仕事2(返信と再返信)大酋長ジョセフ

前回ブログに書いた文章を数人の友人に送りました。「こんな文章を書きました」と書き添えて。私にとってご意見番ともいえるひとたちに。

前回の文章は以下の通りです。

 子どもを産み、育てるということは、人間が宇宙から与えられた最も尊い仕事であったはず。それは宇宙との対話であり、自分自身を体験することであり、生きている自分を実感し、人生の意味を理解する道でもあった。人間は、自らの価値を知ることで納得する。

 もっと尊い仕事は、子どもが親たちを育てること。それは宇宙の動きであり、自分自身を体現すること。一人では生きられないことを宣言し、利他の道を示すこと。知ることは求めること、と気づいたひとたちを癒すために。

返信

メールありがとうございます。文末の部分、「知ることは求めること、と気づいたひとたちを癒すために。」が、私にはまだ分かりませんでした。仏教の言葉で「忘己利他」(ぼうこりた)というものがあるそうですね。最近知りました。

再返信

その通りです。ありがとうございます。

忘己利他という言葉は知りませんでした。まさにそれかもしれませんね。

無心まで到達するのは難しいけど、自分が無心だったことに気づくことはできるかもしれない。知ることが、欲とか、選択肢とか、執着につながり、遠回りを人類は選ぶのだけれど、その過程で幼児という癒しがあれば大丈夫、というような意味で書いたんです。

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 ふと思いついて書いた文章だったのですが、そのきっかけとなったのは一昨日茅野市で行われた講演会でした。絵本ワニワニのシリーズで人気の妹(小風さち)が創作について話し、そのあと児童文学者である父(松居直)が話して、三番目に私が講演するという企画でした。私は25年、父は50年近く、妹はここ数年ですが講演を積み重ねて来て、お互いの講演は聴いたことがない親子でした。3人が親子であることも、それぞれの講演会に来たひとたちはほとんど知らなかったと思います。妹はペンネームを使っていますし、私は絵本や児童文学についてほとんど話をしません。偶然、茅野市は三人とも縁があってこういう企画になったのだと思います。当然、児童文学や絵本に興味を持っているひとたちが聴きにくる可能性が高いと思われました。

 私も,児童文学について少し話そうと思い、一週間くらい前からいろいろ考えていたのです。ナルニア国物語などで顕著ですが、ある一つの掟みたいなものがあって、しかしそれ以前に存在していた、にもかかわらず忘れられていた、古い「掟」「約束事」「法則」のようなものが存在するという話が児童文学の中によく出てきます。ナルニア国物語の場合は、「新約」と「旧約」という聖書の伏線があるのでわかりやすいのですが、キリストとイメージが重なるアスランが石舞台である約束事によって犠牲的に死んだあと、もう一つ古い約束によって蘇ります。

 ローズマリー・サトクリフの「太陽の戦士」では、青銅の民が鉄の民に支配されてゆく過程で、主人公の少年ドレムが精神的よりどころを奴隷である石の民に求めます。ドレムは追放された後に石の民たちとの交わりをもつのですが、そこまでの苦難の道で一番の友人が言葉の話せないノドジロという犬なのです。

 石器、青銅器、鉄器という違った時代の価値観と人間が社会を形成するよりどころが、幸福論や生きる力をどう変えてきたかを暗示的に書いている素晴らしい児童文学です。現代社会、中世、古代、もっと遡るとほぼDNAが記憶している「約束事」というあたりまで「法則」は存在している。最終的にはノドジロとの関係が主人公の生きる力になっている。児童文学だからこそ表現出来た歴史文学で著名なサトクリフの歴史観、文明論がそこにあります。人間が進化し続けるかぎりそれに寄り添うシャーマンの存在意義も見逃せません。

