こども未来戦略

発表された、政府のこども未来戦略会議の「こども未来戦略方針」(令和5年6月13日閣議決定)、https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001112705.pdf  に、こんな文章がありました。

 「今後、インド、インドネシア、ブラジルといった国の経済発展が続き、これらの国に追い抜かれ続ければ、我が国は国際社会における存在感を失うおそれがある」。

そんなことどうでもいい。こういう「動機」を保育施策の冒頭に書く、この会議の無神経さ、馬脚を表すとはこのことです。

「国際社会における存在感」など「架空」の現実。この国の保育、教育の混乱を考えれば戯言(たわごと)に過ぎない。

「それどころではない!」。

幼児たちが、その存在感を失おうとしているのです。

人類規模で見れば、この西洋的な「競争意識」が原因で、家庭に対する弾圧、迫害、人類史上最悪と言われる「一億人を超える難民」の問題が生じているのです。子ども中心のミクロの現実が肌触りを失い、経済や情報中心のマクロの欲と利権に押し潰されようとしている。

「利他」の幸福論が希薄になっていく。

「国際社会における存在感」のために、「ママがいい!」という子どもたちの願いが存在感を失い始めている。

「こども未来戦略」には、子どもたちが可哀想、という人間的な意識がまるでないのです。「可哀想」という言葉が、保育界で禁句になっていったように、経済主導で、社会から「人間性」が失われていく。

母子分離が原因と思わざるを得ない「学級崩壊」で教師たちが病み、職場から去っていく。そんな中、「二人目は無償、そうすれば子どもが輝く」という、意味不明な発言が、都知事の口から飛び出した。母子分離で「子どもが輝く」それが「チルドレンファースト」なのだという。この荒唐無稽な論理の飛躍を、マスコミがそのまま報道する。

「急速な少子化・人口減少に歯止めをかけなければ、世界第3位の経済大国という、我が国の立ち位置にも大きな影響を及ぼす」。(こども未来戦略方針)

経済財政諮問会議がこれを言うのはいい。言わせておけばいい。赤ん坊を抱き、じっとその顔を見つめる時間の価値、深さなど、わからない人たちなのだから。

しかし、現場で最前線に立つ保育士たちに読ませる「こどものための、国の未来戦略」に、これを書けば、何を言ってるんだ、あんたたちの「子育て放棄」につながる「少子化対策」が急速な少子化を生んだのでしょう、あんたたちがこの国の立ち位置を崩したんです、自業自得でしょう、と園長たちは思う。

(「ママがいい!」を読んでみてください。現場と政府との「子どもたちの扱いを巡る」闘いは、30年前から始まっている。政府の子育て支援は、「子育て放棄支援」だと、園長たちは言い続けてきたのです。)

いい保育をしても、週末二日間家庭に返すと、月曜日、また噛みつくようになって戻ってくる。やっとお尻が綺麗になったのに、真っ赤になって戻ってくる。48時間、オムツを一度も替えないような親たちを作り出しているのは、自分たちなのではないか、そのジレンマの中で保育士たちは、30年やってきました。現場の気持ちに対する無知さが、仕組み上の「空白」と「軋轢」を生み出し、巡り巡って、保育士や教師たちのやる気を削いでいったのです。

この「こども未来戦略方針」の中に、「ショートステイは年間約 0.05 日、圧倒的に 整備が遅れている」という文章を見るとき、その「非認知能力の欠如」に愕然とするのです。

厚労省が10年以上広めようとしている、「子どもショートステイ」。慣らし保育もせずに、子どもを養護施設などで預かる宿泊保育制度は、最長七日間、冠婚葬祭、出張、育児疲れでもOKだという。

人間は普通、そういうことをしない。色々事情はあっても、国が、こういうことをしていいんだ、と言うべきではない。私はそこに「一億総活躍」の残像を見るのです。ネグレクトの入り口になりかねない、まるで罠のような仕組みです。〇歳児保育の推進、「生産性革命と人づくり革命」の核心がそこに現れる。彼らにとって保育、「人づくり」は、「労働力人口」づくりに過ぎない。

子育ては、可愛がること、大事にすること、その幸せが社会に根付くこと、という本質が微塵も感じられない。

対象は生後60日~18歳未満、一泊三千円~五千円。「年間約 0.05 日しか利用していない」という日本人の良識にホッとしますが、それを「圧倒的に 整備が遅れている」と結論づけた戦略会議の思惑が、あまりに露骨で、稚拙です。

いま、起こっている、それを受ける側の人材の質の低下を考えれば、子どもたちが未来の時限爆弾になるかもしれない体験、出来事、扱いが、この「仕組み」の中で起こる可能性は十分にある。現場の整備、人材の質の向上など不可能な状況で、「思いつき」を既存の施設に丸投げする。その手口を習慣化したのは、政府の「母子分離に基づく、一億総活躍」政策です。

政府のこういう扱いが、体験として乳幼児の脳にどう刻まれるか、まるで考慮していない。閣議決定した政治家も含め、この「会議」の見識の無さに驚きます。「圧倒的に 整備が遅れている」のは、「圧倒的に現場を知らない」、「ママがいい!」という言葉に耳を貸さない政策集団の質と、感性でしょう。

