「逝きし世の面影」渡辺京二著、平凡社からの抜粋です。


 子ども中心に生きていた日本人。その様子を見て、欧米人がこの国をパラダイスと呼ぶ。大人が子どもを崇拝し、神々の次元に降りて来て一緒に遊ぶ。自分の中に、3才だった頃の自分、4才だった頃の自分が居ることを確認し安心する。自分が以前神だったことを憶い出し、人間は生きてゆく。

 そして、百五十年前にこの国を見た欧米人が、私たちに時空を超えて話しかけてくる。これが、人間のコミュニケーション能力、時空を越えた育てあいの凄さだと思う。

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「逝きし世の面影」渡辺京二著、平凡社からの抜粋です。

第十章「子どもの楽園」から

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838〜1925)』

 

51MQ9F98Q6L._SL500_AA300_-thumb-300x300-thumb-150x150.jpg『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている(バード)』

 

『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』

 

『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』

 

日本について「子どもの楽園」という表現を用いたのはオールコックである。(初代英国公使・幕末日本滞在記著者)

 

彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで半身または全身裸の子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのにでくわ」してそう感じたのだが、この表現はこののち欧米人訪日者の愛用することとなった。事実日本の市街地は子供であふれかえっていたスエンソン(江戸幕末滞在記著者)によれば日本の子供は「少し大きくなると外へだされ、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。

 

ワーグナー著の「日本のユーモア」でも「子供たちの主たる運動場は街上である。・・・子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する。彼らは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担った運搬夫が、独楽(こま)を踏んだり、羽根突き遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸をみだしたりしないために、少しのまわり路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や駆者を絶望させうるような落ち着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する。」ブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたいろいろな形の凧を揚げており、馬がそれを怖がるので馬の乗り手には大変迷惑である。親たちは子供が自由に飛び回るのにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が乳母の足下で子供を両腕で抱き上げ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」こういう情景は明治二十年代になっても普通であったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを抱き上げながらわきえ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ。」

 

 『ヒロンやフロイスが注目した事実は、オランダ長崎商館の館員たちによっても目に留められずにはおかなかった。ツユンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」と書いている。「船でも」というのは参府旅行中の船旅を言っているのである。またフィツセルも「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と述べている。

 このことは彼らのある者の眼には、親としての責任を放棄した放任やあまやかしと映ることがあった。しかし一方、カッテンディーケにはそれがルソー風の自由教育に見えたし、オールコックは「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」と感じた。「すなわち日本の子供たちは自然の子でありかれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ大人ぶることがない」。

 オイレンブルク伯は滞日中、池上まで遠乗りに出かけた。池上には有名な本門寺がある。門を開けようとしない僧侶に、つきそいの幕吏が一分銀を渡してやっと見物がかなったが、オイレンブルク一行のあとには何百人という子どもがついて来て、そのうち鐘を鳴らして遊びはじめた。役僧も警吏も、誰もそれをとめないでかえってよろこんでいるらしいのが、彼の印象に残った。

 日本人は子どもを打たない。だからオイレンブルクは「子供が転んで痛くした時とか私達がばたばたと馬を駆って来た時に怖くて泣くとかいう以外には、子供の泣く声を聞いたことがなかった。

 日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ」。

 レガメは一八九九(明治三十二)年に再度の訪日を果したが神戸のあるフランス人宅に招かれた時のことをこう記している。「デザートのときお嬢さんを寝かせるのにひと騒動。お嬢さんは四人で、当の彼女は一番若く七歳である。『この子を連れて行きなさい』と、日本人の召使に言う。叫ぶ声がする。一瞬後に子供はわめきながら戻ってくる。—–これは夫人の言ったままの言葉だが、日本人は子供を怖がっていて服従させることができない。むしろ彼らは子供を大事にして見捨ててしまう」。つまり日本人メイドは、子どもをいやいや服従させる手練手管を知らなかったのだ。日本の子どもには、親の言いつけをきかずに泣きわめくような習慣はなかった。』

 

 『日本についてすこぶる辛口な本を書いたムンツィンガIも「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」と言っている。チェンバレンの意見では、「日本人の生活の絵のような美しきを大いに増している」のは「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」だった。日本の「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである」。モラエスによると、日本の子どもは「世界で一等可愛いい子供」だった。』

