日本の子育ての現場は母性と献身で守られている

佐賀県の、母子保健推進協議会で講演しました。乳幼児と母親の相談に乗ったり援助するボランティアの人たちです。

民生委員や保護司、ファミサポもそうですが、日本の子育ての現場はこういう善意の人たちの母性と献身で守られている。(翌日、多久市子育て支援センター「でんでんむし」 で講演しました。)

だからこそ、政治家や経済界が、安易で短絡的な経済論、母子分離政策で、子どもが育っていく環境を壊すやり方に腹が立つのです。

先月講演した助産師さんの大会でも感じました。この国の「母性」に感謝し、この人たちを大切にしないと、学校は、もう崩壊寸前に来ている。不登校がどこへ行っても一割です。その向こうに、殺伐とした教室で、苦しむ子どもと、その親が、泣きながら義務教育を見限ろうとしているのが見える。その原因が、政府の進めた「愛着障害」の急速な広がりなのです。変な先生が、生徒をいじめる。いい先生たちが、心を病んで辞めていく。

株価や、得体の知れない「グローバル経済」に怯え振り回される経済学者やマスコミは、もっと真剣に、教師不足の危機、質の低下を考えるべきだったのです。完全に手遅れ、後手にまわってしまった。

近頃、子どもの貧困、と言われますが、「大人たちの心の貧困」が問題なのです。そして、大人たちの優しさや忍耐力、良い人間性を育ててきたのは、赤ん坊や幼児たちだったのです。その人たちの役割を奪ってはいけない。11時間保育を標準と名づけた国は、まず、それを取り下げなければいけない。

 

 

教師の成り手がいない。政府の母子分離政策が根底にある。

首相が国会で、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と言い、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が重なり、与党も野党も母子分離を「正論」化していった。

このチャンネルの第9回で紹介した「ちくちく言葉」は、その頃、すでに、多くの保育園で子どもたちを苦しめていた。それは、実習生に聴けばわかった。その風景が、大学の保育科や専門学校の定員割れにつながり、心ある保育士たちの退職が始まっていた。

「保育は成長産業」という閣議決定、その悪質な「罠」を維持するために、「してはならない規制緩和」を国は繰り返した。11時間保育を「標準」としたことも、「短時間勤務保育士活躍促進」と馬鹿げた名をつけて、幼児期の愛着関係を細切れにしていったのもそう。何より怖いのは、そこへ連れて行かれたのは、主に「母親によって」だったこと。幼児期の「不安」が、やがて社会全体を覆っていったのです。

「学校崩壊」という形で、自分たちの首を絞めることになる、と、薄々知りながら、「利権」を考え、保育学者も含め、保育「業界」がそれに抵抗しなかった。

しかし、「世論」をつくったのは、マスコミの報道姿勢だと思う。幼児たちの側に、本気で、立たなかった。

「ママがいい!」を読んでもらえば、大体のことはわかると思います。そして松居和チャンネルを、ぜひ知人に薦めてください。今、幼児の側にみんなで立たないと、義務教育が持たない。

よろしくお願いします。

 

「教師不足が、致命的な段階に」

松居和チャンネル、第45回は、テーマは、「教師不足が、致命的な段階に」です。副題は「保育界の二の舞。母子分離政策が根底に」です。

最近、こんな報道がありました。

『文部科学省や各教育委員会が教員不足の大きな要因として挙げるのが、障害のある子どもが通う特別支援学級(以下、支援学級)の増加だ。

直近10年間で小中学校全体の児童・生徒数は減少しているにもかかわらず、支援学級の在籍者数は2011年度の約15万人から2021年度には約32万人に倍増している。」(東洋経済新聞)

その5年前

「てめぇら!」響く保育士の怒鳴り声 “ブラック保育園”急増の背景(週刊朝日)

「虐待あり、怒声あり、ネグレクト(放置)あり……。子どもが健やかに育つはずの保育園で、劣悪な運営実態がたびたび明らかになる。日本社会の縮図といえる保育崩壊の現場とは」

