不思議な場所で、父、妹と、三人講演

 

父に来た「お悔み」のメッセージの中に、長野県の茅野、諏訪地方で長い間「絵本」の読み聞かせを普及させるために活動してきた人たちからの「感謝」の言葉がありました。

人生は様々に重なります、生きる動機がその重なりに映し出される。そして、励まし合い、助け合います。親が子どもに読み聞かせをする、その体験は、人生を変えるだけの力がある。

情報ではないのです、体験なのです、大切なのは。

 

私たち一家には馴染みの深い、特別な縁を感じる辺りです。私も、茅野市の行政アドバイザーをやっていたことがあり、50回くらい、父は多分それ以上講演に行っていたはずです。テーマは違いますが、言っていることは底辺でつながっている。

御柱祭り、に招かれ、森の中に縄文のビーナスも居たりして、その辺りには不思議な、長く続く、気配があって、コミュニケーションの主題となるべき、「神」がいます。

 

縄文のビーナスがある美術館は、しーんとした落ち着きがあって好きな場所です。こういう場所に子育て支援センターをつくればいいのです。駅前よりは不便かもしれませんが、ここまで親子でやってくる、その道のりにも意味があるはず。子育てには、森の音、川の音もいいはずです。

古い神社に、どぶろく祭りもあります。

父と私は、一緒に講演することは数回しかありませんでしたが、一度だけ、妹も混じえて、この地で、三人で講演したことがありました。

(一般に、この三人がつながっていることを、知らない人の方が多いのです。)

 

妹は、小風さち、といい「わにわに」という絵本のシリーズが有名で、独自の世界を持っている人です。私は、講演に行って、妹のサイン本を頼まれたことがあります。

その時の三人講演の、記念すべきチラシがあります。

父は八十五歳になっていました。

受け継がれた「時間」で、どこまで、何ができるのか。混沌とした保育や教育界の現状を見すえながら、考えます。

 

 

 

一月二十二日(日)午前5時から、と二十八日(土)午後1時から、NHK Eテレ こころの時代 アーカイブ「言葉の力、生きる力」で、父が出演した番組が再放映されます。ご覧になっていただければ、幸いです。

(妹について書いたブログは:http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=4312)

自然治癒力は形を変えて存在する

 

講演後に、自分が愛されていたと思えない人から、子どもの頃から引きずっている「孤独な体験」、トラウマのようなものについて聞かされることが重なりました。本にサインをしながら、そういう男性と結婚した女性から相談を受けました。

講演後に送られてきた感想文の中に、二つ、道筋が見えないことへの不安と、心の葛藤が書かれていました。

0歳児保育を政府が補助金と公定価格を使って奨励し、仕組みが、そのように整えられ、預けられた子どもたちが親になり、保育者や教師になっています。保育、教育、にとっては未知の領域に入っている、人類未体験の連鎖が始まっている。

進化の歴史を考えれば、この規模の意図的な母子分離策が子どもにとっても、親にとっても、不自然な試みであることは明らかで、そのことは子どもの権利条約を読めばわかるはずです。

ユニセフの『世界子供白書2001』に、三歳までの、親や家族との経験や対話が、のちの学校での成績、青年期や成人期の性格を左右する、とある。WHO(世界保健機関)は、「人生最初の千日間」が、その時期に最も発達する人間の脳にとっていかに大切かを言いつづけてきた。

(アメリカで二十五年前に、父親像を持たない子どもは、五、六歳からギャング化する、という研究発表がされ、ワシントンD.C市が、公立の小学校を使って父親像を教える「プロジェクト2000」を始めた時のことを思い出します。すでに、首都で、子どものいる家庭の半数以上に大人の男性がいない、という状況がありました。)

 

乳幼児期における母子分離が人生にどう影響するのか、仕組みによる子育てが、どこまで通用するのか、はっきりとはわかりません。その子が生きていく過程で、絆という「環境」がどう変化していくかに左右されるのでしょう。

学校で、いい担任に恵まれたり、図書館で一冊の本と出会うとか、信仰を持つこと、親友が一人寄り添ってくれるだけでも、人生は守られ、救われます。

いい道筋は、無限の可能性として、いつもそこにある。

しかし、その無限の可能性を維持し、それがそこにあることを感じるためにも、幼児期に親子がともに過ごす時間が必要なのだと思うのです。

結局は、人生の幸福は、どういう物差しを手にするか、という、自身の決断でしかありません。その中でも、「子育て」に幸福感を見出す、という選択は、最も公平で、有効で、遺伝子的にも一番自然でしょう。子育てが「生き甲斐」でなければ、人類はとっくに滅んでいる。

頼り切って、信じ切って、幸せそう。そんな三歳児、四歳児たちの姿を羨ましく思い、拝みながら、生きていく人が多いのがいい。

弱者を守り、大事にすることで、自分の価値が一番高まっていることに気づけば、これほど確かな自己肯定感はない。

「自己肯定感」、最近教育や保育の分野でも使われる言葉です。キャリアにおける自己肯定感など、会社が倒産したらお終い、戦争になったらお終い。こんなものは偽物です。利権がらみの自己実現は、一握りの勝者しか生みません。

最近の世界情勢を見ていると、一部の権力者や独裁者の「自己肯定感と自己実現」のために、多くの人々が死んでいく。

自己肯定感は、簡単に対立する。忘れてはいけない、当たり前のこと。

安易にこういう言葉を使うことで、子育てが「教育」に乗っ取られるような気がしてならない。

他人との比較で覚える自己肯定感は、本物ではない、と思うのです。自己を肯定する、と言えば、なんとなくいいことのように思えますが、私は、とてもそんな境地に達することはできそうにない。しっかり神と対峙した上でなければ、安心には繋がらない気がする。

(全般的に、興味深い人生だったな、と思うことはあります。でも、それは自分を肯定できるものではなく、運に感謝する、というのに近い。)

しかし、幼児と過ごした「貴重な時間」は、親の記憶にも、子どもの心にも、穏やかな、優しさを伴った自己肯定感として残り続ける。その意識の中で伝承されていくものが、人類にとって大切な「何か」だと思うのです。

私も、数ある可能性の一つになりたくて、講演や演奏に願いを込めるようにしています。

伝令役になりたい、と思い、本を書きます。

自然治癒力は、あちこちに、形を変えて存在する。

 

