竹村先生のこと・父親にお泊まり保育をさせる

竹村先生のこと

 

もう、30年前のことです。

奈良の真美ケ丘保育所に、園児を扱ったら魔法使いのような、竹村寿美子先生という園長先生がいました。私の第一師匠のような人でした。保育士たちに丸太ん棒を一本与えて、「きょうは、これで保育をしてごらん」と言うような人でした。

ある年、園児の保護者に子どもに普段から無関心な三人の父親がいたのです。

「子どもに関心さえあれば、どんな関心だっていいの。関心があり過ぎなんてことはない。その関心が、少々ひん曲がっていたっていいの。それはその親子の運命。良くないのは無関心な親です」と竹村先生は常々言っていました。その三人の父親を、先生は園長命令で、園児たちのお泊まり保育に引っ張り出したのです。そういうことが言える時代でもありました。簡単にニコニコそういうことが出来る、太陽のような気合いの人でした。

「敷地の中に居ればいいの」。ただ、それだけ。

幼児百人に24時間囲まれると父親の人生が変わるのです。

子どもに無関心だった三人の父親が、24時間で変わりました。お泊まり保育のあと三人で「父の会」を結成しました。この辺が、「気づいた」男たちの単純でいいところだと思うのです。私を東京から奈良まで呼んで、必死に、その時の体験を話したのでした。

最近まで「しょうもない父親」だった三人が、「なんて人生を送ってたんだろう」と口々に、真剣に言うのです。その時の父親たちの嬉しそうな顔、横で笑っている竹村先生のしてやったりの顔が、私にとって「保育園」の原点にあるのです。

子どもたちの中に、一人ずつ大人たちを漬け込むこと。それだけで保育園は生きる。師匠の教えはそこにあったのです。

 

(親側に「自由に生きたい」という概念が身につくと、時として子ども達の「自由さ」が腹立たしく、それが近頃は虐待の原因になってゆくことがあります。自分もそうだった、ことを思い出す、そして誰かがそれを許してくれたことを思い出すためにも一日保育士体験が生きてくる。自由とは心の持ちようなのだ、ということに気づく。)

 

デンマークの幸福度・デンマーク在住の日本人と、日本在住のデンマーク人の文章

以前も書いたのですが、子育てやその仕組みに関して、最近再び欧米との比較がよく行われているので再掲します。

幸福度が高いと言われているデンマークでさえ実情はこうなんだ、と知っておくことは重要です。どんなに仕組みを改めても、欧米のように一度家庭崩壊が進んでしまうと取り返しがつかなくなる。だから、まだ「家庭」という定義が残っているうちに日本は方向転換しなければいけないと思うのです。

(都知事選もそうですが、選挙になると必ず「待機児童問題」という言葉が頻繁に語られます。でもその「問題」がいったい誰の問題なのか、を考えると、問題の中心に幼児たちの願いや心が存在してないことがわかります。「待機児童問題」という言葉が、発言できない人たちの願いを想像しない、という現象を拡散している。

「働きたいけど預ける場所がない」という問題と、「乳幼児たちの願いに多くの人たちが気づかない」という問題ではその次元が違うのです。どちらが「社会」にとって、またはもっと想像力を働かせて「日本の将来の経済」にとって大切かということをしっかり見極めないと、「子育て」の定義と意味が曖昧になり取り返しのつかないことになる。

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デンマークについて

 デンマークという国の幸福度が高く、日本は先進国で最下位という報道がありました。私はこの西洋人たちが(特に学者が)勝手に決めた「幸福度」というものさしが好きではないのですが、関連していそうな数字を、少しネットで調べてみました。そして、日本と比べてみました。

女性がレイプされる確率:日本の十倍 (スエーデンは60倍)

傷害事件の被害者になる確率:十五倍

ドラッグ汚染率:五倍

 以前、調べた数字もだいたいこんなものでした。ネット上の情報は様々ですが、比較する時は基本的な数字から入るべきです。これだけ物騒で(傷害事件)、男女間の信頼関係がなく(レイプ)、若者たちが夢や希望を持てない(ドラッグ)国を、日本より幸福な国と位置づけるには「無理な意図」が背後にある。世界を覆うこの「無理な意図」が日本にも確実に影響し、浸透し始めている。

 仏教を土壌とした「欲を捨てることに幸せがある」という文化と、資本主義を動かす「勝つことが幸せだ」という物差しが、日本でぶつかっていると私は見る。特に「子育て」でぶつかる。

(ワーキングマザーという単語の中で、ワーキングとマザーがぶつかるのです。第一次産業の従事者が減っている今の経済の仕組みの中で、幼児たちの視線を感じれば、その瞬間、両立出来ないことがわかるから、ぶつかる。もっとうまく両立に近いやり方を模索できるはず。幼児の気持ちを優先させれば、それはできると思うのですが、議論が欧米式になってくるとワーキング優先に「保育の受け皿」を増やそうとする。)

 大学を中心とした社会の仕組みに関する「学問」は一般的に欧米が本場のようなコンプレックスがあって、欧米を肯定することで生き残ろうとする。デンマークは幸福だ、と欧米の学者による論理が国連で承認されると、そうだ、そうだ、と簡単に受け入れてしまい、それがマスコミによって意外と普及してしまう。

 しばらく検索していると、デンマーク在住の日本人と、日本在住のデンマーク人の文章に出会いました。先入観と意図を含んでいる場合が多い学者の研究より、ストリート系の普通の感性で書かれたこうした文章により真実が見える。特に、幸福度に関しては、直感的に、この解説が妥当だと思ったので後述します。

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?)、https://blog.goo.ne.jp/ymat123/e/bb58f2461322ae28354e4903cfce961f

 ここに出てくる現実、テレビ番組のこととか、幼児期のネグレクトに関する新聞の記事は五年前の記述ですが、生活に沿った、子どもたちの幸福感に直結する、リアリティーを感じる情報です。デンマークという国全体の子育てを囲む環境が見えて来ます。

 日本では、13歳の母親が増えているという状況が全国紙の記事になるような事態にはまだ至っていませんし、性犯罪や麻薬の汚染率も欧米よりはるかに低い。しかし、いま欧米で起こっていることを真剣に見つめないと、2、30年後には日本もそうなっているかもしれない。

 ここには挙げませんが、いまデンマークが伝統的家庭観を取り戻すために進めている施策には良いものがあって、主に子育てを夫婦に返そうという動きですが、よく観察すると背後にいわゆる「右傾化」がある気がしてならない。米国におけるキリスト教右派の動向と似ています。方向性はいいのですが、背後にある動機が差別的で危ない。痛し痒しです。でもそこまで追求せずに、いいことをやっているという事例でデンマークの施策を挙げるのは有効です。五十年前にデンマークで始めたらよかったのですが、いますぐに日本で始めたら、人類の進化の過程を変えるかもしれないと思えるような施策があります。子どものいる夫婦は、夫婦合わせて一日9時間以上働いてはいけない、というような・・・。

 危惧すべきは、「欧米ではこうで」という論法を使って、経済優先の雇用労働施策、いわゆる「社会で子育て」の方向へ進むことなのです。首相がいまだに言う「三年以内に40万人保育園で預かります」という数値目標も、欧米並みに女性を家庭以外の場所で働かせようという、税収を目標とした労働施策であって、この短絡的な目標が危険なのです。欧米並みに家庭崩壊が進むと、福祉が成り立たなくなり必ず治安が悪化するからです。

 文化や伝統、宗教の土壌が異なるのですから。「欧米では」という考え方は全般的にやめた方がいいと思います。

男女平等という言葉が使われる場合もそうなのですが、一流企業に女性の役員が少ないとか、県会議員に女性が少ないなど、欧米式の競争原理におけるパワーゲームやマネーゲームに基づいた「平等論」ばかりで議論するのは馬鹿げている。子育てに価値を見出し、子どもに寄り添う母親であろうとする女性を男性優位社会の犠牲者のように決めつけることこそ、女性蔑視だと思います。競争社会を回避しようとすること、欲を捨てることは、幸福論としてはむしろ王道です。仏教もキリスト教もそれを幸福への近道と言うのです。

 「逝きし世の面影」(渡辺京二著:明治維新前後に日本に来た欧米人の日本関する記述を集めた本)に書かれているように、欧米人が150年前「パラダイス」と賞賛した社会の形が日本にはあったわけです。そこでは男も女も、同じように子どもを可愛がり、子どもを子育てを中心にして楽しそうに生きていた。この国の考え方や習慣、欲を捨てることに目標を置く平等論、一昔前の常識の中に様々な解決策を見つけ出す方が自然なのです。

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『デンマーク在住の日本人のコメント』

 

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?

