K君のこと/両界曼荼羅

 車で2時間ほど走って、ある公立保育園に講演に行きました。お父さん2人お母さん20人くらいに話をし、保育士体験を始めて下さい、それを園の伝統にして下さいとお願いし、その後、お昼に給食を食べました。園長先生が用意してくれた私の席は、軽度の知的障害を持っているK君と、自閉症のR君、そしてR君のお母さんと四人で食べる席でした。K君は、園についた時から私にくっついていました。K君はほとんど職員室に住んでいて、主に園長先生が見ています。私を園に迎えてくれたのも園長先生とK君でした。お母さんがあまり園に寄り付かず、園に預かってもらえるかぎり預けていました。園長先生が薦めてくれたのですが、講演会にも現れませんでした。でも、R君のお母さんが、K君とK君のお母さんの世話を色々やいてくれるそうです。二人とも来年学校へ行くので、色々しらべて、特別支援学校に二人で行こう、とK君のお母さんを誘っているそうです。保育園が助け合う絆を育てていました。

 K君と過ごす、お昼を一緒に食べる。ほんの1時間くらいだったのですが、私が10歳くらいから色々身に付けてきた世渡りの術はK君には役に立ちません。私の本質しか見られていないような気分です。磨いてきた技術ではどうにもならない、裸にされたような感覚。たぶん、園長先生はこの時間を私に過ごさせたかったんだな、と思いました。
 そのあと東京に戻り、自民党のK代議士の「励ます会」に行きました。年に一度くらいですが、こういう会の招待状をもらいます。四期目のK代議士には内心期待しているので、都内のホテルへそのまま行きました。元総理大臣、元防衛大臣二人、いつもテレビで見る方々が次々に面白おかしく挨拶をしました。会場は、ほとんど背広にネクタイ姿の男性で埋まっていて熱気が立ち上っています。知り合いの代議士の方も数名いました。
 テレビのカメラが来ていました。問題発言でも起きないかねらっていたのでしょう。立食の食べ物をおいしく食べていると、司会をしていたK代議士の親友の熊本のK代議士が、わざわざ私を探しに来てくれて、友人という香川の代議士を紹介してくれました。
 両界曼荼羅。K君がK代議士を照らす時が来るはずです。
 すべて双方向への関係です。私に反射した関係であっても、K君はきっとみんなを照らすはずなのです。
 

茅野、安芸高田(日本のホビット庄?)

 茅野市で、ただ一つ残った私立保育園で講演しました。五月に保護者(主に母親たち)に話した17の公立保育園を合わせて、すべての保育園で「子どもたちを眺める視点について」と「一日保育士体験」の説明をしたことになります。市長さんも自分のブログに実際に体験した「一日保育士体験」のことを書いています。(http://www.city.chino.lg.jp/kbn/01150231/01150231.html)

 終わって、前市長の矢崎さん(現長野県教育委員長)、来月8日に「松居直、松居和、小風さち」の三人講演会というびっくり講演会を企画しているClip in すわの方たちと飲みました。次の日、茅野から栃木の矢板市まで車で走り片岡公民館で保育士たちに話しました。というより、子どもたちの役割りを果たさせてあげて下さい、親が育つ機会を与えて下さい、というお願い、陳情です。

 昔八年間教えていた東洋英和女学院短期大学保育科の教え子たちが、仙台の公立保育園で保育士をやっているウズちゃんが上京するのをきっかけに小さなクラス会を横浜で開いてくれました。もうみんな35歳で、当時35歳で入学して来たN女史はもうすぐ50歳です。N女史はちょっと占い師みたいで、油断していると正面からグサッとやられそう。地震の時のこと、その後の仙台での保育の話をウズちゃんから聴きました。お互いの、ちょっとした人生相談会みたいにもなりました。タイミングとして人生を俯瞰するには35歳くらいで集まるのはいいのかもしれない、と思いました。相談相手がいるのはありがたいです。またお願いします。
 広島駅から日本海に向かって車で一時間、台風12号が接近する中、安芸高田市で講演しました。日本のホビット庄ではないかと思われる、緑に囲まれた町でした。春に招かれた中国四国大会で私の話を聴いた園長先生が、保育士と保護者だけでなく、市長さんや校長先生にも声をかけてくれました。市長さんが講演の前に講師控え室で、「男女共同参画は家庭から、と言っているんですけど、そんなことも話してくれるとありがたい」と言ったのには驚きました。同じようなことを考えている人は、たぶんたくさんいるのだろうな、と思いました。そうですよね。

