、不適切保育を注意できないことが、二極化に拍車をかけている。

一日保育士体験を取り入れている園、親が参加できる行事が毎週のように用意されている園。親を叱れる関係が成立している園は、大丈夫。いつでも親に見せられる保育をやっている自信と、「可愛がり、寄り添う」姿勢が、家庭と園との信頼関係を育てていく。

成人式に、卒園児たちが晴れ着姿で、親と一緒に集まってくる園に当たれば、一家の人生は確かなものになる。

(「ちくちくことば」#2に続く)

YouTube:松居和チャンネル、第8回をアップしました。(毎週火曜日に新たな一本を加えています。チャンネル登録、ぜひ、お願いします。)

今回のテーマは、

子育ての社会化により、男女(夫婦間)の対立が始まり、分断が進む。「日本は違う道を!」、です。

https://youtu.be/u5J9CNr4eq0

松居和チャンネル、第8回 「日本は違う道を!」

YouTube:松居和チャンネル、第8回をアップしました。(毎週火曜日に新たな一本を加えています。チャンネル登録、ぜひ、お願いします。)

今回のテーマは、

子育ての社会化により、男女(夫婦間)の対立が始まり、分断が進む。「日本は違う道を!」、です。

https://youtu.be/u5J9CNr4eq0

ハリウッド映画の多くが家庭崩壊を伏線にしています。「E.T.」「未知との遭遇」。

「ペイ フォワード」「グッド ウィル ハンティング」(素晴らしい映画です)は、人口の三分の一が、虐待の犠牲者という生々しい現実がテーマです。

先進国の中では、日々の生活に「伝統的家庭観」が奇跡的に残っている日本で、幼児たちを中心に「絆」を再構築してゆくことが、人類全体にいい影響を及ぼす。(そして、そのやり方が経済にも良かった。)

「ママがいい!」に書いてることを、二つ、三つやってくれれば、学校教育が成り立つような「土壌の耕し直し」が、まだ、できると思います。

世界中で、人々が、故・鳥山明さんの作品に惹きつけられた。

ドラゴンボールに現れる、心が清くなければ、雲に乗れない、という「神話」が、「良い、人間であろうとする」本来の人間性と重なり、道標になるからだと思います。宮崎アニメもそうですが、日本には、神話を再構築し続ける力が、まだある。その「力」の出発点に、0、1、2歳児たちがいる。

そして、「子は鎹(かすがい)、ではなく「子育てがかすがい」だった。

欧米先進国における、いまの「混沌」は、「子育て」を手放した人間たちの、度を超えた「戦い」によって起こっている。

ぜひ、ご覧になって、拡散してください。

よろしく、お願いいたします。

「三歳児神話、大切にしなきゃ」#2

X(旧ツイッター)に、先日出演した番組に対して、こんなメッセージをいただきました。有難うございます。三十五年間、ずっと孤軍奮闘みたいになっている私には、嬉しい声がけです。

「アベプラの3歳児神話のお話し見させて頂きました。

保育士を代表し、政府の保育政策をしっかりと批判してくださり、本当にありがとうございます。

保育の専門家、有識者、大学の教授などは全く批判してくれない中、松居さんが言って頂いた事はとても意義のある尊い事です。御礼申し上げます」

母子分離の正当化を目指す学者やマスコミが、いまだに、三歳児神話は神話に過ぎない、などと言う。番組のタイトルは、それに加えて、「0歳児を預ける親は子育て失格か」となっていました。

失格か、合格か、など、誰にも決められない。神様だってそんなことはしない。なぜ、マスコミは対立を煽るのか。それが問題、と私は冒頭に発言しました。

人間は「神話」の世界で会話をする、宮崎アニメなどはまさにそのいい例、しかも、それを人類が求めているから、世界中で支持される、とも言いました。(ドラゴンボールも、心が清くなければ雲に乗れない。鳥山さん、ご冥福をお祈りいたします。)