2009-02-26 | デンマーク最新

 デンマークには「ヤング・マザー」という番組がある。20歳まで、ある時は15歳でママになった少女たちを主人公に、夫や両親などの家族の様子や、公的社会支援を受けて生活を構築していく様子を伝える番組である。かなり人気があり、デンマーク人はよく見ている。一緒に見ながら、「ヤング・マザーを支える社会の仕組もよく整っているなあ」というように見ていた。

 しかし、これは大きな社会現象のようで、、、、、

 218日のユラン・ポステンデンマークで最多の発行部数を誇る高級紙) によれば、、、、

 13歳で母親になる少女が増えており、これは「できちゃった!」というようなものではなく、彼女らが、望んで計画的に行っていることだという。避妊の失敗による事故ではなく、「家族の夢」や「無条件の愛」を求めての結果であり、彼女らは妊娠のメカニズムについてよく知っており、計画的に妊娠している。

 ヤング・マザーたちの世話をしているソーシャル・ワーカーが言うには、「彼女らは家族を欲しがっています。そして、ずっと続く愛や無条件の愛をほしがっています。だから、妊娠は計画的なものであり、妊娠したことをとても喜んでいるのです」とのこと。 しかし、「15-18歳以下での妊娠は早すぎ、人間としても成熟していたとしても親業まではまだ早すぎるので、対策を講じたほうがいい」のである。

 そこで、どこに手を入れたらいいかという話になるが、彼女らの動機を考えると、性教育のまずさや次期うんぬんとは別の時限の話になってくる。

  デンマークでは、ヤング・マザーに親としてのトレーニングを行うハウスもあるようであり、そこのハウス長は、次のように話している。

 「若くして母親になった少女の5人に1人は、確かに計画的に妊娠しています。しかしもっと強い現象は、彼女らの満たされない欲求に対して、自分の感情と戦ったうえで妊娠という方法を選んでいる、ということです」

 「ここに来る若い母親たちは、幼児期にネグレクト(親からの放置)を受けたケースが多いのです。だから、若くして、家族を持ちたい!愛情が欲しい!と思うのです。それは、彼女らが考えた末の、ひとつの戦いの結果なのです」

 

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日本在住のデンマーク人のコメント

 

 僕はデンマーク人です。デンマークの例から挙げますと、1970年代に労働者不足になっていたため(今の日本ですね、高齢者が増えて労働者が足りない)、トルコからの労働者をどんどん受け入れました。当時のデンマークの政治家は無責任で一度受け入れた労働者には家族や親せきを呼ぶ権利まで与えました。当時デンマークでは生活支援法というのが出来たばかりで失業しても失業手当を貰う権利が国民に与えられました。福祉が充実して海外から見れば天国みたいな国でした。今も日本の多くの方が「天国みたいなデンマーク」に行っては福祉の勉強をしています。

 この「天国みたいな国」に行けば老後も問題ないと考えた外国人がどんどん入ってきました。特に労働者として呼ばれた方々の親戚や親が入ってきてデンマークは国として負担が増えて行きました。

 80年代になると今度はイランやイラクの難民をどんどん受け入れました。難民は自分の国の戦争や政治的な問題から逃れてデンマークに逃げてきました。やさしいデンマークの国民はこういう人たちを助けてあげなければと考えて難民もどんどん受け入れました。

 80年代は特に問題化はしていませんでしたが当時外国人が多い為デンマークの将来が危ないと考えて外国人反対の党を作り上げた人がいました。彼は人種差別者としてデンマーク中のメディアで批判されました。彼が主張していたのは単にデンマークをデンマークとして守るためには受け入れていた外国人の数が多すぎるという事でした。まぁ、実際に彼はその内かなりの人種差別者になったかも知れませんが、決して主張していた事が無茶苦茶ではありませんでした。しかし、メディアからしてみれば人種差別者であり叩くのにはもってこいの人物だったのでしょう。

 90年代になり外国人の数がどんどん増えて外国人問題が多発するようになりました。これは外国人労働者を受け入れるようになってたったの二十年後の話です。たった二十年ですよ!

 外国人は数が増えたため自分達だけで生活が成り立つようになり、デンマーク語をいつまでたっても覚えない人が増えました。

 暴力は増え、デンマーク人と外国人との対立が増え、右翼が強くなって行きました。郷に入れば郷に従えという事を主張する人が増えて行きましたが、そういう人たちは人種差別者というラベルを付けられ結果として職を失ったり、「差別」を受けたりするようになりました。何しろデンマークは世界の先進国であり難民を受け入れる「天国のような国」でしたから。誰もが安心して暮らせる国だったのです。

 外国人に反対する人たちは結果を恐れて発言が出来ない社会になってしまいました。デンマークは言論の自由が最も実行されている国だったはずが、外国人反対に関しては公に言えない国になってしまったのです。その結果、問題があるにも関わらずその問題を取り上げる事がなく90年代は過ぎてしまい外国人問題は拡大する一方。

 一時期イスラム系の人達がコペンハーゲンの小学校、中学校の給食から豚肉を外してほしいと主張し始めました。デンマークは豚肉の輸出で成り立っているような国です。デンマーク人に取って豚肉は大事な存在です。日本でいえばお米。日本の学校給食からお米を外してくださいと外国人が要求しているようなもの。自分達の給食から外せば良いのに学校全体と要求。積もり積もった外国人問題は最終的には世界で知られている風刺画問題に発展。デンマークがデンマークである最も重要な基本である言論の自由がデンマーク国内で外国人により侵されたのです。民主主義を守るか、それとも民主主義に妥協し宗教を尊重する事を重要視するかにまで問題が発展。

 世論は真っ二つに分かれ言論の自由をサポートする人と宗教を尊重すべきとする人に分かれて下手すると第三次世界大戦がはじまるのではとまで懸念されました。そろそろ5年程前の問題になりますが、未だに収まったのか収まっていないのか分からない状態です。いつこの問題が復活するか分からない状態です。

 現在デンマークには外国人が60何万人いると言われています。国民が550万人の国では一割を超えています。しかし、この数字は果たして正しいのかと議論されています。実際には150万人いると主張する人もいます。どの数字が正しいかは別としてデンマーク人は減り、外国人が増えている事に変わりはありません。つまりいずれは外国人が5割を超えてデンマーク人が少数派になる事もほぼ間違いないでしょう。ちなみにこの問題はデンマークだけではなく殆どのヨーロッパの国に言える事です。

 デンマーク人が少数派になった場合、今までのデンマークは消えてしまいます。ポルノの自由が真っ先に行われたのはデンマーク、ホモの人間が世界で最初に結婚を認められたのはデンマーク、政治的な情報開示を最も徹底的に行ってきたのはデンマークであり、EUにもそれを要求して来た。環境の先進国であり、福祉の先進国。弱い者を支えてノーマリゼーションを訴えて来た国です。オンブスマンという言葉はデンマーク語でありデンマークが生んだ制度。

 しかし、このデンマークがもはやデンマークでは無くなりつつあります。しかもたった40年でこう成ってしまったのです。

 僕は日本で育ちました。日本が好きです。しかしだからと言って日本の全てが素晴らしいとは思っていません。労働環境は何とかすべきだと思うし、政治の問題も多すぎる。

 しかし、日本には素晴らしい歴史があり日本人という素晴らしい性格の民族が居ます。この日本を日本として守るためにはどうすべきかと考えます。100年後も日本は日本人の特徴を維持しまた日本人として生存する権利を守れる国にしたいです。その為には残念ながら外国人の参政権に反対すべきだと考えます。

 外国人は政治に参加したければいろいろと方法はあります。日本人との接点を増やし自分の考えを述べる事自体も政治に参加している事になります。日本人がその意見を聞き、意見が良いものであると考えれば日本人を通して日本の政治に影響を与える事になります。

 個人的には現在労働環境の通信簿というサイトを立ち上げております。このサイトは日本の労働環境を何とか改善したいという気持ちから作りました。別に参政権がなくても日本に影響を与えられると信じています。

 また重要なポイントですが、僕が日本の労働環境を変えるという訳ではありません。日本人が日本の労働環境を変えられる仕組みを作ったのです。僕は僕なりに日本の労働環境はこうあるべきだという意見を持ってます。しかしそれを日本人に押し付けるつもりはありません。

