12月14日、私の作ったドキュメンタリー映画の上映会があります。ヘルシーカフェのら、で16時から。千円でワンドリンク付き。私の解説と尺八演奏付き、です。こちらまでお問い合わせください。 norakomine@yahoo.co.jp

(上映会を開いてくれる方、ご連絡ください。無料です。なるべく私も参加します。matsuikazu6@gmail.com)

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今週の、松居和チャンネル、第44回「光の家からのメッセージ」は、文芸春秋社の「日本の論点」、国会議員全員に配られたという、衆議院発行の「論究」に依頼を受け、書いた、私の論文を紹介しました。
小学校入学時における判定で、発達障害から一歩踏み込み「愛着障害」に言及すれば、子どもたちの「育ち」を問うことになる。
就学前の子どもにとって、それは、主に「母子関係」で、「女性の社会進出」という言葉とぶつかる。(政府の「雇用労働施策」とぶつかる、と言うべきか。)
それ故に、皆が躊躇した。愛着障害の広まり、という緊急、かつ立体的課題に向き合うことを避け、後回しにした。そして、学校教育が限界に達してしまった。
少子化対策に名を借りた「雇用のための母子分離」に正当性が無いことを、誰かが、言わざるを得ない。これ以上、子どもの人生、教師や、保育者の心を犠牲にするわけにはいかない。
忘れてはならないのは、「愛着障害」は、子どもの罪ではないし、責任でもない、ということ。


国会議員全員に配られたのです。読んでいるかは別にして、ここまで保育の質の低下や、学校教育の人材不足が報じられているときに、この重要な問題に、興味がなかった、知らなかった、ではもう済まされない状況なのです。
(論究は、衆議院のホームページで読むことができます。)
谷川俊太郎さんが亡くなった。謹んで、お悔やみ申し上げます。
ありがとうございました。
以前、本に推薦文を書いていただきました。
今頃、堀内誠一さん、安野光雅先生やラマチャンドランさん他、たくさんの仲間たちと語り合っているのでしょうね。親父もそこに居て、石井桃子先生やエンデさんもいるのかな。
みんなが順番に座ったソファが、うちにあります。
ラマチャンドランさんは先日、逝きました。

「家庭崩壊、学級崩壊、学校崩壊」への推薦の言葉:
「うーんと唸りました。読み進める私のアタマには?と!が交互に現れます。でも松居さんは保育の現場から考えているから、この本の中の具体的な「言葉」には、この時代の抽象的な「決まり文句」を突き崩す強さがあります。」詩人 谷川俊太郎

三原じゅん子さん、今回の組閣で、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助) になりました。根性ありそうだし、頑張って欲しい。言うべきことは、伝えてあります。これは、9年前の自民党TV:カフェスタ189@女性局~児童虐待問題を考える~
ゲストは、私です。
「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それは聴いた人全ての責任です。そう、150年前の日本人たちが語りかけてくる。
聞き流したり、理屈をつけて、その「訴え」に慣れると、社会を支えていた「絆」が、どんどん薄れ、混沌、殺伐としてくる。(スウェーデンの犯罪率は、日本の20倍。)
日本でも、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しい。その思いで、「ママがいい!」を書きました。
政府の制度設計が、11時間保育を「標準」と名づけ、保育指針や国連の子どもの権利条約にある、「子どもの最善の利益を優先する」という人類普遍の法則を、乱暴に壊していった。
「保育は成長産業」という政府の閣議決定。彼らが目指す「新市場」で起こりつつある「保育バブルの崩壊」は、家庭崩壊、児童虐待、学級崩壊に直結している。しかしこども家庭庁は、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、といまだに言い続ける。
報道は、されていた。
保育士不足の蔓延と弊害は、20年前から、知られていた。しかし、都合を優先することに慣れ、子どもたちの「願い」に鈍感になっていった。そして、首相が国会で、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と言い、現場を無視したアベノミクスに、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が重なって、与野党、マスコミが、こぞって母子分離を「正論」にしていった。
(「当時の、待機児童が2万人」。「欲得の動機」は、見えていた。)