 私の思考は、このあたりの児童文学に確かに影響を受けていて、そんなことを講演で話してみようかな、と考えていた時に、前回のブログに書いた文章が浮かんだわけです。

 「最も尊い仕事」があって、しかし、さらに「もっと尊い仕事」がある、というのが、この忘れられていても存在する「掟」「約束事」「法則」のことです。

 0才児は一律しゃべれない。一律の者には一律の役割がある。その一律の役割が古い「法則」であろう、という推測の元に私のサティアグラハは進むのです。サティアグラハはマハトマ・ガンジーが創り出したヒンズー語の造語で、絶対真理・よりどころの法則、それさえ動かなければ闘い方は自ずと見えてくる、という意味のもので、私はそれを0才児の存在意義ということにしています。絶対的弱者が強者の人間性を育てるというのも、ガンジーのアヒンサー(非暴力)に基づいているといえるでしょう。

 ブログですから、ちょっとした非論理性と飛躍は許されるでしょう。もっと間を埋めて説明しなければいけないのですが…。

 幼児の絶対性・普遍性というのは、私がこれだけたくさん幼稚園や保育園に毎年でかけて行く者だから感じることかもしれません。その中に古代の法則が見えるのです。ああ、この人たちと人間は対面して生きてきたのだなあ、と乳幼児を見ながら思うのです。

 私が、4歳児完成説を言うのも、それが実はもともと0歳児完成説であったのも、アスランやドレムが「隠されている古い『約束事』を考えよ」と私に言い続けているのかもしらません。

 これは実在したアメリカインディアンの大酋長ジョゼフの言ったことなどともよく重なります。

 ジョセフの学校教育に対する見方は、それがチャップリンのモダン・タイムスに影響を及ぼしたと云われるガンジーの文明論をよりいっそう古代へと進めます。

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大酋長ジョセフと学校(『なぜ私たちは0才児を授かるのか』からの引用です。) 

 先生が子どもたちに「夢を持ちなさい」という。その先生たちに、「先生は夢を持っていますか?」と質問すると言葉につまってしまう。「昔は、こんな夢を持っていました」「退職したらこんなことをしたい」といった答えが多かったのです。こうした矛盾に囲まれて子どもたちは生きています。伝承のプロセスに信頼関係が薄いのです。

 私の好きなインディアンの大酋長にジョセフという人がいます。150年くらい前に生きた人です。あるとき、ジョセフが白人の委員とこんな会話をしたのです。

 ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。

 「なぜ学校はいらないのか?」と委員が尋ねた。

 「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。

 「教会はいらないのか?」

 「いらない。教会など欲しくない」

 「なぜ教会がいらないのか?」

 「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」(『我が魂を聖地に埋めよ』ブラウン著、草思社)

 もともと西洋人が学校教育を作った背景には、識字率を上げ聖書を読める人を増やす、という目的がありました。アメリカ大陸にきて、「神」を知らないインディアンを西洋人は不幸な人、野蛮な人と見、学校教育が必要だと考えたのです。

 ところがジョセフは、神はすでに在るもので、議論の余地のないものと見ていた。学校という西洋的な仕組みの本質をついた視点です。なぜジョセフがそれを見破ったか。大自然と一体になった人間の感性が、白人たちの子育てに何が欠けているかを見抜いたのかもしれません。神を広めようとする白人の行動に、神の存在を感じなかったのかもしれません。

 『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)に出てくる日本人の姿と大酋長ジョセフを私は重ねます。西洋人が、日本人は無神論者的だと感じた風景の中に、実は幼児を眺め、同時に神や宇宙を眺めることができる特殊な文明が存在していた。そして、西洋人はその無神論者的な社会に、なぜか一様にパラダイスを見た。

 ジョセフがこの発言をしたちょうどそのころ、欧米人は日本というパラダイスを見ているのです。インディアンの生活が原始的であったがために、日本を見て感じたパラダイスが見えにくかったのでしょう。同じ人間の営む文明として敬意を払うまでにいたらなかったのだと思います。