ある日、講演に行った保育園で父親たちが「ウサギ」にさせられていました。

保育士たちが、ウサギのかぶり物を父親の人数分用意して、私の講演が終わると、「ハイ、お父さんたちは、ウサギになってくださ~い!」と手渡した。

すると、お父さんたちはウサギになるしかない。

これは衝撃でした。

宇宙の法則が突然目の前に現われた気がして、鳥肌が立ちました。

園長は父親をウサギにする「権利」を持っている。

社長や校長は持っていない。

宇宙から与えられた「権利」に違いない。すぐに、そう思いました。

 

最近「権利(けんり)」と 呼ばれるものは、そのほとんどが「利権(りけん)」です。保育も、預ける側の「利権」になり始めている。でも、園長が手渡された「これ」は、そうではない。

この「権利(けんり)」で、子どもが安心して幼児期を過ごせる環境を勝ち取る闘いに、勝てるだろうか。

勝てるかもしれない、と私は思ったのです。

いま起こっている保育の質の低下は、本当に必要な時だけ預ける、という親の意識と、三才未満児はなるべく親が育てられるようにする、という国の姿勢があれば止められる。

保育園でウサギにさせられたら、誰だって少しは変わる。

引きつった顔でいやいやかぶった父親も、三分もすればウサギです。保育園には、園児にそういう「働き」をさせる気配がある。競争社会で固まっていたお父さんたちの心が、いっせいに溶け出す。

みんなで、やればできるのです。

 

見回すと、みんながやっている。

その奇妙な「同志意識」が人生を確かなものにするんですね。

それを見て、喜んでいたのが母親たち。

父親たちも、実は、ウサギになりたかったのです。

幼児たちと一体になることで、人間は、自分の中にある「願い」を感じる。そして、この宇宙に不公平はない、と気づく。

「平等」というのは、勝ち取るものではなく、気づくもの。

 

昔、男たちは年に二、三回、「祭り」の場でウサギに還っていました。子どもに還ること、宇宙にもう一度近づくことを皆で祝っていた。自分の中に、三歳だった自分がいることを確認して、人間は、幸せは、自分の心持ちしだい、と思い出す。それを理解すれば、男たちは落ち着きます。

この仕掛けの素晴らしいところは、父親たちが全員、一人残らず全員、三歳だったことがある、ということ。

誰もが、砂場の砂で幸せになれたことがある。

保育園でウサギにさせられ、男たちがふと気づくんですね。「私は、以前、ここにいた」と。

自分は、絶対に一人では生きられなかったことを思い出し、「絆」は世代を超える。

お盆には、その絆が、死後の世界にまでつながっていく。

そこで、また、「踊る」んです。

この宇宙に不公平はない、と唱えながら。

「人間は幼児という神様、仏様、絶対的弱者の前では、正しい方向に進むしかない。たとえそれがウサギになることであっても」

父親をウサギにして母親が喜ぶ。これが自然で、いい。母親が産み、育てた仕掛けですからね。

 

「愛されていた」という確信が持てない、その記憶がないことが不安の原因になっている人に、言うのです。

「自分の子どもを可愛がっていればいいんです、思う存分に甘やかせば、いいんです」。

そうすれば、自分が「いい人間」に思えます。

相対性理論のようなもの。輪廻や運命の歯車は、そうやって回り始める。

 

ここ十年間の国が主導する保育の質の低下を見ていると、私でさえ、心が折れそうになります。

しかし、私たちには、園を使って、父親たちをウサギにするという方法が与えられているのです。

チャンスはある。

政治家たちの思惑から親を引き離し、経済活動のみを「社会」と定義し「進出」を促す「欲の罠」から少しのあいだでいい、距離を置き、別の物差しがあることに気づかせる。皆が、時々ウサギになって、自らが生み出した「命」と遊び、その命を守ることに「感性」を集中させれば、それが一瞬であっても、この国を耕し直すことは可能です。

日本のすべての幼稚園、保育園で、月に一度、父親をウサギにしていれば、シンクロニシティが働いて、世界平和も可能かもしれない、と思いました。

社会の働きを主導するのは「幼児たち」。

この時期にしかできない体験を親たちにさせて、その時間の価値を再び高めていけばいいのです。

予算など、ほとんどかからない。

学校に入るまでに、親たちを「まあまあの親」にしておけば、学校もずいぶん楽になるでしょう。それだけでも、教育システムのサステイナビリティ(持続性)に大きく貢献する。

私が見るかぎり、この方法は、さほどの抵抗もなく、どこの園でも園長たちが、その気になればできます。

似た方法をいくつか「ママがいい!」に書きました。父親の人生が変わる実話も書きました。一日保育体験は特に有効ですし、県全体で取り組んでいるところもあるのです。

ぜひ、読んでみてください。

経済学者や政治家たちの思惑や罠については、条例や閣議決定を引用し、詳しく書きました。一定の数の人たちがその危険性を理解すれば、必ず、仕組みに変化が起こります。

FBの友達リクエスト、広げていただければ幸いです。ツイッターのフォローでも結構です。どうぞ、よろしくお願いいたします。(ブログ:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッター:@kazu_matsui)

年が明けて、東京新聞に載ってたよー、と小学校の同級生が父の記事を送ってくれました。

一月二十二日(日)午前5時から、と二十八日(土)午後1時から、NHK Eテレ こころの時代 アーカイブ「言葉の力、生きる力」で、父が出演した番組が再放映されます。

 

 

学童の支援員が投稿した、「親との会話」

 

ツイッター上に、学童の支援員が投稿した、「親との会話」がありました。

 

支援員:「お宅のお子さんがお友達を殴って泣かせてしまって…」

親:「殴らないように指導するのがそちらの役目ですよね?」(謝罪なし)

とか

支援員:「宿題を家ですると言って聞かなくて…」

親:「何で学童でさせてくれないんですか!習慣づけるのは学童の仕事でしょ!」

とか普通にあるから怖いよね。

 

 