「戦略」に

「どのような状況でもこどもが健やかに育つという安心感を持てる」ようにする、と書いてある、その手段の一つがこのショートステイなのです。

「どのような状況でもこどもが健やかに育つ仕組みなどあり得ない」、そういう基本的なことを言っても理解しない人たちです。

初めて笑って、初めて歩いて、その姿を周りの人たちが眺めて、一生の絆が生まれていかなければ、健やかに育ったことにはならない。安心感という言葉の意味をわかっていない人たちが、「戦略」を立てている。

国連の子どもの権利条約には、「親(特定の人)を知り、その人と十分な時間を過ごすことの大切さ」が、「権利」として書かれます。ユニセフの『白書』には、三歳までの、親や家族との経験や対話が、のちの学校での成績、青年期や成人期の性格を左右する、とあります。WHO(世界保健機関)は、「人生最初の千日間」がその時期に最も発達する人間の脳にとっていかに大切かを言い続けている。

人権侵害とも思える子どものショートステイを、「圧倒的に整備が遅れている」と言う人たちが、「子どもの育ち」と「親の利便性」をすり替え、「こども誰でも通園制度」を進めているのです。現場が引き受けられないことを政府が約束し、親の責任回避を煽り、子育ての第一義的責任をますます曖昧にする施策を作っている。国中で、そのことに気づいてほしい。(マスコミがやらないので、シェア、リツイート、コピーペースト、お願いします。もう時間がない。)

こういう政府の姿勢、経済主体の「一億総活躍」の流れが、保育現場における虐待、教師による生徒いじめ、介護施設や精神病院による非人間的行いを生んでいる。

「ママがいい!」という言葉を直接受け止め、心を痛めている保育士たちは、「無理なものは無理!」と決起してほしい。11時間、子どもを母親から引き離すのは、可哀想だ、と、もう一度強く思ってほしいのです。保育者たちが人間性を取り戻せるか、そこが、子どもたちの最後の砦となっている。

配置基準を(75年ぶりに)、1歳児は6対1から5対1へ、4・5歳児は 30 対1から 25 対 1 にしても、親たちの意識の変化を考えれば30年遅い、まったく手遅れ。乳児からの母子分離推奨によって、愛着障害と思われる子どもが増えすぎているのです。

もちろん、やった方がいい。でも、その分、保育士が必要になる。少子化で相殺されても、0、1歳の園児数を減らさない限り、実質効果はない。親の責任、という意識が復活してこない限り、保育士たちは納得しないし、健全な保育環境は還ってこない。11時間保育=「標準」に始まり、保育はパートで繋いでもいいなど、ここ数年間に行われた、国の規制緩和は、「子どもの最善の利益を優先する」という保育指針を読んだ保育士たちに対して、全く説得力がないのです。

保育の質を軽んじる「規制緩和」と、弱者に「ママがいい!」と言う機会さえ与えない異常な母子分離施策、そして保育のサービス産業化が、

「新任教諭の退職、公立校で相次ぐ。精神的な不調、東京では理由の4割」https://www.asahi.com/articles/ASR6N4TFKR5YUTIL00R.html

という現状を生んでいるのです。

経済財政諮問会議の元座長が、「〇歳児は寝たきりなんだから」と私と園長たちの前で、言ったことがあります。この人たちは、保育を飼育くらいにしか考えていない。

「子どもたちの気持ち」を考慮しない「戦略」で、これ以上、学校を追い込むのはやめた方がいい。

 

世界第3位の経済大国だったら、もうそれでいいでしょう。インド、インドネシア、ブラジルが私たちを抜いていったら、良かったね、うまくやるんだよ、と祝ってあげればいい。

上にいるのはアメリカと中国という、絶対に真似してはいけない二つの国。何度も数字をあげてブログに書きましたが、日本は、子どもを大切にする、安心して育つ環境という点では、悪くなってきたとはいえ、先進国の中で一番いい国です。

今年になって、世界第1位の経済大国アメリカで、四人以上が撃たれる乱射事件が、毎日二件以上起こっている。毎年養子となった子どものうちの2万5千人が捨てられている。「捨てられる養子たち」NHK BSドキュメンタリー:https://www.facebook.com/watch/?v=1820006938239263 をぜひ、見てください。人間社会は、ここまで行く可能性を持っている。

一位になどならなくていい。

「戦略」を読むとわかりますが、政府は、子どもたちが可哀想、と思う気持ちを社会から消したいのです。

学者や政治家は、母子分離が経済発展に必要だ、と、頑なに思っている。それを「平等」という言葉で覆い隠し、「利権と欲」が操る「一億総活躍」という戦略に、母親を引き込もうとしている。

彼らにとって、子育てをしている母親は、「活躍」していないのです。「労働力人口」の定義にさえ入っていない。(祖父母の気持ちも、「子どもの未来戦略」からは見事に消えている。)

母親たちが、人間社会のバランスを保ち、人生の価値を浮き彫りにしてきたことがわかっていない。慣らし保育で、なぜ、ほぼ全ての子どもが、「ママがいい!」と言うのか、母親を選択するのか、子ども未来戦略会議は理解すべきです。慣らし保育の現場に足を運び、そこで子どもたちの叫びを聴き、自分の人生と、この国が失った幼児との時間を体験的に、感じるべきです。

経済重視に偏りすぎた、子育ての仕組みを、作り直す時です。

 

