仕事2(返信と再返信)大酋長ジョセフ

前回ブログに書いた文章を数人の友人に送りました。「こんな文章を書きました」と書き添えて。私にとってご意見番ともいえるひとたちに。

前回の文章は以下の通りです。

 子どもを産み、育てるということは、人間が宇宙から与えられた最も尊い仕事であったはず。それは宇宙との対話であり、自分自身を体験することであり、生きている自分を実感し、人生の意味を理解する道でもあった。人間は、自らの価値を知ることで納得する。

 もっと尊い仕事は、子どもが親たちを育てること。それは宇宙の動きであり、自分自身を体現すること。一人では生きられないことを宣言し、利他の道を示すこと。知ることは求めること、と気づいたひとたちを癒すために。

返信

メールありがとうございます。文末の部分、「知ることは求めること、と気づいたひとたちを癒すために。」が、私にはまだ分かりませんでした。仏教の言葉で「忘己利他」(ぼうこりた)というものがあるそうですね。最近知りました。

再返信

その通りです。ありがとうございます。

忘己利他という言葉は知りませんでした。まさにそれかもしれませんね。

無心まで到達するのは難しいけど、自分が無心だったことに気づくことはできるかもしれない。知ることが、欲とか、選択肢とか、執着につながり、遠回りを人類は選ぶのだけれど、その過程で幼児という癒しがあれば大丈夫、というような意味で書いたんです。

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 ふと思いついて書いた文章だったのですが、そのきっかけとなったのは一昨日茅野市で行われた講演会でした。絵本ワニワニのシリーズで人気の妹(小風さち)が創作について話し、そのあと児童文学者である父(松居直)が話して、三番目に私が講演するという企画でした。私は25年、父は50年近く、妹はここ数年ですが講演を積み重ねて来て、お互いの講演は聴いたことがない親子でした。3人が親子であることも、それぞれの講演会に来たひとたちはほとんど知らなかったと思います。妹はペンネームを使っていますし、私は絵本や児童文学についてほとんど話をしません。偶然、茅野市は三人とも縁があってこういう企画になったのだと思います。当然、児童文学や絵本に興味を持っているひとたちが聴きにくる可能性が高いと思われました。

 私も,児童文学について少し話そうと思い、一週間くらい前からいろいろ考えていたのです。ナルニア国物語などで顕著ですが、ある一つの掟みたいなものがあって、しかしそれ以前に存在していた、にもかかわらず忘れられていた、古い「掟」「約束事」「法則」のようなものが存在するという話が児童文学の中によく出てきます。ナルニア国物語の場合は、「新約」と「旧約」という聖書の伏線があるのでわかりやすいのですが、キリストとイメージが重なるアスランが石舞台である約束事によって犠牲的に死んだあと、もう一つ古い約束によって蘇ります。

 ローズマリー・サトクリフの「太陽の戦士」では、青銅の民が鉄の民に支配されてゆく過程で、主人公の少年ドレムが精神的よりどころを奴隷である石の民に求めます。ドレムは追放された後に石の民たちとの交わりをもつのですが、そこまでの苦難の道で一番の友人が言葉の話せないノドジロという犬なのです。

 石器、青銅器、鉄器という違った時代の価値観と人間が社会を形成するよりどころが、幸福論や生きる力をどう変えてきたかを暗示的に書いている素晴らしい児童文学です。現代社会、中世、古代、もっと遡るとほぼDNAが記憶している「約束事」というあたりまで「法則」は存在している。最終的にはノドジロとの関係が主人公の生きる力になっている。児童文学だからこそ表現出来た歴史文学で著名なサトクリフの歴史観、文明論がそこにあります。人間が進化し続けるかぎりそれに寄り添うシャーマンの存在意義も見逃せません。

 私の思考は、このあたりの児童文学に確かに影響を受けていて、そんなことを講演で話してみようかな、と考えていた時に、前回のブログに書いた文章が浮かんだわけです。

 「最も尊い仕事」があって、しかし、さらに「もっと尊い仕事」がある、というのが、この忘れられていても存在する「掟」「約束事」「法則」のことです。

 0才児は一律しゃべれない。一律の者には一律の役割がある。その一律の役割が古い「法則」であろう、という推測の元に私のサティアグラハは進むのです。サティアグラハはマハトマ・ガンジーが創り出したヒンズー語の造語で、絶対真理・よりどころの法則、それさえ動かなければ闘い方は自ずと見えてくる、という意味のもので、私はそれを0才児の存在意義ということにしています。絶対的弱者が強者の人間性を育てるというのも、ガンジーのアヒンサー(非暴力)に基づいているといえるでしょう。

