「心の清らかな人」の存在が輝く時

今週の、松居和チャンネル、またまた、火曜日です。よく、続いていますね。チャンネル登録、よろしく、お願いします。

第43回は、以前、哲学者の鷲田清一さんがコラムに、私の書いた言葉を取り上げてくれたこと。それを読んだ奈良の師匠が手紙をくれた話です。

150年前に日本に来た欧米人が、私たちに伝えようとする、「本当の日本」について。伝承が時空を超えてつながります。そこに、人間のコミュニケーション能力の凄さ、感動します。

欧米人→書き残した文献→渡辺京二さん(逝きし世の面影)→私→鷲田清一さん→竹村先生→松居和チャンネル→このあと、A.I.を通して、また欧米に繋がったりして。

さて、本題。

赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思う。その責任を感じたとき、人間は、自分の価値に気づく。日本は、そういう国だった。その伝統を、思い出してほしい。その伝統を、もう一度、楽しんでほしいのです。

それが、このチャンネルを私がやっている理由です。私もまた、自浄作用、自然治癒力の一部になりたい。

仕組みによる子育てが広がると、社会が「子どもの泣き声」に鈍感になっていく。それは、「人間性」を失っていくことでもあるのです。師匠はそれを言いたかった。人類に必要な感性が薄れ、「心の清らかな人」の存在が一番輝く時に、その存在にさえ気付かなくなる。保育に、人生を捧げてきた師の自戒の念がそこにあります。

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それはママだけではない。聴いた人たち全ての責任なのです。

聞き流したり、理屈をつけて、その「訴え」に慣れると、社会を支えていた「絆」が、どんどん薄れ、混沌、殺伐としてくる。(スウェーデンの犯罪率は、日本の20倍。)

いま、日本でも、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しい。その思いで、「ママがいい!」を書きました。

 

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