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。シェア、リツイート、コピー、拡散、よろしくお願いします。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。推薦してください。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。政府や行政が、身勝手な「戦略」を立てても、現場の保育者一人ひとりの決心で出来ることがたくさんあります。子どもにとって、守ってくれる人は、目の前の人。よろしくお願いいたします。)

 

 

保育「業界」のモラルの低下

保育「業界」のモラルの低下

「こども誰でも通園制度」は海外では常識、という専門家の発言がAERAに載っていました。いい加減な発言、嘘です。

家庭、家族という概念が崩れ、未婚の母から生まれる確率が半数近くになっている国々では常識、と言うべきでしょう。母子分離をしないと経済が機能しない、「子ども優先」という本来の「子育て」の姿ではなくなっているのです。

そういう国々が選択した政府による母子分離は、同時に親心の喪失でもありました。その結果が、日本の二十倍から三十倍という犯罪率になって現れている。未婚の母の低年齢化が進み、「家族」という定義が完全に空回りしている。

日本の「今」は、欧米の六十年前の状況でしょうか。だからこそ、欧米を真似してはいけない。

加えて、まだ、保育園という制度を人々がほぼ体験していない「海外」が半数以上ある。この専門家が都合よく使っている「海外」から、州によって状況が全く異なる米国や発展途上国を除外して考えないと、悪質なフェイクニュース(偽情報)になる。

簡単に「海外では常識」と載せてしまうマスコミがいい加減すぎるのです。「意図的」な報道と疑いたくなる。それによって、保育界と学校現場が追い込まれ、壊れていく。

 

選択肢のない、主張できない幼児たちにとって不当な、社会学者や専門家による提言を「進歩」のように報道するマスコミ。「ママがいい!」という、幼児たちの願いは、いよいよ四面楚歌になっています。

「11時間保育を標準」とした閣議決定と、保育はパートで繋いでもいいという規制緩和が加わって、保育の質の低下はすでに直接学級崩壊に連鎖している。保幼小連携などと、机上の空論を学者が言っているうちに、親たちの責任転嫁、園に対する要求はますます激しくなり、教師不足がもう止められない。

水増し受給で、計画的に補助金を不正受給する保育「業者」が後を絶たないのです。

確信犯的な業者の参入で、子どもたちの日々と、税金がその餌食になる。私は、保育園を「業者」と呼びたくはなかった。しかし「保育は成長産業」という閣議決定が、こういう事態を招いてしまった。主導権を握っていると思っていた政府や行政が、補助金に群がる「業者」に手玉に取られている。

そして、イライラすれば預ければいい、という人類未体験の「共通理解」が広まっている。

業者には煩わしかった、「ママがいい!」という言葉が、親たちにとっても、煩わしくなり始めている。

「不正は氷山の一角?職員不足で実地検査回らず」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/190872

「国や自治体が運営費を支給する認可保育所は原則、都道府県による年1回以上の実地検査が義務付けられている。だが東京都が実地検査を行ったのは、約3000施設ある認可保育所のうち2019年度で8・0%、コロナ禍の20年度は4・3%にとどまった。担当職員の不足などが原因とされる。区市町村にも実地検査の権限はあるが、今回の不正発覚の端緒になった豊島区でも2年に1回程度という。」

保育界における倫理観の低下は、子どもたちの日常、一家の人生、学校教育の存続に直接影響します。「担当職員不足で実地検査回らず」など、まったく言い訳にならない。保育の重要性を理解していないから、担当職員を増やさなかったのでしょう。国の保育施策、「子育て安心プラン」と同じです。経済優先の「受け皿」の拡大に引きずられ、児童虐待過去最多、不登校児童過去最多、引きこもり過去最多、という事態を引き起こして、今になってこども家庭庁などを作ってオロオロしている。子どもの意見を聞く、などと言っても、出発点にある「ママがいい!」という幼児の叫び、すすり泣き、「意見」を無視しておいて、やったフリでこれ以上誤魔化すな、と言いたい。

大人たちの権利、平等意識に煽られて、子どもたちに逃げ場が無くなっているのです。

1歳2歳で噛みつく子が増え、教師が止められるはずのいじめが小学校で止まらなくなっているのも、保育の質の低下と、親の意識の変化が、その延長線上にある。

こども家庭庁は、不適切保育をなくすためのガイドラインで、 「児童福祉施設の職員は、児童の心身に有害な影響を与 える行為をしてはならない」「子どもに精神的苦痛を与えることがないよう、子どもの人格を尊重するとともに、子どもが権利の主体であるという認識をもって保育に当たらなければならない」と通達を出しました。11時間保育を国が標準と名付け奨励することは、児童の心身に有害な影響を与 える行為であって、子どもの権利と人格を尊重していない、という意識がない。現場に対する説得力がないのです。

それに、異次元の少子化対策の看板施策「こども誰でも通園制度」で拍車がかかる。

保育士不足と保育界の倫理観がこれほど下がっている状況で、なんて馬鹿げたことをやろうとしているのか。「ママがいい!」という言葉を尊重し、母子分離政策を辞めない限り、このままでは、政治家たちの集票施策、選挙対策で、学校という仕組みまで壊されていく。

