中学生の心に「生きる動機」を。

家庭科の時間に、中学生が見つめる、赤ちゃんを抱いているお母さんの姿は、「真実の風景」で、カソリックの人たちが信仰している、「聖母子像」もそう。

母親が、神様を、抱いている。

この構図が、社会が調和へ向かう「動機」になって、人類はここまで続いてきた。それを自分自身の心の動きを体験することで、理解する。義務教育でやってほしい。

 

家庭科の時間に、お母さんから、赤ん坊を託され、信じてもらったことが、中学生の心に「生きる動機」となって残る。

赤ん坊を抱っこしてほしい、と思う「母の気持ち」が、次世代を育てている。

その時の「つながり」、信頼が、やがて、自分の子どもの環境にもなる。そのことを、母は、本能的に、知っている。

伝承の中には、必ず「美しさ」がある。三歳児神話も、そう。

学校や幼稚園・保育園が、一つの村社会のような役割を果たす

一家でする「体験」が、人間の育ちにはいい。年齢を越えた絆が、社会を安定させるために、不可欠なのです。

色々「仕組み」ができて、その体験が減ることで、012歳を預けることを、可哀想だと思わない人が増えてくる。

それは神の作った道ではなく、市場原理が作った道筋で、とても不自然で危うい。

可哀想だ、と思うことは、自分がいい人間だ、と思うこと。そういう人が常に繰り返し生まれていくのが、人間社会だった。

子育ては、本来、一家でやるものです。

そして、学校や幼稚園・保育園という単位が、一つの村社会のような役割を果たし、助けあい、喜びを、分かち合う。

今、「村」という集まり方が必要ではなくなってきた。ですが、子育てには、必要なのです。

家族という柱を失うと、社会全体が、うまく機能しなくなるのです。

 

「泣き止んでほしい」と思う体験を、減らしている

東洋には、「命は、すべて尊い」という、「一括り」の考え方があります。ネイティブアメリカンも、基本、アフリカもそう。

西洋の哲学は、「役に立つことがいい」と言って、囚われる。理性で分類すれば、人間性の否定になるのに。

役にたつことが、いいと思うと、学校教育に、「子育て」を奪われる。

人間は、生まれながらに、役に立っていることに、気づいて欲しい。

0歳、1歳、2歳児を、切り離し、囲い込む、政府の作った制度が、「泣き止んでほしい」と思う体験を、減らしている。

自分自身の、「価値」を理解する機会を、減らしている。

トトロは、「トー、トー、ロー」しか言わない。最近、それが、全世界に、いい影響を及ぼそうとしている。流れは、きっと変わる。幼児たちが主導して。

 

「マサイ族の風景の中で、再会する」

2025年、正月、松居和チャンネル、今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

第51回、テーマは、「マサイ族の風景の中で、再会する」

副題が、「6歳の女の子が加われば大丈夫。同級生のつながりと、価値観の伝承」です。

マサイ族の風景(波動の共有で存在する次元)で再会するために、誰の人生にも、道案内人として、0歳児が登場する、というような話なのですが、ちょっと児童文学の世界で起こりそうな、実話です。

 