この会話から受ける「印象」が、私を怯えさせる。

学校という新たな役割分担が普及した国で、こうした会話が日常になっている。考えれば考えるほど、修復の困難な、人類の存在を脅かす、末期的な現象がそこに現れている。

戦後、敗戦の苦しみや悲しみの中で、貧しくても人々の心がずっと豊かで、小さな命にも敬意が払われ、そこそこ助け合い、それが幸せだと感じ、苦労はあったけれど、同時に「子どもを育てること」が喜びや希望、生きる動機と直結していた時代、「Always 三丁目の夕日」に描かれたあの時代には考えられなかった会話だと思うのです。

親たちが「常識」や「作法」を知っていた。

私が幼稚園、小学校と過ごした、あの時代には、考えられなかった会話がネット上に溢れ、それに慣れ、「子育て」の価値が下がっていく。

「保育園落ちた、日本死ね!」も、そうでした。

「資格」とか「専門家」という言葉が生んだ役割分担の中で、「教育」と「子育て」の混同が始まって、人々は、こうもたやすく無感覚になっていく。国が三歳未満児の十一時間保育を奨励することによって、ここ五、六年、それが、一気に進められた。

「ここ五、六年」という言葉を、最近、保育関係者から頻繁に聞きます。

乳幼児と過ごす一瞬、一瞬の「印象」が人生から剥ぎ取られ、「絆」が急速に弱くなっている。すると、子育てが苦痛になり、より一層長時間預ける人の割合いが増えていく。

それ自体が生きる喜びとなる「親身な絆」、「利他のつながり」をつくるためにあった「子育て」が、「仕組み」によって、分断され、継続が難しくなっているのです。現在、世界中で起こっている「分断」の根っこに、この、親子の分断、男女の分断がある気がしてなりません。

 

「持続性(サステイナビリティ)」という言葉がよく使われます。

「子育て」が媒介する「親心」の継続性は、「人間性」の伝承と言い換えてもいいのですが、社会を整えるために不可欠な要素だった。その「伝承の流れ」を、政府や経済学者が母子分離に基づく施策で壊しておいて、(マスコミもそれをここまで許しておいて)いったい、いまさら何を言ってるんだ、という感じがするのです。家庭における人間性の伝承、特に乳幼児が親たちの遺伝子をオンにし、絆を育てるという働きを、短絡的な経済論で希薄にしておいて、SDGsなどと言っても、机上の空論、夢のまた夢のように思えてならない。

これでは、欲の資本主義に太刀打ちできない。

大人たちの権利や都合の陰で、幼児たちの安心が後回しにされ、人類全体から、利他の心、相互的「持続性(サステイナビリティ)」が著しく欠けてきているのです。この流れを変えない限り、人類は「自ら選択し、弱者を顧みない、争いの時代に入っていく。もう、その入り口に立っている。

流れを変えるためには、幼児たちの願いに耳を傾けるしかない、と思い、「ママがいい!」を書いたのです。先進国の中で、それができるとしたら、この国しかない、と自分に言い聞かせながら。

冒頭の会話に対し、人々がどういう「印象」を持つか、それが、子どもたちが生きていく「環境」をつくります。

しかし、いま、「愛されていると思う子どもに育ってほしい」という願いに照らした時に、聞き流してはいけない会話に疑問を抱かない人、回避できないはずの責任を、「そちらの役目」と、「仕組み」に任せることで回避しようとする人が増えている。

給食が出るというだけで、仕事は休みなのに八時間子どもを預ける人が増えているという。その人たちが、一緒に子育てをしている人たちを、「そちら」と呼び始めている。

いつどのようにしてこの感覚は、生まれたのか。致命的な「分断」は、どのように進んだのか。

 

イエスは弟子たちに、言いました。

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

 

赤ん坊を抱くということは、流されないための錘(おもり)を抱くようなもの。幸せになるお守り札を握りしめるようなもの。

「そちらの役目でしょ」「学童の仕事でしょ」と、親たちが、躊躇せずに言うことで、人生の錘(おもり)が外れ、生きるためのバランスが失われていく。子どもたちの安心感が失われ、老人の安心感も失われていく。

元厚労大臣が、「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と言った子育てにおける「責任回避の流れ」、雇用労働施策で「子育て」を考える政府の愚策によって、大切なものが社会から奪われようとしています。

「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円:民間研究所試算」とエビデンスを挙げて試算した専門家たち。母親が、生まれたばかりの子どもと一緒にいたいと思う気持ち、子どもたちの「ママがいい!」という願いを、「損失」と計算する。

この試算は、まさに学問がたどり着いた「愚かさ」の金字塔です。

それを真実のように報道してしまうマスコミも、また問題なのです。

経済学者が言う「貨幣によって得られる選択肢と、自由」は、欲の資本主義が仕掛けた「罠」のようなもの。

 

 

繰り返すしかありません。

自分の子どもの寝顔を眺めているだけで、人間は、しあわせになれる。

子どもを可愛がってさえいれば、いい人生が送れる。

そういう簡単なことに気づけば、いいのです。

義務教育が存在する限り、子どもたちにとって大切なのは、それに早く気づく人の割り合いなんですね。

詩人の声に、耳を傾ける時なのでしょう。衆議院の「税と社会保障一体化特別委員会」で公述人を頼まれた時に、議員たちに、この詩を読みました。

 

 

「愛し続けていること」 詩/小野省子

いつかあなたも

母親に言えないことを

考えたり、したりするでしょう

 

その時は思い出してください

あなたの母親も

子どもには言えないことを

ずいぶんしました

 

作ったばかりの離乳食をひっくり返されて

何もわからないあなたの細い腕を

思わず叩いたこともありました

 

あなたは驚いた目で私をみつめ

小さな手を

不安そうにもぞもぞさせていました

 

夜中、泣きやまないあなたを

布団の上にほったらかして

ため息をつきながら

ながめていたこともありました

 

あなたはぬくもりを求め

いつまでも涙を流していました

 

私は母親として 自分をはずかしいと思いました

だけど、苦しみにつぶされることはなかった

それは、小さなあなたが

私を愛し続けてくれたからです

 

だからもしいつか

あなたが母親に言えないことを

考えたり、したりして

つらい思いをすることがあったら

思い出してください

 

あなたに愛され続けて救われた私が

いつまでもあなたを

愛し続けていることを

 

