Y市の試み・そして「鳥取県が家庭保育への給付金」

「家庭で乳児の子育てをする人への給付金」、同様の制度を始めようとしている市の行政の方から、

『今日のニュースで鳥取県が県レベルで家庭保育への給付金を創設するというニュースがありました。』という知らせがありました。

http://www.sankei.com/west/news/170118/wst1701180086-n1.html …

鳥取県は18日、0歳児を保育所などに預けていない「在宅育児世帯」を対象に、現金給付を含めた支援制度を平成29年度から開始する意向を各市町村に示した。県によると、1億~2億円を予算案に計上する。都道府県レベルでこうした制度を導入するのは初めて。

県が作成した制度案では、事業主体は市町村とし、児童1人当たり月に3万円程度の給付を想定。県は1万5千円を上限に助成する。現金給付の他に一時預かりサービスの利用補助や子育て用品などの現物給付も選択可能とし、所得制限を導入するかどうかも含めて各市町村に判断を委ねる。

子育ての経済的負担から出産をためらうケースを減らす狙いもある。各市町村長らが出席した行政懇談会で、平井伸治知事は「子育て支援に厚みを出し、ぜひ多くの子育て世帯を応援したい」と理解を求めた。

市町村長らからは「家庭での子育てを促す」「保育士不足対策としても効果がある」など肯定的な意見が多数を占めた。

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この方法が、全国に広がることを期待しています。0歳だけでなく、2歳児くらいまで広がってほしい。保育界を追い詰めている保育士不足と、市場原理がもたらした急速な保育環境の質の低下に対応するには、なるべく親が育てる、この方向しかないと思います。

全国的に見ても、3歳未満児を育てる親に月額5万円の直接給付をしても、いま未満児保育に使っている税の総額より安く済むかもしれない。保育料を払っている親たちの多くが、自分で仕組みを支えていると思っているようなのですが、東京都などでは0歳児の保育に月額50万円近い税金が使われている。そして現状は、どんなにお金があっても保育士が足りない。もっと深刻なのは、いい保育士がいない、育っていない。子育ては究極お金でその良し悪しが決まるものではないのです。

家庭に子育てを返してゆこうという鳥取県の施策は、保育士不足という緊急事態と、いま3歳未満児保育を増やすと市町村も恒久財源が必要になることへの危機感、先を見通した具体策かもしれませんが、同時に、幼児の願いに沿っている。幼児という弱者の願いを優先すると、福祉の質の低下に歯止めがかかるだけでなく、学校も含めて、社会全体にいい循環が生まれてきます。全国に少しずつ広がってきている「一日保育者体験」から生まれる感想文を見ても思うのですが、弱者の幸福を優先すると、社会に人間性が蘇ってきて、自然治癒力、自浄作用が働き始めるのです。

 

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経済施策と子育ての施策を混同してはいけない

少子化の先にある税収減を見越して、財政諮問会議が小泉政権の時に始めた、女性の労働力を掘り起こすという「雇用労働施策」が、いまの「50万人幼児を保育園で預かれば女性が輝く」という施策の本質です。保育の質が後回しにされている。それが後回しにされていることによって、保育界に様々な悪循環が生まれている。

未満児を預かる保育所、小規模保育、家庭保育室、そして子ども園を、ここまで意図的に増やしてしまうと、親に子育てを返そうとした時に、既存の保育施設の生き残りという問題が出てきます。生き残ろうとする過程で、一層子どもたちの存在感が薄れてくる。保育施設を増やしても、基本的に流れは「少子化」です。出生率が上がっても、分母になる母親の数が減り続け、結婚しない男性が増えている状況で少子化は止まらないのです。

しかしここで忘れてはならないのは、いまの保育の仕組みは、人工的に作られた仕組みであって、絶対的なものではないということ。(0歳児を預からないと、私立の保育園の経営が成り立ちにくい、という現在の仕組みは、母親を乳児から引き離そうと、政府によって意図的に作られたものです。政府の考え方が変われば、どうにでもなる。政治家が、国の在り方を長期的に考え、幼児たちを大切にすることで起こるいい循環が、将来この国のモラルや秩序、学校教育の質にとてもいい影響を与えると思い直せば、方法はいくらでもあるのです。)

