「子育て」で、悩んで欲しい

1対6、1対30で「子育て」は出来ない。それをしっかり親たちに伝え、自覚を促すのが、保育でした。40年前、私を鍛えた園長たちは、口を揃えて、そう言っていた。「私たちは、5歳までしか見れないんだ」。

そう呟きながら寄り添っていた、保育士心(ごころ)を、学問や経済学が壊していった。

親たちは、「子育て」で、悩んで欲しい。人生の道筋を考えてほしい。

政治家の選挙に利用されて、「人間性」を失ってはいけない。

オロオロする親、それが、いい親なのです。

政府や経済界の罠にハマって、親たちが「「ママがいい!」」という言葉から背を向けると、愛着障害という形で、「悩みと葛藤」は、「社会」に返ってくる。学校が持たない。

「悩んでいる時」、それは、自分との会話、宇宙との会話。生き方の模索と言ってもよい。人類には、必要な時間です。😀

「子育てが、社会の、鎹(かすがい)」だった。これは、労使関係も含めて。

子は鎹(かすがい)ではなく、「子育てが、社会の、鎹(かすがい)」だった。これは、労使関係も含めて、なのです。

雇用者も、子育ての重要な一部を担っている。子どもを持つ家庭に「配慮」し、「村(むら)社会的」絆を、維持する。それを、「会社」という仕組みの中で、取り戻す役割を果たさないと、「子育ての負債」は、やがて「従業員の質」という形で、雇用側に、必ず返ってくる。

それを、7時から学校を開けば、悩みがなくなる、などと考えるのは、本当に馬鹿げている。悩みは無ければいけない。それが、人間を育て、人間関係を形作る。

大人たちの利便性のために、子どもの気持ちが無視されている。

保育学者の言う、「専門性」は、結局、「無資格」でいい、「短時間勤務でつないでいい」という規制緩和に繋がっただけです。乳幼児の日々を犠牲にし、「欧米ではこうで」と言って、学者たちが、守ろうとした「保育学」は、保育学科の定員割れ、専門学校の閉鎖という結末を招いている。

日本人は、学問で子育てをしない。三歳児神話と祈りで、子どもを守るのです。

 

こども家庭庁、「何を、いまごろ!」

火曜日です。

松居和チャンネル、第53回は、(テーマ)こども家庭庁:「小1の壁」親のキャリア形成に影響、実態把握へ

副題が、「何を、いまごろ!」です。

こども家庭庁の「小1の壁、実態把握へ」は、馬鹿馬鹿しいほど、遅すぎる。

「何を、いまごろ!」と、保育士たちは思っている。

「小学生になった子どもの預け先が見つからず、親の就労が困難になるから、7時半に学校を開けたらどうか」というのです。

今、把握しても、対処する人材はいない。子ども優先ではない政府の施策に呆れて、いい人材が、もう「罠」には、近寄らない。

「逝きし世の面影」第十章『子供の楽園』、に書いてある、欧米人の証言:日本の父親は、幼児の手を離さない。

これが、守るべき「日本」の姿です。

チャンネルに、画像をいくつか載せました。

日本の男たちは、日常的に、赤ん坊を抱いていた。その風景は、幸福感と共に、繰り返し、伝承されていた。それを見た欧米人が、この国を「パラダイス」と呼んだ。その光景を取り戻すのが、こども家庭庁の役割でしょう。

共働きで、しかも「性的役割分担」が抑制され、男女の信頼関係が崩れていったアメリカで、シングルマザーや、義理の関係で育てられる子どもが半数を越えている。同時に、刑務所に入っている女性が、四十年間で10倍近くに増えている。

男たちが責任を放棄し、「子ども優先」に考えないからです。日本を、そういう国にしてはいけない。早急に、「父親たちの一日保育体験」を広めないと、間に合わなくなる。

欧米に比べて、日本は、まだ奇跡的に状況がいいのだから。頑張らなくては。

 

まだ、この国は大丈夫。

まだ、この国は大丈夫。

保育学者が、母子分離を無理矢理正当化し、国立大学が、「発達に悪影響はないので安心して預けてほしい」と、012歳の保育を奨励しても、

当選することしか考えない政治家たちが、「子育て安心」と言いながら、いつでも預けられるのが「安心」なのだ、と、とんでもない理屈を言って、子どもが望まない福祉を選挙で票を獲る手段にしても、

保育士たちと、赤ん坊が、一致団結して訴えれば、まだこの国は、立ち直ってくるだけの「文化や伝統」を持っている。

三歳児神話は、まだ、脈々と生きている。

マスコミは、「ママがいい!」という叫びから背を向けたまま、幼児たちの味方にはなろうとしない。

でも、保育士たちが、こうやって、この国を立て直すことができる。一つの園でできるのだから、できる。

渡辺久子先生

私が呼ばれる講演会、圧倒的に女性が多いのです。

日本は、「母性」で守られている国だな、とつくづく思います。ありがとうございます。

子どもは生後四ヶ月で、しがみつく。社会の一員、

Amazonの「ママがいい!」のリビューに、頂いたメッセージです。

「早くに出会って本当によかった
保育園見学に行くたび覚える違和感。4ヶ月の娘は抱っこ紐の中で、私にしがみつきキョロキョロ。預けられるなんて微塵も思っていない。その姿を思い出し、泣けて泣けて仕方なかった。」

子どもは生後四ヶ月で、抱っこ紐の中で、しがみつき、立派に親を育てている。もう、社会の一員、社会進出している。その時、その子にしか出来ない、大切な役割を果たしているのです。

「泣けて、泣けて」人間は自分のことを理解する。

「ママがいい!」のレビューです。感謝!