~「愛されている」そう思う子に育ってほしい~

~「愛されている」そう思う子に育ってほしい~

赤ん坊が生まれ、その初めての笑顔や仕草で人々の心が和み、ひとつになる。それが、人間社会の始まりです。

小さな命は、生きて、そこに居るだけで、人々をいい人間にし、人生の道筋を示してくれる。

その命に話しかけ、言葉では返ってこない宇宙との会話が始まり、親たちは、自身の心の声に聞き耳をたてる。

その時の不思議な感覚を、ずっと覚えているといいのです。

親たちの「可愛がる」喜びが、子どもたちの、「人を信じる力」につながる。

父親が、眠っている我が子に、「カラスなぜなくの」でいい、一人で静かに唄いかける。そんなことを五日間も続ければ、父親の中である遺伝子がオンになり、人間社会は整ってくる。音楽にはそういう不思議な力が備わっていて、コミュニケーションの次元を深くする。子どもたちが示唆する調和への道筋は、いつもそこにあって連鎖するのを待っている。

本当は、道端に咲いている小さな花に歌いかけるのでもいいんです。でも、それではハードルが高すぎるでしょう。眠っている我が子に、という入り口は、自然で、意外と素直に通っていける。実は、「千と千尋の神隠し」があれほど支持されるこの国には、こういう次元を超えることを好む文化的土壌があるのです。

奥さんに言われて、ご主人が実行してみようという気になる夫婦関係なら、すでに大丈夫ですが、うちはどうかな? と思ったら、まずお母さんがやってみてください。眠っている子どもに一人で唄いかける。お母さんが不思議なことをやっている姿を父親が眺める。その姿には、父親が忘れていた「何か」があるはず。

夫婦という最小単位の「社会」には、「子育て」をしながら、こうして人類のコミュニケーション能力を維持していく大切な役割があった。

自分の子どもの寝顔を眺めているだけでしあわせになれる。子どもを可愛がってさえいれば、いい人生が送れる、そういうことに早く気づけば、いいのです。

子どもたちにとって大切なのは、それに気づく人の割り合いなんですね。

(いまだに、昔作った私のアルバムがネット上で生きています。嬉しいことです。)

 It is nice to know that my albums are still alive on the Internet. Thank you so much.

Wheels of the sun

「新聞の記事と保育現場からのメール」

四年前に書いた文章です。

いま、裾野の事件を発端に、現場で起こっていることの深刻さが伝わり始めていますが、保育界が追い詰められている現状については、すでに何年も前から繰り返し、報道されているのです。

問題なのは、この時期、特に三歳までにする子どもたちの体験が、どれほど取り返しのつかない、決定的なものか、という認識が欠けていること。この時期に、多くの子どもたちが、「愛されている」と思えることが、人間社会が整うことの条件だった。その一番基本的、常識的なところが、保育をビジネスと考え、成長産業と位置付け、雇用促進の道具と見なした政府の保育施策によって壊されいく。

保育の専門家と言われる人たちが、「社会で子育て」などという言葉でごまかし、現場の崩壊(保育の質の崩壊)に拍車をかける施策に歯止めをかけようとしなかった。学問や仕組みで子育てはできない。子どもたちは、心のこもっていない「保育」を見抜いてしまう。

不登校児の急増、児童虐待過去最多という数字、不自然な犯罪の増加、どれを見ても、幼児期の不完全、不自然な体験が、すでに世代を超えて連鎖し始めているのは明らかなのです。

 

(四年前の文章です。)

(全国ニュースに、こんな記事がありました。)

世田谷区:企業主導型保育所2園、全保育士7人が一斉退職(毎日新聞)

東京都世田谷区にある保育所2園で7人の保育士全員が10月末に一斉に退職し、園児が転園を余儀なくされたり保護者が出勤できなくなったりしている。1園は休園し、もう1園は受け入れを続けるが、「保育の質」に不安を持つ声が出ている。

一斉退職したのは、企業主導型保育所「こどもの杜(もり)」の上北沢駅前保育園(園児10人)の保育士5人と、下高井戸駅前保育園(同18人)の保育士2人。上北沢園は今月から休園。下高井戸園は今月から新たに保育士を確保し、上北沢園の2児を含む計20人を受け入れている。上北沢園の残りの8児の保護者は近隣園に問い合わせたり、世田谷区に相談したりしているが、待機児童が多く、受け入れ先は決まっていないとみられる。

2園は絵本の読み聞かせができるというロボットを導入するなど特色ある保育をしていた。運営する会社の経営者の男性(47)によると、10月上旬に上北沢園の保育士全員から退職希望があり、保育士の派遣や他業者との提携を模索したが見通しが立たなかった。下高井戸園では31日、保育士から退職の意向を告げられたという。

「保育士には給与の未払いがあったようで、これが一斉退職の要因の一つになった」と証言する関係者もいるが、男性は「給与は払っており、遅れたこともない。子どもの情報の引き継ぎもなく、愛情はなかったのかと悲しくなる」と反論する。

この混乱でしわ寄せを受けているのが子どもたちだ。下高井戸園に通う子の母親は「安心できないので仕事を休んでいる」と憤る。いつもの保育士が見当たらないことで泣き出す子どももいたという。上北沢園から転園した子の父親は「待機児童が多い地域なので、簡単にほかの受け入れ先は見つからない。怒っても仕方がない」とため息をつく。

厚生労働省から企業主導型保育事業の運営を委託され、助成金支給を担う公益財団法人「児童育成協会」(渋谷区)は「保育士が一斉に辞めることは通常は考えられず、利用者のことを考えると非常識」と話し、利用者に新たな受け入れ施設を案内するなどの対応に追われている。

協会は下高井戸園の新しい保育士が有資格者かどうかを確認するため職員名簿の提出を求めているが、経営者は名簿の提供を拒み続けているという。園には栄養士はおらず、給食の献立をパソコンソフトで作成している。2日朝には経営者が自らスーパーで食材を購入していた。

予定していたケチャップ煮用の赤身魚が店頭になく、経営者は白身魚を購入し、「煮物にする」と話した。記者が「大丈夫か」と問うと、「『大丈夫ですか』って僕も言いたい」と困惑気味に答えた。【小野まなみ、矢澤秀範】