そういう「神話を再創造していく」出発点に、0、1、2歳児との会話がある。

何か、罠にはめられた感じもしたのですが、次の日、この御礼メッセージが届いて、ホッとしました。出演して良かった、と思いました。

体験に基づかない知識を詰め込んだ「専門家たち」が、「ママがいい!」という、神話への導きの対極にいる。

「人間性」と、対峙している。

番組がYouTubeに載せられた時、タイトルが「三歳児神話、大切にしなきゃ」になっていたそうです。これは、嬉しかった。

以前も触れましたが、去年、こんな記事がありました。マスコミがこぞって報道した「国際調査」です。

「男女平等、日本125位=順位落とす、先進国最下位―国際調査」~政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では最下位だった~。https://sp.m.jiji.com/article/show/2966296?free=1 という。

政治や経済の分野に参加する女性が少ないことを、「遅れ」とし、疑問を抱かせないように報道する。順位を落としている事実から、日本の女性たちの意志、選択の自由を読み取ろうとはしない。

マスコミは、「性的役割分担」を無くしていくことが「男女共同参画社会」なのだとした、人類が哺乳類であることを否定するような政府の閣議決定を鵜呑みにし、「子育て」を、経済優先でしか考えることができない政府の言いなりになっている。新聞が読めない、0、1、2歳児の「願い」が視界に入っていない。ほとんど想像しない。

この手の報道を目にする度に、マスコミや経済学者は、意図的に、「女性らしさ」という個性を、経済競争の活性化・「一億総活躍」のために見下し、失わせようとしているように思えてなりません。(その反動が、男性の生涯未婚率が3割に近づいていることと、少子化に拍車がかかる、という現象に現れる。)

本当に、それでいいのか、という素朴な疑問が、「125位:順位を落とす」という現象に現れている。私には、そう見える。

日本の女性たちは、政府が主導する無謀とも思える保育の量的拡大、質の低下から、その真意に気づき始めている。「ママがいい!」という言葉を覆い隠すための規制緩和を容認、追認してきた学者や専門家たちの不誠実さを見抜き、彼らの「意図」に不信感を持ち始めているのではないか。

馬鹿げた、子ども未来戦略が言うのです。

「こども・子育て政策を推進するに当たっては、今も根強い固定的な性別役割分担意識から脱却し、社会全体の意識の変革や働き方改革を正面に据え た総合的な対策をあらゆる政策手段を用いて実施していく必要がある。 」

こういう「罠」に、母親たちが、気づいているのではないか。

そうであってほしい。

「働き方改革」の前に、「母子分離」政策がずっとあった。保育士不足が極まって、規制緩和ではいよいよどうにもならなくなってきて、やっと始まった「働き方改革」なのです。いまの学校の状況を考えれば、遅すぎる!!

(国際調査の順位を上げるために)起業したり、政治家を目指したりすることよりも、幼児と一緒に歩いたり、子どもの人生を考えて「オロオロ」したりすることのほうがいい。充実した時間を実感できると思う、彼女たちの、「女性らしい」主張と意思が、この125位、しかも前年から9位落としているという現象に現れているのだと思いたい。

(しかも、男女平等が先進国最下位の国が、GDP三位の、経済的に非常に成功している国なのです。それを、偽善的な学者たちは指摘しない。そもそも、「根強い固定的な性別役割分担意識」があったことが、日本の成功の秘訣だったのではないか。女性の平均寿命は世界一、犯罪率も欧米に比べて「奇跡的」に低いのだし、と考えるのが本筋だと思う。アインシュタインは、その調和を羨ましがり、ストロースやトラッカーも、その優位性に気づいて、憧れている。)

「0、1、2歳児と見つめ合わない人生なんて、彼らに、自分をさらけ出さない人生なんて」

そんなものは、やはり虚しい。

赤ん坊が泣き出して、「泣き止んでほしい」と思った瞬間に、人間は、自分自身を体験する。

本当の自分が見えてくる、喜びが、そこにはある。

神から見られている自分がいて、それを、彼らは、ちゃんと、受け止めてくれる。

立ち止まる、としたら、今しかない。

(養護施設に勤める友人の言葉です。)