夏休みも終わって/石川県で七時間講演

 夏休み中、石川県の園長先生たちに頼まれた講演は、依頼文の中ですでに7時間というものでした。4時間の講演を頼まれて5時間話したことが10年前にありました。群馬の保育士会だったと思います。時々ですが、2時間の講演に30分音楽の演奏をつけてください、と言われることもあります。会場にピアノがあったりすると久しぶりに演奏します。

 はじめから7時間と依頼されたのは今回が最初で最後かもしれません。県の社会福祉協議会主催の一泊研修会、東京から小松へ飛び、羽咋(はくい)まで車で能登半島を走って、初日の午後4時間、二日目は午前中3時間、夕食と懇親会も含めると急ぐ必要のない旅です。羽咋(はくい)は去年99歳で亡くなった祖母の故郷です。海辺で海水浴をする写真が残っていて、推測すると52年ぶりです。

 二日目の夜は、午後東京まで戻って、小田原での講演が入っていました。森の中での不思議な講演会だったのですが、その時の体験についてはまた書きます。
 空港から能登の自然を左右に見ながら車で走り、着くとそのまま二時間いつもの講演をしました。全県の大会で一日保育士体験のはなしが出来るのですから気合いが入りました。先進国社会で教育システムの普及と平行して幼児の役割が薄れていくと愛とか絆を求める人間の宿命が空回りしてどういうことが起るか、数字をあげ欧米の現状を説明し、そこからゆっくりと子育てで育つ人間性と過去と未来につながる絆がどう作られていたか、について例を挙げて話します。最後に、小野省子さんの詩を朗読し、15分休憩してシャクティの世界に入ります。シャクティとの出会いについて話し映像を1時間40分上映し、それに30分くらいの解説をつけました。シャクティの映像は、見方と心境によっては風景主体のかなりゆったりした映像です。ナレーションもありません。時々入る文字と音楽がガイドです。インドの村で感じる時間の大きな流れを感じてもらうことの方が、差別の歴史や情報として入ってくる知識より大切な気がして、そういう編集になっているのです。細かいところまで視点が行けば、淡々とした風景の中に、共有すべき過去の時間や人間の感性が散りばめられていて、両界曼荼羅になっていると思うのですが、一つ一つ指摘されてはいません。
 編集にかかろうとした頃、作品の存在意義を考えた時に迷路に入ったしまった私に、自分の存在意義を意識せずに受け入れよ、と教えてくれたのはソウバさんんでした。翻訳者、通訳、アンテナになればいい。しかし、これでいい、と思って作っても、時と目的と見る人の心理状態によって、私自身が「ちょっと長いかな、退屈しないかな」と一緒に見ていて不安になることがあります。
 以前、埼玉県庁で教育委員会のひとたちに見てもらった時に、松居委員の主張をこの映像を見て初めて現実のものと感じた、とある人に言われたことがあります。言葉で説明しやすいこともあれば、映像や音楽で感性に訴えた方がよく伝わることもあります。人間たちのコミュニケーションには、その両方のバランスが不可欠なのでしょう。
 私は、「0才児との言葉を介さないコミュニケーションの意味」「一方的に語りかけることが人間の能力をどのようにひき出すか」「どの次元で人間は絆をつくるか」ということについて普段から話していますから、こうして二通りの表現手段を使えることはとてもありがたいのです。講演と上映とを、どちらの時間を短縮させることなく出来る機会は今回が初めてでした。そして、先生たちも、はじめから二日間の研修に来ていますから覚悟が出来ています。私は、7時間飽きさせないように心配りをする必要もなく、強いて言えば、伝えるメッセージに意味が明確にあり、それが伝わり、去年の研修よりずっと面白かったね、くらいを目指せばいいのです。私自身シャクティの映像を見るのは、二月の江ノ島アジア映画祭以来でした。インドのあの肌触りが久しぶりに還ってきます。
 初日の四時間が終わって、先生たちに質問を紙に書いてもらい、それに二日目の三時間で答える、というのが私が立てた計画でした。嬉しかったのは、シャクティを食い入るように見て下さった先生たちの後ろ姿と、質問の紙に書いてあった感想でした。時を違えて、次元を違えて作り上げた講演と上映に、相乗効果があったのです。記憶の中にしか存在しない過去が、現在につながっている確認ができました。
 この確認は確かに大切で、幼児期の我が子の記憶を出来るだけ長く記憶にとどめ、それが現在につながっているという感覚が、時間と空間を越えた人間社会の絆の正体なのではないか、と思えたりします。
 