 しかし自分が働いた日本企業の労働環境はデンマークと比較してあまりにも過酷です。また、日本人の同僚と話をしても同じ事を言います。しかし、誰も日本の労働環境を変える事は出来ず我慢の連続です。中には過酷な労働環境のあまり鬱になったという人も少なくありません。これはどう考えても労働環境を変えるべきだと思わざるを得ません。

 そこで考えたのが労働環境の通信簿を立ち上げる事です。日本人自らが自分の労働環境を評価していく事により日本を変えて行く。就職活動を行っている方は労働環境の通信簿にアクセスし労働環境の良いところを選んで就職活動をする。つまり労働環境の良いところは就職活動する人が集中し労働環境の悪いところはなかなか良い人材がつかめない。日本の労働環境は変わって行くと考えます。

 労働環境の通信簿はまだ立ち上げ中でおそらく45年は掛ると思われます。皆さんからのサポートがあればもっと早く立ちあがると思いますので是非宜しくお願いします。特に労働環境の投票をお願いします。?ホームページはwww.roukan.jp です。

 

 このように僕は参政権を持っていませんが、日本に取って日本人にとって、良い変化をもたらす事は出来ると思います。参政権は特に必要ないです。

  長くなりましたが、言いたかった事は外国人参政権は良く良く考えなければいけない事、海外ではその失敗例が多くある事、そして日本の政治に参加したい外国人がいれば特に参政権では無くても良い影響を与える事が出来る事。

そして何よりも日本を日本として守る事に関して僕は出来る限りの協力をしていきたい事。

 宜しくお願いいたします。

キム・ペーダセン?メール infomx2.jp

 

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1.年間犯罪件数

 2007年のデンマーク治安当局統計によると、2007年の犯罪認知件数は444,773件であり、2006年と比較して、19,668件増加しています。?国によって統計の取り方が違いますので一概に言えませんが、犯罪に遭う確率(犯罪発生件数を総人口で比較、人口÷犯罪認知件数)は、日本の5倍以上になります。デンマークは総人口543万人で犯罪認知件数が44,773件であり、12人に1人の割合で犯罪に遭遇していることになります。これに対し、我が国は総人口が1億2,700万人で犯罪認知件数が1,908,836件であり、66人に1人の割合です。

 

2.治安状況

(1)治安・社会情勢

欧州の中でも比較的安定しているといわれていますが、移民問題に関連した青少年不良グループ間の抗争事件やアルコール中毒、麻薬の乱用に絡んだ犯罪が後を絶ちません。また、銃器を使用した事件が増かしています。

 特に観光シーズンは、外国からプロの窃盗グループが入り込み、空港、駅、ホテル等で旅行者が盗難の被害に遭うケースが頻発します。また、日本人は多額の現金を持ち歩く傾向があると見られていることから、日本人旅行者を狙ったと思しき盗難被害が多発しています。さらに、コペンハーゲン市内のクラブや街頭で麻薬の密売が行われている場所もありますので、犯罪の巻き添えにならないよう、十分に注意してください。

 

保育科の学生に・オロオロ・いないほうがいいんだ・身曾岐神社・神楽太鼓・遠藤豊先生

保育科の学生に

保育科の学生に「夢を持たせる」授業をしても、現場で親サービスしか考えない園長、いい加減な同僚、子どもに無関心な親たちに出会えば、夢や「いい動機」は簡単に崩壊する。夢ではなく、生きがいを持たせるような授業をしないと感性のある子が壊れてゆく。一年目で精神的に壊れる保育士が増えている。

学生たちに、保育に関わる本質を語ろうとすれば、原点には「三つ子の魂の大切さ」が必ず顕われる。それほど012歳児との関わり合いは人間社会の土台だった。そして、雇用労働施策に取り込まれて保育が存在するという現実は、必ず学生に伝えなければいけないこと。

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授業が真剣なコミュニケーションの場になる工夫を多くの教師がしなくなってから長い年月が過ぎています。良くないコミュニケーションが双方向に人間の感性をなくしてゆく。養成校がビジネスになると、教える側も感性を持つことが辛くなる。保育界の現状と同じです。

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オロオロ

医大付属保育園で園長先生に聞いた話です。医者をやっている母親の中に、子どもが病気になってもオロオロしない人がいる、というのです。どんな病気かわかってしまうので、注射打って、薬を飲ませて保育園に連れてくる人もいる。そんな母親に「演技でいいからオロオロしなさい」と園長先生は言うのです。このオロオロが子どもの心に残るのです。

「子どもが病気になった時は、親子関係をつくる一番のチャンスです。こういう時に、心配そうに、そばに寄り添ってやって、ふだん欠けていた子どもとの時間を何倍にも補える」と園長先生は言うのです。

 

いないほうがいいんだ

いなかの田んぼのなかの公立保育園で講演しました。いいことをしようと思った町長が四つある公立園に看護士を一人ずつ配置してしまったのです。職員室で看護士がため息まじりに言うのです。

「私がここにいるから、園で子どもが熱を出しても親が迎えにこない。来ようとしない」

親は思うのです。「病気に素人の自分が、会社に頭を下げて、園に迎えに行って連れて帰るより、看護士がいる保育園に置いておいた方がいいでしょう」と。理屈としては合っている。正論です。ただし、熱を出している「子どもの気持ち」が、親に見えていない。看護士さんが心配するのはそこなのです。理性が支配し、感性が育っていないように感じる。

最近の子どもたちは、登園時に熱を下げるために親が貯めていた抗生物質で薬漬けになっている、ひょっとして男子の草食系化はこのあたりに原因があるのでは、という「不都合な真実」について話していたときです。看護士さんが怒って言います。

「小児科でもらってくる薬だったら、まだいいです。最近の親は内科で薬をもらってくるんですよ。内科。大きさが違います。しかも、それをちゃんと私に言わないから怖い」

薬事法違反みたいなことを、子どもを保育園に置いてゆくための手法、手段として、親たちが気軽にするようになってしまった。田んぼに囲まれた田園風景のなかで。

「私が、ここにいないほうがいいんです」

待機児童もいない田舎の町で、大人の都合で子どもたちがわけもわからずに薬を口にする。親を信じて口に入れる。それが小児科でもらった薬でないことが、この国の何かを決定してゆくことを看護師は知っている。だから怒っているのです。「あなた、私に何が言いたいの。子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言った厚生労働大臣の声が遠くで聞こえた気がしました。

看護士の「私が、いないほうがいいんだ」という思いが、やがて、保育士の「私が、いないほうがいいんだ」という思いになり、それがいつか子どもたちの「いないほうがいいんだ」という声につながってゆく気がしてなりません。

 

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先月、身曾岐神社・能楽殿で行われたイベントに参加しました。

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コンセプトは「新世界の始まりを寿ぐコンサート、そして祈り。」ということで、音楽は即興で、という不思議な集まりでした。

以前からディジュリドゥ奏者のノブ君からうかがっていた、神楽太鼓の石坂亥士(ガイシ)さんともセッションしたのですが、懇親会のあとで「またやりたいね」という話でもりあがり、次に演奏できる時が楽しみです。ガイシさんのホームページから

「バロン魂入れの儀式にて神楽太鼓奉納演奏」

https://www.youtube.com/watch?v=8kktah-N53A というのに行き着きました。

ノブ君もけっこう変わった人生やっていて羨ましいのですが、ガイシさんも負けず劣らずのようです。だから二人の音は、生き方で共鳴しグルーブするのだと思います。

フェイスブックに載っていたのですが、ガイシさんは自由の森学園の出身で、この学園を作った遠藤豊先生は、私の小学校の担任で、恩師です。自由の森学園をつくる直前に、遠藤先生に頼まれて、赴任する先生たちに講演したことを思い出します。

ガイシさんと演奏したら、どこからか、遠藤先生の笑い声が聴こえてくるかもしれません。何かつながってゆくものを感じます。

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石坂 亥士  和さんが、遠藤豊先生の教え子だったとは、ビックリです。

生徒も多い中、一人一人を気にかけて、見守ってくれていた、素晴らしい校長先生でした!

まさか、そんなご縁で繋がっていたとは!です。

このバリでの演奏も、奇跡の様でした。15分は、僕のソロの奉納の時間をいただいて、始めたのですが、数分後には、ガムラン楽団の演奏が始まり、まさに即興での奉納劇が展開されました。

この時の興奮は、忘れられません。

その興奮の再来となるであろう、和さんとKNOBさんとのセッションは、今から楽しみでしかたありません!