企業主導型保育所

主に企業が自社の従業員向けに設ける認可外の保育施設。待機児童対策として国が2016年度に創設した制度で、整備費や運営費は認可施設並みに助成される。今年3月末現在、全国に2597カ所あり、今年度末までにさらに増える見通しだ。一方で、認可施設に比べて保育士の配置などの基準が緩く、行政の目が届きにくいことから、保育の質の低下や安全管理への不安を懸念する声も根強い。

「補助金持ち逃げビジネス」の温床に

保育制度に詳しいジャーナリスト・猪熊弘子氏の話 児童育成協会の対応にも問題があるが、国が丸投げしているのがおかしい。企業主導型は自治体が把握できず、補助金目当てで簡単に参入できるため、制度設計自体に問題がある。一番被害を受けるのは子どもと保護者だ。制度を見直し自治体が関与できる仕組みを作らなければ、企業主導型は「補助金持ち逃げビジネス」の温床になってしまう。

(関連記事)

•<企業主導保育所 長男死亡の母、安全管理の改善訴え>

•<企業保育所の7割、基準満たさず>

•<企業保育所 定員半数空き 助成金厚く乱立>

•<待機児童解消へ政府推進 企業主導保育所の効果は?>

•<職場に保育所、広がる  女性採用の「切り札」 基準緩く「質」不安も>

(この記事の向こう側に、もう一つの危ない現実があります。報道もされず、ただ忘れられていく乳幼児たちの日々。そこに日本の未来が存在していることに社会全体が気づいていない。「雇用労働施策」と称し「保育制度の規制緩和を進める」政治家や学者、専門家たちがもう考えもしない子どもたちの悲しみや苦しみ、怯え、心ある保育士たちが現場から去ってゆく、あってはならない風景が「全国で」日々繰り返されている。世田谷区の、別の園のベテラン職員からのメールです。)

松居先生、お久し振りです。お元気ですか?

今週水曜日に保育課から電話があり、「近くの企業主導型保育園の経営困難により、今いる園児たちの受け入れ先を探しています。緊急一時枠でお願いできないか」なんて、今でさえ長時間保育の乳児で、基準は満たしているけれど安全に保育するギリギリラインなのに、区や都、国で責任取れ、現場に押し付けるな、待機児童政策は大失敗なんだと言えばいいのに、園長は何も言わず。ただ受け入れは難しいとお断りしました。

そこの園とは、よく散歩先の公園で出会い、見かけましたが、正職員と思われる保育士は卒業したてという感じの若い子ばかり。それに年齢のいったパート職員が子供達を怒鳴り散らしていて、若い子は何も言えず子供達に声かけもできず、ぼんやり砂場に座っているだけでした。

うちの園の子どもも、その怒鳴り声に怯え遊べなくなり、仕方がなくその場を離れました。いく先々でそこの園と鉢合わせると場所を変えるという、お散歩難民状態になりました。

そこの園は皆お揃いのポロシャツ(しかも白)とブカブカのビブスを着せられ、多分お洗濯もしなくていいとかが売りだったのでしょうか。

うちの園の子が泥水遊びをしているところに、その園の子たちが次々やってくるのを必死で抱え連れ戻すので、ご一緒にどうぞと声をかけると、ありがとうと言いながらも、子どもを遠ざけていました。

ある日、新顔のパートの先生(主婦っぽい)が、ありがとうございますと言い、一緒に泥遊びに参加しました。

暫く振りにまたその先生と子どもたちに会い、子どもたちも嬉しそうに私たちのところへやってくると、その先生は悲しそうに「今日は、あっちで遊ぼう」と声をかけていました。すると、若い正職員が、「この前、泥遊びをさせたからシャワーを浴びさせる目にあった、ホント参るよ」と言うのが聞こえ、泥遊びをさせてしまった先生は、もう子どもたちと声を交わすこともなく、ボンヤリ砂場に座っていました。

こんな現場のことなんて、行政は何もわかっていない。憤りを感じます。

今、うちの園では、モンスターペアレントととの戦いで、保育課とも戦っています。園長が何も言わないので、聞き取り調査に来た保育課の職員にうちの職員が、保育課は保護者の苦情に対応はするのに、保育士たちを理不尽な親から守ろうとはしない。保育士を守るのは一体誰なんですか、クレームがそちらに行く度に、書類提出を求められますが、その時間も無いし、だいたい保育中に何故聞き取り調査や電話対応をしなければならないのか、と反論していました。

また先生にお会いしたいです。取り敢えず、保育崩壊中の近況報告まで。

(「他園の子どもが、その怒鳴り声に怯え遊べなくなる」ような状況で、一週間も過ごせば、3歳未満児はただ萎縮していくばかり、自分でそれを親に訴えることもできない。そういう幼児たちの表情の変化を読み取れる親も少なくなっています。これが一ヶ月も続けば、2歳半までに一生に影響すると言われる脳の発達がどうなっていくか、怖いくらいです。

記事の中に、

助成金支給を担う公益財団法人「児童育成協会」の保育士たちを非難する「保育士が一斉に辞めることは通常は考えられず、利用者のことを考えると非常識」という発言があります。この法人にとって「利用者」は親でしかない。本当の利用者が「子どもたち」であることをわかっていない。「通常考えられない、非常識な」状況をつくりだしているのが自分たちだということを理解していない。

一年も経たないうちに、経営者が、「『大丈夫ですか』って僕も言いたい」という乳幼児とって危険な、素人頼みの仕組みを助成金を支給して増やしているのは、「子育て安心プラン」という経済政策パッケージです。

「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』http://www.luci.jp/diary2/?p=2498 

政府の「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている。

「遊びをさせてしまった先生は、もう子どもたちと声を交わすこともなく、ボンヤリ砂場に座っていました」。

ここに本当の意味での保育崩壊がある。

乳幼児たちの役割は「育てる側の心を一つにして、社会に信頼関係を生み、人間たちの親身な絆をつくること」。親も、行政も、保育士も、保育園経営者も、まったく心が一つにならないような仕組みを、いま政府が進めている。しかもそれを「人づくり革命」と呼ぶのですから、まったく理解できない。

幼児を可愛がる、という大自然の作った一つの「かたち」が土台にあれば、人間の作った福祉や教育という「かたち」は崩れない。でも、そこが欠けると「人間性」という生きる動機そのものが壊れてしまう。)