 

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園長は父親をウサギにする権利を持っている

 私は保育園や幼稚園に講演に行きます。保育参加、子育ての意味、この時期の大切さを説明します。そして、現場の風景から多くのことに気づきます。先日、講演に行った園では親たちの参加を増やすため、私の講演とお遊戯会を組み合わせていました。子どもたちに可愛い芸を仕込んで舞台にのせると、お父さんたちもビデオを持って集まってきます。お父さんを前にして、子どもたちの一生懸命な演技が終わると、間髪を入れず、私の講演に移るのです。逃げる時間はありません。

 講演のあと、続きのお遊戯会があって、お父さんたちが「ウサギ」にさせられていました。

 保育士たちが、手ぬぐいに長い耳を縫いつけた簡単なウサギのかぶり物を用意しておいて、私の講演が終わると、「ハイ、お父さんたちは、ウサギになってくださ〜い!」と言って手渡します。

 すると、お父さんたちはウサギになるしかないのです。

 そして、お父さんたちが変わる。保育園でウサギにさせられたら、誰だって少しは変わる。手ぬぐいを使ったかぶり物ですから、顔の部分は見えます。

 引きつった顔でいやいやかぶったお父さんも、三分もすればちゃんとウサギです。経済を中心にした競争社会で固まっていたお父さんたちのこころが溶け出す。それを見て一番喜んでいたのがお母さんたちでした。

 幼稚園や保育園という魔法の場所には、「お父さんたちをウサギにする権利」が与えられている。私はしばらく感動していました。何か凄いものを見た気がしました。人類の平和につながる糸口を発見したような気がしました。

 最近学んだことの中で、これは一番の学びでした。

 この権利は、いつ誰から与えられたものだろう。宇宙から与えられた権利にちがいない。だから強い権利です。最近「権利」と呼ばれる物のほとんどが「利権」である場合が多い中で、しかし、これは絶対に「利権」ではない。この権利だけで、子どもが安心して幼児期を過ごせる環境を勝ち取る闘いに、はたして勝てるだろうか。

 勝てるかもしれない、と私は思います。お父さんたちも実はウサギになりたかった。それが私にはわかるのです。幼児たちを眺めること、そして一体になることは、人間たちに、この宇宙に不公平はないという意識と感覚を与えるのです

 昔、男たちは年に2、3回「祭り」の場でウサギに還っていました。自分の中に3歳だった時の自分が生きていることを確認していたのです。目標とすべき自分が、心の中にいることを知って人間は生きていくのです。人生は自身を体験することでしかない。

 数週間経ち、園長や保育者が握っている「父親をウサギにする権利」について考え、行き着いた結論は、「人間は幼児という神様、仏様、絶対的弱者の前では、正しい方向に進むしかない。たとえそれがウサギになることであっても」というものでした。それは宇宙が人間のために用意している目的と重なるように思えました。

 父親をウサギにして母親が喜ぶ。これがいいのです。母親をウサギにしてお父親が喜ぶ、これでは駄目です。

 子どもたち、という神様が見ていますからね。


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