という報道があって、さらに、その3年前、全国紙の一面で、こんな事件が報道された。

<保育士逮捕>退職恐れ虐待注意できず

「背景に人手不足 千葉市の認可外施設」(千葉日報2014年)

10年前、すでに、保育士不足で、園長が良くない保育士に注意できない状況になっていた。しかし、経済と大人の都合を優先し、社会が、それに慣れていった。

首相が国会で、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と言い、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が重なり、与党も野党も、マスコミも、母子分離を「正論」にしていった。

当時、政府の言う「女性活躍推進」には、「ママがいい!」という言葉に応えようとすること、は含まれなかった。いまでも、そう。

首相の発言当時、待機児童は、実は2万人だった。子どもの願いを無視した、38万人分の雇用拡大政策、つまり「欲得」が、保育施策の動機だった。首相が言った「活躍」の定義の、あまりの狭さ、陳腐さに対し、与党も野党も意を唱えなかった。

 

 

昭和の男”が「孫休暇」

こんな記事がありました。

仕事一筋 “昭和の男”が「孫休暇」取得なぜ? 

〜子どもの世話、妻に任せきりだった後悔〜

企業や自治体で仕事と家庭の両立支援が進むなか、孫のために休暇を取れる制度が広がっている。具体的にどのようなものなのか。「孫休暇」を設ける九州電力を取材した。AERA 2024年11月25日号より。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f088206bb1829309874f8b1ec6d9c9c7ed678049

(ここから私です。)

経済競争に気を取られ、自分のいい人間性に気付かず過ごした男たちの後悔と反省は、孫たちによって突然輝く。「子どもを可愛がることに幸せを感じる」遺伝子が、慌てて、オンになってくる。祖父心は、幼児たちと相性がいい。

頼り切り、信じ切り、幸せそう。

その境地で重なる。弱者が、いよいよ調和のシンボルになって、小波のように、「鎮まる力」を広げていく。

 

 

 

子育ては、待つこと。

子育ては、待つこと、それが最初にあって、と、私の好きな絵本『こんとあき』にも書いてあります。

待ち方が大切だと、先日講演に行った授産師さんたちも口を揃えていました。その時間から、社会を整える「常識」が生まれて、遺伝子が正しい順番でオンになり始めるのだと思います。

初めての笑顔を待つ。そして「はじめの一歩」を待つ。初めて「とりあえず」と言ったのに、驚く。そして、親たちが、自分がいい人間になっていくのを、静かに、願う。

遺伝子が正しい順番でオンになって行く、最初の所に、「ママがいい!」という言葉が登場スノです。その願いに応えていくことで、社会という『道筋』がついていく。

人類未体験の集団的、意図的な母子分離を政策でやると、社会から優しさと忍耐力が消えていきます。学校には補うことが出来ない。

慣らし保育なしで、7日間まで幼児を知らない人に預けられる「子どものショートステイ」を「圧倒的に整備が遅れている」と、こども家庭庁は「戦略」で言う。過去三十年間の政府の子育て支援はネグレクトの勧めだった。会社が休みでも平気で預ける親を増やし、保育士たちの心が離れ、保育の質が下がっていった。

親たちの保育体験で、乳幼児期の母子分離を補うのは無理ですし、愛着障害の影響を和らげることは出来ても、未婚率や少子化を止める事はできません。でも、保育や教育がギリギリ維持できるところまで、育てる側の絆を復活させられるかも知れません。親らしい幸福感を、少しずつ取り戻すことができるはず。

政府は、多様性を言いながら、「ママがいい!」という言葉を無視することで、人間社会の『共通性』を壊している。子育てに必要な、この「共通性」が社会を鎮めてきた。

私の作ったドキュメンタリー映画の上映会です。

12月14日、私の作ったドキュメンタリー映画の上映会があります。ヘルシーカフェのら、で16時から。千円でワンドリンク付き。私の解説と尺八演奏付き、です。こちらまでお問い合わせください。 norakomine@yahoo.co.jp

 