 当時日本にきた欧米人が驚いたことの一つに、日本の田舎ではすべての家の中が見渡すことができたというのがある、と書きました。当たり前のように時空を共有することが、パラダイスを形成する安心感の土台にあったのです。もし、同じような観察をアメリカインディアンにもしていたら、西洋人はもっと大きなパラダイスを発見していたかもしれません。

 西洋人が学校でインディアンに教えようとしてなかなか教えられなかったことの一つに「所有の定義」がありました。共有の中で生きてきた人たちは、西洋人が正当なやり方でインディアンから土地を手に入れても、そこから彼らは立ち退かなかった。土地は天の物、神の物であって、人間が所有できる物ではなかった。この視点の違いから、悲惨な闘いの歴史が始まるのです。

 日本では、土地の所有に関して血で血を洗う闘争の歴史がありました。しかし、それは主に武士階級の間で行われており、村人の日々の生活の中に現実としてあったのは、共有の精神だったと思います。一人の赤ん坊を育てるには数人の人間が必要で、そのことが未来を共有する感性を人々に与えたのだと思います。システムだけ見ているとわからない、魂の次元での一体感や死後へも続く幸福観を村人はちゃんと持っていた。西洋人の観察の中に、確かに日本には封建制はある、武士は一見威張っているように見える、しかし、なぜか村人は武士を馬鹿にしているようなふうがある、とあるのですが、このあたりが本当の日本の姿だったのではないでしょうか。


宇宙の動き



 子どもを産み、育てるということは、人間が宇宙から与えられた最も尊い仕事であったはず。それは宇宙との対話であり、自分自身を体験することであり、生きている自分を実感し、人生の意味を理解する道でもあった。人間は、自らの価値を知ることで納得する。

 もっと尊い仕事は、子どもが親たちを育てること。それは宇宙の動きであり、自分自身を体現すること。一人では生きられないことを宣言し、利他の道を示すこと。知ることは求めること、と気づいたひとたちを癒すために。


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子どもたちの会話

 子どもの発達を保育の醍醐味ととらえ、保育士たちの自主研修も月に一回必ずやり、子どもの幸せを考え親を育てる行事をたくさん組んで、良い保育をやっている保育園で…、

 園長先生が職員室で二人の女の子が話しているのを聴きました。

 「Kせんせい、やさしいんだよねー」

 「そうだよねー。やさしいんだよねー」

 園長先生は思わず嬉しくなって、「そう。よかったわー」

 「でも、ゆうがたになるとこわいんだよねー」

 「うん、なんでだろうねー」

 園長先生は苦笑い。一生懸命保育をやれば夕方には誰だってくたびれてきます。ちゃんとそれは子どもに見られているのです。他人の子どもを毎日毎日八時間、こんな人数で見るのはやはり大変なのです。しかも、園長先生は保育士たちに、喜びをもって子どもの成長を一人一人観察し、その日の心理状態を把握して保育をしてください、と言っています。問題のある場合は、家庭の状況を知って配慮したり、良い保育をしようとすれば完璧・完成はありえないのです。子育てに完璧・完成がないのと同じです。

 保育士に望みすぎているのかもしれない、と園長先生は思いました。それでも、いま園に来ている子どもたちのために、選択肢のなかった子どもたちのために、できるところまでやり続けるしかないのです。

DSC00124.JPGのサムネール画像

三歳児/壁(宇宙の相対性)

