父親だけ集めて、年に数回酒盛りをさせる幼稚園がある。

父親だけ集めて、年に数回酒盛りをさせる幼稚園がある。

お母さんと子どもたちはいなくてもいい。父親同士が仲良くなることが目的なのだ。

「父親同士が知り合いかもしれない、友だちかもしれないという意識を、子どもたちに持たせることができれば、小学校や中学校でいじめはなくなるんです」と園長先生が断言する。( #ママがいいより )https://good-books.co.jp/books/2590/ 

人類の歴史を振り返れば、子どもたちは、血縁をベースに、部族的つながりというか、お互いの子どもの小さい頃を知っている大人たちに囲まれて育ってきた。親身、という言葉が示すように、「親の身になって考えることができる」、それが常識的な子育ての絆であって、それが子どもたちを守ってきた。

この種類の絆は子供にとっての安心感であると同時に、運命を共にする者たちの、利他の「意識」を育ててきた。

「その感覚」を少しでも取り戻すことが、いまの社会には大切なのだと思う。

 

半数近くの子どもが未婚の母から生まれ、実の両親に育てられる子どもの方が少数になりつつある欧米先進国では不可能な「耕し直し」が、この国ではまだ可能なのだ。そう、私は信じている。全ての幼稚園や保育園で、父親同士、母親同士がなるべく知り合いになるように仕向ける、その努力はできるはず。この国ならできる。やっている園がある。

 

 

(保育はサービス産業ではない。子どもが育っていく、体験の場所なのだ。それを意識しないと、その先にある「学校」が持たない。

不登校の子どもが急増している。その増え方が尋常ではない。幼児期の体験から、大人たち(人類)を信用していない小・中学生が増えている。

専門家はもっと選択肢を作れと言う、そんな机上の空論が通る状況ではない。家庭崩壊を進めておいて、その代替施設をいくら作っても、追いつかない。

教師不足のみならず、保育現場、学童保育、放課後デイ、あらゆる所で、人材が不足している、絆の質が落ちている。「社会で子育て」などという言葉と「人材不足」に振り回されて、若者たちが生きる意欲を失っているのです。信じる力がない、だから優しさや忍耐力が育たない。そして、家族を持とうとしない。 )

 

もちろん、父親が全員友達になれるわけはないのです。

「友だちかもしれない」という意識でいい。その記憶が子どもの思い出の中に残れば、それで未来の社会はずいぶん変わる。「市場原理」や「損得勘定」に飲み込まれない、欧米化しない、唯一の先進国になれると思う。

子どもの頃の一人一人の思い出が、いまの社会をつくっていることを思い出してほしい。その時期を、政府が大事にすればいいだけ。

保育や教育が限界に来ているのと同じ論理で、「経済」や「市場原理」はすでに限界に来ているのだと思います。そこから、少し身を引くことが、この国は可能なのだと思う。人間は、子どもを可愛がっていれば、いい人生を送ることができる。それだけのこと。それが、長い目で見て、経済にもいい影響を及ぼすはず。

保育園の遠足は父親同伴、と決めた園もあった。

利害関係のない友だちの価値に、父親たちが気づく。

バザーで物を売るのは父親、と決めた園もあった。

欧米を見ていても、子育てという最も確かな幸せへの道筋から、踏み外すのは男たちが先です。父親から逃げる。早いうちに、祈ること、幼児の存在に感謝することを教えておけば、母親(社会全体)がもっと楽になる。

 

お泊まり保育は、両親ともに参加、という保育園がありました。二百人近いお泊まり保育になる。

すごいなあ。保育園ですよ、保育園。

そういう、親を育てる園の子どもたちは、落ち着いていて、どこか、ちがっているのです。

大人を信じて育った子どもたちが、学校で、苦労しないといいのになぁ、と思う。

その思いが、近頃、妙に切実になってきて、立て直せるのだろうか、と不安になる。

いい子たちほど、辛い思いをする。

できることはわかっているのに、何をやっているんだ、と、逆方向に進めようとする政府の保育施策に、憤りさえ感じる。繰り返しますが、保育はサービス産業ではない。

 

いまなら、まだできる。難しいことではない。

(「ママがいい!」を読んでほしい。もうすでにやっていることがたくさん書いてあります。)