(上映会を開いてくれる方、ご連絡ください。無料です。なるべく私も参加します。matsuikazu6@gmail.com)

 

「愛着障害」は、子どもの罪ではないし、責任でもない

今週の、松居和チャンネル、第44回「光の家からのメッセージ」は、文芸春秋社の「日本の論点」、国会議員全員に配られたという、衆議院発行の「論究」に依頼を受け、書いた、私の論文を紹介しました。

小学校入学時における判定で、発達障害から一歩踏み込み「愛着障害」に言及すれば、子どもたちの「育ち」を問うことになる。

就学前の子どもにとって、それは、主に「母子関係」で、「女性の社会進出」という言葉とぶつかる。(政府の「雇用労働施策」とぶつかる、と言うべきか。)

それ故に、皆が躊躇した。愛着障害の広まり、という緊急、かつ立体的課題に向き合うことを避け、後回しにした。そして、学校教育が限界に達してしまった。

少子化対策に名を借りた「雇用のための母子分離」に正当性が無いことを、誰かが、言わざるを得ない。これ以上、子どもの人生、教師や、保育者の心を犠牲にするわけにはいかない。

忘れてはならないのは、「愛着障害」は、子どもの罪ではないし、責任でもない、ということ。

 

国会議員全員に配られたのです。読んでいるかは別にして、ここまで保育の質の低下や、学校教育の人材不足が報じられているときに、この重要な問題に、興味がなかった、知らなかった、ではもう済まされない状況なのです。

(論究は、衆議院のホームページで読むことができます。)

谷川俊太郎さんが亡くなった

谷川俊太郎さんが亡くなった。謹んで、お悔やみ申し上げます。

ありがとうございました。

以前、本に推薦文を書いていただきました。

今頃、堀内誠一さん、安野光雅先生やラマチャンドランさん他、たくさんの仲間たちと語り合っているのでしょうね。親父もそこに居て、石井桃子先生やエンデさんもいるのかな。

みんなが順番に座ったソファが、うちにあります。

ラマチャンドランさんは先日、逝きました。

「家庭崩壊、学級崩壊、学校崩壊」への推薦の言葉:

「うーんと唸りました。読み進める私のアタマには?と!が交互に現れます。でも松居さんは保育の現場から考えているから、この本の中の具体的な「言葉」には、この時代の抽象的な「決まり文句」を突き崩す強さがあります。」詩人 谷川俊太郎

三原じゅん子さん

三原じゅん子さん、今回の組閣で、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助) になりました。根性ありそうだし、頑張って欲しい。言うべきことは、伝えてあります。これは、9年前の自民党TV:カフェスタ189@女性局~児童虐待問題を考える~

ゲストは、私です。

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それは聴いた人全ての責任です。

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それは聴いた人全ての責任です。そう、150年前の日本人たちが語りかけてくる。
聞き流したり、理屈をつけて、その「訴え」に慣れると、社会を支えていた「絆」が、どんどん薄れ、混沌、殺伐としてくる。(スウェーデンの犯罪率は、日本の20倍。)

日本でも、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しい。その思いで、「ママがいい!」を書きました。
政府の制度設計が、11時間保育を「標準」と名づけ、保育指針や国連の子どもの権利条約にある、「子どもの最善の利益を優先する」という人類普遍の法則を、乱暴に壊していった。

「保育は成長産業」という政府の閣議決定。彼らが目指す「新市場」で起こりつつある「保育バブルの崩壊」は、家庭崩壊、児童虐待、学級崩壊に直結している。しかしこども家庭庁は、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、といまだに言い続ける。

報道は、されていた。

保育士不足の蔓延と弊害は、20年前から、知られていた。しかし、都合を優先することに慣れ、子どもたちの「願い」に鈍感になっていった。そして、首相が国会で、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と言い、現場を無視したアベノミクスに、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が重なって、与野党、マスコミが、こぞって母子分離を「正論」にしていった。
(「当時の、待機児童が2万人」。「欲得の動機」は、見えていた。)