 先日、道ばたで母親がイライラしながら三歳くらいの息子を叱っているのを聴いたのです。 
 「そんなこと言ってると生きていけないよ!」と母親が叫ぶように言いました。
 その時の違和感の意味を考え続けています。声の調子、その瞬間伝わって来た「気」の問題だと思うのですが、それだけではない、なんだろう。いまの社会状況と重ね合わせハッとしたのか、あまりにも法的、論理的(言語的)になりすぎている人間関係を背後に感じたのか、生きてゆくことの本質が崩れてゆく音を感じたのか…。子どもが生きてゆく条件に、親をイライラさせないことが加わって来ているのだとしたら、生きることの意味が逆転している。)
 ずいぶん前に佐渡の園長先生が、保育園で三歳児が「死んでやる!」と言ったのでびっくりした、と話してくれたことがあります。
 ふと、そのことを思い出したのですが、たぶん、三歳児の特別な役割りが人間社会の中で少しずつずれて来ているということでしょう。三歳児と人間の関係というのは典型的な人間性を育てあう関係だと思うのです。三歳児が、私たちをつなごうとしているものから離れ、自らが発した言葉に支配されているのか。
 彼らに見捨てられたら人間は道を間違える。

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 ある園長先生が教えてくれました。三歳までに親に関心を持たれなかった子どもは、安心の土台がない。新しい体験をしたときに不安がってそれが壁になる。安心している子どもは、新しい体験がチャレンジになって壁がその子を育てる。

 (保幼少連携といわれる施策の多くが、連携により子どもたちの進む道を平坦にしようとしています。壁をできるだけなくそうということです。本当に大切なのは安心に支えられた挑戦です。一家が挑戦で心を一つにすれば絆が育つのです。)

 無心に生きている者に向かって、「生きていけないよ」と言い始める。その者に許され、救われ、守る立場にある者が…。 

 その違和感だろうか。生きるということの意味が教育によって浅くなってきたのか…。

 教える者は、すなわち伝える者。翻訳者であり通訳者でなければならない。ツリーオブライフに何かヒントが隠されているような気がする。もう一度見た方が良いかもしれない。

 この年齢で、私が一人で公園のベンチに座っていたら「変なおじさん」です。でも、三歳児と並んで座っていたら、「いいおじさん」です。一緒に座っているだけで宇宙の相対性の中で、三歳児は私をいい存在にする。その繰り返しが、主体である人間にも影響を与えてきた。


 三歳児をわかちあう感覚、これが人類をささえる感覚だろうか。「わかちあうこと。輪になって踊ること」とシスターは言った。

「分かち合うこと。」    http://youtu.be/SUaQXFUp1_M 


20110930195338.jpg         三歳児はまぶしすぎて、生きていけないよー!

K君のこと/両界曼荼羅

 車で2時間ほど走って、ある公立保育園に講演に行きました。お父さん2人お母さん20人くらいに話をし、保育士体験を始めて下さい、それを園の伝統にして下さいとお願いし、その後、お昼に給食を食べました。園長先生が用意してくれた私の席は、軽度の知的障害を持っているK君と、自閉症のR君、そしてR君のお母さんと四人で食べる席でした。K君は、園についた時から私にくっついていました。K君はほとんど職員室に住んでいて、主に園長先生が見ています。私を園に迎えてくれたのも園長先生とK君でした。お母さんがあまり園に寄り付かず、園に預かってもらえるかぎり預けていました。園長先生が薦めてくれたのですが、講演会にも現れませんでした。でも、R君のお母さんが、K君とK君のお母さんの世話を色々やいてくれるそうです。二人とも来年学校へ行くので、色々しらべて、特別支援学校に二人で行こう、とK君のお母さんを誘っているそうです。保育園が助け合う絆を育てていました。

 K君と過ごす、お昼を一緒に食べる。ほんの1時間くらいだったのですが、私が10歳くらいから色々身に付けてきた世渡りの術はK君には役に立ちません。私の本質しか見られていないような気分です。磨いてきた技術ではどうにもならない、裸にされたような感覚。たぶん、園長先生はこの時間を私に過ごさせたかったんだな、と思いました。
 そのあと東京に戻り、自民党のK代議士の「励ます会」に行きました。年に一度くらいですが、こういう会の招待状をもらいます。四期目のK代議士には内心期待しているので、都内のホテルへそのまま行きました。元総理大臣、元防衛大臣二人、いつもテレビで見る方々が次々に面白おかしく挨拶をしました。会場は、ほとんど背広にネクタイ姿の男性で埋まっていて熱気が立ち上っています。知り合いの代議士の方も数名いました。
 テレビのカメラが来ていました。問題発言でも起きないかねらっていたのでしょう。立食の食べ物をおいしく食べていると、司会をしていたK代議士の親友の熊本のK代議士が、わざわざ私を探しに来てくれて、友人という香川の代議士を紹介してくれました。
 両界曼荼羅。K君がK代議士を照らす時が来るはずです。
 すべて双方向への関係です。私に反射した関係であっても、K君はきっとみんなを照らすはずなのです。
 