「保育士のたまごが、養護施設にも実習にきます。保育士を目指す学生が、ボランティアにきます。そこで、とんでもない保育士に出会うと、二度と現場へは戻ってこない」

(その友人から、新年の挨拶が届きました。)

新年明けましておめでとうございます。

『ママがいい』求められているんですね。

子どもたちが、ママがいいと思えることが、どんなに愛おしく、愛すべき時間であるかを忘れずにいられたら、もっと平和になるのにと思わずにいられません。

年末年始は、親子が再会のチャンスでもあります。

自宅にお泊まりに行く子は、不安と期待に胸を踊らせます。『やっぱり、無理です』といって施設に戻す親もいます。

本当のママではないけど、愛された記憶が、その子の生きる力になりますように…。

そう願いながら、今年も歩み続けてみます。

 

(ここから私です。)

「福祉」という仕組みの怖いところは、同僚の中に一人よくない人がいると、周りの人の人生も崩れていくこと。自分を必要としてくれている人たちがいるのに、逃げないと、精神的に壊れてしまう。そういうことに敏感な人、福祉に一番大切な人が、身を守るために去っていく。

よくない人、を排除できないほど、政府がつくった「人材不足」は進んでしまった。「ママがいい!」という大地の不満を抱えている保育界には、倍率が出ないことが致命的なのです。そうした中、いま求められているのは、専門性より人間性です。途切れそうになっている、勇気と、根性、なのです。

その現実はすでに、小学生たちを呑み込もうとしている。自己の幼児期の愛着関係の不足から、心の時限爆弾を抱えた、人間性に欠けた、良くない教師が増えている。それを見て、感性豊かな教師の心が折れ、辞めていく。負の連鎖が一気に拡大し始めている。

:発達障害の子“通級利用に数か月かかる場合も”都内の4割以上 自治体アンケートからみえた“学びの壁”

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240126b.html

繊細な子どもたちの「育ち」は、数ヶ月も待ってはくれない。なぜ、通級利用が必要な子どもがこれほど増えているか。就学前の愛着関係が足りていないのです。「発達障害の可能性がある子どもは、年々増加傾向で」と報道するなら、政府の「母子分離」政策にいますぐに、ブレーキを掛けなければいけないのです。

「ママがいい!」に、十一時間保育が壊したもの、という章題で、NHKの「クローズアップ現代」で放送された、『少年犯罪・加害者の心に何が~「愛着障害」と子どもたち~』を挙げて、仕組みが、どういう道筋で破綻していったか書きました。

幼児期に、「子ども未来戦略」で母子分離を進め、義務教育を、教師不足という形で共倒れに追い込んでいる「こども家庭庁」の「子ども真ん中」というテーマが、いかに偽善的か、「戦略」の中で、ネグレクトの勧めとも言える(慣らし保育なしの)「子どものショートステイ」を、「圧倒的に整備が遅れている」と言い切るのを読めば、わかります。この「戦略」は、子どもたちを「戦力」にしようとしている。

しかし、これだけ規制緩和が進むと、「専門性」など、もう「福祉や教育の分野」では通用しない。それがわかっていながら、専門家であり続けようとする、学者の人間性が問われるべきです。専門性などという言葉で、「ママがいい!」という声を、いつまで無視するんだ、なぜ「人間性」を社会から奪い続けるんだ、と言いたい。

「ママがいい!」という言葉の持つ「価値観」が、人間社会の原点にあったことを思い出す時です。

兵士が、「ママがいい!」と叫んだ時に、平和への道筋が現れる。しかし、それでは、すでに遅すぎる。

そのことを考えてほしい。

 

「ママがいい!」、出版され、2年経ったのに、Amazonの売れ筋ランキング、社会福祉部門で一位です。もう、7刷になります。伸びている。幼児たちの叫びが、道筋を照らすことに、みな、気づき始めている。そんな気がするのです。YouTubeの松居和チャンネルでも、いろいろなテーマで話しています。よろしくお願いいたします。

 

ユーチューブで「松居和チャンネル」始まりました。ぜひ、ご視聴の上、出来ましたらチャンネル登録、高評価、拡散など、お願いいたします。https://www.youtube.com/watch?v=56cLD5Fh-Gg

