弱者と強者の距離が遠のいていく

ダウン症で知的障害を持っているK君と、自閉症のR君、そしてR君のお母さんと園長先生、この四人で、講演の後、給食を食べたのです。

「ほんの1時間くらいだったのですが、私が10歳くらいから色々身に付けてきた世渡りの術は、ほとんどK君には役に立ちません。私の本質しか見られていないような気分です。磨いてきた技術ではどうにもならない、裸にされたような感覚。
たぶん、園長先生はこの時間を、私に過ごさせたかったんだな、と思いました。すべての人間がパズルのように組み合っている。言葉で言うだけでなく、実感させたかったんだな、と思いました」

今回アップした松居和チャンネルは、「園長先生とK君、そして、政治家の集まり」。
副題は、〜弱者と強者の距離が遠のいていく〜、です。

子育ては、自分が倒れたら「この子」は生きていけない、という恐怖を感じることかもしれません。小さい子を、可愛がるほど、そう思う。
その気持ちが、家族や村社会、部族を経て、国家にまでつながっていった。

国家が支配し、「仕組み」を作りはじめた頃、「生きるための動機」が少しずつ曖昧になり、人々は自らの「人間性」を「損得勘定」に置き換えようとしたのです。でも、それでは納得しない人たちがいる。私たちの「本質」を見ている人たちがいる。
それに気づかない政治家たちが、その子たちの運命を決めている。
その瀬戸際に、私たちは立っている。

不思議な出会いと、タイミング・ 両界曼荼羅

火曜日の午後7時は、松居和チャンネルの新しい回がオンになる時間です。

このメッセージから、何か、いいことが起こってくれたら、と思う気持ちがあるので、時間になるとドキドキします。

今回アップした松居和チャンネル、第30回は、「園長先生とK君、そして、政治家の集まり」。

副題は、~弱者と強者の距離が遠のいていく~、です。

人生には、不思議な出会いとか、タイミングがあって、道筋が示唆されます。チャンネル登録、拡散、宜しければ、ぜひ、ぜひ、お願いします。

以前、ある公立保育園に講演に行った時のことです。

「お父さん2人お母さん20人くらいに話をし、その後、お昼に給食を食べました。園長先生が用意してくれた私の席は、ダウン症で知的障害を持っている年長組のK君と、自閉症のR君、そしてR君のお母さんと四人で食べる席でした。

K君は両親が離婚して父親がいない家庭で過ごしていることもあってか、園についた時から私にくっついていました。」

不思議な一日、出会いの物語りが始まります。

 

市民公開講座は、無料で、誰でも入れます。

幼な子が来るのを止めてはいけません

https://youtube.com/shorts/61FeRGHms4w?si=AQsp5pkwOC91tudE

園長から送られてきたリンクです。ぜひ、見て下さい。

単にこう言うことなんです。人間社会は。

政府が、11時間保育を標準とするなど本当に馬鹿げている。母子分離を進める政治家や、保育で儲けようとする連中が幼児たちの「役割」を奪う。保育学者が、「専門性」とか「自己肯定感」などと訳の分からないことを言ってそれを正当化する。

幼な子が来るのを止めてはいけません。

 

「解放」されないと、道筋は見つからない

親たちの、「可愛がる」喜びが、子どもたちの、「信じる力」につながっていく。守られて育った人間は、社会とまわりの人間を信頼する。人を信頼することが、やがて自分を守ってくれる。

それを知っているから、一人の若い保育士が、担当している年長さんが「学校」に入ることを心配し、涙ぐんでいた。


仕組みに支配されていることに気づいて、「解放」されないと、道筋は見つからない。マイルスが音楽でしたように……。

こんな保育士たちが、まだ全国にいる間に、親たちが結束してこの人たちの「思い」を支えなければいけない。
そのためにも、チャンネル登録、拡散、推薦、お願いします。思考の飛躍が必要なのです。根っこで繋がっている、という意識が戻ってこないと、制度によって「人間性」が作られるようになってはいけない。