 『モースが特に嬉しく思ったのは、祭りなどの場で、またそれに限らずいろんな場で大人たちが子どもと一緒になって遊ぶことだった。それに日本の子どもは一人家に置いて行かれることがなかった。「彼らは母親か、より大きな子どもの背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り回し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるすべてを見物する。

 ブスケによれば「父とか母が一緒に見世物に行くときは、一人か二人の子どもを背中に背負うか、または人力車の中に入れてつれてゆくのがつねである」。

 ネットーの言うところでは「カンガールがその仔をその袋に入れてどこえでもつれて行くように、日本では母親が子どもを、この場合は背中についている袋に入れて一切の家事をしたり、外での娯楽に出かけたりする。

 子どもは母親の着物と肌のあいだに栞のようにはさまれ、満足しきってこの被覆の中から覗いている。

 その切れ長の目で、この目の小さな主が、身体の熱で温められた隠れ家の中で、どんなに機嫌をよくしているか見て取れることが出来る。」

 

 「ネットーは続ける「日本では、人間のいるところならどこを向いて見ても、その中には必ず、子どもも二、三人はまじっている。母親も、劇場を訪れるときなども、子どもを家に残してゆこうとは思わない。もちろん、彼女はカンガルーの役割を拒否したりしない」

 チェンバレンはまた「日本の少女は我々の場合と違って、十七歳から十八歳まで一種のさなぎ状態にいて、それから豪華な衣装をつけてデビューする、というようなことはない。ほんの小さなヨチヨチ歩きの子どもでも、すばらしく華やかな服装をしている。」と言っている。彼は七・五・三の宮参りの衣装にでも目をとめたのであろうか。彼が言いたいのは、日本では女の子は大人の衣装を小さくしたものを着ていると言うことだ。

 

 フレイザーは1890年の雛祭りの日、ある豪族の家に招待されたが、その日のヒロインである五歳の少女は「お人形をご覧になられますでしょうか、別の部屋においでくださる労をおかけしますことをどうかお許し下さい。」と口上を述べ「完璧に落ち着き払って」メアリの手をとっておくの間に導いた。

 彼女のその日のいでたちをメアリは次のように描写する。

 「彼女は琥珀色の縮緬のを着ていたが、その裾には青に、肩は濃い紫をおび、かわいらしい模様の刺繍が金糸でほどこされ、高貴な緋とと金の帯がしめられていた。頭上につややかに結い上げられた髪は、宝石でちりばめたピンでとめられ、丸いふたつの頬には紅がやや目立って刷かれていた。」

 メアリの著書に「私の小さな接待役」とキャプション入りで揚げられている写真を見ると、彼女は裾模様のある振袖の紋服を着、型どおりに右手に扇子を持ち、胸には懐刀を差している。つまりこの五歳の少女は完璧に大人のいでたちだったのである。

 しかしそれは服装だけのことではなかった。

 イザベラ・バードは明治十一年、日光の入町村で村長の家に滞在中、「公式の子どものパーテイー」がこの家で開かれるのを見た。

 主人役の十二歳の少女は化粧して振袖を着、石段のところで「優雅なお辞儀をしながら」やはり同じ振袖姿の客たちを迎えた。

 彼女らは「暗くなるまで、非常に静かで礼儀正しい遊戯をして遊んだ」が、

それは葬式、結婚式、宴会といった大人の礼儀のまねごとで、バードは「子どもたちの威厳と落ち着き」にすっかり驚かされてしまった。』

 

『日本人が子どもを叱ったり罰したりしないというのは実は、少なくとも十六世紀以来のことであったらしい。十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、主として長崎に住んでいたイスパニア商人アビラ・ヒロンはこう述べている。「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである。」。日本人は刀で人の首をはねるのは何とも思わないのに、「子供たちを罰することは残酷だという」。かのフロイスも言う。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。』

講演のあとで

 先日、私立の保育園で講演しました。講演が終わって、一人の母親から相談を受けました。子どもが言うことをきかない、と泣いています。聴くと、園ではいい子で大丈夫。家で、お母さんと一緒になると我がままになる、まとわりついて離れない。父親は、子煩悩でいい親らしいのです。