Gino

 友人に、数年前に亡くなりましたが、ジノ(Gino D’auri)というイタリア系のジプシーの血が混ざったギター弾きがいました。フラメンコのギタリストでしたが、私は彼を一生思い出し続けるだろうし、いまでも一緒に人生を歩いているような気がする不思議な男でした。

 ロサンゼルスの彼の家、家といってもだれかの家の敷地にある倉庫の屋根裏だったのですが、そこで夜、よくスパゲッティーを作ってくれました。第二次大戦でローマがアメリカ空軍に爆撃されたのを覚えていると言ってましたから、私よりも15歳くらい上でしょう。マフィアのコネクションがあって、いいパスタとオリーブオイルがいつも手に入るのだと言ってました。それにジノが遠くまで行って厳選して買って来たトマトとチーズを入れるだけで素晴らしく美味しいパスタになりました。塩を少々。

 お金はあまりないけど、お皿が好きで、メキシコ産の安い民芸のお皿で、これだ、というのを集めていました。それに載せて食べるのですが、屋根裏の居心地のよさが加わってなんともいえないひと時でした。ブーツにも凝っていて、飛行機に乗るときもスエードのブーツだけは手荷物にして抱えていました。

 お腹いっぱいになるとサンブカという酒を二人で少し飲み、オープンリールのテープを聴く。

 音楽家としては、フラメンコダンサーのホセ・グレコと世界ツアーをしたり、スペインでジプシーと洞穴を巡ったり、自転車競争もやっていたし、不思議な経歴があるのですが、やっぱり半分ジプシーだからなのか将来的な欲がない。その日暮らしが好き、というより、仕方ないだろうという気楽な人生でした。ふと電話がかかって来て出かけていくと、こんな契約しちゃったけど大丈夫かな、と私にレコード会社との契約書を見せるのですが、ちょっとまずいな、という感じ。やっぱり、と顔をしかめ一応言い訳をし、しょうがないよね、と言って契約書をソファに置き、サッカーの話題にしばらく興じる。その、ちょっとまずい契約書のおかげで、いまでも彼のアルバムはネットで入手出来るのだから、人生全体を考えると運が良かったんだと思う。絶対に不幸そうではない安心感が、彼の一挙手一投足にはあった。

 黒猫が前を横切ると、車をバックさせて道をわざわざ変えていたし。

 私が出会った頃は、サンタモニカにあるラレスというメキシコ料理屋で週三日、エルシドというフラメンコダンスが売りのレストランで週二日ギターを弾いて暮らしていた。インドのシタール奏者ラビ・シャンカルがロサンゼルスに来ると、呼ばれて弾きに行っていた。誰とも闘わなくていい、自分だけのポジション、居場所を作り上げていて、いつもその温かい場所に戻ってゆく。ミュージシャンに好かれ、時々その筋の人たちに好かれ、そんな男でした。

 パコ(Paco De Lucía)がロサンゼルスに来ると、必ずジノの屋根裏へ行ってセッションをする。

友だちのロビン・フォードというギタリストをラレスに連れて行ったら、マルガリータを作るブレンダーの合間に、「パコは小次郎で、ジノは武蔵だね」と、面白いことを言いました。