人間が寂しいときに一番頼りにできる人たち、幼児たちとの時間が市場原理と選挙対策によって奪われていく。

二歳児が隣に居てくれれば、人間は、無敵だったのに。

学校の教育など、私の学びの邪魔にはならない、とマーク・トウェインは言いました。

人間は誰から何を学ぶのか、考えた方がいい。

0、1、2歳児を育てていると、人間は言葉を知らなくても、文字を知らなくても、生きられることに気づく。一人でご飯を食べられなくても、生きられたことに気づく。

母がいてくれれば、それで足りていた。むしろ、幸せだったことに気づく。

この気づきが、土台になければ社会は成り立たない。慣らし保育における「ママがいい!」という叫びと、すすり泣きは、人類への警告なのです。

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。簡単に手に入る相談相手の育て方、絆を作る選択肢が書いてあります。よろしくお願いいたします。)

 

 

一般公開している講演会は少ないのですが、時々あります。上越市の講演会は、午前中に私の作ったインドのドキュメンタリー映画の上映会もあります。多分、演奏付きです。無料です。応募受付け開始が6月23日からです。ご注意ください。

上越市での「講演会と上映会のお知らせ」

「講演会と上映会のお知らせ」です

一般向け、というか、講演の内容は大体同じなんですが、7月29日に、新潟の上越市で上映会と組み合わせた講演会があります。

 

企画・運営は、「自然な出産と母乳育児を考える会」。小さな会ですが、助産師さんを中心に、もう私の講演を主催するのは四回目。こういう人たちが人間社会を守るんだ、という独特な気合いを持った人たちで、今年は、私の作ったドキュメンタリー映画「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」の上映会を午前中にやって、午後は通常の講演会です。質疑応答の時間もたっぷりとってあります。

上映会は、監督(私)の解説付きです。ひょっとすると演奏付きです。無料です。講演会も。

 

私が自主制作したこの作品は、第41回ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭、長編ドキュメンタリー部門で金賞を受賞しました。

見てもらった絵本画家の安野光雅先生から、こんな評をいただきました。(安野先生は、私の小学校の工作の先生で、編集者の父と共に50年以上お付き合いいただきました。)

 

「不要な会話がなかった、ひとことも聞き漏らすまいというふんいきが生まれていた」

「目の中に祈りを感じました」

「挿入された、一見関係のなさそうなシーンは、『詩』のように心に響きました」

 

この「評」は嬉しかった。

ナレーションのないドキュメンタリーで、映像と音楽(私のアルバムから)と字幕で通すのですが、ダリット(不可触民)と女性の人権の為に闘う修道女の話です。

ダリットに対する差別の問題は、論理性を超えた人間の狂気のような部分があって、私が理屈で立ち入れることではないのですが、その、踊る姿が、美しい。そこに、何かに守られた「強さ」がある。

ただ感性を研ぎ澄ませて、そこで観たものを表現するしかありませんでした。

シスターに出会わなかったら、私は「映画」を作ることなど無かったはず。縁は、不思議な道筋を示します。この縁を、生かしておきたい。

ぜひ、いらして、一緒に風景に触れてみてください。

 

児童文学と共に、インドの風景は私の考える基点です。そのあたりのこと。なかなか興味深い話をすると思います。

貧しき者は幸いなれ、という、不思議なメッセージが、インドの村から伝わってきます。

私がシスターに「幸せとは?」と尋ねると、シスターは一瞬間を置いて、「集まること(Coming together)」と答えました。最後のインタビューで、それに「分かち合うこと(to share)」が加わります。

時々、その次元にまで戻らないと、道筋が見えなくなる。

ちなみに、シスターと私は同い年、です。

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「みてきいて考える  いのちを支える絆」

7月29日、上越市市民プラザ、

午前、「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」上映会と松居和監督トーク付き、午後、講演会

参加無料、定員、各40人

受付開始は、6月23日(金)です。

<申込み・問合せ>ウィズじょうえつ

(上越市男女共同参画推進センター)

〒943-0821 上越市土橋 2554

上越市市民プラザ2階

TEL/025-527-3624 FAX/025-522-8240

E-mail/d-sankaku@city.joetsu.lg.jp

受付時間:平日8:30~17:15(土・日・祝・市民プラザ休館日(第3水曜日)を除く)

 

(講演会もですが、この映画の上映会開催に興味がある方、ぜひ、matsuikazu6@gmail.com まで、ご連絡ください。今も、シスターのミッションと繋がっています。よろしくお願いします。)

 

 

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もう一つ、一般に開いた講演会のお知らせです。

もう一つ、一般に開いた講演会のお知らせです。

7/13:王滝村立王滝小学校体育館(長野県)で久しぶりに講演します。とても良い所です。ぜひ、お越しください。

【問合せ・申込先】

長野県生涯学習推進センター(担当)望月

TEL: 0263-53-8822

〒399-0711 塩尻市大字片丘字南唐沢6342-4 FAX:0263-53-8825:

E-mail:shogaigakushu@pref.naganolg.jp

 

 

 

講演、講座のご案内です

私の講演は、保育団体、幼稚園、保育園の主催が多く、一般に開いているものが少ないのですが、時々、あります。よろしければ、ぜひ、お越しください。群馬です。

令和5年度第1回リカレント講座のご案内
日 時  5年7月1日(土)13:30~15:30 (受付 13:00~)
育英大学 •育英短期大学教育研究所
125教室 (定員100名) 対象:保育・教育関係者