仕事についてどうするか悩んでいた時にこの本に出会いました。この本を読んで子どものそばにいたいという自分の本当の気持ちに向き合うことが出来ました。凄く考えさせられる本です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

 

早くに出会って本当によかった

保育園見学に行くたび覚える違和感。4ヶ月の娘は抱っこ紐の中で、私にしがみつきキョロキョロ。預けられるなんて微塵も思っていない。その姿を思い出し、泣けて泣けて仕方なかった。

 

現役保育士ですが、保育園は成長ビジネスだからと資格ビジネスに養成校が走り、絶対に現場に出してはいけない学生に資格を与えて就職させてしまいます。

保育園はこんなに増えてはいけなかったのです。待機児童なんて言葉をつくってはいけなかった。読んでいて涙が出そうでした。

 

乳幼児を母親から引き離すのは可哀想

乳幼児を母親から引き離すのは可哀想、その気持ちが消えて行ったら、この国が作り上げてきた「調和とか美しさ」が、水の泡になる。それを「政治や学問」が進めているのですから、欧米型の市場原理は、形を変えた侵略と言ってもよい。

愛国心とか、「防衛」を掲げながら、政府の母子分離政策からこの国を守ろうとしない政治家たちが、大勢いる。

可哀想、は、可哀想なんです。

そう思うことが、人類を守る手段として、遺伝子の中に組み込まれている。

それを否定することは、人間性を否定し、抑えること。それに、みんなで気づかなければ。このままでは、「出会い」の質が深みを失い、幼児と過ごす「幸福感」が、失われていく。

 

 

「居続ける人」を奪われた環境

菅原哲男先生は、養護施設を、「居続ける人」を奪われた環境、という言い方をされる。

「光の子どもの家」の目標として、

「産まれてきてよかった」と思えること、

次に両親に対して「産んでくれてありがとう」と思えること、

最後に、「施設に来た経緯が自分にとっては必要だった」と思えること、を挙げられる。

(光の子どもの家:創立者インタビュー、より)

子育てのために、キャリアを犠牲にしてはいけない、と母子分離を進めようとする、こども家庭庁に、聴かせたい言葉です。道筋が、制度や仕組みによって「仕分けられた」先進国社会で、いままであり得なかった、不自然な「出会い」が、魂の次元で起こっている。

幼児たちとの出会い、交わりを復活させ、考える機会を増やしていくしかない、と思う。

頼り切って、信じ切って、幸せそう。

人間社会を、幸せに整えてきた「四歳児」たちの役割、その信頼に、政府が応えていない。

三歳児神話に守られてきた、大切な人たちを、母子分離と長時間保育で脅かす。

 

最初にある、親子の出会いは、大切です

ロサンゼルスの火災、友人が住んでいる地域があっという間に灰になりました。自分の住んでいた家が、有無を言わさず「灰」になる。

最近、世界のあちこちで起こっていることでもある。その現実が、身近に迫ってきます。だから、日本という国を、大切にしなければいけない。感謝し、責任を持たなければいけない。

誠実に仕事をしてきた友人には、すぐに、たくさんの支援の輪が広がって、勇気づけられています。

 

松居和チャンネル、第52回のテーマは、「見えない次元で、人間の魂は交錯している」、で

副題は、菅原哲男先生の本と、似た体験からのメッセージ、です。

「育ち」とは、「出会い」でもある。誰と出会うか、運が、人生を左右するのです。だからこそ、最初にある、親子の出会いは、大切です。

昨日の、講演会、びっくりするほど、たくさんの人が集まってくれました。一般の人に混じって、保育士さん、役場の人、議員の人。

「ママがいい!」という言葉が広がってきている。子ども優先が、人間の幸せの源です。

行きと帰りに、電車の窓から、瀬戸内海が綺麗でした。錨を降ろしたい入江が、幾つも見えました。

中学生の心に「生きる動機」を。

家庭科の時間に、中学生が見つめる、赤ちゃんを抱いているお母さんの姿は、「真実の風景」で、カソリックの人たちが信仰している、「聖母子像」もそう。

母親が、神様を、抱いている。

この構図が、社会が調和へ向かう「動機」になって、人類はここまで続いてきた。それを自分自身の心の動きを体験することで、理解する。義務教育でやってほしい。

 

家庭科の時間に、お母さんから、赤ん坊を託され、信じてもらったことが、中学生の心に「生きる動機」となって残る。

赤ん坊を抱っこしてほしい、と思う「母の気持ち」が、次世代を育てている。

その時の「つながり」、信頼が、やがて、自分の子どもの環境にもなる。そのことを、母は、本能的に、知っている。

伝承の中には、必ず「美しさ」がある。三歳児神話も、そう。