人間の人生は、沈黙の中で、魂のコミュニケーションが始まる。その機会を逃してはいけない、放棄してはいけない、という話なのです。

哺乳類である「人類」は、避けられない「運命」として、喋れない人と、数年間過ごす。何千年も、何万年にも渡って、それを繰り返し、やり続け、進化して来た。

遺伝子の法則が、そこに存在していた。

それが、母子分離で始まる保育、それに続く教育システムの普及によって、いきなり滞ってきて、摩擦を起こし、難しい状況をあちこちで生んでいる。

ある日、2歳児と私、二人きりの、ちょっとした不安の中に、6歳の女の子が一人加われば「その日」は、もう大丈夫。そんな、象徴的な出来事が、私の人生にはあった。

育て合い、育ち合いの、風景が、人類を安心させる。

女の子の「善性」を、2歳児が引き出す時、「努力」や「企み」と離れた、大自然の流れが生まれていた。

美しい、風景だった。

謹賀新年、良い年になりますように

明けまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します。

良い年になりますように。「子育て」の流れが、変わりますように。

「一日保育体験」と「読み聞かせ」が、この国の「感性」と「常識」を復活させますように。

一園ずつ、でいいのです。

年末に届いた、伊豆海こども園の「えんだより」、全国に配りたい。

政策論争など、どうでもいい。

現場の保育者たちの「意志」に、お願いするのが、いい。

大晦日に、更新した松居和チャンネル第50回、について、少し補足です。

保育界でもそうでしたが、子どもたちに対しての「常識」に欠けている教師を、雇わざるを得なくなっている。政府の母子分離政策で、人間は012歳児を母親から離さない、という「常識」が社会全体から失われていくことが、原因です。

それに、気づかないと、義務教育は、修復できない。

政治家たちが、いい事をしようとすると、往々にして、「意図」と「結果」が、食い違う。悪いことになってしまう。「子どもたちの願いと」政治家たちの「願い」が相反しているのだからそうなる。

体験的な「常識」を身につけていない人たちが、政治家になっていることが、子育ての現場を惑わせ、保育士不足が引き金になって、崩壊が始まっている。

政府は、いつでも預けられることが、「子育て安心」なのだ、と言った。意地でも、それを取り下げようとしない。「誰の安心なのか?」とマスコミも学者も問おうとしない。

そこまで言うなら、保育士や教師の質を整える「義務」が国にはあった。それが、全く果たされていないにも拘らず、まだ「誰でも通園制度」などと言っている。。

若者たちの「やる気」が、母子分離によって、消えていく。

石垣島の保育園は、ついこの間まで、四歳で卒園。五歳児は、一年保育の公立幼稚園に通っていました。その仕組みが、私は、不思議に好きでした。一年間の空白が親たちを育てた。それが、無償化を機に一気に変わった。

 

「園」単位で進める保育士体験で、「村」的な絆を耕し直す。

そして、「読み聞かせ」で、「家族」の意識を固め、一人ひとりが、その天命を知る。

この二つで充分です。

子どもたちが育っていく土壌を、耕し直していくしかないのです。

自然治癒力は、必ず、働く。日本は、いい国です。

 

最後の火曜日が、大晦日になりました。

最後の火曜日が、大晦日になりました。

知人に勧められて始めた「松居和チャンネル」、一年間、ありがとうございました。来年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。知り合いの方に、チャンネルを薦めてください。

良いお年をお迎えください。

▼第50回

(テーマは)「子育て」を教師に任せられない、どうするか。副題が:子どもは、絶対に親の責任。石垣島の話。

水戸で、幼稚園と、小学校、中学校の保護者たちが一緒に集まって、講演を聴いてくれました。

「先生が足りない」状況で、「尋常では考えられない」担任が増えています。子どもを守るためには、親たちの「絆」が必要です。そして、感謝です。与えられた「責任」に対する感謝が、人を強くします。

倍率が3.4ないと、教師の質が保てない、という神話が、教育委員会にはありました。志願者の三人に二人は、教師になってはいけない人。

いま、多くの県で、小学校教員の応募倍率が1.0。

3.4から1.0に下がるまでに、どれほど「教員になるべきでない人」が雇われてしまったか。

政府が母子分離政策を続けるかぎり、教師の質を保つのは、もう不可能です。親が、責任は自分にある、と腹を括るしかない。

子どもは、親の責任。

学校の責任にはしない。幼稚園、保育園の責任には、しない。これは、以前は当たり前だった、いい人生の「腹の括り方」です。

自分が、引き受けるしかない、と決心すれば、親たちの「絆」が生き返ってくる。実例を、「ママがいい!」に書きました。

決意した親たち、それが「人類」そのもの、だったのです。人間は、子どもを授かった時に「天命」を知る。(それに気づいて、感謝する。)

その感覚が、「常識」として戻らないと、今の社会は、体験に基づかない「情報」に縛られ、「実態のない富と欲」に操られている。一網打尽にされないうちに、日本だけでも、逃れましょう。この国には、まだチャンスがある。

