園長設置者の意識の格差

 元気のいい若手園長数名、昨晩やって来て色々話しました。遅れて来た園長は、園児の身の安全のことで児相、警察、祖父母と掛け合ってきたところ。母親の彼氏のDV、その彼氏も養護施設を出て間もなくで事情が複雑です。本気で園児のことを考えいたら、行けども行けども、関わって行かなければならない。

 学校教育の中で起こる出来事を見ていて思うのですが、もともと、モラルや秩序は、動物であり、哺乳類である人間たちが、母親が授乳に専念できる状況を作ろうとする動きの一部であって、それは、損得勘定を捨てることに幸せを見いだすという、子育ての基本と重なっている。

 自分が教えたことを自分の子どもが出来るようになる、そこに幸せを感じる、という進化の本能がモラル・秩序を維持するのですが、モラル・秩序を伝えることがそれを維持するのではなく、伝えようとすることがそれを維持するのでしょう。

 

_DSC5117a.jpg インドの村で見ていると、子育ては五歳くらいまでに子どもを労働力に育てること。親が子どもに教えることが沢山あって、逃げられない。逃げられないと忍耐する。必ず親が育ちます。何万年もの間、人類の忍耐力は子育てで育ってきた。教わる側が何を学ぶかより、教える側がどう育つかの方が重要だった。

IMG_0137.JPGのサムネール画像 保育士1人に2才児は6人。2人で12人は可能、3人で18人はかなり厳しい。4人で24人はほぼ限界を越える。市によっては1人認定された発達障害児がいても保育士の加配はつかないので、一瞬にして、3人で23人保育する状況になります。保育園の学級崩壊はいわば命が危険にさらされること。

 加配を一人からにしないと、国基準はほとんど意味をなさない。しかも、元々2才児を保育士1人で6人、一日平均十時間年に260日気持ちを込めて育てるのは無理です。市場原理導入で、これだけ派遣会社が保育界に食い込んで来たら、3ヶ月や半年、一年で頻繁に担当の保育士が変わり始めます。

 主任やベテランが辞めてしまい、若い保育士だけで認定された2才児3才児と加配なしで、週六日12時間預ける親、その他に必死に対応している保育士たちから涙の相談を受ける。派遣会社が毎週ファックスを送ってこなければ、こんなことにはならなかった。市場原理がこういう環境を作る。限界が近い。

 園長設置者の意識にこれほど格差ができてしまった時代はないでしょう。「福祉はサービス、親のニーズに応えよう」と長時間保育、仕事でなくても親が望めば預かります、という園長もいれば、なんとかこの時期に親の意識を子どもに向けないと噛みつく子がますます増えてくる、という園長もいます。

 良い園もたくさんあるのです。すみません。毎年、何人もの親子の人生が変わるような関わりをして下さっている園長,主任さんもたくさんいます。でも、保育科の学生が実習先で見る現実は、介護士を目指した学生が涙を流しながら方向転換をして行った風景に近づいてきている。しかも、幼児がそこにいる。

 

ss_DSC6932.jpg 保育園の方針で、二歳児とごっこ遊びをすることで親の人生が変わるのを、私は見ました。競争社会に囚われ固まっていた父親の心がフッと融け、言いようのない笑顔があふれるのを見ました。忘れていた幸せのものさしに気づいたとき、自分のいい人間性に気づいたとき、親は安心します。そういう「親心を育てる」園を、私はたくさん知っています。

 

B03_1-90.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像 人類は200万年、哺乳類は2億2500万年、と言っておられたのは菅原哲男さんだったでしょうか。ご著書の「誰がこの子を受けとめるのか」を長田先生に薦められ読んでいます。帯に、家族の愛に等しい養護をめざした「光りの子どもの家」十九年の記録、とあります。

 

 一人の保育士が0才児を3人担当するのか、3人で9人を見るのか,私の師匠たちの間でも意見がわかれる。愛着形成の中心がどこになるのか。しかも、愛着は双方向へ働きます。真の愛着は親に譲らなければ保育ではありません。別れは半年か一年でくる。「保育は常に一対一!」ある園長の叫びです。

 

 不良高校生が保育士体験に行って、3才児に服装を注意される姿を見ました。教頭や校長の言葉に耳を貸さなかった不良が、苦笑いしながら服装を直します。幼児と一緒にいるだけで、人間はいい人間になろうとする。その積み重ねが「社会」だと思うのです。そして、みんなが以前3才児だった。

 

 2007年の厚生労働省の発表。その年ベビーホテルが193カ所新設され、177カ所が廃止・休止。認可外保育施設は594カ所新設され、492カ所廃止・休止。(長田安司先生著「便利な保育園が奪う本当はもっと大切なもの」幻冬舎より)乳幼児は喋れない。こんな仕組み、施策でいいはずがない。

 学校が年に600新設され500廃止になったら、小規模校でも問題になるはず。保育施設だとなぜこんな状況がいつまでも続くのか。役場の認可外保育施設を担当する人が、「問題点を注意しても『おおむね』で始まって『望ましい』で終わるような規則で子どもは守れませんよ」と以前、嘆いていました。

 信念を持った立派な認可外保育施設もあります。講演に呼ばれます。しかし毎年これだけ新設され、これだけ廃止なる仕組みに、大人たちの決定に従い信じるしかない、言葉さえ獲得していない人たちの毎日を委ねている。それに慣れることの恐さをもう少し真剣に考えないと大切なものを失うと思うのです。

 認可外保育施設の現状が保育政策が雇用労働施策であって、子ども優先ではないことを表しています。有資格者で保育士ではない人が90万人。保育士がいないのではない、子どもを思う人たちの良心が施策に歯止めをかけている。すごい国です。米国の幼児虐待数は日本の百倍です。まだ方向転換できます。

 

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