申込方法:氏名、所高機関、メールアドレス、相談希望者は相談の簡単な内容を
下記E-nailにてお申込みください。E-mail:kanrika@ikuei-g. ac. jp

申込期限:令和5年6月20日(火)※定員に空きがある場合は当日受付も可能です。

「諦める」こと

前々回、「慣らし保育」における「ママがいい!」という子どものすすり泣きを「可哀想に」と思ってしまう元大学の教師に関して、寄せられた投書と共に、私の意見を書きました。保育を学問として捉えていた人が、現場で、子どものすすり泣きを聴いて、人として目覚める。嬉しい、投書でした。すると、Twitterの側から来た返信にこうありました。

 

これが本当に現実です。保育園で、子どもが一番に覚えるのは『諦める』こと。なかなか諦めることができない子どもは、ずっとずっと泣き続ける。どうしても『可哀想』と思ってしまう。だから保育園を辞めました。

 

(ここから私。)

人生の始まりに、「諦める」ことを覚えさせられる子どもたち。心ある保育者(人間)たちが、その風景に慣れることができず、辞めていく。

今、この国が進もうとしている道筋を象徴する出来事です。

「可哀想に」、という、人間社会を支え、維持してきた言葉を、なぜ、みんな口に出して言わなくなったのか。

この保育士は、それに疑問を持ち、それに慣らされたら、自分の人生を諦めることになる。そう思って辞めて行った。

 

ごく最近のことですが、

「可哀想」という言葉が、預ける側の「後ろめたさ」に重なって、母親が(女性が)そう感じることが「不公平」で「不平等」という論法が通り始め、広がったのです。

その論法が、欧米で、半数近い子どもが未婚の母から産まれる社会をつくり、「社会で子育て」という「偽の約束」が、シングルマザーの異常な増加と、近親相姦や親による虐待につながっていったことは明らかなのに、先進国から来る警告や報告は耳にしても、それが印象に残らないように操作されている。それどころか、欧米を見習え、日本は遅れている、という学者さえいるのです。

「待機児童をなくす」という選挙公約や、保育施策に関するマスコミの報道に、「子どもたちが可哀想」という反論が出来なくなっている。しかし、保育者の善意と、女性らしさに頼って誤魔化すにも、限度がある。

平等が目標になれば、本当の意味での男女共同参画社会は、家庭、子育てという次元から壊されていく、そうはっきり言った方がいい。欧米がたどった、経済優先の、弱者に辛い格差社会への道筋に、この国も引き込まれようとしているのだから。

女性の、パワーゲーム、マネーゲームへの参加率が大きく影響する「国連の幸福度調査」にも、それがよく現れています。

多くの宗教が勧めてきた「欲を捨てることに幸せを見出す」、子育てと重なる幸福論から人間社会を切り離そうとすることが、いまのグローバリズム。その中心に、母子分離政策がある。

(繰り返しますが、政府が進めてきた「少子化対策」は、「子育て支援」という名の母子分離策を中心に置いている。それによって少子化がますます進んだことは一目瞭然で、みな知っているのに、いまだに止めない。少子化対策は、単に選挙対策だからです。与党も野党も、宣伝カーのスピーカーからは、子どもたちは、「ママがいい!」と言っています、「子どもたちが可哀想です」という言葉は絶対に発せられない。そうして、子育てに対する「意識」が麻痺していく。)

四月やゴールデンウィーク明けに日本中に満ちる「ママがいい!」という叫びとすすり泣きが、消えるまで、慣れるまで、親の目から離される仕組みが作られている。性的役割分担の押し付け、「権利」、「平等」などという言葉で、「可哀想」という言葉が、かき消されていく。

小さな子どもたちの無数の「諦め」が、その陰にあって、「利他」の伝承が、途切れていく。

三歳までに発達すると言われる人間の脳にとって、この時期の「諦め」が何を意味するのか、生きていくために大切な歯車が、そこで一つ欠けていくのではないか。発達障害や愛着障害の大半が、この「諦め」が原因ではないのか。0歳児を預けることに躊躇しない親が突然増えているのも、その根底にこの「諦め」があるのではないか、真剣に考えた方がいい。

人類未体験の不自然な連鎖が、「慣らし保育」の名で行われている。

がっかりし、心を痛め、去っていく保育士の後ろ姿に、誰も声を掛けない。

慌てて、次の保育士を探している。その心の動きに、市場原理による「支配」が見える。

政府によって、保育を「サービス」と思い込まされた、要求ばかり主張する身勝手な親たちが増え、仕組みをさらに追い詰める。

先進国社会が、情報や言葉に支配されていくのは、学問が重視され、乳幼児と過ごす体験が欠けてきているからだと思います。

授乳だけでなく、三歳の子どもが生まれたばかりの弟や妹と出会うところからも始まっている特別な体験、祖父母が初孫と対面する時からも、始まる、あまり言葉に頼らない双方向への体験、その価値に気づいてほしいのです。それは、往々にして自分との対話、宇宙との対話であって、そのやり方を、人間は、乳児を可愛がることから学ぶのです。育てられるのは、所詮、自分自身でしかない。