第2回「日本人の子育ては魔法だった」〜そして、なぜいま【ママがいい!】なのか〜 https://youtu.be/l3Jo8ex6RfM  

第3回「人類にとって餌付けとは:チンパンジーのカニバリズム」https://youtu.be/Um8Swqv0haY

第4回【園長先生の悩み】経済優先の国の姿勢で、保育が追い込まれていく https://youtu.be/jVPBn7zZy5w

第5回:【幼児が人間性を育てる】これからの幼稚園、保育園の役割

https://youtu.be/TVGS4dYF06Y

第6回: 幼児を眺め、古(いにしえ)のルールを思い出し、神話を再創造する。

https://youtu.be/BRhOu4Sx-CA

第7回 「利権争いと分断」〜0歳児を眺めることの「平等」性について〜 https://www.youtube.com/watch?v=qq2axI9i24Y&t=246s

(毎週、火曜日の深夜に新たなエピソードを加えます。)

0歳児を眺めることの「平等」性について:松居和チャンネル 第7回

松居和チャンネル、更新しました。(毎週、火曜日に更新します。今回は第7回です。)

「利権争いと分断」

0歳児を眺めることの「平等」性について

https://www.youtube.com/watch?v=qq2axI9i24Y&t=246s

よろしければ、チャンネル登録、お願いします

(内容は、)

人間は、幼児たちと過ごすことで、自分のいい人間性を体験する権利を「平等」に与えられている。

アメリカのように、小学校で、子どもたちが「今度のお父さんは、今度のお母さんは」という話を、大人が聴こえていないところで始めてしまうと、(家庭崩壊の流れは)止まらない。学校が、世代を跨ぐ「言い伝え」を阻止することによって、新たな家庭観の「伝承」が始まる。

義務教育が普及して、5、60年すると、だいたい家庭が崩壊し始める。家庭が崩壊し始めると、義務教育が成り立たなくなる。しかし、欲とか、教育で壊れていく「家庭崩壊」より、「福祉」で壊れていく家庭崩壊の方が激しい。(市場原理と直結しやすい。)

日本は、欧米に比べ家庭崩壊が奇跡的に進んでいないにもかかわらず、政府は、0、1、2歳児を預けて働く親を、欧米並みに80%にしようという数値目標を立て、「子育て安心プラン」と名づけた。いつでも長時間預けることが出来れば、それが「安心」なのだ、という、とんでもない洗脳が始まっている。

「『M字カーブ』を解消するため、平成30年度から平成34年度末までの5年間で、女性就業率80%に対応できる約32万人分の受け皿整備。(参考)スウェーデンの女性就業率:82.5%(2013)」(首相官邸ホームページ)

「子ども誰でも通園制度」を掲げる、政府の「こども未来戦略方針」は、

「児童は、できるかぎり、その両親の愛護と責任の下で、また、いかなる場合においても、愛情と道徳的及び物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない」とある「国連の子どもの権利宣言」に違反している。

慣らし保育なしに、いつでも、知らない人に預けるのは、「子どもが可哀想」という発想がない。

慣らし保育なしで最長7日間まで預けられる「子どものショートステイ」(生後60日から十八歳未満対象。育児疲れ、冠婚葬祭でもOK。一泊二千円から五千円)を、「圧倒的に整備が遅れている」と「戦略」の中で言う。

「両立」という、子どもの側からは成立しない言葉を使って、「人間性」を忘れさせることが「少子化対策」の本質。だから、政府の少子化対策で、一層、少子化が加速し、結婚しない「男たち」が増え、児童虐待過去最多、という結果になっている。同時に、不登校やいじめが増え、小学校の教師不足は危機的状況になっている。

「幼児が可哀想」という感覚を、「教育」やマスコミを使って捨てさせようという動きは、エンゼルプランあたりから、子育て安心プランに至るまで、ずっと繋がってきた市場優先の流れですが、これでは、子育てをさせられている「保育士」たちが納得しない。

