いい親。

 簡単なことですが、いい親でいたいと思った瞬間、その人はいい親です。「いい親」とは、いい親になりたいと思う人。その「心持ち」「心のあり方」を言う。

 親として迷ったとき、困ったとき、悩んだとき、繰り返し自分に言い聞かせるのです。いい親になりたいと思った瞬間、自分はいい親なんだ、と。

 いい親とは、心の状態であって、目標として目指す種類のものではない。子どもの育ち具合という「結果」で評価されるものでもない。

 親がいい親でも、子どもが悪い友だちを作って社会から様ざまな影響を受け、不幸な道を自ら選んだり、罪を犯したりすることはあります。運命でしょうか。それによって、親が「いい親」である事実がゆらがない。

 いい親であることは、「育て方」とは直接関係ありません。いい親は「いい育て方」を知っている人、「この子にあった正しいやり方を知っている人」と思ったら、入口で間違ってしまいます。「いい親」と「育て方」は基本的に無関係で次元の違うことです。

 子育てに正解はない。こう育てればこう育つ、なんてことがあるなら、人類はとっくにそれを発見している。自分と自分の親の関係をよく考えてみてください。あなたは親の「育て方」の結果ではない。親の「心持ち」の影響を受けているだけです。

 普通に心配しオロオロし、いい親でいたいと願い、自分で考え、できることをやればいいのです。親らしさが育ちます。

 実は、この「親が育つこと」の方が、社会という「子育ての土壌」には大切です。

 親らしさとは子育てから逃げないこと、そしてオロオロすること。いつか子育ては幸せにつながっているということを実感できるようになることです。この道を通って多くの人が「祈り」の次元まで到達できれば、人類は大丈夫なのでしょう。

(「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」より)

村人/.jpgのサムネール画像

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