乳幼児たちは、人類にとって一番の相談相手でした。この人たちを生かすことで、生きる動機と道筋を手に入れた。

国の子ども子育て会議が、11時間保育を「標準」と決めたとき、誰も、「可哀想」とは言わなかったのでしょう。

「平等」という架空の「正論」に縛られ、会議自体が人間性を失っていたのです。それを主張できない乳幼児の「願い」が価値を失っていった。弱者の悲しみや、諦めが、人々の視界から消え、「可哀想」という表現さえ封じられた。

幼児の「諦め」(慣らされること)を「自立」(自律)とか、自主性と呼ぶ学者たちさえいる。システムを成立させるための「こじ付け」は、最近限度を超えている。保育士不足という点からも、学級崩壊という結果からも愚策と知りつつ、仕組みは、政府(経済界)の都合通りに作られていった。幼児の側からは存在の喪失に他ならない「標準」が、政府によって設定され、それが、あっという間に行き詰まっている。

人類は、平等の上には成り立たない。

進化は、性的役割分担で成り立ってきたのだし、宇宙は、陰陽の法則で動いている。

子どもたちが、人間であることを諦め始めている。そのことに、気づいてほしい。

全国で、地域の「核」になってきた「幼稚園」が、保育園を周りに建てられ廃園に追い込まれていく。それを目の当たりにして、私は、心底腹を立てているのです。政府には、この国の最後の砦が見えていない。絆を育てる最適な手段を、雇用労働施策の元に壊そうとしている。

「当たり前のこと」を、口にすべき時が来ています。子どもたちは、誰でもいい、とは言っていない。

西洋の「学問」と、東洋の「祭り」(哲学)が対峙しているのだとしたら、この国にはまだチャンスがある。

午睡の時間にしのび泣く乳児クラスの男児に、「頑張れ!」と言うのは人間性を逸脱している。それを知っている国だと思うのです。

「可哀想だ」と感じたら、それを口にし、周りを見回す。

人間「社会」はそこから始まるのです。

この投書が全国紙に載るということは、本当の仕組みが見える人がまだたくさんいる、ということ。

耕し直すことはできる。

「ママがいい!」という言葉を、これ以上聞き流してはいけない。

 

(前々回の私の文章です)

朝日新聞:オピニオン&フォーラムに、「安心して休める 子育て社会を」という投書が載りました。

大学で「子育て支援」などを教えていた人が、保育の現場で園長として働き始め、午睡の時間に、男児の「ママがいい!」というしのび泣きが乳児クラスから聞こえてくる。そして、「頑張れ!」より「可哀想に」を口にしてしまう。

そうですね。これが人間です。

幼児たちのいる風景に私たちは、育てられ、試される。自分の人間性に気付かされる。

慣らし保育で、私たちは、何に慣らされるのか。慣れてはいけないものがあるのではないか。この投書を読んで、私は、救われる思いがしました。

学問を離れて、帰ってこなければならない場所がある。

泣き続けた幼児たちの心に、その時、何が残ったのか。子ども真ん中、というならそこを真剣に、ずっと考えるべき、感じ続けるべきなのです。

いま、進められようとしている異次元の少子化対策、「こども誰でも通園制度」は、この悲しみ、このしのび泣きを、増やすこと。

その先には、すでに学級崩壊や、不登校児童過去最多、教師不足があって、もはや待ったなしのところまで来ている。

「ママがいい!」と言われたら、それはいいママだった、ということ。子どもに、いいママと言われて過ごす人生ほど、確かで幸せな人生はなかったはず。

 

 

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。幼稚園や保育園を核にし、絆を耕し直す方法が実例を挙げてたくさん書いてあります。予算もほとんどかからない、そのいくつかを仕組みの中で「常識」にするだけで、学校が鎮まってくる。よろしくお願いいたします。)

 

 

いつでも帰っておいで

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コロナが静まり、講演が返ってきました。葛飾柴又の帝釈天、ルンビニー幼稚園で講演しました。もう何度目になるのでしょうか。

「男はつらいよ」が好きで、全作見ている私には聖地です。

寅さんがあれほど支持されるのは、日本人の遍歴放浪に憧れる文化の象徴だからでしょうか。

帰ってくるところがあれば、人生は結構揺るがない。自立なんかしなくていいんだよ、いつでも帰っておいで、という人たちがいれば、大丈夫。

いつまで経っても、「寅ちゃん」と呼んでくれる人、「寅っ」と叱ってくれる人がいれば、それだけでいい。

講演が終わって、参道のうなぎ屋さんで園長先生に(帝釈天のお嬢さんに)、鰻重をご馳走になりました。

 

そして一昨日、群馬県民間保育園・こども園協会の総会で、園長先生たちに話をしました。

群馬も何度も行っています。十五年、二十年前に私がした講演が、園の行事になって根付き、いま大切に花開いていることを何人かの先生たちから聴き、ああ、良かったと、嬉しかった。あの頃、政府の保育に対する姿勢が、もっと子ども寄り、保育士寄りだったら、いま直面している学級崩壊も、保育士不足も、もう少し対応できるものになっていたのに、と忸怩たる思いです。

でも、こうして保育の「形」を守っている人たちがいる。信頼関係が、園の伝統になっていれば、親たちはちゃんとそれを継承していく。子どもたちの前では、人間たちは、笑いながら、ちゃんといい方向に進んでいく。

入学式、卒業式、成人式、には晴れ姿の「あの子」たちが、自慢げな親たちと集まってくる。そこには、その子の「小さい頃」を知っている人たちが待っている。帰ってきたね、と迎えてくれる。