 葬式にはいけなかったのですが、いまも、車に乗ると彼のアルバムを聴きながら、話をするのです。ジノはアルファロメオ以外を車と認めず、30万円くらいで中古の危ないアルファロメオを買っては、友だちの修理工にお世話になりながらロサンゼルスの街を飛ばしていました。部品調達用の一台を合わせて二台持っていました。奥さんのDAHADはレバノン人のベリーダンサーで、体は大きいのに子どもみたいな人でした。子どもはいませんでした。


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映画「ツリーオブライフ」

 久しぶりに映画館へ行きました。友人に、感想を聴かせてくれないか、と言われていた、ブラッド・ピットがプロデュース主演している「ツリーオブライフ」という映画を観ました。なかなか、素晴らしかったです。

 音と音楽で、現実と非現実・現在と過去を描写した映像をつないでゆく演出も良かったのですが、全編に流れる、「安心しなさい」という単純なメッセージが好きでした。これが人間にとってのリアリズムだろう、と思うとホッとします。0才児と話すことで、やがて盆栽とも話せるようになる、と説明してきた私には、とても緻密なきめの細かい映画でした。
 人間は無力感の中で、お互いの人間性に気づく。弱者と強者は陰陽の法則で互いを必要とし、流動的でありながら一つの生命体をつくっているはず。無常観が大きな流れに私たちの感性を導くのでしょう。命の木を眺めるために自分自身を体験する、人生とはそういう感性が現れては消えるプラスマイナスゼロの現象かもしれません。
 字幕の翻訳にいくつか、ちょっと「違うかなー」と思える箇所があって、重要な部分だったので戸惑いました。字幕の誤訳や意訳の方向性に関する疑問は、英語圏の映画を日本で見ていると、頻繁にあります。文学では許されない間違い、監督が知ったら訴えられそうな意訳が時々あります。
 少ない言葉が、空間をつなぐ映画だっただけに、直訳をしてくれた方が良かったかな、と思いました。英語を話す人でも、どちらに解釈するか分かれるセンテンスがありました。「I」を「僕」と訳すか「わたし」と訳すかで性別が決定してしまったり、地球を「Her」と呼ぶ可能性が見えなかったり、聖書からの引用であっても、通常はそうとはわからない言葉を、日本語で聖書からの引用とわかってしまう言葉遣いに訳してしまうことがいいのかどうか。「自然」や「世界」を「世俗」と意訳してもいいのか。宇宙や自然が、人間の営みと頻繁にオーバーラップする作品だけに、理解しようとするよりも、感性で自分と重ね合わせ、自分自身を体験するような感覚で観たほうが楽しめる気がします。
 (日本語という非常に特殊な言語に翻訳する時、特に翻訳者のセンスが問われます。フェリクス・ザルテンの書いた児童文学「バンビ」に、白水社版と岩波版があって、白水社版では、バンビの母親が下町のかあちゃん言葉で話すのですが、岩波版では、山の手のお母さん言葉が使われていて、印象がずいぶん違います。私は、白水社版が好きです。たぶん、最初に読んだのが、石井桃子さんの桂文庫で借りた白水社版だったからだと思います。)
 ブラッド・ピット主演の映画に「レジェンドオブフォール」というのがあるのですが、私が吹いた尺八の音が、けっこう大切な役割りを担っています。音楽は、もう一つの、、理屈では説明できない次元を映像に加えます。心象だったり、心象とは別の次元の背景だったりするわけですが、音は実際には存在しない過去や未来を、存在する現在とつなげて現実にする役割りを持っています。龍村仁監督の「ガイアシンフォニー」は、次元のレイヤーを音楽で重ねる典型で、ずいぶん学びました。
 自主制作で作ってみたシャクティの映像では、ドキュメンタリーでありながらナレーションを使わず、音楽、音、映像の組み合わせを表現手段として使いました。予算がなかったこともありますが、表現や伝達手段が要素として一つ二つ欠けた時に、よりいっそう伝わるものがある。そして、その組み合わせの偶然性の中に、大自然の必然を感じることがあります。
 そして、再び私の思考は、乳児との会話に行きつきます。
 (昔、習ったバリの影絵ワヤンクリに、出てきた命の木の画像がないかと思いネットで探してみたら、ありました。http://digoin.exblog.jp/8767615/)

茅野、安芸高田(日本のホビット庄?)