 「あなたはいい母親だから、子どもが一緒にいたいんですね。仕事を辞めることは出来ないのですか?」とたずねると、看護士ですから辞めてもいつか復帰することはできます、生活に困っているわけではないです、と言います。
 遠慮していたのか、部屋から出ていた父親が問題の2歳の男の子を抱っこして近づいてきます。父親にしがみついているその子を見て確信しました。なぜ、母親が泣いていたのか。自分も気がつかない心の底で、母親も、息子と一緒にいたくて仕方なかったのです。
 「いい機会でしたね。2年くらいでいいですから、いつも一緒にいてあげて下さい。今日ここで私に質問したのが運命だと思って。この園を辞めても、子どもをおぶって園に手伝いに来てください。この子を知っている人たちと縁を切らないように。もうその人たちはこの子の大切な財産ですから」
 それを聴きながら、父親が少し笑顔になります。

 園長先生に、あとで「どんな質問でしたか?」ときかれ、その会話を伝えると、園長先生が本当に嬉しそうな顔をしました。

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竹中平蔵/スプーンの速さ/慣らし保育

竹中平蔵氏がNHKのニュースで、日本人は「自由競争がいい」という人が49%しかいない、欧米はずっと高く中国は8割です、と嘆いていたのです。自由競争がいい、という信念から経済を見ているのでそうなるわけですが、彼の、日本は欧米を見習うべきという姿勢が、私には理解できない。戦後これだけ独特な仕組みの中で経済成長を続け、欧米がこの不思議な国を賞賛し見習おうとしていた時代が長かった過去を、どのように評価しているのか。現在でも、欧米が経済的に日本より良いとは思えません。EUは危ない状況ですし、中国にいたっては、あまりにも不自由だから自由競争に憧れているだけでしょう。

自由と競争の対極にあるのが、結婚、出産、親子、子育て。

本来、そのためにあるのが経済だと私は考えます。どうも,話が最近本末転倒になってきています。経済を良くするために、本来人間の意欲や生き甲斐の元になっていたものを失おうとしている。

竹中平蔵氏は同番組で、既得権を守ろうとするから自由競争が妨げられると批判していました。

親子関係は大自然における重要な既得権。

結婚は既得権を守る宣言のようなもの。欧米で3割から6割の子どもが未婚の母から生まれ、親子、結婚、ともに存在理由が希薄になっている。そして、競争に無縁の乳幼児が黙って既得権を失ってゆくのです。哺乳類として数億年持っていた既得権を、自由競争、市場原理を助けるために。

 

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保育の質は、乳幼児に給食を食べさせる時の、保育士のスプーンを口に運ぶスピードにあると思うのです。時間内に全員を終わらせようとすれば、幼児の求める速さを越える。それに慣れると、やがてオムツを替える間、話しかけなくなる。

そうした風景が、人間たちから生きる力を奪ってゆく。それが自由競争・市場原理の一番の恐ろしさかもしれない。

介護福祉士が老人の口にスプーンを運ぶ速度が、幼児に対するそれ以上に人間を苦しめる。老人にはもう未来を変えるチャンスがないから。自由競争の中で介護が仕事化すればするほど、親身な人間たちが現場を去ってゆく。心ある学生たちが、実習を体験して進路を変えてゆく。社会を優しく育てる風景に必要な彼らは、たぶん二度と戻っては来ない

自由競争の対極に「心のこもったお弁当」があり、「一日保育士体験」がある。(お弁当に心を込めるのは神との対話。一日保育士体験は神々との交流。)

「子どもが喜びますよ、子どもが喜びますよ」一日保育士体験を進めるために、親に、保育士がその言葉を繰り返すことで、保育士と親の心が一つにすなってくる。損得勘定が薄れ、心を一つにするために生まれてきたのだ、心を一つにするために、みんな違っている、と気づく。(するといつかスプーンの速さが遅くなる。保育園だけでなく介護施設や乳児院でも。)

子育てで、親がスプーンのスピードを速くしても、子どもは親を愛し続け、許し続け、いつか救ってくれるでしょう。(時間がある。素晴らしく選択肢がないし、既得権は守られている。)1人で6人の子どもを相手にする保育士がスピードを速めると、子どもはそれを許し、救う時間さえ与えられないまま、やがて担当は変わってしまう。子どもたちの心が行き場を失う。天命が果たせなくなる

 

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(子どもが園に慣れるよう、徐々に預ける時間を長くしていく「慣らし保育」)