 

懇親会で、思い出話と共に、これからどうするか、どうなるのか、についても話し合いました。一つ一つの園で、着実にできることがあるのだから、それを、まずやっていくしかないのですが、それにしても政府や学者が進める、現場を追い詰める最近の施策には呆れます。

今週から、3週続けて九州に行きます。「ママがいい!」、あちこちで読まれています。ぜひ、ご一読ください。

 

新聞に、妹(小風さち)が出した新刊の書評が載っていました。子豚のピクルスの3冊目です。

先週、妹から、「この黒いブタが、かず兄さんだから」と言って渡されたやつです。

あああ、だから言っているのです。人間は、自己肯定感など、持てるわけがない、って。

学問を離れて、帰ってこなければならない場所

 

 

朝日新聞:オピニオン&フォーラムに、「安心して休める 子育て社会を」という投書が載りました。

 

大学で「子育て支援」などを教えていた人が、保育の現場で園長として働き始め、午睡の時間に、男児の「ママがいい!」というしのび泣きが乳児クラスから聞こえてくる。そして、「頑張れ!」より「可哀想に」を口にしてしまう。

そうですね。これが人間です。

幼児たちのいる風景に私たちは、育てられ、試される。自分の人間性に気付かされる。

慣らし保育で、私たちは、何に慣らされるのか。慣れてはいけないものがあるのではないか。この投書を読んで、私は、救われる思いがしました。

学問を離れて、帰ってこなければならない場所がある。

泣き続けた幼児たちの心に、その時、何が残ったのか。子ども真ん中、というならそこを真剣に、ずっと考えるべき、感じ続けるべきなのです。

いま、進められようとしている異次元の少子化対策、「こども誰でも通園制度」は、この悲しみ、このしのび泣きを、増やすこと。

その先には、すでに学級崩壊や、不登校児童過去最多、教師不足があって、もはや待ったなしのところまで来ている。

「ママがいい!」と言われたら、それはいいママだった、ということ。子どもに、いいママと言われて過ごす人生ほど、確かで幸せな人生はなかったはず。

 

私の願い

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(こんな報道がありました。)

「女性就業のM字カーブ改善、島根首位」

「女性の就業が主に出産や子育てに伴って30代で落ち込む『M字カーブ』(総合2面きょうのことば)の度合いに都道府県で違いが出ている。20代後半と30代で女性の労働力率の差を比べると、島根県は2.2ポイントでMの谷が最も小さかった。差が小さい地域は女性の正規雇用率も高い。人口減の中で働き手を確保するには女性が仕事を続けやすい環境づくりが重要になる。」 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO69810510R30C23A3EA1000/

 

私は、「M字カーブ」は日本の美しさです、という文章を15年前に書きました。

母親が子どもと居たい、子どもたちが「ママがいい!」と思うことを、日本は欧米にくらべ、はるかに尊重していた。子どもの最善の利益を優先する、という「子どもの権利条約」に照らせば、先進国の中では群を抜いて優等生だった。

その、いい国を、こうした記事が壊していく。

マスコミは、経済界や政府の意向に沿って「M字カーブ」に異を唱え、それが無くなることをすでに「改善」と位置づけている。誰にとっての「改善」かは吟味しない。

フェアじゃない。

報道が、この国を、一人では生きられない絶対的弱者の願いを感じ取れない社会に変えていく。子どもと一緒にいたい、と思う女性の意志を肩身の狭いものにしていく。

記事に「30分単位の有休で育児と両立」という言葉があります。ジャーナリズムの言う「両立」は、この程度のもの。一時凌ぎに過ぎない。乳幼児の側からは、成立していない。

 

少子化が進んでいるにも関わらず、児童虐待が過去最多になっている。(でも、人口比率からすれば、親に殺される確率はアメリカの50分の1。)加えて、不登校児童の「異常」と言っていい増え方は何を意味しているのか。その原因に、こういう報道姿勢が招く、子育ての外注化と、親たちの「意識の変化」がある。子どもの気持ちよりも経済を優先する傾向が、社会においても家庭においても、強くなり、子育てが「親身な絆」を育てる、という機能を果たせなくなっている。

それでも、「両立」を支える仕組みが成り立つならば、まだいい。しかし、そうはならない。

 

 障害児への虐待 親と子をどう支えるか https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/62/ 

 「発達障害」児童を急増させる社会風潮の正体:少子化でも特別支援学級が増える真の理由(東洋経済On Line:https://toyokeizai.net/articles/-/604154)。

 先生の質を保てない 公立2000校で欠員、1年で3割増加(日経)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD258XU0V21C22A0000000/?n_cid=NMAIL007_20230116_A

(「M字カーブ」は「両立」を前提にしている。そして、ジェンダーレスという考え方が後ろに控えている。現在のアメリカの混乱でも明らかなように、この道筋が宗教と対立し、分断に拍車をかける。日本ではその摩擦がそれほどでもないのですが、それでも、やがて人間性(幼児)と対峙してしまう。)

 

エンゼルプランが始まった20年前、政府の「子育て支援」を、保育士たちは「子育て放棄支援」と呼んでいた。それをマスコミは伝えようとしなかった。

私は、現場のその思いを、国会でも、自民党の少子化対策委員会でも伝えた。それでも、施策の中で幼児たちの願いが優先されることはなかった。「子育て」に対する意識の変化を促すマスコミの報道のしかたに問題があったのです。世論が「子ども優先」にならないと、選挙優先に考える政治家たちは動かない。票が減ると思えば、敢えてその問題には触れない。