(「ママがいい!」にも書きました。ぜひ、読んでみてください。)

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。

裾野市の保育士による園児虐待事件

「絵本の読み聞かせ」の道筋を示した父が逝った今年、私は「「ママがいい!」という、七冊目の本を出しました。タイトルにした言葉は、人間社会の中心を耕してくれる幼児たちからの、メッセージです。

母親にとっては勲章ともいうべき、この言葉から「社会」という「体験」が始まるのだと思います。

この言葉に、真摯に向き合わないと、保育という仕組みに限らず、その先にある学校教育や様々な形の「福祉」が、連鎖して崩れていく、と書きました。

「ママがいい!」、この言葉が発せられる「動機」と、それが指し示す「道筋」を、うわべの論争や、損得に惑わされず見つめ、率直に受け入れ感謝する時が来ています。

 

裾野市の保育士による園児虐待事件。

「ママがいい!」にも書きましたが、この手の出来事は、もう三十年前から頻繁に起こっている。養成校の実習生に聴けばわかります。繰り返し、報道もされている。それなのに、なぜ、保育の質を下げる規制緩和と、量的拡大が国によって進められたのか。その仕掛けを、この本を読んで多くの人たちに理解してほしい。

裾野のこども園で起こった虐待のニュースを見て、ショックを受けた方達も多いと思います。

一歳児にこういうことをするのは、仕組みが破綻している以前に、人間としての常識を逸脱しているからです。

しかし、それ以上に、この事件で、園長が保育士たちに、口外しないように誓約書を書かせていたということに、保育界の現状を感じてほしいのです。

養成校で教えている教授たちは、その現状を知っていた。養成校が、実は資格ビジネスになっている実態についても書きました。

(「ママがいい!」より)

良心を捨てるか、保育士を辞めるか

かつて保育の現場で、こんな事件があった。

千葉市にある認可外の保育施設で、三十一歳の保育士が二歳の女の子に対し、頭をたたいて食事を無理やり口の中に詰め込んだなどとして、強要の疑いで逮捕され、警察は同じような虐待を繰り返していた疑いもあるとみて調べています。警察の調べによりますと、この保育士は先月、預かっている二歳の女の子に対し、頭をたたいたうえ、おかずをスプーンで無理やり口の中に詰め込み、「食べろっていってんだよ」と脅したなどとして、強要の疑いが持たれています。

(二〇一四年七月 NHK ONLINEより)

三歳未満児を、親しくない人に長時間預けることにはリスクがある。だから長い間人類はそういう仕組みをもたなかったし、そうしなかった。

問題なのは、保育士の逮捕後、施設長が警察の取り調べに、虐待を認識しつつ、「保育士が不足する中、辞められたら困ると思い、強く注意できなかった」と述べたこと。

この証言で、保育士個人の資質の問題が、国の政治姿勢の問題に変容する。

政府の保育施策(雇用労働施策)は、保育士の「心(人間性)」が保育の質であることを理解しない。そのことが保育士たちを「良心を捨てるか、保育士を辞めるか」という状況に追い込んでいる。

社会保障制度には致命的な負の連鎖が始まっている。

経済財政諮問会議の元座長が「〇歳児は寝たきりなんだから」と私に言ったことがある。誰が世話をしても同じ、と本気で思っているのだ。教育の義務化と高等教育の資格ビジネス化で「子育ての本質」が見えなくなっている。この人たちは、三歳未満児保育を生産性向上を目的とした「飼育」くらいにしか考えていない。

保育の規制緩和と幼保一元化を進めていた野田政権の厚労大臣が「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と言い、三党合意で安倍政権がそれを引き継いだ。

千葉の事件で、施設長の発言が全国紙で報道されたあとも、政府は保育の量的拡大を進めた。

学校で教師が児童虐待を繰り返して逮捕され、校長が「教員不足のおり、辞められたら困るので注意できなかった」と答えたら大問題になるはず。

叩かれ、食べ物を無理やり口に詰め込まれる相手が二歳以下で、経済活動に必要な仕組みで起こると対策が取られないどころか、政府は保育士不足、保育士争奪に拍車をかけていった。

三年後「保育園落ちた、日本死ね!」という発言が、もっと預かれという趣旨で、国会で取り上げられる。乳児が親と過ごす権利、「保育園落ちた、万歳!」と子どもが思う可能性、悪い保育士を排除できなくなっている現実については国会では取り上げられない。

(引用ここまで)

日常的に行われる園児虐待を口外しないことで、保育士たちの魂が鈍化していったのです。

実習先の園であったことを言わないように、学生たちが学校から口止めされ、先輩から、あの保育園に実習に行くと、保育士になる気無くなるよ、と耳打ちされる。致命的な質の低下が、個人情報保護法、守秘義務、などという法律を隠れ蓑に推し進められていった。

人間社会を守るのは法律ではない。幼児たちを可愛がることによって引き出される「いい人間性」と「常識の共有」です。

(千葉市の事件については、衆議院で参考人をした時にも言いましたし、衆議院調査局発行「 論究 第16号 2019.12」に依頼された提言論文にも書いています。衆議院ホームページで閲覧可。)

私が、何より恐ろしいと思うのは、こういう風景を、日常的に三歳、四歳、五歳児が見て、成長していくこと。異常とも思える風景を繰り返し体験し、親が知らないうちに、トラウマやPTSDを抱えた子どもたちが、すでに親になり、教師や保育者になっているということ。

親と保育者との関係をここまで崩してきたのは、国の経済施策と、実習生たちの内部告発を抑えてきた学者たちだ、と思う。

「保育士辞めるか、良心捨てるか」という決断を迫られた、まったく同じ道筋が、学校教育を追い詰めています。

教師不足が進むほど、良くない教師を排除できなくなる。

「情報は知識ではない、体験が知識なのだ」とアインシュタインは言いました。

損得にからむ情報だけが、生きる手法、知識のように幅を効かせ、大人たちの子育てにおける体験の質が荒くなっている。それによって、子育てを押し付けられた者たちの「良心」が崩れていく。

子どもたちの体験の質も、当然、一緒に落ちていく。それが、様々に未来に波及していくのです。

義務教育は「義務」であるがゆえに、一層逃げ場がない。

良くない担任に当たった時の親たちの選択肢は非常に限られている。いい親であるほど、手段を失い、うろたえ、苦しみや悲しみが深くなる。それが、不登校児過去最多、という数字に現れている。