先日、2代目若手男性園長が私に言いました。彼は、家で保育の風景を見ながら成長したのです。

「中学生の頃、慣らし保育で、『ママがいいー、ママがいいー』と泣き叫ぶ子どもたちを毎年見ていて、こんなことを人間がして良いはずがない。絶対保育の仕事には就くまいと思いました」と。中学生はまだ感性の人たちです。してはいけない妥協を本能的に知っています。

「一週間の慣らし保育で泣き叫ぶ幼児の映像をまとめて編集し、政治家に見せれば、保育はサービスだ、親のニーズに応えよ、などと安易に言わなくなるのではないでしょうか」とある園長が言っていました。

慣らし保育。何に慣れるのか。「ママがいいー、ママがいいー」という叫びに慣れるのか、慣れて言わなくなることに慣れるのか。

0歳から預ければ「ママがいいー」という言葉さえ存在しなくなる。一つ一つ消えてゆく。それに慣れようとしている社会がある。それに慣れた世代が、いつか「家がいいー、家族がいいー」と叫ぶのでしょうか。

慣らし保育で「ママがいいー、ママがいいー」と叫ばれた母親は、自分がいい親だったから叫ばれたことを憶えていてほしい。

そして、その時流した涙は、人生で一番美しい涙だったかもしれない。毎日、子どもを保育園に置いてくるたびに心の中で涙してほしい。保育士たちはそう願っています。

サウンド・トラックCD/Legend of the fall 果てしなき想い

 私が以前尺八を吹いたサウンドトラックの中で、一番気に入っているのが、ブラッド・ピット主演の「Legend of The Fall」。共演がアンソニー・ホプキンス、エイダン・クイン。監督はエド・ズウィック。音楽はジェームス・ホーナーです。このCDは映画がもう20年以上前の映画であるのに、いまだに手に入ります。それくらい音楽がいいんだと思います。

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訴えかけてくるものがあります。映画のテーマ、背後にある自然と魂の関係に作曲家や演奏家の心が反応しているのかもしれません。
 オーケストラはロンドンシンフォニー・オーケストラ(LSO)で、アビーロードかAirスタジオで録音したのだと思います。一ヶ月ロンドンに滞在し、ミックスまで付き合った作品です。ミックスの時にジェームスが、音楽と映像を一緒にプレイバックしながら、泣いていたのを思いだします。他にもLSOと共演した作品には「ウィロー」「マスクオブゾロ」があります。ですが、サウンドエフェクト的な役割りが多いこれらの作品に比べて、「レジェンド・オブ・フォール」は三つあるテーマの一つを尺八で吹いているので、サントラの中ではやはり一番好きです。いまだに、よく車の中で聴いています。英語版のライナーノーツに監督のエドが私のことをわざわざ書いてくれたのも嬉しかった。ストーリーの中で、アメリカインディアンの魂が漂うところに尺八が出て来ます。お薦めです、絶対。音楽だけCDで聴くのもいいです。
 この映画の中には、言葉を介さない会話がたくさんあって、その部分を風景や沈黙、そして音楽が少し離れた次元で語るのですが、一体感を感じることが生きることなのだろう、と思わせます。
 幼稚園や保育園を使い、男たちに、自分の中にいる3歳4歳、神だったころの自分を思いださせる、そのための一日保育者体験、と私は言ってきました。それを思いださせてくれる、一番の伝令役が幼児なのだろう、という考え方のもとに。
 昔、幼児園や保育園が無かった時代。男たちは年に数回、祭りの場で、幼児期の自分がまだ居ること、全て自分次第だということを確認していた。祭ることで人間は安心する。

ツイッターからです。(養護施設光りの子どもの家の菅原哲男先生の本)

 永遠の課題、保育、1対3か3対9かを考えていた時、養護施設光りの子どもの家の菅原哲男先生の本に、「職員が旅行に行ったら担当している子どもにしかお土産を買わない、そうでなければならない」と書いてあった。「みんなと一緒を子どもたちは極端に嫌う」。平等の対極に親子がある。そうだろうな。

 菅原哲男理事長の「誰がこの子を受けとめるのか」を読む。「『仕事で子どもを愛せるか』これは光りの子どもの家の当初からの課題である。」「養育に最も欠けてはならないエッセンスは労働とは次元の違う無償の行為なのである。」児童養護施設で過ごす人間たちの時間が社会に向かってそう語っている。

 「何よりも愛されることへの飢餓感、ある者は不感を疑わせるほどに愛を知らないできてしまった時間の長さに、関わりの手がかりさえ見当たらない」と菅原哲男さんは書きます。私が先月中学校で感じた子どもたちの幼さも、この延長線上にあるのでしょう。道徳教育なんて浅い次元の問題ではない