 茅野市で、ただ一つ残った私立保育園で講演しました。五月に保護者(主に母親たち)に話した17の公立保育園を合わせて、すべての保育園で「子どもたちを眺める視点について」と「一日保育士体験」の説明をしたことになります。市長さんも自分のブログに実際に体験した「一日保育士体験」のことを書いています。(http://www.city.chino.lg.jp/kbn/01150231/01150231.html)

 終わって、前市長の矢崎さん(現長野県教育委員長)、来月8日に「松居直、松居和、小風さち」の三人講演会というびっくり講演会を企画しているClip in すわの方たちと飲みました。次の日、茅野から栃木の矢板市まで車で走り片岡公民館で保育士たちに話しました。というより、子どもたちの役割りを果たさせてあげて下さい、親が育つ機会を与えて下さい、というお願い、陳情です。

 昔八年間教えていた東洋英和女学院短期大学保育科の教え子たちが、仙台の公立保育園で保育士をやっているウズちゃんが上京するのをきっかけに小さなクラス会を横浜で開いてくれました。もうみんな35歳で、当時35歳で入学して来たN女史はもうすぐ50歳です。N女史はちょっと占い師みたいで、油断していると正面からグサッとやられそう。地震の時のこと、その後の仙台での保育の話をウズちゃんから聴きました。お互いの、ちょっとした人生相談会みたいにもなりました。タイミングとして人生を俯瞰するには35歳くらいで集まるのはいいのかもしれない、と思いました。相談相手がいるのはありがたいです。またお願いします。
 広島駅から日本海に向かって車で一時間、台風12号が接近する中、安芸高田市で講演しました。日本のホビット庄ではないかと思われる、緑に囲まれた町でした。春に招かれた中国四国大会で私の話を聴いた園長先生が、保育士と保護者だけでなく、市長さんや校長先生にも声をかけてくれました。市長さんが講演の前に講師控え室で、「男女共同参画は家庭から、と言っているんですけど、そんなことも話してくれるとありがたい」と言ったのには驚きました。同じようなことを考えている人は、たぶんたくさんいるのだろうな、と思いました。そうですよね。

夏休みも終わって/石川県で七時間講演

 夏休み中、石川県の園長先生たちに頼まれた講演は、依頼文の中ですでに7時間というものでした。4時間の講演を頼まれて5時間話したことが10年前にありました。群馬の保育士会だったと思います。時々ですが、2時間の講演に30分音楽の演奏をつけてください、と言われることもあります。会場にピアノがあったりすると久しぶりに演奏します。

 はじめから7時間と依頼されたのは今回が最初で最後かもしれません。県の社会福祉協議会主催の一泊研修会、東京から小松へ飛び、羽咋(はくい)まで車で能登半島を走って、初日の午後4時間、二日目は午前中3時間、夕食と懇親会も含めると急ぐ必要のない旅です。羽咋(はくい)は去年99歳で亡くなった祖母の故郷です。海辺で海水浴をする写真が残っていて、推測すると52年ぶりです。