よろしくお願い致します。

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松居 和 遠藤先生の、生徒にとことん自分で考えさせる授業、定理をつくった人の苦しみ喜びを少しでも味わってほしい、という数学も素晴らしかった。六年生で、「電気」について一学期考えたんです。「電気は光る」から始まって自由電子まで。だから、自由の森の校長先生になってからも「自由」について二人で激論を交わしました。「先生は、自由という言葉に縛られている。解放されなければいけない」と私は言ったんです。

恩師であっても、それが言えるのが明星学園の教育でした。実は、自由の森の第一回の入学式で尺八を奉納演奏したんです。先生に頼まれて、心を込めて。

数年後、生徒たちにも講演をしたんですよ。

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音楽も保育・子育ても、祈り、祝うことがその中心にあります。

人間社会の両輪のような存在だと思っています。

共励保育園の長田安次先生が大学で教え始めました・様々な現実・日本の父親

共励保育園の長田安司先生が大学で教え始めました

長田先生を講師に迎えた和光大学は立派だと思います。

実際に子どもたちにどう接するかという保育の実践を除けば現場からの声をほどんど聴こうとしない、保育という仕組みを肯定するばかりで、それが親たちの意識をどう変えていったか、サービス産業化することによって子どもたちの人生に何が起こるか、誰も教えようとしないのがこれまでの保育科の授業でした。資格を与えて卒業させれば自分たちのビジネスは成り立つ、と考えている養成校が本当に多いのです。

11時間保育を「標準」と名付けた、今の政府の保育施策を肯定し、子供の最善の利益を優先する、という保育指針を否定するような考え方を教授たちに吹き込まれた学生たちに、保育界の現実と、乳幼児期の発達を支えることの大切さ、親が育つことの意味を15回の講義で「「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの」の著者長田先生が説明したのですから、効果はてき面でした。以下の学生たちの授業に対する感想文を読むと、保育者養成校で「大人の都合にあった保育」を学生たちに教えることの危うささえ感じます。現場の葛藤や矛盾を養成校で教えていない。だから、現場に出ても、現実とのギャップに気づいて簡単に辞めてしまう。

幼児たちの信じきった視線にさらされた時に、それに応えられるような考え方、生き方の指針を保育科で学生に教えていないのです。保育はただの仕事ではない。「子育て」だということを資格者に十分に教えていない。

いい保育士は「子どもたちの幸せを願う保育士」と、ある園長先生が私に言いました。そして、「保育士は、子どもの幸せは親子関係にある、と知っている」とつけ加えたのです。

この二点を考える原点とすれば、いまの急速な「保育崩壊」の原因が見えてくるはずです。

 

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様々な現実

全国に幼稚園が一つもない自治体が2割あって、そこでは当たり前のように昔からほとんどすべての子が保育園に通っていました。もちろん012歳を預ける親はごく少数でしたが、幼稚園という選択肢はなかった。保育園に行かせるか、小学校まで自分で育てるか。そして実際には仕組みとして、保育園に子どもを通わせるために「就労」が義務付けられていた時代が長く間続いていたのですから、いわば偽就労証明書を書くことが、役場で儀式化していたのです。もちろん4時くらいになれば保育園は空になる。そんな時代が長く続いていたのです。親たちの子育てに関する常識、出来るだけ子どもと一緒に居たい、という本能的な欲求が、保育園という仕組みしか選択肢がなくても、数年前まで当たり前のように存在していたのです。

地方、地域によって保育事情、保育に対する親の意識は様々でした。

 

保育園と幼稚園の違いさえ親にとっては不確かな現実がまだまだ散らばっている状況下で、いきなり、11時間保育を「標準」と名付けたりしたらどうなるか、「待機児童をなくせ、なくせ」というニュースは地方のテレビにも同じように流れてくるのです。012歳を預けることに躊躇しない親たちが一気に増えだした。その要求に役場が追いつかない。政府はそんなことさえ考えていない。11時間親と引き離されることを簡単に「標準」とされた乳幼児の人権はどうなるのか、などもう誰も考えていない。

先日、幼稚園が一つだけある自治体の課長さんが笑いながら言っていました。

「1歳になったのに、保育園の入園の通知が役場から来ないんですけど」という問い合わせが母親からあった、というのです。「保育園は義務教育ではないので、こちらから通知は行かないんですよ、とお答えました」。

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日本の父親

日本の父親が子育てに関わらない、みたいなことを言われることが多いのですが、先進国の中では「実の父親」がこれだけ奇跡的にまだ家庭に存在する(給料を入れたり、ということが主であっても)国はないのです。欧米ではすでに半数以上の家庭に「実の父親」は存在しない。物理的にも経済的にも。私はこの「実の父親」の「実の」という言葉はとても大切だと思っています。これを崩すと「遺伝子レベル」の矛盾と歪みが生じて、その他の遺伝子レベルの常識、たとえば「親の面倒を見る」とか、弱者に対する優しさとか、次の世代を育てる、といった行いが一斉に、連鎖的に崩れ始める。そして、性の問題が基準を失いモラル・秩序が社会から失われてゆく。

幼児を守れずに、この国を守ることはできない・保育崩壊・選挙の宣伝カー・板橋区の保育士体験

幼児を守れずに、この国を守ることはできない。幼児たちに感謝せずに、国を愛することはできない。

次の世代をどう育てるか。

特に幼児との関係をどうとらえるか、どう位置付けるかは、この国の将来を決めるに近い最重要問題だと思っています。

私たちがいま、幼児たちをどういう目線で眺めるか、ということ。そこを間違ったら、経済競争などあまりにも虚しい。

いま、進んでいる「保育崩壊」の一番怖い現実は、今の保育士養成校の学生の質にあります。すでに定員割れしている養成校に、高校で進路指導をする人たちが、様々な問題を抱えた生徒を送り込んでいる。基本的に3歳までは親が育てる「幼稚園という仕組み」ならまだいいのですが、いま政府は積極的に3歳未満児を保育園で預かることを奨励しています。誰でも入ることができ、誰でも資格を取れて、誰でも採用する、採用せざるを得ない仕組みの先に012歳児が居る。子育てにおいてあってはならない負の循環が始まっている。だから、どうしても先が見えないのです。

こうした学生の質の問題、その実態は実習生を受け入れている幼稚園・保育園に聞けばすぐにわかること。ですから厚労省も知っているはず。あの人、変、と幼児が怖がって寄り付かないような実習生、明らかに幼児の前に出してはいけない学生に「資格」与えている養成校は、市場原理の中に居て、幼児のことなどもう考えていない。それは、即ち学校教育という仕組みの終焉を意味するのです。

(毎年、保育関係者を中心に全国で講演しています。主に保育界で起こっていることを報告している私のツイッターに、こんな文が返ってきます。@kazu_matsui)

『うちの職場にも「(俗にいう)使えない人材」が採用されています。「子どもなら、自分の自由に動かせる」と非常に恐ろしい考えを、何の躊躇なく話してた彼ら。退職したり、配置転換し、現場から離れましたが一緒に仕事してる時は生きた心地しませんでした。』

『最近の実習生を見ていて、まさに実感しています。『子どもが好き』だと思えない学生が多い。新卒の保育士も同じ。なぜ保育士になったのか?と思ってしまう。結果、新人は注意されればすぐ退職していく。残された保育士の負担増であり、悪循環…』

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少々常識はずれでも、不思議な若手も、数年かけて園でいい保育士に育てることが、昔はできた。ほぼ全ての人間が、子育てをする能力を秘めている。

数年園にいてくれれば、そして、いいベテランがそばに居てくれれば大丈夫だった。そうした保育士が育ち、育てる環境が現場で、いまどんどん崩れてゆく。

困るのは、何も言わずに置き手紙だけで辞めていってしまう一年目の保育士が二人いるだけで、現場が一気に窮地に追い込まれる保育士不足の現状です。その瞬間、派遣会社に電話するか、再び危ない若手を採用するかしか手立てがない。

自分の立場や責任を理解していない、なによりも園児たちのことが最低限優先して考えられない学生が、簡単に資格を取っているのです。

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今まで30年40年、責任あるいい保育をしてきた園長が、明らかに良くない保育士を雇わざるを得なくなり苦しんでいる。親が見学して良い保育園だと思ってくれても、保育は幼児にとって常に日々一対一の関係です。保育士の当たり外れが子どもたちの日常を決定する。それを園長は知っている。募集して倍率が出ないことがすぐ致命的になる仕組みなのです。