今週の、松居和チャンネル、またまた、火曜日です。よく、続いていますね。チャンネル登録、よろしく、お願いします。
第43回は、以前、哲学者の鷲田清一さんがコラムに、私の書いた言葉を取り上げてくれたこと。それを読んだ奈良の師匠が手紙をくれた話です。
150年前に日本に来た欧米人が、私たちに伝えようとする、「本当の日本」について。伝承が時空を超えてつながります。そこに、人間のコミュニケーション能力の凄さ、感動します。
欧米人→書き残した文献→渡辺京二さん(逝きし世の面影)→私→鷲田清一さん→竹村先生→松居和チャンネル→このあと、A.I.を通して、また欧米に繋がったりして。
さて、本題。
赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思う。その責任を感じたとき、人間は、自分の価値に気づく。日本は、そういう国だった。その伝統を、思い出してほしい。その伝統を、もう一度、楽しんでほしいのです。
それが、このチャンネルを私がやっている理由です。私もまた、自浄作用、自然治癒力の一部になりたい。
仕組みによる子育てが広がると、社会が「子どもの泣き声」に鈍感になっていく。それは、「人間性」を失っていくことでもあるのです。師匠はそれを言いたかった。人類に必要な感性が薄れ、「心の清らかな人」の存在が一番輝く時に、その存在にさえ気付かなくなる。保育に、人生を捧げてきた師の自戒の念がそこにあります。
「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それはママだけではない。聴いた人たち全ての責任なのです。
聞き流したり、理屈をつけて、その「訴え」に慣れると、社会を支えていた「絆」が、どんどん薄れ、混沌、殺伐としてくる。(スウェーデンの犯罪率は、日本の20倍。)
いま、日本でも、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しい。その思いで、「ママがいい!」を書きました。
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松居和チャンネル第18回でお話しした「四歳児完成説」。私は、4歳児が一番完成している人間と決めました。
「頼り切って、信じ切って、幸せそう」そこに、宗教の求める、人間の姿がある。親鸞聖人も「頼り切って、信じ切って、幸せになりなさい」と言いました。4歳児くらいを拝み、目標にする。
それを、小学生に体験として教える。
「駆け引きのない」「裏表のない」そういう関係、「私利私欲のない」関係を周りに数人持っていれば、自分は一生幸せに暮らせるんだ、と幼児たちは人間に理解させる。
卒園児が成人式に、園に集めて「お泊まり保育」のビデオを見せる園があるのです。一人では生きられなかった。でも、「自立する」とか、「一人前になる」とか、そういうこととは関係ないところに、「幸せ」がある。それが「自分の姿」で見えるのです。
日本の親たちが週に一度でいい。「僕も、私も、昔はこうだったんだなー」と思って子育てやってれば、子育てなんて大丈夫。この国も、大丈夫。
自分が、絶対に一人では生きられなかった、ことを思い出す。全員が、三歳だったことがある。「おんぶしてー。抱っこしてー」って言ってた。そう思うことで、絆が、世代を超えていく。
親心もそうですが、最近、『祖父母ごころ」が、もっと人間から遠ざけられている。子どもたちを叱れない心、「寄り添う」心を、もう一度耕し直さないといけません。経済優先で「母子分離」を進める、今の「福祉」は、子どもたちに、まったく寄り添っていない。
こども家庭庁は「性別役割分担意識からの脱却」を「働き方改革」と宣言している。
保育界が「女性らしさ」で成り立ってきたことを知らない。「長時間保育は子どもが可哀想」と思う「母性」を、人権とか「男女平等」という机上の論理で否定され、いい保育士たちが辞めていった。

これからの日程です。講演会、上映会があります。このブログやチャンネルの推薦、拡散、ぜひ、お願いいたします。
【2024.11.27】松居和先生子育て特別講演会トポスターチラシ-2





昨日、日本助産師会関東地区の研修会で、静岡で講演しました。

常日頃から、命の誕生に関わっている人たちです。ですから、元気で、根性があって、生き生きしています。
子育ての「始まり」のところにいる保育士たち、助産師さんたちが、012歳を長時間母親から引き離すのは「可哀想」という意識、「母性」を、自信を持って取り戻してほしい。「意識改革」を主導してほしい。
そう思って、私も一生懸命話しました。
彼女たちの母性が、教育長や市長を説得した時、社会は、再び「子育て」でまとまるようになると思う。それには、親子に最初に話しかける「助産師」さんの存在は、大きいのです。
親身な助産師さんに救われる、人生を導かれる一家がたくさんあるのです。
この人たちが最初の道筋をつけ、それが幼稚園や保育園に繋がり、親心の「ビオトープ」として回り始める。
そんな風になるように、よろしくお願いいたします。
(動画は、懇親会で踊られた「お産、サンサン踊り」です。こういう不思議な光景に出逢います。私のように、不思議な講演をしていると。😀)


松居和チャンネル第42回は、ガムラン音楽について話しました。その最後に、番外編で、先日やった「不思議なライブ」のサウンドチェック風景を添えておきました。
こういう次元は、いい。
ガムランの存在意義にも重なる。
ギターの中脇さんは、松居和チャンネルを始めるように薦めてくれた人。パッフィーとキャリーピャムピャムのプロデューサーで、ずっと以前、高校時代に、私のアルバムをすり減るほど聴いてくれた人。
この晩は、マドンナと20年ツアーしていたドナさん、GlayのTAKUROさん、ボーカルのアルマさん、それぞれの違った道筋が交差して、人生一度きりの「響」を献奏しました。
音楽は、人間に、「時の流れ」と「運命」を感じさせます。信頼関係があると、「出会い」は無限の可能性を持つ。その期待感が、生きる動機になっていく。




原宿で、ライブの打ち上げ後の四人。
ヨガの先生で歌手、マドンナと20年ツアーしたドナ、タブラ奏者のJosse、私とプロデューサー兼ギターの中脇さん。(パッフィーのプロデューサー)
私的なピンク・フロイドという空間が、とても心地良かったです。ドナの応援に駆けつけたGlayのTAKUROさんのギターも良かった。
私が、音楽は時々で、普段は、講演して本を書いている言うと、当然「何について?」と聞かれる。
「アメリカを絶対真似しちゃいけない、って話さ」と言うと、「おー」と言って大喜び。
ヨガと尺八は国境を超え、話が弾みます。
「詳しくはFBの翻訳機能を使って」と頼み、
いい夜でした。
「不思議な楽器群が、インドネシアから運ばれ、それが地下室にあることなど想像もしなかった学生たちが、偶然このアンサンブルに加わる。」
この「手法」を発見し、練習室で起こる現象(phenomenon)を体験する。
「法律や政治経済を専攻し、闘う手法を教わって、密かに自信を持ち始めていた彼らの意欲が、揺れる音階で中和され、鎮まる。」
「それまで知らなかった自分を体験し、それを使いこなせるような気がする。」
この道筋と手法を知れば、孤独とは無縁の人生が開ける。その手法を、人間はすでに与えられている。人類はすでに様々な手法を発見し、それを磨いて来たのに、最近、それを見失おうとしている。
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