「神話の再生と音楽」不思議な会話

多くのハリウッド映画のサウンドトラックに参加しました。
第17回、「神話の再生と音楽」。(チャンネル登録も忘れずに。)
映像に、「音楽」をつける、というシャーマン的な行為の中で、色々と不思議なことが起こる。「人間が信じ合う」ことが「創造」につながる、子育てにも似たその過程が、監督エド・ズイック、作曲家ジェームス・ホーナーの会話に見える。
私という人間がそこに居たから、伝えることができる。それもまた、「創造」につながる「信頼」の一部なのでしょう。運命的な、「楽しみや喜び」、それが神話の再創造へつながっていく。
取り戻すべき「感覚」がある。そのことを、広めてほしいのです。チャンネルの登録、推薦、拡散、ぜひ、お願いしたいのです。
チャンネルへのリンクです。
https://youtu.be/be5XSpLUrg4
https://youtu.be/be5XSpLUrg4

中学生たちの宣言

講演で、中学生たちに、「私が、一人で公園に座っていたら、変なおじさん、だけど、二歳児と座っていたら、『いい、おじさん』」と説明する。

この不思議な、相対的関係が、生きる動機なんです、と、彼らの生命力を掻き立てる。チャンネル第21回で、中学生たちの、感想文をいくつか読みました。それは、新しい命に感謝すること、に対する彼らの宣言でもある。

彼らの宣言を広めて下さい。

チャンネル登録、お友達、議員、できるだけ多くの人たちに、シェア、推薦をお願いいたします。

 

太古の調和かもしれない……。

マイルス・デイビスと民主主義

 アメリカという国で誕生した「ジャズ」という音楽に、巨大な足跡を残し、大統領さえ一目置く男、世界中で、一番名の知れたミュージシャンだったかもしれない。
それでも、シェリフは、気が向くと待っていて、「止まれ」と命じた。

彼が演奏している音楽は、はじめは混沌のように聴こえ、バンドメンバーが持つそれぞれの意思で、いきなり旋律から遠ざかっていく。
しかし、同じ森の中にいるかのように、そこには一体感がある。
この魅力は何だろう。
現代音楽の苦悩に近いハーモニー(調和)とは出所が違っている。
やすやすと飛び越えてくる。
太古の調和かもしれない……。

(追記)
マイルスの音楽が、畑の中の公民館で、一斉に「解放」される保育士たちの思い出と、いまでも重なる。
彼女たちの「生きる動機」は、それほど変わってはいない。

「制度」や「仕組み」を考える人々の意識の中に、音楽でマイルスが探した道筋が現れてこないことが、私たちを、「母子分離」政策というとんでもなく非人間的な政策と対峙しなければならない状況へ追い込んでいる。

「マイルス・デイビスと民主主義」

松居和チャンネル第29回は、

「マイルス・デイビスと民主主義」 ~利権と、音楽の狭間で、探し物をした人~

私の音楽人生を振り返りながら、ピアニストのジョー・サンプルとの話から入ります。

黒人ミュージシャンにとっての「差別」の現実。私自身、その中で、闘った記憶。

日本語の、「敬語の使い分け」における「縛り」が、モラルと秩序を支えていること。それが、弱者、特に子どもを優先する社会を維持するのに役立ってきたこと。

そのあたりから、伝説のトランペッター、マイルス・デイビスの音楽と、民主主義の関係について話が進みます。

「自由」の感触に、階級闘争の次元ではなく、「音楽」という手段で、もっとも近づいたかもしれない男が、白人の保安官(シェリフ)の嫌がらせを止めることができない。警察官(ポリス)なら止められたはず。でも、同じ色の車に乗っていても、選挙で選ばれた地元の保安官が相手では、逃げられない。

……皆がそれを知っている。

それが、その国の仕組みでした。

「解放」とは、制度や仕組みの縛りから、古(いにしえ)のルールに戻ること。そう考えた方が、いい。

そのマイルスの、音楽における「探し方」が、畑の中の公民館で、一斉に「解放」された保育士たちの思い出と重なって、私は、今でも彼女たちと、「その瞬間」を体験することができる。

音楽は常に背後に流れていて、彼女たちの「生きる動機」も、変わらない。

「制度」を打ち破る時に必要な、弱者を慈しむ人間の本能は、ずっと存在している。

その秘密について、ぜひ、チャンネルを開いてみて下さい。

制度を支配する理論や理屈を離れる「手段」として、私たちは、すでに「音楽」を手にしている。

道筋を照らす者たち、幼児を授かり続けること、と同じです。

子ども扱いするということは、「神様扱いする」ということ

先日、新潟で行われた神社保育の研修大会で、私の講演の前に、「日々の誓い」が読まれました。
それが、とっても良くて、感動しました。
そう、保育は、子育てです。そして人類は、「子育て」を中心に、日々、生きる誓いを立ててきた。