子育てを経済論で考え、「保育は成長産業」とした閣議決定が一気にこの状況を進めたのですが、15年前のエンゼルプランあたりからすでに無理はあった。言葉で主張できない乳児たちの願いを政治家たちが想像しなくなり、保育を雇用労働施策に取り込むことによって、保育と施策の心がずれた。保育士と政治家の間に亀裂が走り、それが最近、より深く広く、決定的になっているのです。

昔から、乳幼児の存在がモラルや秩序の中心にあったのに、それを政治家たちがわかっていない。

選挙の宣伝カーが回ってきて、「待機児童をなくします」と叫びます。簡単に、当たり前のように、決め事のように言うのです。それを言うことによって、乳幼児たちの無言の願いが否定されているとは誰ももう思わない。厚労省が012歳中心の小規模保育に立ち入り検査をして半数に違反が出ると報告しているのに、誰もそのことは、宣伝カーでは言わない。知らないのかもしれない。

マスコミが「待機児童をなくさなければ」と繰り返せば、保育士の当たり外れの格差が、012歳児を預けることを躊躇しない親が増えることで、急速に、異常に、全国的に広がっていく。待機児童=3歳未満児、ということさえ知らないテレビのコメンテーターが、「権利」という言葉を使って世論を煽る。

実は、保育を「子育て」と思っている保育士がまだたくさんいて、そういう人たちが、マスコミに煽られた国や一部の親たちの要求に呆れ、くたびれ果て、去って行く。公立園の中堅が定年を前に辞めて行く。それを役場が止められない。

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ツイッターでの会話:

『保育園での長時間保育や産休明けからの保育をしなくても良い働き方はないものだろうか?と。皆が育休(せめて1歳過ぎまで)を取ることはできないだろうか?と思うのです。働くな・・なんて思いません。育休の後、職場復帰のできる社会、それを保育園と親御さんと共に心を一つにして目指したいのです。』

それはできると思うのです。しかし、急がないと親御さんと心を一つにすることに生きがいを感じる、子ども思いの保育士がどんどん辞めていっている。そして、保育はサービス、社会(仕組み)で子育て、と教えられた資格者がそれに代わってゆく。

『同感です。働くご家庭にも子育ての大変さ楽しさ、それを知らせないと。でも「子ども目線」での意見は 親御さんと平行線。どうしたら良いでしょう?育児は大変だけどすごく大切なこと、せめて0~2歳迄「保育園」でなく家で育てられると良い。』

 

 

待機児童をなくす、あと50万人保育園で預かる、と政府が言えば、0歳児を預けることに躊躇しない親が増える。すると、それだけで「保育の良心」が追い詰められるのです。その構図を早く政治家やマスコミがまず理解することが重要です。

そして、直接給付(子育て応援券なども含む)、子育て支援センターの充実、育児休業の法制化などで、「なるべく親が育てる」方向に施策を転換し、加えて、親や祖父母、小中学生、高校生の保育者体験を広げ、幼児たちを社会の一員として意識する慣習を取り戻す。そうした耕す努力を、いま同時に始めても、一回りして土壌が変わり始めるのに20年ほどかかるかもしれない。

それまでに、人類はどうなっているのだろう、といまの世界中で起こっている混沌をニュースで見ながら思うのですが、それでも、できることを少しずつやっていくしかない。

乳幼児の社会的役割を確認し、幼児たちと繰り返し交わることで自然に構築される「親心が育つビオトープ」を復活させる、それしか方法はない。それを整えると、自浄作用や自然治癒力が働き始める、そんな仕組みを早く作って普及させる。一日保育士体験が、その入り口になると私は思うのです。

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先日、講演後に板橋区の園長先生たちと話しました。板橋区の保育士体験はずいぶん進みました。http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_categories/index04004012.html …

園は保育者と親が心を一つにする場所。その方向に向かわないと保育の質は保てない。保育という仕組みの再生は「教育」ではできない。だからこそ、集団で遊ぶ幼児たちの姿に望みを抱くのです。それを一緒に眺めるのがいい。

幼児を守れずに、この国を守ることはできない。幼児たちに感謝せずに、国を愛することはできない。

弱者の権利は他者の想像力の中に存在する・保育士の悲しみ

講演依頼は matsuikazu6@gmail.com まで、どうぞ。

数日以内に必ずご返事します。
最近返信が迷惑メールに行ってしまう場合があります。
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FAX:03ー3331ー7782です。

 

弱者の権利は他者の想像力の中に存在する

 

ツイッターから:「おたま@xykc2nkgwnOMihh
保育園増やして欲しい!って街頭アンケートで答える若者。保育園増やしてって言えばとりあえずいい事言ってるみたいなこの空気どうかしてる。将来この若者が子ども産んでそのやみくもに増やされた保育園に入ったら今度はどんな問題が起こるんだろうね。」

その通りだと思います。まだ、結婚していない若者たちでさえ、保育園を増やすことが大切だ、と言う。保育園を増やすということが、自ら主張できない0、1、2歳児の願いを裏切ることになるのだと気づかない。学校教育の中で、弱者の気持ちを想像するという人間社会に一番大切な幸福論を教えていないのでしょうか。弱者の権利は他者の想像力の中に存在するのです。

ーーーーーーーーーーーーーーそして

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakanoma…/20160617-00058938/
「企業内保育所、質は誰が担保するのか 働く親の「最後の砦」、復職への強制力にも」

という記事。

保育所を増やせば保育の質は落ちるのです。それほど保育士不足は深刻で、養成校の学生の質が急速に落ちていく仕組みの中で、育てられる親は自分で育てるという方向に向かわないとますますこうした事故が増えるのです。
三人目はタダ、働いてなくても預けられる仕組みを「子ども・子育て支援新制度」、などという名前で進めた政府があまりにも無責任なのです。

幼児の気持ち、が施策の中に抜けていて、経済活動がすべての中心になってきている。人間性を失った経済活動は喧嘩です。
その渦の中に、この国が飲み込まれそうになっている。
政治家は感性を取り戻してほしい。踏みとどまるなら、今しかないと思うのです。

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保育士の悲しみ

朝、たぶん車の中でお漏らししたのでしょう。「臭いますね。あちらの部屋でオムツを替えてください」と、保育士が母親に言う。すると「忙しいんだよ、あんたが替えなよ、仕事だろ?」と、さっさと立ち去ってしまう。そして役場に苦情を言う。

いつから、こんな風景が現れたのでしょう。保育という仕組みがない発展途上国ではあり得ない光景でしょう。日本でも、何百人に一人くらいは、昔からちょっとおかしな、親らしくない親は居たのかもしれません。それもダーウィンの法則で、進化には必要なのでしょう。でもそれが、常識を超えて増えてきたのはここ数年、特に「保育園落ちた、日本死ね」ブログ以来目に余るようになったのです。

去年、首相が国会で、あと40万人3歳未満児を保育園で預かる。そうすれば女性が輝く、と言ってしまった。しかし、この経済優先の計画は、消費税を上げても四千億円足りないという危ういものでした。それを、消費税を上げずに見切り発車で進めてしまい、確かに建物は出来て保育所の数は増えているのに、保育士が確保できない。

待機児童予備軍は、子育てに対する親の意識の変化もあって、どんどん増え続けているのに仕組みが追いついていない。(「保育の受け皿」をこれだけ増やして減らないということは、驚くべき勢いで増えているということなのです。)

去年から、特に地方で、0歳児を預けたがる親が増えています。預けたがるというより、乳児を預けることに躊躇しない親が増えています。政府が言うように小規模保育所を作っても、ベテランを主任や園長として確保するのは困難で、その結果乳児の安全が脅かされている。そして、保育士同士の人間関係に中身がともなわないから、保育の質は落ち、さらに人材不足に拍車がかかってしまった。

平行して、政府のせいで、行政のせいで、保育士のせいで、「輝けない」と思う母親が、確実に増えているのです。

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もちろん、乳幼児を保育園に預ければ「女性が輝く」という人類始まって以来誰も聞いたことのない首相の発言を真に受けない、「母親を馬鹿にするんじゃないよ」と思った人は7割くらいはいたと思うのです。(幼稚園という選択肢のある地域では、保育園に3歳未満児を預ける親は未だに3割以下ですし、今でも、乳児を自分の手で育てることは当たり前に、幸福感を持って母親たちに受け入れられているのですから。)