学校を見限る時の「準備」に「読み聞かせ」が、不思議に、いいのです。1日一冊、10分でいい。2歳くらいから小学校を卒業するまで。できるなら、中学を卒業するまで。😀

すると、揺るがない「信頼」が完成します。

それくらい不思議な力が、(絵本にあるのではなく)、親が子どもに「読み聞かせる」という「行い」にあるのです。

 

研究すべき「宇宙の流れ」

0歳からの保育施設利用は子どもの発達に好影響 – “3歳児神話”に提言、というニュース報道。
 〇歳児を見つめたり、抱きしめたりしている時に「人類」が感じる、自分自身の心の動き、が、この、4万件のデータを解析した、という東北大学の研究チームのデータには入っていない。
 これが「学問」の馬鹿馬鹿しさ。
 それで、〇歳から預けることを、他の人間たちに「東北大」というブランドを使って、薦めようというののだから「タチが悪い」。
 母子分離について研究するときに、学ぶべきことは、自分自身の中にある「宇宙?」だったはず。それを感じながらやるのが、「研究」でしょう。まずは、自分が赤ん坊を抱きしめること、そこから、ちゃんと始めて欲しい。
 東北大の学生たちに言いたい。「市場原理に取り込まれ、0歳児の母子分離を手伝うより、なぜ、破綻寸前の学校教育から教師たちが去っていくか、考えてみてほしい。研究すべき「宇宙の流れ」は、そちらの方にある。」
https://youtu.be/on13C101zmw
https://youtu.be/kXwdyI-u3VM

まだ、保育士たちは、ギリギリのところで頑張っている

0、1歳を親が育てれば、保育士不足もある程度解消します。当たり外れの幅が、小さくなる。

私が行く講演先、呼んでくれる人たちの集まりでは、まだ、保育士たちは、ギリギリのところで頑張っている。自分たちの選んだ道筋が、人生の幸せにつながるように、努力している。

国が、「いつでも、誰でも預けられること」が「子育て安心」なんだ、という「経済論の稚拙な罠」を取り下げない限り、保育も、義務教育も、その質をこれ以上維持できない。義務教育が破綻したら、経済にとっても、良くないんじゃないんですか?

 

園長は父親をウサギにする「権利」を持っている。

これは、宇宙から与えられた「権利」に違いない。

父親たちも、実は、ウサギに成りたがっている。

自然治癒力は、形を変えて存在します。

 

 

西伊豆の、伊豆海こども園で保護者に配られた、1日保育士体験のチラシです。二ヶ月で、全員参加になりました。保育士たちの、「気合い」が嬉しいです。

 

 

 

子どものことを、本気で心配する保育士たちは、元気です。

「1日保育士体験」、全員参加が決まりました

西伊豆の、伊豆海こども園、七ヶ月前に保育士たちに呼ばれて講演し、先月、親たちの「1日保育士体験」、全員参加が決まりました、というメールをもらいました。

嬉しかった。本当に、嬉しかった

一園、一園の積み重ねです。いつか、政治家やマスコミが幼児主体に考えるようになって欲しい。でも、結局は、保育士たちの気合いと幼児たちを心配する「気持ち」なんです。大切なのは。

山本園長先生ありがとう。

すぐに、行って祝杯を上げました。祝杯には、教育委員会の人も二人参加しました。美味しいお魚を食べました。

親たちとの信頼関係が、すでに、あったからだと思いますが、私の講演会を、保育士たちが主催し、保護者だけでなく、教育長や町議も、講演に引っ張ってきた、子どもの幸せを願う、その「気持ち」が全員参加につながったのだと思います。

保育園における親心の「耕し」が、教室を鎮め、危機に陥っている学校の再生にもつながる、と教育長さんも理解した。

幼児を見守る保育士たちの「気持ち」なんです。この国を、立て直すのは。

西伊豆町の二つのこども園、伊豆海と仁科。街の親子たちは、全員ここを通っていくのです。保育士たちが、親たちと心を一つにする「保育士体験」に本気て取り組めば、小学校が生き返ってくるのです。

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