「愛着障害」は、子どもの罪ではないし、責任でもない

今週の、松居和チャンネル、第44回「光の家からのメッセージ」は、文芸春秋社の「日本の論点」、国会議員全員に配られたという、衆議院発行の「論究」に依頼を受け、書いた、私の論文を紹介しました。

小学校入学時における判定で、発達障害から一歩踏み込み「愛着障害」に言及すれば、子どもたちの「育ち」を問うことになる。

就学前の子どもにとって、それは、主に「母子関係」で、「女性の社会進出」という言葉とぶつかる。(政府の「雇用労働施策」とぶつかる、と言うべきか。)

それ故に、皆が躊躇した。愛着障害の広まり、という緊急、かつ立体的課題に向き合うことを避け、後回しにした。そして、学校教育が限界に達してしまった。

少子化対策に名を借りた「雇用のための母子分離」に正当性が無いことを、誰かが、言わざるを得ない。これ以上、子どもの人生、教師や、保育者の心を犠牲にするわけにはいかない。

忘れてはならないのは、「愛着障害」は、子どもの罪ではないし、責任でもない、ということ。

 

国会議員全員に配られたのです。読んでいるかは別にして、ここまで保育の質の低下や、学校教育の人材不足が報じられているときに、この重要な問題に、興味がなかった、知らなかった、ではもう済まされない状況なのです。

(論究は、衆議院のホームページで読むことができます。)