しかし、マスコミの報道や野党の後押しもあって、首相の発言を真に受けてしまった人たちもけっこう居たのです。そして、施策を実現させることが不可能とわかっているのに、政府は首相の方針を撤回しない。現場の事情を知らない市長や保育課長が、認定こども園を作れ、小規模保育や家庭的保育事業を増やせ、障害児の加配は無資格でいい、認可保育園も朝と夕方は無資格者を使っていい、などと、政府の40万人預かれ施策をいまだに進めているのです。現場は十分に対応できませんから、親たちのイライラはますますつのってくる。そしていま、その人たちの乱暴な言葉遣いで保育士が辞めてゆく。

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市長へのメールで、「保育士のしつけがなってないんだよ。しっかりやれよ」とか、一日保育士体験を園長から勧められて、市長宛に、「子どもが好きな親ばかりじゃないんだよ。うるさいんだよ」と人生の不満をぶつけてくる人の話を頻繁に聞くようになりました。

日本語は特殊で、言葉づかいが、この国のモラルと秩序を保ってきました。言葉づかいから何か大切なものが崩れてゆく。少なくとも、保育界からいい保育士は確実にいなくなる。子育てを共にする、という感覚が政治家の主導する「仕組み」によって消えてゆく。

マスコミや政治家が感性を取り戻して欲しい。高等教育が、感性を取り戻して欲しい。

背後に沈黙が感じられない言葉が騒音となって国を覆ってゆく。幼児の寝息が聞こえるような、あたたかい沈黙が分かち合われなくなったら、この国の本質が消えてゆく。

 

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0才児を13時間預かる保育園があります

夕食を提供する保育園もあって、それを利便性で正当化するひとたちがいます。でも、それをすることによって社会全体から何が失われてゆくのか。学校教育の中でも、親子の間の関係、愛着障害が指摘されているのです。

NHKのクローズアップ現代『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/index.html

他人事ではないのです。義務教育が存在する限り子どもたちはいずれ交わる。自分の子どもにとっての環境は、他の子どもの親たちがどういう親たちか、ということなのです。社会学者や経済学者はわかっていない。でも、保育を専門としている学者たちはわかっているはず。サービスという仕組みの中で、人は育ちあわない。駆け引きという経済の中で、人は安心しない。安心しないと子どもを作らない。

 

保育士は他人だから

保育士は他人だから、一瞬の悪い保育が衝撃的な影響を子どもの人生に与えることがある。その瞬間に生まれる不信感が、幼児期の人間たちに刻印される。隔離されたケースだけならまだしも、その刻印が増え、いま重なり合ってゆく。そして、その悪い保育を眺めている子どもたちの心にも大きな影響を与えている。それを親たちが見ていない。

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園児と薬物(子育てと相談相手)

園児と薬物(子育てと相談相手)

 

千葉で保育士が警察に逮捕され、園長が取り調べに、「保育士不足のおり、辞められるのが怖くて注意できませんでした」と言ったのが三年前、これは新聞の記事にもなりました。

そしていま全国で、「週末、子どもを親に返すのが心配です。せっかく五日間いい保育をしても月曜日、また噛みつくようになって戻ってくる」、「せっかくお尻が綺麗になったのに、月曜日、また真っ赤になって戻ってくる。48時間オムツも替えないような親たちを作り出しているのは私たちなのではないか」という声が保育現場から聞かれる。これでは「子育て」をする信頼関係が育たない。保育の仕組み全体が「子育て」をする限界を超えている。

家庭と園の心の連携が毎年、より一層難しくなってきているのです。

 

保育士不足、発達障害児の早期発見、それに対する加配の限界、そして親の意識の変化、様々な要素が重なっているのかもしれません、専門家の薦めと、時に親の要望で、行動や発達に問題のありそうな幼児に薬を飲ませておとなしくさせるケースが増えている気がします。薬物でしつけの代わりをしようとする。愛着障害を薬物でごまかそうとする。

「問題児だったけど、毎日あんなに甘えて抱きついてきた子が、突然『抱っこはもういい』と虚ろな目で言うんです」それが悲しい、と保育士が言うのです。そんな保育士が可哀想です、と園長が私に言うのです。大自然からもらっている治療法、双方向への自然治癒力、自浄作用、「抱っこ」が、薬物に代わられてゆくのです。

 

数年前、都の認証保育所に勤め始めた保育士が、園長から抱っこするな、話しかけるな、と指導され驚いたという話を思い出します。子どもが生き生きすると事故が起こる確率が高くなる、という園長の説明が、すでに保育の限界を示しています。3分の1は資格なしでもいいなど様々な規制緩和の中で、信頼できる保育士を確保できない状況に追い込まれている園長先生も哀れです。安全最優先が「抱っこしない保育」につながるのです。それでも預かれ、と政治家たちは言う。「生活のためだ」とマスコミも言う。

一体「生活」とは何なのだろう。

幼児たちの「生活」を眺めながら、保育士は考えるのです。だからいい保育士が辞めてゆく。

 

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アメリカでは、小学生の10人に一人が学校のカウンセラーに薦められ薬物を飲んでいると言われます。薬物で子どもをおとなしくして画一教育を可能にして、かろうじて教師の精神的健康を保っている。一人の教師に、30人のしつけもできていない、愛着障害が考えられる子どもの「子育て」を任せようとすれば、熱心な先生、感性豊かな先生から順番に精神的に病んで、辞めてゆく。教師不足は深刻です。

(アメリカでは、4割の子どもが未婚の母から生まれ、18歳になるまでに40%が両親の離婚を体験します。愛着障害と児童虐待が犯罪の増加の根底にあるのです。)

(25年前、東京都で休職していた先生の四分の一が精神的病で休職していました。いま、それが7割といいます。社会で子育ての限界がそこにはっきり現れています。幼稚園・保育園の段階で、親子の愛着関係をしっかり育ててゆかないと、義務教育が義務である限り教師の精神的健康が崩れてゆく。)

(政府が、資格なしでもいい、と進め、ビジネスコンサルタント会社が、儲けるならこれです、と薦めている障害児のデイなどは、まさに薬物による子育て支援の出発点になりそうな危険な構造になっています。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=269)

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義務教育が普及すると、子育ての肩代わりが起こり、「子育て」が夫婦の絆をつなぎとれられなくなって家庭が崩壊し始める。家庭が崩壊し始めると義務教育が成り立たなくなる。その結果、薬物や警察に頼らないと義務教育が成り立たなくなってくる。アメリカでは、学校教育における薬物使用の背後に製薬会社の利権がある、と言われます。薬物の利用は、人間の絆の崩壊、家庭崩壊、孤立化と比例して増え続けます。

学校のカウンセラーが薦める薬物が、将来、麻薬中毒やアルコール中毒につながっている、という研究が20年前すでにアメリカでされていました。「子育ての社会化」などまったく無理な話で、福祉や教育で「子育て」はできない。結局、薬物や司法制度に頼ることになる。

アメリカで昨年4万7千人が薬物の過剰摂取で命を落としているのです。過去最高だそうです。(人口比で割れば、日本で毎年2万人が薬物で死亡するということ。)子育てが中心にならない社会で、人々の孤立化が進んでいるのです。

去年、首相が国会で40万人乳幼児を保育園で預かれば女性が輝くといい、ヒラリー・クリントンがエールを送ってくれました、と言ったことを、こういうアメリカの現実を見ながらよく考えてほしいのです。子育てを家庭から奪うことの本当の意味を考えてほしいのです。政治家や学者が薦める「社会で子育て」「保育は成長産業」という経済主体の流れを早く変えないと、日本の仕組みも少しずつ欧米の真似をし始めているのです。

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テレビや新聞報道で、子どもたちの「心のケア」という言葉が言われることがあります。場面は様々ですが、日本人がこの言葉に慣れ始めている。それがとても危うく見えるのです。「ケア」という英語が導く先に家庭崩壊した欧米社会が見えるのです。「カウンセラー」(相談相手)は、まず親でなくてはいけない。しかし、カウンセラーという横文字に「専門家」というイメージが重なると、いまだに欧米コンプレックスが残っているこの国では、その人たちが子どもをケアしたほうがいいのではないか、という風に考え始める。ところが、こういう横文字の専門家たちは、実はその子と一緒に暮らしたこともない素人で、その資格さえかなり怪しいもの。その事実を隠すために薬物の方向へ向かいたがる。少なくとも、アメリカで40年前に起こった流れを見ていると、それがわかるのです。