今回の事件は、流れを変えるとしたら、最後のチャンスかもしれない。

(保育の崩れかた、子どもたちを守る「常識」が、政府主導の市場原理と豊かさによって壊れていった過程について、ぜひ、「ママがいい!」を読んでください。背後にある「欲の資本主義」に気づけば、そして、保育界が「子どもの側に立って」動けば、まだ十分可能性はあると思います。)

 

 

 

 

(三日前の記事です。親父の最後の一踏ん張りのような気がします。)

伝承すべき物語がある

 

情報は知識ではない、体験が知識なのだ、とアインシュタインは言いました。

 

父は、絵本を作りながら同じことをいい続けた人でした。

その父が逝って、二週続けて、哲学者が父の言葉を「折々のことば」に取り上げてくれました。小さなコラムですが、朝日新聞の一面です。けっこう読んでいる人がいるのです。

 

 

 「赤ちゃんの幸せ」はみんなの願いですが、赤ちゃんの幸せは「お母さんの幸せ」にかかっているのです。

                                     松居 直

(「ことば」を見つけていただいた、鷲田清一さんの言葉)

 うちの子はみな自分で本を読めるようになってもなお読んでもらいたがったと、児童書の編集者は言う。母親のおなかの中にいる時からずっとその声を聴いてきた。子どもは「この声と、この鼓動が聞こえていれば大丈夫」と安心する。だからお母さんの声に潤いが満ちるようみなで支えることが大事だと。『絵本は心のへその緒』から。

(2022.11.18)

 

絵本から得る「情報」も大事ですが、読んでもらう「体験」の中に、生きていくために必要な遺伝子レベルの「知識」の交換、伝承すべき物語があるのでしょう。

それを確かにするために、

絵の動かない、音を発しない、誰かに語られる「絵本」が、象徴的な役割を果たす、父は、そう信じた人でした。人間が人形をつくったり、楽器を奏でたりするのと同じです。

絵は、想像力の中で動き、心の中で、音さえも聴こえてくる。だからこそ、毎回ちがう体験になるのです。

言葉は、温もりと魂を得て、その時の臨場感は次元を行き来する。それが、いつか回帰できる、真の知識になっていく。

そんな感じでしょうか。

 

「母親の声に潤いが満ちるように」と、絆の広がる方向が定まれば、絵本の働きは、いま急速に私たちが失いつつある、だからこそ取り戻さなければいけない、利他の「営み」となってよみがえってくる。

毎月、親子で心待ちにする「月刊絵本」が大切なのだと言っていました。

一緒に待つ、という習慣が、すでに人生の土台をつくる「体験」です。月刊ですから、選択肢がない。

親は子を選べない、子は親を選べない、のとちょっと似ています。人生は、しばしば、選択肢のないものを一緒に待ち、流れに身を委ねて、幸福感につなげていく。

信じること、願うことが土台になっていく。

 

 

『ママがいい!』著者・松居和さんに聞く③保育者の資質

「折々のことば」に、父の言葉が紹介されました。

今朝の朝日新聞、「折々のことば」に父の言葉が載った。

子どもが「本を読んで!」というのは「一緒にいて!」ということです。   松居 直

(紹介いただいた鷲田清一さんの言葉)

絵本を読み終えても「もう一回読んで」と言う。読んであげても心はお留守になっている。なのに読み終えるとまた「もっと」と言う。母親の気持ちが自分だけに向けられているというシチュエーションがきっと心地いいのだろう。子どもは「作者の名前は覚えていなくても、誰に読んでもらったかは、覚えているもの」だと、児童書の編集者は言う。『絵本は心のへその緒』から。

(2022.11.17)

今、親父が逝ってしまったからかもしれません。親子でこのコラムに載ったことがとても嬉しいのです。親父が笑っているのが見えるのです。

 

ーーーーーーーー(以前、書いた文章です。)ーーーーーーーーー

著書「なぜわたしたちは0歳児を授かるのか」に書いた私の言葉が、朝日新聞の「折々のことば」というコラムに紹介されました。

高名な哲学者に、いい言葉を指摘していただきました。

「赤ん坊が泣いていれば、その声を聞いた人の『責任』です。」:松居 和

媚(こ)びる、おもねるといった技巧を赤ん坊は知らない。いつも「信じきり、頼りきり」。それが大人に自分の中の無垢(むく)を思い出させる。昔は、赤ん坊が泣けば誰の子であれ、あやし、抱き上げた。未知の大人であっても、泣く声を聞けば自分にもその責任があると感じた。そこに安心な暮らしの原点があったと音楽家・映画制作者はいう。『なぜわたしたちは0歳児を授かるのか』から。(鷲田清一

(2018.12.15)

渡辺京二著「逝きし世の面影」を読み、書いた言葉です。(江戸が明治に変わる頃、来日した欧米人がこの国の個性に驚き、文献に書き残したものをたくさん集めた本です。)欧米人たちが時空を越えて私たちに「ほんとうの日本」を伝えようとする意図、人間のコミュニケーション能力の不思議さ、動機を感じます。

第10章:子どもの楽園、にこんな風に書いてあります。

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。(モース)』

英国の紀行作家イザベラ・バードは、

『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ』と書きます。

江戸は玩具屋が世界一多い街、大人も子どもと遊んでいる。朝、男たちが集まり赤ん坊を抱いて自慢しあっている。日本の子どもは父親の肩車を降りない。日本人は子どもを叱ったり、罰したりしない。教育しない。ただ大切にしているだけで、いい子が育ってしまう。そして、江戸という街では赤ん坊の泣き声がしない、と言うのです。

赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思う。それが、人間が調和し、安心して暮らしていく原点です。その責任を感じたとき、人間は、自分の価値に気づく。

新聞のコラムを読んだ奈良の竹村寿美子先生(私の第一師匠。元真美ケ丘保育所長)からメールが来ました。

 「以前、心の清らかな人が保育園へ来て、子どものなき声を聞いて『あっ、誰かが泣いている!どこ?どこ?』と慌ててうろうろされたことがあった。なき声に慣れていた私たちは反省しきりでした。ありがとうございます!