園児減少を心配する私立保育園・幼稚園には、子育て支援センターとしての機能を持たせて、経営の心配をしなくていいように、しっかり補助を出せばいいだけのことです。

少子化を背景に、保育園と幼稚園を競わせ節税しようとするいまの施策は、幼児の生活の質を蔑ろにした姑息な手法です。これでは、保育のサービス産業化を招くだけ。その向こうに、「保育は成長産業」と位置付けた閣議決定が見え隠れしています。親へのサービスを優先するといい保育士が去って行く。保育士という道を選んだ人たちの心の仕組みを、政府も経済学者も理解していない。ここが一番怖いのです。

保育士たちが「子育て」をしている限り、幼児たちは保育士の良心を育てます。すると、子どもたちの声、願いがよりはっきりと聞こえてくる。いい保育士は、自分たちが政府から押し付けられた「仕事」(役割)と子どもたちの願いの間に矛盾があることに気づいてしまう。程度の差こそあれ、保育士やめるか、良心捨てるか、ということになる。

母子手帳や乳児検診の延長線上に、乳幼児の母親たちが集まる場所を、例えば年配保育者やベテラン園長が常に居る幼稚園や保育園に併設して作る。すでにそうしている園もあって、園庭に小さな小屋とキッチンもあって、そこで簡易料理教室が自主的に開かれたり、ママ友の会が開かれたりしています。一緒に子どもを育てているという環境が、人間社会に絆が生まれる基本ですから、相談相手が自然にできてくる。本当は、ビルの一室などではなく、心が落ち着く森の中や、見渡すといい景色が見える静かな所などがいいのです。子育てに大切なのは風景、親たちの心の落ち着きですから。

(鳥取の取り組みついてツイートすると、こんなツイートが返ってきました。)

「私も同じように思います。一時保育や家庭保育の親向けの支援事業など、園児がいなくても地域が園に求めている必要な子育て支援事業はたくさんあると思います。家庭で保育したいけど経済的にできない家庭が待機児童って、子育て支援の方向として本末転倒のような気がしました。」

同感です。「家庭で保育したいけど経済的にできない」という状況は、最近、意図的に作られた意識、環境です

子どもたち、特に乳幼児が家庭の中心に居て、その状況が成り立つようにサポートすることで「人間社会」が存在してきた。そうした進化にとって当たり前のこと、(遺伝子の)「働き」が、薄っぺらい経済論で覆い隠され、みながいつしか競争に追い込まれ、騙されている。

みんなで、当たり前のことをできるようにすればいいだけなのです。それだけの税金はもちろんある。それを国や自治体が馬鹿げた施策に使って無駄にするのであれば、幼児を眺めて話し合えばいい。幼児に視線が集まっていれば、本来「その絆」でなんとかできる。様々な状況でそうしてきた。そういう真実を学校でも教えてほしいと思います。貧しくても、幼児の幸せを優先に考えていれば、絆が生まれ、育てる側も幸せになれること。そして、この国は、そういうやり方が得意だったこと。それがこの国の美しさだったこと。

 

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松居 和 様

遅ればせながら、新年おめでとうございます。

また、旧年中は2度もご講演を頂き本当に世話になりました。

さて、当町では平成29年度から、生後7ヶ月から1歳11ヶ月まで(17ヶ月間)の子どもを保育園等に預けず家庭で子育てする保護者(祖父母でも可)に月額3万円を給付する「家庭保育支援給付金事業」を創設することが決まりました。

実は、この施策は数年前から密かに温めていたものなのですが、制度設計をする段階で鳥取県の自治体(伯耆町、大山町、湯梨浜町)で既に似たような施策が実施されていることが分かり驚いた次第です。(世の中には同じことを考える人がいるんだなぁ〜と素朴に思いました(笑)

とはいえ、全国的には珍しい施策であることと、それなりに予算がかかるこの施策提案が執行部に通ったのも、松居先生のご講演のおかげだと感じています。

国の経済政策や子育て支援政策が迷走するなか、子育てを取り巻く環境はますます厳しい状況ですが、当町の子育て支援のポリシーを示す施策として定着させていきたいと考えています。

先生には、今後ともご支援を賜りますようお願いいたします。また、今後のご活躍を心からお祈りいたします。

時節柄、くれぐれもご自愛ください。

 

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