言い続けるしかない。幼児が「ママがいい!」と言ったら、「ママがいい!」。その言葉に嘘はない、駆け引きもない。

 

エビデンスは、その使い方、説明の仕方、解釈(誤解)次第でフェイクニュース(偽情報)になる。

日本は、若者の自殺が世界一でしょう、と私に言った人がいた。

そんなことはありません。若者の死亡原因の1位が自殺という情報を誰かが間違って解釈したのでしょう。日本は駄目な国と思っていると、こういう間違いを犯す。(M字カーブを「改善すべきもの」と、位置づけた考え方に似ている。経済一辺倒で、とても浅い。)

「若者の死亡原因の1位が自殺」、だから日本は良くない、と思うことがすでに間違いなのです。

医療の水準が高く、救急医療が充実し、殺人事件が少ない。そして、銃規制が非常に厳しい、そう解釈すべきで、良いことばかり。

ちなみにアメリカの若者の死因の一位は、銃で撃たれること。

 

世代をまたぐ自殺率の比較では、日本は、先進国の中では平均並み、26位です。上には、韓国が4位、リトアニア7位、ロシア9位や、ベルギー19位、アメリカ24位が位置しますし、フィンランドやスウェーデンも日本とほぼ同じ。https://worldpopulationreview.com/country-rankings/suicide-rate-by-country )そもそも、日本の若者の(死因ではなく)自殺率が本当に高ければ、平均寿命が世界一位にはならない。

自殺率の比較で韓国が高いのは、「転生」を信じる文化が背景にあるのかもしれません。二年間の徴兵と、ある種の臨戦態勢下にあること、離散家族の問題なども考えられます。ロシアは、気候とアルコールの消費量と関係がある気がする。ベルギーの順位が上位なのは自殺幇助が合法だからでしょうか。そうした、法制度や文化・習慣の違い、宗教の影響や、死生観を理解せずに自殺率を比べても意味がない。

(ちなみに、日本では、男性の自殺率が女性の二倍。男性の就労率にもM字カーブがあれば良かったのです。でも、それでは女性のM字を守れない。この女性の就労率のM字カーブが、先進国では日本特有で、女性の平均寿命が世界一なのであれば、そこに因果関係を見た方がいい。乳児と過ごすことで、長寿に関連する遺伝子がオンになるのかもしれない。利他の心で生きれば、目的もはっきりするし、精神的にもいい。もちろん、平均的に、ですが、人生が安定するのでしょう。)

 

そして、自殺は、犯罪ではない。

ヘミングウェイ、川端康成、太宰治、三島由紀夫、といった高名な文学者も選択していますが、「感性」とか、「生き方」における真剣さ、誠実さという領域の問題でしょう。その選択を非難したり、負の数字として語ることは、人間の感性、繊細さに順位をつけるようなもの。この四人は、その選択に行き着く道筋が非常に異なっている。

私は大切な友人を、四人、この方法で失っています。

しかし彼らを責める気はないし、その決断で彼らの人生を計る気もない。止められなかった無念さはありますが、そういう流れだった。繊細ないい奴、貴重な同志、いい仲間で、生きていてほしかった。まだ、私の空間の中に、いる気がする。死ぬ直前に振り返って、もう一言二言、話したい。

「Passion:情熱」で動く、キャリアでは成功した四人でした。

なぜ、彼らは、あれほど見事に咲いていた時に、その道を選んだのか。時々、心の中で問いかけることが私の人生です。

自分の心の声に耳を傾ける、ひときわ、子どもっぽい男たちでした。

だから怖いのです。日本で「感性豊かに育った子」「可愛がられて、世界を信じていた子」が、学校で虐められたり、仲間外れにされる傾向が強くなっていることが……。

子どもが、学校という仕組みの中で、感性捨てるか、人間やめるか、みたいな所に追い込まれている。可愛がって育てられた子を、嗅ぎ分けて、いじめる。教師が絶対に止めなければいけないことが放っておかれる。子どもをいじめる教師や、保育者さえいる。

だからといって、感性豊かに育った子、その子を育てた親を、責める気は微塵もない。人間らしく育った子どもたちが、子どもを可愛がって育てた親たちが、それゆえに辛い思いをする社会になってほしくない。

それだけ。

M字カーブは美しい、カーブなのです。

 

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。幼稚園や保育園で話すのが好きです。保育者と保護者、一緒に聞いてもらえると嬉しいです。ご要望によっては、最後に一曲演奏したりします。)

 

 

12日(金曜日)に渋谷のライブハウスで演奏します。

今月、12日(金曜日)に渋谷のライブハウスで演奏します。
基本的に即興で楽しむことを目的とした、セッションです。
ぜひ、お越しください。
最近は、講演の(しゃべる方の)最後に一曲、とか、制作したドキュメンタリー「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」の上映会で吹くくらいですが、いいミュージシャンとの音のやりとりは、ワクワクします。
いい音に仕上げてくれる、エンジニアの長門さんとの再会も嬉しいです。
天と地、その間に存在する、メロディーとリズム。
そんな感じで。