親子を長時間引き離すのは「可哀想」という思いがなければ、「子育て」も「保育」も成り立たない。

繰り返しますが、保育が子育てである限り、そして、いまの経済施策が0、1、2歳児を長時間預かることを「目標」に設定している限り、一番求められるのは、専門性ではなく、人間性なのです。それが保てなくなってきている。

それを周知していかないと、義務教育と、その周辺の仕組みを立て直すことはできない。

松居和チャンネル、チャンネル登録、よろしくお願いします。

 

 

「松居和チャンネル」第5回:【幼児が人間性を育てる】

「松居和チャンネル」第5回:【幼児が人間性を育てる】これからの幼稚園、保育園の役割

https://youtu.be/TVGS4dYF06Y

を配信しました。

 

(内容)

いい保育施設はたくさんあるのです。

一日保育士体験を取り入れている園、親が参加できる行事が毎週のように用意されている園。園長先生が親を叱れるような園。成人式には、卒園児たちが晴れ着姿で集まってくる園。そんな園は大丈夫。いつでも親に見せられる保育をやっている。その自信と、「可愛がり、寄り添う」姿勢が、保護者たちとの信頼関係を育てていく。

そして、忘れてはいけないのが、親の「感謝」が保育士を育てる。そして、学校教育を支える、ということです。子育てを誰かにお願いして、それを当然の権利のように思い始めたら、社会全体から、大切な「人間性」が欠けていく。その結果、仕組みの崩壊が始まる。

義務教育は、親が親らしい、という前提のもとに作られたことを忘れてはいけない。

幼稚園、保育園が一生の「心の故郷」になっていくように。特に、この時期に父親たちの「親心」を目覚めさせるために、一日保育士体験をさせてください。家庭での絵本の読み聞かせも、子どもたちの「安心」に、とても良いです。それで、将来のいじめや不登校が減らしていくのです。

子育ては、祈り。親たちが、自分のいい人間性に感動すること

「ママがいい!」、周りの方々に薦めてください。

よろしければ、チャンネル登録、高評価、拡散をお願いします。

 

「松居和チャンネル」第4回【園長先生の悩み】を公開

ユーチューブで「松居和チャンネル」第4回【園長先生の悩み】経済優先の国の姿勢で、保育が追い込まれていく、を配信しています。アドレスは

https://youtu.be/jVPBn7zZy5w

です。

「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」という保育を成長産業とみなす閣議決定(「日本再興戦略」:平成二十五年六月十四日閣議決定)がされてから、規制緩和が進み、乳幼児の存在感が希薄になるとともに、児童虐待や不登校が過去最多になっている。

「女性が輝く」論は、まだ可能性として受け入れたとしても、去年、小池都知事が会見で、第二子の保育料を無料にすれば、「子どもが輝く」「チルドレンファースト」と言ったのには呆れます。ここまで行くと、意味不明。支離滅裂です。「ママがいい!」という叫びを日々聞いている保育士たちが、情けなくなって、辞めていく。

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三月十一日、IAMと演奏します。

三月十一日、IAMと演奏します。渋谷のセルリアンタワーにあるJZ-Bratで、夜7時半からです。
お問い合わせは、JZ-Brat 03-5728-0168までどうぞ。
人生の目的とか、生き甲斐とか、色々言われますが、時々演奏していることが納得になっている気がします。「音楽」という不思議なことをしていると、やはり「道筋」は用意されている、と思えるのです。
ぜひ、いらしてください。

「松居和チャンネル」第3回「人類にとって餌付けとは」をアップしました

ユーチューブで「松居和チャンネル」第3回人類にとって餌付けとは:チンパンジーのカニバリズム」を見ることができます。アップしました。アドレスは、https://youtu.be/Um8Swqv0haY です。よろしければ、チャンネル登録、高評価、拡散、お願いします。

毎週火曜日に、新しいのをアップします。

「ママがいい!」という言葉の正面には、必ず一人のママがいる。

それを、忘れてはいけない。

代え難い、たった一人の「私」が、いる。

その「私」は、「いい!」と宣言された。

その宣言された「私」を体験する人生が目の前にある。

「なりたい自分」ではなく、すでに「そうである自分」を体験するために、「子育て」の時間がある。その体験が、人間社会を繰り返し「創造」するのです。

「ママがいい!」は、勲章です。

 