 菅原さんがこれを書いたのが十八年前。これほどの証言が児童養護施設という、最後の砦からされているのに、厚生労働大臣が去年「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言ったのです。そして、中学の先生が「私たちは保育をしている」と私に言い、園長が「保育園は仮養護施設状態に追い込まれている」と言うのです。

 このままでは学校がもたない。保育園ももたない。共倒れになってゆく図式はすでに見えているのに、「待機児童をなくせ」というかけ声だけが響く。0、1、2歳児は保育園の前で「ここに入りたい」と言って待機はしていない。そのことだけは確認しあわないと、誰も自分自身が見えてこない。

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 菅原さんの本、ぜひ読んでみて下さい。実は私は33ページまでしか行っていないのですが、数行読んで立ち止まってしまう、立ちすくんでしまうような感じです。私も同じようなことを長年言ってきたのですが、菅原さんの言葉は臨場感が違う。人類の叫びが聴こえる。

 再び、保育士一人対0才児三人が良いのか、3対9かという永遠の保育課題に戻って考える。保育が最後の砦なら1対3。家庭という形に希望を失わないのなら、やはり3対9か。1対1は、人類を見捨てないのなら、母親の権利として守る。守ることによって真の絆が生まれる。そんな感じでしょうか。

 仕事だとわかっていても乳児院で愛着関係は必ず生まれる。そうでなければいけない、しかし辛い事になる。辛い別れの繰り返しが子どもの心を支配する。保育園でも毎年担当は変わる。子どもたちは健気だが、よほど親子関係がしっかりしていないと、不信と不安が重なってゆく。そして、体験した淋しさは数年経って現れる。

 1対3か3対9か。国基準には何も書かれていない。保育士と園児の割合しかない。何を感じ、思い、願っているか、知る事のできない0才児は割合でしかない。それが現在の施策と制度。未来は見えないし愛着関係に正解はない。でも、正解を探そうとすれば心は育つ。制度に乳児を任せることはなくなる。

 自治体によっては1人でも認定された障害児がいれば1人加配してくれるところもありますが、まだまだ追いつかない状況です。年齢が上がるにつれて幼児はお互いに引き金を引き合ってしまいます。常に軽軽度の候補者を抱え、保育士も足りず、全国で限界に近づいています。

 保育士の絶対数が足りないことと、派遣会社や大手の株式会社の青田買いが市場競争に慣れていない保育界を突然崖っぷちに追い込んでいます。派遣保育士が当たり前になってくると、保育の概念そのものが崩壊し、ただの託児所になって行きます。

 自治体によって保育格差が大き過ぎます。だから国基準があり、それは最低基準だったのですが、それさえ待機児童解消のために崩され、東京都の認証保育所、横浜市の横浜保育室、子どもの成長や保育士の気持ちは二の次です。都は13時間開所させて、早寝早起き朝ご飯、と言うのですから、もう支離滅裂です。

 政府の市場原理導入で派遣会社が保育界に加わった。全国の保育園に「雇いませんか?」というファックスが毎週送られてくる。子ども第一に考えない未熟な園長をなんとか抑え、指導していた主任やベテランの首が簡単に切られてゆく。まだ未成熟な意識の中に市場原理を入れると自浄作用が働かなくなる。

 派遣会社に登録し保育人生するほうが確かに気楽かもしれない。しかし、それでは幼稚園保育園は親子の故郷になれなくなる。社会は一層根無し草化する。園単位で絆を取り戻すしかない、と園長たちにお願いしてきましたが、派遣会社の参入を許した施策はかなりきつい。保育がただの仕事になってしまう。

FMチャッピーで色々な話題で収録しました。

今日、入間市にあるコミュニティー放送局「FMチャッピー」で、子育て・保育・人間とは?、などなど様々な問いかけに答えてみました。ぜひ、聴いてみて下さい。
まずは
 
2/4月曜日〜2/8金曜日5日間
 
13時〜13時30分のハグパークというコーナーのなかの冒頭、10分間
『子育て相談室』で放送されます。
 
FMチャッピー、77.7Mhz
入間、所沢、狭山、飯能、日高などはFMラジオで77.7Mhz で聴けますが、インターネットラジオがおすすめです。
 
FMチャッピーのホームページから、インターネットでラジオを聞くのボタンをクリックしサイマルラジオでお聴きいただけます。

絵本「からすたろう」

 以前ブログに、息子さんの英一朗君の「海を渡ったLD王子」の講演会のことを書いた溝井夫妻から、その時差し上げた絵本、「からすたろう」感激しました、Facebookで妻がPRしました、とお手紙をいただきました。http://kazu-matsui.jp/diary/2013/01/post-180.html