(追伸)

 その人は少し障害を持っていらっしゃる方でした。保育士たちと心が洗われた気になりました」

(ここから私です。)

仕組みによる子育てが広がると社会全体が「子どもの泣き声」に鈍感になる。竹村先生はそれを言いたかったのです。人類に必要な感性が薄れていく。そして「心の清らかな人」の存在が一番輝く時に、その存在に気付かなくなってくるのです。

保育に心を込め、人生を捧げてきたひとの自戒の念がそこにあります。

しかし、そういう現場の自戒を無視するように、保育施策が進んでいきます。これほど仕組みが壊されても、乳幼児を40万人保育園で預かれば、「女性が輝く」と首相が国会で言ったことの検証を、誰もしない。

「ママがいい!」という本を書きました。https://good-books.co.jp/books/2590/  

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それは聴いた人の責任です。聞き流したり、理屈をつけてその響きに慣れてしまうと、人間社会を支えていた「絆」が薄れ、社会は混沌としてくる。

いま、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しいという思いで書きました。

子どもの貧困などあり得ない。大人たちの「絆」の貧困が広がっているだけ。

政府(野党も含め)が、待機児童という言葉を使ってこれだけ積極的に乳幼児期の親子の分離を進めれば、社会全体に優しさや忍耐力が欠けていく。絆の中心にあった幼児の姿が見えなくなって、責任の所在が曖昧になって、一層弱者が追い込まれるということなのです。それがすでに学級崩壊や不登校児の急増などに見えているから、幼児たちの役割を思い出してほしい。そうしたことを、わかりやすく書きました。

 

 

 

父、松居直が逝って、一週間たちました

父、松居直が逝って、一週間たちました。たくさんのメッセージをいただきました。心のこもった、自分の人生と重ねた「お礼」がたくさん届きます。

 

 

松居さんの絵本は、子どもの時にお母さんに沢山読んでもらい、僕の感性をくすぐるとても大好きな絵本でした😊

もちろん僕の子ども達にも沢山読んであげ、その感性は次の世代にも受け継がれています❤️‍🔥

松居直さん、子ども時代の僕に、とても素敵な感性を与えてくれて、どうもありがとうございました🙇‍♂️

 

お父様のご冥福を心からお祈りいたします。

ほんとに、ほんとに、お父様の作られたご本に心を作っていただきました。

福音館の編集者の方がやっていらした家庭文庫に母が連れて行ってくれたのが幼稚園の時。そこから全てが始まったような気がします。

きっと私みたいな、お父様に心を作ってもらった隠し子(?)が沢山いますね、全国に。

ご家族が亡くなられるのは、一大事です。

どうぞ、お疲れが出ませんように。

 

(ここから私です)

絵本は親子(人間)が出会う場所、と言い続けた人でした。絵本が語られた時、それは、作家の言葉ではない。読んだ人の言葉になる、と教えた人でした。

父と私は、東洋英和の保育科で、教え子が重なっている時があって、その人たちの幾人かが、授業中に、父に絵本を読んでもらったことをお悔やみのメッセージに書いてくるのです。

授業とか、学問とか、勉強ではなく、親父に絵本を読んでもらったこと、その体験を一番よく覚えているのです。

式の時に牧師さんが教えてくれました。

ある時会話の中で、子ども向けの映像媒体に話題が移ったとき、父の顔が一瞬暗くなって、しばらく黙っていたあと、「イエス様は、本を書きませんでした」と、言ったのだそうです。

その言葉の意味を、ずっと考えています。

父は、「はじめに言葉あり」という聖書の教えが大好きでした。

私は、「0歳児との、言葉を解さない会話が、人間を祈りの次元に導く」と言ってきました。

父は結構、私の本を読むのが好きでした。ある時、「思想家なんだよ」と言ってくれました。

やはり、大切なのは、体験なんですね、人間対人間の。

学問とか、教育ではなく、体験なんです。そこが欠けてくることが心配だ、という思いが、「イエス様は、本を書きませんでした」というつぶやきになったのだと思います。

 

編集者の松居直さんが死去 戦後児童文学の発展に貢献

https://news.yahoo.co.jp/articles/c76ac82762ec39354137175c8b498f2a06370ffc

 

親父が逝った。

親父が逝った。

親父らしい、 オヤジだった。

京都の人だった。

ばたばたと内輪で葬儀を済ませ、戻ってきて、いろいろ考えていたけど、あまり逝った感じがしない。受け継いているものの気配は自分の中にあるから、それをやっていけばいいのだと思った。

今朝、新聞を見て、妙に実感が湧いてしまった。

少し書いておこう、と思いました。

波乱はありましたが、充実した人生を送らせてもらったことに、親父は感謝しているはずです。

私の人生は、親父の仕事人生と平行線で、子どもの時から自然にそうでした。

何しろ、物心ついた頃、家に、今江祥智さんが下宿していました。その次が、薮内正幸さんで、動物の絵を描いてもらって小学校で配りました。(取っておけばよかった。何しろ、ネズミを描いて、と頼めば、さっさっさーと小さなのを一つ描いてくれます。)

花貝塚の丸木位里、俊先生の家の周りで矢じりや土器の破片を拾って夏休みの宿題にし、瀬田貞二さんと太田窪でうなぎを食べ、安野光雅先生は、私の小学校の工作の先生で、それがきっかけで親父にあったのですから、ちょっと、貢献しました。

田島征三さんの作るタンポポのお酒の味見を日の出村でして、丹波の田島征彦さんの家で宅間さんと日向ぼっこをして、エンデさんがうちに来て、ラマチャンドラン氏が、緊急避難でインドへ呼んでくれて、秋野不矩さんとちょっとインドを旅して、堀内誠一さんのパリのうちにちょっと長く居候をして、二人で、絵本関係者東西奇人変人番付、というのを作りました。谷川俊太郎さんがそこへ遊びに来て、俊先生に誘われてアウシュビッツで尺八を吹いて、ロサンゼルスでは、八島太郎さんの句会に入って、あああ、思い出せばキリがない。

その大元に、親父とお袋が居る。

その感覚は、ずっと続くから、そう思うと嬉しい感じがします。

ありがとうございました。     和

(いつか、しっかり書きますね。)