「3歳児神話は大切にしなきゃ」

同士、共励子ども園の長田先生が、Xに、こんな書き込みをしてくれました。

「松居和氏がAbemaTVの「3歳児神話は大切にしなきゃ」に出演した。

0歳児保育は「アリ?ナシ?論」で進めるマスコミ現代風議論に真正面から異議を表明し、問題の本質である政府の保育施策の問題点と保育の現状を伝えていた。

松居氏の辛抱強い説明の結果、反対論者として登壇した小児科医氏も「人間が自立するには、012歳時期に安心感の得られる人に全面的に依存する必要がある。安心して依存できる人が得られないと自立が難しくなる。」と発言。これぞまさに3歳児神話の大切さを示したもの。

パックンが小児科医先生の論を繰り返し、松居氏の主訴と同じである事を指摘した。松居氏も強く同意していた。

アリナシ論で議論を進めると、内容が浅瀬に乗り上げ、本質まで辿り着けない事が多い。

松居氏の辛抱強い説明により、保育子育て問題の本質が、問題を知らないに人々が近づけた番組であった。

YouTubeに掲載された映像は、大切な部分が省略されている。パックンの発言もなかった。

是非、アメバTVで確認してください。」

 

(ここから私です。)

ありがとうございます。

取材を受けている時は、「ママがいい!」を理解してくれている感じだったのですが、当日、生出演の前に、0歳児を預けるのは、親として失格か、みたいなタイトルになっているのが分かって、結局は、孤軍奮闘するしかなかった。まずは、誰が「失格とか、合格とか決めるのか、神様でも無理。そうやってマスコミが対立を煽ろうとするのが問題、と言いました。生番組でしたし、言えることは言っておかなければ。長田先生が書いた「松居氏の辛抱強い説明により」は、何よりの褒め言葉。

違った趣旨で始まった番組の方向性がずいぶん変わって、いつでも見れるameba TVのアーカイブでは、「3歳児神話は大切にしなきゃ」とあって、ああ、よかった、よかった。息子も、お父さん、結構良かったよ、って言ってくれました。

松居和チャンネルで、言いたいことがいつでも言えるようになったのですから、それで、ずいぶん気持ちが楽です。作りましょうよ、と言ってくれた、音楽プロデューサーでギタリストの中脇さんに、感謝です。

 

 

第二回がアップされました。

タイトルは、「日本人の子育ては魔法だった」

https://youtu.be/l3Jo8ex6RfM

チャンネル登録、高評価、情報拡散など、よろしくお願いします。

毎週火曜日にアップします。

「ママがいい!」、またAmazonジャンル別で一位になっています。😀

卒園一ヶ月後の謝恩会

楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。

卒園一ヶ月後の謝恩会、九年間の義務教育に比べれば大したことではない。法律で決めてしまえばいい。

いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。

その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。 http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=3526

(以前書いた、ブログです。)

Amazonでは今年正月ジャンル別ですが、人気ギフトランキング1位、ほしいものランキング3位、ジャンル2位です。誰かに送ろう、と思ってくれたことが嬉しい。

少し、痛みを伴う「報告」です。でも、タイトルの「ママがいい!」は、子どもたちから母親に捧げる「勲章」であって、同時に、社会への警鐘なのです。今、何が起こっているか。知ってほしい。政府も、マスコミも、学者も、「母子分離」の正当化に必死です。子どもたちの警鐘に耳を貸さない。このままでは、学校教育が破綻していく。ぜひ、周りの人に勧めてください。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240126b.html :発達障害の子“通級利用に数か月かかる場合も”都内の4割以上 自治体アンケートからみえた“学びの壁”

 

ユーチューブで「松居和チャンネル」始まりました。ぜひ、ご視聴の上、出来ましたらチャンネル登録、高評価、拡散など、お願いいたします。https://youtu.be/56cLD5Fh-Gg?si=tDAAG25dqTLBZXfy