 私は、ひょっとしてアメリカでカルデコット賞の次席をとった、絵本の世界では古典とも言うべき名作の主人公は、軽度の発達障害児なのではないか、と思って夫妻に読んでもらいたくて差し上げたのです。もちろん、正確なことは誰にもわかりません。人間は全員が灰色の領域に生まれ、その個性と不完全さ故に社会というパズルを組まないと生きていけないし、パズルを組むことを喜ぶ仕掛けになっていると思うのですが、「からすたろう」は話が美しい。
 「学校」という存在の大切さ、そこで何を教わるのか、教師と子どもたちはどう育てあい、育ちあうのか。
 子どもたちの残酷さも含めて、生きている話です。
 人間は,大自然も含めて生きている。

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いい親。

 簡単なことですが、いい親でいたいと思った瞬間、その人はいい親です。「いい親」とは、いい親になりたいと思う人。その「心持ち」「心のあり方」を言う。

 親として迷ったとき、困ったとき、悩んだとき、繰り返し自分に言い聞かせるのです。いい親になりたいと思った瞬間、自分はいい親なんだ、と。

 いい親とは、心の状態であって、目標として目指す種類のものではない。子どもの育ち具合という「結果」で評価されるものでもない。

 親がいい親でも、子どもが悪い友だちを作って社会から様ざまな影響を受け、不幸な道を自ら選んだり、罪を犯したりすることはあります。運命でしょうか。それによって、親が「いい親」である事実がゆらがない。

 いい親であることは、「育て方」とは直接関係ありません。いい親は「いい育て方」を知っている人、「この子にあった正しいやり方を知っている人」と思ったら、入口で間違ってしまいます。「いい親」と「育て方」は基本的に無関係で次元の違うことです。

 子育てに正解はない。こう育てればこう育つ、なんてことがあるなら、人類はとっくにそれを発見している。自分と自分の親の関係をよく考えてみてください。あなたは親の「育て方」の結果ではない。親の「心持ち」の影響を受けているだけです。

 普通に心配しオロオロし、いい親でいたいと願い、自分で考え、できることをやればいいのです。親らしさが育ちます。

 実は、この「親が育つこと」の方が、社会という「子育ての土壌」には大切です。

 親らしさとは子育てから逃げないこと、そしてオロオロすること。いつか子育ては幸せにつながっているということを実感できるようになることです。この道を通って多くの人が「祈り」の次元まで到達できれば、人類は大丈夫なのでしょう。

(「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」より)

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園長設置者の意識の格差

 元気のいい若手園長数名、昨晩やって来て色々話しました。遅れて来た園長は、園児の身の安全のことで児相、警察、祖父母と掛け合ってきたところ。母親の彼氏のDV、その彼氏も養護施設を出て間もなくで事情が複雑です。本気で園児のことを考えいたら、行けども行けども、関わって行かなければならない。

 学校教育の中で起こる出来事を見ていて思うのですが、もともと、モラルや秩序は、動物であり、哺乳類である人間たちが、母親が授乳に専念できる状況を作ろうとする動きの一部であって、それは、損得勘定を捨てることに幸せを見いだすという、子育ての基本と重なっている。

 自分が教えたことを自分の子どもが出来るようになる、そこに幸せを感じる、という進化の本能がモラル・秩序を維持するのですが、モラル・秩序を伝えることがそれを維持するのではなく、伝えようとすることがそれを維持するのでしょう。

 

_DSC5117a.jpg インドの村で見ていると、子育ては五歳くらいまでに子どもを労働力に育てること。親が子どもに教えることが沢山あって、逃げられない。逃げられないと忍耐する。必ず親が育ちます。何万年もの間、人類の忍耐力は子育てで育ってきた。教わる側が何を学ぶかより、教える側がどう育つかの方が重要だった。