こんなやり方は、本来、日本人の選択すべき方法ではなかったはず。日本人の相談相手は、そういう最近できた専門家たちではなかったはず。親身でもない、絆も育っていない、ただちょっと学問をしただけの、自分自身も心に問題を抱えている場合がとても多い「カウンセラー」たちではなかったはず。

 

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「分け入っても、分け入っても、青い山」(山頭火)

「じっと手を見る」(啄木)

 

自然との会話、自分の手との会話、それはすなわち自分との会話宇宙との会話、それがこの国の伝統だったはず。この非論理的な会話の入り口に0〜2歳児が座っている。この人たちとしっかり、ゆっくり付き合って、人間は、年をとってから、お地蔵さんとも、盆栽とも話せるようになる。海や山や川とも話せるようになる。

自然治癒力が遺伝子の中にはちゃんとあって、それは言葉のやり取り以前に組み込まれたものが多いのだと思います。

幼児を眺める、命を眺める、という一番のカウンセリング方法を政府が「重荷」と見なして人々から奪おうとする。そして、問題が起こると安易に「心のケア」などと言う。専門家に、親や親戚、隣近所以上の働きはできないのに、学者や政治家たちは、資格を持っていればできると思っている。しかし、(保育もそうですが)その資格を出す「学校」「養成校」が、明らかに資格を与えてはいけない学生に平気で資格を与えるようになっていて、市場原理の一部になっているのです。

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長い間、人類にとって「幸せを見つける」一番のカウンセラーだった、生産性のない幼児たちと老人たちが、「子育ての社会化」という言葉で、その役割を失ってゆく。

ひきこもりや不登校になっている小学生や中学生に、保育園で三日間も幼児に囲まれる体験をさせてあげれば、ずいぶん生き返ってくるのです。義務養育の中で、幼児たちが人間たちにとって一番の相談相手だったことを、子どもたちに教え、体験させてあげてほしいと思います。あの人たちは理解します。

 

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このブログをアップしたあと、「抱っこは母と子の共同作業です。と力説している先生がおられたのを思い出しました」というツイートをいただきました。
抱っこは双方向です。だからこそ、このブログに書いた子を、毎日抱っこで鎮めようとしていた保育士が、親から何も相談されずに、薬で鎮められた子供にある日突然「抱っこはもういい」と言われた時の気持ちを考えると、保育という仕組みの切なさをひしひしと感じるのです。

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参考資料

薬物の過剰摂取の死亡者、過去最高を記録 米CDC

http://www.cnn.co.jp/usa/35075600.html

以下、 以前書いたブログからです。数年前のこの状況に、保育士不足が重なっているのです。;

(園長先生からのメール)

船井総研に次いで、どしどしビジネス保育の営業が増え始めましたね。安易に保育を始め、事故や問題おきたら逃げてしまうんでしょうね。事故というより刑事事件であることも理解しないままに。

 http://www.info-studies.com/hoiku-top/

 小規模保育がターゲットだそうです。

(内容は)

「保育園開業・集客完全マニュアル」

 〜起業したい、独立したいというあなたの夢をかなえます。今ビッグチャンス到来の保育園開業マニュアルです。

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*独立・起業を考えているが、何から、どう始めたらよいかわからない。

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* 自分ひとりで始めるのは不安がいっぱいだ。

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 *フランチャイズは失敗してもFC料金を払わなくてはならないのが不安だ。

起業をしたいと思ったときがチャンスです。ネットビジネスも儲かるのでしょうが、やはり安定した収入は確保したいものです。しかし、単に「起業」と言っても、何をどう始めたらよいのか、どんな手順を踏んで、どんな書類を用意しなければならないのか、わからない方がほとんどです。

そこで、「保育園開業・集客完全マニュアル」をあたなにお届けいたします!

1つのご提案として、本マニュアルには、今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方にも一からご理解いただけるようにわかりやすい手順が説明されています。保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!

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(私の意見:保育は「何から、どう始めていいかわからない」人、「今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方」がマニュアルを読みながらやる仕事ではないはず。こんなことが市場原理として政府によって推し進められているのです。だから保育園が騒音に聴こえてくるのです。)

人生における登場人物モハメド・アリ、カール・アンダーソン。

モハメド・アリが亡くなりました。

私たちの世代にとっては不思議なヒーローでした。みんなにとっての、人生における登場人物と言ってもいいかもしれない。一度だけ会ったことがあります。亡くなったという一報に、思わず自分の人生を振り返った人も多いはずです。
最近復刻されている私の最初のアルバム「Time No Longer」で歌っているカール・アンダーソン、https://www.youtube.com/watch?v=KwYERT0zE-Q、奥さんが、以前アリの奥さんだったベロニカで、LAのベニス運河沿いの家に何度か行きました。のちにボクサーになった娘さん(アリの)が高校生くらいで一緒に住んでいました。カールはその後、私の日本ツアーでもボーカルを務めてくれた人。政治的なこと、人種差別のこと、宗教のことなど何度も話し合いました。クルセーダースのジョー・サンプルもそうだったのですが、黒人側からのアメリカを私に繰り返し教えてくれた人でした。カールもムスリムに改宗していて、アブ・カリル(カリルの父親)というムスリム名を時々使うことがありました。奇妙ですが、映画ジーザスクライストスーパスターでユダ役をやっていた人です。
彼の声をこの曲のレコーディングで最初にスピーカーを通して聴いた瞬間に、ああ、アメリカに来た、と感じたのを今でもはっきり覚えています。
カールは扉を開けてくれた人。白血病で亡くなる直前、電話で話していて、I’ve got bad deal, Kazu.と言ったVoiceが耳に残っています。葬儀では、ナンシー・ウイルソンが弔辞を述べ、その弔辞がいつの間にか歌になっている、という、スピリチュアルが生まれる瞬間を目の当たりにするような経験をしました。スティービー・ワンダーも弔辞を述べて歌いました。

Time No Longerは、いまの私に語りかけてくるような暗示的なアルバムです。

Unknown

砂場での出来事・公園と保育園

砂場での出来事

政府の始めた新制度で、小規模保育や家庭的保育事業が奨励され、園庭のない保育園が認可され、保育士さんたちが近所の公園に園児を連れて行く風景を頻繁に見るようになりました。横断歩道や踏切を渡る一行を見ていると、大丈夫かな、こんなやり方でいいのかな、と心配になることがあります。それが規則だからみんな毎日そうしているけれど、一人で幼児4人を連れて歩くのはとても難しいのです。

そして、こんな光景を見ました。園児たちが公園につくと、男性保育士が段ボール箱に入れてきた砂遊びの道具を砂場にダーっと撒いたのです。ちょっと豚かなんかに餌をやる姿に似ていて、びっくりしました。それを女性の保育士が悲しそうに見ています。たぶん、注意できないのです。自分だったら、もっと丁寧に、子どもたちの気持ちに寄り添うように置いたのに、と心の中で思っていたのかもしれません。

そこが問題なのです。保育士の気持ちに最近とても決定的な温度差があって、それをお互いに注意できないこと。そして、公園の砂場にオモチャを入れるやり方が仕組みの中で確立されていないこと。(加配相当の子どもの親が政府の言う「標準保育」11時間を望んだ時の保育のやり方が確立されていなこと。)様々な問題が解決されないまま「あと50万人保育園で預かれ」という政府の施策に、この国の「子育て」が押し流されてゆくのです。

うちの近所でも、子どもたちが毎日遊んでいる、木がたくさん植わっている、そしてミニサッカーもできる広場もある公園を、区長が平気で、ほとんど予告なく潰して保育園を作るというのです。大人の都合からしてみれば、子どもたちの好きな公園などは小さなことなのでしょう。お母さんたちが必死に反対しています。あっという間に三千を超える署名が集まりました。「風景やたたずまい」が子どもの成長には大切だということを敏感に感じ取っている人たちがまだたくさんいるのです。こういう感性がなくなっていったら、乳幼児は誰が育てても同じ、みたいな意識がやがて保育や学校教育の質を蝕んでゆくのです。みんなで生きてゆくために大切な人間性や感性、信頼関係や、幼児たちの気持ちが経済のための「仕組みの改革」に押し流されてゆくのです。

砂遊びの道具のことも、父親が砂場に連れてきた自分の子どもたちにそれをしているのだったら、私は何の違和感も感じなかったはず。

風景の中で、保育士の心が一つになっていないと、その姿、動きが、保育ではなく飼育に見えることがあります。保育という仕組みそのものの、怖い部分がそこに見えるのです。

 