 二日目の夜は、午後東京まで戻って、小田原での講演が入っていました。森の中での不思議な講演会だったのですが、その時の体験についてはまた書きます。
 空港から能登の自然を左右に見ながら車で走り、着くとそのまま二時間いつもの講演をしました。全県の大会で一日保育士体験のはなしが出来るのですから気合いが入りました。先進国社会で教育システムの普及と平行して幼児の役割が薄れていくと愛とか絆を求める人間の宿命が空回りしてどういうことが起るか、数字をあげ欧米の現状を説明し、そこからゆっくりと子育てで育つ人間性と過去と未来につながる絆がどう作られていたか、について例を挙げて話します。最後に、小野省子さんの詩を朗読し、15分休憩してシャクティの世界に入ります。シャクティとの出会いについて話し映像を1時間40分上映し、それに30分くらいの解説をつけました。シャクティの映像は、見方と心境によっては風景主体のかなりゆったりした映像です。ナレーションもありません。時々入る文字と音楽がガイドです。インドの村で感じる時間の大きな流れを感じてもらうことの方が、差別の歴史や情報として入ってくる知識より大切な気がして、そういう編集になっているのです。細かいところまで視点が行けば、淡々とした風景の中に、共有すべき過去の時間や人間の感性が散りばめられていて、両界曼荼羅になっていると思うのですが、一つ一つ指摘されてはいません。
 編集にかかろうとした頃、作品の存在意義を考えた時に迷路に入ったしまった私に、自分の存在意義を意識せずに受け入れよ、と教えてくれたのはソウバさんんでした。翻訳者、通訳、アンテナになればいい。しかし、これでいい、と思って作っても、時と目的と見る人の心理状態によって、私自身が「ちょっと長いかな、退屈しないかな」と一緒に見ていて不安になることがあります。
 以前、埼玉県庁で教育委員会のひとたちに見てもらった時に、松居委員の主張をこの映像を見て初めて現実のものと感じた、とある人に言われたことがあります。言葉で説明しやすいこともあれば、映像や音楽で感性に訴えた方がよく伝わることもあります。人間たちのコミュニケーションには、その両方のバランスが不可欠なのでしょう。
 私は、「0才児との言葉を介さないコミュニケーションの意味」「一方的に語りかけることが人間の能力をどのようにひき出すか」「どの次元で人間は絆をつくるか」ということについて普段から話していますから、こうして二通りの表現手段を使えることはとてもありがたいのです。講演と上映とを、どちらの時間を短縮させることなく出来る機会は今回が初めてでした。そして、先生たちも、はじめから二日間の研修に来ていますから覚悟が出来ています。私は、7時間飽きさせないように心配りをする必要もなく、強いて言えば、伝えるメッセージに意味が明確にあり、それが伝わり、去年の研修よりずっと面白かったね、くらいを目指せばいいのです。私自身シャクティの映像を見るのは、二月の江ノ島アジア映画祭以来でした。インドのあの肌触りが久しぶりに還ってきます。
 初日の四時間が終わって、先生たちに質問を紙に書いてもらい、それに二日目の三時間で答える、というのが私が立てた計画でした。嬉しかったのは、シャクティを食い入るように見て下さった先生たちの後ろ姿と、質問の紙に書いてあった感想でした。時を違えて、次元を違えて作り上げた講演と上映に、相乗効果があったのです。記憶の中にしか存在しない過去が、現在につながっている確認ができました。
 この確認は確かに大切で、幼児期の我が子の記憶を出来るだけ長く記憶にとどめ、それが現在につながっているという感覚が、時間と空間を越えた人間社会の絆の正体なのではないか、と思えたりします。
 
 

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石垣島

先週、石垣島に行って来ました。今年になって二度目です。

埼玉の園長先生3人と、私が仲良くしている石垣の園長を訪ねました。夕方から保育園の園庭でバーベキューをし、園長先生が仕込んだ絶品のチャンプルーと八重山そばを食べ、酒盛りをしました。果物もたくさん食べました。園庭にある木には園児が登っていました。もうすぐ満月の月が昇りました。

竹富島の私が好きな場所に行きました。石舞台の近くです。

水牛の引く車に初めて乗りました。運転手の女性の唄が心に染みました。音楽は風景と一緒になって馴染んで、テンポが牛の歩幅と一緒になって進んで行きました。

学校に、授業ではない「音楽」をどうしたら復活させることができるのだろう、と少し考えました。「授業」が代替して失った次元について考えました。少しだけ。