 ブログですから、ちょっとした非論理性と飛躍は許されるでしょう。もっと間を埋めて説明しなければいけないのですが…。

 幼児の絶対性・普遍性というのは、私がこれだけたくさん幼稚園や保育園に毎年でかけて行く者だから感じることかもしれません。その中に古代の法則が見えるのです。ああ、この人たちと人間は対面して生きてきたのだなあ、と乳幼児を見ながら思うのです。

 私が、4歳児完成説を言うのも、それが実はもともと0歳児完成説であったのも、アスランやドレムが「隠されている古い『約束事』を考えよ」と私に言い続けているのかもしらません。

 これは実在したアメリカインディアンの大酋長ジョゼフの言ったことなどともよく重なります。

 ジョセフの学校教育に対する見方は、それがチャップリンのモダン・タイムスに影響を及ぼしたと云われるガンジーの文明論をよりいっそう古代へと進めます。

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大酋長ジョセフと学校(『なぜ私たちは0才児を授かるのか』からの引用です。) 

 先生が子どもたちに「夢を持ちなさい」という。その先生たちに、「先生は夢を持っていますか?」と質問すると言葉につまってしまう。「昔は、こんな夢を持っていました」「退職したらこんなことをしたい」といった答えが多かったのです。こうした矛盾に囲まれて子どもたちは生きています。伝承のプロセスに信頼関係が薄いのです。

 私の好きなインディアンの大酋長にジョセフという人がいます。150年くらい前に生きた人です。あるとき、ジョセフが白人の委員とこんな会話をしたのです。

 ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。

 「なぜ学校はいらないのか?」と委員が尋ねた。

 「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。

 「教会はいらないのか?」

 「いらない。教会など欲しくない」

 「なぜ教会がいらないのか?」

 「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」(『我が魂を聖地に埋めよ』ブラウン著、草思社)

 もともと西洋人が学校教育を作った背景には、識字率を上げ聖書を読める人を増やす、という目的がありました。アメリカ大陸にきて、「神」を知らないインディアンを西洋人は不幸な人、野蛮な人と見、学校教育が必要だと考えたのです。

 ところがジョセフは、神はすでに在るもので、議論の余地のないものと見ていた。学校という西洋的な仕組みの本質をついた視点です。なぜジョセフがそれを見破ったか。大自然と一体になった人間の感性が、白人たちの子育てに何が欠けているかを見抜いたのかもしれません。神を広めようとする白人の行動に、神の存在を感じなかったのかもしれません。

 『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)に出てくる日本人の姿と大酋長ジョセフを私は重ねます。西洋人が、日本人は無神論者的だと感じた風景の中に、実は幼児を眺め、同時に神や宇宙を眺めることができる特殊な文明が存在していた。そして、西洋人はその無神論者的な社会に、なぜか一様にパラダイスを見た。

 ジョセフがこの発言をしたちょうどそのころ、欧米人は日本というパラダイスを見ているのです。インディアンの生活が原始的であったがために、日本を見て感じたパラダイスが見えにくかったのでしょう。同じ人間の営む文明として敬意を払うまでにいたらなかったのだと思います。

 当時日本にきた欧米人が驚いたことの一つに、日本の田舎ではすべての家の中が見渡すことができたというのがある、と書きました。当たり前のように時空を共有することが、パラダイスを形成する安心感の土台にあったのです。もし、同じような観察をアメリカインディアンにもしていたら、西洋人はもっと大きなパラダイスを発見していたかもしれません。

 西洋人が学校でインディアンに教えようとしてなかなか教えられなかったことの一つに「所有の定義」がありました。共有の中で生きてきた人たちは、西洋人が正当なやり方でインディアンから土地を手に入れても、そこから彼らは立ち退かなかった。土地は天の物、神の物であって、人間が所有できる物ではなかった。この視点の違いから、悲惨な闘いの歴史が始まるのです。

 日本では、土地の所有に関して血で血を洗う闘争の歴史がありました。しかし、それは主に武士階級の間で行われており、村人の日々の生活の中に現実としてあったのは、共有の精神だったと思います。一人の赤ん坊を育てるには数人の人間が必要で、そのことが未来を共有する感性を人々に与えたのだと思います。システムだけ見ているとわからない、魂の次元での一体感や死後へも続く幸福観を村人はちゃんと持っていた。西洋人の観察の中に、確かに日本には封建制はある、武士は一見威張っているように見える、しかし、なぜか村人は武士を馬鹿にしているようなふうがある、とあるのですが、このあたりが本当の日本の姿だったのではないでしょうか。