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(最近は中学・高校の授業で、保育や「福祉のこと」をあって当たり前のように子どもたちに教えます。新聞を読んだのか、待機児童は解消しなければいけない、と女子高校生がテレビでインタビューに答えて言っていました。そんなこと以前に、幼児は親と一緒に過ごしたがっている。乳児は母親に抱かれたがっている、という当たり前のことを学校で教えるべきだと思うのです。そいういう一番人間的なこと、大切なことを、「それは男女平等に反する」「親にも働く権利がある」などという経済競争に巻き込む「罠」のようなものに捕まって学校が教えられなくなっている。百歩譲って、教えなくてもいいのです。幼児との時間を繰り替えし体験させ、あとは子どもたちの感性に任せるのでもいいのです。遺伝子に任せるのでもいいのです。)参考:中学生の一日保育士体験:

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260

 

(杉並区の公園問題に関して、「子どもの遊び場と待機児童の問題とどっちが大切なんだ」とテレビの番組で、公園を守ろうとするお母さんたちに対して語気荒くコメントしていたタレントがいました。子どもの遊び場は子どもの都合、待機児童は大人の都合、いまこれほど社会が荒れ始めた時代に、どちらを優先にしなければならないか。そこがこれからの日本の分岐点になることがわかっていない。お母さんたちの決意の深さを、感じていないのです。最近の経済論と太古の法則が、公園でぶつかっていることを知らない。

待機児童の問題は、保育の質が保育士不足によってこれほどまでに危機的状況に陥っているいま、実は保育園を作らずにすむ解決方法はいくらでもあります。もう、その方向でなければ解決しない。「保育士の良心」が納得しない問題なのです。そして、保育の問題は「保育士の心」を真ん中に語られなければいけない。

まず、乳幼児の気持ち優先に考えればいいのです。例えば偽就労証明や偽装離婚を使った福祉の乱用を罰則を設けて取り締まる、働く時間と通勤時間だけの保育にする、それだけでもずいぶん保育士は納得します。サービス産業ではない、子育てなのです。そして、例えば自分で育てる親には一律月七万円の子育て給付金を出すとか、子育て支援センターを充実させ親のネットワークをしっかり作る、など。これまでも繰り返し議論されてきたことですが、困ったことに、区長や国の待機児童解消の目的の根っこにあるのは、女性の労働力で税収を増やすこと。自分たちの政策の失敗や赤字を、乳幼児の気持ちを犠牲に取り繕うことなのです。本当に働きたい、そうしなければならない母親の子どもだけ預かっているのであれば、保育園も保育士も足りています。それを厚労省は知っています。

夜、公園の横を自転車で通りました。もう子どもはだれもいない公園が、気を鎮め、明日を待っている気配がしました。お母さんたちの決意が、寄り添っているようでした。)

 

 

中学生は理解してくれる

中学生は私の講演をけっこう理解してくれます。感想文を読んで、まだ神様のしっぽを引きずっている人たちが、感性で理解してくれたと思うと、試験に通った気がして、私も嬉しいのです。中学生に講演する時は、一週間前から緊張します。ごまかしは効かない。でも、あっちもまだごまかして生きてないから真剣勝負みたいなところがある。緊張の一週間で、彼らが、すでに私を育てようとしているのがわかります。ですから、こんな人たちと毎日つきあう中学校の先生を私は、うらやましくもあり、尊敬します。

高校、大学と高等教育を受けているうちに、次第に感性がなくなっていくようです。学生が眠っていても平気で授業をする教授たちの姿を見ていると、魂を込めたコミュニケーションが、大学で終わってゆくのがわかります。心ないコミュニケーションを繰り返すくらいなら、もう黙っていてほしい。

でも、一度感性を放棄したように見えるその人たちが子どもを授かったとたんに感性が溢れ出てくる。遺伝子が、そういう仕掛けになっているのでしょう。幼児を育てている親たちに講演するのは、どこへ行っても楽しいのです。

 

中学生に講演した時の感想文から

「よくわからなかったけど、聞いてよかった」

「いつでも無言の愛というやつはとてもいいと思っております」

「話が難しく思えましたが、生きていくうえでは大切なことだと思いました」

「自分も小さい子たちにはげまされて、育てられたいです」

「自分が親になって困ることより『いいな』と思う方が多くなる日が来ると思うと、とても楽しみになりました」

「幸せについて、きちんと語る人はめずらしいです。ぜひ、次の講演も頑張ってください」

「親になりたいと思いました。今日のお話しは、私の成長につながったと思います」

「私たちは親に育てられているだけではなく、私たちも親を育てているとゆう話を聞いて、なんていえばいいかわかりませんが、話にひきつけられました」

「松居さんが一年生からの質問の答えを、全て精神的なことで答えていたので、子どもを泣き止ますためには、まず自分が落ち着いて、それから自分でどうすればいいか考えるのが大事なんだなあ、と思いました」

「非常に実になるお話を聞くことができ、とても嬉しいです。『幸せのものさし』という言葉をよく使われていましたが、あれは自分の価値観ということなんでしょうか。自分も職場体験で幼稚園に行き、園児たちが自分の行動一つ一つに笑顔を見せてくれて、松居さんの『幸せのものさし』というものがよくわかった気がしました。子を育てるという行為が、逆に自分を育てることにつながるという話が一番お話の中で共感でき、印象に残りました。松居さんの色々な経験談を聞けて、本当に自分の物事を見る目が変わりました。とても良かったです」

「私は、幼い子は苦手なので、今まで幼い子と関わらないようにしてきました。けれど、今日の話を聞いて、積極的に幼い子と関わろうと思いました。」

「幸せは人によって違うけれども、幸せを見失った時、幼い子どもの幸せを眺めているだけで、幸せを得られる。その幸せこそが最高級の幸せであり、その幸せを感じられることもまた幸せである。

今、まさに幸せの形を追い求め始めていたので、とても参考になりました。今日のお話しで、今の自分に少し自信が持てました。少し、がんばってみようと思いました。」

「僕は、今回の話を聞いて、幸せとはどういう物かっていう、自分のものの見方が変わりました。幸せは、人生の中で、どれだけ成功できるかとか、作り出していくものではなくて、その今生きている人生に幸せを生み出す=ものの見方を変えていくことでつかみとるものなんだなと思いました。その、ものの見方は幼稚園、保育園児に学ぶものであったり、他にもいろいろな人から学ぶこと、いろいろな物から学ぶことであると思うので、しっかりと自分とかを見つめ直して、初心を忘れないようにできたらな、と思いました。」

「自分の考えを変えれば、なにかが変わるんじゃないかな、と改めてわかりました。」

「僕ははじめは、話をきいて、とても難しいはなしでよく分かりませんでした。でも、せっかく講演会を開いていただき、意味も分からないままでは、もったいないと思って、一生懸命話をきいていたら、だんだん松居さんのはなしの意味がわかるようになっていきました。マサイ族が一人で立っている草原をイメージして集中していると、30秒でピタッと泣きやんだ、なんてはなしは、普通にきいていたらきっと信じませんが、松居さんが話しているのをきくと、すごく気持ちがこもっている話で『本当なんだろうな』』と思うことができました。

今日の講演会では、松居さんの気持ちのすごくこもったいい話をききました。家に帰ったら親におしえてあげたいです。自分が大人になって子どもを持つようになったら、この話を思いだして、子どもといっしょに”立派な人間”になっていきたいです。今日の講演会はとても自分のためになったと本当に思います。

小さな子どもと遊ぶときなどに、今日の話を思いだして、やさしく対応してあげたいです。」

「今日、松居先生の話を聞いて心にのこったことは、園長先生がうさぎになってくださいと言ったとたん、お父さんたちがうさぎになったことです。園長先生は、お父さんたちをうさぎに変えることができてすごいし、お父さんたちは子どものために、はずかしがらずにうさぎになるのもすごいと思いました。ぼくは、この話を聞いて、弟がほしくなりました。」

「私は、『親になる幸せ』を聞いて、不思議な気持ちになり、同時に、早く大人になって子どもを産んでみたくなりました。私が今生きている。それだけで周りの人たちが笑ってくれる。それだけで幸せだと思いました。」

「ぼくの妹はダウン症候群で、上手く話せません。いろいろ困ることがありますが、ぼくは妹がいてとてもよかったと思いました。」

「ぼくは、親に幸せをあたえていると聞いて、安心しました。僕もはやく親になって、子どもから幸せを受けてみたいです。」

 

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