IMG_0137.JPGのサムネール画像 保育士1人に2才児は6人。2人で12人は可能、3人で18人はかなり厳しい。4人で24人はほぼ限界を越える。市によっては1人認定された発達障害児がいても保育士の加配はつかないので、一瞬にして、3人で23人保育する状況になります。保育園の学級崩壊はいわば命が危険にさらされること。

 加配を一人からにしないと、国基準はほとんど意味をなさない。しかも、元々2才児を保育士1人で6人、一日平均十時間年に260日気持ちを込めて育てるのは無理です。市場原理導入で、これだけ派遣会社が保育界に食い込んで来たら、3ヶ月や半年、一年で頻繁に担当の保育士が変わり始めます。

 主任やベテランが辞めてしまい、若い保育士だけで認定された2才児3才児と加配なしで、週六日12時間預ける親、その他に必死に対応している保育士たちから涙の相談を受ける。派遣会社が毎週ファックスを送ってこなければ、こんなことにはならなかった。市場原理がこういう環境を作る。限界が近い。

 園長設置者の意識にこれほど格差ができてしまった時代はないでしょう。「福祉はサービス、親のニーズに応えよう」と長時間保育、仕事でなくても親が望めば預かります、という園長もいれば、なんとかこの時期に親の意識を子どもに向けないと噛みつく子がますます増えてくる、という園長もいます。

 良い園もたくさんあるのです。すみません。毎年、何人もの親子の人生が変わるような関わりをして下さっている園長,主任さんもたくさんいます。でも、保育科の学生が実習先で見る現実は、介護士を目指した学生が涙を流しながら方向転換をして行った風景に近づいてきている。しかも、幼児がそこにいる。

 

ss_DSC6932.jpg 保育園の方針で、二歳児とごっこ遊びをすることで親の人生が変わるのを、私は見ました。競争社会に囚われ固まっていた父親の心がフッと融け、言いようのない笑顔があふれるのを見ました。忘れていた幸せのものさしに気づいたとき、自分のいい人間性に気づいたとき、親は安心します。そういう「親心を育てる」園を、私はたくさん知っています。

 

B03_1-90.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像 人類は200万年、哺乳類は2億2500万年、と言っておられたのは菅原哲男さんだったでしょうか。ご著書の「誰がこの子を受けとめるのか」を長田先生に薦められ読んでいます。帯に、家族の愛に等しい養護をめざした「光りの子どもの家」十九年の記録、とあります。

 

 一人の保育士が0才児を3人担当するのか、3人で9人を見るのか,私の師匠たちの間でも意見がわかれる。愛着形成の中心がどこになるのか。しかも、愛着は双方向へ働きます。真の愛着は親に譲らなければ保育ではありません。別れは半年か一年でくる。「保育は常に一対一!」ある園長の叫びです。

 

 不良高校生が保育士体験に行って、3才児に服装を注意される姿を見ました。教頭や校長の言葉に耳を貸さなかった不良が、苦笑いしながら服装を直します。幼児と一緒にいるだけで、人間はいい人間になろうとする。その積み重ねが「社会」だと思うのです。そして、みんなが以前3才児だった。

 

 2007年の厚生労働省の発表。その年ベビーホテルが193カ所新設され、177カ所が廃止・休止。認可外保育施設は594カ所新設され、492カ所廃止・休止。(長田安司先生著「便利な保育園が奪う本当はもっと大切なもの」幻冬舎より)乳幼児は喋れない。こんな仕組み、施策でいいはずがない。

 学校が年に600新設され500廃止になったら、小規模校でも問題になるはず。保育施設だとなぜこんな状況がいつまでも続くのか。役場の認可外保育施設を担当する人が、「問題点を注意しても『おおむね』で始まって『望ましい』で終わるような規則で子どもは守れませんよ」と以前、嘆いていました。

 信念を持った立派な認可外保育施設もあります。講演に呼ばれます。しかし毎年これだけ新設され、これだけ廃止なる仕組みに、大人たちの決定に従い信じるしかない、言葉さえ獲得していない人たちの毎日を委ねている。それに慣れることの恐さをもう少し真剣に考えないと大切なものを失うと思うのです。

 認可外保育施設の現状が保育政策が雇用労働施策であって、子ども優先ではないことを表しています。有資格者で保育士ではない人が90万人。保育士がいないのではない、子どもを思う人たちの良心が施策に歯止めをかけている。すごい国です。米国の幼児虐待数は日本の百倍です。まだ方向転換できます。