「日々の誓い」

私たちは次の三ヶ条を誓い、
日々その実践に努めます。

一、  私たちは、
授かった子どもを神さまといつくしみ、
ともに和み(なごみ)つつ
保育にいそしみます。

一、  私たちは、
鎮守の森のすばらしさにふれ、
生命(いのち)の尊さとつながりに
気づかせるようにつとめます。

一、  私たちは、
日本の歴史や伝統を大切にし、
誇りと思いやりをもって
子どもたちに接します。

(ここから私)
「授かった子どもを神さまといつくしみ、ともに和み(なごみ)つつ」、と誓っている。そうだ、保育は、神様たちと「和む」ことなんだ。
もちろん、親もそうでなくては、いけません。

新しく教わったのは、幼稚園、保育園は、「鎮守の森」だということ。人間たちの、魂を鎮め、守るところ。「生命(いのち)の尊さとつながりに、気づかせる」ところ。

そして、保育者たちが「日本の歴史や伝統を大切にする」と誓う。
これは、子ども中心に、子どもを可愛がるこの国の文化、習慣、子どもたちを優先する、利他の伝統を大切にする、ということ。保育指針にも、書いてある。

その「歴史や伝統」を政治家たちが忘れているから、母子分離策が、政府の方針として広がって、いよいよおかしなことになっている。子どもたちと「和む」伝統を、「誰でも通園制度」などと言って、無理に壊そうとする。
そこに、愛国心がない。

その晩の懇親会で、園ごとの「出し物」がありました。
保育団体の懇親会における保育者たちの出し物は、いいんです。気持ちがこもっているんです。真剣で、楽しそう。いつも、園児たちに教えているから、本気で踊ることが習慣になっている。
来賓や、他園の理事長や、神社庁の長官を「踊り」に誘い出す。それが、上手い。私も、講演で使い果たしたエネルギーを搾り出して、一つ、踊りました。
そして、気付いたのです。

人間を、子ども扱いするということは、「神様扱いする」ということらしい……。

 

「血のつながり」というインクルーシブ

欧米社会で、急速に、「血のつながり」という意識が失われていく。「血縁」に基づく「インクルーシブ」が消えてゆく。その流れを見ていると、子育てや家庭に関係する「制度」、「新たに作られた仕組み」の怖さを感じる。

今回の松居和チャンネル、第28回のテーマは、「制度が「血縁」を壊す」としました。副題は、~FAS(胎児性アルコール症)と子育ての社会化~です。

欧米で、里親、養子縁組制度が当たり前になってくる中で、妊娠中の胎児の発達障害が、人間の意識から「先祖」が消えることの危険性に、警告を発する。

保育制度も然り。一度、負の連鎖が始まり、それに市場原理が加わると、さらに「制度」で対応していくしかなくなってくる。一度設定した「量的」要求を満たすために、規制緩和が行われ、その過程で、「育てる人材」が質的にも、量的にも確保できなくなってくる。

「親らしさ」が失われると、子育てを「制度」で代替するしかなくなってくる。それが人類全体に起こっている未体験の「危機」。

母子分離政策で、少子化を進めるのが、「子どもの権利条約」違反であるように、子どもたちの「生きる力」を、政府が義務教育や保育制度で奪ってはいけないのです。最近の教師不足や、小学校の教室及び職員室における混沌を見ていると、「会話」が噛み合っていない。乳幼児期に、一対一で理解しようとしてくれる人がいない時間が長く続くと、言葉を超えた、「気持ち」でコミュニケーションすることが苦手になる。そういう人たちが、すでに、教師や保育者になって、愛着障害と思われる子どもたちとぶつかっている構図が見えてくる。

欧米に比べてはるかに状況がいいのに、日本では、政府に促され、幼児期の自分の子と日に11時間、年に260日離れる道を選ぶ親が半数近くになり、仕組みが限界に来ている。「子育て」に対する意識の変化は、人類にとって最大の危機になることに気づいてほしい。

制度で「血縁」を壊しておいての「インクルーシブ」は、偽物、見せかけの「言い逃れ」「誤魔化し」でしかない。日本のように、まだ家庭に実の父親がこれだけいる「血縁に準ずるインクルーシブ」が本来の姿だと思う。